ガリア 序・星降る夜に

無海シロー

ガリア 序・星降る夜に

 1.



 ガリア。

 地には灼熱の砂漠がどこまでも広がる。

 吹きつける熱風が肌だけでなく肺までも焼き尽くそうとしていた。

 乾いた風とともに舞い上がった砂塵が空までも大地と同じ色に染め上げている。

 空を流れる砂が雲のように厚く層をなし、その向こう側から揺らめく太陽が無慈悲に地を焦がす。

 砂の大地と雲は地平線で交わり、濁った土塊色の光景がどこまでも果て無く続いていた。

 ガリアはすべてを焼き尽くし、のみ込んでいく。静かにゆっくりと確実に。

 それでも人はこの大地に生きる。



 2.



 砂漠を渡り行く者達がいる。

 灼熱の砂漠も死の荒野も物ともせず、時には数千キロを踏破していく。彼ら砂漠の民をオアシスの人々は『トレーダー』と呼び、尊ぶとともに忌み嫌う。

 トレーダーはオアシスとの貿易を行い人や物の交流を生業とするが、彼らは圧倒的な力を持つが故に、荒くれ者とされ人々は恐怖した。

 トレーダーの駆使する鋼鉄の巨体『ウォーカーキャリア』は、人々を畏怖させる姿と圧倒的な力で砂漠をエンジンが唸りを上げ突き進む。

 全高が十メートルを超える四足歩行の大きなカーゴキャリアから二足歩行の小型キャリアまで、大小様々なウォーカーキャリアが集まりキャラバンを組み、ひとつのファミリーを形成する。鋼の巨体はトレーダー達の営みの場であり、多くの家族や縁者とともに暮らすのだった。

 ウォーカーキャリアは何時、何処で誰が造った物なのか、知る者はいない。ただ太古からガリアに存在し、過酷な砂漠を行き来している。

 今また十数機のウォーカーキャリアから成るキャラバンが砂漠を渡り、日暮れを前に中継点としているオアシスを目指し歩みを進めていた。

「本当にあそこでやるの?」

 微かな震動に揺れる部屋の隅で少年少女達は集まり、声を潜め合いながら話しをしていた。

「前から決めていたことじゃないか。なにを今更」

「でも、あのオアシスの森は深いよ。大人達でも夜は迷うって言っている」

「いいじゃないか、お前達だってエアリィの鼻っ柱をへし折ってやりたいんだろう?」

「う、うん、だってあいつ生意気なんだもん」

 その声に何人かが同意するように頷く。

「うまくすれば迷っているところを大人達に助けられ、泣いているあいつを見ることが出来るかもしれない」

「そうだけど……」

「それに儀式をやり遂げたならあいつを認めてやればいいだろう。成功するのが難しいあの森でやり遂げたのならな」

 年長者の言葉に彼らは囁き合い、そして頷いた。

 室内に先頭を行くウォーカーキャリアからのオアシスが近づいてきたことを知らせる合図の音が聞こえてくる。

 何人かの子供達はそれぞれ作業に戻っていく。


 男はうち捨てられたオアシスの縁に立つ。

 見渡す限り続く砂の大地と濁った空をただ見つめ続ける。

 地平線に沈もうとする太陽は砂雲を赤く染めようとしていた。

「太古の詩人は語っていた。水のように青く澄んだ空もまた大地と同じように砂漠に飲まれ風化していったのだと……」

 彼は呟きながら自問自答する。

 かつての空を知る者などいるはずがない。

 ガリアの空はどこまでも砂雲に覆われていた。

 世界は乾ききっており、熱せられた大気は身体の内も外も焼き尽くしてしまいそうだ。熱砂の大地は生きる気力までも奪い去っていくようだ。

「ガリアは存在するもの全てを拒絶しているのだろうか?」

 過酷なる大地唯一の楽園、オアシスでさえその例外ではないのかもしれない。

 ガリアに点在し、青々とした水を満々とたたえる泉、それを中心に緑なす木々と豊かな草花が安らぎを与え、広がる田畑が人々の暮らしを支える。

 それがオアシスだった。

 しかしこの世界でそれらは異質な存在でしかないのかもしれない。

 ひとたびオアシスから足を踏み出せば、灼熱の太陽が地を焦がし、流砂や砂嵐がすべてを砂塵に帰そうとしていた。

 砂雲に映る太陽は膨張しながら歪み、色を変え、地平線に沈もうとする。

 それとともに風が起こり、砂を高く舞い上げていく。夜の訪れは世界に完全な闇をもたらし、真昼の熱気さえも奪い去っていく。

 風が男のマントをはためかせ、吹き付ける砂塵をさらに森の奥までまき散らす。

 足下では微かに葉の擦れあう音がする。

 薄汚れた葉は生気無く枯れ掛けていた。すぐ先には砂漠が広がり、いつの日かこの場所も砂に飲み込まれていくのだろうか? かつてこのオアシスは人が住む楽園であったはずだ。砂嵐に飲み込まれたのか、それとも疫病などの災厄か、ある時を境に人は去り街は死に絶え、唯一残った泉だけが森を生きながらえさせてきた。

 人の暮らしていた痕跡はすでになく、僅かに瓦解した外壁や建物の支柱が残るのみだった。

 このオアシスは名すらも失われていた。

 夕暮れ特有の風が吹き、空には砂流雲の筋が幾重にも連なりはっきりと見ることが出来た。

 地平線が一瞬、赤く血のように染まり、太陽が大地に飲み込まれていく。

「すべては砂漠に帰する。それがガリアの理であるかのように」

 光と熱を失い大地は急速に冷え込んでいく。

 筋状になった砂雲が地平の彼方まで流れ、くぐもった音が遠くの空から聞こえてきた。

「今夜は見ることが出来るだろうか?」

 男は闇に包まれていく空を見上げ呟いた。



 3.



 咆哮を上げていたエンジンも夜の訪れとともに微かなものになり、ウォーカーキャリアは静かに巨体を大地に落ち着けていた。暗闇に周囲を警戒するサーチライトの光と、見張りの者が起こした焚火のほのかな明りだけが浮かびあがる。

 彼らが中継地点に選んだオアシスは森や泉があるものの長きに渡り人気が絶え放置されてきた。古参トレーダーの話によれば、かつてこの場所も人の住む大きなオアシスであったという。ある時を境にこのオアシスは放棄され、外壁の崩壊とともに人がいた痕跡すら砂漠に消えていく。今はただ僅かに森が残り、濁った泉がそれを支えているだけだった。

 十数機のウォーカーキャリアが泉の入り口に陣取りその巨体を休めている。

 ひときわ大きな機体の扉が開き明りがこぼれる。

 小さな影が三つ現れ、囁き合う子供達の声がする。しばらくすると影がひとつだけ残された。


 少女は目が慣れるまでその場で息をひそめる。

 森は静まり返り、見つめる先は闇に包まれている。少女が震えたのは寒さのせいだけではなかったはずだ。

 意を決すると少女は森へと足早に歩き出した。

「おっ、始まったようだな」

 見張りをしていた男が呟いた。

「まさかこんなところでおっぱじめるとは思わなかったよ、大丈夫なのかね?」

「まあ近場に目印の木を設置したと言うから問題はないだろう」

「しっかし、エアリィ嬢ちゃんももうそんな年か」

「俺もお前も、キャラバンで育った子供なら通過する儀式だもんな」

「ああ、お前なんか途中で怖くなって半べそかいていたよな」

「言うな!」

 からかわれ、見張りの一人は顔を真っ赤にして答える。

「嬢ちゃんは無事に戻ってこれるのかね」

「掛けるか?」

 男達は、見張り明けの酒を掛けるのだった。


 夜。それは闇が支配する世界。

 ペンシルライトのか細い光が唯一夜の闇に抗う力であった。少女はその明りを頼りに森を進んでいた。

「ここね」

 それは目印の木だった。

 日が暮れる前に従兄弟が木に付けたゴールを示す蛍光ペイントが暗闇にボンヤリと浮かび上がっていた。その木の枝にエアリィは自分のバンダナを結わえ付ける。

 寒さで手が震える。グローブをつけていても冷えきった森を歩き続けると指先は冷たくなっていた。

 それでも彼女は意気揚々と枝にバンダナを結ぶ。

「よし!」

 やり遂げたという高揚感が湧いてきた。

 これで従兄弟や仲間の子らに勇気を示せる。もう子供扱いされることもなく、成長すればトレーダーになれるはずだ。

 儀式は少女のファミリーで子供達の間で行わるもので、それを乗り越えることで年長組に仲間入りし、トレーダーの仕事も手伝えるようになる。

 夜の森で年長組のまとめ役が示した木まで行き、バンダナを結びつけキャンプに戻ってくるのである。

 話しだけなら簡単そうに聞こえるが、行きこそ数メートル間隔で目印の蛍光ペイントがほのかに道を示していたが、戻る頃にはその光は力を失い時間とともに消えていく。あとは暗闇の中を自力でキャンプへとたどり着かなければならなかった。

 方向感覚と距離感が試される。暗闇の中でそれをこなすのは思った以上に難しい。

 エアリィの歓喜も達成感も一瞬だった。

 目印だった蛍光ペイントの光も微かなものになり闇に溶けこもうとしている。

 明りと呼べるものは、彼女が持つペンシルライトのみであった。

 夜の闇に目が慣れたとはいえ、数メートル先は闇のカーテンで仕切られまったく先が見えない。戻ろうとして踏みしめた枝の折れる音が、静まりかえる森に響く。自分の出した物音に心臓が飛び出しそうになる。

 少女は何度も立ち止まり周囲を見回す。

 こわい……。

 何もないはずなのは判っていてもペンシルライトを強く握りしめ、辺りを照らし目をこらしてしまう。

 立ちすくみ、大声で叫びそうになる。

 忍び寄る冷気に身体は次第に冷え切っていく。今は誰かと話がしたい。明りや温もりが恋しかった。

 涙をグッとこらえ少女は足早にキャンプを目指す。

 小さな光が木々の間に飲み込まれていく。

 少女がたどり着いた木から、キャラバンがキャンプを張った場所まではさほど遠くなかったはずなのに、いつまでたってもたどり着くことが出来なかった。

 実際には年長者の仕掛けた木は教えられていた場所よりも更に奥に位置していたのであるが、闇は時間の感覚や距離感すらも失わせ、それに気付けずにいた。

 キャンプを張る前には周囲の哨戒も行われており、危険などないと判っていても、枝が折れたり踏みしめた物音に驚き、何度も立ち止まってしまう。そして幾度となく木の根に足をとられ、密集した枝や草に絡まれる。

 いつしか森の中で迷っていた。

 辺りに漂う冷気が更に心細さを増幅させる。

 いまにもその場でうずくまり泣きそうになっていたとき、エアリィは森の奥に小さな明りを見つける。

 少女は躊躇なく駆けだした。

 戻ることが出来た。少女は無我夢中で光に向かって走る。

 しかし、それはキャンプの明りではなかった。それに気付き、エアリィは本能的に用心深く近づいていた。


 男は焚火に拾ってきた枝を何本か放り込む。

 木のはぜる音だけが辺りに響き、炎のゆらめきが彼の姿を浮かび上がらせる。

 頬は痩せこけ、深く皺が刻まれてはいる。年齢は三十代前半でありしっかりとした意志ある瞳をしていた。

 小型のウォーカーキャリアの脇で男は焚火をしている。ウォーカーキャリアの中の方が安全であり快適なはずなのに男は当前のように外で火を焚き、湯を沸かしながら暖をとる。彼は焚火の火ではなく、なぜか上を見つめていた。

 ぽっかりと開けた場所と同様に、木々の隙間には空の闇があるだけだ。

「誰かいるのかな?」

 小枝の折れる微かな音に男は振り向き、穏やかな声で語りかけてきた。

「食料なら少しありますが、金目の物は何もないですよ」

「あたしは盗賊なんかじゃない!」

 闇の中から憤慨した声がする。

 木の影から現れたのは小さな女の子だった。

「おやおや、随分と小さなお客様のようだ」

 トレーダー特有の耐熱耐寒性に優れたジャケットを着ている。

「近くにキャンプしているキャラバンのお子さんかな?」

「エアリィよ」

「そうですか判りました。エアリィさんですね」

 男は両手をマントから出し、敵意のないことを示す。

「そんなところに立っていては寒いでしょう。火の側へどうぞ」

 少女は少しの間考えたが、ペンシルライトをベルトに下げると、ゆっくりと焚火の側へとやって来た。

 彼はクリスと名乗り、キルリルを煎じたお茶をマグカップに注ぎエアリィに差し出した。

「……ありがとう」

 少女はマグカップを受け取る。

 カップを通じて手に伝わる温もりにホッとする。同じく注いだお茶を男が飲むのを見て、エアリィはようやくマグカップに口を付けた。

 一口飲むと、舌が火傷するかと思った。

 そしてすぐに食道から胃にかけて熱いものが駆け巡る。

「おかわりはいりますか?」

 クリスの問いにエアリィは首を横に振る。

 こんなところで一人、何をやっているのだろうか?

 エアリィは男の顔を見つめる。

 一目見て夕暮れ時にキャンプにやって来た男だと判った。

 少女の父親、キャラバンの頭領に挨拶に来たのである。ただ近くでキャンプしていることだけを伝えると彼は森の中に消えていった。

 今まで出会ってきたトレーダーとは違っていた。

 子供であれ素性の判らぬ者をあっさりと招き入れる人の珍しい。

 何よりもおかしいのは火の側でただ空を見上げていることだ。

「何か?」

 穏やかな声、真っ直ぐな瞳で見つめられ、少女は困惑する。

「クリスは、なにをしているの?」

 だが好奇心には勝てなかった。

「空を見ている」

「空……を?」

 真っ暗な、本当に何もない漆黒の闇を少女が指さすと、クリスは笑顔で頷いた。

「なにもないのになぜ?」

「うーん」

 エアリィの問い掛けにクリスは困った顔をし、鼻の頭をかく。

「オアシスの人間ならいざ知らず、こんな時刻、こんな場所で外にいるのって変よ」

「そう言う君も外にいる」

「あ、あたしは……」

 道に迷ったことだけは言えなかった。ただ簡単に儀式のことを男に伝えた。

「それぞれにキャラバンに伝わる風習があって面白いね」

 少女の話を聞き終えたクリスは頷きながら言った。

「他のキャラバンにいたことがあるの?」

 キャラバンは血の繋がりを重視する傾向にある。エアリィのキャラバンも仕事によっては臨時で他のトレーダーを雇い入れることもあるが、それも稀であり、よそのトレーダーとの接触は少なかった。

「いろんなオアシスを渡り旅しているからね」

 そう言いながら小型のウォーカーキャリアを指し笑った。

「クリスはトレーダーなの?」

 ゆっくりと彼は首を横に振る。

「そうは見えないだろう?」

 素直に頷くエアリィに彼は苦笑した。

「僕はローダーみたいなものかな」

 彼は探索者、砂漠を探索し遺跡や知識を求める者だというのだ。

「じゃあ砂漠に消えた幻の街や、ウォーカーキャリアを探しているの?」

 広大な砂漠にはトレーダーですらたどり着けない場所がある。太古の遺跡には使用可能なウォーカーキャリアが眠っていることもあり、未知のお宝までも見つかることがあるという。

「そういうのも楽しみのひとつではあるかな……」

「ここでは何か見つかった?」

「このオアシスは何度か立ち寄っているけれど、発見できたものはなかった。ロンダサークとグラダナスを結ぶ中継地点だし、他のキャラバンも利用しているからね」

「なんだ、つまらない」

「そう簡単に面白いことに出会えることはないし、劇的な出来事は滅多に起こるものじゃないよ」

「そういうものなんだ」

 少しガッカリする。

 簡単な雑用しか任せてもらえない生活が嫌でたまらなかった。ウォーカーキャリアを動かし、大人達と同じ仕事がしたい。

「それでもこの世界は変化に満ちているよ」

「こんな砂漠のどこが?」

 砂漠の旅は気が滅入るほど単調なものだった。

「朝、日が昇ると、昨日あったはずの砂丘は消え、別な風景になっている。小さな変化でも、一日たりとも同じ景色はない」

「もしかして、一日中砂漠をながめていたりするの?」

「そうする時もある」

 事も無げにクリスは言った。

 照りつける日差しの中で、ただ砂漠を眺め続けているのだという。

「砂の下に埋もれていた建物が現れたりすることもあるし、蜃気楼が見えたこともある。それに砂漠だけじゃない。キャラバンとの出会いは知らない生活を垣間見ることが出来て面白いよ。オアシスも街ごとに人々の暮しは違っているしね」

「地根っこは、地根っこよ。どこに行っても違いはないわ」

「地根っこか……」トレーダーはオアシスの民をそう呼ぶ。男は少し吐息をもらす。「確かに普通、人はオアシスを出て過酷な砂漠を渡ろうなんて考えない」

「小さな檻の中で暮らすなんて、あたしは嫌だわ」

 トレーダーは恐れない。それが彼らの誇りでもある。

「そうだね。トレーダーがいなければ、オアシス同士の交易はありえないし孤立してしまう。キャラバンの素晴らしいところは、その行動力にあるよね」

「きまってるじゃない」

 地根っこは嫌いだけれど、自分のキャラバンを率い、遠くの行ったことのないオアシスと交易をするのが少女の夢だった。

「僕は知りたいんだ」

「えっ? なにを?」

「このガリアの理、全てを」

「ことわり?」

「謎と言ってもいいかな」

 クリスはエアリィを真っ直ぐな瞳で見つめる。

「この世界は不思議に満ちていると思わないかい、エアリィ?」

「ど、どこが?」

「この砂漠はどこまで続くのか? 何故オアシスにしか水は存在しないのだろう? 木や花は砂漠では育たないのだろうか? 判るかい?」

 突拍子のない問いかけに少女は首を横に振ることしかできない。

「そ、そんなこと、どうでもいいじゃない……」

「他の人達にはどうでもいいことなのかもしれない。でも僕はそれが知りたいんだ」

 遙か昔、人は天からやって来たという。

 天から現れた者達が、ガリアにウォーカーキャリアやオアシスをもたらした。そんな伝説を彼は話し始める。

「知っている。トレーダーに伝わる歌もあるし、長老の昔話にも出てくるわ。でもそれはおとぎ話よ」

「本当にそうだろうか?」

「人が空から落ちてきたっていうの?」

「どういう方法かなんて判らないよ。でもこの大地のどこかに、それを知るための鍵があるのかもしれない」

「風の生まれる場所へでも行こうというの?」

 それこそおとぎ話の世界だった。

「それが判るのなら行ってみたいと思うよ」男は大まじめだった。「たとえばウォーカーキャリアはなぜ存在しているのだろう?」

「砂漠をわたるために決まっているじゃない」

「本当にそれだけなのかな?」

「他に何があるって言うのよ!」

「天から来た者達は、ガリアを緑なす世界に変えようとしていたのかもしれない」

「本気でそう思っているの?」

 少女は声をあげて笑った。

「誰が、あんなに巨大な機械を造ったのだろう? 遺跡で発見されることはあっても、今の僕らには造る技術すらない。ウォーカーキャリアを修理出来るはずのヴィレッジでさえも無理だった……」

 彼はポツポツと、この世界に存在する謎を語る。

「そんなことを考えても意味がないじゃない」

 絶対にどこか頭のネジが飛んでいる。エアリィはクリスのことを憐れみ始めていた。


 砂雲の流れる音が響いてくる。

 夜の闇に轟きわたる轟音は、空が砂漠に飲み込まれる音、不吉の前兆だという者もいる。

「始まったかな?」

「何が?」

 更に数分間に渡って長く低くくぐもった音が頭上から聞こえてくる。

 男は何度も頷き、少女の知らない言葉を繰り返す。

 興奮し、嬉しくてたまらない様子だった。

「これを信じるかはエアリィ次第だよ」

 クリスは戸惑う少女を真っ直ぐに見つめる。

「しばらくのあいだ目を閉じていて」

「どうして?」

「これから素晴らしいものをお見せしましょう」

 芝居がかかった仕草で男は少女をなおも促す。

 エアリィは渋々目を閉じた。

「君が目を開けた時、空には星が輝いている」

「ほ・し?」

「古い詩に夜の空に輝く光点があり、小さな輝きが夜空を埋め尽くしたという」

 星は夜空に輝く光であり、遙か向うには宇宙が広がるという。

 闇しか見たことのない少女にはそれが何なのか、言葉でいくら表現されたとしても想像できない。何かの呪文のように聞こえてくる。

「大気の流れが強くなった時、一瞬だけど砂雲の層が薄くなり、吹き払われることがある」

「なにを言っているのかわからないわ」

「本当は僕にも理屈は判らないのだけどね」苦笑する声が聞こえてくる。「それでも見えるんだ。夜空には星が。さあ目を開けて空を見てごらん」

 クリスは静かに厳かに言った。

 気が付くと音は止んでいた。

「未知の世界へ、ようこそ」

 初めはそれが何か判らなかった。

 目に映るゴミのような物かと思ったが、小さな白い点は、一つだけではなく二つ、三つ……、数えきれないほど無数に増えていく。

 夜空は輝きに満ちる。

「な、なに……、これ……」

 身体が芯から震える。

 怖いと思った。けれど、それ以上に魅入られてしまう。

 少女は瞳を輝かせ、夜空を見上げ続けるのである。

「これが星さ」

 何もないはずの空には無数の光が瞬く。

 見つめているうちに、同じように見えていた光は色や大きさが微妙に違っていることに気付く。

「……信じられない……」

「ガリアは謎に満ちている。これを見た時、僕は空を飛びたいと思った」

「と、ぶ……?」

「人は何故、大地に縛りつけられているのだろう。どうして砂漠を歩くことしか出来ないのか。ガリアを上から眺めるとどういう世界が広がっているのだろう?」

 彼の声はずっと遠くから聞こえてくるようだった。

 身体がフワフワと浮かんでいるような感覚すらあった。

「ねえ、エアリィ。あそこへ行ってみたいと思わないかい?」

 そう言って彼は空を指さす。

「こうやって星を見つめていると、僕は遙か昔に人があの空の向うからやって来たことが本当のことのように思えてくるんだ。そして、その鍵がガリアのどこかに眠っているのだと確信できるようになってくる」

「空を……飛ぶ」

 手を伸ばせばそれは手が届きそうだった。

 開いた手、指と指の間から、星はこぼれてくる。

 いつしか吸い込まれるような感覚の中を漂っていた。

 夢の中の出来ごとであるかのように、少女を誘うように男の声が遙か地平の彼方から聞こえてくるようだ。

 違う。これは夢じゃない。

 星はそこにあり、永遠の輝きとして瞬いている。

「いつかあの空へ」

 それは少女の言葉だったのか、彼の声なのか……今は判らない。

 ただその言葉が耳に残り、小さな道標となり、頭の中で何度も繰り返し響き渡ってくるのである。



 4.



 朝焼けが地平線を赤く焦す頃、ウォーカーキャリアのエンジン音が咆吼を上げ大気を切り裂く。

 地響きを上げ、鋼の足が巨体を持ち上げると、それらは隊列を整え始める。

 日が昇るとともに冷気は振り払われ、陽炎が揺らめきだす。先頭を行くウォーカーキャリアの合図が響き渡ると、ゆっくりと巨体は砂漠へと歩み始めた。

 エアリィはカーゴスペースで一人雑用をこなしていた。

 彼女のバンダナは年長者が見つけ持ってきてくれた。儀式は達成され、子供達の少女を見る目は少しだけ変ったような気がする。しかし、それは子供達の間でのことであり、少女の立場が大きく変化することはまだない。

 それに昨夜のことが現実なのか、夢だったのか、今は自信がなかった。

 気が付くと少女はキャンプに戻っていた。

 もしかすると近くまでクリスが送ってくれたのかもしれない。

 見張りの者に訊ねてみたが、砂流雲の音は聞いていても、星を見た者はいなかった。夢でも見ていたのだろうと笑われたりもした。

 オアシスで補給した水を貯蔵タンクに移し終えると、汗をぬぐったエアリィは壁に立ち、スクリーンを可視モードにする。

 目線の高さに木の先端が来ている。

 あの出来事がどこで起きたものか、ここからではうかがい知ることは出来ない。

「もっと高くから、見ることか出来たら……」

 オアシスはどのように少女の目に映るのだろうか?

 砂の雲はどう見えるのだろう?

 想像することは難しい。けれど心は風に乗ってどこまでも進んでいこうとする。

 遥か彼方までも。


 太古から伝わる伝説がガリアにはある。

 我々の祖先はその昔、空の向う側、宇宙というところから星の海を越え、ガリアにやって来たという。

 それは伝説、ただのお伽噺だと人々は言い、そう思い込んでいる。

 しかし本当にお伽噺なのだろうか?

 伝説の中にこそ、真実が含まれているのではないだろうか?

 もっと知りたい。

 どこまでも続く砂漠と土塊、空は砂色に染まり生きる者を拒絶する。ガリアの自然は人が暮らすにはあまりにも過酷だ。

「だがガリアがどんな世界であれ、人は生きている」

 クリスはゆっくりとウォーカーキャリアを動かす。

 砂漠の彼方に真実を求め、男は旅を続ける。


 小型のウォーカーキャリアがキャラバンとは逆の方向へ進んでいくのが見えた。

「どこに行くの?」

 蘇ってくるあの一瞬の出来事。

 それが夢なのか、現実だったのか、今は確かめる術はない。

 それでもエアリィの心の中に星は刻み込まれていた。忘れることの出来ない永遠の輝きだった。

 スクリーンを不可視モードにすると、カーゴ内に明りが灯る。

 壁により掛かると格納されている小型のウォーカーキャリアを見つめる。

「知りたい……」

 何もなかったはずの砂だらけの大地も空も、その裏に何かが隠されていることを知った。

 鼓動が早くなり、熱いものがこみ上げてくる。

 そして漠然とした想いは、確信へと変わっていく。

 星にも似た光が瞳に灯る。

 今、彼女の目に映るガリアは謎めいた輝きをみせる宝石箱だった。

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