ガリアⅩⅢ ~熱き魂の鼓動(後編)

 1.



 我が心を震わせる

 風よ 風よ 熱き風よ

 魂の鼓動を響かせよ

 新しき風よ 吹け

 遥かなる地平の彼方

 風生まれたる地より来たれ

 オアシスを駆け抜けろ



 2.



「さあ、次だ!」マサ・ハルトは職人達を前にそう話し始めた。「次へ進むぞ!」

 機体を宙に浮かせるというデモンストレーションは成功した。

 その場に居合わせた者達は、茫然とその光景を見ていたといってもいい。

 巨大で重い機体が十数分にわたって何の支えもないままに空中に浮き続けた。

 たった数メートルの上昇だったが、轟音と砂嵐を思わせるような風圧を感じながら、集まった人々はウォーカーキャリアが浮上する様を目撃したのである。

 それは想像だにしなかった光景だった。

 彼らの常識ではウォーカーキャリアは地を歩くものであり、人々はそんな姿しか知らないし、見たことがない。

「ウォーカーキャリアは力を取り戻した! おれたちはやり遂げた」

 今の今まで館の工房に集った職人達はマサや少女が何をやろうとしているのか本当の意味を知らないままきた。ただの修理だと思い込んでいたのである。

「これからおれたちは先人に挑む」

 マサは拳を振り上げる。

 熱気と興奮、そして不安。様々な想いが渦巻く中で彼は宣言する。

 大きな声が工房と化した倉庫の中に響き渡る。

「あのぉ、先人て、誰のことですか、頭?」

 職人の一人が恐る恐るマサに訊ねる。

「決まっているだろうが、ウォーカーキャリアを作り上げた職人だ」

「……ウォーカーキャリアを作ったのって誰だ?」

「知ってるか?」

「ヴィレッジ……じゃねぇよなぁ……」

 困惑する職人達。

 ウォーカーキャリアはオアシスとともにはるか昔からガリアに存在していた。当たり前のことだったからこそ誰もそのことを不思議にも思わず、その起源を知ろうとはしなかった。

「おれだって、ウォーカーキャリアを作ったのが誰かなんて知らねぇ。でもな、誰かが作ったからこそ、存在しているんだ」

 何も無いところから、生まれるわけがない。

「誰かが作り上げたものなら、おれたちにそれが出来ないわけがねぇ。そうだろう? おれたちがそれに追いつこうとするんだよ」

「ナノやエンジンことも何も知らねぇ、ましてや遺失テクノロジーのことなんて誰も知らねぇんですよ」

「俺たちゃ下町の職人だぜ……」

「ヴィレッジにもできねぇことをか?」

 職人達は口々に言う。

「下町の職人だから遺失文明に手を出してはいけないの?」

 彼らの後ろにいた少女は訊ねる。

「だってなぁ」

 職人達は顔を見合わせる。

「あたしとクロッセはやってきたわ。でもそれはトレーダーだからでも元ヴィレッジだからでもない。あたしがやってみたかったからよ」

「そういうことだ」マサは話を続ける。「おれもやりたいからこそ、お嬢や先生に協力している。それは職人として挑んでみたいからだ」

「そうはいいますが……頭ぁ、モービルくらいなら修理したことあるやつはいますが、ウォーカーキャリアなんか誰もあつかったことがねぇときている」

「そんなこたぁ判ってる。そこまでは期待しちゃあいねぇ。というかおれにだって無理だ。しかし、おれたちにゃあおれたちの技術とノウハウがある」

 工の民が蓄積してきた技術がまだ残っている。

「お嬢や先生が二人だけでさっきのようなことをやってのけたんだ。おれたちにだって、その先を作るこたぁできるだろう?」

「あれで終わりじゃないんですか?」

「あったりめぇだろうが! 何のためにお前らを集めたと思ってんだよ」

「そ、そりゃあそうですが」

「たしかに先人みたいにエンジンから作れりゃ楽しいだろうがよ」

「楽しいんですか?」

「誰もやったことがねぇことだぞ、今までと同じようなことを続けているよりもズッと面白えだろうが? おれたちには悲しいかな遺失テクノロジーの知識も技術もねぇ。それでもここに動かせるウォーカーキャリアがあるんだ。難しいこともあるかもしれねぇが、おめぇらがいればきっと出来るっておれは信じているんだよ。だらけ切ったヴィレッジなんざ目じゃねぇ、工の民の力を見せつけてやるんだ」

「見せつけるって……」

 工の頭の勢いに職人達は圧倒されていた。

「まあ、これを見ろ」

 マサはにやりと笑い、一枚の紙を取り出す。

「それがどうしたんですかい?」

「なにも書いてねぇっすよ」

 喜々としてマサは職人達の前で紙飛行機を折り始める。

 何度も何度も折っては開くことをくり返してきたのだろう。それは手慣れた手つきだった。

「よく見ていろよ」

 マサは紙飛行機を少女に向かって押し出した。

 彼らの目の前を頭上を紙飛行機はすべるように真っ直ぐに飛んで行った。

 少女がそれを受け取ると、今度はマサの方へと飛ばす。

 声もなく彼らはその様子を見つめる。

「いいか、これがおれたちのやろうとしていることだ。形は違うがこの部分がウォーカーキャリアの胴体だ。そしておれたちはこの翼を作るんだ」

 工の頭は紙飛行機を使って説明を始める。


「理解しろっていったって、無理だよなぁ」

 クロッセは頭をかきながら呟く。

 職人達の反応の方が普通だといえる。

 人は地を行くことしか知らない。それが当然だった。空を行くものがいないのだから、飛ぶことを考えようとする者すらいなかったからだ。

「そうなの?」

 少女はクロッセを見上げながら訊ねた。

「違うっていうのかい?」

「もしかすると誰かが、外壁の上から風に乗る砂のように砂漠をわたってみたいと考えていたことがあるかもしれないわよ」

「それは君のことかい?」

「あたし? あたしは違うわよ」

 少女はにやりと笑った。

「君はあそこへ行こうと思った」

 ベラルが工房から見える空を指さし言うと、少女はそれに頷く。

「はるか彼方に輝くものを求め」

 詩でも朗読ようにベラルは朗々と語りかけるだった。

「太陽ですか?」

 クロッセは意味あり気に笑いあう二人を見て訊ねる。

「さてどうだろうね。砂雲の先には何があるのだろう?」

「知りたいですね」

 静かに、それでいてしっかりとした口調で少女は呟いた。

「僕が思っていたのは、まずあれを動かすことだった。そして図面から浮き上がることまでは想像できたけれど、あの紙飛行機のように飛ぶことまではイメージできなかった」

「そうだね。そうかもしれない。あたしもただあの子でそれができるのかなと思っただけなのよね……そうするにはどうしたらいいのか、そういうのはわからなかったけれど。マサさんはすごい。あたしやクロッセが理解できなかったことでも図面を見ただけですぐにわかってしまうのですもの」

「マサは昔からそうだったからね。その理解力には我々も驚かされた」

「マサさんに頼んでよかった」

「そうだね」クロッセも頷く。「でもマサさんも凄いが、エアリィはもっと凄いかもしれないな」

 戸惑う職人達を見ながらクロッセは何度も頷く。


「頭、そんなことが本当に出来るんですか?」

「無理だと思うか?」

 工の頭の問い掛けに彼らは顔を見合わせる。

「お前らは職人だよな? 頼まれた仕事くらいはこなせるよな?」

「受けた仕事はこなします」

 それが職人としての誇りであり、こだわりだった。

「そういうことだ。全部をひとりでやれなんて言っちゃあいねぇ、お前ら一人一人が仕事をこなしてくれりゃあ、ウォーカーキャリアはこの紙飛行機のように飛ぶことができるんだよ。グラーよ。ここでの仕事はどうだ?」

 旋盤職人にマサは訊ねる。

「苦労させられましたよ。頭のオーダーはミリ単位で細けぇからなぁ」

 彼は脚部関節のボルトやシャフトを作り、組み立てにも参加していた。

「それが嫌だったか?」

「とんでもねぇ」彼は首を横に振る。「やりがいはありましたよ。こんな仕事は滅多にありはしねぇですからね。それにウォーカーキャリアが歩いた時には感動しましたよ。オレの部品が役に立ったんですからね」

 それはこの修復に参加した職人達の想いを代弁している。

「そういうことだ。おれたちがやろうとしてるのは、この世に唯一の『飛ぶ』ウォーカーキャリアだ。それを成し遂げることができたらもっと楽しいとおもわねぇか?」

「頭の雷がなければなぁ」

「すきでやってるんじゃねぇ! てめぇらがちゃんとやってりゃあ、おれももっと楽ができらぁな」マサは苦笑いしながら拳を振り上げる。「それにだ、新しいことに挑戦するってのは、おれは楽しくてしょうがねぇぜ」

「マサよ。てめぇにしちゃあ面白えこと言うじゃねぇか」

「あたりめぇだガダル。てめぇは楽しくねぇのかよ」

「おれ自身は久しぶりにいい仕事をさせてもらってるよ。だがな。本気でこれが、あの紙きれのように飛ぶっていうのか?」

「飛ぶさ」

「おめぇにしちゃあ、ずいぶんと気の利いた冗談を言うじゃねぇか」

「冗談だぁ? こちとらまじめな話をしてるんだぞ!」

「鉄の塊が軽い紙のように飛ぶわけがねぇだろうが」

「ガルダ、てめえだって見ただろうが、そのための上昇テストだ。あのエンジンのパワーを見ただろう?」

「たしかに見た」

「そういうこった。しかも、あれで全力じゃねぇ。そうだろう、お嬢?」

「はい。また三割くらいの力しか出していませんでした」

「聞いたか? 上昇のために使っていた力を今度は、紙飛行機をこう飛ばすように、押し出す力に使ってやるんだ。そうすりゃあ、今紙飛行機が飛んでいるように、あのウォーカーキャリアも飛ぶんだよ」

「飛ぶんだな?」

「ああ、飛ばなかったら、おれも隠居だ」

「そうきたか、だったら手伝ってやろうじゃねぇか、てめぇの隠居のためにな」

「ああ、てめぇも道連れだ」

「こちとら一度は引退した身だ、関係ねぇ」

 ガルダ爺はにやりと笑い返した。

「実際にどういうふうに、その翼ってやつを作るんですかい?」

「幸いにも図面はクロッセ先生が持っている。それに即して部品の発注もグラーやアドラにしている」

「あのヘンテコな部品は、これに使うためだったんですね」

「ヘンテコたぁなんだ! ちゃんと作ったんだろうな、アドラ?」

「当たり前ですよ。ミリ単位で大きさの違うもの作らされてちょっとでも違っていたら、頭にどなられちまいますからね」

「判ってんならいい。さあ、始めるぞ!」

 マサの号令とともに職人達はそれぞれに道具を持つと動き始めた。

 少女はそれをうらやましそうに見ていた。

「いいよねぇ。職人さんたちは」

「そうだね。クロッセはまだいいわよ。あの中に入っていけるから」

「まあねぇ、でも、物造りにかけては彼らの方がプロだ。本当にお任せだよ」

「じゃあ、あたしたちにできることを始めましょうか。クロッセ、あれはできている?」

「出来てるよ」

 クロッセは少女に微笑む。



 3.



「炉の調子はどうだ?」

「あまりよくありません。ここまで全力稼働させたことは、ここ百年ありませんでしたからね。二号炉、三号炉はまあ使えますが、一号炉が……」

 工の頭の問い掛けに工場長は答えた。

「一号炉か……どこが悪い?」

 合板を受け取りに少女がマサと訪れた時のことだった。

「炉の温度が安定しません。ちょっと目を離すと温度が急激に下がったりします」

「それじゃあ鋼が使い物にならなくなるだろうが!」

「そうなんすよ。一号炉は前から故障がちでしたが、稼働効率は悪くなる一方です」

「何とかなんねぇのか?」

「出来ることはやっていますが、限界かもしれねぇ」

 工場長は弱り顔だった。

 高炉は数百年にわたって代々使い続けてきたものだ。

 特に一号炉の老朽化はひどく炉の温度が保てなくなることもしばしばあった。高炉の工員達も手はつくしていたが、その仕組みまで理解している者も今はなくその場しのぎな対応しかできていないのが現状だった。

「覚悟しなきゃなんねぇかな」

 マサは唸り声を上げる。

「何をです、マサさん?」

「高炉のひとつを潰さなきゃなんねぇかもしれねぇんだよ」

 廃炉に、という話は以前から出ていた。

 維持するための費用もバカにならないのである。

「新しい炉を作るのですか?」

「それは無理だな。今、高炉を作る技術も資金もねぇときている。現状維持がやっとだ」

「部外者のあたしがいうのもどうかと思いますが、それでいいのですか?」

「いいわけがねぇ!」知らず知らずのうちに声を荒げてしまうマサだった。

「廃炉という流れであるのなら、しかたのないことかもしれませんが、高炉は工の地区の誇りでもあるのですよね?」

「高炉は工の民が守り続けてきたものだからな」

 マサは少女の言葉に頷く。

 何度も増改築が繰り返されていたが、高炉本体は工の地区ができた当時から使別け続けているものである。さらに現在の場所に移築後は、工区の衰退もあり過去から受け継がれていたメンテナンス技術も失われつつあった。

「廃炉になるのであれば、その前にクロッセにまかせてみてはどうでしょう?」

 少女は工の頭に提案してみる。

「あの先生にか?」

「クロッセだったら、この現状をなんとかできるかもしれませんよ。ああいう人ですが、以前は復旧不可能といわれたシルバーウィスパーの帆も直しているのですからやってみる価値はあると思います」

「……そういやぁそんなことも言ってたな」

「ただなにもせずそのまま朽ち果てさせてしまうのは嫌なのでしょう? それに立場とかをいっているのなら、あたしもここにはいることはできませんよね?」

「いやお嬢はだな」

「出すぎたことかもしれませんが、新しいことに挑むことを説かれた頭ならわかるはずですよね。ただ現状を維持するだけではしりすぼみです。そうならないように新しい血や人材が必要になるのでは?」

「高炉だけではなく工の地区にもそれが必要だってのか?」

 少女はまっすぐに工の頭と工場長を見つめ、そして静かに頷く。

「壁を乗り越えるのは簡単ではありませんが」

「そうだな……考えてみよう」

「か、頭!」

 その言葉に工場長が驚く。

 高炉は工の民以外のモノに手を触れさせたことは無い。

「言いてぇことは判るがよ工場長。こいつをこのまま朽ち果てさせるわけにはいかねぇだろう。そいつぁお前さんの本意ではなかろう? 意地とか誇りとかそういうものも必要だが、それだけじゃあ最早やっていけないところまで来ているのかもしれねぇ。そこにチャンスがあるのならそれに賭けてみるのも手かもしれねぇ」

「いいんですかい?」

「その前におれらが手をつくしての話だ」

「わかりやした」

 工場長自身思うところはあったが、しぶしぶ頷いた


「エアリィ、商いを辞めるって本当?」

 シェラは少女に訊ねる。

「あたしはロンダサークにいるかぎり商いは続けるつもりよ?」

「でも、そんな噂が聞こえてくるの」

「ああそうか」

「何か思い当たる節があるの?」

「うん」少女は頷く。「先日、ベラル師やシュトライゼさんといろいろと話を進めたりしていたからかな」

 ただでさえ少女の存在は目立つようになってきていた。

 ちょっとした動きでも噂になるようだった。そしてどこからともなく話は漏れていき、尾ひれが付くようになってきているようだ。

「前に考えていることがあるって言ったわよね? それと関係があるのかしら」

「ようやく考えがまとまったから」少女は微笑みながら頷く。「シェラならかまわないかな。あたしは頭に会ってからいろいろと考えるようになった。あたしがここに、ロンダサークにいる意味を」

「意味? ずいぶん難しいことを考えているのね」

 シェラはエアリィから風を感じていた。優しくもあれば、嵐のように荒れ狂い人々を巻き込んでいく強さを。期待せずにはいられない風だった。

「そうかな……」シェラの言葉に少女は苦笑するしかなかった。「あたしにはなにができるのだろう? あたしをむかえ入れてくれた人たちになにを返せるのだろう?」

「あなたがいてくれる。それだけでわたしは嬉しいけれど」

「でも、それだけではあたしが納得できない。あたしはただ自分のことだけのために周囲を混乱させているだけ……」

「それが私たちを、ロンダサークを変えていっているわ」

「そうベラル師もいってくれるけれど、あたしはそうは思えない。だからあたしらしいやり方でロンダサークにできることをやってみたい。壁とか地区とかそういうことをとびこえてやるのは本当にむずかしいし、どこかまちがっているかもしれないけれど……」

「だからこそ、あなたは一人でやるんじゃなくて、ベラル師やシュトライゼさんに相談しているのでしょう?」

「だって、あたしはオアシスのことはわからないことが多すぎるから、しかたがないのよ」

「でも、それはエアリィだからできることなのよ。私たちはロンダサークの習わしに慣れきっているし他のオアシスを知らないのだから」

「意地っ張りだし、半端者だし」

 自嘲気味に少女は笑った。

「そんなことないわ」

「ありがとう、シェラ。最初に考えたのは油だった」

 下町で良質の油は意外に高価なものだった。

 商区で油を商っている者は多くは無く、売っている物は食用ならまだしも明かり取り用となるとかなり粗悪なものになっている。

 下町の外周部に行けばいくほど夜に明かりが灯されている家は少なくなっていく。

「安くていい油を作る方法はあるのよ」

 少女はギリスというオアシスで大量に安価な油を作っていることを覚えていた。

 悔やまれるのは、チャンスがあったにもかかわらずそのことを気にも留めずに来てしまったことだった。

 そのシステムや方法さえ判っていればもっと速く量産にこぎつけられたかもしれない。

「でも、回り道をしたおかげで工区の人たちと知り合えたのかもしれないわよ」

「そういう考え方もあるのかな。お金が必要だったから商いから始めたけれど、油は次へのステップのつもりだったの」

「それが化粧品になるのね」

「だってロンダサークにはろくなハンドクリームがないのだから」

 整髪油でさえひどい出来だった。

「製油機は工区の人たちに協力してもらえたおかげで機械の構造とかも簡素化できた。それをベラル師に見てもらったのが先日のデモンストレーションのあと」

 その後、長老会の議題にかけてもらえるように交渉し、五家の承認もあり各地区への油の精製機の配置が長老会で決まったのである。

「安く作れるように簡易のシステムだからいまより質は落ちるかもしれないけれど、親方や港湾の監督の協力もあるから無償で油を配れると思う」

「無償?」

「そう材料はほぼタダなの。捨てられることの多いイクークの頭の部分を使うから」少女はにやりとシェラに笑い掛ける。「そう、そこが一番、油がとれるのよ。それに機械は長老会が調達する手はずになっているから」

「いろいろと考えているのね」

「そんなことない。あたしが気付かなかったことはみんなが教えてくれたわ」

 ひとりじゃなかったから、少女はそう言って笑うのだった。

「あなたは頑固だけれど頑なではなかった」

 シェラは目を細め少女を見つめる。

「どうなのかな」苦笑するしかなかった。「商いはまだまだ続けるつもり、それに全部の地区に製油機がいきわたるのには時間がかかるから、まだ油売りも続けるつもりよ」


「まったくエアリィ嬢にはいつも驚かされますね」

 シュトライゼは笑みを絶やさず楽しそうにベラルに話しかける。

 酒があれば乾杯していたことだろう。

「あの子がロンダサークのことをここまで考えてくれていたとはね」

「新鮮な喜び、そして、楽しさ。ますます彼女に惚れ込みましたよ」

「私は最初から惚れ込んでいたがね」

「そうでしたね。いつから彼女はそのことを思い描いていたのでしょう。誰もが納得できるようなシステムを、そしてロンダサークの将来を」

「それは教えてくれないだろうね。エアリィにも意地があろうからな」

 ベラルは嬉しそうに微笑んだ。

「して、商工会の方の首尾はどうかね?」

「彼らはほぼ納得していましたよ。もともと油売り自体あまり儲かるものではなかったですからね。彼らは乗り気です」

 それまでの少女への不満や風当たりもどこへやらだった。

 商工会に属している商人達の中で、油だけで商売を生業としている者は少ない。たいがいはイクークの干物を売る片手間であった。

 良質なものを作ろうとすれば手間だけがかかるものだったからだ。

 質のよくない高いだけの油が下町には流通している。そこに登場したのが少女の安価で質の良い油だった。それだけでも衝撃的だったものを、今度はさらに安価な油を下町の人々に分け与えるというのである。油売り達にとっては商売が成り立たなくなることを意味する。

 少女は長老会に良質な油を下町の人々に安い維持費だけで提供するシステムを提示するかたわら、商工会には新たなる商いの道を示し、それらを商人と職人に提案した。

 それは上質な油を作るか、機械用の潤滑油を作るというものだった。

 高級油は旧区への販路をヴェスターが確保している。一方の機械油はすでにエアリィ自身が工の頭の伝手を使って開拓しつつあった。

 そしてそれらの機械を作ることで工の地区も潤うというものだった。

「販路はすでに出来上がっているものもあり、商売は十分に成り立つでしょう。特に旧区の連中に高級な油を売りつけるというのはなかなかなアイディアです」

 シュトライゼはにやりと笑った。

「製油機の融資も君ら商工会が受け持つとか」

「ええ、そのための機械はクロッセ先生と工の民が試作機を作り上げていますからね。実演して見せたら彼らは満足そうでしたよ」

「それにしてもだ。エアリィからの提案にしなくても良かったのかね?」

「彼らも薄々判っているでしょうがね、エアリィ嬢が直接持ちかけたのであれば、彼らのプライドが許さなかったでしょう」

「自分の手柄にもできようものを、もったいない話だ」

「しかしベラル師はこのまま商工会の手柄にするおつもりはないのでしょう?」

「当然だ。あの子が成し遂げてきたことをロンダサークは知らねばならぬ。エアリィは下町をもっとより良くしてくれるのだからな」

「まだエアリィ嬢を弟子にすることをあきらめていないのですか?」

「私のあとを継いでくれるのはエアリィしかおらぬよ」

「あなたもあきらめが悪いですね」

「悪いかね? そういう君もあの子をネタに商いを広げているではないか」

「エアリィ嬢の発想は我らにはないものですからね。あの子が動いてくれるおかげで、次々と商いのヒントが生まれてきますよ」

「なんともたくましき商才かな」

 ベラルも苦笑するしかなかった。

「エアリィ嬢には我々とともに歩んでいただけたらと思いますよ」

「ああ。そうあってくれるといいな」

 ベラルは遠くを見つめ微笑んだ。


「マサさん、お願いがあります」

「なんでぇ、あらたまってどうしたってんだ?」

「工の地区のガラス細工職人を紹介してください」

「……」

「あの、あたし、なにか変なことをいったでしょうか?」

 マサにじっと見つめられて少女は戸惑う。

「いや、今度は何をおっぱじめようってんだ?」

「商いの仕込みですよ」

「油売りを辞めるって話は本当だったのか」

「まだやめませんよ」少女は微笑んだ。「まあ、じょじょに変えていきますが」

「で、なにを売るつもりなんだ、ガラス職人に頼んで? ガラス細工ってわけじゃないだろうし」

「売り物ではなくて、商品を入れる入れ物、ガラス瓶や容器をお願いしたいのです」

「入れ物ねぇ」

「はい。デザインも決まっています」

 少女は紙に描いた瓶の絵をマサに見せる。

「花瓶みてぇだな」

「そうですね。整髪油や化粧品を入れますから」

 そして、そのガラス瓶には少女のトレーダーの刻印を入れるという。

「なんでいちいちそんな面倒なことをするんだ?」

「化粧水や整髪油は手間がかかる分割高になります。そのコストはへらせないので、入れ物をリサイクルして値段をおさえようかなと」

 少女の刻印の入った瓶を持って買いに来れば割引もするというのである。

「ほぉ、いろいろと考えてんだな」

「もっとやりようがあるかもしれませんが」

「そんなことはねぇ。どれだけ必要なんだ?」

 マサの問い掛け少女は数を提示する。

「できますか?」

「種類ごとに頼む工房を変えた方がよさそうだな。まあ明日にでも工房に案内してやるよ」

「ありがとうございます」

「いいってことよ。お嬢のおかげで工の地区もにぎわっているからな」

 館での仕事が終わった職人の中には新しいことに挑戦している者も出始めているという。

「それに仕事も回してもらっているようだしな」

「それなら製油機だけじゃありませんよ」

「まだ何かあるのかよ? 聞いてねぇぞ、そんな話!」

「あれは各地区に設置することにはなりますが、製油機だけではすぐ先が見えてしまいます。メンテナンスは必要ですがそれだけではしりすぼみですよね? だから油のことだけではなく長老会には水のことも提案してきました」

「水?」

「クロッセが蒸留機を設計しています」

「なんだそりゃ?」

「ウォーカーキャリアにもあるのですが、水をきれいにする機械です」

「水をきれいにするだぁ。なんでそんなものが必要になるんだ?」

「工の地区は水の便はいいのですよね」

 トレーダー地区や宙港と工の地区は旧区同様はるか昔から存在していることもあるのだろう水路はきちんと整備されており、外周部にあるにもかかわらず水質はよかった。工の民が移住先に受け入れられたのはこの水路があったためだという話だった。

「でも、他の地区はそうじゃなかったりします。ひどいところだと砂まじりだったりするところもあるのですよ」

「そ、そうか」

「アドラさんやグラーさんには部品の発注はしてあります」

「それはいいが、ちょっと待てよ。ガラス瓶のことといいその金はどこから来てるんだよ」

「ガラス瓶のお金はヴェスターから借りました」

「大丈夫かよ?」

「返せるあてがなければやっていませんよ。それに蒸留機にかんしては別なところからお金が出ていますし」

「別なところ?」

「ええ、長老会です」

「なんでそんなところから?」

「下町のことですよ。それなら長老会に話をとおさないと」

「そりゃあそうだが」

「水問題はもともと昔からあったことだと聞きます。水路のことや水の確保もですが、水質にかんしては外周部にいけばいくほどひどくなります。蒸留器はそれを解決できる方法なのですから」

「よく長老会が納得したな」

「多少無茶はしましたが、ベラル師は納得してくれましたよ」

「どんな話をしたかは聞くまい」

 工の頭は苦笑する。

「ありがとうございます。でも楽しいですよ」

「それならいいがよ。なんでそこまでするんだ? お嬢は……その……違うだろう」

「マサさんがいっていることが立場の違いをさしているなら、たしかにあたしはトレーダーで、下町の人間ではありません。でも、そういうことじゃなくてあたしにやりたいことがあるから、なのでしょうね」

「お前さんがね……無理はするなよ」

「無理はしていません。いまのこの時を一過性のもので終わらせたくない。だからどうしたらいいのか、マサさんの話を聞いて考えてきました」

「ありがてぇ話だが、その二つ、製油機と蒸留器だけじゃ、本当に一過性で終わっちまわねぇか?」

「そうですね。だから水の問題が少しでも改善されたら、次は上下水道の整備とかをベラル師には提案しています。下町をより良くすることならいくらでもできることはあると思いますから」

「そうか……いらぬ心配だったな」工の頭は自嘲気味に笑った。「まったく工の地区だの狭いこと言っていたおれがバカらしくなってくるな」

「なにか?」

「なんでもねぇよ」

 少女の頭を力いっぱいなでると、聞こえないくらい小さな声で「ありがとよ」そうマサは呟くのだった。



 4.



「それにしても、何でこんなもの付けなきゃいけないんですか?」

 翼や尾翼の骨組みができた。

 それらを本体に取りつけ配線をつなぎ合わせ可動部分のテストに入る予定だった。

 骨組み状態の翼をウォーカーキャリアに取りつけながら職人はふとした疑問を口にする。

 誰もが知るウォーカーキャリアには無いものであり、動かすのには不要ものに思えるのだった。

「そりゃあ、空中でバランスをとるために決まっているだろうが」

 マサはその問い掛けに当たり前のことのように答えた。

「バランス?」

「そうだ。お嬢が前に言っていたが、何の支えもないところでは安定を保つことは大変なことなんだ。もしトスガ、お前さんがロープ一本で天井から宙吊りにされて揺らされたとしたらどういうふうにバランスをとろうとする?」

 マサはひとりの職人に訊ねた。

「背中から吊るされるんですよね?」

 彼は考え込む。

「状況が判らないようだったら本当に吊り下げてやろうか?」

「勘弁してくださいよ、頭。う~ん、手足をばたつかせるかな」

「まあ、そんなところだろうな」

「てことは、この翼ってやつが、浮かんだときのウォーカーキャリアの手足みたいなもんだっていうんですかい?」

「手足というには変なものだがな。飛ぶときは歩行する時に使っている脚部は折りたたまれ、アームは収納される。そうなると残る可動部分はこの翼のみとなる。だが、これが飛ぶ時に重要な役割を示すことになるんだ」

 紙飛行機を使って頭は実験してみせる。

 飛ばすのでなくただ下に落下させ、その次に翼にあたる部分をたたんだ状態で落としてみせた。

「翼があるのとないのとでは落下速度も変わって来るだろう?」

「本当だ……」

「これが空気抵抗ってやつだ」

「くうき……ていこう……?」

 聞きなれない言葉に職人たちは首を傾げる。

「まあ、こういうことだな」

 今度は黒板の前に職人たちを集め工の頭は講義を始める。

 白いチョークで翼を描き、空気の流れを風に例え矢印で翼にどんな抵抗が加わるかを書いていく。

「それによって速度が遅くなるのは判りましたが、それじゃあ設計図に書かれているフラップやラダーってやつはどんな時に使うやつなんですか?」

「こいつらがあることによって抵抗が生まれ方向も変えることができるようになるんだ」

「方向?」

「翼や尾翼は固定されているだろう。フラップを上下に動かすと上昇や下降するように動くことになり、ラダーを左右に動かすことで機体は左右に旋回することができるようになるんだ。空気抵抗が生まれることによってな」

 矢印で空気の流れを書き、機体の進行方向を示す。

 さらに紙飛行機を手にした工の頭は、両翼のフラップにあたる部分を上に曲げる。

「実演してみせると、翼の折り曲げた部分がフラップの動きだと思え。こうすることによってフラップに抵抗が加わり上へと向かう」

 飛ばした紙飛行機は宙返りをするのだった。

 さらに工の頭は右のフラップを曲げたり、左の翼のフラップは水平にしたりと、様々な折り方をして紙飛行機を旋回飛行させる。

「翼が水平なままだと真っ直ぐにしか飛べねぇ。それじゃあ意味がねぇだろう? 直進だけで方向が変えられねぇんだぞ。自由に操ることができなきゃよ」

「そりゃそうですが、頭はよく理解できますね」

「お前らだって、物を作る時、必要じゃねぇものなんてつけねぇだろう? 設計ってのもそういうもんだ。そこに書かれている意味を考えるんだよ」

「簡単には言いますが、難しいっすよ」

「まあ、初めての体験だから難しいかもしれねぇが、お嬢を見ろや」

 マサが指さす方を見ると少女が紙飛行機の翼部分を様々な角度に折りながら飛ばしていた。

「実践しながら理解しようとしているぜ」


 設計図通りに翼や尾翼を作ること自体はマサや職人達にとって難しいことではなかった。

 むしろ問題はそのあとの取り付け作業と可動部分のテストだった。

 元となるのは古い設計図のみ。

 フラップやラダーの動きを見た者はいない。機体への翼の収納具合など実際に動かしてみないと判らないところが多すぎた。

 試行錯誤の連続だった。

 クロッセがフレームから取り去った物のほとんどは彼の倉庫に保管されていたが、完璧なまま残っていたわけではない。

 配線コード類にかんしては使える物は流用したが、他は処分している。

 失われたパーツもあれば錆ついたり破損していたりしていて修理して使う事すら不可能な部品も多々あった。

 翼は外装をつけないままいったん仮としてウォーカーキャリアの本体に取りつける。

 最初に行われたのは本体への翼の収納と展開の具合だった。

「よしやってみてくれ」

 クロッセがコックピットの少女に合図する。

 少女がスイッチを入れると小さな音がして振動がコックピットまで伝わって来る。

 翼が徐々に機体に収納されていく。

 その様子を少女も身を乗り出して見ていた。

 スムーズな動きだった。

「頭、うまくいってますね」

 組立工が目を見張る。

「そうだな」

 マサはその動きをジッと見つめていた。

「どうしたんです?」

「ちょっとな。このテストが終わったら何ヶ所か打ち直しをしねぇとな」

「よくこれだけの動きで判りますね。それにまだ気になるところがあるんですかい?」

「当然だ、ちょっとでも狂いがあるかぎり直す」

 収納がうまくいくと次は翼を展開させることになる。

 その途中で、バチッと大きな音がして翼の動きは止まった。

「どうした!」

「配線がショートしました」

 クロッセが答える。

 彼の指さす先を見ると煙が上がっていた。

「ちゃんとつないだんじゃねぇのか?」

「そのはずでしたが、うまくナノが認識してくれなかったのかもしれません」

「それじゃあ、長時間もたねぇだろうが」

 致命的な問題になりかねない。

 クロッセはその日一日かけて配線のつながり具合をチェックすることになる。

 もっとも大変だったのは内部構造を理解し可動部分を動かすシステムを組み上げることだった。

 クロッセとマサは何度も設計図を見ながら議論をかわす。

 その後もテストを繰り返すたびに問題が噴出してくる。フラップを稼働させているうちにワイヤーが切れたり、強度が足りなかったためにネジが割れたり、ということが何度も繰り返された。

「最初のうちはいいんだがなぁ」

 割れたシャフトを見つめながらマサはぼやいた。

 思った成果が得られず苛立つ。

「摩耗による劣化が早すぎるんでしょうかね。材質を変えて作ってみます」

「頼むぞ。ほんの数回で壊れたんじゃ、意味がねぇ」

「そうですね」

「判ってんのか、飛行中に事故が起きるんだぞ。人の命がかかってんだ」

「わ、判りました」

 工の頭の剣幕にグラーは圧倒される。

 エンジンのパワーには余裕があったが、それでも重量は削りたい。しかし、ある程度強度がなければ部品が保たなかった。

 残されていたパーツから材質のチェックがされていく。原材料の配合具合を調整しながら何度も同じ部品が作られる。

 ベアリングやシャフトなどウォーカーキャリアのための部品が開発されていくことになる。


「クロッセ?」

 一人、倉庫で翼内部の配線のチェックをしていたクロッセは声をかけられ顔を上げる。

「あっああ、シェラか、なに?」

 声をかけられるまで気が付かなかった。

 夕方、職人達が帰った後も彼は作業を続けていた。

「食事を持ってきたわ。少し休んだ方がいいわよ」

 シェラは優しくそれでいて強引にクロッセを機体から引き離し椅子へと座らせる。

 テーブルの上はいつの間にか片づけられ料理が並べられていた。

「あ~、あまり食べたくないんだ」

「ダメよ」それは有無を言わせぬ口調だった。「ちゃんと食べないと作業には戻らせないわよ」

 腰を浮かせかけたクロッセはシェラの笑みに従うしかなかった。

 手渡された布巾で手を拭く。

「……判ったよ。ところでマサさんやエアリィは?」

 倉庫にいるのはクロッセとシェラだけだった。

「マサさんは家に戻るって」

 マサも一週間以上家に戻っていなかったため、ハーナが無理矢理引きずっていったらしい。

「エアリィは館の方で食事をとっているわ」

「そ、そうか」気が付かなかったな……。

 久しぶりの二人きりで少しどぎまぎしている。

 クロッセはイクークのすり身と野菜をはさんだサンドイッチを頬張る。

 あったかいキリルのお茶を準備しながらそんなクロッセをシェラは嬉しそうに見つめるのだった。

「それで順調なの?」

「う~ん、もう少しかかるかな」

 食事の手を止め俯き、答えた。

「何かあったの?」

「……マサさんやグラー、アデルが作ってくれたパーツは完璧になって来ている。それなのに……フラップやラダーを稼働させるための配線がうまくつながってくれないんだ」

 彼は悔しさをにじませる。

 配線ショートを繰り返していた。ナノマシンが翼の機構を認識していないのが問題ではないかと思われた。

「ナノ様に頼る前にあなたが断線しないようにするのはどうかしら? ナノマシンは確かに機体を維持するために必要だけれど、その前にあなたがしっかりしないと」

「シェラは厳しいな」

「そうかしら」

「でも君の言うとおりだ……マサさんたちは自分たちで切り開いてきたのに、僕は頼ってばかりだった……」

「マサさんもあなたもどこまでも果てることなく物事を追及していくのよね」

「当たり前だよ。完璧なんてありはしないのだから」

「そうよね。この前のようなこともあるものね」

「そう、失敗は許されないんだ。それなのに僕がうまくやれなくて」

「誰もやったことのないことをやろうとしていのよ。困難は付きまとうわ」

「それは判っている! ……判っているんだ」

 長いこと一人で実験を進めてきた。

 それが少女と出会ったことで変わってきた。

「僕は一人でやることに慣れ切っていた。僕が駄目ならそこで行き止まり、進むのも戻るのも僕自身の問題でしかなかった。僕だけなら機体が壊れた時点であきらめてしまっていただろう」

「そうなってもエアリィはあきらめなかったわ」

「そうだね。だからこそ僕はエアリィに応えなければならない」

 エンジンだけでなく体をはってマサさんをはじめ工の民をプロジェクトに参加させてくれた。

 その心意気に応えるためにも。

「このウォーカーキャリアを動かし、飛ばすことはもう僕だけのことじゃなくなっているのだから」

「あなたの夢はエアリィの夢でもあるのよね」

「そうだろうか?」

「違うの?」

「ウォーカーキャリアを動かすことでは一致しているかもしれない。でも、エアリィが見ている先は僕とは全く違うものだと思う。あの子は誰も見たことのない先を見ているのかもしれない」

「そうね。きっとそう」

「なぜそこまでこだわるのか、僕には判らないけれどね」

「そうかしら」

 シェラは小首を傾げる。

「理由なんていらないわ。それをやり遂げたかった。それはあなたも同じ。そうすることで得られるものがあるのですから。あなたとエアリィは出会うべくして出会ったわ。そしてお互いがお互いを刺激し合ってきた。人が目指すものは必ずしも一致しているものではないけれど、同じ時を過ごすことによって、さらなる道が開けてくる。同じものを見る必要はないのよ。あなた自身の道を進んでほしい」

「僕自身の道か……」

 堅苦しいヴィレッジを抜け出し、自分がやりたいような実験をしたいために下町へとやってきた。ただひたすら自分がやりたいように生きてきただけだったような気がする。

「道があるのかな」

「きっとあるわよ」

 その満面の笑みに励まされるような思いだった。

「エアリィのように頑張るしかないか。あの子はウォーカーキャリアを飛ばした後のことも考えているみたいだしね」

「何をしてくれるのかしら」

 楽しみだとカップにお茶をいれながらシェラは言う。

「エアリィは私たちを変えていくわ」

「変える?」

「そうじゃない? あなたは変わったわ」

「変わっただろうか?」

「例えば、さっきあなたはひとりでやって来ていたら、あきらめていたと言ったわ。でも、今はそうじゃないでしょう?」

「そうだね。それにズッとひとりでやってきたから、工の地区の職人さん達と一緒に作業をすることができて楽しいし刺激的だ」

「感謝しないとね」

「そうかもしれない。後悔したくない、か」

「あの子の口癖よね」

「うつったのかもしれないな」クロッセは苦笑する。「泣き言なんか言っていられないな。ありがとうシェラ」

「どういたしまして」

 シェラも嬉しそうだった。

 彼女はクロッセが話すことを微笑みながら聞いている。

 しばらくして、クロッセは何かを思いついたのか、食べていたものを一気に飲み込むと作業へ戻っていった。

 そんなクロッセの後ろ姿をシェラはテーブルを片づけながら嬉しそうに見つめ続けた。


 それは嵐の日だった。

「本当にやるの、マサさん?」

「このタイミングを逃すわけにはいかねぇ!」

 大声で話さないと風の音で声がかき消される。

 早朝からロンダサークを襲った砂嵐は強さを増していた。

 日が昇っているはずなのにあたりはうす暗い。

 空は灰色に濁り、砂漠からの砂がロンダサークにも吹き付ける。

 砂嵐の中心はロンダサークのはるか遠方で、管制塔は竜巻がロンダサークには到来しないという予報を出している。

 しかし、嵐の中心からそれているとはいえ風の強さはかなりのものだ。しかも嵐は始まったばかりで、風速はまだまだ上がっていくのである。

 足場の悪い砂場では少しでもバランスを崩すと体が持って行かれそうになる。

 それなのにマサは外壁の外へウォーカーキャリアとともに出ると言い張った。

「嵐の中でしか出来ねぇ試験なんだ」

 工の頭は嵐の到来を待ち望んでいたのである。

「砂がウォーカーキャリア内部に入るかどうか、密閉度のチェックならあたしがウォーカーキャリアを外に出して動かしてみればいいだけなのですから、マサさんまで無理する必要ありませんよ」

「それだけじゃねぇって何度も言っているだろうが! 密閉具合を見るのも大切だが、フラップやラダーのテストをするのはこのタイミングしかねぇんだよ」

「それだってあたしだけでできるでしょう?」

「いいや、おれが見て確認しなきゃいけねぇんだよ」

 嵐の中、砂漠を歩くのは危険だったが、マサは引かなかった。

 砂嵐に襲われた時、トレーダーでも滅多なことでは砂漠には出ない。

 キャラバンでさえ砂嵐に出会えば、歩みを止め嵐が過ぎ去るのをジッと待つのである。

 オアシスの民が砂塵渦巻く砂漠に出て方向を見失えば、それだけで死を意味するのである。

 少女は何度も思いとどまらせようとした。

「どうしてそこまで砂嵐にこだわるのですか?」

 クロッセも訊ねる。

「空気抵抗の話をおれはしたよな」

「はい」

「実際に空気の流れなんて見えやしねぇ、だから口で何度説明しようとも、理解できねぇんだ」

「それは判りますが、それがどうして砂嵐と関係あるのですか?」

「砂嵐の時、砂塵は叩きつけるように正面から飛んでくるよな? 砂の流れが飛んでいる時と同じ空気の流れ再現してくれるんだ」

「飛んでいるときですか?」

「そうだ。進行方向に向かっていく空気の流れが、砂を介して見ることができるんだよ」

「そうか、空気の流れというやつを砂の動きによって見ようというのですね」

 クロッセはようやく納得して手を叩く。

「そういうことだ。ウォーカーキャリアの前から砂をまくことによって、その砂の動きからどういうふうに空気が流れていくかを確認できるんだ。おれの予想が正しいか実証する必要があるんだ」

「判りました。僕も行きます」

 興奮しながらクロッセは言う。

「クロッセまでなにをいいだすのよ!」

「マサさんが機体近くからその様子を観察するのなら、僕が正面から砂をまく役をやります。ただ流れてくる砂だけじゃ判りづらいでしょう?」

「無茶よ!」

「それもそうだな。大量の砂が流れてくればその軌跡も見やすくなるか」

「ああ、でも砂だと背景と一緒だから他のものの方がいいかな……そうだマサさん、煙はどうでしょうね?」

「そりゃ面白そうだな」

「何か燃やすもの……火をつけるのが大変か?」

「たいまつ燃やしてもすぐに消えそうだな」

「その前に危険だって思ってよ!」

「発煙筒があればいいんだがな」

「非常時に使うあれですか? ヤバくないですか?」

「かまいやしねぇ」

「もう、マサさんもクロッセも勝手なことばかりいって! 少しは砂嵐が危険だと思ってください!」

「それでもやる必要があるんだよ、お嬢」

 マサの言葉にクロッセも頷く。

 二人の目は真剣そのものだった。危険だと思う以上に自分のやりたいことだけに考えが集中してしまっている。

 少女はため息をつくしかなかった。

「わかりました……」

「おおっ、判ってくれたか!」

「連れていくかわりに、あたしの言葉は絶対に守ってください」

 少女はマサとクロッセを睨みつける。

「おっ、おう」

 その迫力に二人は気圧される。

「ゴーグルと防塵マスクは必ず着用してください。それから密閉度のたかい服を着てください。そして体にはロープを巻きつけてもらいます」

「そんなの必要ねぇよ、赤ん坊じゃあるめぇし」

「突風に巻き込まれても助けに行けないからです!」

 砂漠での強風を体験したこのない者達は危険を軽視しがちだった。

「あたしはどちらも失いたくないの!」

 その勢いにマサもクロッセも従うしかなかった。


 砂漠を渡り、吹き付けてくる風はさらに強さを増してくる。

 外壁の扉を開きウォーカーキャリアはゆっくりと外へと歩き始める。

 本来、砂嵐の時に外壁の扉を開けることは非常時以外には許されていない。そんな危険を冒してでもマサは外でのテストにこだわった。

 ウォーカーキャリアにロープをくくりつけ、マサとクロッセを乗せた砂そりを引きながら砂漠を進む。

「砂嵐の中でも問題なく歩いているな」

 マスク越しにくぐもった声が聞こえてくる。

 面倒だとマサはブツブツ文句を言っていたが、なるほど嵐の中に出てみると少女が必要だといった意味が判る。

 砂漠から直接吹き付ける風は強く、そして断続的に続いていく。そりの縁をしっかりと握りしめていないと体が砂漠へと持って行かれそうだった。

 横殴りに吹き付けてくる砂粒が強く体や顔にたたきつける。

 ちょっとでも隙間があればどこからでも砂が入り込みそうな勢いだった。

 少女は風の向きを考えながら外壁からはあまり離れないように砂漠へとウォーカーキャリアを進めた。

 膝関節の屈伸、アームの動きも砂嵐の中でも問題なさそうだった。

「当然です」

 自信たっぷりにクロッセは頷く。

「問題はここからだな」

 持ってきた杖を砂漠に差し込みながら砂漠に立つ。

 ウォーカーキャリアは飛行体型になり、翼を展開させる。

 それを何度か繰り返すが、動きに今のところ異常は見られなかった。

 コックピットから少女が合図する。

 操作も問題ないということだった。

 ウォーカーキャリアの機首を風の向かってくる方向に正対させながら、機体をマサやクロッセの目線のあたりまで持ち上げる。

 風にとばされそうになりながらクロッセはなんとかウォーカーキャリアの前に立つと砂をすくい上げる。

 風に乗って砂が塊のようになってウォーカーキャリアに吹き付けてくる。

 少女はフラップやラダーを動かしてみる。

 その様子を食い入るようにマサは見つめ続けた。

 強く叩きつけるような風にバランスを崩し二人は何度も砂の上に転がる。命綱がなかったら砂漠の果てまで飛ばされていたかもしれない。

 彼らは真剣そのものではあったが、その動きは滑稽としかいいようがなかった。

 最後は発煙筒まで持ち出し本当に煙を機体に向けだしたのである。

 少女は呆れるしかなかった。


「大丈夫ですか?」

 少女はぐったりとして椅子にもたれかかり動かないクロッセとマサの顔を心配そうに覗き込む。

「砂嵐とは本当に凄いものだな……」

「ええ、死ぬかと思いました」

 クロッセの目は宙を漂っている。

「まだ本物の砂嵐ではありませんからいいようなものの、もう無茶はしないでくださいね」

「それは無理だな。あと何回かテストしたいし、もっと強い風があるんだったら、その時が狙い目だな」

「つきあいますよ~」

 クロッセは疲れた声だったが、手を上げた。

 懲りていない二人に少女は苦笑し呆れるしかなかった。

「それでどうでした?」

「何がだ?」

「結果ですよ、結果! 無茶してまで嵐の中を外に出たのですよ。なにか得るものはあったのですか?」

「当然だ」

 マサはニヤリと笑った。

「それならばいいのですが」

「おれの理論は実証された。もう少し翼の左右のバランスやフラップの動きを修正する必要があるが、それでウォーカーキャリアは飛べるはずだ」

「本当ですか!」

 少女は喜びと同時に胸をなでおろす。

「動作にも問題はなかったですね。あとは機体の中に砂が侵入していないかをチェックしてかな」

「各部の最終チェックがすんだら、今度こそ飛行テストだ」

 マサは宣言した。

 少女は二人に飛び付くように抱きつくのだった。



 5.



 その日は朝から強い日射しが、砂雲の向こう側からロンダサークに降りそそいでいた。

 風はなく砂漠には陽炎が揺らめく。

 廃棄地区にはられたテントに人が集まっている。

 この日の飛行テストのために少女らによって招かれた者達だった。

 ベラル・レイブラリーを始め、シュトライゼ、コードイックら下町のそうそうたる面子が顔をそろえていた。

 館からはマーサやフィリアが、そしてプロジェクトに参加した工の地区の面々の姿もある。彼らに加えハーナやシェラ、廃棄地区に集まり砂遊びに興じていた子供達もここに呼ばれていた。

 閉ざされていた廃棄地区の小さな扉がこの日のために開かれる。

 百数十年ぶりのことだった。

 工の民達はそれぞれの思いを胸に砂にうずもれた祖先の地を見つめることになる。

 マーサとフィリアは館から持参したお茶や菓子で来賓をもてなし、子供達は勝手知ったる砂地を駆け巡り遊んでいた。

 シェラはそんな子供達の面倒を見ている。

「ねぇねぇ、シェラねえちゃん。こんどはとぶの?」

「そうね、飛んでほしいわね」

「そしたら、また、エアリィねえちゃん、あそんでくれるかな」

「また楽しい遊びを教えてくれるかもよ」

「じゃあ、はやくやろうよ」

 子供達は砂地に立つウォーカーキャリアを指さすのだった。


 目を閉じるとエンジンの鼓動が耳に飛び込んでくる。

 軽くペダルを踏むとさらに力強くエンジンの音を響かせ、少女の気持ちも高ぶってくる。

「どうだ?」

 コックピットの両脇にはクロッセとマサが陣取り中の少女を見つめる。

「各部の異常はありません」

 クロッセはマサの問い掛けに整備は万全だと頷く。

「計器類もエンジンも正常」

 少女は二人を交互に見ながら答えた。

「よし!」

 マサは少女のヘルメットを軽く叩くと下へと降りた。

 クロッセもそれに続き下に降りると梯子を外しウォーカーキャリアから離れる。

 崩れた壁の向こう、はるか彼方に地平線が見える。

「さあ行こう。サウンドストーム」

 少女は風防を閉めながら呟く。そして飛行形態へのスイッチが押された。


「始まりましたね」

 ゆっくりと脚部が曲がり、翼が展開されていく。

 子供達が歓声を上げる。

「飛ぶだろうか?」

 ベラルは隣にいるシュトライゼに声をかける。

「どうでしょうね」

 シュトライゼはテントに戻らず崩れた外壁の前で様子をうかがう二人の方を見つめる。

「工の頭や先生は自信ありのようにも見えますが」

 すでに彼は少女を含め三人にインタビューを済ませているのだった。

 今のテントの様子をシュトライゼは記事にすべくつぶさに観察していた。

「それならば大丈夫だと思いたいね」

「ええ、歴史的な一日にしてもらいたいです」


「シェラねえちゃん、どうしたの?」

 うずくまり目を閉じ顔の前で両手をあてている。

「……こわいの……見ていられないの……」

「大丈夫ですよ、シェラ様」

 マーサがシェラの丸まった背に優しく手を置く。

「そうよ。あんな見てくれだけれど、うちの亭主が頑張ったんだもの今度は大丈夫。あんたも先生のこと信用してあげなよ」

 顔を上げて前を見るようにハーナも言う。

「あんなに頑張ったんです。聖霊だってきっと見ていてくれます」

 フィリアの両の手は汗ばむほどきつく握りしめられていた。

 シェラは恐る恐る顔を上げウォーカーキャリアを見つめる。


「ねぇ、シェラ」

 昨夜、倉庫でのことだった。少女は嬉しそうにシェラに話しかける。

「なにかしら?」

「この子の名前、決まったよ」

 ウォーカーキャリアに触れ、機首を見つめながらささやく。

 それは優しい響きだった。

 いつくしむような目だったとシェラは回想する。

「そう、この子もきっと喜ぶでしょうね」

 シェラは少女のかたわらに立ちウォーカーキャリアを見上げると、無骨な鋼の塊だったはずの機体は少女と同じく小さな子供のように見えたという。

「ふと、でてきたの」

 湯浴みをしていた時に、何気なく口ずさんでいたという。

「いままで決まらなかったのに不思議なものね」

「今日だから、なのかもしれない」

「そうかもしれないわね」

「サウンドストーム。今日からあなたはサウンド・ストームよ」

「サンドストーム」

「砂嵐じゃないわ」

 少女は笑った。

「ごめんなさい、音楽の方なのね」

「嵐のような力強さ、音楽のように人を魅了する旋律」

「エンジンの音が嵐にも似ている。でも、それだけじゃないのよね。ここで駆け抜けていった時間は嵐のようであったものね」

「そんなに騒々しかった?」

「ええ、あなたは様々な下町の人々を巻き込んでいくのですもの」

 それはまるで竜巻のようだったとシェラは笑った。

「それほどひどくないわよ」

 少女は顔を真っ赤にして言うのだったが、語尾が弱くなっていく。

「そうね。そして集った人たちは様々な旋律を奏でていくのよね」

「そういうことは考えなかったわ」

「私にはそう聞こえてきたわ。この子にピッタリの名ね」

「ありがとう、シェラ。そして、よろしくね、サウンドストーム」

 少女は晴れやかに微笑んだ。


「あの子を、エアリィを守ってね。サウンドストーム」

 聖霊への言葉を呟きながら、最後にシェラは祈るように囁いたという。

 エンジンが甲高い音を響かせ始める。

 機体の左右に砂塵が巻き上げられていく。

 背中に置かれたマーサの手にも力が入っているように感じられた。

「……お願い……」


 機体は一気に上昇し、外壁よりも上へと出た。

 ここまで上昇させるのは初めてだった。

 ロンダサークの反対側まで一望できる。

 管制塔も見えた。

 そのまま見入っていたいほどだった。

 少女は首を振ると計器類のチェックをしていく。

「エンジン出力安定、動きも問題なし」

 手が汗ばんでいることに気付く。

 少女は何度も深呼吸をする。

 主エンジンに点火するボタンの前に軽く指を置く。

 機体が軽く揺れる。体の痛みがぶり返してくるような錯覚に襲われる。

 恐怖に心が震えた。

 その時、眼下で待つクロッセやシェラ、マサ、ベラルの顔が浮かんだ。

「あたしは一人じゃなかった」

 工の地区の職人達が一生懸命になってくれた。

「あなたのために、あなたがもう一度空を飛ぶために、みんなが頑張ってくれた。そうだよね」

 彼らの笑顔や声が背中を押してくれる。

 勇気をくれた。

「さあ、行くわよ! サウンドストーム!」

 体がシートに押しつけられる。景色が一気に動き出した。

 未知への飛行が始まる。


 はるか地平へとウォーカーキャリアは轟音を上げて飛び立っていく。

 白い軌跡を残しながら。

 飛行に移るまでの時間は長いものに思えたが、飛び立ってみるとほんの一瞬の出来事だった。

 子供達の歓声が後ろから聞こえてくる。

「やったな」

 マサの言葉にクロッセは我に返る。

「やりましたね。ありがとうございます!」

 差し出された手をクロッセは両手で握り返す。強く互いの手を握り締め合う。

「浮かんだ時は凄いと思ったが、飛ぶってのはほんの一瞬であっけないものだな」

「紙飛行機とはスピードが違いますね」

 白い軌跡は天へと昇り、機体が太陽に反射して一瞬きらめく。

「戻ってくるか?」

「操縦にも問題はなさそうだな」


「ひゃっほぉぉぉぉぉぉっ♪」

 その光景に少女は目を奪われる。

 砂漠に浮かぶオアシスが見えた。

 ロンダサークが小さく見える。まるで手ですくえるようだった。

「これが、これが、飛ぶことなのね!」

 最初は危うい感覚だった操縦桿の動かし方も徐々につかめてきた。

 左右への旋回も上昇、下降も自在だった。

 その度にシートから体が押しつけられたり、右に左に振られるが、それも次第に心地よく感じられるようになる。


 ウォーカーキャリアの残した白い航跡が砂色の空にまるで絵を描いていくようでもあった。

「なんか、エアリィの喜びが伝わってくるようね」

 シェラはクロッセを抱きしめながら言う。

 集った人々がマサやクロッセの元に歩み寄り喜びを分かち合う。

「あっ、戻ってくる」

 音とともにウォーカーキャリアが近づいてくる。

 高度が低い。

 機体を斜めにしてコックピットから少女が手を振っている姿が見える。

 頭上を通過して行ったその一拍あとに強い風が巻き起こり砂塵を巻き上げていく。

 小さな竜巻が一瞬で通り過ぎて行ったようなものだった。

 その場にいた全員が咳きこみ、砂が目にはいる。感動の涙が痛みや苦しみの涙に変わる。

「こらぁあ、なんてことしやがる!」

 マサはどなり声を上げながら、その後ろ姿を追う。

 その顔は喜びで満ちあふれていた。


 デドライはゆっくりと管制塔の最上階への階段を上がっていく。

 昨日、少女が管制塔へとやって来た。

 日が昇ったら最上階へ上がって砂漠の方を見てほしい。

 絶対に。

 少女はそう言い残して帰って行った。

「何があるというのだろね」

 砂漠の民でありながら、オアシスの民と交わる少女に。

 彼は肩をすくめ自嘲気味に笑った。

「自分も同じではないか」

 年の半分以上をこの管制塔で過ごしている。

 砂漠に背を向けてくすぶっていた。

「な、なんだ、ありゃあ!」

 バスガルは目を疑う。

「どうした? 大声を上げて」

 彼の大声を聞きつけデドライは呆れたように最上層に顔を出す。

「あ、あれだよ。あのガキが」

「エアリィが?」

 バスガルの指ささす先を見て彼も動きを止める。

「あれは?」

「なんなんだよ。ありゃあ?」

「ウォーカーキャリアだよ」

「そんなわけねぇだろう!」

「あの子の、エアリィの言っていたウォーカーキャリアだよ」

「ウォーカーキャリアだ? そんなわきゃねぇだろう。あれは……あれは」

 飛行している機体を表現する言葉が見当たらなかった。

「本当に成し遂げたか……」

「デドライ。……お前さん、なんでそんなに嬉しそうなんだよ?」

「嬉しい?」

「そうだよ。どうして、あんなもの見て笑ってられんだよ!」

「……そうか、嬉しいのか……」

 自分が微笑んでいることすら気付かずにいた。

 管制塔のすぐ脇を、それは一瞬で通過していく。

 強化ガラスがビリビリと震える。

 少女の姿がしっかりと見えた。

 デドライを見つけ何かを伝えているかのようにも見える。

「壊れたと聞いていたが……、そうか……再びお前も力を得て砂漠を行くのか」

「なに一人で納得してんだよ!」

「お前さんにも判ればいいんだがね」

「つき合ってらんねぇな」

 バスガルは呆れ顔だった。

 窓際に立つとデドライは少女のウォーカーキャリアの姿を追う。

「ああ魂が……砂漠へと還っていく」


 外壁や管制塔よりもはるか高みから見た景色はまったく違っていた。

 隠れていたものも手に取るように見えてくる。

 多くの人々が住むロンダサークでさえ砂漠の中では小さな存在だ。

 砂漠とオアシスを隔てていたものがなくなりひとつになっていくようだった。

 砂雲のかなたに輝く太陽、天ははるか彼方だ。

 それでも少女は大地から解き放たれ自由を手にした。

「もっと高く、もっと遠くへ、もっともっと速く!」

 飛びたい、どこまでも。

 しかしその高揚感も長続きしない。

 突然のアラーム音。

 聞きなれない警告音だった。

 計器類をチェックすると、エネルギー計が赤く点滅し、残りがほとんどないことを警告していた。

「う、うそ……めったなことでなくならないはずなのに!」

 ソーラーシステムによって普段ため込まれていたエネルギーは夜間の間にフル稼働させても尽きることがないはずだった。

「どれだけエネルギーを食うのよ! とっ、とにかく降りなきゃ」

 そう思った瞬間少女は凍りついた。

「……どうやって降りるの?……」

 誰もが飛ぶことばかり考えて、そのあとのことを考えていなかった。

「どうすれば……」


「心なしかエンジンの音が低くなっていませんか?」

「ああ、確かに弱くなっているような気がするな……なんかあったか?」

「今度は何が!」

 状況がつかめずクロッセもマサも顔を見合わせ焦る。

 ウォーカーキャリアの高度が下がってくる。

 速度も明らかに落ちていた。

 咳きこんだようにエンジンが止まる。

 ガクッと落下する機体。

 砂地に叩きつけられようとした瞬間に上昇用のノズルが噴射される。

 砂のカーテンがまき上がり、その幕を超えてウォーカーキャリアは機体を滑らせて彼らの方へとやって来た。


 次第にエンジンの出力が落ちていった。

 青だったシグナルがイエローへと変わり、警告がパネルのいたるところで表示されていく。

「……なにか方法は……」

 高度を落としながら少女は必死に考える。

 エネルギー計の発する警告音がさらに大きくなったような気がする。

 失速しかけているのか機体がガクッと揺れる。

 守りたい。

 少女は左手で操縦桿を握りしめ、右手は忙しくバレルの上を動いていく。

 激突だけはどうしても避けたい。

 しかし、上昇する力が残っていないのかうまく機体が上がらない。

「そうだ!」

 少女は一瞬アクセルを戻し、上昇用のノズルへと力を回す。

 エネルギーのほとんどを使いつくしていた。

 最後の力でほんの一瞬だったが上昇用ノズルを噴射させたることができたのは幸運だったとしか言いようがない。

 そのおかげで機体は激しい衝撃を受けることなく着地することが出来た。

 それでも機体の腹が砂のコブに当たるたびに激しく揺れ、少女は何度かシートに叩きつけられる。

 シートベルトが体に食いこむ。

 歯を食いしばり少女はその衝撃に耐える。

「とまった?」

 少女は顔を上げゆっくりと操縦桿から手を離し、息を吐き出した。

 手の震えが止まらない。

「……飛んだ」コックピットから空を見上げる。「あたし、飛んだのよね、サウンドストーム……」

 体の奥底からわき上がってくる歓喜と興奮。

 押さえきれないほどだった。

 ロンダサークを見るとマサやシェラの姿が見える。

 コックピットを開けると少女は機体から飛びおり駈け出した。

「やった! 飛んだよ!」

 勢いを止めることなく少女は駆け寄る人々に抱きついていく。

「だ、大丈夫か?」

「うん。なんともないよ」

 少女はその場で跳びはねた。

「それよりも、飛んだよ、見たよね、飛んだよね、あたし!」

「見たわよ」

「し、心配させやがって!」

「無茶苦茶な降り方しゃがって、機体が壊れるかと思ったぜ」

「大丈夫、成功だよ!」

 エネルギーのこととか、着地のこととか言いたいことはいっぱいあったけれど、今は素直に成功を、飛んだ喜びを体いっぱいに現した。

「ありがとう、ありがとう、みんな、ありがとう」

 いつの間にか涙があふれ、声が震えていた。

「てやんでぇ、お嬢がいたからこそ、飛んだんだ」

 マサは少女を振りまわす。

 いつしか彼らの周りに人が集まっていた。

 手荒な祝福から解放されると少女はベラルとシェラにウィンクする。

「これがはじまり、もっと高く! はるかかなたへ飛ぶわ!」

 その拳は天を突き破るように振り上げられた。



 6.



「その拳は天高く突き上げられ、エアリィ・エルラド嬢は高らかに宣言した……か」

 ベラル・レイブラリーは持ち込まれた新聞に目を通しながら、その一文を読み上げる。

「師匠、もうやめてください……」

 少女は顔を真っ赤にしながらベラルに抗議する。

 ベラルが手にしているのは、あの日、ロンダサークに出回った新聞の早刷りと翌日に出た特集の記事だった。

 記念すべき初飛行は十数分という短いものだったが、その日の飛行の様子や人々の姿を活写しレポートしている。

「シュトライゼ君は文才があるね。さすが、あの場で見てきただけあって臨場感がある」

「そ、それは認めますが」

「だとしたらいいではないか? 晴れ渡った朝の空にゴーッという爆音が天に轟き渡る。人々が見上げた空には白い航跡とともに天に輝く機体を見る。そうそれはウォーカーキャリア、サウンドストームの姿であった。それを操るのはかのエアリィ・エルラド嬢である。彼女は……」

 わざとらしくベラルはもう一度新聞を朗読しはじめる。

 聞く者が聞き惚れるほどのものであった。

 少女は椅子から慌てて立ち上がるとそれを師から取り上げるのだった。

「なんど読めば気がすむのです、師よ?」

「読めば読むほどあの時の感動がよみがえってきてね。そして私ではこういう表現は出てこない。違った視点を楽しめているよ。君が成し遂げたことだからなおさらにね」

「それはわかりました。でも、あたしの前で読むことはやめてください」

「私は君の感想も聞きたいのだが?」

「なにもありません!」

 少女はそっぽを向く。

「そうか、それは残念だな。それで空は楽しかったかね?」

 ベラルに笑いかけられた少女は静かに頷いた。

「……あれをなんと表現すればいいのでしょう……あたしはその言葉をいま持ち合わせていません。ただ感動で震えました」

「私も見てみたいものだね。シートは増やさないのかね。もともとは二人乗れたと聞くが?」

「安定して飛べるようになったら、それも考えています」

「それは楽しみだ。先日の問題は何とかなりそうかね?」

「はい。エネルギーがすぐになくなったのは普段、エネルギーを蓄えることをおこたっていたからでした」

「どういうことかね?」

「倉庫の中で作業を進めたため、ソーラーシステムによるたくわえができていませんでした」

「そうか、ウォーカーキャリアというものは常に砂漠を行き来しているのだからね」

「空を飛ぶということはかなりのエネルギーを消費するものでした。そのために充分すぎるくらいためておかなければいけなかったのです」

「当たり前すぎて気付かないこともあるものだね。盲点だった」

「そうですね。着地にかんしては、ソリを改良したものを作ってもらっています。降りる方法もサウンドストームが作られたときはあったのでしょうが、それらしきものを見つけることはできませんでしたから」

「それで砂そりか、面白い発想だな」

「ありがとうございます。でも、ただのソリではなだらかな砂地にしか降りられませんし、少しでもキャップがあると危険なので、シルバーウィスパーのフロートの仕組みを使えないかなとマサさんと話をしています。あとは空中でも制動がかけられないかクロッセに検討してもらっています」

「それは頼もしい。サウンドストームに乗れる日を楽しみしているよ」

「クロッセやマサさんも同じことをいっていますよ」

「それでは彼らと私は一番を競わねばならないかな」

「それはちょっと怖いですね」

 少女は苦笑するしかなかった。

「商いの方はどうかね?」

「新しい商品も少しずつ売れています。好評なのですよ」

 お土産にと手渡した化粧水をドロテアも喜んでくれていた。

「君はどんどん先を行くのだね」

「そうでしょうか?」

「私の想像を超えているよ」

「師は、どのようなあたしを想像しているのでしょう?」

「決まっているさ。我が弟子よ」

「それは丁重にお断りしたはずです」

 工の頭にも親方にも商工会の顔役にもあとを継ぐことはできないと伝えてある。

 もっとも全員が諦めていないようではあったが……。

「ですが、教えを請うという意味では、あたしはあなたの弟子です。あとを継ぐことはできませんが、あたしはまだまだ師に教えてもらいたいことがたくさんあります。そして、みんなにも」

「お主も頑固よのぉ。だが私と君との約束だ。すべてを君に伝えよう」

「ありがとうございます」

 少女は深々と頭を下げる。

「変われば変わるものよ。いや、心は変わらぬか?」

「変わったとしたら、それは師やシェラのおかげです。それにあたしは後悔したくない。ロンダサークでの暮らしが望んだものではなかったとしても、いまのあたしがあるのなら力いっぱい生きたい。あたしがあたしであるかぎり」

「それでいいのだよ。それで。真っ直ぐに君の道を進めばいい」

 それが強い風をロンダサークにももたらす。

 工の地区や商工会に新たなる風を吹かせたように。

「そうですね。まだまだやりたいことがたくさんありますから」

 力強く少女は頷いた。

「楽しみにしているよ」

 そうそれはまだ始まったばかりであるのだから。

 ベラル・レイブラリーはいつくしむように少女を見つめ微笑むのだった。



 雲よ 風よ

 砂漠を渡る全てのものよ

 地平の彼方へ我を誘え

 ガリアよ その姿を我に示せ



 少女は息を整えるとグルリと周囲を見回す。

 外壁の物見の櫓まで少女は壁の内側の細く急な石段を上って来た。

 日陰を上ってきたとはいえ汗だくになり息が切れた。

 砂漠から吹き付ける風が火照った体に心地よい。

 命の森を中心に広がるロンダサークはどのオアシスよりも広大で多くの人々が住む。そして、その周囲に広がる砂の平原は遥か彼方まで続いている。

 それは見るものを圧倒する。

 だが、サウンドストームからの眺めはもっと凄かった。素晴らしかった。

「あたしは……飛んだ……飛んだんだ」

 短い時間ではあったが、誰も見たこのない光景だった。

 少女は拳を握りしめる。

「手、届くかな」

 少女は空に目を向ける。

「ううん、届かせたい」

 両手を広げると大きく息を吸う。

 熱く乾いた砂の香りとともに、故郷からの風が少女の髪を揺らしていく。

 それは懐かしさだけではなく新しい風となり、想いを乗せてロンダサークへと吹き付ける。

 少女は腰を下ろすとショルダーバックから月琴をとりだすのだった。

「星よ。あなたがその姿を見せないのなら、あたしがそこへ行くわ。この手できっとあなたを見つけてみせる」

 その想いをこめて月琴を奏で歌う。

 風に乗せ心を届けようと、熱く、強く。



 空よ 星よ

 まだ見ぬその先にある 全てのものよ

 我 たどり着かん

 いつかその日を夢見て

 天空へ飛び立たん



  〈第十三話 了〉

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