ガリアⅦ ~その心、どこまでも

 1.



 熱砂の大地、ガリア。

 砂の平原が果てしなく続く。

 空もまた砂塵が舞い、大地を映す鏡のように砂の雲に覆われている。

 巨大な太陽が地を焦がし、乾いた熱い風が吹き抜け、膨大な熱量に大気は沸騰し揺れる。

 不毛なる地に人はなお生き続ける。



 2.



 砂嵐がオアシスを襲う。

 遥か地平線の彼方より吹き付ける強い横風が外壁に砂を叩きつける。

 巻き上げられた砂漠の砂がオアシスの中にも降り注いでいく。

 嵐が過ぎ去ったあとに出来た砂の吹き溜まりは人が埋まってしまうほどの量であった。

『嵐が来る』

 そう予測したのは管制塔のトレーダー達だった。

 彼らの予報は正確だ。

 そのおかげでロンダサークの被害は最小限で済んでいるといってもいい。

 トレーダーは空や砂漠の様子を見て嵐や竜巻の発生を予測する。早いときであれば二日以上前から嵐の前触れである『竜の子』を見つけ出すことができるという。

 砂雲の流れや風向き、朝晩の砂流雲の染まり具合など微妙な変化を彼らは見逃さない。

 トレーダー全てが天候予測に長けているというわけではないが、それでもオアシスの民とは比べものにならないくらい早く『竜の子』を見つけるのだった。

 それは砂漠を生き抜くために自然と身について行ったものであった。

 オアシスの民は地平線に嵐の壁を見つけて、ようやく砂嵐や竜巻の到来に気づく。

 竜巻の進行方向にあるオアシスであれば一時間もかからずにそれは到来し、『竜の咆哮』をオアシスに向けて放つのだった。

 街に竜巻の侵入を許せば、建物は破壊され命の泉さえ失いかねない。

 管制塔の警告がなければ、ロンダサークは砂漠に存在していなかっただろう。

 砂嵐がオアシスを直撃する前にロンダサークでは嵐の準備を終えていた。

 漁師は早々に砂魚漁を切り上げ、船を外壁の中に戻す。

 外壁にある門はすべて固く閉じられ、砂の侵入からオアシスを守る。

 この日の商いは早朝に少し行われただけで、いつもは賑わいを見せる市のある通りも人通りはほとんどない。店の扉は固く締められ、露店からはテントが外され持ち運べないものだけがその場所にしっかりと固定されている。

 日が昇っているにもかかわらずあたりはうす暗い。

 濃いグレーに染まった砂雲が空を覆い、轟音とともに砂雲が波打つように激しく流れていく。まるで雲が生きているかのように胎動している。

 通りには砂塵が舞い視界を悪くさせていた。

 強い風が路地を吹き抜け、据え付けの悪かったものが飛ばされていく。

 こんな日はほとんどの仕事が休みだった。

 人々は息をひそめ嵐が過ぎるのを待つ。

 城壁の外で吹き荒れている強風は巨大な石塀に阻まれ、直接嵐が吹きこむことはなかったが、それでも体が持って行かれそうになるくらい強い。さらに風と共に砂が吹き込んでくる。

 少女は目深にフードをかぶり、ゴーグルとマスクをしてさらにマフラーで砂から顔を守りながら、下町を歩いて行く。

 それでも砂はどこからか隙間を見つけマントや服の間から侵入してくる。

 前かがみになった少女の脇を陶器の破片らしきものがかすめていくこともあった。

 少女は軽く舌打ちしながら進む。

 風の音と自分の呼吸音しか聞こえない。

 まるで死に絶えたオアシスの中を歩いているようだ。下町には彼女以外存在していないように感じてしまう。

 少女は朝からベラルの館に入り浸り教えを乞う。午後にはシェラの家で織物を習い、最後に管制塔へと向かうのだった。

 砂嵐が吹き荒れようとも少女は休むことなく動き回っていた。


 ロンダサークの南端にある宙港への道のりは風のせいもあるだろうが普段の倍くらい時間がかかってしまう。

 小さな非常用の門は強風と砂のため開きが悪かった。非常口を抜けると目の前には広大な更地が広がる。

 さえぎるものが外壁だけなのか、この地区では風がまともに吹き付ける。まるで砂漠に出たような感覚にさえなった。

 足元は石とは異なる材質で覆われている。

 所々ひびが入り、陥没している部分もあったが、ここは建設当初から変わらぬままだという。

 三千メートルはある走路と呼ばれる長く幅広い道が二本東西に延びる。

 その二本の走路を結ぶ何本もの細い補助路が走り、外壁の上から見ると網の目のようにも見えた。

 ここには居住のための家はない。トレーダーが管理する地区だからだ。

 外壁の南側には巨大な倉庫が並び、外壁よりも高くそびえ立つ鋼鉄の塔があるだけだった。

 管制塔と呼ばれる鋼の塔ははるか先にある。

 砂塵の向こうにそびえ立つ管制塔は、黒い影のように揺らめいている。まるで蜃気楼のように実体がないもののようにも見えた。

 少女は風に体を預けるように体を横に傾ける。そうしていても強い風に流されてしまい真っ直ぐ進めなかった。

 何度も方向修正しながら歩き続ける。

 古くから宙港と呼ばれるこの地区はオアシスにあって異質な場所だった。

 砂漠を渡るトレーダーが唯一常駐しているのが宙港である。トレーダーが何故この地を守り管理するのかは判らない。

 宙港が建設されてしばらくは外壁すらなかったが、長年のロンダサークの拡充により宙港はオアシスと隣接し、いつしか走路と管制塔を囲むように外壁ができていったのである。

 キャラバンが係留し、ウォーカーキャリアがその巨体を休める場所である。

 今も昔も変わらずに。

 下町と宙港は小さな門でつながっている。

 しかし、つながっていてもオアシスの民とトレーダーは交わることがほとんどない。

 ディスクに記録されていたように、互いに手を取り合っていたときもあったはずなのに、今は商い以外でのつながりをもとうとはしなかった。

 砂嵐の予測を伝えるのも直接ではない。

 管制塔に旗が揚がり、その数や色によって嵐の到来日時や規模などを予報として外壁の物見に伝えるだけだった。

 出入りを許されているのはごく一部の商人とジャンクと呼ばれる者たちだけで、宙港はいまだオアシスとは一線を画した治外法権区域となっている。

「なぜだろう?」

 それが今の少女には不思議に思えた。

「……それにしても管制塔って、こんなに……遠かった……?」

 見えない壁でもあるようだった。

 旧区や下町では体験することのない強風が直接吹き付けてくる。

 フードは役に立たなかった。だが歩けない風ではない。少女はこれよりもひどい砂嵐の中砂漠を歩いたことさえあったのだ。

 幾度となく風に流されながら少女は管制塔へたどり着く。

 塔はウォーカーキャリアよりも巨大だ。見る者を圧倒する。

 塗装はとうにはげ落ち、鋼がそのまま露出している。触れれば表面は細かい傷が覆っていた。

 それでも、はるか昔より管制塔はここにそびえ立っている。宙港を見守るように。

 少女は入口のロックを外すと中に飛び込み扉を閉じた。

 荒れ狂っていた風音が止み静寂が戻る。

 マントを脱ぐとまとわりついた砂を払い落す。

 少女は胸のポケットから一枚のカードを取り出すと、それをもう一つの扉の横にある読み取り機に通した。

 音もなく扉が開く。

 窓のない一階は真っ暗だった。

 腰のポシェットからペンシルライトを出して明かりをともす。

 広いホールの壁際にはガラクタが乱雑に天井に届くくらい積み上げられている。昔はここでトレーダー同士が交流を行っていたというのが信じられないくらい荒れ放題だった。

 ホールには少女の足音だけが響く。

 光の中にホコリが浮かび上がっている。

 奥へ進むと上への階段が見える。

 六層ある管制塔で、現在使われているのは最上部とその下の層だけである。

 手すりに触れるとひんやりとした感触が伝わってくる。

 ここは懐かしい香りに満ちていた。

 少女はゆっくりと階段を昇り始めた。


 宙港は南北に二キロ、東西に四キロにわたる長方形の区画だった。

 走路を囲むような形で外壁が造られたためにそうなったといわれている。

 命の森を中心に放射線状に広がったオアシスの外壁とは造りも違っていた。

 その隣にはトレーダー達の区画があり、エアリィやヴェスターの住む館もそこにある。

 エアリィがキャラバンから降ろされ、ロンダサークにひとり残されたあの日から二ヶ月が過ぎようとしている。

 当初、少女はファミリーから離されただけではなく、宙港への出入りも他のキャラバンとの接触すらも許されてはいなかった。

 ヴェスターの指示だったのかもしれない。

 そうしなければ、一日中少女は宙港の片隅でうずくまり動こうとしなかっただろう。

 二ヶ月の間にファミリーは一度、ロンダサークに立ち寄っている。

 今思えば、それを知らずに来たことは幸いだったのかもしれない。

 ヴェスターの商いを見て、キャラバンの入港を知ると、高い壁をただ眺め続けたことさえあったのである。

 寂しさ、苦しさ、後悔。

 膝を抱え砂漠へと想いをはせていた。

 あの時は判らなかった祖父の言葉が少しだけ理解できるような気がした。

 それ故に宙港へと行けるようになった時、少女は走路の真ん中で大の字に横になり両腕を広げ、空を見上げながら、砂漠からの砂のにおいを胸一杯に吸い込んだ。

 歓喜とともに灼熱の光を浴びながら。

 まだエルラド・ファミリーが宙港へ入港した時の接触は許されてはいなかったが、禁の一つは解かれ、少女は自由に宙港への出入りができるようになる。

 キャラバンが立ち寄る時に少女は荷降ろしの手伝いが出来るようになり、管制塔へも入室許可がおりていた。

 以来、少女はキャラバンが入港する際はかならず宙港へやって来て、荷降ろしなどの仕事を大人達に交じってするのだった。

 再びトレーダーとして砂漠へと戻れる日を夢見て。


 暗闇の中を小さな明かりをたよりに階段を上がっていく。

 少女の足音だけが響き、その音も闇の中に溶けていった。

 底なしの砂地獄から這い上がろうと永遠に歩き続けるのではないか。いつかの闇のように抜け出せないのではないか、何度もそう思ったことがある。

 ガリアに起伏のある土地は少ない。

 オアシスを囲む外壁よりも高い建物もほとんどなかったし、外壁の上へと登ろうとするのは物見の仕事をする者達以外ほとんどいなかっただろう。

 階段は砂の上を歩くのとも違った。

 五層目にたどり着いたころには汗びっしょりだった。

 息も荒くなる。

 管制塔で使用されているのは最上階と、その下にある五層目だけだった。

 それ以外の部分は、かなり前から使われることはなく、放置されてきた。

 がらくた置き場と揶揄する者すらいるくらいである。

 これまで管制塔に常駐した者が置いていったものから、壊れたウォーカーキャリアの残骸から回収された部品が保管されている。

 最上部の六層目は四方をガラスで張り巡らされた部屋で見張り台として使われている。遥か彼方まで砂漠を見渡すことができ、ロンダサークでさえ邪魔にはならなかった。第五層はウォーカーキャリアを誘導するシステムと、それを守るトレーダーたちの居住区になっている。

 遺失テクノロジーの産物である管制塔にはカードを持つトレーダーしか入ることができない。宙港の中には入れたとしても、セキュリティがあるため管制塔の中に入ることすら出来ない。あのヴィレッジですらも。

 少女は部屋の扉の前に立つとカードを通し、暗証コードを入力する。

 入口の扉は少女が触れずとも自動で音もなく開いた。

 第五層の誘導システムがある部屋にも窓はなかったが、この部屋の電源はいまだ生きており、一日中昼間のように明るい。

 室内にはさまざまな機械が並び、機能している。

 まるで大型ウォーカーキャリアのコックピットの中にいるみたいだ。

 一説によると管制塔にもウォーカーキャリアと同じく発電システムとナノマシンがあるのだといわれている。

「何だ、またお前か」

 男は入って来た少女を一瞥しただけで、すぐに機械のメンテナンスに戻った。

「何しに来た。用がなければ帰れ」

「用がなければ来てはいけないの?」

「お前のような半端者の来るようなところじゃねぇんだよ」

「は、はんぱ……」

「まあまあ、バスガルいいじゃないか、小さな可愛いお客さんがわざわざ嵐の中やって来てくれたのだから」

 のんびりと何するわけでもなく二人のやり取りをみていたベッケンのティーロがいう。

「こいつは客なんかじゃねえよ。それに地根っ子どもの所にいる奴はトレーダーでも何でもねぇ」

「……」

 少女は言い返すことすらできなかった。

「いいじゃないか、この子にも事情があるんだろう、ファスティア?」

「あっ? ああ」

 ティーロとバスガルの間で中立を保とうとしているのだろうエルラドのファスティアはただ頷いただけでそれ以上会話には加わろうとしない。

 半端者と言われた悔しさ、子供扱いされている悲しさ、ファミリーの者からも感じる疎外感と寂しさ。

 うつむき少女はこぶしを握り締める。

「やれやれだねぇ、まあ気にするなエアリィ。あいつはいつものことだから」

「は、はい……」

「かわり映えのしないむくつけき面子だけじゃあつまらないじゃないか」

「勝手にしろ」

 少女を無視するように男は自分の仕事に没頭する。

 現在、管制塔には六人のトレーダーが寝食を共にしている。

 少女のファミリーであるエルラドの他、ベッケンやボードル、グラル、アデラシア、セラドーといったロンダサークを経路とする大きなファミリーから派遣された者たちだった。

 最盛期には二十人以上のトレーダーが常駐していたというが、今は半分以下になっている。人材を出せるほどのファミリーが少なくなってしまったことが原因だとされる。

 彼らの仕事はキャラバンの誘導に始まり、運び込まれた荷の管理や商いなどを行っていた。

 人が少なくなり、管制塔の維持だけで手一杯な状態であるというが、キャラバンの入港が昔よりも減り、仕事が少なくなってきたこともあり、なんとか今の人数でも仕事を補うことが出来るのである。

「エアリィか、よくこの天候で来たな」

 上の層から降りてきた古参のトレーダーが、笑顔で少女を迎える。

 管制塔の今のまとめ役である。

 彼らは持ち回りでまとめ役を務めている。

 管制塔に常駐する期間はファミリーによって異なる。キャラバンの巡回経路による違いはあるが、長い者だと半年以上に及び、最短でも二ヶ月は滞在することになる。

「こんにちはデドライさん。また来てしまいました」

「そうか」

 デドライはバスカルの様子を見て、ティーロのほうへ顔を向ける。

 彼は肩をすくめ、おどけたようにデドライに笑みを返す。

「なるほどな」

 苦笑するしかなかった。

 少女自身自分が歓迎されていないことは判っているだろう。

 それでも彼女は何度も管制塔へとやって来る。

 地根っ子達と交わるトレーダーの子供。しかし、ヴェスターはそれを止めず、エルラドもそれを黙認している節がある。

 バルガスがこうして少女を迎え入れるのもヴェスターとの知古からだった。

「なにか?」

 いつの間にかジッと見つめてしまっていた。それに気づいて少女は訊ねてくるのだった。

「いや、そうだな……」

 彼らの慣わしからすれば、この子は異端として排除されてしまうだろう。

 しかし少女を見ているとそうする気にはなれなかった。逆に興味が湧いてくる。

 不思議な少女だった。

「君のIDカードは本当に不思議だね」

「そうでしょうか? あたしにはわかりませんが……」

 少女は首を傾げる。

 トレーダーはそれぞれIDと呼ばれるカードを持っている。

 ファミリーで生まれた子供ならば、生まれたときに名とともに登録されたカードを持たせられる。

 カードはトレーダーとしての身分を表すだけではなく、ウォーカーキャリアの起動や操縦などキーとしてもつかわれる重要なものだ。

「エルラドのカードはすべてそうなのかね?」

「いや、おれのカードは、ここに入るためには登録が必要だったでしょう」

 訊ねられたファスティアはそう答えた。

 彼もこのことは興味があるようだった。

 管制塔はトレーダーにとって特別な場所である。

 その理由を知る者はトレーダーの中にもいないが、トレーダーたちは遥か時を経てもここを守り続けている。

 宙港への入港だけならトレーダーは誰でもできることだったが、管制塔への入出は特殊なコードと登録が必要だった。

 入室は限られたものにしかできないのである。

「そうだったな。ではエアリィのカードが特別なのだろうね」

 少女は登録無しに出入りが出来たのである。

「そうなのかな……。う~ん……本当のことなのかわかりませんが、いとこから聞いた話では、このカード、元は母のものだったそうです。それを書き換えてあたしが使っていると」

「君の母親ということはエルラドの奥方か……彼女の物だったカードか」

 納得するようにデドライは何度も頷いた。

「母を知っているのですか?」

「一度だけ会ったことがある。それだけで話せることは少ないよ」

 あとは女傑としての噂話で、それは少女も知るところだろう

「そうですか……」

「それだと高位の登録がされていてもおかしくはないな」

「わかりません。いとこの話でさえ本当のことかは……、おやじ様は訊いても教えてくれなかったので」

「それが事実だとすると、ウォーカーキャリアを君が動かしたというのも頷けるかな」

 デドライは微笑みながら少女の頭を軽くなでた。

 少女は耳まで真っ赤だった。

 エアリィがトレーダーとしての禁を犯し、罰として島流し同然でロンダサークに一人置き去りにされたのは管制塔の者にとって周知の事実になっているとしてもだ。

「しかし、この嵐の中よく来たね」大変だったろうに。

 管制塔の中にいると、外の音はシャットアウトされているので気付かないが、窓の外では横殴りの風が吹きつけている。

 トレーダーでも、嵐のときは出歩くことは少ない。

「明日は、明日の仕事は変更なしですか?」

 気にしてないと少女は首を横に振りながら、笑顔で訊ねた。

 時間さえあれば、ここに来たかったのだ。

「ああ、この嵐は数時間で収まるだろう」

 古参のトレーダーは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。

「ルート的に嵐の影響は少ないだろう。ファードル・ファミリーの入港は数時間程度ずれるだけで変わらないだろうな」

「そうですか」

「ヴェスターにはあとで通知しておくつもりでいた。わざわざ来ることもなかったろうに」

「なんとなく来たかったから」

 少女が照れ隠しに頭をかくと砂がこぼれおちた。

 それから、持ってきたものをザックから取り出す。

 シェラが作ってくれた焼き菓子だった。

「そうか、ではお茶にしよう」

「手伝います」

 少女は元気にキッチンへと向かう。

 半端者と言われても、それでもここは少女にとって大切な場所だった。



 3.



 オアシスの朝は早い。

 夜が明ける数時間前から人の動きが始まり、イクークや採れたての野菜、卵が商区に出回り始めるのだった。

 肌寒い空気の中一日が始まる。

 市は活気を見せ、多くの人で通りはにぎわう。

「今朝はいつもよりも早くないか、エアリィ?」

 ヴェスターは食卓につきながら少女に訊ねた。

「そ、そうかな……」

 興奮してなかなか寝付けなかったとは言えなかった。

「なるほど、今日はキャラバンの入港する日だったね」

 納得するように館の主は何度も頷いた。

 少女を見て笑っているようにも見える。

「う、うん。ファードルのファミリーが」

「入港は昼すぎだったかな」

「デドライさんはそう言っていたわ」

 少女は出された料理を頬張りながら答えた。

「今日も手伝いに行くのかい?」

 訊くまでもないことだったかもしれない。

「もう管制塔には言ってある」

 いったんクロッセのところに寄り、一緒に宙港に向かうという。

「そうか」なんとも手回しのいいことだ。

 すでに少女は朝食を終えようとしていた。

 給仕をしていたマーサが落ち着きのない食べ方を見て呆れている。

「じゃあ、いってきます!」

 口元をふくと少女は立ちあがり、足早に食堂から出て行こうとする。

 マーサがあわててエアリィを追いかけ、用意していた二人分のお弁当を手渡そうとしていた。

 ジッとしていられないのだろう。

 ヴェスターは微笑みながら少女を見送るのだった。


 空一面を覆う砂雲。

 それは砂漠を映す鏡のようだ。

 変化のないように見える空もまた砂漠と同じく刻一刻と姿を変えていく。

 気付かぬうちに。

 砂雲で遮られていても地上には刺すような強い日差しが照りつける。

 走路の先は陽炎に揺らめきぼやけている。

 倉庫の日よけでできた日蔭に座っているだけでも、じんわりと汗が流れ出てきた。

「何をしているんだい?」

 珍しく何もせず日影でぼんやりしている少女にクロッセは訊ねた。

「砂雲を見ている」

「砂雲? 面白いかい?」

「ええ、おもしろいわ。ほら」

 少女は空を指差す。

「クロッセ流に言わせてもらえば、あの筋のようなものは、どうして見えるんだろう?」

 口調をまねしながら言ってみた。

「筋?」

 少女の指差す先を彼は目を細め見つめる。

「ああ、あの縞模様にも見える砂流雲のことかな」

「どんどん変わっていく。とくに嵐のあとは早いわ」

「そうだね。あそこではきっと強い風がまだ吹いているんだ」

「風? だって今日はぜんぜん吹いていないわ」

「ここはね」

「ここは?」

「そう、僕らのいるこの場所では、風は吹いていなくても、あそこでは風が吹き続けているんだ」

「どうしてわかるの?」

「まあ推測でしかないけれどね。そうだな、砂嵐のときを想像してみなよ。砂が地面に落ちることなく流されていったり、吹き上げられていく。そういう状態が空ではズッと続いているんだ。だからあんな砂流雲ができる。ほら、嵐のとき、砂の濃さによって僕らの視界はずいぶん変わるだろう?」

「うん。すごい量の砂がまきあげられるし、数メートル先さえ見えないときもあるわ。それじゃあ、あそこは嵐のままだってこと?」

「いや、嵐ではないと思うな。空では今の状態が普通なんだよ」

「でも、砂雲は今も流れ続けている」

「そうだね。風の音も聞こえない。砂雲があるあたりはここからどれだけ離れているのだろうね?」

「風音も聞こえない距離……」

「あそこは、どんな状態なんだろうね」

「人が吹き上げられるほどの風があったら、あそこまで行けるかな?」

「そうだなぁ。可能かもしれないな」

 面白い考えだとクロッセは思った。

「どんな力が必要かな?」

「砂嵐と同等かそれ以上の力が出せるエンジンかな。それを安定して出し続けられればいいかな」

「そっか……あとはなにが必要かな」

「判らないな。誰もやったことがないからね」

 クロッセは肩をすくめる。

「……残念……」

 少女は城壁の先を眺め続ける。

「あれ、何だろう?」

 見慣れない黒い筋が見えた。

 だが、それは嵐の予兆とは違う。

 嫌な予感がする。

 少女は気がつくと管制塔に向かって駆け出していた。


 黒煙が見えた。

 かなり遠い場所だったが、管制塔からはそれがよく見える。

 エアリィは階段を全速力で駆けあがると管制室に飛び込んだ。

 バスカルが何かを言っていたような気がしたが、それを無視して最上層への螺旋階段を登る。

「な、なにが……あったの?」

 息が上がって、うまく言葉にならない。

「マシントラブルだな」

 双眼鏡から目を離さずティーロは答える。

「や、やっぱり……」

 まだかなり距離があったが、双眼鏡がなくともウォーカーキャリアからのものであるのが少女にもわかる。

 機体から黒煙を上げながら砂漠を進む豆粒のようなウォーカーキャリアの姿があった。

「……ど、どこの……なの?」

「中型のマギリウス・タイプだな。エンブレムは……ここからじゃ見えないが、ファードルのものだろう」

「つ、通信……は?」

「うまくいっていないようだ」

 下の管制室からバスガルが通信装置でさかんに呼び掛けている声が聞こえてくる。

「とどかない距離じゃないはずなんだが、ノイズしか拾っていないらしい。向こうに問題があるとしか思えないな」

「……あの黒煙……どう思う?」

「エンジンか何か、動力系のトラブルかな」

 自力で動いているということは、まだナノマシンが生きているということ。致命的な事態には陥っていない可能性はあった。

「なにが原因だろう」

「おれは専門家じゃない」

「じゃ、じゃあ、クロッセに」

「あの先生か。確かにジャンクじゃあ一番頼りなるが」

「あたし、訊いてくる」

 少女は言うが早いか階段を使わず手すりから階下へ飛び降りると、管制室から脱兎のごとく駆け出して行った。

「なんともあわただしいな」


「それは、ナノがうまく供給されていないんじゃないかな」

 城壁の向こうに一筋見える黒煙を見ながら、少女からウォーカーキャリアの様子を聞いたクロッセはそう答えた。

「動いているとはいうけれど、エンジンか駆動系に異常をきたしている感じがする」

「異常?」

「動ける状態で、黒煙が上がる理由はナノの供給が滞ってしまうことから起きることが多い。それ以外だと機体内部で火災が発生しているということも考えられるけれど……もしかすると……」

 クロッセは何か思い当ることがあったのか考え込む。

「ここまで保つの?」

「判らないな。話を聞く限りあまりいい状況とは言えないなあ」

「じゃあ、たどり着けないっていうの?……」

「早く修理しなければ機体が保たない。最悪、エンジンが爆発するかもしれない」

「で、でも、クロッセの機体は黒煙を上げても、爆発はしないでしょう?」

「あれはエンジンが小さいというのもあるけれど、爆発しないようにナノマシンがキチンと機能してくれたために無事ですんでいる。だけど、話に聞くと中型のウォーカーキャリアだろう? それでナノマシンが機能していなければ……」

「じゃあ……」

「その辺りはエアリィのほうが詳しいと思うが?」

 少女は頷くことしかできなかった。

 巨体が炎に包まれ炎上する。爆発し四散する鋼の破片。

 朽ち果て残骸となったウォーカーキャリアの姿があった。

「どのみち、ここからじゃ状況が判らないし、対処のしようがないな」

「どうすれば……」

「せめて状況を見ることができたなら、対応策が判るけれど」

 少女の目に管制塔が映る。

「来て!」

 エアリィはクロッセの手首をつかむと、彼を引きずるように駆け出した。


「ここはトレーダー以外、立ち入り禁止だ!」

「そんなこと言っている場合じゃないでしょう!」

 烈火のごとく怒りをあらわにするバスガルを前に少女は負けじと言い返す。

「緊急事態なのよ! ウォーカーキャリアがあぶないのよ!」

「トレーダーのことはトレーダーでやる」

 入口の前で仁王立ちになり、少女の前に大男は立ちはだかる。

「じゃあ、あんたにあれがなおせるの!」

「関係ねぇ!」

 大声が轟きわたる。

「おまえこそ、出入り禁止になりてぇか!」

「ウォーカーキャリアが失われるかもしれないのよ!」

「どうして、おまえにそんなことが判る!」

「クロッセが言っているのよ。間違いない。お願いだからクロッセに状況を見せてあげて!」

「ここはトレーダー以外入ることはできない! とっととその先生を連れて管制塔から出ていけ! 今なら見逃してやる。中へ地根っ子を連れてきただけでもおまえは大罪に値するんだ」

「あたしのことなんてどうだっていいの! ウォーカーキャリアを守ってあげて!」

 懇願する少女の言葉を無視し、バスガルは扉を強制的に閉める。

 その間にも通信機で管制塔とウォーカーキャリアのやり取りがノイズ交じりの中でされていた。ときおり聞こえてくる状況はひっ迫しているようにも感じられた。

 それでも管制塔のトレーダーは誰一人動いてくれない。

 大男の力にかなうはずもなく少女は外に追いやられてしまう。

 無情にも閉じられた扉を少女はたたく。

「どうしてわかってくれないのよ!」

 虚しく少女の叫びは闇に響くだけだった。

「行こう、エアリィ」

 クロッセは少女の肩に優しく手を置く。

「で、でも……」

「判っている。さっきの通信機でのやり取りでだいたいの状況はつかめたよ」

「じゃ、じゃあ」

 少女の言葉にクロッセは首を横に振る。

「ここにいても何もできない」

「どうすればいいの、どうすれば?」

「エンジンがオーバーヒートしているようだ。あの黒煙はナノマシンが機能していないことから起きている。ナノのラインがどこかで断線しているのだろう」

「でも普通なら」

「そうだ、ナノが直してくれるだろうが、他にもトラブルの原因があるのだろう。ナノマシン自身がおかしくなっている」

「なにか、なにか方法はないの?」

 少女は必死だった。

 涙目でクロッセにしがみつき訊ねてくる。

「君はいつでも全力だな。僕の時もそうだったのかい?」

 クロッセは呆れながらも、微笑み返す。

「あたしは後悔したくないの! 絶対に」

 涙を流しながらも、その訴えはどこまでも真剣そのものだった。

「あたしができることがあるのなら、やれるだけのことをやりたいの!」

「なるほど」

 クロッセはしばし考え込む。

「なにか出来ることはないの?」

「そうだな。まずはウォーカーキャリアにはその場にとどまってもらいたい」

「歩みを止めるの? そうすればなおるの?」

「それだけじゃ無理かな」

「無理って、あんな場所で停止してしまったら修理もできないでしょう?」

「だから、こちらから行けばいいんだよ」

「行くって、どうやって?」

「まあ、君から聞いた距離からすると、サンドモービルで行けない距離じゃない」

「でも、クロッセは運転できないじゃない!」

「だけど、君はできるだろう?」

「……そういうことね」

「僕は下でモービルと修理のための準備をしてくる。エアリィはなんとか彼らに頼んで、その場でウォーカーキャリアに待っていてもらうように言ってほしい」

「わかったわ」

 少女は力強くうなずく。

 クロッセは彼女の肩をたたくと階段を下りて行った。

 少女は涙をふくと、大きく息を吸う。

 拒絶されるのが怖い。心が折れそうになる。

 頬をたたき、扉をにらみつける。

「後悔したくない」



 4.



「後悔しないように生きなさい」

 それが祖父の口癖であり、少女への最後の言葉だった。

 少女は物心ついたころから祖父のもとで育てられた。

 父親はエルラド・ファミリーを率いる長としての仕事が忙しく家族を顧みることは少なかった。そして母親の顔を知らずにエアリィは育ったのである。

「こうかい?」

 まだ幼かった少女にはそれが理解できたとは思えない。

 それでも老人は何度も同じ言葉で孫に語りかけた。

「今、おまえはこうしてわしと一緒にいる。昨日があって、今日という今があり、そして明日がある。こうして時間というものは続いていく」

「あすは、よあけといっしょにくるのよね?」

「そうだ。時間はこのクオーツのように絶え間なく進んでいく。決して止まることはない。今朝、おまえは怒られていただろう? 何をした?」

「どうぐばこをおとしたの……」

「なぜそうなった?」

「う~んとね……そとをみていたの」

「よそ見をしなければ道具箱を落とすことはなく。仕事をこなすことが出来ただろう? そうすれは怒られることもなく、もしかするとほめられたかもしれない」

「うん。よそみしなければよかった……」

「それが後悔だ。そういうことがいっぱい積み重なって後悔や悔いが残る」

「じい様はいっぱいあるの?」

「ああ、それこそ砂山よりもいっぱいたまっている」

 老人は笑った。

「そんなに? あたしはためたくないよ。どうすればいいの?」

「どうにもならない時もある」

「そんなのいやだよ」

「嫌だよな。どうにかしたいよな」

「なんとかなるの?」

「そういう時は、逃げない、立ち止まらないことだ」

「にげない? たちどまらない? そうすればいいの?」

「ああ、そうだ。でもそれは本当に難しいことだぞ。人は嫌なことから逃げたくなる。とっさの出来事に動けなくなってしまう。あの時こうすればよかった。何故、そう出来なかったのだろう。逃げてしまったことを悔やみ、何も出来なかったことに後悔する」

 少女の顔を覗き込むように、老人は答えた。

「あたし、にげない!」

 胸の前でギュッと握りこぶしを作り少女は何度も頷きながら言うのだった。

「そうあれ」

 老人はそっと少女の頭をなで嬉しそうにささやいた。

「おまえの前でどんなことが起きようと目をそらすなかれ、これから起こる幾多の困難から逃げず、立ち止まらず、おまえの道を行くがいい」

 そう言って老人は少女の手をとり力強く握り締めた。

 ごつごつした指先から何かが伝わってきているような気がした。

 祖父は最後までトレーダーだった。

 そうファミリーの者はいう。

 誰もが炎を前にして立ちすくむ中、少女の手を離した老人は、燃え盛るウォーカーキャリアに向かって駆けていく。

 その様子を少女は茫然と立ちつくし見つめているだけだった。

 動けなかった。

 炎に向かって放出される砂、舞い上がる砂埃と熱風が吹きつけたのは本当のできごとだったのだろうか? 騒然とする周囲の声が遥か遠くのことのように思えてくる。

 怖かった。火の勢いは衰えず、遠く離れていても肌が焼かれそうだった。

 どれくらい経っただろうか、老人は炎の中から生還した。

 燃えるウォーカーキャリアのコックピットに取り残されたトレーダーを救ったのだと、のちに教えられた。

 若者はファミリーの者ではなかった。

 見ず知らずの者のために祖父は火の中に飛び込み、その命を救った。

 助けたトレーダーを他の者に預けると老人はゆっくりとその場に膝をつき倒れる。

 駆け寄った少女に祖父はなぜか笑っていた。

 晴れ晴れとした表情をしている。

「こうかい、していない?」

「ああ、わしは最後までトレーダーであれた。それが誇りだ。ああ、後悔していないとも、おまえも自分を見失わず悔いのないように生きろ」

 少女へと伸ばした手が力なく地に落ちる。

 あちこちに火傷を負っていたが、その顔は眠っているようにもみえた。

 死を理解したのはしばらく経ってのことだった。

 あの時、少女は何も出来なかった。

 止めることも動くとも出来ず老人の名を呼ぶだけだった。

 それ故だろうか、あの時の光景は老人の言葉とともに脳裏に焼き付いて離れない。

「じい様は本当に満足だったの? 後悔しなかった?」

 それは誰にも判らないことだろう。

 のちに祖父はロンダサークへの巡回を最後にキャラバンから降ろされるはずであったことを知る。体がすでに動かなくなってきていたというのだ。

 砂漠に生き、砂漠に死ぬことがトレーダーとしての本望。それを全うできるトレーダーがどれだけいるだろうか。

 老人は最後までトレーダーとしてあり続けた。

 その死を見て、周囲の言葉に少女は惑わされたのかもしれない。老人の言葉の意味を本当に理解することなく暮らしてきた。

 少女は頑なにトレーダーであり続けることにこだわり、背伸びをし続けていた。

「今のあたしに目をそむけていた」

 キャラバンにいることが出来なくなったことに落ち込み、オアシスに背を向けている。

 祖父が本当に何を言いたかったのか知ろうとしなかった。

「そうじゃないのよね、じい様!」

「なんか言ったかい、エアリィ?」

「なんでもない! クロッセ、ちゃんとつかまっていてよ」

 アクセルを全開にする。

 二人が乗ったサンドモービルのスピードはそれでもなかなか上がらない。

 少しでもスピードを落とさないようにギャップを避けるように砂上を疾走していく。

「絶対に逃げない。あきらめない。まにあわせてみせる!」

 黒煙の上がる方向を目指し全力で少女は砂漠を駆ける。


 エンジンが焼き切れてもおかしくないスピードで飛ばし続けた結果、ガス欠寸前でなんとかウォーカーキャリアの近くまでたどり着いた。

 サンドモービルの限界距離ギリギリだった。帰りのことなど考えていない無茶な運転である。

 ウォーカーキャリアは後方部分から黒煙を上げ、立っている。

 大きな脚の近くにモービルを止めると、はるか頭上のコックピットから声がする。

「あんたらが連絡のあったジャンクか?」

「そうよ!」

「あんたがクロッセ・アルゾンか?」

「僕がそうだよ!」

 七メートル上のコックピットからの声にクロッセは大声で答える。

「ロンダサークに腕利きのジャンクがいるって聞いてきた。あんたがそうなんだな?」

「ああ。どこがおかしい?」

「異音が止まらないんだ。それにエンジンがまだ過熱している」

「黒煙はいつからだ?」

「気がついたのは夜明け前からだ」

 彼らはファミリーから先行し、夜を徹してここまでやって来たという。

「まだエンジンは動いているようだね。メンテナンスハッチが開けられるくらいまで機体を降ろしてほしい。そうしたらエンジンを切る準備をしてください」

「ここでか?」

「これ以上エンジンに負担をかけると、暴走する可能性がある」

「直るのか?」

「状況を把握してみないと判らないが、全力を尽くす!」

「頼む。おれ達にできることは?」

「砂防フェンスは持っていますか? ならばフェンスを張ってほしい。出来る限り内部を砂から守りたい」

「判った!」

 ゆっくりとウォーカーキャリアが四本の足を曲げ、機体を砂上近くまでおろして行く。

 確かにエンジン音とともに異音が聞こえる。

 クロッセはウォーカーキャリアの周囲を回る。機体の様子をみたり脚にふれたりしていた。

 少女は持ってきた工具をモービルから降ろし、クロッセについていく。

 機体が砂上から一メートルほどの高さで止まり、エンジンが停止する。

 側面の扉が開きタラップが降ろされた。ウォーカーキャリアに乗り込んでいた二人のトレーダーがフェンスを持って降りてくる。

「中の様子は?」

「冷房があまり効いていない」

「判った。コックピットに入っても大丈夫かい?」

「ああ、問題ない」

「じゃあ、まずエンジンの状態を知りたいから、計器類をチェックさせてほしい」

「あんたに判るのか?」

「ああ、きっと直してみせる」

 クロッセはトレーダーに頷いた。

 彼がこれほど頼もしいと思えたことはない。

 少女は砂防シートを抱えたトレーダーを手伝おうとする。

「それから、エアリィ!」

「な、なに?」

「こっちを手伝ってほしい」

「あたしに?」

「そうだよ。他に誰がいる? 異常個所を素早く見つけるんだ」

 そう言われても体は動かない。

 黒煙を上げる機体をただ見つめる。

 クロッセはタラップを上りウォーカーキャリアの中へ入っていく。

「はやく!」

 彼の背を見てハッとなる。

「わかった!」

 呪縛から解き放たれたように少女は駆けだした。

「立ち止まってしまうところだった。ここまできて」

 少女は頬をたたき自分を奮い立たせる。

 逃げるな、と。


 少女はウォーカーキャリアの後ろに回り、メンテナンス用のハッチを開け、中の様子を見ることになる。

 クロッセはコックピットで計器盤のチェックをしている。

 数値やデータから異常を見極めようとしていた。

「肉体労働はこっちに回って来るわけね」

 最近はクロッセの機体整備の手伝いもするようになり、助手か弟子みたいな扱いになっているときがある。

 ハッチを開ける前にまずゴーグルと防塵マスクを装備して、開放した途端に煙が一気にあふれだしてきても大丈夫なように準備する。

 排気用のノズルなどからあふれ出していた黒煙はエンジンを止めたことにより少しだけ勢いが弱まったようにも見えた。

 タイプこそファミリーのウォーカーキャリアとは違っているが、メンテナンスハッチはどれも同じようなものだった。トレーダーにとってウォーカーキャリアは家であり移動の手段である。物心ついたころから機体に馴染んでいる。

 ハッチにふれるとグローブ越しに熱が伝わってくる。

 気をつけないと火傷しそうだった。

 開けたハッチから黒煙が吐き出されてきた。

 クロッセが実験で爆発させたときのようだった。

 ただ煙の色はこちらのほうが濃い。

 煙の勢いが弱まったのを見計らってメンテナンスハッチから機体の中に入る。

 闇夜も射抜くはずのペンシルライトだったが、煙に阻まれ奥まで光は届かない。

 直接吸い込めば肺が焼かれるのではと思えるほど空気は熱かった。

 ライトで周囲を照らし煙のわきだす方向を見極めようとする。

 その濃度に嵐の中の砂の層を見ているような気がしてくる。

 巨大な鋼の生き物、ウォーカーキャリア。エンジンはその心臓。振動は鼓動にも似て力強く響いてくるはずだった。

 このウォーカーキャリアは病んでいる。

 朽ち果てたウォーカーキャリアは見たくない。

 マントを脱ぐと熱気と煙が充満した中を進んでいく。

 なかは大人ひとりがやっと通れる隙間だった。

 鋼の配管が幾何学模様のように入り組み先へ進むのを妨げようとすらしている。それでも奥へ進んでく。

 進んでいくうちに火の中で木がはぜるような音が聞こえてくる。

 ライトを向け、目を凝らす。

 すると煙の向こう側で揺らめくように赤く光っているものがみえた。

 まるで生き物のように。


「よく見つけた」

 クロッセは少女の肩を叩いた。

 それから彼はエアリィの前に出ると狭いメンテナンスのための隙間を窮屈そうに進む。少女はそのあとを工具箱を持ちながらついていく。

「あれは何なの?」

「あれがナノの光だよ」

「ナノの!」

「ナノマシンは人間でいえば血液のようなものだと思ってほしい。ナノは自らが張り巡らせた血管のように細く柔軟な管を通ってウォーカーキャリアの機体を廻っている。機械に異常を察知すると集中してナノは故障個所の修理にあたろうとする」

「ナノが機械の修理をしているのは知っているけれど……」

「あれは人に例えるなら血管が切れて血があふれてしまっている状態だと言ってもいいかな」

「……すごく痛そうね……」

「そりゃあ痛いさ。修理するために多くのナノが生成されているのに、あれは修理することができず空気に触れて死滅しているようなものなんだから」

「もしかして、この黒煙はナノが発生させているの?」

「そういうこと、なんらかのトラブルによって張り巡らされているはずの管が大きく破損してしまった。そのことによって本来の異常個所へ供給されるはずのナノがあふれだしてしまい熱によって自らも燃えてしまっている。それが機械をおかしくする。直すはずのものを直せずに」

「なぜナノは管を修理できないの?」

「小さな破損だったらそれも可能だっただろう。異常な高温状態になったせいか、火災があったのが原因なのか、もともと細い管なのでもろいんだよ。それで管は大きく破損してしまった」

 ペンシルライトが指し示す先はマシンの表面が焼け焦げていた。

「二重のトラブルだったんだろうね」

 落ち着いて状況を分析しているクロッセだった。

「なおるの?」

「これと同じ状況に出くわしたことはある。最悪の状態は回避できたから大丈夫」

 彼は先端が赤くなった管をつかむ。

 耐熱性のグローブでもかなり熱を感じたという。

 腰に巻いたベルトから工具をとりだし、加熱した部分を一気に切り取った。

 持ってきた工具箱からワイヤー状の細い管を取り出すと、ヘルメットに付けたライトの明かりを頼りに修理にはいる。これ以上ナノを流出させないようにするためだった。

 煙がまだ抜けず異臭も漂う劣悪な環境での作業が続いていく。

 少女はその間にもう一方の切れた管の先を探すように言われる。

「クロッセ、見つけたよ!」

 少女はライトでその位置を示す。

「思った以上に傷は深いな……ギリギリかな」

 直線で一メートル以上離れている。

 クロッセ特製のケーブルは短い。これほどの長さの断線は見たことがなかった。

 少女に断線している先を出来るだけひっぱるように指示する。

 悪戦苦闘して断線個所がつながったのはだいぶ時間が経った頃だった。

 機械熱で頭がもうろうとしてくる。

「これでなおるの?」

 グローブを外し、素手でケーブルを握り続けるクロッセに少女は訊ねた。

 しかしすぐに答えは返ってこない。

 ジッと何かを待っているような感じだった。

「よし、つながった」

 ようやく納得したようにクロッセが頷いたのはしばらくしてからだった。

「これで、まずは第一段階クリアだ」

「終わったの?」

「いや、まだだ。これ以上悪くなることはなくなっただけで、故障個所が直ったわけじゃない」

 まだまだやらなければならい事はあるという。

「しかし、その前に」

 彼も限界だったのだろう。二人はいったん機体の外へと出るのだった。


 ウォーカーキャリアにふれているクロッセは元気だ。

 ぼさぼさの髪の毛、いつも眠そうな眼、服装には頓着しない。体だって一週間以上拭かないんじゃないかっていう時もある。

 それが研究に没頭している時や機械にふれ製作や修理にかかわっていると別人になったように活き活きしている。こういう時は誰かが注意していないと寝食すら忘れてしまうほどだった。

 振る舞われた水を一気に飲み干すと腰を下ろすことなくクロッセは動きだす。

 水のありがたみを感じる以上にウォーカーキャリアとともにいられることの方が嬉しくて仕方がないのだ。

 大好物を前に落ち着いていられない子供と同じだった。

 クロッセはコックピットに入って行くと計器を見つめる。

 その瞳は何を見て何を考えているのだろうか。

「どう?」

 少女も計器類を覗き込むが、それがどういう意味か理解できない。

「すぐに数値には表れないけれど、最初にここで見たときより悪化している数字を示しているものはない。少し落ち着いてきたかな」

「全部、覚えているの?」

「当然」

 当たり前のことのように頷く。

 それが今は頼もしく見える。

「元通りになる?」

「そうなるように、次の手だ」

 少女の背中を押す。

 コックピットを出て再びメンテナンスハッチから中に潜り込む。

 換気が悪く煙がまだ残っていたが、最初の頃よりも薄くなり視界が戻りつつある。

 停止していた機能が戻りつつあるのだろう。

 ペンシルライトが闇を照らす。

「なにか足元を走った!」

 少女の靴に何かが触れた。

 足元を照らしながら少女は周囲を見回す。

「うん? それはきっと爆甲虫だな」

「爆甲虫! つ、つぶさないと!」

 慌てて少女はあちこちを照らし始める。

「そのままにして」

「そのままって! あれはウォーカーキャリアが朽ち果てる兆しなのよ!」

「へぇ、トレーダーではまだそう言われているのか」

「落ち着いている場合じゃない!」

 爆甲虫はエンジンルームや機械の内部でごく稀にみることができる。

 その出現は以前から不吉の証とされてきた。

 姿は黒く小さな生き物のように見えるが、小さな機械だ。

 外殻は金属でできており、五ミリから最大で三センチほどの大きさで楕円系の球体を半分に割ったような形状をしいる。簡単につぶすことができ、その際に小さな爆発を起こす。

 故にトレーダーはそれらを爆甲虫と呼んでいる。

 機体内部が壊れたり炎上したあとのウォーカーキャリア内部に現れ機械に寄生する。

 機械を食う。または壊すために現れる。そのためにトレーダーの間では禍の兆しとされているのだ。

「エアリィこそ落ち着いて。爆甲虫はナノが復調してきた証しなんだよ」

「うそよ。爆甲虫はそこにいるだけでエンジンがおかしくなるし、つぶすと爆発して機械が壊れる。ウォーカーキャリアがおかしくなったときに現れるから不吉だって!」

「爆甲虫がナノから造られるのはそういう時だからね」

「ナノが? どうやって?」

「ナノにとって爆甲虫は必要なものなんだ」

「どうして、それがわかるの!」

「僕は見てきたんだ」

「ほん、本当に?」

「ああ、嘘は言わない。だからさ、僕を信じてほしい」

 このウォーカーキャリアを直したいんだ。そう言って少女の両肩をつかみ真剣に話しかける。その目に偽りはない。

「僕らにとってのオアシスがゆりかごというのなら、君達トレーダーにとってウォーカーキャリアは砂漠で生きる術だ。ウォーカーキャリアはただの道具じゃない。ともに砂漠を生きるものなんだろう?」

「クロッセ……」

「僕も守りたんだよ」

「ありがとう」

「爆甲虫はナノだけでは直せない部分が出てきたときに生み出されるものなんだ。だからかもしれないね。そういう迷信が生まれたのは」

「先入観だけで物事を見ちゃいけないってこと?」

「おっ、ずいぶん難しいことを知っているね」

「ベラル師に教えられたわ」

「そうか。うん。そういうことだよね」

 クロッセは焼けただれていたはずの盤面を照らす。

 そこには爆甲虫が一面に群れている。

 その数の多さに少女は後ずさりする。

「爆甲虫の体の中にはナノが入っているんだろうね。だから潰すと、小さな爆発を起こす。空気に触れるとそうなるのかな。ナノが黒煙を発生させていたような現象が起こる」

 クロッセは爆甲虫を観察していたことがあるという。

 偶然、爆甲虫の発生を見つけ、本当に機械を壊すためのものなのか見極めようと最後までその様子をみていたのだった。その結果、爆甲虫はナノだけでは時間のかかる修理を外部から自らの体を変化させつつ機械の裂け目や破損部分を修繕していったというのである。

「どれくらい爆甲虫に付き合っていたの?」

「う~ん、丸一日かな」

 その忍耐力にはあきれるしかなかった。

「爆甲虫が出てきたということは、このウォーカーキャリアが絶対に直る証なんだ」

 外に聞こえないよう耳打ちする。

「本当に?」

「ああ、絶対に。だから彼らにはまだ黙っていてくれよ」

「信じていいのね? ……わかったわ。それでクロッセはなにをするの?」

「僕もナノの手助けさ」

 彼は工具箱から小さな箱を取り出す。

「それは」

「ああ、ナノボックスさ」

 クロッセが使っているナノマシンだった。

「持って来たの?」

 彼はエンジンパネルを見つけると、ナノボックスからコードを引きだし、接続する。

「必要になると思ったからね。このウォーカーキャリアは多くのナノを失って疲弊している。循環が出来るようになり元通りになろうとしているけれど、まだまだナノが足りない。僕のナノマシンは小さいけれどこのウォーカーキャリアが少しでも早く動き出せるように手助けをするんだ」

 これがヴィレッジを辞め、ジャンクとして下町にやって来た時から試行錯誤しながら見つけだした修理方法だった。

 砂上船の帆を直したのもこの応用だったという。

 持てる技術のすべてを駆使して彼はウォーカーキャリアを直そうとする。いつだってそうだった。

 寝食を忘れて狭いエンジンルームを動きまわる。

 修理をしているのか壊しているのか判らないほど様々なところに触れ、中を覗き込んだりチェックしたりしている。

 時にはペンシルライトの明かりの中でメモをとったりスケッチをとったりもしていた。

 ジャンクをやっていても、直にウォーカーキャリアに触れられることは少ない。

 キャラバンによってはエンジンルームの中はファミリーの者以外は立ち入ることができなかったりする。

 彼にとって、これはまたとないチャンスなのだろう。

 これまであたためてきた修理法まで試していたというのである。


 精力的に動き回るクロッセに振り回されるように、エアリィも自然とその場にとどまることになる。

 エンジンルームにもぐって出てこないクロッセに代わって二人のトレーダーに状況説明をしたのも少女だった。彼らを安心させるようにクロッセの言葉を伝えるのには苦労させられた。そして、彼らから遅れること半日、やって来たファードル・ファミリーを率いる頭目にも挨拶をする。

 頭目に強く訊ねられると、本当に直るのか自信が持てなくなるくらい威圧感があった。

 その後、ウォーカーキャリアが動けるようになるまでクロッセの修理を手伝った。少女はモービルを動かし資材や食料を取りにロンダサークに戻ることまでやっている。

 無我夢中で動いていた。

 砂漠でウォーカーキャリアとともに過ごしたのは久しぶりだった。

 懐かしい夢を見たような気がする。

 翌朝、エンジンルームを覗くと、メンテナンスハッチの近くで起こした焚火にあたりながら毛布にくるまり寝ているクロッセがいた。

 その寝顔は安らいでいる。

 彼を起こさないように、ハッチからエンジンルームに入る。

 恐る恐る爆甲虫が群れていた場所を照らしてみる。

「……いない?」

「触ってみるといいよ」

「ク、クロッセ! 驚かさないでよ……」

 いつの間にか後ろにクロッセがいて、少女の肩越しに光の照らすあたりを覗き込んでいる。

 彼は謝りながらも少女を促す。

「ごつごつしているだろう? それが爆甲虫が変化したあとなんだよ」

「こ、これが?……」

 あと一週間もすればそこが壊れていたことすら判らなくなるほど元通りになるという。

「もう動くことができるの?」

「う~ん。エンジンは動くだろうけれど、まだナノが足りない。僕としてはもう少しこのまま機体を休ませてあげたいな。今の状況は人間でいえば内臓がおかしくなったような状態だ。血が足りないっていうのかな。そういうのって、治ったかどうかは外見からは判らないじゃないか? このウォーカーキャリアはここにたどり着くまでかなり無理をしてきた」

「そうだったね」

「ああ、だから外装修理以上に万全を期したい」

 そうすれば以前のように、このウォーカーキャリアは動くことが出来るだろう。

 彼は晴れやかな笑顔でそう言った。

 その二日後、トレーダー達の笑顔とともに、ウォーカーキャリアのエンジン音は歓喜の咆哮を上げるのだった。

 その様子を少女は目に焼き付ける。



 5.



「本当にこれでよかったのかな……」

 去りゆくキャラバンを見つめながら少女は呟いた。

「……後悔していない?」

 砂漠から吹き付ける朝の風が冷気ととともに熱い空気を運んでくる。

 少女は何度も何度も自分に問い掛け続ける。


 少女がクロッセとともに宙港に戻った時、荷降ろしの大半が終わっている。

 降ろした荷の取引が行われているのを、少し呆けたように眺めていた。

「どうしたエアリィ?」

「……終わっている……」

「ああ、荷降ろしを楽しみにしていたんだったけな。寂しい?」

 キャラバンの入港から荷降ろしの間までが一番活気があると少女は思っていた。

 その活気の中にいる事が好きだった。

「手伝えなかったなぁ」

「それでもいい仕事ができただろう」

 エアリィにしかできなかったことだ。クロッセはそう言って少女の肩を叩いた。

「役に立てたのかな……」

「あのウォーカーキャリアを救ったんだ。自信を持っていい」

「直したのはクロッセだよ」

 自分は何もしていない。ただ空回りしていただけのような気がする。

「確かに」クロッセはニヤリと笑った。「だけど、後悔はしていないだろう?」

「そうだね」

 だけど、それが本当に正しかったのか……やはり悔いは残る。

「ならばいいじゃないか」

 ゆらりゆらり、まるで酔っ払いのようにクロッセは歩いていく。

「どこに行くのよ、クロッセ?」

「うん? ガレージ」

「なにしに行くのよ!」

「そこで寝る」

 ジャンクが使っている倉庫で寝るのだという。

「なに言っているのよ! こっちへ来なさい。うちで休んでいきなさい!」

「ああ、ヴェスターさんの所か、あそこの納屋もいいなぁ」

「あなたねぇ、その衣食住に頓着しない性格なんとかしなさいよ!」

「寝れりゃあどこでもいいよ」

 集中力の途切れたクロッセは呂律すら回っていない。

「ああもう! そんなことさせたらシェラに申し訳が立たないじゃないの」

「なんでそこでシェラが出てくるの?」

「うるさいわね。いいから来なさい! うちでちゃんと食べて、体を清潔にしてベッドで寝るの」

 クロッセを半ば引きずるように館へと少女は向かうことになるのだった。


 門の向こう側に小さい白い天幕が見える。

 ウォーカーキャリアはまだ完全に直りきっていないという。

 キャラバンが出発するまでは動かさず砂漠にいたほうがいいとクロッセは言っていた。彼らはそれを受け入れ、ウォーカーキャリアの周りに砂防のための天幕を張ることにする。

「なんか、管制塔に行きにくいな……」

 禁も犯した。あれだけ啖呵きって出てきた後だった。

 でも報告くらいはしておかなくてはいけない。

 彼らはどんな顔をして少女を出迎えるだろう。

「後悔はしていないけれど……」

 少女は呟く。

「どうした。そんなところに突っ立って?」

「ファードルの親父殿。えっと……」

「管制塔に行くのか?」

「う、うん」

「なら、何でそこに突っ立ってんだ?」

 少女はファードルの頭目にジッと見つめられて焦ってしまう。

 それから覚悟を決めポツリと囁くように答えた。

「……ちょっと管制塔に行きづらくて……」

「堂々と入っていけばいいだろう」

「まあ……ね」

「しかし、本当にトレーダーだったんだな」

「別にかくすつもりはなかったけれど……」

「クロッセ先生や管制塔の奴らに聞いたよ。おれらのために頑張ってくれたんだろう?」

「う、うん。あたしだけじゃなにもできなかったけど……」

「そんなことはねぇよ。お嬢が先生を管制塔まで連れて行ってくれたからきちんと状況判断が出来たってあの先生は言っていたし、管制塔からの連絡がなければうちのウォーカーキャリアはあのまま宙港を目指して進み続けることになっていたっていうだろう? そうすりゃあ、エンジンがドカンといっていたかもしれねぇ」

「あたしは後悔したくなかったから」

「感謝している。行きづれぇなら、おれも行ってやろうか?」

「でも、クロッセをあそこに入れちゃったのはあたしだから……、きっと出入り禁止にされるだろうし……」

「そんなことは、おれの名においてさせねぇよ。ファミリーの恩人をそんな目にあわせたとあっちゃあ、ファードルの名が泣く」

 小さなファミリーとはいえトレーダーとしての誇りが彼らにもある。

「ありがとう、親父殿」

「いいってことよ」

 ファードルの親父殿は不意に真剣な表情になり少女を見つめる。

「なぁお嬢」

「なに?」

「どうだいお嬢さえよければ、うちのファミリーに来ないか?」

「えっ?」

「まあエルラドらに比べれば、小さなキャラバンだけどな」

「でも、あたしは……」

「管制塔の奴らに聞いたよ。エルラドから降ろされてるんだろう?」

「うん。だから……」

「まあ、お嬢さえよければって話だよ。エルラドにもおれが筋を通そう。そうすれば問題ないだろう。おれとしちゃあ、お嬢のようなトレーダーがこんなところにくすぶっているほうがもったいねぇ話だと思うんだよ」

「あたしはまだ子供で……半端者で……」

「そんなことはねぇよ。あの状況であんな行動が出来る者はそうそういやしねぇ」

『後悔しないように生きる』

 心の中で少女は呟く。

「そんなこと言ってくれる人がいるなんて思わなかった……」

 どこまで行っても半端者だと思っていた。

「ここの奴らは見る目がねぇな」

「う、うれしいな」

 嬉しくて涙があふれ出してくる。

「泣くこたぁねぇだろう」

 何が起きたかと親父殿のほうが慌ててしまう。

「で、どうだい?」

「うれしいけれど……」

 笑顔はすぐに消え、少女はうつむく。

「まあ、エルラドのこととかいろいろとあるだろうから、すぐに答えは出せないだろう。返事は後でもいいぜ」

「ううん」

 少女は首を横に振る。

「おっ、来てくれるか?」

「誘ってくれたのは本当にうれしいです……でも、やっぱり名前は捨てられない」

「捨てろって言ってんじゃねぇよ」

「だ、だって」

「エルラドに戻れるようになったら戻ればいい。その間だけでもおれ達と暮らしてみるのもいいんじゃねぇかな」

「それでいいの?」

「お嬢は砂漠でこそ輝けると思うんだがな」

「ありがとう……でも、あたしは半人前でまだまだ人に頼らなければなにもできなくて……もっと勉強しなければならなくて……」

 後悔したくないと動きまわっても、結局、少女自身だけで出来たものはまだ何もないのだ。

 それが痛いほど判るだけに辛い。

「こんなところでくすぶっているよりは、砂漠に出たほうが学べると思うがな」

「それでも、罪は罪、罰は罰ですから……」

「そうか、残念だな」

「すいません。誘ってくれたことは本当にうれしいのですが」

「仕方ねぇさ。まあ、ここにはあと二日はいる。気が変わったら声をかけてくれ。お嬢だったらいつでも歓迎するぜ」

 ファードルの頭目は少女の手をとりガッチリと握手すると、その場から去って行った。

 少女は管制塔を見上げると、意を決し中へと足を踏み入れた。

 ファードルの頭目の口添えもあったのだろう管制塔への出入り禁止は一週間だけで済んだ。


 ウォーカーキャリアのエンジンが咆哮を上げ、朝の澄んだ空気を切り裂く。

 ゆっくりと巨大な脚が機体を持ち上げていった。

 まだ夜が明けぬころから荷の積み込みが始まり、キャラバンは出発の準備を済ませていた。

 次のオアシスへの荷は前日に積み終え、新鮮な野菜やイクークを仕入れ積み込んでいる。

 少女はヴェスターの仕事を手伝い、荷を宙港へ運び入れる。

 仕入れから搬入まで任せてもらえたのはこれが初めてだった。

 荷降ろしの時ほどの活気はなかったが、それでもやりがいがあった。

 ウォーカーキャリアの様子を見に行ったりしているうちに、ファードルのファミリーの者達とはいつの間にか親しくなっていた。

 大型のウォーカーキャリアはなく中型だけでキャラバンを組んでいる。ファミリーとしては小さい方だ。三世代四つの家族、七台のウェーカーキャリアで構成されている。

 彼らにとってウォーカーキャリアは失うことのできない大切な財産だった。

 それ故に少女は彼らファミリーに感謝される。

 頭目は最後まで少女をキャラバンに誘ってくれた。

 いつでも待っていると。

 少女は手を振りキャラバンを見送る。

 朝焼けの中をウォーカーキャリアは力強く進んでいく。

 地平線にその姿が見えなくなるまで宙港に少女は立ち尽くした。

 いつまでも。


 砂漠からの懐かしい風が吹く。

 乾いた埃っぽい風の中に故郷の香りがする。

「あたし、まちがっていないよね……」

 それなのに涙があふれてきた。

 置いていかれる。

「……もどりたい……」

 あふれた涙が頬をつたい流れ落ちる。

「あたしはここでまだ学びたいことがいっぱいある。師やシェラやみんなに教えてもらいたいことがあるのに……」

 いくら自分を納得させようと、心にぽっかり空いた穴は埋まらない。

 とめどなくあふれてくる涙。

「戻りたい。戻りたいよ」

 頬を涙が伝い乾いた大地に落ちていく。

 駆け出し、追いかけたかった。

「つらくて苦しくて……胸がはりさけそうだよ」

 少女の出した答えが本当に正しいものなのか誰にも判らない。

「おいていかないでよ」

 エアリィはこぶしを握り締め、唇をかみしめながらその場に立ち尽くす。

 多くの人達と出会い触れ合うことで少女の世界は広がる。狭く身近なものしか知らなかった少女は様々なことに目を向けていくようになる。何もしないまま後悔するよりも同じ痛みを伴うのであれば、前へ進むことを選ぶ。

 可能性を信じて……。

 涙をふき見上げた空は砂漠よりも砂塵が渦巻いているように見えた。




 <第七話 了>

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