ガリアⅫ ~熱き魂の鼓動(前編)

 1.



 ガリア。

 ここは熱砂の大地。

 灼熱の光りが地を焦がし、熱風が砂塵を上空まで舞い上げる。

 果てることなく続く砂の海と砂の雲が天と地を覆う。

 不毛にして過酷なる大地。

 人はなおこのガリアに大地に生きる。



 2.



「先に行くわよ、フィリア!」

「あっ! 待ってくださいよぉ、お嬢さまぁ~」

 先に店の外に出た少女を追うようにフィリアも外に出るが。

「油壺はよろしく~!」

 少女はそう言い残すと駈け出していた。

 慌てて店のカギを閉めるのだが、通りに顔を向けると少女の姿はすでに見えなかった。

「お嬢さま……、ずるいですよ……」

 フィリアはため息をつき戸締りを確認すると、壺を乗せた台車を押しながら雑踏の中を、とぼとぼと歩き始める。

 まだ夜が明けてさほど時間は経っていないけれど、強い日射しがオアシスに照りつけ始めている。

 少女は外壁と太陽の角度を確認しながら走った。

 まだ時間に余裕がある。

 それでも商区の大通りを少女は流れ落ちてくる汗を拭おうともせず、トレーダー地区を目指し駆けていく。


 昨日は眠れなかった。

 疲れているはずなのに眠ろうとしても興奮して目が冴えてしまう。

 少女は部屋を抜け出し外へ出ると厚手のマントをはおり、夜風をしのぎながら紙飛行機を折る。

 管制塔からの予報では夜半にロンダサークのはるか北方を竜巻が通過するという。

 ときおり、くぐもった音が遠くから聞こえてくる。

 その度に少女は真っ暗な夜空を見上げるが、いくら目を凝らそうとも星は見えない。

「どういうしたら、見えるのかな……」

 少女は肩を落とす。

 それでも砂流雲の流れていく音が聞こえてくるのは竜巻の発生している方角だけではないことに気付く。

 新しい発見だった。

「もっとくわしく夜の空を観察できたらなあ」

 クロッセに言って、高倍率の双眼鏡を作らせようか。

 そう思ったが少女は商いや習い事に追われる日々だった。

「やりたいこと、たくさん、ありすぎるよ」


 少女はいつだって全力疾走だった。

 初めは苦手だった人混みも、人や物を避けて走る術を覚え、速度を落とすことなく走り抜けられるようになっている。

 ヴェスターの館に駆け込むと、マーサは少女の様子を見て慌ててしまう。

「お嬢様、どうなされたのですか!」

「い、いえね……ズッと走って……きた……の……」

 満足に喋れないほど息を切らしていた。

 滝のように汗が噴き出し、流れ落ちた汗が床に水たまりを作りそうな勢いだった。

「慌てなくともまだ時間はたっぷりありますよ、お嬢様」

 差し出された水の入ったコップを手に取ると、少女は一気に飲み干す。

「だって、ジッとしていられないのよ!」

 そして、背負ってきた鞄をマーサに預けると少女は館を飛びだして行った。

 嵐のような慌ただしさにマーサと、その様子を見ていたヴェスターは顔を見合わせ呆れるしかなかった。

 トレーダー地区と下町とを隔てる門の前に戻ると、日影を探し少女は石壁に寄りかかる。

 背中にひんやりとした冷たさが伝わってくる。

 約束の時刻にはまだ一時間以上間があった。

 本当なら館で待っているはずだったが、居ても立ってもいられない。

 ジリジリとしか進まない時間にイライラしながら、時がくるのを待つ。

 角を曲がって来る人影がフィリアだと気付いた時には心底がっかりしたものだった。

 一緒に待つというフィリアに無理矢理用事を言いつけ館に向かわせると、足元の影の動きに目を落とす。

 通りの向こう側にその姿が見えた時、少女の顔が自然にほころぶ。

 工の頭とその弟子たちに少女は思いっきり手を振りながら少女は駆け寄るのだった。

「来たぞ」

 そっけない挨拶だったが、マサの顔も笑っているように見えた。

「よく来てくださいました」

 二人は差し出した手を握り合う。

 わだかまりが完全に払拭されたわけではないが、それでもぶつかり合ったことで理解し合えたことの方が大きかった。

「何、かしこまってんだよ。約束だろうが」

「はい。それがうれしくて、ジッとしていられなくて」

 少女は満面の笑みを浮かべ工の頭の手を強く握りしめる。

「それにだ、迎えに来るこたぁねぇのによぉ。館に行くっていっただろうが、お嬢」

「お、おじょう?」

 マサに軽く頭をなでられた瞬間、そう呼ばれてエアリィはキョトンとする。

「頭の照れ隠しだから気にしないで」

 スタスタと歩き出す工の頭の表情を読んでいるかのようにアベルはソッと少女に耳打ちする。

 他の三人の弟子もニヤニヤ笑っていた。

「はあ……」

「てめぇら、そんなところに突っ立ってねぇで、行くぞ!」

「待ってくださいよ、頭」

「頭は怖くないんですか?」

「何がだよ?」

「だってトレーダーの地区なんて初めてなんですよ」

 アベルでさえ前回は入り口で引き返している。

「工の地区の誇りを忘れるんじゃねぇよ! おれたちゃ工の民だ」

「無茶苦茶ですよ」

「それにだ、お嬢だって一人で工の地区に乗り込んできたんだぞ、大の大人がこんなところでビビッてちゃあ、笑われっぞ!」

 豪快に笑う工の頭の姿に顔を見合わせる弟子達だった。

「大丈夫ですよ」

 少女はマサの隣に立ち頷く。

「だとよ。じゃあ行こうか」

 マサとエアリィは並んで門をくぐる。


「ずいぶんと静かだな」

 マサはポツリと呟いた。

「そうでしょうか?」

「ああ屋敷、ひとつひとつがでかいってぇのもあるが、人の住んでいる気配があんまりしねぇな」

「そうかもしれませんね」

 日が昇り始めたこともあるだろうが、通りに人影はなかった。

 下町とは違って長い塀が続きひとつひとつの庭が広いのだろう、建物は少ない。メモリアル地区や旧区に似た雰囲気がある。

 それが彼らを落ち着かなくさせている。

「ここに住んでいる人は少ないです」

「どうしてだ?」

「トレーダーは砂漠の民だからです」

「いくら砂漠の民だっていったって、四六時中砂漠で生活するわけにはいかねぇだろう?」

「あたしたちにとっては砂漠が世界のすべてです。砂漠に生き、砂漠に死す。それがあたしたちの誇りです」

「誇りか」

「はい。トレーダーはウォーカーキャリアが生活の場であり、オアシスに住もうとする者はいません。だから、ここにはファミリーの屋敷が建ちならんでいますが、病気やケガなどで引退したものや長旅に耐えられない妊婦、赤子が住んでいるだけです」

「よっぽどのことがなければ、ここにはいねぇってことかい」

「そうですね。それに今は名前すら残っていないファミリーの家もありますから」

「道理でひっそりとしているわけだ」

「もったいない話ですね」

 アベルが呟く。

「おれらからすりゃあ、そうなるな。トレーダーとおれらじゃ、住む世界が違うってことだろうな」

 少女は頷くことしかできなかった。

 それはロンダサークに来ることがなければ、知ることのない壁だった。

「お嬢はどうしてここにいるんだ?」

「あたしは……事情があって……」

「なるほどね。まあいいや。それがなければおれも関わることがなかったわけだから、その事情とやらに感謝だな」

「マサさん……」

「そういや、あの先生はどうした?」

「クロッセのこと?」

「そうそう。やたら思いっきりおれに握手していきやがったからなぁ」

「うん。クロッセもマサさんに手伝ってもらえること喜んでいるよ。今はね、館にある工房で待っているわ」

「なるほどね。しっかし、ここは本当に人が住んでいる感じがしねぇな」

「ゴーストタウンと言われても仕方ありません。いまここに住んでいるのは、うちの館とアラウド、マデラスのファミリーの者たちくらいでしょうか。あとは管理人の人たちがいるだけですね」

「管理人? なんだそりゃ?」

「それはですね、いま使われている屋敷が少ないですよね。家は人が住まないとくちていくそうです。使われなくなり放棄されたウォーカーキャリアや機械のように。そうならないように屋敷の掃除や庭の手入れをするために昔からいる人たちとその家族のことをいいます」

 ヴェスターから彼らも昔はトレーダーであったと聞いた。

 トレーダーとしては生きられなくなったが、それでもトレーダーの近くで暮らしたいと願った者たちの末裔だという。

「ふ~ん、いろんな奴らがいるんだな」

「ヴェスターはファミリーの館を使って商いをしていますし」

「そのヴェスターってのも?」

「ええ、昔、事故で……今も片足が不自由です。それでも彼がいてくれなかったら、いまのあたしはなかったかなと思います」

「そっか、お嬢もいろいろとあったんだな」

「どうでしょう?」少女は小首を傾げる。「でも、いい出会いはできました。このロンダサークで」

 ヴェスターやマサを見ているとまだまだ経験が足りないと感じる。

「そいつぁよかった」

「はい!」

 少女はマサの腕をつかむと、屋敷へと引っ張っていく。

 工の頭はその手にひかれるまま小走りにそのあとについて行った。

 四人の弟子は少し呆気にとられその様子を見つめる。彼らはお互いに目を合わせると肩をすくめあい、微笑みながらそのあとに続くように歩いていく。


 トレーダー地区は他の下町の区画と比べると狭い部類に入るが、住人はメモリアル区画よりも少ない。

 だが宙港の走路のすぐ脇に隣接したこの区画は、旧区と同じくらいの歴史があるという説もある。

 今は存在していないファミリーの敷地もあり、かなり前から誰も使用していない屋敷も多い。

 大きな通りはひとつしかなく、その両側に五十あまりの館と敷地が並んでいた。その外周には外壁に沿うように細い裏道や頑丈な扉があり、屋敷によっては宙港や砂漠へと出入りできるところもあった。

 エルラドが所有し、今はヴェスターが商館として使用している館は通りの中ほどにある。

 人が住み手入れも行き届いていることもあり、地区の中ではひときわ存在感があった。

「ここがお嬢の館か……」

 開け放たれた門から中を覗くと、刈り込まれた緑の芝と手入れされた庭園が館まで続いていた。

 呆然とマサと弟子達は立ち尽くしそれを見つめる。

「……こんな屋敷見たことがねぇよ」

 弟子の一人が呟くと他の者も頷くしかなかった。

「なんかすげぇ場違いなところに来たな」

「そんなことないですよ。気にしないではいってください」

 少女はそういって門から中へと入る。

 少しだけ扉を開けて門の様子をうかがっていたフィリアが少女の姿を見とめ、いったん扉を閉めた。

 しばらくしてドアが開くとマーサを先頭に使用人たちが外へと現れ一列に並ぶ。

 ヴェスターを除く全員がいることに少女は驚く。

 示し合わせていたのだろう。

「ようこそいらっしゃいました」

 マーサが一礼すると、それに合わせて全員が頭を下げて、マサ達を出迎える。

 今まで受けたことのない出迎えにさすがのマサも腰が引けていた。

「マーサさん……そんなかしこまった出迎えはいいのに」

「いいえ、お嬢様の大切なお客様です。恥ずかしくないお出迎えをしませんと我々の気が済みません」

「マーサさんがね、どうしてもというんだよ」

 遅れて現れたヴェスターも苦笑しながらいう。

 ゆったりとした足取りで立ち尽くすマサのもとへとやって来ると彼は手を差し出した。

「はじめまして、館の主、ヴェスターと申します」

「お、おう。工の頭、マサ・ハルトだ。よろしくな」

 弟子達が気に病む前にその手をマサはがっしりと握りしめる。

「本来、館の主たるわたしが最初に挨拶をしなければなりませんでしたが何分体が」

「ああ、気にすんねぇ、おれはお嬢の、いやエアリィのためにここまで来たんだからよ」

「そうですね。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。エアリィのことよろしく頼みます」

「任せな。おれの仕事はきっちりこなしてみせるぜ」

「頼もしいですね。後ほどゆっくりお話がしたいものです」

「おお、そんときゃな」

 声は笑っていたが、それでも緊張でマサの手は汗ばんでいた。

 少女に引っ張られ、その場を離れた時には工の頭もホッとするのだった。

「ああ、緊張した……」

「ぼくもだよ。仕事の前に精神的に疲れたよ」

 弟子達は囁きあうのだった。



 3.



「これがウォーカーキャリアか……」

 マサは脚部に触れ、その機体を見上げながら呟く。

 機首部分が潰れたように歪み、一部外装がむき出しになっていたが、まぎれもなくそれはウォーカーキャリアだった。

 見る者を圧倒する迫力がある。

 弟子達も口を開け茫然とそれを見つめていた。

 マサでさえ間近でウォーカーキャリアを見るのはこれが初めてだった。

 小さかった頃、外壁の上から砂漠へと進みゆくキャラバンを見つめたことはあったが、それだけである。

「そういやぁ、あの頃は……」

「どうしたの?」

「いや、なんでもねぇ」工の頭は何かを振り払うように首を横に振る。「こいつは意外とちいせぇんだな」

「そうですね、この子は」

「この子?」

「まだ名前がないの。つけてあげたいけれど、なかなかいい名がうかばなくて」

 苦笑しながら少女は呟く。

 本来の名は忘れさられていた。クロッセがつけているのかと思ったが、彼はそんな事に頓着していなかったので無名のままきている。

「そうか、名は大切だからな」

「はい。いい名を贈りたいです」

 少女は頷く。

「この子はどちらかというと小型の作業用ウォーカーキャリアだったのだと思います。キャラバンと行動を共にするのではなく、大型のウォーカーキャリアに収納されて用途に応じて使用されていたのでしょう」

「サンドモービルや砂上トラクターのようなもんか」

「そういう感じで間違っていないと思います。ただ、大きさや機動性はまったく違います。作業用のアームもついていたようですが、クロッセがはずしてしまっていたのでいまのような形状になっています」

「なるほど、だからあの設計図とは違っているのか」

「あれだけでわかるのですか?」

「あたぼうよ。おれを誰だと思ってる」

 工の頭はにやりと笑う。

「すいませんでした」

 少女は微笑む。

「しっかし、この鉄の塊がとぶっていうのか?」

 総重量は外壁の巨大な岩にも匹敵するものだろう。

「はい。絶対に! 浮くことまでは実際に証明しています。あとは翼さえあればきっと!」

「そうか……にわかには信じがたいがな」

「本当に浮くところを見せられたらいいのですが……」

「そいつは残念だ。しかたねぇよな。こんな姿じゃな」

「……はい……」

「だがな、そのためにおれが呼ばれたというか、声をかけたんだろう?」

「そうです。あたしがそれを願いました」

「ウォーカーキャリアなんてものを扱うのは初めてだ。まったく勝手が違うもんだし、かいもく見当がつかねぇところもあるが、おれはそのために来たんだからな。直した後でじっくり見せてもらうさ」

「マサさん……」

「だが、その前にこの歪みをなんとかしねぇとな」

「ゆがみ?」

「そうさ、見ただけでわかるぜ。まったく今までどういう扱い方してきたんだかしらねぇが、外装全部が歪んだりへこんだりしているだろう。イラつくったらありゃしねぇ」

 マサ・ハルトの目には金属板のちょっとした歪みでも判るという。

 微細な凹凸でさえ触れればすぐに見つけることができた。

 ベラル・レイブラリーは、幼少のころからマサ・ハルトが立体や空間を把握する力に秀でていたといっていたが、まさにその通りである。

「とりあえず、クロッセ先生よぉ。外装は全部、はずしてもらおうか」

「ぜ、全部ですか?」

 後ろで見ていたクロッセが慌てる。

「そうだよ。全部だ。まずはフレーム全体を直す。そこから始めねぇとな」

「だ、大丈夫なんですか?」

「信用しろって、先生よ」

 マサはクロッセの背中を思いっきり叩くと弟子たちに指示を出す。

 大丈夫なのかなとクロッセはブツブツ言いながら、彼らと作業を始めようとする。

「その前に先生、こいつの図面をもう一度、見せてもらおうか」


「外装をはずしてしまって元に戻せるんですか?」

 クロッセは心配になって訊ねる。

 弟子達は金鋸などを持ち出して外装を取り外している。

「心配すんなって、ちゃんと番号もふっているだろう」

 切る部分をチョークで線を引きながらマサは答える。

「クロッセのように、もとに戻せなくなるようなまねをマサさんはしないわよ」

「あたぼうよ。こちとらプロだからな」

 いつの間にか意気投合している二人だった。

 前日まで疎まれ、怒鳴り散らされていたのが嘘のような光景である。

「それにだ。素人目には大丈夫そうに見えても、外装のいたるところが金属疲労で傷んでいるんだよ。使えそうな部分は残すが、そのほとんどは交換しねぇとあとになって機体がもたねぇんだ」

「本当ですか?」

「ぶつけた衝撃だけで、こうなったんじゃねぇ。こいつは特殊な機体なんだろうよ。軽さを重視した金属が使われている。本当にとばす気なら、外装は最初から造り直す気持ちでやらねぇとダメだぞ、こいつはよ」

「わ、判りました」

 頭の言葉にクロッセは背筋を伸ばし応える。

「ねぇ、マサさん、あたしにもなにか手伝わせて」

「ああ、お嬢にだっていろいろと手伝ってもらうさ。嫌でもな」

 マサは少女を弟子にすることをまだあきらめていないらしい。

「ダルケ、お前は高炉に行ってKR2合板を大量に準備させろ」

「KRですか?」

「KRじゃねぇ! KR2だ、間違えるな」

「で、でも、あれは特殊な奴で在庫はそんなにありませんぜ、頭」

「そんなことは判ってらぁ、造らせるんだよ。こいつにはそれが必要なんだからな」

「どこに頼みます?」

「使える高炉は全部使え! 判ってんだろう!」

「で、でも……」

 ダルケは言い淀んだ。

「あの……マサさん」

「何だ、お嬢?」

「それ、お金かかりますよね」

「そりゃあ、するがよ。まあ、そんなことは気にするな」

「気にするなっていわれても、あたしもトレーダーのはしくれです。聞けば希少な合板なのでしょう? それを大量に造るとなったら、それだけたくさんのお金が必要になるくらいわかります!」

「なら、そうだなぁ……お嬢の出世払いでいいぜ」

「そ、そんなわけにはいきません」

「それは重要なことか?」

「じゅ、重要かって……」

「それにな。おれもやりてぇんだよ」

「えっ?」

「こいつを見た時な、思い出したんだよ」フレームに触れながらウォーカーキャリアを見上げる。「ガキの頃、おれはな外壁の上からキャラバンが砂漠を渡り歩く姿を何度も見ていたんだ」

 どこまで無限に広がる世界は、はるか地平の彼方へと少年を誘った。

 夢は夢のまま終わり現実が目の前に姿を見せても、その憧れだけは微かに心のすみに残り続けていた。

「おれもいつかあんなでっかいものを作ってやりてぇって思ったんだよ」

 工の頭は少年のように少し照れくさそうに笑いながら少女に告白した。

「その夢がな、ここにあるんだよ」

「夢」

「金とかそういうのは関係ねぇ、おれがやりてぇんだよ」

「それでも必要なものは必要です」

「その通りですよ。工の頭」

「ヴェスター」

 振り返ると戸口に館の主が立っていた。

 様子を見にやってきたという。

「稀代の名工をお招きするのですから、それ相応のおもてなしも必要ですからね」

「必要ねぇって言っているだろう」

「まあ、そうおっしゃらず。頭自身はそれでもよろしいかもしれませんが、工房はそうはいかないでしょう?」

「ま、まあ……な」

「それに材料だってただではありません。お金は必要でしょう。工の頭の気持ちは気持ちとしていただきますが、ビジネスはビジネスとして、そのあたりはきちんと進めていきましょう」

「ビジネスって言われたってな」

「そういうのがお嫌いでしたら、対等な関係として、一方的な借りは作らないということで、どうでしょう?」

「それはかまわねぇが、金はあるのか?」

 少女は懐から用意していた袋を取り出すとそれを作業台に広げる。

「あたしの手持ちは、いまこれだけです」

 金貨が二枚と銅貨が二掴みほどある。

 銅貨だけでも半年は遊んで暮らせるくらいあった。そしてそれが当座のイクークの買い付けなどのお金を差し引いた少女の全財産だった。

「けっこう持っているな」

「どうでしょう?」

「普通の鋼材だったらそれでもおつりがきそうだが、それじゃあ、足りねぇな」

「そうですか……」

 やっぱり、と少女は顔を曇らせる。

「残りは私が支払いましょう」

「そ、そんな!」

「エアリィ、借りを作りたくない気持ちは判るがね、これは投資だよ。君へのね」

 そう言って彼は微笑みながら少女の頭に手を置く。

 そしてこっそりと囁くように工の頭に告げるのだった。

「実を言いますとね工の頭。この子は商才があるんですよ」

「あの油か?」

「それもひとつですね。ですが、それだけじゃありません。そこのクロッセ君とふたりで色々と試作品を作っていますが、どれも量産できるめどが立てば、十分売れる商品だと私は考えているのですよ」

 工の頭も一口乗りませんか?

 ヴェスターはそう言って笑みを絶やさず誘いをかける。

「お嬢に賭けてみるってか、そいつは楽しそうだ」

「ええ、本当ですよ。今回の件にしてもそうです。エアリィは見ているだけで飽きさせてくれません」

「なるほどねぇ、そいつぁいい買い物かもしれねぇな」

「な、なにを言っているのよ、ヴェスター。それにマサさんまで、人をものみたいに……」

 顔を真っ赤にしながら少女は抗議する。

「私からの借金くらい簡単に返してくれるかもしれませんよ」

「ほお、今度、お嬢の商いってのも見せてもらおうかね」

「そちらも、頭が手を貸してくれれば、早いのでは?」

「そうね……そうかもしれない。……あとで見てもらおうかな……」

「おれさまを雇うってか、高いぞ」

「えっ……えっと……」

「おいおい冗談だよ」

 あまりにも真剣に考え込んでいるので、工の頭が慌てたほどだった。

「あたしにできることで……マサさんの役に立てること……」

 少女は必死になって考えた。

 自分にできることを。

「そうだ!」

 しばらくして手を叩く。

「マサさん、この子がとべるようになったら、今度はあたしがマサさんを手助けする!」

「手助けって何をだ? おれの弟子になるってのか?」

「なぜそうなるのですか?」

 少女は焦る。

「だってなぁ、おれの役に立つのはそれだぜ」

「そ、そうじゃなくて、あたしとこの子があの外壁を直してみせる!」

「外壁って……あの街のをか?」

 少女が言っているのは放棄地区の崩れた外壁のことだった。

「はい!」

「本気かよ」

「この子がとべれば、大型キャリアが持ち上げていた高さまでだって岩を積み上げることができる。可能だよね、クロッセ?」

「……そうだな。あのエンジンのパワーにはまだゆとりがありそうだし、出来るかもしれないな……」

「これだったら、どう?」

 少女は胸を張り頭の顔を見上げる。

「本気かよ……」

「この子とあたしがいれば可能だよ。だって、あたしはエルラドだもの」

「まったくお嬢にはかなわねぇなぁ」

「どうかしら?」

 少女は手を差し出す。

「判ったよ。まったくかなわねぇな」

 工の頭はため息をつきながらも、その顔は嬉しそうに笑っていた。

「そのためにもこいつはおれの誇りにかけて直してみせらぁな。約束だ」

 二人は手を取り合う。

 今まで成しえなかったことに挑む。壮大なる誓いがここに生まれる。


「KR2はどういう鋼材なのですか?」

 弟子が工の地区へと走っていくのを見送った後で少女はマサに訊ねる。

「なんだ、そういうのに興味があんのか?」

「知らないことには全部興味があります」少女は目を輝かせる。「マサさんと知り合うまでは金属は全部同じものだと思っていました。でも、食器に使われるものとウォーカーキャリアの外装はまったく別物だった。だから、この子にはどういう鋼材が使われるのかなと思ったの」

「簡単にいっちまうと軽くて頑丈な板だな」

「軽いのに、頑丈?」

「使い勝手はいいとはいえねぇし、加工は難しいときているが」

「それをこの子に使うの?」

「ウォーカーキャリアは遺失文明の申し子みたいなもんだ。そのシステムや仕組みを理解しているものなんて誰もいねぇ。外装もそうだ。これとまったく同じ金属をおれたちが作ることは無理だろうな。触れてみて判ったよ。先人の知恵にはおよばねぇが、それに近づけるよう、やってみねぇとな」

「すごい」

「何がだ?」

「そう考えたことはなかった。頭はすごいです」

「べ、別に当たり前だろうが、ものづくりとしちゃあよ……、KR2は砂岩地帯で採れる砂に微少に含まれている素材を使って作る鋼材なんだ」

 作り方は秘密らしい。

 工の地区の秘術、秘伝の一種だという。

「砂岩地帯? ロンダサークの西のあたりですか?」

「よく知ってんな」

「ええ、砂魚漁で何度かいったことがあります。あれがそうだったのですね。漁もしないで砂を取っては捨てている人がいたから何をしているのだろうと思っていました」

「まあ、そういうこった。まあ、希少なだけに高価だし、あまり普段は需要がないんだがな」

「なにに使われているのですか?」

「今は主に、ドームの天井の補修とかだな」

「あの建物をおおっているのがですか! マサさんもその補修工事に?」

「若いころに何回かかりだされたことがあるくらいだがな」

「ちなみにおいくらぐらいするのでしょう?」

「そうだな、金貨二枚であのウォーカーキャリアの翼が作れるかなってっいうところかな」

「そ、そんなに!」

「まあ、それを使うだけの価値はあいつにあるってことよ」

 工の頭は外装を取り外しているウォーカーキャリアの様子を遠巻きに見ながら笑った。


 翌日にはすべての外装がすべて取り払われる。

 むき出しの機体を初めて見た。

 それは異様でもあり、さびしげな姿でもあった。

 すでにクロッセは普段できない機械のメンテナンスを始めていた。

 はずされた装甲を一枚一枚チェックしていきながら、工の頭は使えるものとそうでないものを選別していく。

 そして、使用可能なものは弟子に指示し、歪みを直させていくのだった。

 少女は工の頭が選り分けたものをみてみたが、その違いは全然判らなかった。

「どこが違うのですか?」

「そうだな」

 頭は処分する方に置いていた板を一枚つかむとハンマーを手にする。

「こうすりゃ一目瞭然だろう」

 ハンマーを打ち付けると、本当に軽く叩いただけで金属の板は簡単に割れてしまった。

「どうして?」

「お嬢には見えねぇかもしれねぇが、長いこと使われていると金属にもくたびれ疲れ切った場所が出来てくるんだよ、そこはこんな簡単な衝撃でも耐えられないほどもろくなっているんだ。見た目は大丈夫そうでも、そういうのはもう使えねぇんだよ」

「どうしたらそういうことがわかるの?」

「触ってみれば判るよ。簡単だろう?」

「そんなことできるのは頭くらいですよ」

「そうですよ、頭」

 弟子達が口々に言う。

「おめぇらは修行が足りねぇんだよ、アベル」

「だれもが神の目や手を持ってるわけじゃないんですよ……」

「おれだって最初からできたわけじゃねぇ! 誰だってそうだ、それができるようになるまで何度でもやるんだよ。いろいろなものを積み上げていって、学んでいくんだ。そうすりゃあ出来るようになるんだよ」

「それを教えてくださいよ、頭」

 弟子達は情けない声を上げた。

「教えられて学ぶことも必要だが、自分で気付け! そうすればもっともっと達成感が違ってくるんだよ」

「そういうもんですかねぇ」

「だから、てめぇらは一人前になれねぇんだよ!」

 工の頭はハンマーを振り上げ弟子達を怒鳴りつける。

「ところで頭」

「何だ、アベル?」

「こんな感じでどうでしょう?」

 アベルは工の頭に指示されていた板を見せる。

 叩き終えたらしい板をマサは見つめ触れてみる。

「ここのバランスがまだだ」

 一点を示し、アベルは唇をかみしめる。

 それを見つけられなかったのが心底悔しいようだ。

 彼はもう一度、叩き出しを始める。

 マサは黙ってそれを後ろから見ていた。

 その厳しい目にアベルは緊張しながら作業を続けていく。

「よし、まあまあだ。次の板とのバランスを考えて叩いて行けよ」

「わ、判りました」

 稀代の名工といわれる目と腕は本物だった。

 工の頭はその場のほとんどを弟子達にまかせていた。自分はというと設計図のチェックに費やしていく。

「溶接はどうします? おれらでも出来ますが」

 アベルがマサに訊ねる。

「そうだなぁ、ガダルのオヤジしかいねぇな」

「ガルダ爺さんですか、確かにこの仕事にはうってつけかもしれませんね」

「やつしかいねぇよ。こいつの溶接には絶妙なバランスが必要になるんだ。ほんのちょっとの狂いも許されねぇ」

「でも、ガルダ爺さん来てくれますかね?」

「かまいやしねぇ。おれが必要なんだ。呼ぶさ」

「でも隠居したっていうじゃありませんか。俺らがガルダ爺のところへいってもバーナーで焼かれちまいますよぉ」

 弟子達は情けない声を出す。

「そうだな。ならばおれがいくか」

「本気ですか、頭?」

「グダグダぬかすな! 首に縄つけてでも引っ張って来てやるよ。あいつだってこいつを見れば気が変わるさ」

「そういうもんすかねぇ」

「当たり前じゃねぇか、こんなチャンスそうそうあるもんじゃねぇ」工の頭はそう言うと少女に声をかける。「お嬢、ちょっと付き合ってくれ」

「いいですよ。どこへ?」

「工の地区へだ。砂上トラクターを出してくれ、KR2の在庫がある分だけでも取りに行く。そのついでにここまで引きずって来たいやつもいるんでな」

「引きずるって……相手は、だ、だれなのです?」

「ガルダって言ってな、溶接の名人だ。やつ以上の溶接工はロンダサークにはいねぇな。あと何人かにも声をかけたいし、部品の発注もあるか」

「わかりました」

 工の頭は弟子達に仕事を任せると、少女と連れだって館をあとにする。



 4.



 外壁の側から工の地区にはいるのは初めてだった。

 砂漠から抽出した砂鉄や珪素などを運び込むところだと工の頭は教えてくれた。

 工の地区の最深部、高炉と呼ばれる鉄鋼を造る製鉄施設がすぐ側にある。

 外壁よりも高い煙突が三本立ち、黒煙を休むことなく吐き続ける。

 ロンダサークの誰もがこの煙突を知っている。

 下町で方角を見失ったときには、これを探せば自分の位置が判るとまで言われているが、工の地区の住人でもここで働くものしか高炉には近づけない場所だった。

 ここは彼らにとって聖域とされている。

「いいの?」

「かまいやしねぇ。お嬢がトレーダー地区に招いてくれたおかえしだ」

「でも、聖域だって聞きましたよ?」

「誰が言ったかしらねぇが、そんな大層な所じゃねぇ。確かに高炉はおれたち工の民にとって絶対に守らなければならないものだ。これがおれたちの支えなんだからな」

 工の民が先祖伝来の地を離れる時も高炉だけは大切に移築された。

 彼らの象徴であった。

「おれたちの誇りであり、技術の粋がここにある」

「管制塔も見る者を圧倒させますが、高炉もすごいですね」

「管制塔か。宙港や管制塔に負けず劣らず歴史あるものだからな。ヴィレッジのやつらにだって負けねぇって自負があらぁな」

「あんなだらけきったやつらに比べれば、いえ比べるまでもありません。マサさんたちの方がすごいですよ」

「そのとおりだ。とはいえ、その技術も衰退の一歩だがな」

「どうしてです?」

「仕事がねぇっていうのもあるが、そのために成り手がいねぇし、新しい人材が育たねぇんだよな」

「仕事がない?」

「物を造る仕事は昔に比べればだいぶ減っちまった。砂魚漁の船をつくる依頼さえもほとんどありゃあしねぇ。食器とか日常品を造るのが関の山だ。たいした稼ぎにはならねぇし、腕の磨きようがねぇ。そんなんじゃ人は減っていく一方だよな」

 日常品を作ることも大切なことだったが、それ以外に仕事が少なすぎるのが問題だと工の頭は言う。

「そうだったのですか」

「まあ、お嬢に愚痴こぼしても仕方ねぇがな。今回はいい機会だ」

「いい機会?」

「こんな大仕事ができることがあるかどうかなんて、この先判りゃあしねぇからな。だから工の民の底力ってやつかな、それを見せてやろうと思ったんだよ」

「マサさん……」

「まあ、お嬢がそのきっかけっていうのがな」

「ダメですか?」

「人生なんてのは何があるか判りゃしねぇよな」

 工の頭は豪快に笑った。

「高炉の中を見るのは初めてか?」

「はじめてにきまっているじゃありませんか」

 少女は目を輝かす。

 マサは塀の鉄製の扉を開く。

 高炉の中に一歩足を踏み入れただけで熱波が肌を焼きそうな勢いだ。男達がそんな中でドロドロに溶けた鉄と格闘している姿が目に入ってくる。

「本当に連れてきたんですか、頭」

 迎えに現れた工場長は少女を見て呆れながらマサに言う。

「まあ、トレーダーだって言われなければ、気がつかねぇだろう?」

「そりゃあそうですが……」

「おれが決めたことだ」

「頭がそういうんだったら、俺らはしたがいますがね」

「ところでどうだ?」

「一号炉が不調ですが、それ以外は順調ですよ。久々の大仕事ですからね。みんな張り切ってますよ」

「そういうこった。これから楽しくなるぜ」

「まだ何かあるんですか?」

「これだけじゃすまないようなことが起きるさ」

 マサはにやりと笑い工場長の胸を小突く。

「ある分はもらっていくが、そっちの準備はできているか?」

「準備させていますが、あと一時間ください」

「了解だ。外のトラクターの荷台に積み込んでいてくれ」

 マサは興味深く溶鉱炉を見つめている少女に声をかける。

「すごい熱さですね」

「まあ、年中鉄を溶かしては鋼の板を作り続けているからな」

「休みなく、ですか?」

「そうだ。そうしなければ、こいつも朽ち果てていくだけだからな」

 マサはしばらく施設の中を見せると少女を伴い高炉をあとにする。


 閑静だが狭い通りに怒号が響き渡る。

「いいからクソジジイ、来やがれってんだ!」

「なにが爺だ! でめえこそくたばりぞこないなくせしやがって!」

「隠居だなんだと老けこんだことぬかしやがっているやつなんざジジイがちょうどいいんだよ! いっしょにすんじゃねぇや」

「同じだろうが! てめえだってなにもしてねぇくせしやがってよ」

「これからまたはじめんだよ。やることがあんだろうが、仕事だって言ってんだろう」

「店は当に閉めてんだ、何でおれのところに来やがるんだよ」

「ジジイの力が必要だからに決まってるからだろうが! それとも手がふるえちまって、もう何もできねぇってのか?」

「アル中と一緒にするんじゃねぇ!」

「だったら、おれの仕事を手伝いやがれ!」

「もう引退したっていってるだろうが、おめぇだって知ってるだろう!」

「知ってるさ。だがな、今度の仕事は違うんだよ。てめぇにしかできねぇんだ」

「なにがおれにしかできねぇだ」ガルダは鼻で笑った。「誰が騙されるか」

「おれがいつそんなことしたってんだ!」

「どうだっていいんだよ。もうおれがすることなんざ残っちゃいねぇよ」

「なに達観してやがる。こうなったら腕ずくで引っ張っていく」

「どこへだよ」

「トレーダー地区へだよ」

「何の冗談だ!」

「おれが冗談を言うように見えるか?」

「だったら質の悪い夢だ。悪夢だよ」

「よおし、夢だとかぬかしやがるんだったら、おれがぶん殴って目ぇ覚まさせてやるよ」

「やってみやがれ! おれも寝ぼけたてめぇの腐った頭を元に戻してやるよ」

「ふん。おれは変わったんだよ。てめぇもあれを見りゃあ気が変わるってものさ」

 拳を握りしめにらみ合うガルダとマサ。

 殴り合いが正に始まろうとしたその時、二人は後頭部をそれぞれ殴られ頭を抱えうずくまる。

「まったく近所迷惑だねぇ」

 フライパンを持ったハーナが呆れ果てたように言う。

 工の頭は話し合うといいながらも、すぐに話し合いにならないと感じた少女はハーナを呼びに行ったのだ。

 そしてハーナとガルダの奥方が一触即発だった二人を止めに入ったのである。

「だってよぉ」

「言い訳は聞きません!」

 ハーナに一喝されて縮こまるマサだった。

「ざまぁみろ」

「あんたもよ!」

「なんでだよ、ホルテ」

「ちゃんと頭の話を聞きなさいよ、あんたも、わざわざマサさんが来てくれてるんだから」

「だってよ、こいつの言ってること無茶苦茶だぜ。しかもおれは店たたんだって言ってるのによ」

「うちのバカが言ってることは本当ですよ、ガルダさん」

「こいつがトレーダーって……し、信じられねェ。どっか頭でもぶつけたか、変なものでも食ったか?」

「おれはいつだってまともだ。だから、何度もいってるだろうが」

「あなたもこんなところでグダグダしていないで、頭といって来なさい。そのでっかい図体でうちでゴロゴロされても邪魔なだけなんだからさ」

「じ、じゃまって、なんだよ」

「そうじゃなければ、ごくつぶしさね」

「ご、ごくつぶしだぁ。亭主に向かってなんてこと言いやがる!」

「そう言われたくなければ、仕事をしてきな」

 砂ゴミでも払うようにホルテはガルダを道具袋ごと追い出すのだった。


「いろいろな職人さんが工の地区にはいるのですね」

 旋盤工にマサは図面に書いた部品の製作を頼み、工の地区を回り彼は職人と呼ばれる者達に声をかけていくのだった。

「そりゃあそうさ。一人で何でもできるもんじゃねぇ」

「さっきの人はずいぶん好意的でしたね」

「ああ、あれはなぁ」

 旋盤工に部品を頼みに行った時のことだった。

「なにかあったのですか?」

「あいつはお嬢とお近づきになりたいんだろうよ」

「あたしとですか?」

 行く先々でマサは少女を紹介して回った。

 彼らの反応は様々だった。

 大半は奇異な目でみられるが、工の頭といることでだいぶそれはマシなものになっている。

「そういうことだ。お嬢が持ってきてくれた上物な機械油な、あいつにも分けてやったのさ。そしたらえらい気にいってな。どこから手に入れたのかしつこく聞いてくるんだよ」

「あたしのこと、話したのですか?」

「最初は驚いていたがな。まあ、あいつは物が良ければ出所を気にしねぇっつうか、惚れこんじまうのさ」

「なんとなくそれはわかりました」

「良いものは、良いって判るやつなのさ。まあ、おれみてぇなやつばかりじゃねぇってことだな」

「本当にいろいろな人がいますね」

「いくつもの手が重なり合って出来る物もあるのさ。おれらみたいな板金工だけじゃない。部品を造る機械工や旋盤工それらを組み立てる職人だっている。ボルト打ちの名人や研磨のプロもいるんだぜ」

 それら工の地区にいる職人達をまとめているのが工の頭マサだった。

「もしかして、その人たちにも手伝ってもらえるのですか?」

「もしかしてなんてもんじゃねぇよ。お嬢さえよければがな」

「本当に?」

「ああ、グダグダぬかすやつはおれがはっ倒してでも集めてやる」

「そこまではしなくても……」

「まあ、例えだ、例え」

 これ以上はハーナに殴られたくない様子だった。

「でも、どうして?」

「まあ、さっきも話したけどな。腕のたつ職人はいるんだよ。だが、それに見合うような仕事はほとんどねぇのが現状だ。使いどころのねぇ技術をため込んで鬱積した毎日を送っているのさ。そしていつしか忘れされていく。それをなんとかするのもおれの仕事なんだよな。おれがいればあのウォーカーキャリアはちゃんと直るだろう。しかし、それじゃあつまらねぇ、もっといいもんができるって判ってんだったら、それを使わねぇ手はねぇやな」

「ありがとう、マサさん」

「おれが勝手に考えたことだ。ため込んだまま墓場まで行く前に、物造りの本当の素晴らしさや凄さを味あわせられると、あのウォーカーキャリアを見ておれは思ったんだ」

 図面を見て工の頭は部品やパーツのことを考えながら、声をかける職人のことまで網羅していたという。

「あたしもクロッセもそのへんはわからないし、知り合いもいないので、マサさんにお任せします」

「まあ、勝手に進めちまってからいうのも何だがな」

「そんなことはありません。あたしは本当に知らないことだらけだった。だからわからなかったことが見えてくる今が、それを知ることができるのは楽しいし、うれしい!」

 少女は期待に胸ふくらませながら、心底うれしいそうに微笑んだのだった。


 その日からマサは工房にもほとんど戻らず倉庫で寝泊りを始めるのだった。

 マサの呼びかけにより様々な職人が館に出入りするようになる。

 初めは合板を納めに来た高炉の者達や部品を発注された職人だけだったが、徐々に数が増えていく。

 誰もがおっかなびっくりの状態だったと思われる。

 ある者はトレーダーだというだけで腰が引けてしまっていたり、そうでなかった者もウォーカーキャリアに圧倒されていた。

 だが、根っからの職人である彼らは、マサやクロッセに話を聞き、ウォーカーキャリアを見ているうちに職人魂に火が付いていくのであった。彼らは子供のように目を輝かせながら、未知の作業へとのめり込んでいく。

 一流といわれた職人がその場に会した。

 普段はそれぞれの仕事をこなし、接点がない者も多くいたという。

 それを引き合わせたのは工の頭であるマサ・ハルトの人脈に他ならない。

 工の地区には噂が広まる。

 マサがトレーダー地区に誘った者たちは一流の証を受けたと。

 そして、ウォーカーキャリアの話題は工の地区を中心に駆け抜けていったのである。

 その後、工の頭に自分を売り込む職人さえ現れたという。

 例えばこんなことがあった。

「頭、お願いがあります」

 マサは工の地区の路地で突然呼びとめられた。

 振り向くと若い徒弟らしき者がいる。

「なんだおめぇは?」

「ハディア工房のカタラと申します」

「ふ~ん、ハイディのところの門弟か」

「はい」

「それがおれになんの用だ?」

「頭がウォーカーキャリアを造っているということをききました」

「造ってる?」

「そうなんでしょう?」

「まあいい、それで?」

「おいらも、それに加えてほしいんです」

「加えるねぇ……」

 噂というものは知らぬ間に一人歩きするものらしい。

 マサは頭をかきながらため息をつく。

「お願いします」

 若い門弟は何度も頭を下げた。

 土下座をしそうな勢いであった。

「おめぇは何ができる? 仕事のできねぇやつは必要ねぇぞ」

「お、おいらは、ビス打ちです」

「ふん、そうだったな。じゃあ見せてみろ」

 マサは歩きだすと、ついて来いと促す。

 向かった先はグレッグの店だった。

「こ、ここは?」

「ビス打ちはグレッグの野郎に頼んでいる。それをおめぇが代わりにやろうってんだ。納得できるような腕を見てくれるんだろうな?」

 グレッグから受け取ったビスと道具を渡す。

 マサにとってはウォーカーキャリアの修復にかけているといってもいいくらいの面子を集めていたのだった。

「……わ、わかりました……」

 恐る恐る道具を受け取ったカタラはマサの前でビス打ちを始める。

 黙って腕組みをしたマサがその様子を見つめる。

 威圧するような視線は気の弱い者であったら腕が縮んでしまうものだった。

「で、出来ました」

 マサは黙って打ち込んだビスの状態を見る。

「グレッグ、やってみてくれ」

「いいのかい?」

「かまいやしねぇよ。喧嘩売られたのはお前だぞ」

 心配そうにみるグレッグに工の頭は口元をゆがめ言い切った。

 グレッグは肩をすくめると眼鏡をかけ直し、軽快なテンポでビスを打ち付けていった。

「これを見ておめぇはどう思う?」

 打ち込まれたビスをカタラに見せる。

「……凄いです。一分の隙もない……」

「そういうこった。もう少し修行するんだな」

「……はい……」

 肩落とすカタラだった。

「しかし、その意気は気にいった。てめぇにまかせる仕事はねぇがな、雑用でいいなら来るか?」

「は、はい。それでもかまいません。行きます!」

 匠の技を持つ職人は高齢化している。また弟子やそれを受け継ぐ者は少ない。

 職人の技はそう簡単に伝授できるものではなかった。

 仕事がなければなおさらだった。

 衰退していく工の地区の状況をマサは憂いていた。

 ウォーカーキャリアにかかわることは良い機会だとマサは考え、その技術を守るためにも職人達とその弟子を集める。

 特にやる気のある若手職人はその場に立ち合わせた。

 トレーダー地区と工の地区を行き来する者は増え、館は職人達の技を競う場になった。

「すまねぇな、お嬢」

「マーサさんはちょっとめんくらっているようですが、あたしは見ているだけでも楽しいです」

「だったらいいがよ」

「マサさんはあたしだけでなくもっと多くの職人さんにこの雰囲気を味わってもらいたかったのでしょう?」

「まあ、そういうこったがな」

「現場監督におまかせします。でも人件費はこれ以上増やせませんよ」

「そりゃあそうだ」

 それでも無給でも構わないと手弁当で来ている弟子もいた。マサはそんな弟子の工房とも掛け合っていたのである。

「それにヴェスターはこれを見て商売にはいい機会だと思っていますよ」

「なぜだ?」

「だって、今まで工の地区とつながりはほとんどなかったのですよ。それがこんな卓越した技術を持った職人さんたちがつどっているのですから、商いのきっかけにしない手はないじゃないですか」

「トレーダーってやつはよぉ。お嬢もそうなのか?」

「あたしは、そうですね。半々かな」

「半々?」

「人とつながりができることがうれしいですが、あたしもトレーダーの血が流れているのでしょうね。なにができるか考えてしまいます」

「何かあるのかい?」

「うまく形になるかわかりませんが、声をかけたい人が何人かと、相談したいことがいくつかありますよ」

 嬉しそうに少女は微笑んだという。

「できたぞ、エアリィ」

 クロッセが少女を呼ぶ。

 彼の元にはすでに職人達が集まっていた。

 ウォーカーキャリアにはアームが取り付けられていた。

 外装はまだ胴体の一部部分だけで、可動部分である脚部や機首部分はむき出しだったが、それでも工の頭の陣頭指揮のもと設計図に従っての組み立てと作業が続けられてきた。

 錆ついていたアームは一度分解され、磨き職人が錆を取り、旋盤工によって新たに造られた部品などともに組立工によって一週間がかりで組み上げられたものだった。

 配線が完了し、少女はコックピットへと上がる。

 久しぶりの感触だった。

 カードを差し込むとエンジンをスタートさせる。

 心地よい振動が伝わってくる。

 ナノのおかげもあってエンジンはすこぶる好調だった。

 モニターやパネルに光があふれ正常稼働のシグナルが灯る。

「クロッセ行くよ」

 下に合図すると、アームの操作ボタンを押しロックを解除する。

 モニターで状況を確認しながらテストを開始する。

 アーム部分の回転から始まり、関節部分の駆動を確かめていく。

 ウォーカーキャリアを囲む職人達からどよめきの声が上がり、クロッセは組立工と握手を交わしていた。

 伸縮稼働などの動きには問題がない。

 最後の仕上げはアームで物をつかみ持ち上げることだった。

 伸ばしたアームが目の前にある金属板をつかむ。

 少女はモニターを見ながらアームの動きを調整していった。

 慣れない操作に最初は四苦八苦する。ファミリーのどのウォーカーキャリアとも操縦は似ていなかったのである。

 それでも少女はコツをつかむと生きているかのようにアームを操作していく。

 アームが金属板をつかんだことを確認すると、少女は息を吐き出した。

「さあ、持ち上げるよ!」

 エンジンの出力を少しだけ上げる。

 関節部分が駆動し、細いアームがしっかりと重たい金属板をウォーカーキャリアよりも上へと持ち上げるのだった。

 拍手と歓声がわき起こる。

 アームの駆動テストは成功だった。


「ほう、これがウォーカーキャリアですか」

「なんでてめぇがここにいるんだよ、シュトライゼ!」

「見学ですよ。ヴェスター氏やエアリィ嬢には許可をもらっていますよ」

 そう言いながら商工会の顔役は少女に笑いかける。

「あっ、はい」

「てめぇは関係ねぇだろうが」

「いえいえ、関係はおおいにありますよ」

「てめぇは何もしてねぇだろうが!」

「心外ですねぇ。工の頭が頑張っているのに、商工会が何もしないわけにはいかないではありませんか。私どももあなた方の手助けをと思った次第ですよ」

「そんなもんはいらねぇよ。邪魔なだけだ」

「あなたならそう言うと思っていましたよ」意に介さずシュトライゼは続ける。「ですが、ここには商工会に属する者達が多く参加しています。私ども商工会でも出来る限り支援していこうと考えたのですよ」

「支援だぁ?」

 苦虫をかみしめるような顔でマサはシュトライゼを見つめる。涼しげな顔で言う顔役の言葉が胡散臭げに聞こえてくるのだった。

「工の地区の頭であるマサ・ハルト氏の尽力もあり、工の地区は活性化しつつある」

「いいことじゃねぇか」

「そうですね。しかし、その様子を知る者はどれくらいいるでしょうね? 下町の人々はここでどのようなことが行われているか判りようがない。そうでしょう?」

「そんなこといちいち言う必要なんてねぇだろうが」

「それは甘いですね。あれだけ大きな勝負をしているのです。あなた方を注目しない者はいないでしょう」

「シュトライゼ、てめぇがあんな大事にしたんだろうが!」

「造っているあなたは何が起きているか理解しているでしょうが、ほとんどの人は噂の噂でしかそれを知り得ない。それがどうなるか判りますか?」

「おれがそんなこと判るかよ!」

「そうでしょう、そうでしょう。我々はここで起きていることを正確に下町の人に伝えようというのですよ。妙な噂が流れないようにね」

「なんだ、それは?」

「知らないのですか? すでにヴィレッジに対抗するための巨大なウォーカーキャリアを造っているだの、トレーダーと工の地区が結託してロンダサークを乗っ取ろうとしているなんて話もありますね」

「なんだそりゃあ!」

「根も葉もないうわさですけれど、あたしもききましよ」

 少女は苦笑する。

 かなり尾ひれがついた噂を油を買いに来る奥様方から聞かせられ、その真偽を訊ねられたものだった。

「そんなことしているわけがねぇだろうが!」

「あなたがそうであっても、他の人はどうでしょうね。それをきちんと伝える義務が私どもにはあるのですよ」

「何をしようってんだ?」

「工の民とトレーダーの歴史的な邂逅です。それを知りたがる人も多いでしょう」

「ちょっと待て! てめぇの飯のタネにしようってんじゃねぇだろうな?」

「まあ、それはありますかね」

 悪びれもせずシュトライゼはしれっといった。

「これを機に広報事業を立ち上げようと思いましてね。その手始めとしてあなた方を取材させていただきます」

「断る!」

「妙な噂は立てられたくないでしょう?」

「そうですね」

 少女は素直に頷く。

 工の頭はほとんど現場にいたために知りようがなかったが、少女には実害が出つつあったのである。

「……勝手にしろ!」

「では、そうさせていただきます」

 シュトライゼの横にいた者がペンを取り出す。

 速記の者で彼は商工会での議事録をまとめている。

 もう一人はすでにペンと画板を持ちウォーカーキャリアと作業をしている職人の様子を絵にしていた。

「初回ということで、エアリィ嬢と工の頭のインタビューをおこないます」

「なんでおれが!」

「どんなことが行われているか、現場の責任者の話は必要でしょう? それともあなたの代わりにそれが出来る人がいるのでしょうかね?」

「……てめぇはいつもそうだな。あぁ言えばこう、屁理屈ばかりこねやがって」

「いえいえ、理路整然とお話をしているだけですよ」

「ああもう、なんでも聞きやがれってんだ!」

「では」シュトライゼは眼鏡の位置を正すとマサ・ハルトに訊ねる。「ウォーカーキャリアを修復するということですが、それは可能ですか?」

「あったりめぇだろうが! そのためにおれが来てるんだ」

「なるほど、ヴィレッジ抜きでも?」

「あんなふ抜けた野郎どもと一緒にするんじゃねぇや。工の民には工の民の誇りと技術がある。それを合わせればおれたちだけでも絶対にやり遂げられる」

「力強いお言葉ですね。では次はエアリィ嬢に」

「は、はい」話を向けられ少し緊張した面持ちで答える。

「どういう経緯で工の頭に?」

「シェラやクロッセがマサさんなら可能だって教えてくれたので」

「彼は怖くなかったですか?」

「怖かったです。でもそれ以上にいい人だとわかりましたから」

「だそうですよ、工の頭」

「う、うるせぇ……」

「実際にはどういう手順で?」

 淀みなく二人に次々と質問が向けられていく。

 翌日にはそれが記事となり下町に配られる。

 最初のスポンサーは五家のレイブラリーであったという。

 これがロンダサークでの新聞事業の始まりであった。



 5.



 少女の商いは盛況だった。

 工の頭との勝負もあって、少女とその商いのことはロンダサーク中に広まっている。

 ただ少女を見るために店を覗いて行く者もいたくらいである。

 噂を聞きわざわざ遠方の地区から買い物に来る者もいた。ひやかしも多かったが、少女の油を買った者はたいがいリピーターとなって、また店に現れるのだった。

 同業者からの妬みや嫌がらせがなかったわけではない。

 それでも少女は愚直なまでに真面目に商いをしていった。

 開店前に店の前に人が並んでいることが多くなり。日が昇るよりも早く油がなくなることもざらだった。

 少女はクロッセと協議して増産を検討する。マサに付き添うことで知り合えた職人に声をかけ、新たな製油機を造ることにしたのだった。

 費用はヴェスターからの融資だった。

 職人達はさらにアイディアを出してくれたりもした。

 あれほど苦労して改良してきた機械が、職人達の手によっていとも簡単に組み上がる。

 その間、少女は港湾に出向き、港湾市場の監督や親方と交渉しイクークの買い付けも増やすことが出来るようにした。

 五日後には増産が可能になり、そのことが少女にある決意をさせることになる。

 フィリアだけではさばききれなくなった客に対応するためにシェラにも店の手伝いを頼む。

「お嬢様ぁ、フィリアはもう限界ですぅ」

 ぐったりとしながらフィリアは情けない声を上げる。

 完売の札を出し、少女は店じまいの後片付けを始めていた。

「毎日こんな感じなの? いったいどれくらいお客さんが来ているのかしらね?」

 店の中を覗き込み油のことを訊ねて来る客の対応をしていたシェラだった。

「七百五十一人かな」

「ど、どうして判るんですかぁ?」

「持ってきた油の量から単純に割ってみただけよ。もっとも多めに買っていくお客さんもいるから、実際には三割減というところかしら」

 売上を計算しながら少女は淡々と答えた。

「ふ、ふぇぇぇ」

「あれだけ持ってきたらもっともつと思ったのに」

「並んでも買えない人も出てしまうのよね」

 シェラは初めてとは思えない手際の良さで客をさばいてくれた。だいぶ慣れてきたフィリアと息の合った動きを見せてくれる。

 それでも気が付くと店の前には長蛇の列ができ、日が昇ってすぐに油は売り切れてしまうのだった。

「運びこめる油はこれが限界なのに」

「じゃあもっと店を大きくしましょうよ、お嬢様」

「そうよね。大通りに店を借りれるんじゃない?」

「そうしましょう!」

「そうすれば、お店の方で油を作りながら売ることもできるんじゃない?」

「人をもっと雇うこともできますし、お嬢様も楽できますよ」

「そういいながら、フィリアが楽をすることを考えてるのでしょう?」

「あは、あははは」

 大店の店主のように自分が後ろで陣頭指揮をとる様子でも想像していたのだろう、フィリアは真っ赤になりながら乾いた笑い声を上げる。

「そうしたらフィリアは用済みよ」

「え~ぇっ、そんなぁ。お嬢様だってお忙しいのですから、お店の方はわたしたちにまかせてもいいんじゃありませんか?」

「フィリアにねぇ」

「軌道にのってきているのなら、そうしてもいいんじゃない?」

 実際少女は商いのことだけではなく忙しく動き回っている。

「それも考えたけれど」

「やっぱり自分で続けたいの?」

「それもあるかな。それにちょっと考えていることがあるの。それが決まったら商いのことは考えてみようと思うの」

 いつになく真剣な表情だった。

「うまくいくといいわね」

「それまではこのままですかぁ~」

「手伝いのこととかはなんとかするわ」

「お願いします~」

 売り上げの計算を終えた少女は、戸締りや買い付けを二人に任せると疾風の如く館へと戻った。


 少女は下町の通りや路地を駆け抜け館へと戻る。

 それが日課になっていた。

 館にたどり着き、体を休めた途端汗が滝のように流れ落ちてくる。キッチンで水分を補給するとさらに、汗が噴き出してきた。

「あらエアリィちゃんもう戻ったの? 今日は早いわね」

 キッチンにハーナが姿を現す。

 家にも工房にも戻らないマサや弟子達のことを思ってか様子をちょくちょく見に来てくれていた。

 館の、今では工房になってしまった倉庫には多い時、十数人が泊りこむ。

 彼らのためにマーサは奮闘していたとってもいい。

 寝食を忘れ作業に打ち込む者がほとんどだったため、そんな彼らに食事を運び、ひたすら仕事を続ける者を無理矢理にでも体を休めさせ時には睡眠を取らせるのだった。

「たくさんの子供を相手しているようなものでしたよ」

 のちにマーサは笑いながら語ったという。

 そうは言うものの大変なことであったのには変わりない。

 もともと仕えるのはヴェスターひとりだけだったため館には住み込みで働く使用人達は多くはない。

 少女がやって来てからも、急きょフィリアが雇われただけでマーサが館のそのほとんどを切り盛りするのは変わらない。

 そこに今度は多くの職人達がやって来たのである。

 数人では賄いきれる量ではなかった。

 少女からその様子を聞いたハーナが工の地区の主婦連を集め館へ出入りするようになったのはマサらが館に泊りこむようになってすぐのことだった。

「いらっしゃい、ハーナさん」

「そんなに急がなくても逃げはしないのに」

「でも……」

「楽しいのは判るんですけれどね。お嬢様には自分の体もいたわってもらいたいところですよ」

 呆れながら少女に着替えをわたし汗を拭いてあげる。

「今日は油もすぐに売り切れたから早くもどれたのよ」

「盛況なのはいいことだよ。ただ無茶しすぎて体調崩しちゃったら、楽しむものも楽しめないよ」

「そうですよ、お嬢様。少しでもお体を悪くさせましたら絶対に部屋から出しませんからね」

「わ、わかっていますよ……」

 事故直後の監視の厳しさは忘れられない。

「まあ、エアリィちゃんの気持ちも判るけどねぇ」

 職人達の仕事は見ているだけでも楽しかった。

「わたくしはよく判りませんが、本当に凄いと思いますよ。気が付くと新品になっているのですからね」

「うちの人も活き活きしてますよ」

「お嬢様もこうしてお元気になられて」

「ただねぇ、本当にうちの人が迷惑かけてないかと思うと心配でねぇ」

 ため息まじりにハーナは呟く。

「だ、大丈夫ですよ……」

「遠慮しなくていいんだからね。何かあったらちゃんと話してくださいよ。マーサも」

 ハーナは豪快に笑うとそのままキッチンを使い始める。

 マーサと話をしながら料理を作っていくのだった。

 ほどなく他の奥方も現れキッチンはにぎわい始める。

 当番制のような形を取り、工の地区の主婦連は館にやって来る。

 ハーナの人徳であったのだろう、中には作業に加わっていない工房や職人の奥方もいたという。

 実際に彼女が職人達の家族をまとめることで、依怙地になったりしていた職人をこの作業に加えることに一役買っていたのであった。

 獲れたてのイクークや新鮮な野菜、乳製品を彼女達は持ちより日々様々なメニューが作られていく。

 さながら大衆食堂の台所であり、彼女達の腕の見せ所でもあった。

 主婦同士の交流や情報交換がここでおこなわれていき、職人達の技術交流とは別のにぎわいをみせていた。


 マサはフレームの修復のほとんどを弟子であるアベルか彼が声をかけた職人に任せていた。

 普段とは使い慣れない合板に彼らは手を焼いていた。

 それでも工の頭は、妥協を許さず完璧な仕事を弟子や職人達に求める。

 少しの歪みでもマサは見逃さず仔細なことでもやり直しを命じる。

 一人前の職人がマサの怒号に逃げ出し、涙を見せたことすらあったという。

 それほど厳しいものだった。

「マサさん……」

「お嬢の言いたいことは判るがよ、これはおれたち職人の問題だ」

「でも……」

「商人は中途半端な商品を人に売るか?」

 マサの問い掛けに少女は首を横に振った。

「おれたち職人も同じだ。受けた仕事は完璧にこなしてこそ当たり前、下手なものを客に渡すわけにはいかねぇ。それは誰でも判っていることなはずだ。だからこそ、中途半端な仕事は許すわけにはいかねぇ」

「それでも言い方があると思います」

「厳しすぎるか? だが、これは信用してるからこそ言えるんだよ。最初から出来ねぇやつになんか声をかけねぇし、弟子も連れてこねぇよ」

 腕組みした工の頭は鼻息荒く言い放った。

「そ、そうなのですか」

「やる気と腕だけはあってもくすぶって来たやつらだ。おれみたいな壁は乗り越えていってもらわねぇと困るんだよ。そうでなければこの先やっていけねぇ」

 マサの言葉通り、どんなにひどい言葉投げつけられようと再び彼らは戻って来て作業を続けていく。

 彼らにも意地と誇りがあった。

 職人達の奮闘と努力もあってウォーカーキャリアは輝きを取り戻していくのだった。

 そして稀代の名工と讃えられたマサ・ハルトの腕は本物だった。

 彼がハンマーを持ち金属板を叩きだすとその周囲には人垣ができる。

 誰もがその一挙手一動を見逃さないよう見つめていたといってもいい。

 彼の手にかかると、何の変哲もない金属板が見事な曲面を描く。

 それは魔法を見ているようでもあった。

 彼はまず機首部分を新たに叩き出す。

 見たことがないものを設計図から読み取り彼は忠実に造り上げ、それを溶接職人ガダルが見事にフレームに合わせる。

 その仕事ぶりに見ていた職人達はため息を漏らすのだった。

 尾翼や翼と称される部分はこれからだったが、ウォーカーキャリアは元通りの姿を取り戻す。

 いやそれ以上だったかもしれない。真新しくすら感じられた。

 その接合面を見て工の頭が頷くと見守っていた少女が歓喜の声を上げる。

「ありがとうマサさん!」

「よせやい、まだまだこれからだぜ」

「それでも、また動かせるようになったのはマサさんのおかげだよ!」


 翌日、ベラル・レイブラリーが館を訪れる。

 ウォーカーキャリアの修復作業が始まってから二度目である。

 激励ということだったが、これは異例でもあったという。

「まったく、エアリィは凄いね」

「師よ。お言葉ですが、あたしはなにもしていません」

「いや、君がいたからこそ、今がある。この工の民の職人達の姿を見よ」

 組み上げられていた足場がいったん外され可動準備が進められている。

「これはマサさんの力です。あたしの力ではありません」

「集めたのはマサかもしれぬが、君のもとに集ったのだよ」

「ここはヴェスターの館ですよ」

「どこまで知らぬ振りをすねるつもりかね」

 ベラルは笑った。

「な、なにをです」

「すべてのきっかけは君にある。私はそう思っているよ。工の地区の職人達が、これほど集まってひとつのことに打ち込むなどということは、ついぞなかったことだ。」

「たしかにきっかけを作ったのはあたしかもしれない。それは否定しません。でも、そのあとのことはマサさんやハーナさん、シュトライゼさんがやったことですよ」

「そのどれにも君がいるんだよ」

「あたしはなににでも顔を出しますから」

「楽しくて仕方がないようだね」

「はい。あの子が生まれ変わっていき、新たなる力を得ていくように見えるから」

「それはきっと君だけじゃないと思うよ」

 彼自身もその熱気にあてられているようだと語った。

 のちにこの様子をベラルは詩に書き残している。

「ものを作り上げる喜びは何物にも代えがたいものだ。それが難しいものであればあるほど強くなるだろう」

「それはマサさんたち工の民の方々が持つものであたしはその輪のなかにはいません」

「それでも、この時この中に君もいる。それは大切なことだ」

「そうでしょうか。あたしはあの輪の中にもっといることができたらと思います」

 クロッセやマサ達が技術的なことを話し合っているのを見つめ少女は呟く。

「それは私も同じだよ。君をうらやましく思う」

「どうしてです?」

「君は人と人との垣根を跳び越えていくようだ。我らには出来ぬ事だ」

「……そんなことはありません……」

「エアリィのような考えを持つものはこのロンダサーク中探してもいないだろう。誰もが古い習慣に囚われすぎているからね」

「あたしはトレーダーです。考えかたのちがいはどうしようもありません」

「だが、君は依怙地にトレーダーの因習に囚われているわけではあるまい? トレーダーとしての考えも持ちつつロンダサークを見てくれている。それが彼らをここに導いてくれているのだろう」

「あたし自身が後悔したくなかったからやったことであって、そんなたいそうな考えがあったわけではありません」

「私利私欲があったわけではあるまい。そういうものには誰もついては来るまいよ」

「師はあたしを買いかぶりすぎです」

 少女は顔を真っ赤にしながら言った。

「工の地区が再び活気をみせているのも君のおかげだと思っているよ」

「あたしは今の工の地区しか知りません。ですから師のような見方はできませんが」

「交流が増えていることは確かなのだよ」

 工の地区とトレーダー地区との行き来が増えるにしたがって、今までつながりのなかった工房同士のつながりや職人同士の行き来もおこなわれるようになっていた。

 門外不出といわれた技術も惜しげもなく使われる製品も出来たという。

 そんな中、彼ら職人以外の者達も館を訪れるようになる。長老会や五家を代表してベラル・レイブラリーが現れただけではなく、商工会の顔役シュトライゼも姿を頻繁に見せるようになった。

 今回は簡単な浮上実験だった。

 今まで携わった者達へその成果を見せるためでもあったし、これからウォーカーキャリアがどのように改良されていくか、その方向性を示すためのデモンストレーションでもある。

 少女はコックピットに座ると、カードを差し込むとエンジンを起動させる。

 クロッセは工の民に触発され、徹底的に内部構造を見直していた。

 エンジンが安定したと確認すると脚部を動かす。

 まずは倉庫から中庭へと移動するのだった。

 以前よりもスムーズに動く。操縦桿を握っている手が軽く感じられる。

 中庭に出るとヴェスターやマーサら館の面々とベラル、シュトライゼらがそれを見守っている。

 何度か脚部を折りたたんでは立ち上がり、動き回るということを繰り返し脚部や可動部分に問題がないかを確認するのだった。

 そして最後は浮上実験だ。

「どうだった?」

 クロッセは少女に訊ねる。

「問題なし! 前以上によく動くわ!」

 少女はエンジン音に負けないよう大声で叫ぶ。

「当たり前だ、職人が丹精込めた部品でこいつは出来てんだからな」

 マサはコックピット脇によじ登りにやりと笑った。

 そしてパーツ職人や旋盤職人に向かって親指を立てる。

 彼らも力こぶを作ったり、笑顔でVサインを返す。

「エンジンは?」

「こちらも絶好調よ。いけるわ!」

「よし!」

 マサは少女にヘルメットをかぶせると軽く頭を叩いた。

 クロッセは風防を閉めてくれた。

 祈るように手を合わせているシェラやマーサに少女は大丈夫だと合図するのだった。

「大丈夫、大丈夫だよ」

 それは自分に言い聞かせているようでもあった。

 少女はシートに座り直すと気合を入れ、アクセルを踏みしめると一気にエンジンの回転数を上げていく。

 腹に響いてくるような重低音があたりにこだまする。

 風圧で芝が飛ばされ空に舞い、変哲の無い空に新たな色を付ける。

 クロッセ以外は初めて見る光景だった。誰もが目を見張りかたずをのんでそれを見守った。

 少女は空を見上げアクセルをそのままにギアを入れ替えるとエンジンパワーを開放させていくのだった。

「さあ、行くよ!」

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