第11話 Dear friend

 ひとまず追っ手が来る気配がないことを確認してから、倒れたままの飛鳥を起こして神沢は背中の傷を見て顔をしかめた。

「一体何が起きたんですか。鈴が反応してすぐに校舎に入ろうとしたら何処からも入れないし、音も聞こえてこないし……飛鳥さんが無事でよかった」

「学校にね……。結界が張ってあるって言ってた……。20…もうあと15分切ったかな? したら結界が消えるから、好きに逃げろって……突然クラスのみんなが狼とかに変身しちゃって……襲い掛かってきて……」

 言いながら背中が温かくなるのを感じていた。焼けるような痛みと凍るような冷たさが消えていくのが解る。結界を張ったり相手を吹き飛ばす力だけを使う訳ではないのかと感心しながら、飛鳥は続けた。

「みんな変身しちゃったけど、気を失えば元に戻るの。だから殺さないで」

「相手は殺す気で来ているのに?」

「本意じゃない! 魔王に操られてるのよ!!」

「きれい事もいいですが、現にあなたはこんな傷を負っているではありませんか。それでも?」

「……私、力を使えるようになったの」

 飛鳥の足を治そうとした神沢が、顔色を変えた。

「何ですって」

「だからもう、自分で戦えるから……」

 そこから何を言えばいいのかと沈黙した飛鳥に助け舟を出すこともなく、神沢は黙々と足の傷を癒して立ち上がる。

「おしゃべりはここまでのようです」

 渡り廊下からでは薄暗くてよく見えないが、土間の奥から唸り声のようなものが聞こえてきた。

「……私の務めはあなたを守ることです。私は任務を遂行します。飛鳥さんはしばらく何処かに──あの講堂で落ち合いましょう」

「待って、私だって自分で……!」

「あなたが力を使えるようになったということは、それだけ封印が弱まったということです。むやみに力を見せびらかして相手を刺激しないで下さい」

 反論の余地を奪われた飛鳥は言葉を失い、うなだれた。だがすぐに顔を上げて神沢の背中に、

「……殺さないで」

 ようやく吐き出すと踵を返して講堂を目指して走り出した。その飛鳥の背を追うように、土間から獣人が飛び出して来る。

「足止めだけしろとは、難しいことを言う」

 表情を変えることもなく神沢は呟いた。

「凍てつく風よ、吹き荒れよ!」

 土間に向けて、ブリザードが吹き込んだ。


   ***


 もし講堂の入り口も塞がれていたらどうしよう──。飛鳥のそんな不安もよそに、講堂の入り口は閉じてはいたが何の抵抗もなく開いた。少しだけ開けて身体を滑り込ませると、そのまますぐに扉を閉める。

 終業式があったその場所は、並べられていたパイプ椅子もすべて下級生によって片付けられ、がらんとしている。見回してみても人の気配はない。この時間、他の生徒も教員も各クラスで最後のホームルームをしているはずだし、獣人と化した飛鳥のクラスメートたちもある意味ここへは一方通行なのだから、飛鳥より先にはここへは到着していないはずだった。

 扉を閉ざすと言っても講堂は内側から施錠できない。神沢が来るまでどこかに隠れていた方がいいだろうか。だが隠れるといっても何処に身を隠せばいいものか。利用する割には舞台裏とかがどうなっているのか理解していない飛鳥は、所在なさ気に歩き出した。

 ……ドンッ。

「え?」

 飛鳥のすぐ横を、何かが落下していった。床を何度かバウンドする重い音で、それがバスケットボールであることを理解する。何事かと上を見上げた飛鳥の視界を塞ぐ形で、バスケットボールが降ってきた。

「な、何!?」

 いくつかは飛鳥にぶつかり、転がった。音からすると何十というボールが上から落とされているようだった。とりあえず魔物の襲撃ではなさそうなのだが、どうしていいか解らない飛鳥は身構えたまま立ち尽くしている。

「……鳴瀬さん?」

 聞き慣れた声がして、ボールの雨が止んだ。

 両腕で頭をかばう形のままで見上げた飛鳥の目に映ったのは、講堂の二階の通路でしゃがみこんでいる渡辺だった。怯えるように小さくなっている。

「渡辺さん? どうしてここに?」

「鳴瀬さんよね? ……本物よね?」

「うん、私! どうしたの、そんなところで」

「みんな変なのになっちゃって……怖くて」

 震え出し、今にも泣き崩れそうな渡辺の姿に飛鳥はどうしていいか解らず、とにかくそこに行くから待っててと、舞台裏に向かった。


   ***


 神沢の放った凍てつく風によって土間に押し戻された獣人たちは、先陣を切った何人かが人へとその姿を変え、残る者は倒れる人間たちを乗り越えて間合いを詰めるようにじわじわとこちらに向かってくる。

(埒があかない)

 一時的に異形に変化しているということは、何らかの形で術をかけられたか、何かに憑かれているかのどちらかであろう。飛鳥は魔王の仕業だと言ったが、魔王の障気が人間を異形にしてしまうには相当の力がいる。確かに常人が魔王に近寄ればその障気の影響で異形になることもあるだろうが、今の状況ではそれはあり得ない。だとしたらこれだけの人数に変化の術をかけるだけの力を持った誰かが、学校に事前に潜り込んでいたと考えるのが妥当であろう。

 だが神沢には学校内の不審人物など解ろうはずもないし、自分以外の侵入者など判別できない。

(生け捕って白状させるか)

 どれだけの生徒に術をかけたのかは解らないが、術者を倒せば術は解ける。同時にその術者が飛鳥を狙う犯人だ。

 再度凍てつく風を放とうとした手を下ろし、腰を落として神沢は正面を見据えた。獣人が三人、土間を出てすぐのところに立っている。

「行きますよ」

 神沢の声を合図に獣人が飛び掛る。そして同時に、神沢もまた地を蹴った。

「──!?」

 獣人に感情があるとしたら、それは驚愕以外の何物でもなかった。彼らは元は人であるが、今は獣という超常の力を備えている。その彼らより速く動ける人間など、いようはずがなかった。

 だが現実に神沢は飛び掛ろうとした獣人のひとりの口を左手で押さえ、右手で腹部に拳を見舞ったのだ。獣の目をもってしてもまさに文字どおり「目にも止まらぬ」スピードで、だ。

 実際には風の力で加速して、加速分を拳に乗せて獣人に叩き込んだのだ。そんなことを知る由もない二匹の獣はたたらを踏み、踵を返すも信じ難い現状に対応できずに立ち尽くす。

「大気よ、縛めの鎖となりて捕らえよ!」

 神沢の声に我に返ったときは時すでに遅く、二人の獣人はその場に倒れて手足をばたつかせたが、まるで身動きができない。神沢は一瞥をくれるでもなく左手で口を押さえたままの獣人に向き直ると、2、3発殴りつけた。

「ああ、別に人間に戻っていただかなくても結構ですよ。気を失われては困りますので。あなたはただ私の質問に答えて下さればいいんです」

 押さえつけられ逃げることも叶わなくても、言いなりになどなるものかと唸った獣人にさらに蹴りをお見舞いする。

「質問に答えて下さいますか?」

 牙を封じられてもまだ爪があると抵抗する獣人に、神沢はため息をついて右手を彼の左肩に置いた。

「氷の楔よ……!」

 声にならない悲鳴があがった。神沢が手を離すとそこにはただ鮮血にまみれた風穴があるだけだった。

「これくらいでは死にませんよ、一応殺すなと言われているものですから。あなたが抵抗を続けるようであれば今度は足に楔を打って差し上げても構いませんが、どうしましょう?」

 神沢の冷たい笑顔は、獣人にとって死神のそれに匹敵した。超常の力を得た獣人よりもさらに上を行く者がいることをようやく理解した獣は、両手を下げて抵抗を止める。

「ではまずひとつ。あなたは飛鳥さんのクラスメートですね?」

 口を押さえられたままで激しく首を縦に振る。

「あなたを異形へと変えた術者は、クラスにいますか?」

 しばらく考えたようだったが、小さく頷いた。

「誰……と訊いても獣の姿では喋れませんね。では、術者がいるところに案内してもらいましょうか」

 それまで無抵抗だった獣人が、激しく首を横に振って後ずさりし始めた。口を押さえられたままなので逃げることはできないのだが、答える意思がないことだけは明確だった。

 不意に神沢の手から解放された獣人は、後ろに飛びずさってその場を逃れようとした。だが左肩の傷はかなりのもので、バランスを崩してその場で転倒する。さらに神沢に頭を足蹴にされ、情けない声をあげた。

「……次は踏み砕きますよ」

 背筋も凍るような感情のかけらもない声で告げられた獣人は、這いつくばり神沢に頭を踏みつけられたまま、力なく指差した。

「ご協力、感謝します」

 獣人の背中を思い切り蹴りつけると、神沢は渡り廊下を駆け出した。

(飛鳥さん……!)

 人のそれに戻った指先が示したその先に、講堂があった。



「みんな……変なのになっちゃったでしょう? 私、驚いてすぐに机の下に隠れてたの」

 舞台裏から二階の通路への階段はあっさりと見つかった。飛鳥は通路にうずくまったままの渡辺のすぐ隣にしゃがみこみ、彼女が落ち着くのを待ってただ嗚咽交じりの話を聞いている。

「もう怖くて怖くて……とっさに机の下に隠れたの。そのすぐ後にみんな吹き飛んじゃって、鳴瀬さんは教室を飛び出しちゃうし、変なのは動けなさそうだったけど、怖かったから私も教室を飛び出して……どこか隠れる場所ないかなって思ってここに来て……もし変なのがきたらどうやって戦おうとか考えてて」

 だから侵入者──飛鳥に上からボールを投げつけたという訳か。

「よくこんな場所解ったね?」

「あ、私ね、去年生徒会の手伝いやってて、照明とかやってたからここへの行き方を知ってたの」

 ようやく落ち着いてきたのか、渡辺が笑った。

「さっきはゴメンね。まさか鳴瀬さんだとは思わなくて」

「ううん、いいよ。渡辺さんが無事でいてくれてよかった……他に化け物にならなかった人っていたの?」

「いたかもしれないけど……確認してる余裕なくて」

「……そっか」

 渡辺が変化してしまわなかったのなら、他にもそういう生徒がいたのかもしれない。いたとしても彼女のようにとっさに机の下に隠れるなどしていなければ、他の異形となった者たちと一緒に吹き飛ばされ、一時的に動けなくなっているはずだ。今更助けに戻ることはできないが、獣人たちが飛鳥に気を取られて他の生徒に危害を加えていないことを祈るばかりだ。

「ねえ、どうしよう鳴瀬さん……変なのがここに来たら、私たち」

「大丈夫」

 不安に怯える渡辺を安心させるように笑って飛鳥は応えた。

「私たちを助けてくれる騎士がすぐに来てくれるから」

 何のことかさっぱり解らない渡辺は首を傾げたが、とにかく飛鳥に助けが来るあてがあることだけは理解した。

「さ、降りよう? ここにいてもし見つかったら逃げられないし」

 立ち上がり渡辺を促すように階段に向けて歩き出した飛鳥の手が、強く引かれた。

「渡辺さん?」

 もしかして腰が抜けて立てないのかと振り返った飛鳥の頬を、強い衝撃が襲った。

 バシィッ!!

 容赦なく左頬を引っ叩かれて、勢いで狭い通路の柵にもたれかかる。一瞬混乱した飛鳥の隙をついて、渡辺がのしかかるようにして両手で飛鳥の首を締め上げていた。

「わ……渡辺……さん……?」

「逃げる必要なんてないのよ。だってあなたはここで死ぬんだから」

 にやりと笑った渡辺の目が、真紅に輝いていた。

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