第14話 ROOTS

 あれはいつのことだっただろう。夜の帳が下り始めた頃に母は産気づき、一晩中唸りとも悲鳴ともつかぬ声をあげていた。まだ幼かった姉弟は何もできず、ただいつもと違う様子の母を心配しているだけで、父がひとりで出産に立ち会っていた。母はどうなってしまうんだろうと不安にかられて眠れない夜を過ごし、夜明けはまだかと窓を開けたときだった。

 産声、だった。

 泣きそうになりながら駆けつけると、父の手に小さな命が抱かれていた。赤ん坊というのは本当に赤いんだな、それに顔もくしゃくしゃで変なの──そう思っていたのに、目の前で泣いている赤ん坊を見ていると、愛しいと思えてくるのだ。

 新しい弟だぞ。

 そう父に言われて、本当は妹が良かったなんて思ったのは一瞬だった。

 鮮やかな赤い髪をした新しい弟は、姉によく懐いた。当時精神的に不安定だった母よりは、姉の方が頼りになったのかもしれない。

 夜が怖いと言えば一緒に寝たし、木に登って降りられなくなれば助けてやった。時に母の調子が良い時に剣を習っては二人で何度もやりあった。勿論稽古で勝つのは姉だし、喧嘩をして勝つのも姉だ。弟二人は結局最後まで姉に敵うことはなかったのだが、下の弟は手間がかかる分姉もまたかわいがった。上の弟は将来は騎士になりたいと、剣術の稽古をすることが多くなった。

 無邪気で楽しい時も、そう長くは続かなかった。

 双子の姉弟が15歳、下の弟が12歳になったときだった。

 上の弟は金髪、下の弟は赤髪。父は茶髪で、母は金髪。

 姉だけが黒髪だった。

 ずっと気にはなっていた。それを思い切って聞いてみたのだ。

 双子の父は、違う人だと。そう、言われた。

 二人の父親は、双子が生まれる前に死んでしまったのだと。

 母を、守って。

 どうして──。

 そこまでしてくれた父を忘れて、何故別の男と暮らしているのか。

 今まで父と思っていた人は、そうではなかったのか。

 姉は泣きながら家を飛び出した。そしてそのまま戻ることはなかった。

 後を追うように、上の弟も家を出た。どこかの国に仕えることになったそうだが、詳しくは知らない。

 下の弟と再会したのは、それから二年後のことだった。

 廃墟と化した両親のかつての故郷で、魔王が復活した。それを倒したのだった。

 倒したつもりだった。

 姉さん、ごめんね……。

 ずっとかわいがっていた弟だった。半分しか血の繋がりがなかったとしても、自分を慕ってくれ、また手塩にかけて育てた弟だ。あんな別れ方をしたので素直にはなれないが、大事な弟であることに変わりはない。

 その弟が、倒したはずの魔王とともに、自分を結界の内に閉じ込めたのだ。訳も解らぬまま閉ざされた空間の中で意識を失った。

 何故、こんな……。

 私を裏切るのか、お前まで──!


 最後に見たのは、廃墟の中に揺れる紅の髪──……。


   ***


(今……何て……)

 飛鳥の言葉に耳を疑った神沢の目の前で、渡辺の放った氷の槍は木っ端微塵に砕け散った。きらきらと輝きながら、その破片のひとつさえ飛鳥に傷ひとつつけることなく、ぱらぱらと床に散らばっていく。

「許……さない」

 飛鳥の呟きに呼応するように、空気がざわめく。

(耳がおかしい……まさか)

「絶対に許さない!」

 叫んだ飛鳥を中心に、大気が一気に渦を巻いた。つい先刻までの虚ろな表情は消え去り、眉を吊り上げ怒りに肩を震わせているその姿は、まるで別人だった。異形となった渡辺を睨み付けて、左手をかざす。渦巻く大気はそのまま竜巻となって飛鳥を軸に大きくうねり、天高く伸ばした左手の前で棒状に凝り固まっていく。

 荒れ狂う大気は1m弱の棒状に圧縮され、白く光り輝いた。

(あれは──!)

 光が引いた時、神沢の目に映ったものは、左手に純白の剣を握り締めこちらを睨めつけてくる飛鳥の姿だった。

 その光景に見覚えが、ある。

 忘れるものか……!

 怒りに猛る飛鳥と驚愕に眼を見開いた神沢の視線が正面からぶつかった。

 覚悟!

 天を指していた剣を、勢いよく振り下ろした。短い刀身が異形に届くことはなかったが、刃が白く光り、放たれた閃光は異形に抗う余裕さえ与えることなく叩きつけられ、弾けた。

「きゃああっ!?」

「うわっ」

 その衝撃で異形の拘束から逃れた神沢は、アメーバ状からひきはがされる形で吹き飛ばされ、講堂の壁に背中を打ち付けうつ伏せに倒れこんだ。

「どうして……封印は……?」

 かすむ視界でそれでも顔をあげると、アメーバ状の半分を吹き飛ばされて呻く渡辺と、なお剣を振りかざす飛鳥が見えた。確かに彼女は神沢を敵対視していたはずなのだが、我を失った状態では神沢が吹き飛ばされたことに気付かなかったらしい。

(あの剣……)

 飛鳥の手に忽然と現れた白い剣。紛うことなき『破邪の剣』──彼女の内に『力』として存在するはずのそれが何故具現化しているというのか。

 渡辺に氷の槍を向けられて、目を開くまでのほんの一瞬。

 飛鳥の中で何が起きたというのだろう。神沢に解ることはただ、今彼女の力は暴走しているということだけだ。今までも感情を昂ぶらせるたびに力の影響を受けていた。それを力が使える──力が表に出やすい状態で激情にかられてしまった。街中で竜巻を起こしたときの何倍もの力が一気に解き放たれてしまったのだろう。

 よりにもよって、彼女の前世での最悪の記憶によって。

 今の彼女が神沢を許すとは思えない。

(それでも、守ると決めたんだ……)

 震える手を、握り締めた。


 感情の赴くままに飛鳥が剣を振り回す度に、異形と化した渡辺が悲鳴をあげる。アメーバ状は吹き飛び、背から生やした漆黒の翼は引き裂かれ、もはや飛ぶことは叶うまい。人型をした上半身も赤い鮮血を撒き散らしている。

「イヤアァァア!!」

 先ほどまでの圧倒的な余裕も笑みも消え失せ、必死に飛鳥から逃れようとする。だが逃れるにはアメーバ状はあまりに重く、また防御しようにも神沢の全力の魔法さえ無効化した異形の力も、白い閃光の刃の前には役に立たなかった。傷を負うごとに力を失っていく異形に一歩ずつ近づき、飛鳥はためらうことなく白い剣を振り下ろした。

「ギャァアアィァアア!!」

 初めて白い刀身が生身の肉体を引き裂いた。人型をした渡辺の右胸から左下腹部までを、一直線に赤い飛沫が追う。漆黒の翼もアメーバ状も消えてなくなり、かつて飛鳥のクラスメートであった渡辺の姿が血まみれになってのた打ち回った。

 ビシュッ。

(……何?)

 足元でのたうち回る渡辺をそのままに、飛鳥は自分に付着した何かに右手で触れた。

(血?)

 制服を赤く染め上げるのは、目の前に倒れるかつてのクラスメートの返り血だ。制服だけではない。顔も、足も、そして剣を握る手も、どこもかしこも紅に濡れている。

(どうして……剣?)

 何故こんなことに? いや、白い刀身を赤く輝かせる剣を手にしているのは何故? 目の前に倒れているのは、誰?

(渡辺さん?)

 何がどうなっているというのか。重傷を負って倒れている彼女を傷つけたのは、私? 思い出せ、何がどうなった? クラスメートが獣に変身して、逃げ出して、講堂に逃げ込んで──それから?

 それから、渡辺に殺意を剥き出しにされて。

 彼女までがおかしくなってしまって。

 親友だと、思っていたのに……。

(殺せ!)

 激しい頭痛とともに、声が頭の中で鳴り響いた。

(殺せ! 裏切り者に血の報復を!)

 裏切り? 血の報復?

(心を許し、信じ、愛したのに、何故こんな仕打ちを受けねばならない!?)

 信じたからといって信じてもらえる訳ではない。愛したからといって愛される訳では、ない。ままならぬのが人の心の常であるとは知っていても。

(何故刃を向けられねばならぬ!? 何故甘んじて刃を受けねばならぬというのか! 血を求める者には、血の報復を! 裏切り者には死を!)

 ズキン、ズキン、ズキン、ズキン。

 脈打つたびに激しい頭痛に見舞われながら、飛鳥はゆっくりと左手の剣を振りかざした。

 ……イヤだよ。

(殺せ!)

 イヤだよ。

(報復を!!)

 イヤだよ!

(何故抗う? 裏切り者を何故かばう!)

 裏切られたからって……、相手を信じた時間までなくしてしまいたくないよ……! 私は忘れたくない!!

 ぼろぼろと涙が零れ落ちた。それを拭うこともできずに、左手をあげたままで飛鳥は立ち尽くしていた。

 助けて……。

 誰か、助けて。

 どれだけの時が過ぎたのだろう。永遠にも似た刹那の中で、飛鳥はしゃくりあげながらかすれる声で呟いた。

「助けて、レイ……」

「……はい」

 立ち尽くしたままの飛鳥を、神沢が背後から抱きしめた。


 白い剣が飛鳥の左手から滑り落ち、床に触れる前に霧散した。

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