ガリアⅩⅩⅣ ~再生の時④

 1.



 鍛えよ鋼 響け岩鉱 轟け高炉 

 我ら工の民

 振るえ 生み出せ その腕で

 吹き込め風よ 飛び散れ火花 炎の輝きこそ

 我ら工の民

 魂を込めて 命を吹き込め 己が力で

 熱き太陽も 暗き夜も 越えよ朝日に

 我ら工の民

 力も 技も その体で示せ



 アベルが工房の扉を開けると金属特有の甲高い音が響いてくる。

 工房の主、マサ・ハルトが彼の作業スペースに座し鋼を鍛えていた。

 それは小気味よい旋律を奏でているようだった。工の頭であるマサは彼にとって師匠であるとともに砂雲の遥か彼方にいる聖霊にも等しい存在、憧れでもあった。

 その背をアベルは眩しそうに見つめ、手にしていた物を何度も握り直し、機嫌を損ねぬよう声を掛けるタイミングを計る。

「頭、少しいいですか?」

 出てきた声はのどに引っかかったようにかすれていた。

 マサは手にしたハンマーをおろし、ゆっくりと振り返り声、アベルを見上げた。

 静まり返った作業場で頭に無言で見つめられ、アベルは気後れする。マサの作業を途中で止めてしまったことを少し後悔した。

「な、なにを作っているんですか?」

 それでもマサが鍛えていたものが気になった。日常品とかではない見慣れない形をしている。

「まだ秘密だが、見本、みてぇなもんかな。クライアント連中に見せてやるんだよ」

「クライアント? そんな仕事入っていましたっけ?」

「これから受けるんだよ」

 マサはニヤリと笑った。

「これからって?」

 意味が判らなかった。

「バカな連中にも判るように模型を作ろうと思ってな」

「……はあ……」

「それでなんか用か?」

「あ、あの……こ、これを見てもらおうと思って」

 アベルは後ろに隠し持っていた物をマサに見せる。

 差し出されたものをマサは黙って受け取った。

 シンプルな銀製の大皿を工の頭は数瞬見つめるとアベルにそれを返した。

「ど、どうでしょうか?」

「待ってろ」

 マサは立ち上がると工房の棚から金属板を一枚引きだしてきた。

 アベルはそれが自分の大皿と同じ材質の金属板であると気付く。

「見てろ」

 腰を下ろすとマサはハンマーを振るいだす。

 はじめは強く、さらに力強く叩きつけられていく。次第に音は軽やかに小刻みに一定のリズムを刻み、右手で振るうハンマーと左手の金属板がまるで生きているかのように動き、板が形になっていく。

 鮮やかとしか言いようがない。

 すべてを見逃すまいとアベルは食い入るようにマサの手の動きを追う。

「ほらよ」

 出来上がった大皿がマサから手渡された。

 かなりの時間が過ぎていたはずなのにそれは一瞬のようにも思えた。

「違いが判るか?」

「……判りません……」

 何度も何度も様々な角度から大皿を見つめていると、どれが自分のものか判らなくなってくる。それほど同一のものだった。

「指で弾いて比べてみろ」

「は、はい」

 アベルは、それぞれの皿を指で弾いていき、場所による音色の違いに耳を傾けていった。

「……少し、底の音が、違います……」

 マサの打った皿はどこを弾いても音が均一だった。

「そういうことだ」

「……はい……」

 唇をかみしめ自分が作った皿をアベルは見つめ続けていた。

 些細な違いを一瞬で見抜かれてしまう。格の違いなどという言葉では表しきれないもっとはるか上の異次元の才覚を見せつけられていた。

「なあ、アベルよ」マサはそんな弟子に声を掛ける。「お前はもっとうまくなりたいか?」

「も、もちろんです」

 うつむき自分の皿を見つめていたアベルは顔を上げマサを見る。

 頭のようになりたい。アベルは心底そう思った。

「だったらやることは判っているだろう」

 静かな口調ではあったが、力が込められている。

 その言葉にアベルは頷くしかなく、いつもならここで話は打ち切られる。そう思っていたがこの日は少し違っていた。

「やればやっただけそれは自分に返ってくる。若いうちはどれだけやったかだ」

「でも頭、オレは」

「ちょっとやそっとで目に見えて判るほどうまくなんかなれっかよ。だがな最初に造ったやつと今造ったやつを比べてみろ。少しは自分の進歩が判るだろう」

「そりゃあそうですが……」

「弟子になれるやつなんざいくらでもいる。だがな自分の工房を持てるやつなんざ数えるほどしかいねぇ。多くはそのまま徒弟に甘んじるか去っていくかだ」そんな奴らをマサは多く見てきた。「お前はどっちだ? どうなりたいんだ?」

「オレは……」

 その続きがどうしても出てこなかった。想いを他の人達の前では語ってきたはずなのに、それを頭の前でハッキリ口にするのが怖かった。

「……できるかぎりのことはやっています。それでもオレはまだまだだなと、思います」

「そんなことは判ってるよ。お前はこのままで終わりたいのか? 今のままで満足しているのか?」

「そんなことはありません」

 慌てて首を横に振る。

「どいつもこいつも自分の腕を磨いて来たから今がある。ここで満足したら先なんてねぇ。それだけは肝に銘じておけ」

「は、はい」

 アベルはマサの言葉に何度も頷く。

「今度の品評会なんざ通過点にしかすぎねぇ。お前のやりたいこと得意なことを見せてみろ」

「得意なことですか?」

「お前が工房の代表だが、おれのやって来たことになんかこだわる必要はねぇんだ。お前はおれを超えたいんだろう?」

「越えるだなんて……」恐れ多い。

「お前はお前だ。おれになんかなれるわけがねぇんだからな。同じことやっていたって一生かかっても頂点に辿り着くことなんざ無理に決まっている。お前自身が己を究めようとした時に辿り着くことだって出来るものがあるんだよ。それにな、おれがやれることなんざ、もうたかが知れてるんだ」

「そんなことありません。絶対にありません」

「力はいつまでも同じじゃねぇし、いつまでも進歩できるってもんじゃねぇ。もっともおれはそう簡単には終わる気はねぇがな」マサは力こぶを作って見せる。「お前はおれの弟子だ。おれは才能がない奴を弟子にするくらいお人好しじゃねぇからな」

「そう、なんですか?」

「あったりめぇだろう。それに忘れるな。お前はまだ若いし伸びしろもある。おれよりもできることがあるんだよ。判るか」

「判りません。オレはやっぱりバカだから」

 何を言われても答えは見えてこない。

「おれがお前に見せてやれるものも教えられることももうほとんどねぇ。バカはバカなりにあとは考えろ。出来ることはあるんだ。納得できるまで叩け、叩け、気持ちをこめてな」マサは立ち上がると軽くアベルの頭を叩く。いい音がした。「技術的なものは経験を積めばおのずとついてくる」

「……そうなんですかねぇ」

「なに他人事みたいに言ってやがる。それにな気持ちがおいつかねぇのはおれだって同じだ。イメージ通りに造れたためしなんかねぇ」

「え?」

「なに驚いてんだよ」

「頭に限ってそんなことはないと思ってました」

「お前もその辺のバカどもと同じか」

「えっ、あ、あの……その」

「才能なんてのは天賦のものもあるが、その先へ進むのは努力なくしてはありえねぇんだよ。お前は鋼を鍛える時、完成品をちゃんとイメージして叩いているか? 漠然としてたらいいものは造れねぇんだよ」そこまで言ってマサは苦笑する。「もっともおれだって、これだっていうものはなかなか出来やしねぇがな」

「信じられません」

「おれにもっと才能があったら、サウンドストームはもっと速く遠くまで飛んでいただろうな。いまだ完璧には程遠い」

「あれは誰もやったことがない事です。それを頭はあそこまでやってのけたんです。凄いことです」

「先人はやってるんだよ」マサは鼻を鳴らす。「もっともそれが簡単にできちまえば人生なんてのはつまんねぇのかもしれねぇがな」

 まったく道は真っ直ぐじゃない。曲がりくねって先が見えないときている。

「頭がそうならおれなんて、もっとダメです。ダメすぎます」

「そこでお前はあきらめちまうか? 楽なことなんてありゃしねぇんだ」

「でも……」

「やめる気がねぇかぎり、おれたちのやっていることに終わりはねぇんだよ。人は人、お前はお前だ。お前にしかできねぇことだってあるんだよ」

「そ、そうですかねぇ……」

「立ち止まっていたって仕方あるめぇ。簡単にはたどり着けはしねぇがそれを見つけるのもお前の道だからな。まあやるだけやってみろ」やる気があるなら、その先へ進む気があるならな」

「は、はい」

「よし、じゃあ行け」

 そう言って今度はアベルの尻を思いっきり叩いた。

 話はそれで終わりだった。マサは自分の作業に戻っていく。

 アベルは痛む尻を擦りつつ部屋をあとにした。


「大丈夫かい?」

 ハーナがアベルに声を掛ける。

 テーブルの上には二つのおなじ皿が置かれていて、アベルはそれをただジッと見つめ続けていたのだった。

「あぁ、おかみさん。どうかしたんですか?」

 ゆっくりとアベルは顔を上げる。

「本当に大丈夫かい? ぼんやりと皿を見ていたからさ。もしかしてまたあの人になんかされたのかい?」

「まあ……確かに頭には言われましたが……」

 苦笑いし頭をかく。

「まったくあの人には困ったもんだね」

「ああ、違います、違いますおかみさん、怒られたわけじゃありませんから。その……いろいろとアドバイスをもらったんですけどどうにもオレには判らないことだらけで」

「あの人がかい? ろくな言い方しなかったんだろう? 言葉足らずですまないね」

「そ、そんなんじゃないんです。本当にそうなんです。あんなに手ほどき以外で言われたのは初めてで、それでオレがよく理解できていないだけで」

 そこまで言ってアベルは弾かれたように立ち上がる。

「ど、とうしたんだい?」

「こんなところで油売っていると頭に怒られちゃいます」

 皿を手にすると慌てて作業場へと戻っていく。

 その後ろ姿を呆れながらハーナは見つめるのだった。


 日が沈みオアシスの中に冷気が忍び寄る。

 夜の通りには人の気配がない。工区はハンマーの響きも機械の音も消え静けさに包まれている。昼間の喧騒がうそのようだった。

 工房の火が消え、アベルは裏口から外へ出る。誰もいない工房ではあったが、感謝の声を掛けドアを閉めるのだった。

 小さな裏庭から道とはいえない壁と壁の隙間を抜け、広い通りに彼は出ようとする。

 その出口で影が動く。

 アベルは身構え目を凝らす。

「遅いわよ」

 見間違いではない。影の主はイスタリカだった。慌てて表通りに出る。

「こんな時間にどうしたんだい?」

「あんたを待っていたに決まっているでしょう」

「そ、そうなんだ」

 ひとこと言おうとして逆に強い口調で返されアベルはタジタジになる。

「晩御飯まだなんでしょう。一緒に食べようよ」

 イスタリカは笑みを浮かべ、手にした籠の中の包みを見せるのだった。

「わざわざ待っていてくれたのかい? 声を掛けてくれればよかったのに」

 イスタリカの手に触れると冷たかった。かなりの時間外で待っていたのだろう。

「だって入りづらいんだもの。あんたのところのお頭、おっかないし」

「まあ、オレはよく怒られているけれど、頭ならもう家に戻っているし、オレしかいないから気にすることないのに」

「それにわたしだってベイドール工房の娘なのよ」

「うちの工房は他の工房の人もよく来るから、そんなの気にしたことないけどなぁ。おかみさんに話しとけば問題ないだろう?」

「そりゃあハーナおばさんに言えば大丈夫でしょうけれど、アベルは肝心なことを忘れているわ」

「肝心なこと?」

「あんたわねぇ」ムッとした顔をアベルに見せる。

「い、いや……なにかあったっけ?」

「アベルが工の頭にわたしのことを紹介しないと始まらないでしょう!」イスタリカはアベルに詰め寄る。「頭なら親も同然て言っているくせに、そういうところは抜けているわね」

「そ、そうだったね」

 アベルはひたすら謝るしかなかった。イスタリカとは結婚したいと思っていたが、いまだマサに紹介できずにいるのである。

「わたしはちゃんと祝福してもらいたいし」

「が、頑張ります」

「本当よ。そうでなければ、うちの父さんだって納得してくれないわ」

「判っちゃいるけどさ」

 アベルは胃の当たりを押さえ苦笑いする。

「すぐには無理かもしれないけれど」イスタリカは優しくアベルの背をさする。「いつかはちゃんとね」

「そうなんだけどさ。頭を見てるとやっぱりオレはまだまだだなって思うわけなんだよ」

「工の頭は当代一よ。足元にだって及びもつかないわ。でもね、頭も凄いけれどわたしはアベルの品も好きよ」

「そう言ってくれると嬉しいな」

 アベルは力なく笑う。

「本当よ。わたしはアベルの彫金好きだもの。もちろんアクセサリーもいいわ」

 それは商品としてではなくイスタリカを喜ばせるために造ってきたものだった。

「オレって皿とかはやっぱりダメ?」

「好きよ。でも何が好きかって訊かれたら、わたしは彫金よ。アベルは手先が器用でしょう。わたしなんかよりも針仕事が得意だったりするしね」

「初めてだ、そんなこと言われるの」

「言うわけないでしょう。特に針仕事なんてわたしよりもうまくやられたりしたらさ」

「彫金か……そうなんだ」

「どうしたの?」

 ブツブツ言いながら考え込むアベルをイスタリカは心配そうにのぞきこむ。

「今日もさ、皿を作って頭に見てもらったんだ。けっこう自信あったんだぜ。やっぱりダメだったけれど……、その時に頭にオレの得意なものはなんだって言われてさ」

「彫金だったら、アベルは頭にだって負けていないと思うわ」

「そ、そんなに?」

「贔屓目かもしれないけれど」

「やっぱり、そうだよねぇ」

「でも、いいじゃない、そう言われたんなら仕上げで頭をうならせて見せたら?」

「できるかなぁ……」

「弱気になってどうするのよ。失うものなんてないじゃない。それに頭と同じ土俵で勝負しようとしたって勝てるわけないじゃない」

「勝てるわけがないか……」アベルは天を仰ぐ。「同じ土俵に立って、頭をうならせた子がいるんだよな」

 呟くようにアベルは言う。

「もしかして、アベルはさ、あの勝負のことまだ気にしているの?」

「していないといえば嘘になる」

 アベルが十年もの間、頭の元で修行してきても得られなかったものを、あの少女は一回の勝負で手に入れてしまったのである。

「あの時、オレじゃあダメなんだなとへこんだよ。この仕事に向いていないんじゃないかと思った」

 マサのエアリィへの称賛が聞こえてくるたびに、アベルは大観衆の面前で自分がダメな弟子だと言われているような気がした。

「ふ~ん。やめてもよかったのに、なんでやめなかったの?」

「なんでかなぁ……」

「悔しかったから?」

「どうだろう」アベルは首を振る。「エアリィは本当に凄い。それに頭にはさんざん怒られ、ど突かれたりもしたけれど、それでも辞めなかったよなぁ」

「あんたってマゾなの?」

「そんなわけあるか!」 

「冗談よ。アベルは頭を尊敬しているからね。だったら悶え苦しみながらもやるしかないじゃないの」

「なんか、引っかかる言い方だな……ウォーカーキャリアの修復に携われたことはいい経験になった。苦しかったけれど初めて任された仕事はやりがいがあったな。それでも怒られているのには変わりないけれど」

「本当に頭のことが好きなのね」

「尊敬しているんだよ」

「そういうことにしましょう。叩かれ、どやされるのが嫌なら、わたしからのご褒美はどうかしら?」

「ご褒美?」

「そうよ」

「どんな?」

「わたしとの結婚リングを造って」

「えっ?」

「言ったままの意味よ。今度の品評会でアベルが賞をもらったら、わたしは父さんに言うわ。アベルと結婚しますって」

「お、おい」

「自信がないの?」

「そういう問題じゃなくて、それってご褒美とは言わないぞ」

「あら気が付いた」イスタリカは悪戯っ子のように笑う。「どの道、アベルが一人前になるまで、結婚は出来そうにないけれど、いい機会じゃない?」

「いい機会って……」

「それとも私とでは嫌かしら?」

「そんなわけあるか」

 声が一段大きくなっていた。

「そうだよね」満面の笑みを浮かべる。「じゃあ決まりね」

 アベルは目頭を押さえ吐息を漏らす。

「ダメだったときはどうするんだよ。そりゃあ、頑張るけれど……さ」

「アベルを信じてるから」イスタリカは人さし指でアベルの鼻をはじく。「それに頑張るんじゃない。やりとげるのよ」

 イスタリカのその笑みに引っ張られるようにアベルは小さく頷く。

「約束だからね」

 アベルの胸にイスタリカの言葉が響き渡っていくのだった。



 2.



 砂雲の向こう側からでも太陽は強く輝き、陽炎揺らめく大地をゆっくりと砂が流れていく。緩やかな風とともに。

 天頂に達した太陽はすべてを焼き尽くすかのように照りつけているせいか、ベラルの書斎は灯りがあっても薄暗く感じるほどだった。

 少女は読んでいたロンダサークの歴史書から顔を上げると、ベラル・レイブラリーに質問を投げかける。

「壁はなぜできるのでしょう?」

「壁か。それはあれのことか?」

 窓の大半を覆うようにそびえ立つ白い壁、旧区と下町を隔てる巨大な壁をベラルは指さす。

「そうでしたね、あれも壁ですね」少女は小さく鼻を鳴らす。「あたしが師に問いたいのは下町同士をへだてる壁、人と人とをへだてる壁のことです」

「お主は相変わらず唐突だな」ベラルは苦笑する。「いや、そうでもないか」

 彼は少女を見つめ微笑むと、なぜか嬉しくなってくるのだった。

「どうしたのですか?」

 見つめてくるベラルを彼女は不思議そうに見返す。

「また難しいことを訊くものだなと」

「師でも難しいですか?」

「お主の質問に簡単なものはないよ」

「心外です」

 まるで厄介ごとばかり持ち込むと言われているようだった。

「そうむくれるでない。壁が出来る理由に明確な答えなどないのだからな」

「ですが、理由があるからこそできるものではないでしょうか?」

「理屈付けはいくらで出来るだろう。しかし、深層心理にある漠然としたもの、そう恐怖とか不安とかそういう根源的なものにまで言及できるかね?」

「そこまで複雑なものなのでしょうか?」

「外に対する恐怖、他人に自分を見透かされる不安、感じ方や想いは人それぞれだろうな。お主は自分というものをすべてさらけ出すことが出来るかね?」

「すべては……無理ですね。見せられないもの話せないことがあります」

「それも壁が出来る要因の一つと言えよう。外からの脅威に身を守るための壁もあれば、保身のために見えない壁を作ってしまうこともある」

「保身ですか……外的脅威だけではなく、人はプライドや差別からも壁を作ってしまうというのですね」

「プライドというものは、本音を言えば面倒なものだ。お互いに相手のことを考えず譲歩しなければ、物事は拗れる一方になってしまうからな……」

「そうですね。それは理解できます」

 苦笑いするように少女は頷く。

「石の壁は本来、砂漠や砂嵐といった自然災害から身を守るためのものであり、水や食料を守るためのものだ。それ故に壁はロンダサークが建設されて以来、その歴史とともに存在し続けてきた」

「では最初から作らなければよかったのでは?」

「そうもいかんだろう。大砂漠から身を守る手段でもあるのだからな。あの巨大な壁がなければ、我らは生きてはいけないだろう。すべてが砂に呑み込まれ、大砂嵐に吹き飛ばされていただろうからな」

「トレーダーのように砂漠とともに生きればいいのでは?」

「誰もがトレーダーのように強く生きられるものではない。それにトレーダーだけではガリアは成り立たんだろう」

「それは理解できますが……」

 食料や水の供給はオアシス無しには成り立たない。そして様々な人、多様な職種があってガリアは存続し続けている。

「自由に砂漠を渡りファミリーの頭目の元、鉄の団結で生き抜いてきたことは素晴らしいことだ。だが誰もが鋼のような意志を持っているわけではないのだよ」

「オアシスで生きることすべてが悪いことだとは思いません。ですが壁が存在する以上、人は同じ場所で生きながらも、それぞれが別々の方向を向いてしまっているように見えてしまいます。下町としては同じような認識を持っていながらも昔から同じことで争いつづけ、問題が解決する気配すらありません」

「手痛いものよ」

 ベラルは水問題など痛いところを突かれ苦笑いするしかなかった。

「下町がさまざまなオアシスからの移民であったというのは過去の話です。その頃の記憶を持つものは存在していません。それなのになぜ過去にこだわるのでしょう」

「それはトレーダーと我々にも言えることではあるがな」

「確かにそれもありますが……」少女は咳払いする。「いま聞きたいのはこの場のこと、下町のことです。弱者は弱者のままで身を隠すように生きようとしているし、それを助長しようとするものたちまでいる」

「平等をうたいながらも見て見ぬふりをしているか」ベラルの言葉に少女は頷く。「壁がなくなってしまえば人の往来も増え、いままで以上に交流が生まれるかもしれん」

「そうでしょう」

 少女は身を乗り出す。

「だが、根本的にはどうだろう。人は家を作り家族とともに暮らす。そこにもやはり他の家族をへだてる壁は存在する。そして個としての人もまた衣服を着て己が姿を隠す。同じく生活していながらも人は人を本当に理解しているとは言えないものだ」

「では永久にこのままなのですか?」

「完全なる相互理解は無理だろうな」あっさりとベラルは言い切った。「それでも、理解しあえずとも判り合えることはできるだろう? お主と我々のようにな」

「理解と判りあうというとではちがうのですか?」

「真の意味での相互理解が不可能であるのなら、人はどこまで互いを信じ判りあえるかだと思うのだよ。人は己が中に様々なものを隠し持っている。忘れ去りたいようなことから、自分自身でも気付かぬ闇をな」

「闇か……。師もあるのですか?」

「おお、数え切れぬほどあるぞ」

「意外です」

「聖人君子などこの世には存在しない」師は目を細める。「人は生きていく過程の中で様々な想いを内に秘めてしまうものよ」

「認めたくはありませんが、そのようですね」

「自分自身の内なるものを見て見ぬふりすることもできるだろうが、それと向き合うこともまた生き方というものであろうな。判り合う努力をしなければ、隔たりは大きくなり、逃げてしまえば人は己が内側にこもってしまう。お主がやってきた努力は評価されてしかるべきだろうな」

「相手に認めてもらいたいと思ったことも確かにあります。ですがあたし自身がそうしたかったからというのが本音であって、対象以外の人々からの評価を求めたわけではありません」

「判っておるよ。お主はお主らしく真っ直ぐに生きておる」

「ほめられている気がしませんが?」

「他の者には出来ぬ事だよ。お主がいてくれたからこそマサはあれだけ変わったのだからな」

「あそこまで気にいられるとは思いませんでした」

「好き嫌いの激しい奴ではあるがな。一度信頼を勝ち得ればあれほど頼もしい奴はいない」

「そうですね」

「人と向き合うということはエネルギーのいることだ。それを放棄するのは簡単だ。他人との関係を断ってしまえばいいだけのことであるからな」

「それではなにも変わりません」

「そういうことだな。どれだけ人を信用できるか、歩み寄ることができるのか、身をもって示してくれたのがお主でありヴェスターだ。手を取り合うことなど不可能といわれてきたオアシスとトレーダーが判り合えたのだからな。お主やヴェスターがいてくれたことは感謝に堪えない」

「それでも、それは個として、ですよ」

「だからどうしたというのだ? それでも人はお主をトレーダーとしてみているだろう?」ベラルは言い切った。「我々だけでは変えることは難しかった。我らは古来よりの因習に囚われがんじがらめになっている。それに慣れ切ってしまっていたし身動きがとれなかったのだよ。当たり前の日常を変えることは難しい」

「おかしいですよ。変えなければならないと判っているのに。なぜ過去を引きずるのですか!」

「変えるだけの力が我々にはなかった。人は生きるだけで手いっぱいだった。周囲を顧みるゆとりはなかった」

「だから、他人のことはどうでもよかった?」

「極論すればそうなるか。どれだけのことをやろうともすべてが平等になることはなかったし、解決方法が見つからなかった」

「やっぱりあたしには判りません」

「お主が言うように壁を取り払ってしまえば変わるかもしれない。お互いの姿を隠してしまうだけでなく、本心も見えなくしてしまっているのかもしれないからな。だが、それですべてが解決できるわけではない。壁があるおかげで得られる安心もあるのだからな」

「身を守るための安心ですか? それがどれほど頼りないものであっても?」

「すがりたいのだろうな。自分を脅威から守ってくれるものに、それが一番強いのかもしれないな。はだかのままでは砂漠にも闇にも抗えるとは思えないだろう?」

「それはそうですが、内向きに壁を造ってしまっていてもいいことはありません」

「お主の経験で得たことかな?」

「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」

「誰もがそう感じてくれればいいのかもしれんな」

 ベラルは微笑む。

「本来であればロンダサークはひとつの共同体であるはずなのに……なぜ人はまとまろうとせず争うのでしょう」

「なぜ争うか、か」

「実際に殴り合いをしているわけではありませんが、けっして仲がいいというわけではありません。こと水問題は」

「水は我々だけの問題ではないからな」

「下町だけではない。ロンダサーク全体の問題であります。水の配分は決まっているのでしょう?」

「昔からな。その地区の人口や産業に応じて配分は決定されてきた。人口調査も進められている。その配分は厳正なものとされている」

 最後の部分をベラルは強調した。

「されている……ですか?」

 少女はその言い方が気になった。

「疑心暗鬼になるのも判るがな。五家も長老会もどこかを優遇するということをして来てはいない。だが人は自分たちが優位でありたいと思うものであり、隣の地区がよく見えてしまったりするものだ。その内情に変わりはないはずなのにな」

「人が人をうらやむのはわかります。あたしだってそうなのですから」

「人は満足するということを知らない。今という現状があるとしたらその上を求めようとしてしまう。欲望には際限がない。それに人とは疑り深いものでもあるからな」

「隠しているものがあると思ってしまうのでしょうか」

「見えないものを理解することは難しいからな」

「もっとオープンにすることはできるのではないでしょうか。ロンダサークの地区ごとの壁は造られた順番でもあるのは判りますが、その壁はぎょうぎょうしすぎます。威圧しているようにすら見えます。外に広がっていく時にそれをはずすことはできなかったのでしょうか?」

「そういう話もあったらしい。外周へと広げる時に資源を有効活用しようというアイディアも話し合われたようだ」

「なぜそうしなかったのでしょう」

「一番の理由は隔離のためだろうな」

「隔離? なぜ? 交流を断ってもいいことはありません」

「流行り病に対しての対応だよ。特にスラド熱は一度猛威をふるえば、ワクチンが効果をあらわすまで隔離するしかなかった。それが一番の解決方法だった」

[ですが、それはいつ来るかわからないものに対しての備えでしょう?]

「それを予測することは難しいが、それでも必ず襲い来るものだ」

「だったら非常時以外門くらいは開けっぱなしでもいいのではないでしょうか?」

「難しい問題でもあるな。いまでこそ犯罪は減ったが、当時は移民が増えるたびに犯罪が増加していったという。五家の我々が十分な援助をしてやれなかったこともあるが、互いが隣人を信じることができなかったというのも事実だった」困窮した難民が他の地区に侵入し井戸の水を盗んだこともあったという。「それだけひっ迫していたというのもある。いまだに水泥棒はいるのだからな」

「罰せられれば、オアシス追放もありうるのに、それでもですか?」

「切実な理由から金を得るためのものまで様々な理由がある」

「それでも罪は罪です」

 少女は目を伏せ呟く。

「実際に報告されていないだけで犯罪は減ってはいないだろうな。長老会に報告せずその地区で内々に処理されている件もあると聞くよ。身内の恥を見せたがらないというのもあるのか、それとも見せしめにされたか……、そうであっても犯罪はなくならない」

「トレーダーでも同じです。集団を乱すものは万死に値する時があります」

「そうか。やはり人は人なのかもしれんな。流行り病もそうだ。一度、病が流行れば移民してきたもの達がそれをもたらしたと迫害されたりもしたのだからな」

「言われなき差別ですか……」

「流行り病の原因など判りはしないのだからな。あの壁を取り除くことは、誰もが飢えず困窮しなくならないと難しいのかもしれんな」

「それとも信頼ですか?」

「そうだな。真に信頼たりうる関係になれればいいのだろう。それ故にお主がやったことは画期的なことでもあったのだよ。お主やヴェスターがいてくれたことがどれほど心強いものであったか」

「それでもあたしはきっかけを作ったにしかすぎません。あの大会があそこまで成果を上げることが出来たのは下町の人々の協力があったからこそです」

「謙遜するな」

「そのようなつもりはありません。あそこまで皆で協力できるのです。水の問題だって解決できるのではないかと思うのです」少女はベラルを見つめる。「これが理想でしかないのも理解しているつもりです。それでもトレーダーのように秩序だってまとまることができないのかと思ってしまうのです」

「我らの力不足ではあるな」

「多くの人をまとめ、声を届けるということは大変なのですね。解決することは本当に不可能なのでしょうか?」

「水のことは君がこの前問題提起した差別と同じように根深いものだ。人は個として成り立っている。それは判るだろう? まず自分ありきだ」

「個々としての自分が優先されるのですか?」

「我といってもいい。自らが生き残らなければならないという生存本能に由来しているのかもしれない。人はひとりでは生きられないはずなのに強い我を前面に押し出しそれを押し通そうとしたりしているな。平等と叫んでいるものだって、相手よりもより有利にすべてを得ようとしているだけかもしれん」

「どんどん救いがなくなっていきます」

「そういう話しでもあるのだよ。心の奥底にしまいこんでいるものが沢山あるからね。人は他人に自分を理解してもらいたいとどこかで願っている。だけど、その方法が判らないのだろうね。いつも一緒に暮らしていても話すきっかけがつかめない、そういうときがあるだろう?」

「それは理解できますが、全体がまとまらなければ生きのびられないときがあるという話をあたしはしているのです」

「判っているよ。だがな個を理解せずして全体を理解できるだろうか?」

「この街がどうであるか、人が理解していないはずがありません。それなのに話し合いを拒む、おのが利益を優先するというのがあたしにはわかりません」

「程度の差はあるが人々は判っているだろうな。それでも広い目で見ることが難しいのだよ。自分の見えている範囲であれば何が起きているのか多少なりとも理解できるだろう。しかし自分の理解を超えたところでの話や将来のこととなると、それを判らせるのは大変なことだろう」

「ロンダサーク、下町はそれほど大きくはありませんよ」

「君のように砂漠を見てきたものはこのガリアの広大さを理解できるだろう。ここに住むものはそうではない。壁の向こう側を知ることはできないし、知ろうとはしないのだろうね」

「それを理解させることはできるはずです。そうでなければ……」

「そうだね。だが今を生きるだけで自分のことだけで精一杯なのだよ。余裕はないのだろう」

「それを言い訳にしていいはずがありません」

「お主は本当にまっすぐだな」

「茶化さないでください」

「そんなつもりはないよ」むしろうらやましいくらいだ。「壁を取り払うことは難しい。壁というものは気が付くと出来てしまう。それは親しいものであってもだ。どこにでも出来てしまう。きっかけなど簡単なものだ。それなのにそれを取り去ることは容易ではない。君が起こしたものは奇跡に近いものだっただろう」

「結果として奇跡だったかもしれません」

「すべてがうまくいくとは限らないからな」

「それでも行動を起こさなければ、始めなければなにも解決するはずがありません」

「それは正しい考え方だろうな。時間が解決してくれるということはないだろうからな」

「気長に待てるほど人の人生は長くはないと思いますが? それになぜ人は難しく考えてしまうのでしょう。原因も解も単純なはずなのに」

「単純ゆえに一度出来てしまった壁や垣根を取り除くのは難しい。人は単純でありながら、プライドがある。一度上げた拳を下ろすことがいかに難しいか、エアリィにも判るだろう。人は善だけで生きれるものではない」

「悪そのものというわけでもありません」

「どちらも人の本質だろうな。私としては人の善は信じたいものだ」

「そうでなければ滅んでもおかしくないですよ」

「そうだな」ベラルは目を細める。「両方を抱えているからこそ人なのだろう。マサもお主やヴェスターには心開いたかもしれないが、他のトレーダーに対してはどうだろう?」

「たぶん信用していないでしょうね……」

「マサに今以上の関係を望むのは難しいだろう。もっとも、すべてにおいて行動を起こすのに遅すぎることはないがな」

「思いはしても行動に移さなければ、なにもしていないのと同じです」

「そうだな。いくら言葉で飾り武装しようともそれはお主が言うように壁でしかない。本質を隠そうとする人の弱さなのだ。だが弱くとも人は己の本質と向き合うことになる。そのときに人は変わるのだろうな」

「変われますよ」

「そうでありたいものよ。人は年をとるとどうにも動きが鈍くなってしまう。失うものが多く、守りたいものも増えていく」

「人はまとまることができないと思いますか?」

「まとまることは可能だろう。人は大きな困難や脅威に対して一致団結して立ち向かおうとする」

「この状況を困難とは見ないのでしょうか」

「身近なものしか人は見えないからな。漠然としたものや大きすぎて理解できないものにはどうしても反応が鈍い。差し迫ったものでないとな。だが、それだけではないのも事実だ。ひとつの目標が生まれれば人はまとまることが出来るかもしれん」

「目的ですか?」

「それを見つけるのは難しいかもしれんがな」

「それでも可能性があるのなら」

「可能性があるのなら見つけたいものだ。人として生きるためにな」

 ベラルは少女を見つめ、切に願う。



 3.



 長老会。

 それは下町の意思決定機関である。

 はるか昔にロンダサークへと移民が流入し下町の建設が開始されて以来長きにわたり下町の民をまとめてきた。各地区から選ばれた代表者と五家から構成され、数百年、変わらず定期的に行われてきた長い歴史を持つ。

 それにもかかわらずその存在と意義を今の人々は身近に感じることはなかった。

 日々の暮らしの中に埋没してしまい影響が自分達に及ぶ時以外、それら意識することが少なかったからだろう。

 長老会は持ち寄られた提言、陳情などが話し合われ問題を解決するためにある。今の長老会は長老によって事前に議題となる意見書が五家に持ち込まれていることが多く、五家の担当家が、それを長老会当日に調停書としてまとめ報告がなされる。それらの評決がとり行われ会議は終わるため、実際の長老会は長時間にわたって議論やつばぜり合いが起こるとなく短い時間で閉会している。

 当たり障りのない寄り合いが現在の長老会と言えた。

 だが、この日の長老会は違っていた。

 議場は開催前から異様な雰囲気に包まれている。

 マサ・ハルトが長老として名乗りを上げたその時から、彼が最初に参加する長老会で何かが起きると長老の間ではささやかれ、下町では噂になっていた。

 期待と不安の中、長老達は議場に集う。

 室内に入ってすぐ彼らはこの会議が普通ではないことに気付かされる。普段であれば出席することのほとんどない各職種の長達がすでに議場に姿を現していたのである。農耕の組頭、織物の長、石工の筆頭、港湾監督、商工会会頭、そしてシルバーウィスパーの親方までも顔をそろえていた。

 これだけの顔ぶれが一堂に会するのはベラルのレイブラリー継承以来のことだった。

 元々、各職の長達は長老会への出席を義務付けられているわけではない。必要に応じて彼らは出席してきたが、彼らの中には長老を兼ねている者も少なからずいたため緊急の事案がない限りはその地区の長老に委任していることも多く、このように各職種の長たる者達すべてが議場の席に着くことは稀だった。

「まったく、こっちをじろじろ見やがって、腹が立ってくるなぁ」

 親方は、彼らを覗き見し小声で話をする連中をにらみつける。

「誰もお前さんなんか見てやしねぇよ」隣に座る監督が呆れながら親方に言う。「そんな厳つい顔見ていたって面白いわけねぇだろうが」

「余計なお世話だ」

 彼は腕組みし足を小刻みに揺らしていた。

「だからな、お前さんなんか気にしちゃいねぇんだよ。お嬢ちゃんを見ているに決まってんだろう」

 親方の隣に座る少女を見て、改めて言うのだった。

「そんなこたぁ、判ってるよ。だから腹が立つんだろう。見せもんじゃねぇんだからよ」

「お前さんが意識してどうするんだよ」

「ありがとう、親方。あまり気持ちのいいものではありませんが、もうなれました」少女は小声で話す。「それにあたしがこうして出席できるとは思いもしませんでしたから、それだけでもありがたいです」

 年端もいかぬ少女がこの場にいることは長老会史上初の出来事だといえるだろう。

「なに殊勝なこと言ってやがる」親方は鼻を鳴らす。「出たけりゃ、出ていいんだよ」

「そういうものではないでしょう?」

 長い歴史のあるものである。

「そんなもんはいつも通りぶっ壊しちまえ。腐っちまったものをそのまま放置してもいいこたねぇ」

「おいおい」その発言に監督は慌てて周囲を見回す。「聞こえたらやばいだろうが」

 近くにいるシュトライゼは聞こえないふりをしているのかただ笑みを浮かべている。

「かまいやしねぇ。事実だ」

「あたしにはまだよくわかりません。話には聞いていますが長老会がどういうものなのか、やはり体験してみないと」

「体験したってなぁ。退屈極まりないぜ」

「興味のないに人にとって話し合いはそういうものかもしれませんね」

「まっ、それにお嬢には権利があるんだ。隅で小さくなっている必要はねぇんだ。堂々としてりゃあいい」

 少女はトレーダーの代表としてこの場に列席している。

「以前、ベラル師に下町の歴史を教えていただいているときに、トレーダーも長老会に出席することができると聞いて驚きました」

 その時は漠然とその話を聞いていただけだった。少女自身、長老会に出ることがあるとは思いもしなかったからである。

「それがまだ有効だったとはねぇ」

 下町建設に尽力したトレーダーも各職種の長達と同様、長老会設立当時から会議への出席を求められていた。もっともトレーダー達は下町運営には興味がなく、オアシスの民と関わることを避け距離を取ってきたため、席は用意されていたが、彼らはその権利を行使することは今までなかったのである。

 少女がトレーダーの代表たりえるのか、それに対して異を唱える者も一部にはいたが、事前の申し出により五家で協議が行われた末、ベラルが歴史を鑑みそれを認めることで少女の長老会への参加は承認されたのである。

「ベラルの野郎はお嬢には本当に甘いからなぁ」

「期待してるからなんだろう?」

「あたしは話を聞きに来ただけですよ。今日のメインはマサさんですから」

 長老の円卓席で目を閉じ沈黙を守っているマサを少女は見つめる。

「それでもエアリィ嬢あるところ、何かが起こりますからね」

 少女の右隣にいたシュトライゼは微笑む。

「そんな意味も込めて、本来なら出なくてもいい連中も集まっているんだろう」

「そういうこったなぁ。御三家は心中穏やかではないだろうがよ」

 彼らの存在を一番気にしているのは進行を務めるネクテリア、バガラ、カリブスだっただろう。三人は長達の席を何度も落ち着きなく見ては顔を寄せ合い小声で話をしている。

「まあ、お前さんがこんなところに出てくることの方が珍しいだろうからな。大イクーク並によ」

「親方は久しぶりなのですか?」

 少女は訊ねる。

「こいつがまめにこんな会議に出席しているわけがないだろう」

「多くはないが、ある」

「物は言いようだな。どうせ片手で数えられるくらいだろう。そのほとんどが休業中だったよな」

「休業中?」

「シルバーウィスパーが動かなくなったことは知ってるだろう? そん時にな」

「言いたいことが山ほどあったからな」

「話し合うなんて雰囲気じゃなかっただろうが」監督は苦笑する。「あの時のこいつは長老会で暴れまわって、ここの連中すべてを診療所送りにしかねねぇ勢いだったからな」

「話にならねぇ連中ばかりだったからな。本気で暴れようかと思ったくらいだ」

「出入り禁止になるぜ」

「かまいやしねぇよ」

「ですが、そうなる前に問題は解決したのですよね」

「するわけねぇだろう。同じことばかり言いやがって一向に動きやしねぇ。こいつらがいなかったら絶対に暴れまわっていたぜ」

 筆頭と監督を指さしながら鼻を鳴らす。

「か弱い老人相手にこいつが暴れたら大惨事だろう」

「親方が暴れたらシャレになりません。よくそうならなかったですね」

「こいつを抑えられる奴なんかそうそういやしねぇからな。代表権を持つおれと筆頭の出番となったわけよ」

「そうだったのですか」

 監督と筆頭は御三家に拝み倒されたのだという。その光景が目に浮かぶようだと少女は笑みをもらす。

「頭のかてぇ連中ばかりだからな。『何とかする。何とかする』そればかり繰り返しやがって」

 今だに親方は腹に据えかねているようだった。

「本当に具体的な話が出ないことには閉口したよ」

 監督も同意する。

「あん時は二度とこんな場に来るかと思ったぜ」

 それが本音だったのだろう。

「無理言ってしまい、すいません」

 それはマサが望んだことであったが、その意をくみシュトライゼと少女が各長に要請したのである。

「いいってことよ」親方は少女の頭に手をのせ軽くなでる。「お嬢や先生の頼みだ、断れるわけがねぇだろうが、それによぉ、あのじじいが連中相手にどんな立ち回りを見せるか見物だなと思ってよ。あん時のおれの苦労をじじいも味わってみろってんだ」

「意地の悪い野郎だ」

 監督は苦笑する。

「どんなつもりか知らねぇが、おれなんかが出ても賑やかしにしかならねぇからな」

「確かになんで声がかかったのかよくわかんねぇからな」

 監督は親方に同意する。各職種の長は発言権はあっても、投票権は持っていなかったのである。

「もっとも」そう言いながら親方は肩を回し指の関節を鳴らす。「じじいが暴れるんならおれもそれに乗るがな」

「勘弁してくれよ。こんな事だったら診療所の療法士にも来てもらった方がよかったんじゃねぇか? シュトライゼさんよぉ」

「サリア所長なら少し遅れますが来ますよ」監督の言葉にシュトライゼは笑みを浮かべる。「彼女にも良い機会だと思いまして声をかけてあります」

「用意がいいな」

「乱闘を見越してのことではありませんよ」

「最初からその仕掛けでもおれはかまわないけれどな」

 くだらない話ばかりでは寝てしまうと親方は言いたげだった。

「退屈はさせませんよ」

 少女は呟く。

「そう願いたいな」

「意味のないことをマサさんはしません。みなさんが長老会に出席していただいたことにはきっと意味がありますから」

 少女は確信をもって言う。

「きっとね」

 その言葉に反応するかのように、長老会開催の合図が打ち鳴らされる。


 今回、議長を務めるネクテリア老が長老会の開催を宣言する。

 カリブス、バガラ、レイブラリーが順番に先に提出されていた陳情に対する五家としての裁定を読み渡していく。

 それはいつも通りの長老会であり、静まり返った会場に彼らの声だけが響く。

 回答のほとんどは当たり障りのないうわべだけの解決策でしかない。それでも長老会はその裁定に異を唱えることなく追従していった。

 裁定に関係のない地区は問題を顧みることなく無関心を装う。根深い争いや対立は継続審議と称し先延ばしにされている。

 その進行は退屈極まりないものであったため、居眠りをする長老もいたくらいである。

 その空気が終盤になるにつれて変わっていく。

 一人の長老に居合わせた者たちの視線が集中していくのだった。

 ネクテリアをはじめ、バガラ、カリブスは彼とつとめて目を合わせないようにしていた。そして、どのようにして今日の長老会をこのまま終わらせようか思案する始末であった。三人はレイブラリーへ視線を送り助けを求めたが、ベラルもまた他の長老や長達と同様待ち望んでいるものがあるのだろう、涼しげな表情で彼らを見つめ返すのみであった。

 ネクテリアが木槌を持つ。そして彼が閉幕を宣言しようとする直前に、それまで沈黙を守っていたマサが声をあげ立ち上がる。

 その瞬間の居合わせた人々が見せた様々な想いが入り混じった表情を少女は忘れないだろう。

 引きつった表情を抑えきれずにいるネクテリアはマサの気迫に発言する機会を与えてしまう。

 マサはその瞬間ニヤリと笑っていた。

 その発言が予測できるものであったとしても、マサの笑みは彼ら御三家を震え上がらせるには十分なものだった。


 一世一代の大仕事だ。

 マサは居並ぶ面々の顔を見渡すとそう思ったという。

「おれは」ここでマサは息を整えるかのように一拍おいて宣言する。「工区の地、廃棄された地区を再生させる」

 その声が議場に響き渡る。

「無理だ」

「無謀すぎる」

 すぐさまカリブスとネクテリアが声を上げる。

「そのための協力を求めようと思ったのだが、やはりそう来たか」

 マサは笑みを崩すことなく言う。

「なぜ今更その話を持ち出す。廃棄が決定した時、すでにその話は決着がついているはずだ」

「決着だと? お前らが一方的に決めたことだろう。あの当時の工の頭は被害が小さなうちに修繕を望んだはずだ」

「われらにそのような技術がないと何度も言ってきたはずだ。トレーダーの協力なしにあの壁を直すことなど不可能だと」

「そ、その前に何故、マサ老は、その件を先に意見や陳情として我らに届け出なかった?」

「そんなことしたらまともな話し合いもされることなく、お前らに」マサはネクテリアを指さす。「握り潰されるに決まっているからだろう」

 工の民は廃棄された地区の復興を長年望んできた。そのための陳情を長老会にも送っていたのである。

「そのようなことはするわけがなかろう」

「侮辱する気か」

「お前らの都合でしか話し合われず、その結果、承認できないといわれて評決がとられて終わりにしようっていうんだろう?」

「そ、そんなことは……」

「おれはな、できないことを言うつもりはねぇ。机上の空論や希望的な観測で物事を運ぶつもりはねぇんだ。きちんと報告させてもらった上で、ここに集まったみんなの判断を仰ぎてぇんだよ」

「自信があるのだね?」

 レイブラリーはマサ老に訊ねる。

「困難は伴うだろうが、みんなの協力があればできる」

 それは力強い言葉だった。

「では聞かせてもらおう、マサ老」

 ネクテリア師の了解を取るとレイブラリーは長老としてのマサの発言を許す。

「おれの提案は、先ほども言ったが、廃棄地区の再生だ。腹の満たされねぇ議論をするつもりもねぇし、妄想や夢物語を話すつもりはねぇ」

「それのどこが夢物語じゃねぇっていうんだ」

 親方が声を上げる。長老たちは遠慮しがちになっていたのもあるが、彼自身の興味からか今までの退屈を取り戻すかのように先陣を切って訊ねるのだった。何人かの長老は親方の言葉に同意するかのように頷いていた。

「技術は先人が築いてきたものだ。今あるものすべてが先人の成してきたものの上に成り立っているんだ。それをおれ達ができねぇって道理はねぇだろう?」

「しかし過去に失われたロストテクノロジーでもある」

 ベラルの言葉に、マサは待っていましたとばかりに応じる。

「それがどうした。おれ達はヴィレッジですら成し得なかったウォーカーキャリアを再生したんだ。本来それは遺失テクノロジーとされてきたものだったはずだ。それでもおれ達はやってのけた。今度だって出来ねぇわけがねぇだろう?」

「運がよかっただけだ。根性や気合で何とかなるものではないんだぞ」

 カリブスとネクテリアが口を挟んだ。

「勝算があるからこそやれたんだ。運なんかじゃねぇ」マサはきっぱりと言い切った。「おれ達にも卓越した技術がある。連綿と受け継がれてきたものがな。出来ねぇことをおれは言わねぇし言うつもりもねぇ。たとえばそこの五家におれが石垣を作れなんて言わねぇ。無駄なことだからな」マサの言葉に笑がもれた。「適材適所っていうもんがある。だからこそ、その長たるもの達にもここに集まってもらったんだ。出来るかどうかを確認してもらうためにもな」

「どういうことだ?」農耕の組頭が立ち上がり訊き返す。「外壁作りに農区のおれらでもやれることがあるっていうのか?」

「ある。それにやろうとしていることは外壁を再生するだけじゃねぇ。廃棄地区の復興に際しては他にもやってみてぇことがあるんだ」

 マサの言葉に議場はざわめく。

「ほお、聞かせてもらおうじゃねぇか」

 農区の民を束ねる組頭は椅子に座り直し腕を組む。

「とりあえずは順をおって、話をさせてくれ」マサは咳払いする。「そうしないと話のまとまりがなくなってしまうし、伝わらねぇ」


「まずはトレーダーなしでどうやって外壁を作り、石を運ぶかだよな?」

 それは誰しもが疑問に思うことだった。

「技術的なことはクリアされている。まあ、実践してみなけりゃ判らねぇ部分はあるがな」

「そのようなことで出来るというのか」

「ここにいる誰もが見聞きしただけでやったことのねぇことにチャレンジするんだ。こればっかりはどうしようもねぇ」

「それこそ妄想や夢物語というんだ」

「やりもしねぇで、こんなところでくっちゃべってだけなら、それこそただの夢物語でしかなくなる。そうしないためにも実行するんだよ」マサは机を思いっきり叩く。「トレーダーがいない? ここにいるだろうが。下町には今、サウンドストームがある。そうだろうエアリィ!」

「はい」

 名指しされ少女は慌てて立ち上がる。

「宙港のファミリーに依頼するのは難しいだろう。しかし、今ここにトレーダーはいる。基部となる大石の搬送はエアリィ・エルラドにやってもらう。できるだろう?」

「はい。やれます」少女は強く応えた。「先日おこなわれた大石の搬送試験は成功しました。商工会の新聞でもそれをご存知の方はいらっしゃるでしょう」少女の言葉に石工の筆頭と商工会会頭は頷く。「実際に基幹部となる石はあれよりも巨大になりますが、サウンドストームのエンジン出力にはまだまだ余裕があります。どのような大石であっても搬送はできます」

 クロッセ・アルゾンもそれには太鼓判を押しているし、マサの機体整備も万全だった。

「あたし、エアリィ・エルラドの名において、この搬送を請け負います」

 少女は凛とした声で宣言する。

「しかしだな、どれだけ時間がかかると思っている? 聞けばこの子はいつまでロンダサークにいるというわけではないのだろう。工事が途中で中断してしまうことだってありうるのではないか?」

「そんなことは百も承知だ。だからこそ基礎部分なんだ。ここが一番難しいところで、これにはどうしてもトレーダーの協力が必要だ」

「期間はどれだけかかるというのだ?」

「そんなことはやってみなければわからん」

 何が起きるのかその場になってみなければ判らないのは事実だった。

「それでは無責任すぎるだろう。あまり多くの時間をかけるわけにはいかないのだぞ」

「あの高さまで石を地道に積み上げていくしかねぇんだぞ。期間なんて判るか。これまでだってその工期は地区によってまちまちなんだろう?」

「そうですね」ベラルが応じる。「一年以上かかった地区もあれば三ケ月でできた時もあります」

「あれが一週間かそこらで出来るなんて、お前らだって思ってねぇだろう? これからやろうとしていることは今の時代の者は誰も経験したことがないことなんだ。それを計算し期間を決めるなんてのは無謀なことだと思わねぇのか? それにな、これはトレーダー一人がやるんじゃねぇ、下町としておれ達がやるんだ」

「それこそ無謀だとは思わんのか! 途中で投げ出すわけにはいかんのだぞ」

「まずは基幹部だ。これさえ出来れば状況は変わる」

「基幹部ができただけでは状況は変わらんだろう。砂嵐から身を守ることは出来ん」

「それに石材はどうするのだ? あのような巨石を切り出すことはできるのか?」

「石の切り出しはどうだ、筆頭?」

 指名された石工の筆頭はゆっくりと立ち上がる。

「切り出しはやれる」

「本当か?」

「嘘を言っても始まらねぇ。確かにあれだけの巨石の切り出しは下町建設が行われなくなって以来百年以上、いやもっと長い間行われたことがねぇ。だがおれら筆頭には代々、様々な石材の切り出し方法が伝えられてきている。その中には外壁の基部となる巨石の切り出し方法も含まれている」どよめきと感嘆の声が広がる。「すでに切り出し場所は見つけてある。同様な石材での試験的な切り出しもやっている。工期に関して言わせてもらえれば、基幹となる石材の切り出しはひと月かからない予定だ。そしておれら石工はいつでも仕事に入れるぜ」

「やれるというのか?」

「石工の筆頭の名において問題ない」

 厳かにトーラムは長老達の前で言うのだった。

「さらに言わせてもらえれば、崩落した部分の石、すべてを取り除くのではなく使える石はそのまま残し使えるようにしたい。そうすれば工期は短縮できるし、トレーダーの負担も減らせるはずだ」

 そう言って石工の筆頭は腰を下ろす。

「すでに調査済みという感じですね」

 シュトライゼは顔を寄せ小声で筆頭に話しかける。

「マサからこの話が出てから協力させられたよ」

「工の頭らしいですね」

「まあ、はじめは驚いたが、嫌じゃなかったな」

 むしろ破壊された外壁の調査には率先して動いていたくらいだ。

 壁に上って石の状態がどうなっているかすべて調査し、状況把握は出来ている。

 劣化してパージしなければならない石も多かったが、使える石はそれ以上に多かったのである。

 大変な作業であったが、時間を忘れ没頭していたのも事実だった。


 マサが提示した陳情に対しての議論が熱を帯び始めたころ、診療所を束ねるサリア所長が五家の徒弟に案内され議場に姿を現す。

 彼女の姿に気付き驚くものも多かった。

 サリアが長老会に出席するのは、診療所開設に伴う審議の時以来だった。彼女の登場で主要な職種の長がそろったことになる。

「遅れて申し訳ありません」

 シュトライゼの隣に腰を下ろすと彼女は小声で言った。

「まだまだ、これからですよ。よく来てくれました」

「あなたやエアリィちゃんの頼みですもの、ここにきて私に役に立つことがあるとは思えませんが、どんなことがあっても約束は守りますよ」

「あなたが来てくれたことが、マサさんにとっても心強いはずですよ」

「それならばいいのですが」

「それに面白いのはこれからですよ」

 その後もマサやトーラムへの質問は続いていく。

 見当外れなものもあったが、それでも二人は可能な限りそれに答えるのだった。

 マサや長老達のやり取りは熱を帯びてきていた。

「それはすなわち工の民のエゴではないか?」

 ある長老がそう口にした。

 正式な発言でなかったが、それは質疑を行っていた場を一瞬凍りつかせるには十分な言葉であった。

 ここで普段のマサなら切れてもおかしくなかった。

 相手はそれを狙っていたわけではない。ただ、その思いは少なからず誰もが思っていることだろう。

 工の民が移住を余儀なくされた経緯を知る者は多い。

 マサは肩をすくめ、深呼吸でもするかのように大きく息を吸い肺の中からすべてを吐き出すのだった。

 やけにその音が議場にこだまするように感じられた。

「まあ、そう思える奴もいるよな」マサの声はいつもよりトーンが低く聞こえてくる。「あの地区の再生は工の民の悲願でもあるからな。昔のおれだったらそれが優先されていただろう」

「そんなことのために他を巻き込むな」

 ざわめきが広がる中、そんなヤジも飛ぶ。

「すまないな。どうしても工の民だけでは出来ないことだらけなんだ。下町みんなの力が必要なんだよ。そのためにはおれらの都合だけで物事を運ぶわけにはいかない。これをおれは下町全体のこととして考えている。今、話していることは個人としてではない、長老として長老会に、そして各長に聞いてもらいたいためだ」

 ここでいったん話を切り、議場を見回す。

 沈黙を賛同とうけとり、マサは話を続ける。

「ここにいる者達は土地の問題をどう見ている? もうどこも土地は余っていないだろう? ところが人は増え続けている。本来使えるはずの土地を遊ばせているわけにはいかないとは思わないか?」

「廃棄地区の再利用ってことは、それで得た土地は工の民のものになるんだろう」

「本来ならそう主張するつもりだがな。実際には廃棄地区を再生させても、工の民すべてが今の土地からの移住を望んでいるわけじゃない。移住させられて百年以上時間が経っていると、いつのまにかそこにおれ達も根づいてしまっているからな。おれはそれを強制することは出来ねぇと思った」

 長老になった時、最初にマサは工の民だけで集会を開き、再生への意見調整を図った。その時、すべての工の民にアンケートを取ったのである。

「そうなると高炉や工房を移したとしても土地はまだ余ることになる。その意味は判るよな? 他の地区でも移住を望む者がいれば受け入れる用意がある。再生とは言ったが、新しい地区をそこに造ることになる」マサの言葉にざわめきが起こる。「住人を募る。だがすぐには空いている土地が埋まるとは思えない。実際に慣れた土地を離れたがる者はそう多くはないはずだ。そこで提案がある。農耕の組頭」

「ようやく話が回ってきたかよ。なんだ?」

「お前さんは、ベラルが公開した映像をあの日、見たか?」

「映像? ああ、あれか。見たが、それがどうした?」

「イクークを砂地に大量に放したシーンを見て、どう思った?」

「そんな場面があったな」組頭は記憶をたどる。「……それが農地になったっていうやつがいたなぁ」

「そう見えたとおれも思った。お前さんはどう感じた?」

「腐ったイクークを肥料にはするが、それで砂が土に変わるとは思えねぇな」

「あれは生きたままのイクークだった。もしそれが事実だったら?」

「そんなことあり得るのかねぇ」

「それが証明出来るとしたらどうする?」

「面白れぇな。あたり一面の砂漠がなくなってしまうぜ。イクークは砂漠のいたるところにいるっていうのになぜ砂漠は土にならねぇ?」

「これは受け売りになるがよ。ある一定の面積に限定しないと土にすることは出来ねぇんじゃないか? 広大な砂漠を土に変えるにはイクークの絶対数が足りねぇんじゃねぇかな?」

「ほお、面白いこというな」

「空いた土地で実験してみてぇんだ。実を言うと廃棄地区はな、放置しすぎて大量の砂がたまっているんだ。昔住んでいた建物が隠れてしまうくらいにな。仮にそれをかき出すとなると相当の労力が必要になる」

「それだったら農地にすることか出来るか実験してみてぇと? 一石二鳥だなぁ」

「うまくいけばの話だがな」

「だが面白れぇ話だな」

「だろう」マサはニヤリと笑う。「現状農地の生産性は落ちてきていると聞くがどうだろう?」

「よく知っているな。マサとは思えねぇ」

「だから受け売りだって言っているだろうが。おれだけで考えたわけじゃねぇ。それは否定しねぇよ」

 マサは苦笑いする。

 もっと独善的な話になると思っていた長老達もいたくらいである。人の意見にも耳を傾け、その上で語りかけているマサを意外だとみる人も多かった。

「人は増えるが生産性は上がらねぇ。だったら農地を増やせねぇか考えてみるのも一興じゃねぇか?」

「それであの映像かよ」

「そういうこった」

「水はどうする」

「出来てもいねぇのにずいぶん先の話をするなぁ」

「何をするにも水は必要になるだろうが」

「今は水路が閉じられているが、元々は工区だった地区だ。水路には問題はねぇよな?」

 水門は閉じられていたが、水路は今も健在で、それは実証済みだった。

 マサは御三家を見る。

「ほかの地区との調整になるかもしれねぇが、高炉にはどうやったって水は必要になるからな」

 すでに割り当てが減らされるのではと心配する長老もいた。彼らは状況次第では反対に回りそうな勢いであった。それでもマサは以前ほど潤沢とはいえないかもしれないが、最低限の水は確保するつもりでいる。

「だったらかまいやしねぇ。おれら農区の民は耕せる土地と水さえあればなんだって育ててみせるぜ」

 現在下町の土地は限られ、その農地を得る者はわずかである。もし新しい農地が手にはいるとしたら、この話に飛びつく者も出てくるだろう。組頭はそう感じていた。

 マサは次いで親方を見る。

 目が合った二人の間に緊張が走る。

「さて、シルバーウィスパーの」

「今度はおれかよ」親方は立ち上がりマサをにらみつける。「今の流れから行くとイクークが狙いか?」

「そういうことだ。この試験には大量のイクークが必要になる。方法はあるか?」

「今は久々に豊漁が続いているが、これがいつまで続くかなんて判りはしねぇ。イクークの生態系なんざ誰もわかっちゃいねぇんだからな」

「飼育する方法も考えて実験したいんだがな」

「おいおい、牛や豚みてぇに、あれを育てるっていうのか?」

 過去に何度か試みられてきたが、成功したことはなかった。

「あの映像で不思議に思わなかったか? あれだけ大量のイクークがどこから湧いて出てきたかよ」

「そりゃあ、大型の砂魚漁船が今よりもあった時代だからな一気に集中して漁に出たんじゃねぇのか?」

「しかし、漁場は限られてんだろう?」

「漁に出てもいねぇのによく知ってんなぁ」

「いいブレインがついているからな」マサは少女を見ながら言う。「あの当時、イクークを飼育し増やすことは可能だったかもしれない」

「本当かねぇ」親方は懐疑的だった。「食糧問題は切実だぜ。それなのに失われてしまったていうのはどう考えたっておかしい」

「確かにそうなんだよな。だが、今それを議論しても始まらねぇ。お前さんの言う通り大型船で一気にかき集めたのかもしれねぇが、可能性としてはありうるんだ、それを考えてみてもいいだろう。それにこれに必要なのは生きたままのイクークだ。死んだやつを肥やしにするんじゃねぇ」

「しかも大量にか。どれだけ必要なんだよ?」

「詳しいことは先生に訊いてくれ」

「そう来るかよ」

 親方は豪快に笑った。

 二人の様子を見ていたネクテリアがしびれを切らしたように何度もマサに声をかける。それでも話を続けるマサにネクテリアは声を張り上げる。

「いい加減にしたまえ、マサ老!」

「どうしたんだいネクテリア師?」

「『どうした』ではない。発言は許したが、勝手に話を進めていいとは言っていないぞ」

「だから必要なことを話してんだろうが」

「不安がっている者もいるではないか」

「不安? そいつはすまねぇな」言葉とは裏腹に悪びれた様子もない。「さっきも言ったが、おれがどういう提案をしているのか説明しているつもりだ。その上で採決でも何でもして決めてもらう」

「だからな、お前が議事進行役ではないんだぞ」

「おれだけが話をしても説得力がねえだろう? 長の話を聞いた方が説得力あるだろうが、それにだ職種の長の発言は五家でも止められねぇと思ったが?」

「マサ! お前はどっちで話をしているんだ?」

「どちらでもあるよ。おれは工の頭でもあり長老だ。技術的なことは工の頭として言わせてもらっているが、いちいちそれを使い分けての発言なんかしていられっかよ」

 ネクテリアは苦虫をかみしめたような顔になる。

「おう、もういいか、ネクテリア師よ?」親方も割って入る。「こいつの言い分をおれが聞いてんだからよ。で、どれだけ必要だっていうんだ?」

「ひと航海分ほしいところだ」

「ずいぶん厳しいこと言ってくれんじゃねぇかよ。鮮度が問題なら近海でやるしかねぇんだぞ」

「近海じゃあ日々の漁に影響が出るだろう」

「無茶苦茶言いやがるな」

「そこで、あたしの出番なのでしょう?」

 少女が手を上げる。

「先日の飛行搬送で結果が出てるからな」

「なるほどねぇ。考えてやがるな」

 面白いといわんばかりであった。

「そこでだ。織物の長に頼みがある」

 意外そうな顔で彼女は立ち上がった。自分が長としてこの会議にいる必要があるのか分からなかったからだ。

「なんでしょう?」

「イクークを運ぶための大きな網がほしい」

「網ですか? うちは被服や装飾などが主な仕事ですよ」

「だからだよ」

「おれから言わせてもらえば」親方が口をはさむ。「イクークは大きな傷がつくと死んじまう。生きたまま運ぶっていうと荒縄とかごつごつしたものはイクークの表皮をすぐに傷付けてしまう。そうならないような素材の網が欲しいんだって言いたいらしい」

「そういうことだ。ありがとうよ、親方」

「なるほどシルクででも作りますか?」

 織物の長はにこやかに笑った。それは旧区向けに作る服の素材であったのである。

「そいつはいいや。イクーク様のお通りだってな感じだな」

 親方は笑った。

「大きさは?」

「やってくれるのか?」

「理論上は可能でしょう。試作で作ってみたいと思います」

 工房ではヴィレッジの豪邸に入る絨毯や天幕を造ったこともある。

「ありがてぇ。大きければ大きいほどいい。なるべく往復の回数は減らしたいからな」

「判りました」にこやかに織物の長は応えた。「旧区相手ばかりに使うのは飽きていたところです。デザインとしてはつまらないものですが試作でいくつか考えてみましょう。ところで」

「なんだ?」

「お代はどこから出るのかしら?」

「おれもそいつは聞きてぇな」

 織物の長の言葉に親方も同意する。

「そりゃあ、五家からに決まってるだろう」

 マサの発言にネクテリア、バガラ、カリブスがいっせいに声を上げた。むろん承認されて彼らが予算を組んでからの話だったが御三家の慌てぶりに会議は一時ストップする。


「さて順番が逆になってしまったが、これを見てほしい」

 マサは机の下の持ち込んでいた包みを置き、それを広げる。彼が取り出したのは精巧なミニチュアだった。

「これが再生された地区の完成した姿だ」

 隣の長老にそれを回してよく見るように指示する。

 町並みまで再現されているその精巧さに彼らは目を見張る。外壁をトーラムが再現し、その他をマサが作ったという。

「おい。石壁じゃなく見えるのは気のせいか?」

 崩れていた外壁は石壁ではなく鋼鉄製の壁になっている。それは港湾へ向かう鉄の扉にも似ていた。

「基幹部はトレーダーにやってもらうしかねぇが、おれたち工の民が再生するんだ、石と鉄で作り上げる」これならトレーダーの負担は減らせるとマサは言う。「期間がどうの、トレーダーがいなくなるのとごちゃごちゃぬかす奴らがいるが、これだったらおれらの仕事だ。道筋もある程度つけやすい」

「なぜ鉄の扉にする必要がある?」

「港湾部へつながる扉を造ったのはおれ達の祖先だからな。今のおれ達にそれが出来ねぇわけがない」

「それは判ったが」

「なあ、親方よ。港湾に入るのって大変だとは思わねぇか?」

「確かに時間はかかるがよ。港湾の設備を今更、動かすことも出来ねぇしな」

「だったらここをもう一つの港湾にしてもいいんじゃねぇか?」

 マサのその発言に親方と監督は思いっきり素っ頓狂な声を上げた。二人の反応を彼は満足そうに見つめるのだった。

「そのメリットは何でしょう?」

 冷静にシュトライゼは手を上げ訊ねた。

「まず考えたのは、工区をこっちに移したとして、商区から遠くなるということだ。そこに至るまで道は狭すぎて今は大量に物資を運ぶのに適しちゃいねぇ。今の工区にも外への小さな出入口はあるが大量の搬出には無理がある。だったら壁を修復しちまうついでにこっちにも港を作れないかと考えたんだよ」

 現在の工の民の住む地区は商区の端に隣接している。それは長い時間かけてそこまで伸びてきたといってもいいかもしれない。その利便性を捨てる必要はあるのかという意見も工の民にあったくらいである。

「なるほどそれは面白い考えですね」

 シュトライゼは目を細め考える。

「だったら、こちらにも商区を伸ばしてみましょうか?」

 商工会会頭は何気ない口調で言うのだった。

「そんなこと出来るのかよ?」

 マサが驚く番だった。

「利便性があればね」シュトライゼは言う。「実際に今の港湾はシルバーウィスパーが入港している間は他の砂魚船が利用しづらかったりもしていますよね」

「まあ、シルバーウィスパーが他に比べるとバカでか過ぎるからなぁ」

「小さくならねぇんだから仕方がねぇだろう」

 憮然とした親方だった。

「それに港湾は古くからあの場所にあり、どうしても砂路を使って入っていかなければならない。その時間を短縮できるのなら再生地区に新たな施設を作ってもいいと商工会は考えるのですよ」

「そうすると入口のあたりも船が入りやすいような設計にしなければならないか」

 マサはミニチュアを様々な角度から覗き込みながら考え始める。説明するのを忘れるほどだった。

「使いやすい設計にするのなら、あなた一人で考えるよりも監督や港湾の方々の意見も取り入れてみるといいのでは?」

「お、おう。そ、そうだな」咳払いする。「それじゃあ、その話はあとでな」

 監督と親方に合図すると、二人も同意するのだった。

「そんなわけで、港湾と同じように開閉式の扉を作ることでこういった利便性も生まれるわけで従来通りの石壁との比較もできるようになり、もし他の地区の外壁に同じようなことが起きても次にはおれ達でも対応が可能になるんじゃないかと思うわけだ」

 マサは懸命に廃棄地区の再生についての意義を説明する。

 それも終わろうとしていた頃、シュトライゼが発言を求める。

「マサ老の考えをわたくしなりにもう少し推し進めたいと思うのですがよろしいでしょうか? 今、長老会の継続審議となっているエアリィ嬢の一任している油の生産場をこの地に作ってはいかがでしょう?」

 少女からレイブラリーに託された安価で製造できる油を量産する計画が進められていた。長老会はその生産場所を検討してきたが、様々な地区との駆け引きもあり、いまだに場所が決まっていなかった。

 シュトライゼはその場所として最適だと提案するのであった。

「さらに付け加えさせていただければ、この再生された地区はこれまでにないモデルケースになると思われます。いままでは移民してきたオアシスからの人々か寄り添った単一の地区として構成されてきましたが、今回は農工商が一堂に集いマサ老が提案する計画を推進することになるでしょう。それは工の民が戻るだけでなく広く住人を募集することになるというのです。新しい形の地区が生まれることになります。これはかつてない計画であり、下町が団結するのに最適なプロジェクトになるのではないでしょうか?」

 シュトライゼはここでいったん言葉を区切る。そしてまた静かな中にも想いを込めて語りかけるのだった。

「我々は失ってばかりではありません。たとえ失ったとしても新たに築き上げることができるのです。再生、これを推し進めることこそがその証明であり、我ら下町の責務となるのではないのでしょうか?」

 シュトライゼは一つの地区にこだわらず広く下町全体のことを考えて今回の廃棄地区再生を推し進めようとするマサを称賛し締めくくる。

 最初はまばらだった拍手がいつしか全体に広がっていくのだった。

 それがひと段落してネクテリアはようやく一時休憩を宣言する。

「再開後、裁決を取るものとする」

 静まり返っていた議場にざわめきが広がっていく。

 議場を出ていく者も多かった。

 トイレに行く者やタバコを吸いに行く者、それぞれに時間を過ごす。それでも長老たちが二人以上そろえばマサの提言の話になるのだった。


「おつかれさまです、マサさん」

 長の席へとやってきたマサを少女がねぎらう。

「おう、ありがとよ」マサは本当に疲れ切った表情だった。「まったく慣れねぇことはするもんじゃねぇな」

「いえいえ、なかなか堂に入ったものでしたよ」

 シュトライゼが言う。

「最後はお前さんにいいところ持っていかれちまったがな」

「すみませんでした」

「だが、ありがとよ」マサは軽く拳でシュトライゼを小突く。「お前さんのおかげで話の最後が締まったよ。おれじゃあ、あそこまで言えねぇ」

「そんなことはありません。マサ老のそれまでの提言があったからこそ、わたくしも言えたのでありますよ」

「本当にすごいです。あそこまで下町のことを考えていたなんて」

 少女は興奮気味に言うのだった。

「いやまあ」少し照れるようにマサは応じる。「やりてぇことを考えたらおれ達だけでは出来ねぇって気付かされたからな」

 少女の頭をクシャクシャと撫でる。

「それよりも、長達に声かけてくれてありがとうな」

「マサさんの頼みですからね」

「それでもなかなか全員集められるもんじゃねぇぞ」

「確かにな」そう言ってマサの背中を親方は叩く。「じじいのくせに考えてやがるな」

「年より扱いすんじゃねぇや」

「じじいはじじいだろうが。それでもいいアイディアだと思ったぜ。うちの地区の長老には賛成しろって言ってきたぜ」

「おれもだよ」監督が言う。「おれたちが投票できないのが悔しいぜ」

 長老会で議決権があるのは参加する長老のみであった。五家も長も意見や裁定を提言するだけであったのである。


「ネクテリア師」

 議場の外へと出ていこうとするネクテリアをベラルは呼び止める。

「い、いや……気にならんか、ベラルは」

「気になりますよ。ですが、我ら五家は節度をもって行動しないといけませんよ」

「そうはいうがな」

 カリブスもバガラも同意する。

「我ら五家は中立です。裁定を申しわたすことは出来ても、決めるのは彼ら長老であり、それが長老会の総意となるのです」

「しかし、これが通るとなるとな……」

「予算もだが」

「どれだけかかるかも判らんし」

「成功するとは到底思えん」

「なぜそう悲観的に考えるのですか?」

「我らは技術もなければ、何も力も持ち合わせていないのだぞ」

「なぜ信じてあげられないのです?」

「そうはいっても、一度失敗すれば我らは立ち上がることすらできないダメージをこうむるかもしれんのだぞ」

「しかし、成功すれば未来への道が開ける」

「その可能性はゼロに近いだろう、ベラルよ」

「我らが大人のふりをして、彼らを押さえつけたとしたら何も進むことは出来ませんよ。危険だと思えることを止めることは簡単です。ですがそれでは先に進めません。人は失敗を糧に成長するのです。それが判らなければ他人を思いやることもできません。それに甘やかされて育ったものは厳しい環境で生きていけませんよ。過去をごらんなさい。我らがこうして進んでこられたのは祖先がたゆまぬ努力をしてくれてきたおかげなのです。今のことばかりを考えて先を見ようとしなければ、我らこのまま朽ち果ててしまうかもしれません」

「今を生き抜くことこそ重要ではないか」

「ではその先にいる我らの子らはどうしたらいいのでしょう? 我らが手をこまねいていれば未来の芽を摘むことになってしまう」

「万に一つも可能性がないことに投資することなど到底出来ん」

「本当にそうでしょうか? 食や住の問題はかなりきわどいレベルまで来ていると私は考えていますよ。マサ老の提案は十分に彼が練り上げたものであり、完全に否定できるものではありません」

 その心は十分に伝わってきた。

 他の長老にもそれは届いているだろう。

「百パーセント成功が約束されているものなどありません。なによりも我らに、彼以上のアイディアがないのなら、その提案を否定することは出来ないのではありませんか?」

「だが、本当に信じられるのか?」

「マサの言葉に感じるものはあったでしょう? 誰もが将来に不安を感じている。それを払拭するのも我らの務め。何も実行しないことが一番いけないことなのですよ」

「なぜお主はそこまで前向きになれる」

「そこまで楽観的にはなれんぞ」

「マサが言ったではありませんか、夢物語や妄想ではないと。彼らはウォーカーキャリアを再生させたのですよ」

「確かにそうだが、外壁はあんな小物ではない。始めてしまったら止めることのできない、一発勝負であり、できませんでは済まないことなのだぞ」

「それはマサ老も百も承知でしょう。だからこそ、プロフェッショナルを交えてその意見も聞きたかったのでしょうね。彼ら長の話は聞いたでしょう。どれも否定的ではありませんでした」

「確かに、やる気はあったようだが」

「では、その力を信じましょう。そして彼らの長老会の判断を」

 外に出ていた長老達が徐々に議場へと戻ってくる。

 それを見たネクテリアら三人もあきらめ席に着く。ネクテリア師が再開の木槌を打ち鳴らす。

 話し声がやみ議場は静まり返る。

 再開が宣言され、長老マサの提案に対する評決が行われる。


 長老会が終わる。

 興奮冷めやらぬ様子の者もいた。

 賛成三十二票、反対二十票。棄権が三票だった。全会一致とは至らなかったが、それでも過半数を取りマサの提案は可決されたのである。

 工期などの具体的な日程や予算などの提出がマサ老には求められる。

 さらに五家は外壁の復旧に際して付随して提案された案件を審議することも求めてきた。砂地から農地を生み出す実験と第二港湾建設、そして精油場の建設が話し合われることとなったのである。

 これらはそれぞれ別々に話し合われる予定だったが、イクークやその搬送などそれぞれに長がかぶっていることから集中審議となった。さらにそこにオブザーバーとしてクロッセ・アルゾンも出席を求められることになる。

 長時間にわたる審議は久しぶりのことだった。

 時間を気にして素早く議場をあとにする者もいたが、マサに話しかける長老達の姿も多かった。その中には何らかの利権や見返りを求めるものも少なくない。

 マサは精一杯笑っているようだったが、その笑顔は引きつっているようにも見えるのだった。

 それから解放されるとマサは彼を待っていた少女やシュトライゼのもとにやってくる。

「疲れるわ」

 ため息交じりでマサは言うのだった。

「仕方がありません。今回の長老会は誰も体験したことのない会議になったのですからね」

「今まで議論しなかっただけじゃねぇか」

「あなた本人も含めてね」

「余計なお世話だ」

 シュトライゼから視線を外しマサは小声で言う。

「親方と監督はどうした?」

「二人なら作戦を練るってくり出しましたよ」

「くり出すって、お前、それはただ飲みたいだけなんじゃねぇのか?」

「そうとも言えますかね。ですがまだこれからも審議があるとしても、長老会の約束は取り付けたんです。もう復興への動きは始まっているのですよ」

「お、おう」

「まったく、商工会としても忙しくなりそうですよ」

「あたしは楽しいですよ」笑みをもらすシュトライゼに少女も笑いかける。「マサさんにようやくお返しができます」

「ありがとよ」

「絶対にやりますよ」少女はこぶしを握り締め笑顔で言うのだった。「満場一致とはいかなかったのが残念ですね」

「足並みがそろわないのは仕方があるめぇ」

「関係がないと思い込んでいる地区もありますからね」

「そうではないのに」

「全体として先が見えないのは仕方がありません。誰しもがそうではないのですから。それに水も含め数々の利権も絡みますからね」

「そいつらにも納得してもらうように話を持っていくしかねぇな。反対していたところは判るか?」

「おおよそは」

「だったら、あとで教えてくれ」

「彼らの情報もお付けしますよ」

「ずいぶんと優しいじゃねぇかよ」

「そりゃあ、こんなところで時間を食っていられませんから、出来るかぎり迅速に商工会としても対応させていただきますよ」

 キラリと光る眼鏡の奥は笑っていなかった。

「ま、まあ、よろしく頼む」

「それはそれとして、お待ちかねですよ」

「すまねぇな」

 シュトライゼと少女に伴われ、マサは歩き出す。

 その先には診療所所長、サリア女史の姿があった。彼女に世話になっているものも多いのだろう、あいさつに訪れるものは多かった。いつの間にかサリアを中心に輪ができている。

 シュトライゼが声をかけるとサリアは周囲の者に挨拶し、二人のもとにやってきた。

「お待たせしました」

「すいません、お呼びだてしてしまい」いつも以上にマサは丁寧に話しかけていた。「本来ならおれ達の方から出向かなければならない話なんだが」

「そんなことはありませんよ。事情を理解してほしいとエアリィちゃんからも言われていましたから」

「本当にすまない」

 サリアから差し出された手を取りながらマサは深々と頭を下げた。

「お話を聞かせてもらってよかったですよ」

「それなら……まあ、よかったが、聞いての通りおれ達は今では誰もやらなくなったことをやろうとしている。そのための事前準備はすでに始まっているし、廃棄地区にはこれらを始めるための前線基地も設置しているんだ」

「大変なのでしょうね」

「わざわざ来てもらって、勝手なお願いではあるが聞いちゃくれないだろうか?」

「私たちに可能なことであれば」

「もちろんだ。これはあんたたちに頼むしかないことだ」

「判りました。お聞かせください」

「あんたたちが忙しいことは聞いている。それでも工事現場に臨時の診療所を作っちゃくれないだろうか? 療法士を常駐させてほしいんだ」

 それは切実な願いでもあった。

 すでに工の民だけで外壁の点検と調査、石材の試掘が始まっている。その士気は高かった。

 高い故に彼らはその仕事に没頭してしまう。集中するあまり食事や休憩すら忘れしまうほどであった。そのために過労や熱中症で倒れるものが出始めていた。一刻を争う症状の者も出てしまったのである。

「本格的に工事が始まったとしたら、こういった症状だけでなくケガ人も出てくるだろう。危険な場所での作業も増えてくる。軽いものだったらいいだろうが、緊急を要するものも出てくる可能性がある。そのためにも療法士がどうしても必要なんだ。おれら年寄りならどうなってもいいが、若い連中はそうはいかねぇ」

「そのようなことは言わないでください。確かに若者の未来を守るのも大切ですが、あなた方お年寄りの力も必要ですよ。若い人たちを引っ張り指導するのが皆さんの役割でもあるのですからね。きちんと監督管理してくださればそれだけ療法士の仕事も楽になります」

「お、おう」

「本来ならわたし達が率先してやらなければならないことです」

 マサの手を取りサリアは言う。

「私たちの力が必要とされる限り、私たちはどこへでも参りますよ。協力させてください」

「ありがてぇ。本当にありがてぇ」

 少女もその言葉を聞きサリアに抱き付いた。

「あの子だったら、きっと頼まれなくても現場に赴いたでしょうね。診療所はロンダサークのためにあるのですから」

 その言葉に感極まったか、マサは涙を流す。そしてサリアの手を握ったまま何度も頭を下げるのだった。



 4.



 夜が明けようとしていた。

 アベルは背伸びすると固まっていた体を伸ばすと、あちこちが軋んでいた。

 まさか徹夜になるとは思わなかった。

「よし」

 できた品を何度も角度を変え見返し、アベルは頷いた。

 気分は高揚し、まだ眠くはない。むしろ目が冴えてきている。

 品評会へ出品する作品がようやく出来上がった。それは締め切り最終日のことである。

「なんだ、早いな」

 工房の扉が開き、マサが入ってくる。

「お、おはようございます」

「なんだアベル、お前、徹夜しやがったか?」

 アベルの顔とその周りに散らばる工具を見てマサは言う。

「は、はい。すいません」

「あやまることはねぇ、締切日も近いから仕方がねぇな。それよりも作品は出来たのか?」

「これです、頭」

 勢いよくアベルは品をマサに差し出した。

「これか?」

「はい。どうでしょう」

「ほお、いい出来栄えだな。お前らしさが出ている」

 ひと目見てマサは言った。

「ありがとうございます」

「それにしても、こんなものを品評会に出す奴は初めてかもしれねぇな」

「そうなんですか?」

「てめぇが使うものなんだろう?」

「ど、どうし判ったんですか?」

「気付かれねぇように掘ってるつもりだろうが、おれから見れば一目瞭然だぞ。イニシャル入りなんてよ。こういうのは作品が返ってきてから掘りやがれ」

 マサは豪快に笑いながら言った。

「す、すいません。やり直した方がいいですかね」

「そんな時間あるのかよ」

「あ、ありませんね」

「だったらこのまま出しちまえよ。おれとしちゃあこの方が面白れぇ」

「そういう問題ですか?」

「かまいやしねぇよ。てめぇが造りたいと思って造ったんだろう? だったらいいじゃねぇか、その粋や良しだ。気に入ったよ」審査委員がどういう判断をするかは別問題だったが。「おれとしちゃあ、及第点くれてやるよ」

「本当ですか」

「それを渡すときには、おれにもその彼女ってやつを紹介しろよ」

「えっ、ええ~っ!」

「なんだ違うのか?」

「そ、そうじゃありませんが……、というかそうなんですけど……」

「だったら、いいじゃねぇか」そう言ってマサは一組のリングをアベルに返す。「てめぇの好きにしろ。これはこれで結果が楽しみじゃねぇか」

 手の中にあるリングを見つめながらアベルは高揚感もどこへやら、気恥ずかしさがこみあげてくるのだった。

「なにボーっとしてやがる。これを使って適当に台座こしらえて商工会へ持って行け」

 淡いピンクのシルクの布を渡しマサは言うのだった。

「えっ、で、でもこれは」

「ヴィレッジなんかに使うのは勿体ねぇや。それに使え。その彫金だったら合うだろうよ」

「頭……」

「とっとと準備して、早くいって来い! 間に合わなかったじゃすまねぇからな」

 慌てて小さな台座をこしらえ始めるアベルだった。

 その姿を横目で見ながら、弟子の成長を感じるマサだった。

「まったく、人生ってのは真っ直ぐじゃねぇな」

 考えなければならないことは多かったが、それでも気分は良かった。

「まあ、だからこそ人生は面白いんだよな」



      <第二十四話 了 第二十五話へ続く>


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ガリア 序・星降る夜に 無海シロー @Mukai-Siroo

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