ガリアⅧ ~よみがえる魂(前編)

 1.



 熱砂の大地、ガリア。

 地は砂の平原が見渡す限り続く。

 空もまた大地を映す鏡のように砂塵が舞い上がり、雲となり天を覆う。

 巨大な太陽はすべてを焼き尽くさんと降りそそぎ、風が熱く乾ききった空気を運ぶ。

 過酷なる地に人は生きる。



 2.



 肌に突き刺さるような強い日射しがオアシスに降りそそぐ。

 頂点まで昇った太陽は容赦なく照りつけ、陽炎を生み出し肺を焼きつくすほど大気を熱する。

 通りを歩く人もまばらで、街はひっそりとしている。

 そんな時でも子供達は元気に下町の路地を駆け抜けていく。

 目指すのは廃棄地区。そこは彼らが新しく見つけた秘密の遊び場だった。

 下町に広い空地はない。

 路地裏や城門近くに出来た日影の砂場などが唯一の遊び場となる。狭いところで彼らは球遊びや陣取りなどのゲームをして遊んでいた。

 崩れ落ちた石材や廃屋を使いかくれんぼや追いかけっこをしている。

 子供達が入り込んだ地区は、元は下町の一部だったが、百年以上も昔に巨大な竜巻によって外壁が破壊されてしまう。修復もままならず、嵐からの防御を失った区画は危険だとされ、長老会の決定によって放棄され封鎖されてしまったという。

 その後、無人となった区画は、幾度となく襲った砂嵐や竜巻によって荒廃する。残された家々は倒壊し、砂の侵入を許してしまっているのである。

 トッ、トッ、トッ、トッ、ト。

 太鼓を叩いたような規則正しい音が外壁の向こう側から聞こえてきた。

 遠く小さかった音は徐々に近づいてくる。

 廃棄地区で遊んでいた子供達は、その音に気付き遊びを止めて、音の主が現れるのを待つ。

「エアリィ!」

 砂上トラクターが崩れた壁の向こう側からゆっくりと姿を現すと、待っていた子供達が運転席にいる少女に手を振る。

 少女が手を振り返すと子供達全員がいっせいに駆け寄っていこうとする。

 危ないからと、少女は手でそれを制する。

 砂上トラクターは後ろに大きなそりを引いていた。そこには小型のウォーカーキャリアが鎮座している。

 少女は何度も後ろを振り返りながら、トラクターのハンドルを切り、崩れた城壁の隙間から廃棄地区の中へとウォーカーキャリアを運びいれようとする。

 難しい運転だったが、少女はウォーカーキャリアの乗ったそりを廃棄地区の中に引き入れた。

 砂上トラクターはサンドモービルに比べ機動力はないが、軽砂上船などの重量物を牽引することが可能だ。車体後部には火災の際に砂を吹き付け、消火活動をおこなう機能が付いている。さらに砂嵐の後には街にたまった砂を回収し外壁の外へ捨てることが出来る。

 廃棄地区に牽引してきたウォーカーキャリアを、二人がウォーカーキャリアのテストをおこなっているあたりまでゆっくりと進んで行く。

 その横を子供達が並んでついてくる。

 オアシスの人々に迷惑をかけないようにと二人はこの場所を実験場に選んだ。

 人目に付かない場所で、ひっそりとウォーカーキャリアのテストをおこなおうとしていたのだが、派手なエンジン音だけでなく爆発音や黒煙まであがればオアシスの人々も壁の向こう側で何かが起きていると気づいてしまうのだった。

 いつの間にか忍び込んできた好奇心旺盛な子供達が実験のたびに二人のもとに集まってくるようになっていた。

 エンジンを切りトラクターから降りた少女を子供達が取り囲む。

「ねぇねぇ、きょうはどこまであなをほるの?」

「これは穴掘り機じゃないって何度も言っているでしょう」

 うんざりしながら少女はつぶやく。

「でも、ず~っとあなばっかりほってるじゃん」

 子供達は何度もうなずく。

「コーリィ……好きで掘っているわけじゃない」

「すなでうまっていたいえもでてきてる。きょうはなにをみつけるの?」

 子供達は二人の実験を見て、砂に埋もれたものを発掘する作業だと勘違いしている。

「クロッセも笑っていないで、なにか言いなさいよ!」

 移動中もウォーカーキャリアのコックピットで点検や調整作業を続けていたクロッセを怒鳴りつける。

「そうだなぁ。今日は家の土台が見えるくらいまでは砂を吹き飛ばしたいな」

 その言葉に子供達が歓声をあげる。

 少女は頭を抱えた。

「クロッセ、あなたねえ!」

「ああ判っているよ」

「なら、なんで!」

「そこまで砂を吹き飛ばすことが出来れば、機体を浮かすことができるんじゃないかな」

 コックピットから降りてきたクロッセは気にする様子もなく笑いながら少女の頭を軽く叩いた。

「さあ、今日も頑張っていこうか!」


 エアリィはコックピットのスロットにカードを差し込むとエンジンを始動させる。

 ウォーカーキャリアに命の炎がともる。

 ガタ、ガタ、ガタと機体が振動し、少女の身体に伝わってくる。

 しばらくすると揺れは小さくなっていき、エンジンの回転も安定していった。

 それとともに少女の気持ちも高ぶっていく。

 ハンドルを何度も握りしめなおした。

 計器類の数値はすべてグリーンゾーンで小刻みに動いている。

 アイドリング状態のまま、まだスタートはさせずアクセルを軽く何度も踏み込む。

 エンジンのふけ上がりは悪くない。

 小さなノイズはあるが、大きな異音は聞こえなかった。

 ノズルやスラスターを動かしてみる。

 機体の後ろにいるクロッセが『異常なし』と合図を送ってくる。

「エンジン良好。行くよ!」

 クロッセに合図すると、少女はハンドルを引き、アクセルを踏みしめると、ウォーカーキャリアを動かしていく。

 以前とは比べ物にならないくらいスムーズに二本の脚が動き、機体が持ち上がる。

 少女が謎の遺跡で見つけた部品の効果だった。

 それを使いクロッセが日々改良を続けてきた結果である。

 歩くことさえままならなかったウォーカーキャリアは短時間なら歩行も可能になった。まだテストに支障があるため牽引してきているが、ヴェスターの館から廃棄地区までの移動も出来るようになっていた。

 だが、ここまでの道のりは平たんなものではなかった。

 外装を外した状態からテストを始め、エンジンの出力を最大にまで上げ、さらにそれを持続する実験を続けていく。

 最初のノズルからの噴射テストでは伝動管が破裂し二つあるノズルの一方が使用不能になり機体を横転させた。その後も浮力が得られないままエンジンのオーバーヒートを何度も繰り返してきたのである。

 パワーは上がったが、エンジンがそれについてくることが出来なかったのだ。

 黒煙を上げて止まってしまったこともある。

 その度にクロッセはエンジンに送り込む力を調整し続け、長時間稼働出来るように改良していった。

 パワーが安定してくると、今度は外装を取り付け脚部の可動をおこなう。

 長い間、保管放置されていた部品は各部で劣化が進んでいて、補修は容易ではなかった。

 クロッセが軽量化のために外装から取り外してしまったものもあり、アームなどは元通りにすることが出来ず、そのまま放置されてしまったパーツもある。

 ケーブルが断線したり、エンジンが本当に使えなくなったのではというくらい壊れた時もあった。

 あきらめなかったのが不思議なくらい過酷な作業が続いた。

 ヴェスターの館にある納屋が二人の工房となっているのだが、そこは時に人が足を踏み入れることが出来ないほどの惨状を見せていた。

 ときには寝食を忘れて作業を続ける二人をシェラやマーサが心配し何度も様子を見に工房にやって来たほどだった。

 それだけに自力で壁の外へ歩行できた時、少女はコックピットの中でひとりうれし涙を流した。

 パワーが安定し、歩行が可能になったウォーカーキャリアの次のステップは本来の動きを取り戻すことだった。

 機体を浮かせ、そして飛ばす。

 そのために廃棄地区でテストを繰り返してきたのだが、結果はこれまで砂を吹き払うだけで、砂に埋もれていたものを掘り起こしただけだった。

 それを見た子供達は、二人が砂払いや穴掘りをしているのだと思い込んでしまっているのである。

「各部異常なし」

 ウォーカーキャリアはそりから離れ、十数メートル移動して脚部を折りたたむと砂地へ機体をおろした。

「モードチェンジ、OK」

 クロッセや子供達が物陰に隠れたのを確認すると少女はエンジンのパワーを上げていく。

 砂地に向かって開かれたノズルから力があふれだし、大量の砂塵が舞い上がる。

「行け! 今度こそ!」

 スイッチを入れギヤを切り替えると抑えつけられていた力が一気に開放される。

 二つのスラスターから勢いよく噴き出した力で左右に砂が吹き飛ばされていく。

 両サイドのパワーバランスを示すカウンターの数値はどちらもほぼ同じだった。

 アクセルをさらに強く踏み込む。

「はじまったよ」

 子供達がクロッセの腕を引く。

「そうだな。今度こそは」

 彼の握る拳にも力が入る。

 かなりの量の砂を吹き上げていたが、機体は沈み込んでいない。

 むしろ地面よりも少しだけ浮きあがっているようにさえ見える。

 機体が左右に小刻みに揺れていた。

「すごい、すごい」

 子供達が高く吹き上げられた砂の柱を見てはしゃぎまくっていた。

「……もっと、もっと、パワーが上がってくれ……」

 祈るような気持ちでクロッセはウォーカーキャリアの様子を見つめる。

 そして、彼らは目撃する。

 一瞬の出来事だった。

 機体の両側にまき散らされた砂の勢いが強くなり、ウォーカーキャリアの姿さえ隠してしまう。

 それは竜巻のような音にも聞こえた。

 砂嵐の壁の向こう側からウォーカーキャリアが飛び出してきたかと思うと、次の瞬間には轟音をたてていたノズルからの音が止まる。続いて叩きつけるような音とともに砂地に落ちた機体は、四方八方に砂をまき散らしながら数メートルにわたって滑っていく。

 クロッセが飛び上がりながら万歳をし、雄叫びをあげる。


「あれは……あの感覚は何だったのだろう?」

 両手を見つめ少女は考える。

 アクセルを踏み込み続けると機体の揺れが徐々に強くなる。

 支えのなくなった機体が安定を保てなくなっていたのだが、その状況を見ることができない少女は必死になってバランスをとろうと左右のノズルの出力を調整しようとする。

 計器を見ている余裕はなくなっていた。

 一瞬ハンドルを持つ手が軽くなった。

 何かから解き放たれたような……。

 そう思えたのはほんの一瞬で、次の瞬間には叩きつけるような衝撃とともに身体はシートに叩きつけられてしまう。シートベルトを締めていなければ衝撃でもっと強く頭を打ち付けていたかもしれない。

 気がつくとノズルの噴射テストを始めた場所から数メートル前に移動していた。

「……とべたのかな……」

 クロッセも子供達も突然砂の壁から飛び出してきたと言っていた。

「どうしたの、エアリィ、あたまいたいの?」

 少女の袖を男の子が引っ張る。

 心配そうに少女の顔を覗き込んでいた。

「大丈夫だよ、テオ」

「ねぇねぇ、エアリィ、あそぼうよ」

 元気そうに笑う少女を見て子供達が彼女の手を引く。

「おわったんでしょう?」

「そうだね」

 少女は機体に寄りかかりながらコックピットを見上げる。

 クロッセが機体の状態を調べているが、エンジンはオーバーヒートしていて当分動きそうにない。

 いつも通りそりに乗せトラクターで牽引して帰ることになるだろう。

「クロッセ、どう?」

「時間がかかりそうだな」工具を片手に汗をぬぐう。「ナノは機能しているから、直るだろうけれど……」

「じゃあ、この子たちの相手をしていてもいいかな?」

「ああ、かまわないよ」

「わかった」少女は子供達に向き直り微笑む。「じゃあ、遊ぼうか」

 子供達は跳びあがって喜ぶ。

「ソリあそびがいい!」

「ジャンプだい、つくって!」

「きょうそうしようよ」

 小さな子供達が、いっせいに声を上げて、少女をトラクターまで引っ張っていく。

 牽引ワイヤーをはずすと少女はトラクターを動かし、まだ形が残っている家の残骸を探す。土台となるものを見つけるとトラクターは砂を放出し砂山を作っていく。

 子供達は持ってきた板や布を手にして砂山が出来るのを今か今かと待ち構える。

 エアリィよりも年下の下町っ子達だった。

 最初に廃棄地区に忍び込んできたのは数人で、遠巻きにエアリィやクロッセの様子をうかがっているだけだった。

 テスト運転では、今までのこともあり何が起きるかわからない。

 少女は注意するように子供達に声をかけた。帰れとは言わず近くでウォーカーキャリアを見ることも許した。隠す必要もなかったし、その点に関してはクロッセも何も言わなかった。ただそれだけのことだったが、いつの間にか子供達は少女に懐き、集まって来る人数も増えていく。

 不思議な気持ちでエアリィはそれを見ていた。

 少女は手が空くと一緒に休憩しながら砂漠での遊びを子供達に教えてあげる。

 砂丘での砂そりや広い場所での球遊びがそれだった。

 大きな砂丘を知らないオアシスの子供達にとってそり遊びは未知の遊びだった。

 実際にそれを見せるために少女は砂上トラクターを使い人工的な砂山を作り、子供たちに実演して見せた。

 出来あがった三メートルほどの砂山の頂に登った子供達が歓声を上げて滑り降りてくる。

「熱射病にならないように気をつけるのよ!」

 フードや帽子を忘れないように子供達に注意する。

 照りつける太陽は容赦がない。

 少女は刺すような日射しにうんざりしながら、子供達が滑り降りているのとは反対側に小さな台を作り始める。滑った勢いでジャンプする台だった。

 すぐに崩れてしまうが、数人で競争するには十分なものだ。

「ねぇねぇ、できたぁ?」

「こんな感じかな、試してみましょう」

 少女がどれくらいジャンプするのか、子供達はジッと見つめる。

 キャラバンにいた頃には巨大な砂丘の天辺に立ち、何十メートルも先の砂底まで滑り降りたこともあった。今少女が作った砂山くらいの砂丘を台にしてジャンプしたことだってある。

 ファミリーの子らと速さや距離をよく競ったものだった。

 それに比べればあまりにも小さな台だったが、少女はマントを脱ぐとそれを下に敷き砂山の上から滑り降りる。

 ギャップが小さいため台から離れる寸前に足を使いタイミング良く跳び出す。

 着地がうまくいかず前に倒れ手をついてしまうが二メートルほどは跳んだ。そこに線を引く。

 それを見た子供達が、少女の記録を抜こうと滑り始める。

 静かな廃棄地区に子供達の元気な声がこだまする。

 それは外壁の影が辺りをおおうまで続いたのだった。



 3.



「どうしたんだい、エアリィ、元気がないね?」

 夕食に現れたヴェスターは少女に訊ねる。

 先に食卓についていた少女は心ここにあらずといった様子だった。

「そ、そうかな」

「そう見えるがね。それにその額の絆創膏はどうしたのかな?」

「こ、これはたいしたことないっていったのに、マーサさんが、その……」

 額を抑えながら慌てて手を振る。

「なにを言っているのですか、お嬢様。血が出ていないのが不思議なくらいでしたよ。お顔に傷が残りでもしたら大変です」

 給仕をしていたマーサが少女に厳しい口調で言う。

「マーサさんは気にしすぎなのよ……」

「それに旦那さま、聞いてくださいまし、ケガも増えているのですよ」

 マーサは少女の近頃の様子を語って聞かせるのだった。

 クロッセと少女が壁の外へウォーカーキャリアを運び出した日は毎回、治療箱を持って帰りを待っているのだと言う。

 ヴェスターには女中頭と少女のやり取りが見えるようだった。

「……だから、大丈夫だって……。ちょっとぶつけただけだから」

「そうか。クロッセ君とはうまくやっているのかな」

「もちろんよ」少女は頷く。「クロッセはすごいのよ。あたしの注文にすぐに応えてくれるし、問題が見つかっても次には改善してくれるの」

「彼は天才なのだろうね」

「うん、でも……」

「どうしたのかね? 商売が行き詰っているのかい?」

「ううん」少女は首を横に振る。「商いは順調よ。もっと量を増やすことが出来ればいいのだけれど、それにはもう少し機材が必要なだけだし」

「ではウォーカーキャリアのテストがうまくいっていないのかな?」

「どんなにクロッセが頑張っても、今のままでは限界……」

「なるほど」

「歩行は問題なく出来るようになったわ」

「それならば砂漠へ出ても大丈夫なのでは?」

「でも、それだけではダメなの」

 ヴェスターを見つめる少女の瞳は真剣そのものだった。

 彼は黙ったまま少女の次の言葉を待つ。

「あのウォーカーキャリアは歩くだけではダメなのよ。本来できたはずの機能を取り戻さなければいけないの」

「本来の機能? アームとかかな?」

「確かに外装もいろいろと変わってしまっているわ。テストの過程ではずしてしまった物もいっぱいあるとクロッセは言っているけれど、見た目だけじゃない。あのウォーカーキャリアは……」そこまでいって少女はどう説明したらいいのか一瞬迷う。「……歩くだけじゃなく浮くことが出来るのよ」

「浮く?」

「何の支えもなく、そう空中に浮くの」

 少女は身振り手振りを交え、浮くという概念を伝えようとする。

「凄いな」

 ヴェスターは口ではそういいながらも理解できていない様子だった。

「それができなければ意味はないわ」

「なるほどね」

「今日、少しだけ飛べたみたいだけれど……」

「では」なんとかなるのでは?

「このままじゃダメなの!」少女は強く首を横に振る。「エンジンの出力が足りないの。あたしが砂漠で見つけてきたパーツでパワーは上がったけれど、今のエンジンでは長時間その力に耐えられない……」

「あのエンジンは小さいからな」トラクターのエンジンではウォーカーキャリが動くのも奇跡だろう。「それにこのままいけば、いずれナノマシンでも修復不可能になる日が来るだろうな」

「でも、あたしたちにはあのエンジンしかない」

 少女は大きくため息をついた。

 体が小さくしぼんでしまったように見えてしまう。

「何とかしたいかね?」

「したい」

 絶対に、少女はそう言い切る。

 何度、大きな壁が立ちはだかろうと諦めたくない。

「方法はあるのかね?」

「……クロッセにできることはもうなくなってきている。限界……」

「そうすると」

「新しいエンジンがほしい。小型でパワーがあるものがあればなおいいのだけれど」

「大きいものではダメなのかい?」

「あのフレームの中に収まらなければ意味がないと思うの」

 しかし、ウォーカーキャリアのパーツは大小問わず入手が困難なものである。エンジンとなるとなおさらだった。

「予備のエンジンを持っているファミリーに交渉してみるしかないのかしら」

 たとえそれが可能だとしても法外な値が付くことだろう。

「宙港にやって来るキャラバンが少なくなってしまった今、それも難しいだろうな」

「どうしたらいいのかな……」

「そうだな。管制塔に相談してみるというのはどうかな」

「仲介を頼むの?」

「それも出来るが、あそこには過去に放棄されたウォーカーキャリアのパーツがいろいろと眠っているという話だ」

「本当に! エンジンもあるの?」

 少女は身を乗り出して訊ねる。

「廃棄されたものが多く品質は保証しかねるだろうが、エンジンもあると聞くよ」

 錆ついていたり、キャラバンからも捨てられてしまったものがほとんどだというが、使えるものも保管されているだろうとヴェスターは言う。

「そ、それでもかまわない! 見せてもらいたいわ!」

「ただし」

「他にも何かあるの?」

「そんな曰くつきのものでも、売り物なんだよ、エアリィ」


 光の射しこまない管制塔の一階を二つの明かりが進んでいく。

 ペンシルライトを片手にトレーダーは積み上げられたガラクタやケースをよけると、そこには扉が浮かび上がる。

 男はカードリーダーを見つけると自分のカードを通す。

 扉が音もなく開いた。

「ここを開けるのも久しぶりだよ」

「そうなのですか? 意外です。ウォーカーキャリアのパーツは高値で取引されていると聞きましたから」

「それも昔の話さ、この部屋の存在を知るトレーダーも少なくなった」古参のトレーダーは苦笑する。「ここのことはヴェスターから聞いたのかね?」

「はい。そうです、デドライさん」

 少女は管制塔へ行くとまっすぐにデドライのところへ向かい、保管されているパーツのことを訊ねた。

 管制塔のトレーダーの中で一番話しやすかったし、交渉するなら彼だと考えたからだ。

「ヴェスターなら知っていてもおかしくないな」

 部屋の中に入ったデドライが壁のスイッチに触れると、天井の明かりがともる。

 闇に慣れた目にはまぶしかった。

 閉じた瞼をゆっくりと開けていくと少女の目にとび込んできたのは無数の機械部品だった。倉庫は広く部屋の奥まで所狭しとウォーカーキャリアのパーツが並んでいる。

「す、すごい……」

「今は倉庫というよりは、ただのがらくた置き場だがな」

 デドライは自嘲気味に笑った。

「これ、本当に全部、ウォーカーキャリアの部品なのですか?」

「そうだ。三百年前のものもあるといわれているよ」

「そんなに? 信じられない」

「まあ、確かめようがないがね」

 昔は台帳にも記され、その数もきちんと管理されていたらしいが、見向きもされなくなった今は、この倉庫の状況を把握する者すらいなくなっていた。

「それに動くのかしら?」

「どうだろうな。それを確かめる術は失われてしまっている」

 キャラバンから不要とされたものがほとんどだった。過去から現在に至るまで大破したり放棄されたウォーカーキャリアから取り出されたものが運び込まれている。なかには本当に壊れてしまっているパーツもあるという。

「それでも、売り物なのですよね」

「そうだ」

「残念」

 少女は肩をすくめる。

「売り買いする者がいなくても、これはトレーダーの物であるからね」

「地根っ子にも、ヴィレッジにもわたすつもりはない?」

「そうだ」デドライは頷く。「動く保証も、どんなパーツなのかも判らない。技術が失われ、その活用も難しくなってしまっていても、これは我らトレーダーのものだ」

「そうだですよね」

 技術の継承者たるヴィレッジは衰退し腐敗しきっている。

 修理でさえ困難になっている今、キャラバンはウォーカーキャリアを維持していくだけでも大変な状況だ。リスクを冒してまで利用方法も判らないパーツを欲しがるものはいなくなっているのも事実だった。

「それでもパーツを買おうというのかね?」

「はい」

 少女は古参のトレーダーの問いかけに、きっぱりと頷く。

 話を持ちかけられた時、デドライは耳を疑った。何の冗談かと思ったが、少女は真剣なまなざしで訴えかける。

「金貨二十枚だとすると、エンジン一基だな」

 好きなものを選んでいいとデドライは言った。

「この中から……」

 想像していた以上の数だった。

 クロッセを連れてくることが出来たなら、彼に選ばせていただろう。

 しかし、トレーダーではない彼を管制塔に入れることは許されない。

 エンジンだけではなく他の部品もあり、見分けがつかないパーツもある。注意深く見れば錆ついたものや、焼けこげ破損しているパーツもあった。

 動く保証すらないパーツもあるというのである。

 この途方もない量の部品の中から少女はエンジンを見つけ、一基、選ばなければならない。

「……これはどう考えても、分の悪いギャンブルよね」

 金貨を砂漠に投げ捨てるようなものだという者もいるだろう。

 それでも、少女は今の状況を打開するために、これに掛けるしかなかった。

「興味本位で訊くが、どうしてエンジンが欲しいのかね?」

 途方に暮れている少女を見て、デドライは訊ねる。

 少女はトレーダーだったが、今はキャラバンから離れて暮らしている身、商いのためだとは到底思えなかった。

「えっと……」

「言いづらいことなのかね?」

「信じてもらえるかどうか……」

 少女は話していいものか迷った。

「それは途方もない話なのかな?」

「そうかもしれません」

 少女は意を決すると、笑みを浮かべクロッセと二人で進めている実験のことを話し始める。

 真剣に。

 それは少女の熱い想いでもあった。


「あのガキ、本気で言っているんですかい?」

「あの瞳は嘘偽りのないものだった」

 バスガルの問いかけにデドライは答える。

 管制塔の最上階から走路を見下ろす二人の視線の先には、エンジンを入れた箱を引きながら歩いて行く少女の姿があった。

「信じられないぜ。ウォーカーキャリアを組み立て、動かそうだなんて話はよ」

「あの大先生がいるんだ。ただのほら話ではなかろう」

「だけどよ。過去数百年にわたって新しく造られたウォーカーキャリアなんて存在してないんだぜ」

「ベースとなるフレームとかがあるのだから、まったくのゼロからというわけではないのだろう。それにある程度までテストが進み、あとは出力の出るエンジンが欲しいのだとあの子は言っていた」

「本当なのかねぇ」

「確かめようがないな」くすりとデドライは笑った。「それでも大枚をはたいて買おうというんだ。伊達や酔狂でできることじゃない。ましてやトレーダーだとはいえ、あの子は他との交易をおこなっているわけじゃないのだからね」

「あいつはトレーダーなんかじゃねぇ!」

 バスガルの反応には苦笑するしかなかった。

「それにいいのかよデドライ。確かあのエンジンはよぉ」

「そうだ。あれは私のウォーカーキャリアのエンジンだったものだ」

「判ってて売ったのかよ! なぜ?」

「あれはオブジェではない。ウォーカーキャリアの命だ」

「それは判るがよ。なにもあんな奴に渡さなくてもいいんじゃねぇか。小型だが力強いいい機体だと聞いたぜ」

「ああ」なにかを懐かしむようにデドライは呟いた。「横倒しになった大型のウォーカーキャリアを引き上げたことだってある。自慢のウォーカーキャリアだったよ」

「大切なものなんだろう」

「大切だとも」

 小さくとも自らのウォーカーキャリアで砂漠を渡り歩く日々だった。

 デドライはどのファミリーにも属さず様々なキャラバンに雇われたり単独で交易をおこなう者の一人だった。

 仔細なミスから機体は大破してしまった。

 修復は不可能。ウォーカーキャリアは放棄され、無事だったエンジンなどのパーツだけがロンダサークの、この管制塔まで持ってくることができた。彼はその後、交流の深かったグラル・ファミリーに拾われ、今はその一員となっている。

「だからこそ、エンジンだけでも、もう一度砂漠に戻してやりたいじゃないか」

「けどな」

「無理かもしれない。それでもこんなところで埃にまみれ、誰にも気付かれず埋もれてしまうよりはいいじゃないか。そう思わないか、バスガル?」

「おれには判らねぇ。そんな気持ちになったことすらねぇからな」

「そうか」

「ああ、判りたくもねぇ。それにしても、あんたがあのエンジンのことを教えたのか?」

「いいや」首を横に振るデドライ「あの子が自分で見つけたんだよ」

 少女があのエンジンを指差した時には、内心驚いたものだった。

「信じられねぇな」

「私もそうだよ」デドライはバスガルに笑いかけた「あの子はいいトレーダーになるよ」

「おいおい、まだガキだぜ」

「年齢は関係ないと思うがな」

「それにトレーダーでもねぇ」

「たとえ今はそうだとしても、あの子は嬉しいことを言ってくれたよ、先が楽しみだ」

 だからこそヴェスターも目をかけているのかもしれない。

「判らねぇ、判りたくもねぇ」

「そうだな。これは私の想いでしかないのだからな」

「そういうことだな」

 バスガルは肩をすくめると、その場を後にする。

 古参のトレーダーは双眼鏡をとりだすと、少女の姿を追う。その口元は笑っていた。

「願わくば汝に砂漠の加護があらんことを」


 日射しが肌を刺す。

 走路は遮る物が何もなく、砂漠にいるのと同じくらいの熱さを感じてしまう。

 少女はブツブツ文句を言いながら箱を乗せた台車を引いていく。

 それでもその顔は笑っているようにも見える。

 このパーツを見つけたのは偶然だった。

 途方にくれながら、壁の棚や床に並べられた部品の山を見てまわっていると、それが目に止ったのである。

 視線をはずしてもまた目がいってしまう。

 買い物とかで何かを選んでいる時、ふと目が合ったものに惹かれてしまうことがないだろうか。声をかけられ呼ばれたような感覚になることが。

 あの時の少女はそうとしか言いようがなかった。

「なぜ、これを選んだのか訊いていいかね?」

 パーツに鎖をつけ、天井のフックに掛けようとしながらデドライは訊く。

「なんとなくこの子が自分を使ってほしいって言っているような気がしたの」

 信じなくてもいいですよ、そう言いながら少女は笑った。

「この先にもっといいエンジンやパーツがあるかもしれない」

 部屋の奥には少女が見ていないパーツがまだたくさんあった。

 それなのに少女はここで足を止め、これにするとデドライに言うのだった。

「もしかして、これは曰くつきのパーツだとか?」

「そ、そうではないが……」

「それともエンジンですらないとか?」

「い、いや、これはエンジンだとも」

「よかった」

 少女はホッと胸をなでおろす。

 全財産を投資するのだから、エンジンではないものを持ち帰ったとあれば、目も当てられないし、クロッセにも笑われてしまう。

「ただかなりの時間をかけてここまで見て来たんだ。この先にはまだ見ていないものもあるのに、ここで決めてしまうのはどうしてなのだろうと思ってね」

「ここに来るまで候補はいくつかありました。でもこれが気に入ったの。フレームのサイズにもピッタリだし、力があるように、そう感じたの」

 うまく言葉にして説明しようとしたけれど、感覚的なものを伝えるのは難しかった。

「それに、ここに運び込まれてそう時間がたっていないですよね」

「なぜそう思うのかね?」

「棚とか奥にあるものはほこりが多かったし、古いものに見えたわ」

「奥に行くほど古いのは本当だが」

「これは、床に置かれているけれど、他のパーツと違って大切にされているような気がしたの」

「そうだろうか?」

「うん。傷とかあるけれど、ていねいに使われていたと思うわ。だからかな。この子に呼ばれて、このまま眠らせておくわけにはいかないと思った。あたしがこの子を砂漠にかえしてあげるの」

「確かに、こんなところに放置されるのは悲しいことだな」

 デドライは部屋を見回し呟いた。

 これらはかつて砂漠を渡り歩いたものたちなのだ。

「ひとつであっても、それがあたしのやらなければならないことだから」

「なるほど」

 トレーダーの子でありながらオアシスで暮らす少女を見つめながら、デドライは微笑み頷く。

「ウォーカーキャリアはあたしたちとともに砂漠に生きるものなのですから」

『我ら砂漠とともにあり、砂漠とともに生きる』

 太古からトレーダーに伝わる言葉が思い出される。

「そうだな。そのとおりだ。君にこのエンジンを任せよう。頼んだぞ」

「まかせてください!」少女は元気に頷く。「そうはいっても、本当にがんばるのはクロッセですけれど」

「それでも、これはトレーダーからトレーダーに引き継がれる命の証でもある」

「そうなのですか?」知らなかった。

「ウォーカーキャリアの命の炎を新たに灯すためのものなのだから」

 古参のトレーダーはそう言って、古くから伝わる砂漠の聖霊への言葉を唱える。

 祝福を祈り、天井の滑車を使い部屋の外へとパーツを運び出すのだった。


「クロッセ! ちょっと来て!」

 館の裏門までようやくたどり着いた少女は、熱い日射しにも負けない声で、倉庫の中にいる相棒を呼んだ。

「どうしたんだい?」

 工具を片手にのんびりとした調子で彼は外へと出てくる。

 よく見ると服は油まみれだった。

 製油機の調整をしていたのだろう。

「今日はずいぶん帰りが遅かったね。何かあったのかい?」

「ちょっと寄り道をしていたのよ」

「市にでも行っていたのかい?」

「ちょっとした買い物よ、買い物」少女は意味あり気に笑う。

「買い物ねぇ」

「それにしても、どうしたのよ。服が油まみれじゃない」

「ああ、これね。製油機の調整に、自前の油が潤滑油に使えるのか試していたんだよ」

「大丈夫なの?」

「においだけじゃない。高級機械油に負けないくらいの質が出せるように調整してみた。これでヴィレッジ製にも負けないはずだ」

「本当に? じゃあ次はもっとコストダウンできるようにするのと、質を守りつつ大量生産を可能にすることね」

「やれやれ、注文の多いお嬢さんだ」

「いいじゃない。機械いじりが好きなだけ出来るのだから」

「まあね、感謝しているよ」

「さあさあ、これを運びこむのを手伝いなさいよ」

 少女は汗だくだった。

「ずいぶん重いね。商売に使うものかい?」

 裏門の段差を乗り越え台車を押しながらクロッセは箱を見て訊ねた。

「違うわ。当ててみなさいよ」

「油の入ったカメ? 違う? じゃあ、金属製の食器とか?」

「だから商いに使うものじゃないっていっているでしょう」

「製油機に使う機材かな?」

「まあ、ちょっと近づいたかな」

「う~ん、何だろう。判らないな。降参だ」

 満面の笑みを浮かべる少女に、彼はお手上げだと両手を上げる。

「さあ、その眼を見開いて驚きなさい」

 箱が倉庫に運び込まれるとその後ろに立ち、少女はふたを取り留金をはずす。クロッセの前に管制塔から持ってきたパーツが姿を現す。

「どう? すごいでしょう!」

 得意げに言うのだが、クロッセからの反応はまったくなかった。

 口を開け、間の抜けた表情でそれを見ている。

「どうしたの?」

 少女はクロッセの顔の前で手を振る。

「えっ、ああ、いや……その」

「もしかして期待外れのものだったりする?」

「そ、そんなことはない。そんなことはないよ!」

「クロッセがなにも言わないから、はずれを引いてきたのかと思ったわ」

「これを、どこから」

「管制塔よ」

「本当かい?」

「嘘なんか言わないわよ!」

「くっそぉぉぉ、噂は本当だったんだぁ!」

 クロッセは拳を握りしめ叫んだ。

「ど、どうしたのよ? びっくりするわねぇ」

「ヴィレッジにはね、昔からトレーダーがどこかにウォーカーキャリアのパーツを隠して持っているって噂があったんだよ」

 クロッセはエンジンを頬ずりするのではというくらい顔を近づけ、なでまわすように触れていく。

「ふ~ん」

「アルファⅢ型M2-A3だ。これは本当に凄い。実在したんだ!」

 型番を見つけ、それを指差し興奮しながら彼は言う。

「そんなにすごいエンジンなの?」

「高性能小型エンジンだよ! ぼくも図面でしか見たことがなかったけれど、憧れのエンジンだった。それが目の前にあるなんて信じられない!」

「よかった」

 少女はホッと胸をなでおろす。

「よかったなんてもんじゃない。空から水が落ちてきそうなくらいの奇跡だよ」

「あたしの全財産を投じたのだからたいせつに使ってよね」

「あれに使えるのか!」

「当然じゃない! これで飛ばなければ、あたしはあなたを呪ってやるわよ」

「おお、やってやるよ」

 クロッセは奇声をあげ絶叫する。

 その声は館にまで届いたという。



 4.



 オアシスの朝は早い。

 まだ夜も明けぬうちから街は動きだす。

 真っ暗な砂漠へと砂魚漁の船が、港湾施設や城門から出漁していく。

 港湾ではイクークの砂揚げが始まり、新鮮な砂魚が競りに掛けられ市は活気を見せる。商区の店も開き始め、通りは徐々に人であふれだすのだった。

 少女の朝は最初のころよりも早くなっていた。

 店を始めたからだ。

 店は共同経営ということにしている。元手が出来たことで、以前からあたためていた商売を始めようとクロッセに声をかけた。

 出店から、仕入れと商いはすべて少女が一人で進めた。

 クロッセには少女が考えた商品を作るための装置の製作を頼み、今も少女の希望にそうように機械を改良してもらっている。

 始めたばかりの頃は赤字だったが、少しずつ利益も出るようになってきた。

 クロッセとの共同経営ということにしたのは、彼に資金を与えることでウォーカーキャリアの研究や実験をさらに進めたいという思惑もあってのことだった。クロッセはジャンクを生業としていたが、キャラバンの宙港への入港は減っており、仕事は少なくなっている。

 下町の人々から機械の修理を頼まれたりしているが、生計が立てられるほどではない。シェラが気に掛けてくれていなければ餓死していたのではないかといわれているくらいである。

 エアリィは最初に彼に見せられたウォーカーキャリアの衝撃的な動きが忘れられなかった。さらにその先を見るためのクロッセとの共同経営であり出資だった。

 毎朝、少女は台車に油の入った壺を乗せ店まで行く。

 初めは小さな壺だったし、油の質も今ほど良いものではなかった。

 製油機の改良とともに一日に製造できる油の量は徐々に増えてきている。さらには原料にしているイクークの臭いがなかなかぬけなかった油の質も改善されていき、油は明かり取りだけでなく料理にも使用できるまでになってきた。

 今の商いが軌道にのれば、油だけではなくハンドクリームや整髪油と新たな商品を手掛けたいと少女は考えている。装置の開発はまだこれからだし、材料が入手できる目処もたっていないが、アイディアだけは無限に広がっていくのである。

 エンジンを仕入れるために手持ちの資金の大半を使ってしまった今、先立つものを得るためにも少女は稼がなければならない。

「頑張るしかないか」

 重い台車を押しながら少女は拳を握りしめ夜空を見上げる。

「それにしても重い。次からはだれかに搬送だけでも手伝ってもらおうかな」

 ひと息入れながら少女は呟く。

 製油量が増えてきて、一回に商える量が多くなってきたのはいいことなのだが、店までの搬送だけでなく経理や材料の仕入れと販売、すべてを一人で賄うのは難しくなりつつある。

 人を雇う余裕はなかったし、なによりこれは少女がやると言い出したことだった。

 頑張ってやり遂げるしかない。

 少女の店は商区のメインストリートから少し外れた通りに面した場所にある。

 スペースは狭く商品を並べると二人がやっと座れるくらいの広さしかない小さな店舗だった。

 そこは表通りほどではないが、それなりに活気ある通りだ。

 早商いの店の前には明かりが灯り、通りには人が出始めている。

 まだ暗い中、威勢のいい掛け声が響いてくる。

 だいぶ慣れたとはいえ砂漠で育った少女にとって人混みはまだ少し苦手だった。それでも活気に満ちた通りを眺め、商いをするのは楽しい。

「あれ?」

 少女は店の前に人がいることに気づく。

 暗がりではっきりしないが、数人いるようだった。

「なにかあったのかな?」

 このあたりに民家はなく、深夜には泥棒も現れることがあるという。

 そんな噂も耳にしていたので、貴重品は置かないようにしていたのだが。

 近くまで行くと主婦らしき三人が談笑しているところらしい。

 石畳に響く台車の音に気付き彼女達が手を振って来る。

「バルガさんにミシェルさん、モーリルさんも?」

 少女のお得意さん達だった。

「あらあら、今日は遅かったのね」

「早く来すぎちゃったかと思ったわ」

「そんなに遅れました?」

「そんなことはないわよ」

「ちょっと重くて運ぶのに時間がかかってしまい……」

「エアリィちゃんに何かあったのかしらって、話していたところだったのよ」

「……もしかして待っていてくれたのですか? ごめんなさい。早く開けますね」

「慌てなくても大丈夫よ」

 そう言いながら彼女達は運び込むのを手伝ってくれる。

「今日はいっぱいあるのね」

「それでも油断大敵よモーリルさん。あとでも大丈夫と思って来てみたら、先日なんか売り切れてしまっていたのよ」

「わたしたちだけじゃなく、噂を聞きつけて買いに来る人が増えたって話なのよね」

「だからって、こんなに早く来なくてもすぐにはなくなりませんよ」

 店の前に灯したランプをかけ少女は呆れながらも微笑む。

 確かに最近は客が増えている。話をすると色々な地区の人が来てくれているようだった。

「そんなこと言っても、判らないわよ」

 顔を見合わせ三人は頷きあう。

 開店準備が整うよりも早く、容器を差し出してくる三人組だった。

 その後も休みなく客はやって来る。

 少女が一息つけたのは日が昇ってからだった。


「だいぶ繁盛なさっているようですね」

 売上の勘定をしていると店先から声を掛けられる。

「シュトライゼさん!」

 顔をあげるとロンダサーク商工会議所の顔役が店の前に立ち、少女を覗き込んでいた。

 眼鏡の奥から見える瞳は鋭くこちらを睨んでいるようにさえ見える。

 気難しそうな顔をしていてとっつきにくい感じの人だったが、話をしてみると理知的で温和な人だと判る。

「あの、見回りですか?」

「それもありますが」眼鏡の位置を直しながら彼は言う。「今日は油を頂きに来たのですよ」

「明かり取りのですか? それとも食用油を?」

「食用をお願いします」

「毎度ありがとうございます」

 容器を受け取るとつぼから油をすくい、量を量りながら入れていく。

「評判がいいですよ。最近、よく噂を耳にします」

「う、うわさですか?」

 シュトライゼは容器を受け取るとふたを開け、匂いをかいでみる。

「イクーク特有の臭いはまったくといってもいいほどありませんね。それにこの油質は高級油となんら遜色がない」

 指先ですくい油の質をじっくり見ている。

「最初の頃の明かり取りの油も良い質でしたが、短時間でここまでの食用油を造り上げるとは驚きです」

「クロッセが頑張ってくれましたから」

「そのようですね。彼は良い職人です」

「まあ、ときおりとんでもないことをしてくれますが」

「それも含めてあの先生らしさなのでしょう。相変わらず実験も続けられているのでしょう?」

 廃棄地区での実験はすでに下町の人々の間にも知れわたっているらしい。

 少女も『小さな英雄』としてだけでなく、クロッセとのコンビとして名が広がりつつあるようだった。

「とうぶん続きます」

「そうですか、気を付けてくださいね」

「はい。最近、爆発は起こしていませんし」

「ですが、大きな砂塵が舞い上がったりしているようですが?」

 彼の口調は少女との会話を楽しんでいるようにも感じられた。

「下町に迷惑をかけないようにします」

「まあ廃棄地区でのこと。派手なことさえ控えていただければ問題はないでしょう」

「シュトライゼさんにそういていただけると助かります」

 彼は三十代にはいってまもなくの頃に若くしてロンダサーク商工会議所の顔役となった人物である。

 会議所はロンダサークの商業に携わる者だけではなく鍛冶工や織物工などの工業に従事する人々も加入している大きな組織である。商区を取りまとめ店主同士の問題の仲裁と解決だけでなく、職人の育成や仕事の斡旋など多岐にわたっている。

 そのシステムを充実させ発展させてきたのが当代の顔役シュトライゼだった。

 潔癖で賄賂などの不正は許さず商区の発展に尽力している。

「なあにわたくしは見ているだけですよ。あなたの評判はよろしいようですし、良い商品を扱ってくれるお店は大歓迎ですとも」

 不思議な少女だった。

 トレーダーが会議所にやって来ること自体珍しいことだったが、少女が持ってきたヴェスターの紹介状を見てさらに驚かされた。

 トレーダーが商区に店を借りたいというのである。

 前代未聞の話だった。

 ロンダサーク始まって以来の出来事ではないかと思われた。

 それでもシュトライゼはトレーダーだから子供だからといって門前払いすることはなかった。彼は商いをするものに対して公平だった。

 会議所への委託金や店の賃貸料、商区での商いのルールを説明する。

 そして少女の希望する賃貸料に見合う場所を三か所ほど提示した。

 その中には表通りに面した場所もあったが、少女はその店舗は選ばず今の店を借りたのである。

 なぜそこを選んだのか、理由はすぐに判った。

 少女は自分が商う商品を考え客層をリサーチしていたようだった。

 ここは日常品を扱う店が多く主婦層が多く通るのである。

「油を扱うのは最初から決まっていたのですか?」

「漠然とですが、砂上船に乗せてもらった時、イクークの活用法が他にないか考えていたのです」

「では油の商品開発は最初から考えていたのですね」

「イクークの臭いを消す方法は知っていたので、それを大量に作る装置ができないかなと思ったのが始まりかな。でもこれはクロッセがいなければ思いつかなかったかもしれませんね」

「その製法は秘密ですか?」

「秘密にするつもりはありません。もう少し改良ができて、だれにでも作れるような装置ができれば公表してもらうつもりです」

 同業者も少女の油を買い、真似をしようとしているという噂も耳にするようになった。

 いずれはベラル師にお願いして製法を一般に公開するつもりだったが、中途半端なまま粗悪な類似品が広がるのだけは避けたい。

「それは楽しみですね」

「ええ、クロッセも賛成してくれていますし、近いうちにできると思います」

「それであなたは廃業? それとも鞍替えですか?」

「油以外の商品も考えていますから、まだまだ続けるつもりですよ」

「そうですか、それは楽しみなことです。期待していますよ」

 満足そうにシュトライゼは頷いた。

 店をあとにした彼は日々の日課である見回りへと戻っていくのである。


 太陽が昇り城壁の向こう側から日が射してくる頃にはオアシスの気温は一気に上がる。

 この時間帯になると人通りは徐々に減っていく。

 持ってきた油も売り切れ『完売』の札を出す。

 店の片付けを始めた頃にシェラはやって来た。

「いらっしゃい、シェラ。今日は遅かったのね」

「いろいろと用事があって……これでも急いできたつもりだったんだけど」

 走って来たのだろう少し息が切れていた。

「そうだったの。急がなくてもよかったのに」

「もう油は売り切れてしまったのね」

 完売の札を見て残念そうに呟いた。

「だから大丈夫だって、お得意様の分はちゃんととっておいてありますから」

「お得意様って、私のこと?」

「ほかに誰がいます」

 少女は微笑む。

 シェラは一番最初の客だった。それに店のことや油のことを熱心に近所の奥様方や知り合いに勧めてくれたのは彼女だったのである。

 様々な人達の協力がなければいくら品質が良くとも固定客はすぐについてくれなかっただろう。

 感謝しても感謝しきれない。

「お代もいらないわ」

「そんなの悪いわ」

「シェラにはお世話になっているから、そのお礼よ」

 財布からお金を出そうとしたシェラを制して少女は言った。

「ありがとう」

 シェラは油の入った瓶を受けとると鞄にしまう。そして持ってきたもう一つの袋を少女に差し出す。

「これは私からエアリィに。クロッセと実験に行く時に使って欲しいの」

 一抱えほどもあるボールが詰まっていそうな袋だった。

 中を見ると砂よけか日射しよけのフードに見えなくもない。

「これは?」

「この前のテストでエアリィが頭をケガしたって聞いたから作ってみたのよ」

「だれからそれを?」

「マーサさんが心配していたわよ」

「たいしたことがないって言ったのに、みんなおおげさなのよ」

「あざにはなっていないようね」

 シェラは少女の前髪をかき分け額に触れてみる。

 少しひんやりとした手が心地よかった。

「みんな心配なのよ。それにクロッセからも聞いたわ。横転だけでは済まなかったんでしょう?」

「そうだったみたい……」

「あなたたちの実験は危険が伴うんだから、気をつけないとね」

「わかっているけど」

「今回は大丈夫だったかもしれないけれど、本当にケガしてしまったら実験どころではなくなってしまうでしょう?」

「う、うん」

 実際に派手な爆発まで起こしているのだから否定できない。

「だから、実験のときはそれをかぶってほしいの」

「これって頭にかぶるものだったの?」

「そうよ。頭をぶつけても衝撃を和らげてくれるように作ってみたわ」

 袋から出して触ってみると外側は革でできていてかたかったが、内側は柔らかい素材を使っている。

「ちょっとかぶってみてくれるかしら? うん、サイズは合っているようね」

「ぴったりよ」

「似合っているわよ」

「本当に?」

「あとで鏡を見てみるといいわ。それと顎のあたりでその紐を結んでくれれば、ちょっとの衝撃でも脱げないわ」

「本当だ。ありがとう、シェラ」

「どういたしまして、それからね」

「まだあるの?」

「これはお守りよ」

 少女の腕を取り、様々な色で染めた糸で編みこまれた腕輪をつけてくれる。

「無事に実験が成功しますように」

 クロッセの分も作っているという。

「う、うん。頑張るよ……」

「それで、クロッセは元気?」

 心配そうに訊ねるシェラは、子供を見る母親のようでもあった。

 新しいエンジンが手に入りここ数日、ウォーカーキャリアの改良に没頭しているクロッセは、完全に館の倉庫に泊まり込み、作業を続けている。

「大丈夫、元気すぎるくらい。それにマーサさんが見ていてくれるから食事はちゃんととっているわ」

「それならいいけれど、睡眠もちゃんととるように言ってね」

「了解しました」少女は笑顔で頷く。「そうだ。シェラは、このあと予定はある?」

「特に急ぎのものはないわね」

「じゃあ、館に来ない?」

「いいの?」

「気にすることないわ。クロッセも、館のみんなも喜ぶわ」

「そうねぇ……なら、クロッセの着替えも持っていきたいわね」

「じゃあ、いっしょに行こう」

 店を閉めると、まずはシェラの地区へと向かいながら通りを見て回る。その後、クロッセの家により館へと向かうのだった。



 5.



「エンジンをスタートさせるわよ」

 少女は機体の脇からコックピットを覗き込んでいるクロッセに声をかけながら、カードを差し込み、スイッチを入れる。

 タービンの甲高い音が倉庫の中に響き渡る。

 エンジンの状態を示すカウンターは一気に最高値まで上がり、それから次第に安定した数値になっていく。

「異音はなくなったようだね」

「ええ。やっぱりエンジンのパワーが全然違うわ」

 エンジンは今まで使っていたものとは桁違いだった。

 ナノマシンを接続し、エンジンが息を吹き返すまで少し時間はかかったが、二人が予想していた以上にアルファⅢ型エンジンは高性能だった。

 それにエアリィの見つけてきたパーツと組み合わせることで、単純に見積もっても出力は数十倍にもなると彼は言う。事実、倉庫での最初の実験ではメインノズルの出力をかなり絞っていたにもかかわらず、倉庫の大扉を吹き飛ばしてしまう。

 ツインエンジンは載せていたカーゴとともに外される。

 使えるものはそのままにしたが、新しいエンジンとのマッチングはなかなかうまくいかない。

 機体内部での作業は複雑なものとなり、配線や部品ごとの細かい接続には何度も泣かされた。熟練の板金工や溶接工が欲しいとクロッセがぼやいたほどだ。しかし、二人に鍛冶工の知り合いはなく、悪戦苦闘の日々だった。

 作業は夜遅くまで続くことすらあった。

 少女は商いをクロッセは他の仕事をこなしながら、空いた時間はすべてウォーカーキャリアの組み立て作業と調整に充てていた。

 改修作業に時間がかかったが、それでもなんとかテストにまでこぎつける。

 いつもの感覚でアクセルを踏み込むと一気にパワーが上がり、ウォーカーキャリアは足を大きく踏み出してしまいバランスを崩す。

 壁に機体がぶつかって慌ててアクセルを戻した。

「アームも欲しいね」

 傾いた機体を立て直しながら少女は言った。

「部品を組み立てなおさないといけないけど、やっぱり必要か」

「あたり前じゃない。歩くだけじゃないのですからね」

「そうだな。頑張ってみよう」

「まったく軽量化のためにいろいろなものをはずしすぎなのよ」

 そのせいで機体のバランスがとりづらいのかもしれない。

「仕方がなかったんだよ。そうしないと動くのすらままならなかったんだから」

「それはわかるけれど……」

 本当に不要なものだけだったのだろうか?

「大丈夫ですか、お嬢様?」

 マーサが物音を聞きつけ倉庫の中を心配そうに覗き込む。

「大丈夫、大丈夫」

 体勢を立て直しながら慎重にウォーカーキャリアを操縦していく。

 アクセルの踏み込む感覚を確かめながらハンドルを操るのだった。

「どうだい、エアリィ?」

「パワーがありあまっている感じかな。エンジンに問題はないし、行けそう」

「そうか」満足そうにクロッセは前を指し示す。「では、いざ実験の地へ」

 少女は頷くとウォーカーキャリアを倉庫の外へ出す。

 スムーズな動きだった。

 それでも館の外へと進んでいくその姿をマーサは心配そうに見送ったのである。


 外壁に沿うようにウォーカーキャリアは進んでいく。

 砂地の歩行にも問題はない。

 二本の脚は力強く砂を踏みしめている。

 影の地帯を抜けると急激に温度が上がっていった。

 ジリジリと照りつける太陽は容赦なく二人を熱する。

「ねぇ、クロッセ」

「なんだいエアリィ?」

「エアコンもはずしているのでしょう。つけ直しましょうよ?」

 エンジンパワーに余力はある。

「そうしよう。送風だけじゃ辛い」

 彼も同じ気持ちなのだろう即答だった。

 少しでも風が入るように風防を開けていたが、それでも熱すぎた。

 無言のまま二人は廃棄地区へと向かう。

 時折スピードを上げ下げしたり、歩幅を変えてみたりと、いろいろと試してみるがエンジンに問題はなかった。

 宙港から廃棄区画までは大小七つの地区の外壁を通り過ぎた先にある。

 廃棄地区の外壁は中ほどでVの字に崩れていて、今も崩壊が徐々に進んでいる。

 分厚く重い壁の石を崩すほどの力とは、どのような大竜巻だったのだろう?

 当時の下町の人々には崩れた外壁を修理する力はなかった。そのため長老達はこの地区を放棄すると決め、地区へつながる門を石で覆い、住むことを禁じたのだった。

 狭い地区だったが、それでも多くの人が住む家を失ったという。

 その後、放棄された地区は風化が進み、侵入してきた砂が人の住んでいた痕跡を消し去ろうしている。それはまるで風化していくオアシスを見ているようでもあった。

 しばらく進むと、その崩れた外壁の一部が見えてくる。

 廃棄地区に着くと、それに気付いた子供達が駆け寄って来る。

 コックピットから砂地に降り立つと子供達が少女を囲む。

「わーい、ちゃんとうごいてる」

「なおったんだね」

「ずーっとこなかったから、しんぱいしていたんだぞ」

「ごめんね。修理とか調整にてまどっちゃったから」

 小さな歓迎だったが、少女は嬉しかった。

「きょうはトラクターじゃないの?」

 砂遊びを楽しみにしていた子供達は残念そうだった。

「今日はこの子がちゃんと歩いてくれるのか、見たかったから。ごめんね」

「じゃあ、きょうはべつなあそびをおしえてよ」

「実験が終わったらね」

「やくそくだよ、エアリィ」

 子供達と少女は手を合わせる。

 その様子を眺めながら、クロッセは機体のチェックと調整をしていくのだった。


 アイドリング状態のエンジンは安定している。

 長い歩行のあとでも問題はなかった。

 調整に時間をかけただけはあったようだ。

 軽い噴射テストもクリアする。

 少女はコックピットに座ると、シェラがくれた革製の帽子をかぶる。

 帽子の位置を何度かずらしながら確認し、紐を結わえ固定する。

 クロッセに合図すると、彼は子供達とともに離れた場所へ避難する。

 ハンドルを何度も握りしめ、シートの位置を確かめながらアクセルを軽くふかしてみる。

 それから少女は思い出したように深呼吸をし、腕輪に触れた。

 外を見ると離れたところでクロッセ達が見守ってくれている。

 カラカラののどを湿らせる。

 アクセルを踏み込むとタービンの振動が機体を少女の体を貫いていく。

 鼓動が高鳴る。

 自然と笑みが浮かび、少女はアクセルをさらに踏みしめていくのだった。


 機体が浮いた。

 あっけないほど簡単に。

 その時感じた感覚や感情をどのように言い表せばいいのだろう?

 ふわふわと漂うような感じ?

 それとも砂そりで砂丘の頂からジャンプしたり砂底へと跳び下りた時の怖いような楽しいようなゾクゾクするような気持だろうか?

 コックピットから外を見てみると、外壁の中ほどまで浮かび上がっていた。

 まだ前後左右に小刻みに揺れていたが、それでも機体は浮かび続けている。

 どれくらいの時間浮かび続けているのだろう?

 クォーツを見るとまだ五分も経っていない。

 計器類をチェックすると、まだエンジンに余力はある。

「行くよ、相棒」

 少女はもう一つのスイッチを押す。

 開放された力が再び機体と少女の身体を駆け抜ける。


「エアリィぃぃぃぃぃ!」

 クロッセはその瞬間、少女の名を大声で呼んだ。

 絶叫が轟音にかき消される。

 あたりには砂煙が大量に舞い上がり、エアリィの乗ったウォーカーキャリアを覆い隠す。

 砂のカーテンの向こう側で一瞬、炎が上がったように見えた。

 子供達が茫然とその様子を見つめる中、砂煙の中にクロッセは突入していく。

 砂塵を吸い込み、咳が止まらない。

 むせながらも何度も少女の名を呼ぶ。

 エンジンの音は止まっていた。

 黒煙や火柱らしきものは見えない。

「大丈夫だ。絶対に」そう言い聞かせながら機体の方へと向かっていく。

 少し楽観視していたのかもしれない。

 ほんの数秒だったのか数分だったのか判らないが、機体にたどり着いたクロッセはその場で茫然と立ち尽くす。

 ウォーカーキャリアは機首の部分が壁石の残骸にめり込みつぶれている。

 機体は、くの字に曲がっていた。

 それは一瞬の出来事だった。

 短いようで長い五分間の噴射テストが終わると、大きな音がする。

 後部のメインノズルに点火したのだ。機体はバランスを失いながら空中で前へと進んでいった。

 安定をなくし弧を描きながら砂地へと落ち、機体をローリングさせながら残骸に突っ込んでいったのである。

 それでもコックピットは無事だった。

 何とか機体によじ登ると中を見る。

 計器盤に倒れ伏した少女に動きはない。

 力いっぱい風防を叩く。

 気付いたのか少女に動きがあった。

 なおも力いっぱい叩き続ける。

「う、うるさいわね!」

 うつろな眼をした少女が額を抑えながらコックピットを開け、叫ぶ。

 邪魔をするなといいたげな表情だった。

「だ、大丈夫かい?」

「だぁいじょうぶ……よ、これ……くらい」

 顔をしかめ少女は頭を振りながら応えるが、呂律は回っていない。

 額からは血が流れ落ちてくる。

「そんなわけないだろう!」

「ね…ぇ……」

 少女は彼の腕を掴む。

 強く。

「な、なんだい?」

「あたし……は……あの光…を…めざす」

 少女はクロッセではなく、その先にある何かを見ているようだった。

 至福の笑みを浮かべ笑っている。

 天に向かって微笑みながら、もう一方の手を伸ばし、広げる。

 何かを掴もうと。

 彼も少女の視線の先を見ようとした時、少女の手が力なく落ちた。

「……つぎは…もっと…とぶわ」

 満ち足りたよう呟くと、エアリィは意識を失う。

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