第2話 Threatening

 生まれてこの方17年、これといった身の危険に晒されたことはない。自然災害に見舞われたこともなければ、家に強盗が入ったことも、学校周辺で通り魔事件が起きたこともない。物心つく前に交通事故には遭っているが──ごく普通に、平穏に、平凡に過ごしてきた。それなのに、突然ボディーガードをあてがわれて「はいそうですか」と納得できる者がいるのだろうか。いるのなら顔を見てみたいものだと思いながら、飛鳥は怒鳴りつけていた。

「何よボディーガードって!? どういうことなの!」

 高校に入学したとき、両親と思っていた人が実はそうではないと告げられたとき以来の剣幕で、飛鳥は叫んだ。自分は何も知らされていないが、養父母は知っている。ふたりのその沈痛な表情がそれを雄弁に物語っていた。

「落ち着け、飛鳥」

「落ち着いてなんかられないわよ、また私には黙ってたの!? そんなに私はコドモなの!? 勝手に私の知らないところで話が進んでて、どうして教えてくれないの!? いくら私が本当の子供じゃないからって──」

「飛鳥!!」

 養父が両手を膝の上で震わせながら怒鳴った。言いかけていた飛鳥もハッとしたのだが、それ以上続けることも他の言葉を見つけることもできず、沈黙のままで立ち尽くした。見れば、養母がうつむいたまま肩をかすかに震わせている。

 ああ、またやってしまった──。

 このところずっと続く苛立ちのせいで、飛鳥は周囲の人を意識してないところまで含めれば、相当に傷つけている。そして言ってから後悔するのだ。どうしてこうなのだろう、と。自責の念から苛立ちはまた募り、その悪循環から抜け出せないでいる。

 この日何度目かの重苦しい沈黙を破ったのは、神沢と名乗った私立探偵だった。

「心配をかけたくないから言えない、ということもありますよ」

 それが裏目に出てしまうこともあるけれど。

 静かな声に吸い寄せられるように家族が見守る中で、神沢は床に置いてあった鞄から封筒を取り出すと、その中身をテーブルの上に広げた。

「この封筒に見覚えは?」

 かわいらしい花柄のピンク色の洋形封筒。宛名は女の子らしい丸っこい字で飛鳥宛になっている。切手はごく普通の80円切手に消印は近所の中央局のものだ。差出人の住所氏名は、ない。

「知らない……」

 飛鳥は持っていないが、携帯のメールがコミュニケーションの主流である昨今で、手紙を書く級友はいないし、名乗りもしないような無礼者は知人にいない。

「では、こういう写真を撮った覚えはありますか?」

 封筒の中に入っていた数枚の写真。どれも制服を着ているということは学校の中だろうが、そこに映っているのは飛鳥ひとりで他の誰かが一緒に映ってはいない。笑っていたり、考え事をしているのか無表情だったり、アップだったりロングだったりするが、カメラを向けられていた覚えはない。

 何よりも。

 その写真の、ちょうど飛鳥の首のところを、刃物で切られていた。切込みを入れるように、きれいにまっすぐ切れている。

「……何……これ……」

 写真を手に取りその切り口を指でなでて、飛鳥は力なくソファに座り込んだ。

「どういう……なんなの、これ……」

 撮った覚えのない写真に、明らかに殺意がこめられている。動揺する彼女を見てどうしたものかと養父母の様子をちらりと窺うと、覚悟したように頷いた。神沢も覚悟を決めて、同じく封筒に入っていた便箋を手渡した。

 封筒とお揃いなのか、四隅に花の絵が描かれたピンク色のすかしの入った便箋に、およそ似つかわしくない錆びたような黒ずんだ赤い文字で、こう書かれていた。


      『殺してあげる、君のために』


「何……、なんなの……? どうして私なの……!?」

 飛鳥はこれまで、平凡に過ごしてきた。人間関係にも人並みの喧嘩やいさかいはあったものの、殺意をつきつけられるような激しい決裂や対立はなかった。

 それなのに、どうして。

 どうしてこんな、剥き出しの殺意を突きつけられねばならない?

 三人が見守る中で、飛鳥は便箋をテーブルに投げ出して頭を抱えてうなだれた。幾何かの沈黙の後で、不意に顔を上げると、無気力に微笑んでぽつりと呟いた。

「何かの嫌がらせよね? きっと受験がだんだん近づいてきて、イライラした誰かのせいよね? クラスの誰かが私の成績を妬んでやったのよ、そうよね? だって消印だって近所だし……」

「飛鳥さん」

 神沢の静かな声が飛鳥を遮る。

「先ほど申し上げたように、ご両親は心配をかけたくなかったんですよ」

「……え?」

「この1通だけであればあなたと同じように考えるでしょう。どうしてご両親が私立探偵に仕事の依頼をしたと思いますか?」

 回らない頭で、それでも飛鳥は考えた。まさか──。

「……最初はね、ただのいたずらだと思ったから……勉強の邪魔になっちゃいけないと思って黙っていたんだけど……」

 ぽつり、ぽつりと養母が呟く。

「それ以外にも似たような手紙が何通かあって、ほら、最近ストーカー殺人とかあるから警察にも相談したんだけど、犯人が誰だかわからないし、単なるいたずらだって相手にしてくれなくて……。でも手紙の内容はだんだんエスカレートしていくし、怖くなってお父さんに相談したら、探偵はどうだって言うから……」

「探偵に相談する決心をしたのはな」

 養母の後を養父が続ける。

「その手紙が届いたのが先週なんだが、その翌日、玄関の前にねずみの死骸が捨ててあった。それがその写真と同じように首を切られていたから、向こうは本気だと思ったんだ」

「後は私が説明しましょう」

 神沢が言ったが、飛鳥はただ言葉もなく何の反応もなかった。

「ご両親はあなたを守るために、できれば隠密にことをすませようと私のところに相談に来ました。条件は『受験を控えたあなたが心を煩わせることのないよう内密に』、『犯人を突き止めること』、『あなたの身の安全の保障』でした。ですが話を伺ったところ、このままではあなたの命が危険に晒されかねないと判断し、ボディーガードとしてあなたの身辺を守ることにしたのです。『内密』の条件は破棄しましたが、あなたの身を守ることを最優先に、犯人を突き止めます」

 神沢の頼もしい言葉に養父母は頷いたのだが、飛鳥は受け止めかねる現実に打ちのめされたまま、やはり何の反応もない。

「まず、今後私のそばから離れないで下さい。幸運なことに学校も春休みになることですし、明後日の終業式は休んでもらいます。あとはできる限り自宅で過ごしていただきます」

 飛鳥はただ、黙って聞いているだけだった。

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