ガリアⅩⅩⅢ ~再生の時③
アベルは座り込んでいた。
目は虚ろだったが、眉間にはしわが寄り苦悶の表情を浮かべ、顔色は真っ青だった。
彼が工区の門の壁に出来た段差に座り頭を抱えうずくまり、身動きせず固まっている姿は彫像のようであった。夕暮れ時が近づき、日はだいぶ落ち壁の頂上の近くにあったが、通りにはまだ強い日の光がさしていて、石畳に照りつける日射しに汗すらも蒸発して行くかのようだった。
それでもアベルは微動だにしなかった。
「アベル?」そんなアベルを見つけハーナは慌てて声を掛ける。「どうしたんだいそんなところで?」
彼女の声にゆっくりとアベルは顔を上げた。
油の切れた機械のように動きは固くぎこちない。
「なっ、何があったんだい? どこか具合が悪いのかい?」
「……ああ、おかみさん……」
間の抜けた声だった。
「本当にどうしたんだい。しっかりおしよ!」
ハーナが額や首筋に触れてみると、彼の目は虚ろだったが熱もなく念のために脈も計ってみたが正常のようだった。
「おかみさん……おれ、明日には生きていないかも……」
「そりゃあこんなところに座り込んでいたら干からびちまうだろうよ」呆れるハーナだった。「な、何があったんだい?」
アベルの声は世界の終わりでもやって来たかのようにも聞こえた。
「おれ、どうしたらいいんでしょう……」
また両手で頭を抱こむ。
こんなに弱りきっているアベルを見るのはハーナも初めてだった。
「とにかく、こんなところにいたら干からびちゃうよ!」
「……干からびてしまった方がましなくらいですよ……」
「何をグチグチ言ってんだい! しっかりおし!」
元気づけようとハーナは両の頬を手の平で挟み叩いた。そして無理矢理立たせると工房へと引っ張っていくのだった。
「どうしたんだい。うちの人になんか言われたのかい?」
「頭?」
その言葉に大きく彼は反応した。
「あの人になんか言われたんだろう?」
そうでなければアベルのこの状態は考えられない。
「……確かに言われました。頭に……」
恐怖に震えるアベル。
「破門だとでも言われたのかい?」
「その方がましだったかもしれません。おかみさん」
目が血走っている。
「だったら何があったんだい」
「……品評会に出せって」
震えるアベルの肩を無理矢理押掴み揺さぶると、ようやく彼は小声で呟いた。
「あんたがかい? めでたいじゃないか」
それは工の民が自分達の作り上げた作品を持ち寄り、腕を競い合う場だった。その年の最優秀作品と優秀な工の民を選ぶ展示会でもある。
「めでたくないっすよ……」
砂漠への放逐を宣言されたようだとアベルは言う。
「前から出展したいって言ってたじゃないか、何が不満なんだい?」
「そりゃあ、品評会に自分の品を出品することはおれの夢でもありましたよ」
「だったら頑張んなさいよ」
「頑張ったって……。おれはもうどうしたらいいのか」
「だから何がだい?」
「……工房の名で出せって……」
「あんたがかい?」
「おみさんだってそう思うでしょう。おれなんか無理だって」
「誰もそんなこといってないだろう」
「言われなくたって判りますよ。おれなんかに出来るわけがないじゃないですか! 工房の名を背負ってだなんて……」
「あの人に認めてもらえたってことだろう?」
「そんなわけないじゃないですか。いつもおれなんか怒られてばかりですよ」
「それだけあんたに期待しているんだよ」
「頭に比べればおれなんか……おれなんか……」
「あの人はあの人じゃないか。アベルの品を作ればいいだろうに」
「無理ですよ。おれなんかが工房の名を背負えるわけがないじゃないですか」
「あんたはあの人の一番弟子だろう」
「ダメ弟子ですよ……」
「まったく情けないねぇ」ハーナはため息をつく。「だったらやめるかい?」
「それこそ頭に脳天かちわられて殺されちまいますよぉ」
「どっちにせよ生きちゃいないんだろう? だったら頑張るしかないじゃないか」
「無理ですよ」
自虐的な言葉は何度も繰り返され、ハーナがどんなに言って聞かせようとしても今は彼に心には届かないだろう。完全に自分の殻に閉じこもってしまっている。
どうしたものかと思案していると通りを歩いてくるイスタリカを見つけた。
また道端に座り込んでしまうアベルの肩を軽く小突くとハーナはイスタリカに声を掛ける。ハーナに呼ばれ、アベルの様子に気付いた彼女は、慌てて彼の元に駆け寄るのだった。
二人の様子を見たハーナはイスタリカの肩を叩き、アベルを彼女に任せると夕暮れが迫る通りを工房へと歩いていくのだった。
「まったく、うちの人は何を考えてんだか」
狭いリビングでマサは小さな模型を見ながら、紙の上に何かを書いては消しを繰り返していた。物音を立てても気付かないくらい集中している。
少女と出会って以来、夫は若かりし頃に戻ったかのように、物作りに情熱を傾けている。
それはあたえられた玩具に夢中になる子供のようであり、ハーナは呆れつつも、そんな夫が微笑ましくもあった。
「何かあったのかい?」
テーブルの上にイクークの煮付けを置きながらハーナは訊ねた。
顔を上げたマサは不思議そうな顔をして妻を見つめる。
「急にどうしたんだい?」
「だから何がだ?」
「アベルことだよ」
「アベルがどうした?」
「真っ青な顔してたよ。あんたに殺されるって震えてたわ」
「そうなのか? あいつに品評会の話をしただけだ。何だ、あれっくらいのことで、肝っ玉がちいせぇな」
「なに無理難題言ったんだい?」
「おれは出さない。おまえがおれの代わりに出せ、そう言っただけだ」
「本当にそれだけかい?」
「まあ、うちの工房はおまえが代表だ。おれに恥をかかすな、くらいは言ったな」
「あんたねぇ、弟子を脅してどうするんだよ」
「くだらねぇものを作られちゃうちの工房の名折れだ」
「だからだろう。あんなに落ち込んでさぁ」
「いずれはあいつも工房を背負って立つんだぞ。今からそれじゃあやってらんねぇぞ」
「それでも順番てものがあるだろうに。当代きっての名工の工房の名を背負うなんてのは荷が重すぎるんだよ。品評会にはアベル個人の名で出すように言っても良かったんじゃないかい?」
「それじゃあ、意味がねぇんだよ」
「どうしてさ」
「あいつにこの工房を継がせようと思っているからに決まってんだろう」
「いずれはそうするんだろうって思っていたけれど、あんた、もう引退する気かい?」
「誰がするかよ」
「する気がなくて工房を継がせるのかい? 今すぐじゃなかったら、なにも急にあんなことを言う必要はなかったんじゃないのかい?」
「急でもなんでもねぇよ」
「あんた、今度は何をするつもりなんだい?」
ハーナはマサを睨みつける。
「いろいろだよ」
視線をはずしながらマサはぶっきらぼうに答える。
「いろいろじゃ判んないだろう!」
ハーナはテーブルの向かい側に腰を下ろすと、ジッとマサを見つめる。その圧力に耐え切れずマサは渋々答えた。
「おれは……長老になろうと思う」
「はあ!」
今度はハーナが素っ頓狂な声を上げる。
「いや、だから!」
「聞こえたわよ。まったく今さらどうしたんだい? 気が違ったかと思ったよ。話が来てもなる気がないってどなり散らして長老を追い返したくせにさ」
「うるせぇな。やる気がなかったのは本当だろうが」
「頭に指名された時だって固辞しまくって、クレイダさんに言われて渋々引き受けたくらいだったのにね」
「昔のことはいいんだよ。今はやることができたんだ」
「やることねぇ。それで長老になって、なにをやろうってんだい?」
「そりゃあ、決まってんだろう。おれたちの先祖伝来の地を取り戻すんだよ」
マサは開き直ったように言う。
「土地ってまさか、本気かい? どうやって?」
工の民が本来住んでいた地区は大砂嵐によって壁が破壊され、修繕する手段を持たない長老会は住民の安全を考え放棄を決めた。誰もが諦め放置してきた問題を解決しようというのか? ハーナは夫の正気を疑った。
「壁を直すに決まってんだろう」
「決まってるって……本気で言っているのかい?」
「冗談でこんなこと言えるか!」
「出来るのかい?」
「できなきゃこんなこと言ってられっか」
「エアリィちゃんね。それにメサダさんところにも行っているっていうし」
「どこで聞いてきてんだよ」
「狭い下町だからね、あたしの耳にも入って来るさ」苦笑いするハーナ。「それで、それが関係してるのかい?」
「そうだよ」
「そのために長老になるって?」
「この地区をまとめなきゃなんねぇからな」
「あんたが動けば、それだけで工の民はついていくだろうにさ」
「工の民だけじゃねぇからなこの地区は」
「そりゃそうだろうけどさ」
「こっちだけでなんとかなるもんじゃねぇからな。ことはロンダサーク全体に及ぶ。だからこそこの地区のみんなの力が必要なんだ」
「あんたの口からそんな言葉が出てくるとはねぇ」
「ちゃかすな。おれだって今さら長老の座を求めることになるとは思わなかったよ。それでも五家や長老会を動かさねぇとな」
「それが筋なんだろうけど、あたしは長老会の方が心配だよ」
「殴り込みに行くんじゃねぇぞ」
「ならいいけどね。話し合いだなんてまだるっこしいことは嫌いなくせしてさ」
「いちいち面倒なんだよ。時間ばかり浪費しやがってよ」
「本当によく頭なんてのが務まるもんだね」
「大きなお世話だ」好きでやってんじゃないとマサは呟く。「それにはウォーカーキャリアが鍵なんだ。おれはサウンドストームのことに専念することにした。そう決めたんだ」
「だから工房をアベルに?」
「そのつもりだよ」
「今だってたいして仕事をしているわけじゃないだろうに。今まで通りでいいんじゃないのかい?」
「そういうわけにもいかねぇ。これはおれのけじめでもあるんだ。それにな、アベルもそろそろ一本立ちさせてもいい頃合いだ」
いい仕事ができるようになってきたとマサは言う。
「へぇ、あんたがそこまでアベルを褒めるなんてね」
「まあおれぐらいになるにはまだまだだがな。それでも十年あいつを鍛えてきたんだ」
「あんたは言いだすと人の話しなんて聞きやしないからね」
「こんなことでビビッてちゃあ、先に進めやしねぇぞ。看板を背負うのは簡単じゃねぇんだ」
「あんたもそうだったからね」
「まあ……そうだったかな」
「そうだったわよ。父さんのひと言に一喜一憂してさ」
「まあな」マサは自分の手を見る。「ようやく今になって師匠の言葉が少しは理解できるようになったよ」
「その空っぽの頭でようやくかい」
毎日のようにマサのことをぼやいていた父親の表情をハーナは久しぶりに思いだしていた。
「仕方ねぇだろう。バカだからな」
「そんなの知ってたよ。昔から」
ハーナは苦笑するしかなかった。
「お嬢のおかげでだいぶ活性化してきたといってもな、今の時代、そう多く仕事があるわけじゃねぇ」マサはハーナの言葉を無視しながら言う。「自分の腕だけで渡っていくにしても、看板てのも必要になってくるんだよ。それを活かすも殺すもアベル次第だ」
「確かに看板はあった方がいいだろうけれど」
当代きっての名工と謳われるマサ・ハルトの名は偉大すぎた。
「まあ、継ぎたくねぇってんならそれでもいいさ。そん時は破門にでも何でもしてやるよ」
「本気かい?」
「さあな」マサは鼻で笑う。「おれたちは物作りをやってんだ。使ってもらって何ぼのな。おれはアベルに技術的なことだけじゃなく、そういうことも体で教えてきたつもりだ。あいつは独り立ちできる力量はある。それはおれが太鼓判を押すぜ」
「それじゃあ、そうあの子にいっておやりよ。少しは安心するんじゃないかい?」
「おれが褒めても信じるかねぇ」
「あ~、それはどうだろうね」
気味悪がるか、恐怖にかられか、どちらにせよいい結果にはなりそうにもない。
「それによぉ、おれもそうだったが身内だけじゃなく、他の人に認めてもらってこそだと思うんだよな」
「そのために品評会に出させるのかい」
「そういうこった。アベルが自分の持てる力を発揮できれば問題ねぇはずだ」
「そうかもしれないけど、あの様子じゃねぇ……、プレッシャーに負けないでほしいもんだけど」
「見ているだけってのももどかしいがな。しかし、こればっかりはおれが手を出すわけにはいかねぇ。それじゃあ意味がねぇからな」
「なんだいなんだい。いっぱしの師匠面してさ。自分の娘の時はそんな顔しなかったくせに」
「なんか変な顔しているか?」
「子を見る親の心境ってやつなのかしらかね」
「十年だからな。それにおれの下で隠れてちゃあダメなんだよ。一人でやっていかなけりゃ、この先やっていけねぇからな」
「見守るだけなのかい?」
「今までもそうだったからな」
「判ったよ。あんたはこうだと決めるとてこでも動かないからね」
「おいおい、何をする気だ?」
「別にあたしが手を差し伸べるわけじゃないよ」
「じゃあ、何ででかけようとしてんだよ?」
「フルデンさんのところに行ってくるだけだよ」
イスタリカにこのことを話すのだ。彼女とアベルは幼馴染であり今でも付き合っていて将来的には結婚するだろうとハーナは思っていた。
「フルデン? なんであいつが関係してくるんだ?」
「あ~、あんたは知らないか。でもいいよ。あたしが勝手にやるだけだからさ」
「お前だって人のことは言えねぇだろうが」
「いいじゃないか。支えてくれる人がいれば頑張れるってもんさ。アベルだってそろそろ家庭を持ったっていいんだからね」
「家庭って、なんだそりゃあ?」
「前に話したことあっただろう? アベルが付き合っている娘がいるって」
「あ~、そういやそんなこと言われたような……それがフルデンのところか」
「アベルも弟子のままじゃ、結婚もできやしないからね。やる気を作ってやるのさ。あんただってそうだっただろう?」
ハーナは微笑む。
「お、おれは……」
「ひとりで悩んだり考え込んだりするよりはいいだろう?」
「まあ、やる気が出るんだったらいいが、そういうもんか?」
「そういうもんだよ」
ハーナはマサに笑いかける。彼女はエプロンをはずすと慌ただしく家を出ていく。マサが止める暇もなかった。
「まったくお節介なやつだ」
人のことは言えないがと、マサは苦笑する。
目の前に置かれた煮物をひと掴みすると口に放り込み、書きかけの図面に彼は目を落とすのだった。
2.
闇の中 迷い彷徨い
光なき砂漠 果てなく続く
標無き道 進む勇気
切り開く力 強き鋼の心
その先に風は吹く
夜明け前、ひんやりとした空気の中をオーリスは闇に紛れるように路地を足早に歩いていく。
人通りはまだ少ないが、人目を気にするように歩いていた。
商区へと抜けると、通りにはいくつか明かりがともり始めている。
「おはよう」
オーリスはいつも通り挨拶したつもりだったがフィリアの方はそうでもなかったらしく、小さく驚きの声を上げ、体を震わせる。オーリスだと気付くと胸を撫で下ろすように深々と息を吐き出すのだった。
「す、すいません」
慌ててフィリアはオーリスに挨拶を返す。
「何をそんなに驚いている?」
店の奥をみると珍しく少女の姿がなかった。
「ちょっと落ち着かなかったもので、はい」
確かにいつものフィリアとは様子が違っていたが、その意味が分からないままオーリスはさらに訊ねる。
「エアリィはどうした?」
いつもならオーリスが現れる頃には、開店準備を終わらせ待ちかまえているはずなのだが、それが今朝は少し様子がおかしい。
「お、お嬢さまは……」
フィリアは言いづらそうに身をよじらせる。
「うん? なにかあったのか?」
「その……」
フィリアの目が宙を泳ぐ。
「あいつは何をたくらんでいる」
「たくらんでいるだなんて……」
「じゃあなんなんだ」
「お嬢さまは……その……漁に行かれました」
「漁?」意味が判らなかった。「漁というと、あれか?」
「あれというと?」
「イ、イクーク!」何故かすぐにその言葉が出てこなかった。「イクーク漁だ! 他にあるのか?」
「い、いえ、ありません。そうです。イクークです」
「しかし、またなんで?」
「わたしには……その、よく判りません」
「まあいい、終わったらすぐに来るのだろう?」
漁なら早朝には終わるはずだ。
唐突過ぎて呆れるオーリスだったが、なぜ、いまエアリィがイクーク漁なのか理解できなかった。
しかし、オーリスの問いにフィリアは首を横に振るのだった。
「すぐそこで漁をしているのだろう?」壁の外がイクークの漁場なのである。「市場に卸したとしても、よほどのことがなければ日の出には間に合うはずだろうが」
「そうですよね。普通なら……。お嬢さまは、その……、シルバーウィスパーで深夜に漁に行かれたのです」
絞り出すようにフィリアはオーリスに説明した。
「はあ?」
何とも間の抜けた声が口から洩れ、理解が追い付かなくなってくるオーリスだった。
「ですから」
「いや、ちょっと待て、シルバーウィスパーとは、あのシルバーウィスパーか?」
「他にあるのか判りませんが、コードイック・ドルデン様の砂上船です」
「なんでシルバーウィスパーなんだ! あいつは何を考えている」
「わたしに訊かれましても……」
身をすくめフィリアは応える。
「今日は、というか今週は戻らない気か?」
昨日は何も言っていなかったではないか。嫌な予感がする。
「いえ、お昼には戻られるとおっしゃられていました」
「どうやって?」訊ねて、オーリスは気が付いた。「まさか、ウォーカーキャリアを持っていったのか?」
「そのようです。遅くまで館にマサ様やクロッセ先生が詰められていましたから」
「無茶苦茶だな」オーリスは呆れる。「出来るのか?」
「そんなに難しいことなのですか?」
「そうだな、お前さんは目隠しされたままの状態で目的の場所へいけるか? そういうものだ。砂漠の上では目印になるようなものは何もない。昼間なら太陽がその手掛かりになるだろうが、それでも時刻を読み違えればそれだけで方角を見誤り、砂漠で迷うことになる」
「迷う?」
「下町で道に迷うのとは違う。目印もなければ、道を教えてくれるものもいない。永久に砂漠をさまよい朽ち果てるだけだ」
「お、お嬢さまは大丈夫ですよね?」
「あいつのトレーダーとしての資質が本物か試されることになるな」
「それでしたら安心ですよね」
「おれが、知るか」オーリスは鼻を鳴らす。「しかし無茶苦茶だな。何を考えてやがるんだ。まあいい、あいつがいないのなら、おれは帰るかな」
そう言って来た道を戻ろうとしたオーリスの腕ががっちり掴まれ引っ張られる。
「お、おい……」
離せと振り払おうとして、オーリスはフィリアの今にも泣き出しそうな顔を見て、眉間にしわを寄せ口をつぐむ。
「わ、わたし、ひとりは初めてなんです……」
「そ、そうか……」
「心細いんです。だから、お願いします。いかないでください」
「だが、これからもこういうことがあるかもしれないんだぞ」
「それでも、ひとりだと凄く不安なんです」
さらに強く手を握りしめてくる。
「わ、判った。判ったから、手を離せ」
「で、でも……」
「いてやるから」
「本当ですか?」
すがるように彼女はオーリスを見つめる。
「ああ」諦めオーリスは頷く。「ただし本当にいてやるだけだぞ」
「それでもかまいません」
ようやくフィリアは手を離す。本当に不安だったのだろう。こわばっていた表情が少し和らぐ。
「ありがとうございます」
勢いよくフィリアが頭を下げると、その勢いで棚にお尻がぶつかってしまい、商品が店の中に落ちて少なからず散乱してしまう。
瓶が割れることはなかったが、慌てふためくフィリアは瓶をけってしまったりしてさらに状況を悪化させていく。
オーリスは頭をかき、深くため息をする。
「ちょっと、立て」
膝をつき慌てて便をかき集めようとしているフィリアの腕をとると、問答無用でその場に立たせ、オーリスは彼女の頭に軽く手をのせた。
「いいか、おまえさんはエアリィに託されたんだろう? あいつは信頼していないやつには頼まないし任せることはない。それを理解しろ。この店を一時でも任されたということをな」
「は、はい」
「だが、気負うな。深呼吸しろ。肩の力を抜け。普段通りやればできる。いいな」
オーリスに促され、何度も深呼吸をするフィリアだった。
その目を見てオーリスは軽く彼女の頭を叩く。
「よし、いけるな?」
頷くフィリアの動きはまだぎこちなかったが、それでも慌てず片づけられるようなっていた。
フィリアが片付けと開店準備が終わらせると、オーリスは一度、身の周りを確認させる。それから店先の明かりを灯させるのだった。
後ろで見ているだけのつもりだったが、そうはいかなかった。フィリアはお釣りの計算を間違えたり、商品を勘違いしたりと、見ているだけの方が精神的にきつくなってくるくらい本当に危なっかしい。
十年。十年だ。オーリスはぼやき呟きながら、商区を離れそれだけ時間が経っているはずなのに、自然と体が動き声も出る。そんな自分の姿にオーリスは苦笑するしかなかった。
「なかなか様になっていますね」
シュトライゼは目を細めオーリスに語りかける。
「うるせぇよ。こっちは必死なんだ」
「す、す、すいません」フィリアは身を縮める。「本当にオーリス様に任せきりになってしまいまして……」
オーリスにあれこれ指摘されフィリアはさらに慌てふためいてしまう始末であった。彼がいなければ、もっと大きな失敗をしていたかと思うと冷や汗がにじみ出てくる。
「ああ、フィリアさん気にしないでください。こいつはね長いこと人生をさぼりまくっていましたから、もっとこき使ってもらってもいいくらいですよ」
「お前、おれをなんだと思ってるんだ!」
「オーリス・ハウントですよ。あなた以外の何者でもない。多少老けましたけれどね」
「それはお前だって、同じだろうが!」
「出会ってどれだけの時間が経っていると思っているのですか。それでもね、店先に立つあなたは違和感がありませんでしたよ」
「おれに女性の化粧品の話しなんてまともにできているわけがないだろうが、初めてなんだぞ、こんなのあつかうのは」
「お店に来ていた奥方たちには普通に説明していた様子でしたが?」
「本当です」フィリアは頷く。「驚きました。わたしよりもくわしくお話ししていらっしゃりました」
「詳しいわけがないだろうが、エアリィが説明していたことをそのまま、客に話したまでだ」
「それだけで覚えたのですか?」
フィリアは目を丸くする。
「フィリアさん、オーリスは地獄耳だし記憶力がいいのですよ」
「地獄耳ってのはなんだ!」
「言葉のままですよ。人の話には耳を傾け、どんなことでも商売に結び付けようとしていたのですからね」
「ここにいれば嫌でも耳に入って来る」オーリスはシュトライゼを睨みつけるとフィリアに言った。「あいつの声は通るからな。それで覚えてしまっただけだ」
「普通、それだけで覚えられませんよ。相変わらずの観察力ですね」
「エアリィの言っていたことをそのまま伝えているだけだ。効能なんかおれに判るわけがない」
「オーリスらしくありませんね」
「だから言っているだろう。おれの分野じゃねぇ。こんなの扱うことになるなんて、思うわけがないだろうが」
「では今からでも遅くありません。使ってみては?」
「女性用だぞ」
「そうはいっても、なかなか良い品ですよ」
「使ったことあるのか?」
「ハンドクリームを使っていますよ」平然とシュトライゼは言う。「手荒れが治りました」
「……本当かよ」
まじまじと差し出されたシュトライゼの手をみる。
「ハンドクリームはうちの人気商品ですから」
フィリアは嬉しそうに言う。
「だったら、もう少しちゃんと効能を説明できるようにしろ」
「す、すいません」
商品の説明とかは少女にまかせっきりになっていたので、フィリアは慣れていなかったのも事実であった。
「まあまあ。エアリィ嬢は女性用として売り出しましたが、男性が使ってもおかしくないものもあるのですよ。この辺はまだまだユーザーを増やせる要素になるのではないでしょうかね?」
「それをなぜおれに言う?」
「ここにいるのがあなただからですよ」
「そうだな……」言いかけてオーリスは口をつぐむ。「……深みにはまりそうだ。やめておこう」
「もうすでに手伝っているのですから、このあともやってみるのもいいのではないですか」
「それがお前らの目的か?」
「いえいえ」にこやかにシュトライゼは否定する。「そんなことあるわけがないではありませんか」
「お前がここにいる時点で、胡散臭いんだよ」
「わたくしはあなたをお誘いに来ただけですよ」
「はあ?」
さらに疑いの眼差しでオーリスは彼を見つめる。
「もうすぐ閉店ですよね?」
「は、はい。お店はもうしめる予定でした」
日の高さを見てフィリアは頷く。
「では、後片付けもあることでしょうから、あと三十分くらいしてまた来ます。逃げないでくださいよ」
「後片付けって、なんで……」
そこまで言ってオーリスはフィリアの表情に気づいてため息をついた。
「まあ、いてやるって言ったからな」
「では、のちほど」
遠ざかるシュトライゼの背中はまるで鼻歌でも歌っているように見えた。
3.
少女は甲板の上でローゼと最後の打ち合わせをおこなっていた。
初めてのことなので準備に少し手間取ってしまい予定していた出発時刻より遅れそうだった。
シルバーウィスパーはゆっくりとその動きを止めていく。操船を副長に任せると、親方は甲板に出て少女に歩み寄る。
「エアリィ、ロンダサークはどっちだ?」
唐突な親方の問い掛けにも少女は動じることなく、砂雲の向こうに見える太陽の位置と時計を交互に見る。それからゆっくりと地平の一点を指さすのだった。
「距離は直線で約百キロというところかしら。どう親方?」
「うん。大丈夫だな」
距離はともかく少しでも方向がずれていたら、中止させるつもりだった。
「まったく何をそんなに神経質になっているのですかね」
「なってねぇよ」
親方はローゼを睨む。
「いえいえ、普段とは別人のように落ち着きがないですよ。まったく副長が初めてこの船に乗り込んだ時でさえここまではなりませんでしたね」
「そんなに違うかよ?」
その問い掛けにローゼだけでなく少女も頷く。
「そ、そりゃあ、あいつの時とは違う。おれがついてんだ。何かあったらすぐに修正できるんだからな。あれとは状況が全く違うんだよ」
「ありがとう、親方」少女は微笑む。「でも、あの子だったら一時間もかからないでロンダサークよ」
「どっちが子供なのか判りませんね」
「うるせぇよ。しかし、ずいぶんはええな。昼飯に間に合っちまいそうだぜ」
「そうでなければ意味がありませんしね」
眼鏡の位置を直しながらローゼは言う。
「今回の物は鮮度が売りですからね。親方のおろしたイクークは最高だし、できたての練りものやソーセージはおいしいのでから、これを売り物にしない手はないと思うの。そうでしょう?」
「確かにそうだがなぁ」
「他の人にも味わってもらいたいとは思いませんか?」
「商いとしてはやるべきでしょう」少女の言葉にローゼは同意する。「出来るのであればね。とはいえ、それを思いつかなかったのも事実ですが」
「仕方ねぇだろう。新鮮なうちに運ぶ手段なんてありはしなかったんだからな」
「いえ、なかったわけではありません」
「おいおい、ローゼよぉ、なに言いだすんだ」
「モービルを数台用意して乗り継ぐか、小さな砂上船でもいいんですよ」
「誰がやるんだよ」
「ウォーカーキャリアで運ぶよりも時間がかかりますし、それに何よりも、自殺行為です」
平然と親方の問いに答えるローゼだった。二人のやり取りはいつ見ても面白いと少女は思う。
「お前なぁ……」
「確実性に欠けます。エアリィのように方向感覚が優れていなければ無理ですからね」
「判ってんじゃねぇか」
「だから、これは私の胸にとどめていたんです。ですが、それが可能というのであれば、それがどれだけの利益を生むのか見てみたいもの事実です」
ローゼはそう言ってサウンドストームを見つめる。
シルバーウィスパーが完全に停止すると、甲板に置かれていたサウンドストームが小型クレーンにつるされ、砂漠に降ろされていく。
舷側にある荷物の搬出口が開き、一メートル四方の箱が運び出されてくる。その銀色のケースには保冷剤とともにイクークや練り物が入っているのである。
少女は荷物をカーゴスペースに丁寧に入れ、きちんとカギがかかっているかチェックする。
「では、行ってきますね」
砂漠に下りてきた親方とローゼにそう告げた。
「おう」答えつつ親方は少女の肩からぶら下げたカバンに目がいく。「ところでその荷物はなんだ?」
「これですか? 漁師さんたちに頼まれたご家族への手紙とかです」
「そんなもんまで頼んでやがるのか!」
「たいした荷物にはなりませんし、今回はサービスです」
「厚かましい奴らだな。そんなこといってると付け上がるから金とっていいぞ」
「そうですね。それもいい商売になるでしょうね」
脇からローゼが突っ込みを入れる。
「お前は金から離れろ、ローゼ」
「親方はありませんか? なんでも運びますよ」
「おれはねぇよ。便りがねえのが無事な証拠っていうじゃねぇか」
「嵐や砂に呑み込まれていたら、そんなこと出来やしませんよ」
「ローゼ。お前ってやつはなぁ……」
「無理してないで頼むものがあれば、エアリィに頼んだ方がいいですよ」
「絶対に船は無事にロンダサークに戻してやるよ!」
「まったく頑固なんだから」
「お前こそ、その毒のある言い方をなんとかしろ」
「無理ですね。慣れてください」
「相変わらず仲がいいですね」少女は微笑む。「それでは新鮮便の初フライト、行ってまいります」
「おうよ。見失うなよ」
「肝に銘じます」
力強く少女は答える。
少女はロンダサークへと戻るだけではなく、さらにもう一度、シルバーウィスパーとロンダサークを往復する計画を立てていた。戻るだけでなく何度も行き来を可能にすることでサウンドストームの可能性を探るテストを少女は考え始めていたのである。
「あとの行程は予定通りお願いします」
「任せな。エアリィこそ、方角と距離を間違えるんじゃねぇぞ」
親方と少女は拳を軽く合わせると頷き合う。
「まったくなんてぇ砂ぼこりだ」
「本当ですね。ゴーグルやマスクをしていても中に侵入してきそうな勢いです」
轟音とともにサウンドストームは上昇すると、巻き上げられた砂はまるで竜巻のように襲い掛かってきた。
サウンドストームはシルバーウィスパーの上を一度旋回すると、ロンダサークに向けて飛び立っていく。
その航跡を親方はいつまでも見つめていた。
「親方。あの子なら大丈夫ですよ。飛び立った方角も間違っていないのでしょう?」
「ああ、ドンピシャだ」
「だったら、そろそろ我々も航海を始めないとスケジュールにズレがしょうじますよ。エアリィと約束したのでしょう」
「判ってるって!」
「待ったなしで飛行は始まっているのです。心配しても始まらないではありませんか」
「よくもまあ、お前はそこまで冷静でいられるな」
「性分なもので」
「まあ、おれみたいなのばっかりじゃこの船は立ち行かないからな」
「そういうことです。手綱をきちんと押さえていないと暴走してしまいますからね」
「よけいなお世話だ」
親方は戻りながらも少女が飛び立った方角を何度も振り返る。
「まったくとんでもねぇ時代になったもんだ」
「何を言っているんですか、楽しい時代になったではありませんか。新しいことに立ち会える。これは栄誉なことです」
「そりゃあそうだがな。あまりにも急すぎてな」
「コードイック・ドルデンが老けこむ年でもありますまい」
「誰にいってやがる!」
「それならば、エアリィの成功を祈りましょう。風の聖霊にね」
「やれやれ」
親方は肩をすくめたが、それでも親方はローゼとともに風の聖霊に祈ることは忘れなかった。
舷側を閉じるとシルバーウィスパーは滑るようにゆっくりと動き始める。
空はどこまでも砂に覆われている。
機体を上下に反転させても、見える景色は変わらない。それが少女の生きてきた世界の色である。
計器板の示す方位と、少女の方向感覚にズレはなくサウンドストームの前には障害となるものはない。一直線にあとはロンダサークを目指すだけだった。
足元のペダルを踏み込むとエンジンが咆哮を上げると体に心地よい圧力を感じる。
少女は大気の震える音を聞きながら空を駆け抜けていく。
舞うは 光の軌跡
歌う心に 灯が宿り
行くは砂漠か 地平の果てか
辿り着く先に 風はある
輝きは われらの古里 われらの故郷
果てなき闇の彼方
道なき道、標無き空を行く。
少女はベラルに教えられた歌を口ずさみながら操縦桿を握りしめ、不安を紛らわせるように歌い続ける。
四節目を歌い終えた時、それは見えた。
「ロンダサーク」
砂漠に咲いた小さな花のようで、小さなリングの中に様々な色が混ざり合っている。
オアシスとはそういうところなのだろう。少女は目を細め、まだ小さく見えるオアシスを見つめる。
サウンドストームはさらに加速し、ロンダサークを目指した。
4.
オーリスはエアリィの店を出るとフィリアと別れシュトライゼとともに歩きだす。
「良い砂の流れですね」
腕組みしシュトライゼは空を見上げ、しみじみと言う。
「それで、どこへ行くんだ?」
オーリスはそれを無視し訊ねた。
「つまらない人ですね」
「今のおれにそんなものを期待するな」
「少しは日常会話も楽しみましょうよ。ゆとりがないのは嫌われますよ」
「お前に好かれてもな」
「それもそうですね」シュトライゼは苦笑する。「港湾の市場ですよ」
「そこにあいつが来るのか」
「あいつとは?」
「判りきったことを言わせるな」
「そうですか。あなたも少しは先を見てくれるようになりましたね」
「お前さんが何かおれに仕掛けてくるときはエアリィも一緒だというだけだ」
「そういうことにしておきますか」
「それで市場で何をしようというんだ?」
「判りませんか? フィリアさんに事情は聞いているのでしょう」
「推測できたのはシルバーウィスパーから荷物を運んでくるということだけだ」
「大店やイクークの卸をしている者にはすべて声を掛けてあります」
「ずいぶん大事だな」
「歴史的な出来事になりますからね」
「ただ漁にいっただけなら、そこまで話はでかくならんか。大型のイクークをそのまま運んでくる気か」
「それだけではありません。出来たての練り物を運んでくるそうですよ」
「それは……考えもしなかったな」オーリスは唸る。「よくもまあ、そんなことを思いついたものだ」
「エアリィ嬢は我々に新鮮な驚きをくれる」
「まあ、人が考えもしなかった行動をとることは確かだな」
「あなたも昔はそうでしたよね」
「おれのは人が嫌う隙間を狙ったようなものだ。あいつくらい大胆なことはやっていない」
「それでも十分、わたくしたちには驚きでしたよ。それで利益を上げるのですから」
「結果的に見れば成功しただけだ。その逆もありえた。運が良かっただけだよ」
「運も実力のうちというではありませんか。エアリィ嬢にも同じことが言える」
「あいつは違う。あいつは慣習や概念にとらわれていない」
「それに無垢でもある」
「頑固者ではあるがな」
「そうですね。とびっきりの頑固者だ。うらやましいくらい真っ直ぐですしね」
「真っ直ぐか」少し遠くを見つめるような目だった。「これも持てる者と、持たざる者の差なんだろうな」
「エアリィさんはオアシスの住人ではなかったというのなら判りますが、持てるものとは、どういうことです?」
「あいつはウォーカーキャリアを持っている。それはオアシスの者にはない強みだ」
「はじめからウォーカーキャリアを持っていたわけではありませんよ。あれはクロッセ先生が持っていたスクラップ同然のものでしたから」
「それでも今はそれを使いこなそうとしている。それにあいつは特異な立場をいろんなところで活かしている」
「ずいぶん持ち上げますね」
「称賛に値することだからな」素直にオーリスは頷く。「誰にでもできることじゃない」
「そうですね。我々はこのオアシスという空間で停滞した時間の中に生きてきましたから、彼女のような存在は貴重だ。巡り合わせには感謝したいくらいですよ」
「巡り合わせか」彼は口元を歪ませる。「あいつはオアシスに投げ込まれた火薬のようなものだ。扱いをとり誤れば軽傷じゃすまなくなる」旧区の連中のようにな。
「小さな英雄さんは、今では下町で知らぬ人がいないくらいになっている」これは異例な事態である。「本来なら交わることなどありえなかった。そんなんだから育ってきた環境の違いをあいつは何度も口にしているくらいだ」
「そうですね。見て見ないふりをして根幹に関わる部分に触れずに来たことをエアリィ嬢は正面から見据え変えようとしてきた」
「部外者なはずなのにな、工の民のことや五十一区のことは本来おれ達が解決しなければならない問題だったのに、たいしたものだよ。才能というやつもあるかもしれんが、経験することであいつはさらに大胆に事を進めようとしているようにも見える」
「オアシスの民も砂漠の民も関係ない、本来、我々はひとつなのかもしれない。ここでエアリィ嬢が得たことが触れあうことのなかった二つの関係を改めて考えさせられることになろうとは思いもしませんでした」
「今さらなことなんだがな。その当たり前のことに人は気付かなさすぎる」
「経験は人を豊かにする。人のかけがいのない財産となる」
「そういうことにしておこうか」
「ですが、それを活かすも殺すも本人次第ですよ」
シュトライゼはオーリスを一瞥し笑うのだった。
「何だ、その含みのある言い方は」
「あなたも持てるもののはずだ」
「どこがだ。もう枯れ果てて何も残っていないと言っているだろうが」
「今日のオーリスを見ていると、そうは思えませんね」
「ただ手伝っただけだぞ」
「そうは見えませんでしたよ。それに活き活きと動いていましたしね」
「もう年だ。イメージしていたものとはかけ離れたものだった。こんなに体が動かないのかと幻滅した。体は本当に正直だ」
「それは関係ありませんよ。あなたが勝手にそう思い込んでいるだけだ」
「年齢とともに気力も体力も衰えていくといったのはお前の方だろうが」
「確かにわたくし自身はそう思えるときもありますがね、それでも周りを見ているとそれは間違いだったのかもしれないと感じるのですよ。体力的な衰えと、気力や活力は別物であるとね」
「そういうものか?」
「見た目だけで年齢は判りません。そうでしょう?」
「そうだな」
「ええ、マサさんは今度、長老になられるそうですよ」
「はあ?」
オーリスは驚きの声を上げる。
「驚きますよね。わたくしもその話を聞いて耳を疑いましたから」
「それは驚くだろう! あの老人が今頃どうして? あれほど商工会が頭を下げても動こうとしなかった石頭野郎だぞ」
当時、オーリスとシュトライゼは商工会の役職になるように何度も何度も依頼したが断られ続けた経緯があった。
「やりたいことが出来たようですよ。あの人は今、若者以上に活力があるように見えます」
「信じられないな」
「あの方は変わられましたよ。あなたは知らないでしょうが工区の雰囲気は変わりつつあります。頭だけでなく活力に満ちあふれつつある」
「そのようだな」
「見て来たのですか?」
「いや」オーリスは首を横に振る。「おれがそこまですることはない。ただ工の頭の話やエアリィの動向を見聞きすると、なんとなく理解できただけだ」
「きっかけはエアリィさんかもしれませんが、それだけではないでしょう。それはオーリスも判っているでしょう」
「あそこは工の頭をはじめ技術力は元々あったからな。それを活かすところが今までなかっただけだ」
「今度の品評会が楽しみでありますよ」
「どうだろうな。工の頭以上の品が見れるとは思えんが」
「そのマサさんは今回出品しないとのことです」
「相変わらずの傍若無人ぶりだな」
「そうでしょうか、あの人なりの考えがあるのかもしれませんよ」
「まあ老人が上に居座るだけではなにも育ちはしないからな」
「それでも彼らの知識は必要なものですよ」
「それを否定する気はないがな。それでも何か新しいことを始めるのは、若い世代でもあるんだよ」
「それがエアリィ嬢でもあるんですよね」
「まだまだ危なかったしいがな」
「そういうことです。だからあなたも頑張りましょう」
「そこでなぜおれになる!」
「あなたも自分の本質に気付くべきだということですよ」
「おれはこれ以上何にもかかわる気はない。誰が何をしようが関係ない」
「それでもあなたは律義に付き合ってくれる」
「誰のせいだと思っているんだ。なぜおれが港湾に行かなければならいんだ」
「あなたにも味わってほしいそうですよ」
ぼやくオーリスにシュトライゼは言う。
「おれは競りに参加する気はないぞ」
「誰もそんなことは言っていませんよ。エアリィ嬢には、出来立ての練り物をあなたにも味わってほしいから連れてきてほしいと言われただけですよ」
「それならそうといえ」
「何と勘違いしたんですか?」
「う、うるさい。訊くな。お前もわざとやっているだろう」
「わたくしはそのまま伝えただけですよ」
「まったく嫌な奴だ」
オーリスは呟きながらも歩みを止めると空を見上げ耳を澄ます。
「どうしました?」
「戻って来たようだな」
「見えるのですか?」
「壁の向こう側だぞ、見えるわけがないだろう。大気の振動を感じただけだ」
「そういえば昔からあなたは天候の予測に長けていましたよね」
「おれの中にはトレーダーの血が流れているらしいからな」
「それは初耳ですね」
「話したことがなかったからな。それにこれが本当の話しか確かめようがないものだが、おれの祖先の中にオアシスに居ついてしまったトレーダーがいたという話を爺さまから聞かせられたことがあったんだよ」
「そうだとすると、あなたとエアリィさんの気が合う理由も判るような気がしますね」
「どうだろうな」
「さて、それが本当なら急がないといけませんね」
シュトライゼはオーリスをせかすと港湾へと急ぐのだった。
「きたぞ!」
双眼鏡を覗き込んでいたマサは城壁の監視者からの合図を見て、クロッセや監督に伝える。
「よかった」
クロッセはホッと胸をなでおろし、シェラと頷き合う。
「ほぼ予定通りだな。さすがお嬢だぜ」
港湾の市場には多くの人が集まっている。
朝の競りが終われば広い空間も閑散としている頃合いであるが、そこには今イクークの仲買人だけでなく大店の店主らも姿を見せている。港湾すべての施設の監督であるバルドーが今回の特別な競のために声を掛けて集めた者達であった。
ほどなくして市場に居合わせた人々にも大気を震わすサウンドストームのエンジン音が聞こえてくる。城壁を超え、彼らの頭上にウォーカーキャリアが姿を現し、それを見たクロッセが用意していた赤い旗を振るとサウンドストームはそれに応えるように翼を上下に振る。
少女は左右のサイドミラーを展開させると降下地点の真上で機体を停止させ、普段シルバーウィスパーが接岸する岸壁に描かれた白い二重丸を少女は確認すると、ゆっくりとサウンドストームを降下させていく。
建物などの建築物がある場所にサウンドストームを下ろすのは初めてだった。
宙港の滑走路を借りて狭い場所を想定した着陸のテストは繰り返してきたが、それでも予想以上に神経を使う。何度もミラーを確認し、計器をみる。こまめにエンジンの出力を調整しながら操縦桿を少女は操作していった。
降下とともに砂ぼこりが舞い上がる。降下地点を重点的に清掃していたにもかかわらずだ。はじめは降下してくるサウンドストームを見上げていた人々も、吹きつけてくる強い風に物陰に隠れ出す。ゴーグルとマスクを用意していたクロッセやマサなど数人が着陸するまでの様子を見つめ続ける。
着陸用の脚が地面についた軽い衝撃が伝わってくる。
少女はゆっくりとエンジンの出力を落としていき、しばらくしてエンジンを止める。
息を吐き肩の力を抜くと、クロッセとマサが駆け寄ってくるのが見え、風防を開けて手を振る。
「大丈夫か?」
「なにか問題は?」
「大丈夫よ。予定どおりだったでしょう?」少女は二人にニッコリ笑いかける。「それよりも早く荷物をおろさなくちゃ」
コックピットから降り立つと少女はカーゴスペースから銀の箱を引っ張り出すのだった。
監督が持ってきた台車に乗せると彼は急ぎ競り場へと運んでいくので、ヘルメットをクロッセに預けると少女は慌ててそのあとを追うのである。
「おそいですよ。シュトライゼさん、師匠」
少女は二人の姿を見つけると、大きく手を振る。
「すいません。もう少し早く来る予定でしたが」
「また師匠がグズグズしていたのですか?」
「ええ、少しだけですが」
「おい」
「師匠が文句をいうのはいつものことですからね」
苦笑する少女にシュトライゼはフィリアや店の様子をかいつまんで伝えた。
「そうですか、師匠、ありがとうございました」
「ちょっと待て」
「なにかしましたか?」
「何か、じゃねぇ。その師匠っていうのは誰のことだ?」
「それはオーリスさんに決まっているじゃないですか」
ふと隣を見ればシュトライゼも彼を指さし笑っていた。
「おれは弟子をとった覚えはねぇぞ!」
「あたしも弟子になったつもりはありませんが」
「おい!」
こう言わなければベラルが不満そうな顔をすると少女は笑う。「それでも商いにかんしては、オーリスさんがあたしの師匠です」
「何も教えたつもりはねぇぞ」
「いまさらのような気がしますけれどねぇ」
「シュトライゼ、お前はいちいち突っ込むな」
「突っ込みどころが満載だからですよ」
「オーリスさんと話をすることで気付かされたことは多々あります」
「それになんだかんだ言いながら面倒見がいいですからね。今日も最後までフィリアさんの面倒をキチンと見ていてくれましたから」
「お前らわざと言っているだろう!」
「「そんことありませんよ」」
二人の声がはもる。
周囲を見回すと人々は彼らを見つめていた。オーリスは苦虫を噛みつぶしたような顔になる。
「それで競りは?」
市の様子を見ながらシュトライゼは訊ねる。
競りの舞台は整えられ、競りに出されるイクークやソーセージなどの品が集まった仲買人たちの前に貼り出され公表されていた。大店の店主も含め彼らはそれを食い入るように見つめているのだった。お互いの顔色をうかがい、耳打ちし合い商談を始めている者すらいる。
「これからです」少女は微笑む。「その前に親方特製の大イクークの刺身を五人の方に試食していただく予定です」
「それはわたくしも是非」
「公平にくじ引きに参加ですよ」
少女は番号の書かれた札をシュトライゼに渡す。
「オーリスのは?」
「おれは別にいい」
「師匠は特別ですよ」
「うらやましいかぎりだ」
「全員にいきわたるほどの量はありません。それをやってしまうと売り物がなくなってしまいますからね」
「お、おれはいいといっているだろう」
少女はオーリスの腕をとると無理矢理、彼を競り場の舞台裏へと引っぱっていくのだった。
そこには市場の監督や商工会議所のスタッフだけでなくマサやクロッセ、そしてベラル・レイブラリーの姿もあった。
オーリスが軽くのその場の人々に会釈するとマサが進みでてくる。ごつごつとした大きな手で肩を叩かれる。
「生きてんだな。本当に久しぶりだ」
「そりゃまあ」
「心配したんだぞ」
「心配? 工の頭がおれを?」
「おれが心配するのがおかしいか?」
「い、いや、おれが心配されるのがなんか意外というか、そんなことされるような柄じゃないと思っていたから……」
「そんな訳があるかよ。商工会じゃ知らねぇ仲じゃねぇし、あの時だって工の民はお前さんたちに世話になったんだからよ」
「は、はあ……」
「それに、今度はお嬢が世話になっているようだしな。お嬢をよろしく頼むぜ」
「世話をしているわけでもないし、頼まれませんよ」
即答だった。
「本当にひねくれているな、お嬢」
「そうでしょう」
嬉しそうに少女は笑う。
「お前、何を話した!」
「ありのままでしょう」シュトライゼが答える。「今のあなたはひねくれたただのオヤジですからね」
「シュトライゼ!」マサがどなり声をあげた。「そこでなぜおれを見ながら言いやがる!」
「いえいえ、別に意味はありませんよ」
「お前さんも、こんなやつにつきまとわられて苦労するよな」
「まあ、慣れたくはありませんが、腐れ縁ってやつなので……」
マサに肩を叩かれオーリスは同意するのだった。
そんなやり取りを競り台の裏手に集まっていた人々はみていた。ベラルも事情を知っているのか、微笑みながら何度も頷く。
その場をオーリスが見回すとシェラやクロッセを除けば見知った顔だらけであり、彼と目が合うと軽く会釈してくる者も多かった。
シェラが小分けにされたソーセージと大イクークの刺身が乗った小皿を配っていた。そのひとつがシュトライゼにも手渡される。
「おや? わたくしもよろしいのですか?」
「シェラがどうしてもというので、あたしは向こうでさんざん食べていますし」
「それでは遠慮なく」
これだけ大きなイクークの刺身を見たのはシュトライゼも初めてだった。
ロンダサーク周辺でとれるイクークは三十センチ前後の大きさが普通である。それをうまくさばいたとしてもこの大きさに切ることは不可能だ。
「では初フライトの成功と、これからの競りの成功を祝って」
「シュトライゼ、お前が仕切るな」
「やはりそうですね。ここはオーリスがやりますか?」
「なんでおれが? 関係ないだろうが」
「こんなにきれいで肉厚な刺身なんて見たことないな」
「親方が腕をふるってくれたものですから、美味しいですよ。そこいらの料理人とは違いますよ。鮮度が一番です。早く食べて味わってください」
少女に促され彼らはイクークの刺身を口にする。
工の頭が「なんだこれは!」と大声を上げる。
「う、うまい」
口の中で刺身がとろけるようだとその場の人々は口々に言う。
驚きと感嘆の声が上がる。その食感は今まで味わったことのないもので、口の中で芳醇な味わいが広がりイクークの身が溶けていく。
言葉にならず語彙が無くなったかのように同じ言葉を繰り返していた人もいたし、中には涙を流した者もいたというくらいであった。
「イクークの身がこんなにおいしかったなんて!」
「シルバーウィスパーの連中は毎日こんなのを味わってやがるのか?」
「大イクークは毎回とれるわけではありませんよ」
それでも獲れた時はそれこそお祭りだった。
「そ、それにしてもこんな食い物があったなんてなぁ。今までおれらが食ってきたイクークがまがい物に見えてくるぜ」
「親方曰く、刺身の調理の仕方にもよるという話ですけれど、なかなか親方のようなさばき方はできません」
親方から普通のイクークのさばき方も教えてもらったが、少女が実践してみても親方のような出来栄えにはならなかった。
「あいつにもこんな特技があったなんてな想像できないぜ」
マサは唸り声を上げる。
「親方が怒りますよ」
「頭の彫金だって同じでしょう。縫製職人に負けず劣らず繊細なものですからね」
「関係ねぇだろうが」
一気に場が盛り上がる。
ソーセージも美味だった。空になってしまった皿を名残惜しそうに人々は見つめる。
競り台の方でも試食が始まったのであろう。食した者の口からは賛美の声が上がる。
「監督。それでは競りの方をよろしくお願いします」
「おおっ、監督自ら競りをやるのか?」
「これだけのものだ、おれが仕切らせもらうよ」
バルドーは大きく柏手を打つと、朗々とした声でその日二度目の競りを開始する口上を述べはじめるのだった。
競りは盛況だった。
ソーセージやイクークは過去最高の値をつけ、競りは一時間余りで終了する。
招かれた大店の店主たちも当初はひやかしや様子見のつもりだったようだが、試食した者達の反応を見て黙ってはいられなくなったようである。競りに出されたものを手に入れようとこぞって競りに参加し始める。
最後に競りに出された人の身長ほどもある大イクークは熾烈な争奪戦となった。最終的には大店同士の一騎打ちとなったがお互いの手の内を探り合うような値の吊り上げあいになり、その場に居合わせたものは勝敗の行方に固唾をのんだものだった。
「なかなかの盛り上がりでしたね」
シュトライゼは競りの残滓でも追うかのように言う。
照りつける日射しにも負けなかった熱気も少し落ち着きを取り戻し、競場は静けさを取り戻しつつある。
少女は監督と次のシルバーウィスパーとの往復の打ち合わせを済ませ、競りの売り上げをまとめた報告書を受け取る。
競り台が片づけられ、残っている者も少なくなっていた。
「最後は資金力にものを言わせた感じだったがな」
ほとんどは仲買人よりも大店が競り落とした感じであった。
「お前さんだったらどうしたよ、オーリス?」
声を掛けたのは監督だった。
「どうもしませんよ」
「相変わらず、そっけねぇな」
「金に物を言わせられたら、おれでもお手上げですよ」
「昔のお前さんだったら、それでも奴らに勝っていただろう?」
監督は面白そうにオーリスをみる。
「どうしても必要なら何らかの策を講じるところでしょうがね。実のところ力任せに来られたらどうしようもない」
「そういうもんかねぇ。今日の駆け引きは見応えがあったがな。せっかくここまで来たんだ、お前さんも復帰する気はないのか?」
オーリスが参加する競りは面白かったと監督は言う。
「おれはもう商いからは身を引きました」
「もったいねぇな。嬢ちゃんの話じゃ、あの子の店に出入りしてんだろう?」
「見ているだけですよ」
そういう約束だった。
「まあいいがな」監督は肩をすくめシュトライゼを見る。「この世界に引退なんてのはあるのかねぇ」
「生涯現役なんて言葉もあるくらいですからね。マサさんも親方も現場からは離れる気はないらしいし」
シュトライゼも頷く。
「お前さんもまだまだ若いしな」
「もう年ですよ」
市場に来ても懐かしいとは感じたが、何かをやろうという気力は湧いてこなかった。
「おれよりはずっと若いだろうが」監督は苦笑する。
「確かに」オーリスは吐息を漏らす。「監督から見ればおれは年下で若い。でもね、エアリィから見ればおれはズッと年寄りだ。若さの基準なんて言った人の目線でしかありません。それは意味のない言葉だと思いますよ」
年寄りから見れば三十代、四十代はまだ若い部類に入るだろう。それでも十代に比べれば年齢的な衰えは顕著であった。
どんなに若いつもりでいても気力だけではついていけなくなる。
「エアリィからすれば、おれもあんたも同じカテゴリーですよ。おれは年齢だけで人を判断するのが好きじゃない」
「それでさんざん苦労してきましたからね」
何か新しいことを始めようとするとオーリスもシュトライゼも、長老会や大店の寄り合いからは若輩者との誹りをよくうけたものだった。
「そりゃあすまねぇな。だが、おれなんかよりも若いっていうことは、それだけチャンスがあるってことだ。年をとるにつれて新しいことはなかなかできなくなるし、ついていけなくなる。今、あの子のようなバイタリティがあれば、もっと違うことをやっていたかもしれねぇって思えてくるとやっぱりうらやましいって感じるのかな」
監督は自嘲気味に笑った。
「エアリィくらいの若い子にそれは言ってください。おれもバルドーと大して変わらない」
「柔軟な考えを持ち続けているつもりになっていても、知らず知らずのうちに伝統や習慣に縛られてしまっていますからね。だからこそ若い力に嫉妬するのかもしれません」
「まあ、あいつら」少女やクロッセを監督は指す。「あいつらの活力と、レイブラリーやマサのような経験が合わさったらもっと凄いことが出来るんじゃねぇかって思えてくるんだよな」
「柔軟性や活力だけでは壁にぶつかるものですからね。そのための年寄りでしょう」
シュトライゼはにこやかにオーリスに笑いかける。
「よく気遅れもしないで、あいつはやっていると思うよ」
オーリスはそれを無視するように言う。
少女の周りには、下町をまとめる五家だけではなく名の知れた者達がいる。そしてレイブラリーや工の頭をはじめ、シュトライゼやバルドーといった大物達の中心に少女がいるように見えてくる。
「それも若さゆえなんでしょう。特権ともいうべきものなのかもしれない」それを活かすも殺すもあとは本人次第なのだろうが。
「嬢ちゃんといると、刺激的なことが体験できるというのもあるな」
「トレーダーに教えられるとは誰も思わなかったでしょうからね」
「年齢も立場も本当は関係ねぇのかもしれねぇな」オーリスは呟く。「経験も必要だが、そういうのは時として邪魔になる。大事なのはやりとげる意思なのかもしれない」
「いいこと言うじゃねぇか」監督は感心したようにオーリスを見る。
「不平不満を言いながら生きているよりも、自己満足にしかならねぇかもしれねぇが何かをやりとげた方がおもしれぇもんな」
「簡単にはいかないでしょうけれどね」
「人生なんてのはそんなもんかもしれねぇ、ただ人生なんてのは自分が楽しめてこそのもんだからな」
「納得できるかは別ですけれどね」
振り返れば選択ミスばかりの生き方しかできていない。そういう失敗の方が良かったことよりも多すぎるのが人生だと思えてくる。
「後ばかり向いていても仕方ありませんよ」とシュトライゼが突っ込む。
「前を向きっぱなしっていうのも、ハラハラするがな」
監督は少女を指さす。
「それも含めて、こちらとしては大歓迎ですがね」
「確かにこんな体験はそうそうできるもんじゃねぇ。はたから見ているなんてもったいねぇかもしれねぇな」晴れやかにバルドーは笑う。「これだけ盛り上がったのは、おれが監督になって競場を任されるようになって始めてだろうな」
「売り上げを聞いたらローゼさんも驚くでしょうね」
その場にいないのが残念なくらい高値の取引が続いたのである。
「ローゼの野郎は嬢ちゃんをシルバーウィスパーの専属にするなんて言い出しかねねぇな」
「親方もエアリィ嬢のことは気にいっていますからね」
あり得るとシュトライゼも同意する。
「無理だろうな」
「どうしてだ? 今回ももう一往復してくると言っているし、嬢ちゃんもその気があるかもしれねぇぞ」
「あいつが商人なら、それもあるかもしれない」
だが少女は根っからのトレーダーだ。
「まあ、エアリィ嬢をひと所に封じ込めておくのは難しいかもしれませんね。彼女を狙っている人は多いですし」
「あいつらか?」
大店の店主が幾人か少女にすり寄っていこうとしていた。この商いを独占しようと目論んでいるのだろう。
「そうではありませんよ。ベラル師はもとより、工の頭も狙っている」
「お前さんもそのひとりだろうが」
「かなうならそうしていますがね」
「商人としてあの味を独占できるなら、大枚叩こうとするものもいるかもしれんが、あいつは忙しすぎる。次がいつになるかなんて判ったもんじゃない」
「もったいねぇ話だ」
「あいつみたいな方法じゃないが、おれも昔考えたことがある」
「本当か?」
「どんな方法です?」
バルドーもシュトライゼも興味を引かれた。
「シルバーウィスパーが港湾に停泊中に工場を稼働すればいい。そうすれば大イクークは無理だが生のソーセージはもっと量産できる」
「なるほど、それはありだな」
「ですが、どうしてそれをやらなかったのです?」
シュトライゼにはあの当時そのアイディアを実行に移さなかったのが不思議であった。
「大量にイクークが必要だからだよ」
オーリスはシュトライゼとバルドーにどれだけのイクークが必要なのか知っているかと訊ねた。案の定二人は首を横に振るだけだった。
「あの時の試算では市に卸されるイクークの半分は消費することになるだろうということだった」
「そんなにか!」
「それは問題ですね」
「ソーセージを作るだけのために、下町の人々の生活を犠牲にするわけにはいかない」
「そうならない範囲で作ることはできないのか?」
「なあ監督、今のイクークの砂上げは増えているのか?」
「そうだな。良くて横ばい。どちらかというと減少傾向にはあるな。明らかな不漁の日もあるくらいだ」
「そんな現状で、それだけのためにイクークをまわすようなことは出来ないよな」
「ごもっとも」
「親方だってそんなことにシルバーウィスパーを動かさないだろうからな。だから、今回の競りのような品はあいつの気まぐれに任せるしかないのが今の現状だ」
オーリスは鼻を鳴らす。
「この盛況ぶりを考えると、もったいないんだがな」
「おれ以外のアイディアを持っているやつだっているかもしれない。そいつに任せるんだな」
「まだまだ、我々にも考える余地があるということですか」
シュトライゼがオーリスの肩を叩く。
「お前が考えろ!」
「考えていますよ。ですが、わたくしひとりが考えるよりもっと多くの人が考えた方がいいでしょう?」
「おれはもうごめんだ」
「そうは言わずに商工会も全面的にバックアップしますよ」
「うさんくせぇな」
「活性化することを望んでいるのは嘘ではありませんよ。今度の長老会だって楽しみではありませんか」
そう言ってシュトライゼはマサを指さし微笑む。
「なにやろうとしているか知らねぇがたいがいにしとけよ、シュトライゼ」
「オブザーバーとして参加はしていますが、わたくしは長老じゃありませんからね」
「レイブラリーもだが、十分お前さんたちは活性化しているよ」
オーリスは肩をすくめ笑った。
それはシュトライゼにとって十年ぶりに見る彼の笑顔だった。
5.
「お疲れ様でした」
シュトライゼとオーリスはグラスを合わせる。
二人は少女が再びシルバーウィスパーに向けて飛び立つのを見送ると不夜城へと場所を移していた。
試食のイクークやソーセージを食べたとはいえ少量である。昼食もとっていなかったので腹も空いていた。いつもなら断りそうなオーリスも、この日ばかりは素直にシュトライゼの誘いに乗っていた。
「お前さんは何もしていないだろうが」
「いえいえ、水面下では見えない苦労があるのですよ」
「よく言うぜ、昼間っから酒をかっくらっているヤツが」
「あなただって同じでしょう」
「おれは無職だ。お前さんとは違う」
「それって、胸を張って言うことですかね?」
シュトライゼの言葉にオーリスは気にしないとばかりにグラスを飲み干すと店の者に声を掛け、空いたグラスに追加の酒を注いでもらう。
「まあ、明日もフィリアさんの様子を見てくれるようですから、まったくの無職とも言い難くなりましたがね」
「よけいなお世話だ」
オーリスは少女に頼まれていたのである。彼は明日以降も少女がいない間、フィリアの様子を見続けることを不承不承ながら承諾していた。
「今日の様子を見ていると無下に断れんからな……」
「あなたは本当に面倒見がいい」
「じゃあ代わりにお前が見てやってくれ」
「それはあなたの役目ですからね」
御遠慮しますとサラリと言い、シュトライゼは微笑む。
「勝手に押し付けといてそのセリフかよ」
「ええ、あなたくらい適任な方はいませんでしたからね」
「本気で言っているのか」その言葉にシュトライゼは眼鏡の奥でさらに目を細め頷く。「お前といると本当にろくなことがないな」
「諦めてください」
「それで済むのなら、とうにお前さんと縁を切っているよ」
運ばれてきたイクークの燻製を口に運び、強引に噛み切る。
「それよりも、いつもならやれ取材だとインタビューとかしているはずなのに、今日はよかったのかよ」
「今日は任せました」
そうでなければ、時間前から港湾で取材をしていたとシュトライゼは言う。
「デリンダさんや事務の子たちにも、徐々にそちらの仕事を覚えてもらうようにしています」
「ほお、お前さんがついに後進育成か」
「なんですか、その意外そうな顔は?」
「自分がやらないと気が済まない奴だったからなと思ってな」
「少しはわたくしも成長しますよ」
「ただたんに年をとって動くのが辛くなってきただけじゃないのか?」
オーリスは意地悪く言う。
「それもありますかね」自嘲気味にシュトライゼは笑う。「あなたが言うように年寄りがいつまでも居座り続けていいものではありませんからね。それにもう少し違った角度で、外から物事を見ることができないかなと思ったのですよ」
「傍観者的な立場をとるわけでもあるまい」
「それではわたくしが楽しめませんからね」シュトライゼは笑う。「ただ、その物事から引き起こされる周りの状況にも興味がわいてきたのです」
「興味だけにしといてくれよ。お前さんがそこで何かやろうとするとろくでもないことになりかねん」
「心外ですねぇ」
「ろくでもないことにまきこまれてばかりだからな」
「人のことは言えますか?」
「昔のことだ」
「そうきますか」
グラスを掲げシュトライゼは笑う。
「そうだ」
過去が言葉だけで清算できるとは思わない。
人が人として生きているかぎり、人とのつながりはできてしまう。その中で少しの生甲斐と喜びのために、人は何かをすり減らして生きる。そして時には他人を傷つけ平気で蹂躙していくのである。
あやまちを何度も繰り返しながら。
「久しぶりの酒はきくな……」
「普段どんな生活をしているんですか」
「適当だよ……。それにどんなにしていても腹は減るもんだ」
「それが生きている証でもありますよ。では、今日はしっかり食べてください」
「ずいぶんと、お優しいことで」
「ええ、わたくしはいつでも優しいですよ」
「その胡散臭い笑いはやめろ」
突っ込まずにはいられなかった。
「心外ですね。いい笑顔だと言われているのに」
「別の意味でだろうが、下心満載なくせしやがって」
「そう見えますか?」
「そうじゃなかったときがあるのかって、こっちが訊きたいくらいだよ」
「そういうときもあったつもりなんですがねぇ。まあ、そういうのは抜きにして、今日は友と語らいたいからお誘いしたのに」
「それはおれのことか?」
「他にわたくしの差し向いに誰かいますかね」
「友ねぇ。お前さんの口からそう言うセリフが出て来るとはな」
「酒のせいということにしてください」
「まあいいさ、そういうことにしておこう。生きているというのは何とも面倒この上ないからな」
「今さらなにを言っているのですか」
だが、それが面白いともシュトライゼは言う。
それには答えずオーリスは二杯目の酒を空けた。
午後もだいぶ遅い時間だったので、不夜城の客はまだそう多くない。
朝晩は港湾関係者が主だった客層だが、昼間となると商区の者達も増えてくる。それでも昼飯時をだいぶ過ぎた時間である。空いているテーブルの方が多いくらいであった。
「なあ、シュトライゼ……」
オーリスは顔を上げず、皿のイクークを見つめながら再び口を開く。
「なにか?」
「おれは心配されていたのか?」
「されていないと思ったのですか? あれだけの災害があった後で」
「おれにはもう何も残っていなかった。気にかける者もいないと思っていたよ」
「本気で言っているのですか?」
その言葉は少し硬く、いつものような軽口ではなかった。怒気を含んでいるようにも聞こえたので、顔を上げシュトライゼを見ると、彼の目は笑っていない。
シュトライゼは小さく吐息を漏らす。
あれはティナと子供の葬儀の翌日のことだった。
朝早く気になってオーリスの店を訪れたが、彼の店には誰もいなかった。従業員は解雇されいつの間に整理したのか店の物はほとんどなくなっている。そして事務室のボードには、店を閉める、という短い書置きが貼られていた。
シュトライゼは呆然とそれを見つめるだけだった。
その日を境にオーリス・ハウントの姿は商区から消えた。
「どれだけあなたを探したことか」
なぜ葬儀の後も一緒にいなかったのかと悔やんだ。
ティナのあとを追ったのではないかと、何度も諦めかけた。
「おれに残されたものはほとんど何もなかった。いなくなったとしても誰も気にかけるものはいないだろう」
彼はそう思い込んでいた。
「誰がそれを決めるのです?」
「しがらみも何も無くなってしまえばすっきりするだろうと思った。おれがいなくたってどうとでもなるだろうしな」
それなのにマサやバルドー、そして多くの者達に声を掛けられ心配したと言われた。彼らとは深い付き合いがあったわけではなかったはずなのに……。
不思議だった。
「あなたは自分というものを過小評価しすぎですよ。それに自分のことしか見ていない」
「確かに周りが見えていなかったのは事実かもしれないが……」
「下町の人々をなめない方がいい」
「そうかもな……。工の頭なんて数度、仕事上のことで会っただけだ」
商工会の役職として迎えたいと頭を下げにいたのと、商品の発注で顔を合わせたくらいである。
「あなたがそうだと思っても、先方はそれ以上の出会いだったのでしょう」
「たいした話をしたわけじゃないがな」
「ビジネスライクな付き合いだけではなかったのでしょう? あなたは仕事だけではなく様々な話をしていましたよ」
「覚えていない」
必死だった。それだけだった。
「マサさんと不夜城で酒を酌み交わした人は、そう多くはありません」
「そうか? それは知らなかった」
「何も残っていないわけじゃない。あなたはティナとともに診療所や商工会を残してくれた。それは、そこに集った人々に様々なものを残し、与えてくれていったのです。それは忘れないでほしい」
「そういうものなのか?」
「とぼけるのもたいがいにしてくださいよ」
「い、いや、そういうんじゃないんだ」
「じゃあ、なんなのです?」
「不思議だったんだ。十年、おれは商区からも港湾からも離れていた。勝手に消えた人間なんてもうすっかり忘れ去られていると思っていた。だから、心配したと言われてもなんで心配されたのかピンとこなかったんだ」
「あなたはティナことを忘れられましたか?」
「そ、そんなこと……」
「出来るわけがありませんよね、わたくしもそうでしたから。むしろ忘れられた方が悲しくありませんか?」
「おれなんか忘れてくれてよかった。それだけの人間だからな」
「ロンダサークの長い歴史の中で見れば、その他大勢の一般人かもしれない。名を残すなんてのは一握りの英雄でしょうからね。それでもその時、その場所にティナとともにあなたはいた」
「ずいぶん大袈裟な話だな。お前こそ酔っていないか?」
「どうなんでしょうね」シュトライゼは目を細める。「戯言かもしれませんけれどね。あなたは歴史に名を残しているんですよ」
「やっぱり酔っぱらいだよ。診療所はティナ、商工会はシュトライゼ、お前だ。おれは関係ない」
「あなたが思っている以上に、オーリス・ハウントという人間はね、人の記憶に残っているのですよ。あなたはただ漠然とあの時間の中を駆け抜けたわけではありません。あなた自身が忘れようとしただけで、多くの人と時間をともにしていた。口ではどう言いつくろうともね。人として生きようとするかぎり、人とのつながりはどうあがこうとも出来ていきます」
「おれとお前のようにか」
「あなたはそこではただの通りすがりだったつもりかもしれません。ですが、あなたがしたことはあなたが思っている以上に人の記憶に残っている。商いをしいた時よくあったでしょう? あなたにとってはその日の多くの客の中のひとりで、当たり前の対応をしただけだったはずなのに、後日感謝されたりしたことが」
「ああ、何のことか言われるまで思い出せないこともあったな」
オーリスは思いだしたように微笑んだ。
「そういうことです。いつまで目をそむけているつもりです?」
「目をそむけているつもりはないが、おれには一生、意味が判らんことだろうな」
「根性がどこまでもねじ曲がっていますね」
「この性格だけは一生治らんだろう」
「あなたらしくもありますがね。ですが真面目な話、サリアには会いに行ってあげてください。彼女はわたくし以上にあなたのことを気にかけていましたから」
「いまさら、どの面下げてだよ」
「いまの生きているあなたの姿を見せてあげてください。その顔なんてどうやったて直しようがないでしょう? もしかすると診療所で診てくれるかもしれませんがね」
「お前さんの方こそお節介だと思うがな」
「これも性分なものでね」
「よけいなお世話だ」
「サリアにはあなたのことは話をしています」
「そうか」
「その時、エアリィ嬢も一緒でしたがね」
「おい! 話したのか?」
「何をです?」
睨みつけるオーリスに、シュトライゼはただ満面の笑顔で返す。
「だからかよ。あいつが、あんな行動に出るのは……」
オーリスは頭を抱えた。
「覚悟しといてください。これも新たなつながりってやつですから」
「勝手にしろ……」
「そうさせていただきます。ですが、あなたはひとりじゃない。それだけは本当に忘れないでください」
「肝に銘じておこうかな」
「照れくさいのは判りますけれどね」
「真顔で言われると、どうもな」
「少し酔いましたかね」
「そうだな」
グラスを空けながらオーリスは頷く。
三杯目の酒が注文される。次の酒が来るまで二人は黙々と料理をつついた。
「すまないな」
オーリスは呟くように言う。
「いえいえ、どういたしまして」
シュトライゼは小さく頷く。
彼らの前に新たな酒が注がれ、また軽くグラスを合わせるのだった。
6.
「陳情はこれで終わりかな?」
カリブスはボードに読み上げられた項目を書き連ねていく。
長老会の前にエジノアを除く五家の面々はレイブラリー邸に集まり、事前に各地区の長老からもたらされた意見や陳情に目を通しそのとりまとめをして判断可能なものはこの場で取りまとめ長老会当日に判断が言い渡される。
「次の長老会での各地区からの要望や申し立ても以上ですな」
「いつもと変わらぬな」
その大半は水の配分や隣接する地区同士のいさかいに関係することだった。
「そのようですな」
長老会に出される議題や陳情は事前に五家に提出されるものがほとんどだった。それが会の進行を円滑にして来た。
「明日はもう長老会か」
ネクテリアがため息をつく。
「気が重いですな」
「まったくだ」
バガラがカリブスに同意する。
「なぜです?」
「ベラルは何とも思わんのか?」
「特には?」
「あのマサ・ハルトが、長老になったのだぞ」
「よいではありませんか。マサもいつ長老になってもおかしくなかった。むしろいままでならなかったのが不思議なくらいですよ」
「それはそうだが」
「今この時期にあやつが長老になるというのがな」
「まったくもって同意せざろうえない」
バガラ、ネクテリア、カリブスは口々に渋い顔をして頭をかかえる。
「どうしてです?」
「判っていっているのかベラル?」
「あやつは工の頭としていつだって長老会に出席できたのだぞ」
工の頭をはじめ、石工の筆頭、織物の長、商工会議所会頭、港湾監督、診療所所長、農区の代表、シルバーウィスパーの親方といった下町でのまとめ役を担っている者達はオブザーバーとしてではあったが長老会へ出席することが出来た。彼らは自分の立場から要望や意見を長老会へ提出することもあったからである。
そして一般には知られていなかったが、管制塔のトレーダーも長老会への出席を認められていた。もっともその権利が行使されたことは長老会最初の頃の議事録に記録されているだけで五家でもそのことを思い出す者はいなかった。
「いままで無視して来たのに、今頃になって……」
「目的は例の件であろう」
「しかし、陳情にはなかったが……」
「直接、議事進行の中で申し立てをするつもりなのだろう」
「他の長老にも根回しされていると聞くぞ」
「判っているのであれば、我々五家もそのつもりで心の準備をしていた方がいいのでは?」
「そうはいうがな……ベラルよ」
「なにか問題でも? われら五家も長老会も先送りしてきたことなのです。じっくり話を聞こうではありませんか」
「お主はよく平気だな。お前さんのところには話がいっているのではないか?」
「特にはなかったですね」
「いつもならベラルところに持ち込んで、話を通そうとするのではないか?」
「どうなのでしょうねぇ」ベラルは微笑むだけだった。「どんなことであれ大変なことに変わりはありませんよ」
「ことがことだけに難しすぎるのだよ。様々な思惑が絡んでくる。一筋縄ではいかん」
「対立が深まるだけかもしれん」
「どれだけの金や人が必要になるのやら」
「もしそれが本当に提案されるのであれば、その話に耳を傾け議論するしかありません。そしてどうするかまとめるのが我々の務めです。五家はそのためにあるのですから。ただ人の上に立っているのではありません。与えられた職責は果たさなければ」
「割に合わんのう。我らも民のひとりであるのだがな」
「では放棄しますか? 今さら出来ないでしょう? 都合の良いことばかり言って逃げているわけにはいきませんからね」
「正論であるがな」
「簡単なことはありませんよ。現状でやれることを我々はやるしかないのです。ベストな選択を求めてね」
「もっともな話である」
「じゃが気が重い」
噂が本当であれば確かに気が重い話である。
ベラル自身その意見には同意する。だが工の頭ことである。無理難題を吹っかけてくるのではない。
壁にかんしての動議が出されるのであればそれを吟味しまとめていかなければならないだろう。
明日は長い一日になりそうだった。
<第二十三話了 第二十四話に続く>
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