ガリアⅡ~この地から始まる

 1.



「なんだっていうのよ!」

 エアリィ・エルラドは叫び声を上げた。

 少女の背丈ほどもあるドラム缶を蹴り付ける。

 足の痛みも痺れもかまわず何度も悪態をつきながら倉庫にある物に八つ当たりしていく。

 倉庫の外にまで罵声と鈍い金属音が響き続けた。

「気が済んだかい?」

 肩で息をする少女に、優しく穏やかな声がかけられる。

 館の主、ヴェスター・ヴィクスはエアリィがため込んでいたものをすべて吐き出し、落ち着くまで見守っていた。

「ぜんぜん、すまないわよ!」少女は涙目になりながら彼を睨みつける。「きらい、きらいよ。大きらい!」

 痛みからなのか、悔しさからなのかは判らないが、少女がここに来て初めて見せる激しく剥き出しの感情だった。

「おやおや」ヴェスターは微笑む。

「地根っ子も、こんな生活も、大っきらいっ!」



 2.



 ガリア。

 砂の海がいつ果てるともなく広がるこの地を人々はそう呼ぶ。

 乾ききった砂だらけの荒野、うねり波打つ砂の平原が地平線の彼方まで続き、吹き付ける風が砂塵や土埃を空に舞い上げる。天も地もすべてが砂の色に染めあげられる。

 空を覆いつくす砂の雲の向こう側に揺らめく巨大な太陽が容赦なく地を焦がす。熱く乾燥した大気は触れた肌のみならず、肺の奥から体内を焼き尽くさんとしていた。

 灼熱の大地、ガリア。

 この地で人々はなおも生き続けている。


 陽炎に揺らめく砂の海と砂の空の狭間で蜃気楼のように浮かび上がるオアシス。

 広大な砂漠の中に飲み込まれてしまう石粒の如く、あまりにもささやかな存在にすぎない。この大地には異質な緑と水に満ちた街。ガリアで人が生きることを許された唯一の世界だった。

 そのひとつロンダサークはガリアでも最大級のオアシスである。

 かつては綺麗な円形の白い城壁に守られたロンダサークも長い年月の中で移民流入による人口の増加と共に外へと膨張を繰り返していく。泉を中心とした最初の街とも言われている旧区と幾層にも年輪の様に城壁を拡大させ外へと広がっていった下町とを合わせ持つロンダサークは天に一番近い場所とも呼ばれていた。

「オアシスも住めば都というさ」

 ヴェスターは微笑みながら言う。

「どこがなの」

 少女は生気を失った目を男に向ける。

 ここは巨大な外壁に囲まれた牢獄だった。

 エアリィにとっての世界とは砂漠の海であり、大地を渡り行くキャラバンの中にこそ生きるすべてがある。

「暮してみれば判る。ロンダサークは良いオアシスだ」

「一生わかりたくないわ」

「目と耳は塞がないことだ」

「あたし、目と耳はいい方よ」

「知っているよ」

 少女には持って生まれた優れた資質がある。

「なによ。ヴェスターまで子供あつかいなの」

「背伸びをしても片意地を張っても何も始まらないし変わらない。かつて私もそうだったからね。現実を直視するだけではなく今ここにいる意味をしっかりと考えないとね」

「意味がわからないわ」

「何事にも意味はある。目を曇らせてはいけない。あるがままに受け入れその中で自分を磨いていくことが大切だ」

 利発な少女であれはそれに気付けるだろう。

 偏見や無理解という壁を乗り越えられるはずだ。

「地根っ子の生活なんか無意味よ」

「上部だけに囚われずそこに隠れている物を知ると良い。言葉で理解できなければ感じればいい。ここにいることもすべて人生においては経験なんだよ」

「後悔はしたくないけれど……」

「ここにいることは自らが招いた結果だ。それを受け入れ、始めるしかない」

 ロンダサークでの生活はいつまで続くか判らないのである。

 少女はファミリーから罰を受けた。掟を破り追放されてもおかしくない状況だった。

「……あたしは……」星が見たかっただけだ、もう一度、この目で。


 トレーダーと呼ばれるもの達がいる。

 砂漠を渡りガリアに点在するオアシスを行き来する。物資輸送といった交易から人を運び情報をオアシスにもたらす役割を担ってきた。

 その彼らの力の源となっているのが、ウォーカーキャリアという巨大な鋼の歩行機械だ。

 大小様々な機体が隊列を組み、荒涼とした大地も砂嵐もものともせず鋼鉄の巨体が砂漠を突き進むのである。

 今では失われてしまっている技術によって生み出された巨体はファミリーの共有財産でもあった。許可なく個人的に動かせるものではなかった。

 軽い気持であったのかもしれない。少女は自分の目的のために小型ウォーカーキャリアを一時ではあったが勝手に持ち出してしまった。

 それがファミリーの知るところとなり、大問題に発展する。

 最悪追放もありえた。ファミリーを統べる頭目の娘であったことが幸いしたのかもしれない。一時的ではあるがキャラバンを降ろされロンダサークのヴェスターのもとに預けられることになったのである。

 砂漠に生きる民にとってこれは拷問にも近い裁定だといえる。

 地根っ子と蔑む相いれない存在と暮らすことになるのである。

 ヴェスターが元トレーダーであったとしても館に他にはオアシスの民しかいない。少女は言い知れぬ不安と心細さに押しつぶされそうになっていた。それまでの日常が失われ目の前の道を塞がれてしまった喪失感から無気力になり、部屋の中で自分の殻に閉じこもっていたのである。


「さて、そんなエアリィには私の仕事を手伝ってもらおう」

 ロンダサークで商いをしているヴェスターはファミリーなどトレーダーたちとオアシスの仲立ちを生業としていた。

「わ、わかったわよ」うな垂れながら渋々頷くのだった。

「私の仕事はこれからが本番だからね」

 引きこもってしまいそうになる少女を根気よく引っ張り出し、外の世界を彼は見せようとする。

 彼らのいる館はファミリーの所有するもので、今は怪我でキャラバンを降りたヴェスターが管理を任され、十名ほどの使用人と暮らしている。

 そこはロンダサークの一番外周部の地区にあり、宙港と呼ばれる多くのキャラバンが停泊できる広大な区画の隣に位置している。これらの土地はオアシスの中にあってトレーダーのみが利用できる治外法権地帯でもある。

 それ故かオアシスの民はここに近づこうとはしない。

 何らかの理由でキャラバンでは働けなくなった者や病人住まう場所で、出産前や産後の育児にしばしの間使わることがあるのみである。

 そのためこの地区に人は少ない。

 管理を任された老人たちや使用人が住んでいるだけだった。

 トレーダーの中にはこの地区を墓場と言うものもいるくらいである。

 少女自身この地区全体が辛気臭いと感じてしまうほどだった。

 館は広く庭には噴水もありファミリーが強い勢力を誇っていることをうかがわせるものだ。オアシスの中でも水をこれだけ贅沢に使える場所は少ない。

 庭を挟んで館の向かい側には大きな倉庫があり、その壁を超えた先は砂漠だった。

 強い日差しに陽炎が揺らいている。少女は焦がれるようにその光景を見つめそうになってしまう。

 倉庫の中にはキャラバンが運んできた荷が搬入されていた。

「頭目は良い目利きをしている」

 ひとつひとつの箱をチェックしていきながら、ボードに書き込んでいく。

「君もこれを見て勉強するといい」

「そうね」

 少女の声には覇気がない。

「様々な品と比べることで、見る目も育っていく。一人でも商いが出来るようになるよ」

 意味ありげなヴェスターの口調に、少女自身が何をしようとしていたのか見透かされているような気がした。

 あの日儀式のあった夜の出来ことは今でも忘れられない。

 闇に包まれた夜空に星が存在することを知った。

 誰に聞いても星のことは判らなかったが、あの時見た星の輝きは色あせることなく少女の目に焼き付いている。

 砂雲の向こう側にある未知なるものに想いを馳せるようになる。ガリアに存在するものをすべて見てみたいと考えるようになってきた。

 漠然とした想いではあったが、それが少女を突き動かす光となっているのである。


「砂漠を渡り歩くのであればトレーダーだけではない。様々なオアシスの人々とも接していかなければならない。トレーダーだけではこの砂漠では生きていけないのだからね」

 ガリアにはまだ多くのオアシスが点在している。

「どうしてそういうこと言うのよ?」

「地根っ子などと言っていては人と付き合っていけないからね」

「誰も本気でつきあっているトレーダーなんていないわ」

「本当にそうだろうか? 少なくとも私は彼らのことを知りたいと思っているよ」

「ヴェスターはもうトレーダーではないでしょう!」

 少女は自分の声が大きくなってしまったことに驚く。

「拘りや偏見を捨てるのは難しいだろうが、人は分かり合えるものかもしれないよ。エアリィ自身の目で確かめてみることだね」

「あたしはちゃんと見ているわよ」

「うん。もっとよく見てごらん。隠れた先にも何かがあるよ」

「隠れた……」それは砂雲の向こう側のことだろうか?「まだあたしの知らないことがあるの……?」

「沢山あるはずさ」人というものは奥深い。そして刺激的だ。

「……本当かしら」


「この箱はどこに置けばいいの?」

 少女の持つ箱には『ジャンク』と書かれている。

 隅に乱雑に置かれていた物の中にはボロボロの布切れに包まれている品もあった。

 商いに出されるものとは違っているようにも見える。

「それはそこに置いていていいよ。あとで中身を確認しに来るだろうからね」

「誰?」わざわざトレーダー地区に来るものがいるとは思えなかった。

「連絡は入れてあるから、もう来ると思うよ」

 含む様にヴェスターは言う。

「これらはなにに使うものなのかしら?」

「箱に書いてある字の如くさ」

「わからないからきいているの」

 なるほどと頷くと彼は箱の封を解いて中を見せてくれる。

「がらくた?」

「それはこれを見た本人次第かな。お宝かもしれない」

 箱の中には、何に使うものかも判らない部品や錆びたり壊れたりしているパーツも一緒に乱雑に詰め込まれている。

 砂漠や廃墟で見つけた金属部品だと彼は説明してくれた。

「こんなものが売り物になるの?」

「ヴィレッジは見向きもしないものだけど、人によってはそれがお宝に化けるのさ」

「ヴィレッジとも交渉しているの?」

 少女は顔をしかめる。

 ヴィレッジの連中は旧区と言われる場所に住むロンダサーク最初の住人達の末裔とされる。自らを特権階級だと思い込み下町の民を見下す。さらに言えばトレーダーとでさえ上から目線で物事を言ってくるいけ好かない連中であった。オアシス全体の生命線である命の泉を押さえることでロンダサークでの地位を優位に保っているが、実際には衰退し有名無実となっている技術を振りかざすだけの顕示欲の塊のような輩だった。

「美品ならヴィレッジも目を付けるかもしれないが、彼らは見向きもしないよ」

「じゃあ、誰のお宝なの?」

「宙港に出入りしているジャンクと呼ばれる者達は知っているかな?」

「それ修理屋のことかな?」

 オアシスの中でもロンダサークの宙港にしかいない連中だった。

 数こそ減ったが、ウォーカーキャリアの修理を請け負っている。

 昔はヴィレッジがその役割を担っていたが、堕落しきった彼らに依頼するようなトレーダーはもうどこにも存在していないはずだ。

「そういう認識になってしまうか」ヴェスターは苦笑する。「ヴィレッジは当てにならないからな。あの連中を相手にするならジャンクたちを相手にしていた方が良い」

「地根っ子なのに?」

「彼は違うかな」意味あり気にヴェスターは少女を見る。「会えば判るよ」

「何がよ?」

「どうやら来たようだ」

 館の外、砂漠の方からエンジンの音が近づいてくる。


 エアリィが倉庫の外に出ると、砂漠への門の向こう側にウォーカーキャリアの姿が見えた。

 見たことのないタイプの機体だった。

「エンジンの音がおかしいわ。それに……」

「変わった外観だろう?」

 ヴェスターにそう言われ、少女は頷く。

 脚は二つで小型のウォーカーキャリアと同じだったが、流線型の流れるような機体は細身で前部にキャノピーがある。二人ギリギリ乗れるだろうと思われる狭いコックピットだ。

「後部にあるのはエンジンスペースなのかしら、それともカーゴ?」

 用途の判らない三角形の薄い板が両脇に付いていた。

「彼に話を聞いたことがあるが、私には理解出来なかったよ」肩をすくめるヴェスターだった。「詳しいことが知りたいのなら彼から直接話を聞いた方が良い」

「……、止った?」

 異音を放ち続けていたエンジンが唐突に静かになった。

 ウォーカーキャリアは倉庫の手前で動きを止めた。

 コックピットでは男が何やらやっているようだったが、諦めたのかキャノピーが開く。縄梯子が出され、それを使い青年は下りてくる。


「相変わらずのようだね、クロッセ君」

 ヴェスターは彼と握手する。

 年は二十代くらいだろうか。痩せこけていて髪の毛もぼさぼさだった。

「今日は調子が良かったんですよ」

 嬉しそうに話しかけてきていた。

「確かに普段であれば、ここにたどり着く前に動かなくなっていたようだからね」

「ここまで来られただけでも大きな進歩です!」

 余程嬉しいのだろう、彼は身振り手振りを交えヴェスターに具体的な改良点を説明し始める。

 少女は銀色の流線型の機体を魅入られたように見つめ続けていた。

「ヴェスターさん、この子は?」

 その存在にようやく気付いたクロッセはヴェスターに訊ねる。

「彼女はうちで預かることになった」なかなか名乗りを上げようとしない少女の代わりにヴェスターは紹介する。「名はエアリィという」

「この子もトレーダーですか?」クロッセはヴェスターに訊ねる。

「そうよ」

 トレーダーのジャケットを着ているから判りそうなものだと少女は思った。

「僕はクロッセ・アルゾン」

 恐れるようでもなく彼は普通に話しかけてくる。

 彼から差し出された手を見つめながら少女は問う。

「あなたはトレーダー?」

 風貌からはとてもトレーダーだとは思えなかったが、ウォーカーキャリアを地根っ子が持っているはずがない。彼は何者なのだろうか。

「僕はジャンクをやっているんだ」

「彼はヴィレッジだったんだよ」

「今はそこから抜けて下町で暮らしているんだけどね」

 二重の意味で嫌いな人がいることに顔をしかめてしまう。

 少女の態度にも気にする様子もなく、あっけらかんとした口調でクロッセは笑いながら言うのだった。

「彼は修理屋であり発明家なんだよ」

 下町にある施設の備品の修理から、はては砂上船まで直しているという話だった。

「発明?」

 クロッセのやっていることを説明されても少女は理解できなかったが、怪しげな実験を繰り返していることだけは理解した。

「爆発屋という有り難くない二つ名もありますが」

 クロッセは頭を掻きながら苦笑いする。

「爆発って……」

「今日はエンジンが爆発しないだけよかったのかもしれないね」

 ヴェスターもその音と立ち上る黒煙を見たことがある。

「そんなに何度もやっていないはずですが……」

 自信は無いようだった。

 クロッセは定期的にヴェスターの元を訪れているという。

 倉庫の中に案内されると、目を輝かせ箱の中の物を取り出しては独り言を言い考え込んでいた。

 すでにヴェスターや少女のことなど目に入らないようだった。



 3.



 オアシスにも夜はやって来る。

 高くそびえ立つ外壁があるからだろう、風はほとんどなく突き抜けるような寒さはない。

 クロッセはそのまま倉庫に居座り続けていい。

 いつものことだとヴェスターは気にしていない。

 ウォーカーキャリアもなんとか倉庫の中へと運び込んでいたようだ。

 少女は窓辺から夜空をぼんやりと眺める。

 ファミリーはどの辺りにいるだろうか?

 そう考えるだけで、えも言われぬ喪失感を少女は味わってしまう。

 窓からそのまま庭に出ると、倉庫の明かりがまだついていることに気付く。

 灯に惹かれるように少女は倉庫の中を覗き込む。

 小型の投光器に照らされた銀色の機体の下でクロッセは工具を片手にフレームの内部に手を加えていた。

 何をやっているのだろうか?

 あのウォーカーキャリアのことが気になって仕方がない。

 地根っ子もヴィレッジも嫌いだったが、それでも好奇心の方が勝った。

「ねえ。なにをしているの?」

 少女は声を掛けてしまう。

「やあ」彼は薄汚れた顔を覗かせ笑いかけてきた。「ちゃんと戻れるように、こいつを動けるようにしているさ」

「これは本当にウォーカーキャリアなの?」

 ゆっくりと興味無さそうな素振りを装いながら近づいていく。

「そうだよ」

「初めて見る型のウォーカーキャリアだわ」

「これは唯一無二の機体だと思う」

「本当に? どこで手に入れたものなの?」

「ヴィレッジの倉庫で眠いっていたのを僕の物にした」

「そんなことができるの?」

「まあ、ヴィレッジから出る際に色々と手を尽くしたけれどね」

「あなたはなぜヴィレッジを出たの? 特権階級でしょう?」

 下町とは比べ物にならない暮らしをしていたはずだ。

「あそこではやりたいことが出来なかったからね」

 慣習にとらわれ過ぎていた。年功序列やしがらみ、束縛が多すぎた。

 本来の目的である技術の保持を忘れてしまい、ヴィレッジ内部での権力闘争明け暮れ逆に衰退すら招いている。

 現在のヴィレッジは過去の栄光と幻想に囚われ、それに胡坐をかいているだけにすぎない。

「でもヴィレッジの方が設備も時間もあるはずじゃないかしら?」

「そうかもしれないね。でも束縛よりも今の自由を僕は選ぶかな」

「そうね。後悔したくないものね」

「悔いばかり残しているよ。やり遂げたこともあるけれど、失敗も多いからね」

「爆発とか?」

「不本意ではあるけれど、否定できない。でも、こんな僕だったけれど下町の人たちは受け入れてくれた。それが嬉しかったかな」

「受けいれる?」

「初めはぎこちなかったかもしれないけれど、旧区も下町も関係なかったって思えてくるよ」

 確かにクロッセからはヴィレッジの連中にありがちな高慢さは感じられなかった。服装も見た目も下町の人々と変わらない。

「ねえ、倉庫に眠っていたというけれど、このウォーカーキャリアは捨てられていたの?」

「長いこと放置されていたようだ。広い倉庫の奥底で埃をかぶっていたのをみつけたんだけど、残されていたのはこの機体と設計図だけだった」

「設計図って何?」

「何も無い所から新しいものを作ることは出来ないだろう? 絵で言うなら下描きみたいなものだ」

「線画のようなものなのかしら」

「似ているかもしれない。今度見せてあげよう。大きさを示す数値や配線図なども書かれている」

 嬉しそうに言い、クロッセは少女を手招きする。

 一瞬戸惑うが、エアリィは彼の元へと近づいた。

「今、配線を繋ぎ直していたところなんだ。また動けるようにするために」

 メンテナンスハッチから内部を彼は見せてくれる。

 様々な色のコードとパーツがそこにはあった。コックピットのメンテナンス用ハッチを開けた時に見えるものよりも複雑に見える。足らないものなどを付け足したりしていたらこうなったと彼は言う。

「エンジンはなにを使っているの?」

 あの音はウォーカーキャリアの物とは違うような気がした。

「実をいうとこのフレームにエンジンは付いていなかったんだ」

 だからヴィレッジも簡単に機体を手放したのである。

「どうしてついていなかったの?」

「未完成だったのか、それとも何らかの理由で外され放棄されたのかもしれない。とにかく記録が残っていないんだよ。ヴィレッジにも」

「ちゃんと管理しているのかしら」

「それを言われるとつらい所だね。サンドモービルや砂上船のエンジンを使ったりして試してきた」

「トレーダーから買おうとはしなかったの?」

 余剰のエンジンを持っているキャラバンもあるはずだ。

「そこまで資金が回らなかった。ジャンクの権利を得るだけでもギリギリだったからね」

 それでもクロッセは諦めず小型ではあるが出力のあるエンジンを手に入れていた。

「それが今の状態なの?」

「大型高出力エンジンを買うことは諦めていないけれど、そもそもそういうのがあるのかどうかすら判らないしね。とりあえず現状で出来ることをやっているよ」

 ボサボサの髪、ヨレヨレの服。しまりのない風体なのに、熱く語りかけてくる声としっかりとした眼差しは少女を惹きつけていく。

「フレームだけということはナノはあるの? 本当に直るの?」

「ナノはあるよ。僕は時間が掛かりそうなところをやっている。今も手の届かないパーツ内部とかはナノが診てくれているはずだ」

「あなたはナノを持っているの?」

 少女は驚愕する。

『ナノ』はウォーカーキャリのパーツの中でも主機と並び重要な部品のひとつだ。漆黒の正方形のパーツでそれを通すことで機械の異常を察知するとよほどの破損でない限り自動的に修理修復してくれる。機体内部の保守や管理をしてくれる部品とされ、ウォーカーキャリアが御酷な環境で長期にわたって運用できるのはこれがあるおかげなのである。

 重要機器ゆえ、ヴィレッジやトレーダー以外でそれを所有するものは滅多にいない高価で希少な代物だった。

「それを売れば一生遊んで暮らせるかもしれないのに」

「そうかもしれないね。でも僕自身のやりたいことのためにも、これだけは絶対に手放せないんだ」

「何をやりたいの?」

「僕自身のウォーカーキャリアを作り出し、動かすことだよ」

 この機体を復元しているのはその手始めだという。

「今はなにをしていたの?」

 訊いても判らないかもしれないが、それでも訊ねずにはいられなかった。

「パーツとパーツを繋げていた配線の一部が焼き切れていた。それを繋ぎ合わせていたところだ」

 様々な部品を繋ぎ合わせているからそういった不具合はよく起きるのだという。ジャンクパーツの中に使えそうな配線があったのでそれを使って直していたらしい。

「圧倒的にパワーが足りないような気がするけど大丈夫なの?」

「効率よくパワーを出せるように工夫してきたよ」

「そもそもこのウォーカーキャリアはなにに使われるものなの。アームもないわ」

「アームは収納されているんだ」

 コックピットの下にあるハッチを開けて見せてくれる。

「ずいぶん小さいのね?」

 重いものを持つには不向きのようにも見える。

「大型の重機とまでは行かないけれど、荷を持つことは出来る。それに人の手の様にマニピュレーターが付いていて、細かい作業が出来るよ」

「やっぱり用途が判らないわ」

「何を目的として作られたかは不明だけど、これは唯一無二、他のウォーカーキャリアには絶対にまねのできないことが出来る」

「どんなことなの?」

「知りたいかい?」

 そう問いかけながらも、少女の答えを待たずにクロッセはコックピットに向かう。



 4.



 コックピット内での作業を終えると彼は簡単なリモコン装置を持ちながら出てくる。

 長いコードでコックピットと装置はつながっていた。

「普通のキャリアは二本、あるいは四本の足を使って歩くだろう? だけどこのウォーカーキャリアはそれだけではなく浮くことが出来たんじゃないかと思っている」

「浮く?」

「想像出来ないかもしれないけど、砂漠の上を浮きながら移動することができたんじゃないかな」

「ど、どうやって?」

 エアリィ自身は気が付いていなかったが、凄い勢いで顔を近づけて訊ねていたらしい。

「あれ? 笑わないんだね?」

 この話をすると決まって笑われるか、変な目で見られるかのどちらかだった。エアリィの反応は意外だったようだ。

「そ、そ、そんなことどうでもいいでしょう! どうやって浮くのよ?」

 エアリィは真っ赤にしながらクロッセに言う。

「配線も間違いなく繋いだし、ナノも問題なくやってくれているようだから、実験を開始しよう」

「実験?」

 コックピットから持って来たゴーグルを彼は少女に手渡す。クロッセは頷くとリモコンのスイッチを入れる。

 エンジンが回り始める。甲高いタービンの音が鳴り響き、静まりかえっていた倉庫にこだまする。

 エンジンが安定するまで少し時間がかかったが、計器類に異常は見られなかった。

 腹に響くエンジンの音が心地よく感じられてくる。

 ゆっくりとウォーカーキャリアは待機モードへと移行し、二本の足を徐々に曲げ機体の腹の部分を床に近付けていく。

 こんな動きを見るのは初めてだった。

 人間の足首にあたる部位はかなり深い位置まで曲がり膝が折りたたまれている。

 そのことによって機体は地面すれすれに横たわるような状態になっていた。

 更に踵の辺りから四角い換気ダクトのようなものが現れた。

「この四角形のものは?」

「ノズルと呼ばれるものらしい。足の裏側にももう少し口径は大きいノズルがあるんだよ」

「何のために付いているの?」

「もちろんこれを浮かすためと、進行方向へ移動させるためさ」手や腕を使って彼は説明してくれた。「これらを他の人に見せるのは初めてなんだよね」

 顔は笑っているようにも見えたが、何故か口元は笑っていなかった。

「ど、どうして、あたしに見せるの?」

「今日はうまく動いてくれたから一分は……、いや三十秒……う~ん十秒もってくれるかな」

「な、なに、そのめちゃくちゃ短い時間は……」

「実を言うとね。いつも最初の数秒で終わるんだ」

 何故と訊くのが怖かったが、訊ねるよりも先にクロッセが延々と技術的なことをまくし立ててくる。詳しいことは判らないが、要は動力系か駆動系が過負荷に耐えられず止まるのだということがなんとなく理解できた。

「ナノのおかげか、大爆発にはいたらないけどね」

「えっ、ええとぉ……」

「今日は調子が良かったからいいところまで行きそうな気がするんだ」

「そ、それって根拠がないでしょう!」

 腰が引けていたが、後ろへと下がろうとしたエアリィの手首を掴み離さない。

 慌てて振りほどこうとするが、その前に手にした操作盤のスイッチを彼はカウントダウンもなしに押してしまう。

 心の準備も何もあったものではない。

 アイドリング状態だったエンジンが甲高い音と共に一気に回り始め強い風がノズルから吹き出してくる。

 ゴミやホコリだけではなく周囲にあったものまでも吹き飛ばしていく。

 それは砂嵐か竜巻のような音だった。

 徐々に足を踏ん張っていないと飛ばされそうになってくる。

「な、なにこれ!」

「キャリアの足元をよく見るんだ!」

 風や轟音にかき消されないようにお互い大声で叫んでいた。

 口を開けると砂が肺まで到達しそうだったが、その瞬間少女は信じられない光景を見ることになる。

「よし! いいぞ、いいぞぉぉぉ!」

 クロッセも興奮しているようだった。

 吹き付ける風が気にならないようだ。

 初めは微動だにしなかった機体が揺れ始め、床から数センチであるが確実に浮いていた。

 少女は目を見張る。

 信じられない光景を目の当たりにしていた。

 ウォーカーキャリアの巨体が浮いていくのが判った。十センチいや二十センチ、機体が持ち上がっていく。

 圧倒的な風圧に足を踏ん張りながら、状況をしっかりと見つめていた。

「そのまま、もっと浮かび上がれ!」

 クロッセは拳を振り上げた。

 その瞬間、風はやみ、うるさかったエンジンの音が止まる。

 機体が浮力を失い落ちる。

 地響きのような重たく大きな音が倉庫中に響きわたる。何かが崩れる音がした。

 振動が体中を震え上がらせる。

 それは驚愕からだったのかもしれない。

 一分にも満たない出来事であったが、エアリィは呆然とそれを眺めていた。

「どっちがやられた?」

 クロッセは機体に駆け寄るとメンテナンス口を開いた。

 そのあとに続いたエアリィはそこからあふれ出した黒煙をもろにあび咳き込んだ。

「なんなのよ、もう!」

「やっぱり、動力系の出力が足りないか、それにコードが保たなかった」

「確かに浮いたわ」

 声が興奮しているのか上ずっていた。

「あれが本来ならエネルギーがなくなるまで続かなければならないんだ」

「本来そこにあるべきエンジンがなければダメだってことかしら?」

「それが一番の問題だな。現状ではこれが限界かもしれない」

 クロッセは考え込む。

「ウォーカーキャリアの本来のエンジンを手に入れるべきよ」

「でも渡してくるかな」

「わからないわ。無理だと思うのなら探すしかないわね」

「おいおい僕はトレーダーじゃないから、砂漠を渡り歩くなんて無理な話だよ」

「じゃあヴィレッジは?」

「もっと無理だよ。あったとしてもロクなものしかなかった」

「う~ん……足らないなら、もう一つエンジンを増やすとか?」

「どこに? エンジンを二つ置けるスペースなんて無いぞ」

「後ろはカーゴでしょう? そこに置けないかな」

「無茶だ。隔壁が邪魔になる……が……」

 クロッセの動きが止まる。考え込んでいるようだ。

「どうしたの?」

「ツインエンジンというのは確かにあったな……単純に二倍の推力が得られるというわけじゃないけれど、可能性としてはありか。しかしスペースが……そうか! そうだよな。この機体の後部にはそれを収納できる空スペースがあったんだ。そこを利用できれば……」

「そこにもエンジンがあったはずよ」

 主機があったスペースだと直感した。

「空いているからと他のパーツを詰め込んでしまっていたんだ。それに軽量化のために外した部分もある」

 よく見ると塗装で隠されているが、後部には何かが付いていたあとがある。

「なんでそんなことするのよ。そこだってさっきみたいな重要なスペースなのよ。だとしたら動力部分と関係あるかもしれないじゃない」

「関係は……う~ん、だけど……はずした部分に動力系に繋がるものはなかったから、そこを新たに動力部として使えるのなら……、二つのエンジンを効率良く繋げるのは可能だろうか……」

 なにやらまた専門的な単語が次々と飛び出し始める。

 一心不乱に考えているクロッセにこれ以上何を訊いても今は無駄なような気がしてエアリィはそっと機体に触れてみる。

 流線形の細身のフォルム、本来の姿でこのウォーカーキャリアが砂漠の海を進む姿を想像してみる。

 うまく想像出来なかったがそれでも、それは心躍るものだった。

「よし!」突然に掛け声と共にクロッセは動き始める。「こうしちゃいられないぞ」

 わき目もふらず倉庫の外へと駆け出した。

 少女はクロッセを避けようとしてバランスを崩す。

 流線形の機体につかまるようなところは無く手は虚しく空を切る。少女は後ろへ倒れこんでしまう。

 受け身が取れず頭を打ってしまった。尾てい骨が痛み、一瞬気が遠のくような感じがする。

「戻ってアレとあれを取って来なければ!」

 エアリィのことなどもはや眼中にないのか、すぐ戻ってくる、といい残しながらクロッセは倉庫を飛び出していった。



 5.



「相変わらずだな、彼は」

 ヴェスターは苦笑する。

 轟音を聞きつけてやって来たのだろう遠巻きに館の使用人達が倉庫を覗いていた。

 呆気にとられ少女は入口を見つめていたが、ゆっくりと顔をウォーカーキャリアに向ける。

 手が届きそうなところそれはあった。

 その時、何かが少女の中ではじける。

「なんだっていうのよ!」

 打ち付けたお尻をさすりながら立ち上がったかと、近くに転がっていた缶を蹴りつける。

 大きな物音をたてて空き缶は壁に激突した。少女の中にたまっていたものが一気に噴き出してくる。

 うっぷんを晴らすかのように少女は更に何度も悪態をつき、周囲に散らばっていた物を蹴りつけた。

「気が済んだかい?」

 ヴェスターの声に振り向くとギャラリーはいつの間にかいなくなっていた。

「彼は機械のこととなると周りが見えなくなる。まあ、ゆるしてやってくれ」

「そんなこと知ったことじゃないわよ!」

「おやおや、嫌いかい?」

「きらい、きらいよ。大っきらい!」

 涙目でエアリィはうなった。

「まあ、好いてやれとは言わないが」

「わかっているわよ」

 慣れ合うつもりはなかった。それでも、ここでも何かが起きることを知った。世界に潜む謎を知った時の様に。

 少女は涙を拭くとウォーカーキャリアを見た。

 もしもこの機体が本来の姿を取り戻し動くのだとしたら……。届くかもしれない、あの砂雲の向こう側にあるものに。

 乗りたい。操縦してみたい!

 そう簡単にはいかないかもしれないが、これを駆って砂漠の海を駆け巡ることが出来たのなら、そう、真理が見えるかもしれない。

「どうかしたのかい?」

「本当に知らないことだらけ」

「無知を知ることは楽しい」

「そうかもしれない」

 それは偽りなき本心から出た言葉だった。

 未知なるものへの探究心が少女の新たなる生活への第一歩となったのである。

 エアリィ・エルラドは思いもしなかった道を歩み始める。



    〈了〉

              

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