ガリアⅢ ~時の向こう側

 1.



 少女は見上げる。

 砂雲を貫くように高くそびえる石の壁を。

 押し潰されてしまうのでないかと錯覚してしまうくらい、巨大で圧倒的な存在感がある。

 手を伸ばすと、そっと壁に触れてみた。

 黒に近い灰色の巨石は、何百年もの間砂漠からの風に晒され続けているが、その表面は見た目以上に滑らかだった。

 磨けば黒光りするのではないかと思ってしまうほどだ。

 石材ひとつひとつが人の背丈よりも大きく分厚い。それが何十段にもわたって積み上げられ、ロンダサークを円形に囲っている。

 頂きは大型のウォーカーキャリアよりもさらに高く、五十メートル以上あった。

 外壁と呼ばれる外側の壁は砂の侵入や砂嵐、竜巻からオアシスを守る要となっている。さらに内側にも壁があり地図を見ると年輪の様にさえ見え、細かく張り巡らされた石壁が各地区を分け隔てていた。

 壁は下町の成り立ちとともにあり、ロンダサークのもう一つの歴史でもあった。

 どのオアシスにも砂漠と人の営みとを隔てるための外壁がある。当たり前のように。

 当然すぎて、それがどのようにして作られたのか、その意味すら誰も覚えていない。

「なぜ忘れさられてしまったのだろう」石材を通して伝わってくる温もりを少女は感じる。「なぜ知ろうとしなかったのだろう?」

 先人たちの偉業と営み、それらを成し遂げた人々の想いを感じ、砂漠の民としての誇りを胸に少女は空と大地に穿たれた巨石建造物を見続けていた。



 ガリア。

 うねり波打つ砂の平原がどこまでも広がる。

 吹き抜ける風は、熱気とともに砂塵を巻き上げる。

 照り付ける太陽は灼熱の炎の如く砂漠と砂雲を焦がしていく。

 乾ききった不毛なる地、ガリア。

 この熱砂の大地に人は生きる。



 2.



 朝、冷気を含んだ風が開放された石門からオアシスの中へと吹き付ける。

 地平線が白み始める辺りから日が上りきるまでのほんのひと時だけ訪れる凪の時間。それはオアシスが活気に満ちる時でもあった。

「すごい……」

 エアリィは人の多さに目を見張る。

 歩き慣れていない少女は通行人と何度も接触し、時には流れに翻弄されそうになってしまう。

 表通りと呼ばれるメインストリートには大店が何店も立ち並ぶ。そこから外れた裏路地にも小さな商店が多く軒を連ねる。

 商いをする者たちの呼び声や客とのやり取り、人や物が動くことで喧騒が絶え間なく聞こえてくる。

 早朝の砂魚漁で獲れたばかりのイクークが店先に並んでいる。

 その場で切り身にされ、独特の臭いとともに搾りたてのイクーク油が売られていた。色とりどりの野菜だけでなくイクークの干物や煮物、更には保存食まで様々な食料品がここにはある。他にも衣服や食器などの日用雑貨も取り扱っている店も多くあり、大店には近隣のオアシスからもたらされた珍しい品も陳列されていた。

 暑さを避ける様に商区の店は日が昇る一時間以上前から店は開き始めるという。

 人々は日が昇らないうちから様々な物を求め集まってくる。

 ロンダサークは交易オアシスとしても最大級であり、ガリアの要とさえ言われるだけのことはある。

 初めは人混みに戸惑った少女も慣れるにしたがって、人の流れを読み店先や人のやり取りを探るようになっていく。

 その様子をヴェスターは笑みを浮かべながら見つめるのだった。

「ねえヴェスターはここに商品を卸しているの?」

「直接取り引きを行っている店はないな。ほとんどは商工会議所を通している」

「商工会議所?」

「商区にある全ての店が加入していて、それらをまとめている組合だな」

 商区だけではない。工区と呼ばれる地区に住む職人たちも所属しているとヴェスターは教えてくれた。

「変わった集まりがあるのね」

「ロンダサークならではの組織だよ」

「そこへ行くの?」

 取り引きがあるのかと、少女はヴェスターに訊ねる。

「今日は違う」意味あり気に彼は微笑む。「君に見せたい場所があるんだよ」

「ここじゃないの? それにオアシスに見たい場所なんてないわ」

 少女は顔をしかめる。

「そう邪険にするものでもない」

「そうかもしれないけれど、あたしはまだ……」

 ヴェスター自身焦らずに行きたいと思うこともあったが、少女は頑なになっている。このまま少女の才覚を眠らせたままにしてしまうのはもったいない話だった。多少強引にでもきっかけを作ろうとしていたのである。

「こうして無理やりにでも連れださないと、君は見てくれないからね」

「あたり前よ。あたしはオアシスになんて興味ないわ」

 さすがに人混みの中で地根っ子という言葉を使わないだけの分別はあったようだ。

 少女はトレーダーと呼ばれる砂漠の民だ。

 ファミリーの掟を破り、今はキャラバンを降ろされヴェスターの下に預けられているが、エアリィ・エルラドはトレーダーとしての誇りがある。

「それでも目や耳は塞がないでいてくれている」

 己の殻の中に引きこもっていた少女が外へと少しずつ目を向け始めてくれているのが嬉しかった。

「好きでここにいるわけじゃない……」

「それでもだ」人混みをかき分けるようにヴェスターは進んで行く。「ここでの暮らしは君の役に立つはずさ」

 まだ歩き慣れない少女はその背を追いかけるようについていくのだった。


 長いこと歩かされた。

 外壁の向こう側から顔を出した太陽はさらに上へと昇っている。

 石畳の上には陽炎が揺らめく。

 いくつもの石の門をくぐり、広大な農区を通り抜けると、少女はとある区画に入る。

 ロンダサークの中心部、旧区と下町を隔てる白い外壁がすぐそこに見える。

 ヴェスターが居を構えるトレーダー地区は宙港に隣接した外周部にあるのでかなりの距離を歩いてきたことになる。

 住居らしき建物は少なくまばらに建っている。古くはあったが立派な建造物が多い。道幅も広く、木々がそこかしこにある。

 小さな住居が密集している他の地区とは違った様相を見せている。

 ドームと呼ばれる巨大な施設もあるという。

「ここは?」

「一区。始まりの地区とも呼ばれているらしい」

「はじまり?」

「ここからガリアの人々の暮らしが始まり、他のオアシスへと広がって行ったという話があるそうだ」

「だれがそういうことを言っているの?」

「詳しく聞きたいかい?」

 ヴェスターの問い掛けに、少女は一瞬言葉に詰まる。

「…地根っ子と話すことはないわ」

「今は判らなくてもいいが、彼らも人だよ」

 そう言ってヴェスターは笑う。

「それでどこに行くの?」

「あの木が目印さ」

 彼の指さす先には一本の巨木が見えた。

「大きなガリア杉」

 遠くからでもその大きさが判る。

「ここはどういう地区なの? いままで見てきた地区と違いすぎる」

「一区は出来た当初に比べると縮小しているらしいが、ロンダサークの民が集う場所であるという。そしてここには五家と呼ばれる下町を纏める者たちが住んでいる所だ」

「人がつどう?」

「あそこに見えるドームと呼ばれる建物は大小あるが、小さいものは長老会の議場であり、大きいドームはロンダサークの民全員を収容出来るらしい」

「すべてを?」エアリィにはその数を言われても想像できなかった。「住んでいるのはその五家の人たちだけなの?」

「そのようだ。今から行くところには、五家の一人、レイブラリーの邸宅がある」

 レイブラリーは下町の民から尊敬され、最も敬愛される人物であるという。

 本人は否定しているらしいが、下町で一番偉い人物とされている。

「ファミリーの頭目みたいなものかしら?」

「近いかな。下町の指導者だね。裁定者と呼ぶ者もいるらしい」

 白くくすんでいる高い塀が続いた先に館への入り口があった。

 レイブラリー邸の門に人々に開放され鍵は掛かっていない。

「かってに入っていいの?」

 敷地は広く門から少し奥に住居がある。建物はエアリィが立っているところよりも二メートルほど掘り下げられた位置に建っている。

 そのため普通なら一階の高さに二階がある。

 底の深い皿の底に建っているように感じられた。

 石造りの建物は質素ではあるが荘厳な佇まいで、芝が敷かれた庭もよく手入れされている。

 気兼ねする様子もなくヴェスターは庭へと入っていく。

「このガリア杉を見に来る人も多いという」

「たしかに圧倒されるわ」

 外壁と同等の高さを有し、存在感がある。

 樹齢は五百年以上あるとされていた。

 そのため少女が十人いても周りを囲み切れないほど幹は太い。

 二人が入ってきたことに気付いたのだろうか、家の扉がゆっくりと開く。

 中から現れたのはヴェスターと同じくらいの年齢に見える細身の男性だった。

「よくいらっしゃいました。ヴェスター」

「久しぶりに寄らせていただいています」

「本当に久しぶりですね。お変わりありませんか?」

 よく通る澄んだ声だった。穏やかな笑顔を向けヴェスターと抱き合う。

「あなたもご健勝そうで何よりだ」

 眼鏡をかけ短く切りそろえた頭には白髪が目立ち始めている。

「今日はこのガリア杉を見せたいと思いましてね」

「お連れさんにですか?」

 彼がレイブラリーなのだろうか。その声に引き込まれそうになってしまう。歌うような口調が自分に向けられたものではなくても虜にされてしまいそうだった。

「うちの有望な新人です。いろいろと見せて回ろうと思いましてね」

「そうですか」男は目を細め少女を見つめる。「初めまして、私はベラル・レイブラリーと申します」

 ベラルは優しく微笑み、少女に手を差し出した。

 その手を少女は一瞬顔をしかめ見つめる。ヴェスターに促され、ようやく手をとったのだった。

「……エアリィ・エルラド」

「あなたがエアリィさんですか」

 ベラルは嬉しそうだった。喜びに満ちた声を掛けてくれる。

 温もりが伝わって来るようだった。

「あなたがって? あたしのことを知っているの?」

「クロッセ君から伺っていますよ」

「あいつと知り合いなの?」

「はい。元ヴィレッジということもありますが、彼の名は知れ渡っていますよ」

「良くも悪くもクロッセはトレーダー地区だけではなく他の下町でも知られている」

 ヴェスターは肩を竦め苦笑する。

 彼は腕の良いエンジニアでもあるが、自分の工房でも飽くなき実験を繰り返し、トラブルを引き起こしているらしい。

「なにを聞いたのか知らないけれど、あいつとはそんなに話をしているわけじゃないわ……」

 クロッセ・アルゾンはエアリィがロンダサークで初めて知り合ったオアシスの民だった。

 ここ数日館に姿を見せていなかったが、知り合ったその日からずっとヴェスターの館に入り浸り、時には寝泊りまでして、持ち込んだウォーカーキャリアの改良を行っていた。

 作業状況が気になりよく倉庫を覗き込んでいたが、話をした回数は多くはなかったはずだ。

「彼は良きアドバイザーを得たと、喜んでいましたよ」

「あたしは思ったことを言っただけよ」

「そうですか。なかなか将来が楽しみな娘さんですね。ヴェスター」

「ええ、放っては置けないほどに」

「なるほど、なるほど」

 ベラルは笑みを浮かべながら頷く。

 そして二人を古木の元へと案内をするのだった。


「樹齢は七百年とも千年とも言われています。この区画が完成したとき、入植の記念に植えられたようです」

 濃い緑が目にまぶしい。

 近くで見上げる古木は圧巻だった。周囲に広げた枝は緑の葉を伸ばし涼しげな木陰を作っている。

「七百年以上……」

 それは途方もない歳月だった。

「我らの祖先が故郷から持ち込んだ苗を植えたものだとされています」

「祖先の故郷?」

 ベラルの言葉が少女には引っ掛かった。

「伝承の中には、祖先は遥か天空から来たという話もあります」

「おとぎ話ではないの?」

「お伽話の中にも真実は含まれているかもしれませんよ」

「ありえるのかしら?」

「伝承に伝えられる『風の生まれる場所』の存在を確かめた人はいません。この砂漠の果てまで辿り着いた者はいないからです。確定していないものを架空の話だとは決めつけられません。私たちはガリアのすべてを知っているわけではありませんので」

 ベラルにそう言われ、少女は星のことを思い浮かべてしまう。

「あなたでもですか?」

 ヴェスターは訊ねる。

 レイブラリーはロンダサークの歴史を詩として記憶している。その歴代レイブラリーの中でもベラルは最も偉大な人物であろうと称されている。

「私の知識などまだまだ先人には及ばぬもの。この星の営みのごく限られた歴史しか知りません」

「星?」

 少女は二人に聞こえないように囁く。

 それでも少女の呟きがベラルの耳に届いたのかもしれない。彼とエアリィは目が合ってしまう。

「先人達の営みですか、それはどのようなものだったのでしょうね。このガリア杉は唯一無二の古木だからこそそんな話が出てしまうのかもしれない」

 古木に触れながらヴェスターは頷く。

「知るべきこと、知りたいことは沢山ありますが、すべてを理解すことは難しい」

「それでも人は知ろうとしますよね」

「人として当然かもしれません」人は探究者であるべきだとベラルは言う。「この一区は旧区とともにロンダサークで最初に作られた区画です。オアシスの民のために様々な施設と憩いの場が造られたとされています。今でこそ流民のために区画が四つに分けられ、小さくなりましたが、本来は旧区を囲むような場所であったのです」

「流民のために土地を別けたのですか?」ヴェスターは訊ねる。

「そうです。幾つもの立ち行かなくなったオアシスからロンダサークへと流民が押し寄せたのです」

「これだけの広さがあるのなら問題はなかったと思うけれど?」

「ロンダサークの始まりは旧区と最初の一区だけでした。三十以上のオアシスから移民を受け入れるのに十分な土地ではありませんでした。移民流入の始まりは苦難の歴史でもあったとされています」

 ロンダサークは全てを受け入れるために、外周部へと壁を広げていったのだという。

「それは初めて聞きます」

 ヴェスターは言う。

「トレーダーの方々に話す機会はありませんでしたからね」ベラルは古木の傍らにある石碑を指さす。

「あれは?」

「『無名の碑』と呼ばれています」

 黒光りする一メートル余りの石碑がある。

 何も刻まれてはいない。ただの石板だ。

「なぜ何もきざまれていないの?」

「その技術が無かったとされています。この石板に文字を刻むことは難しかったと」

「どうして石碑があるの?」少女は訊ねてしまう。

 その言葉は純粋に興味から出てきたものだった。

「そうですね。それをお話しするにどこから何をお話すればいいのでしょうね」彼はしばし考え込む。「ヴェスター。明後日の夕方になりますがお時間はおありですか?」

「ええ大丈夫ですよ」

「その日大ホールに下町の人々を集めロンダサークの歴史を伝える催しがあります。素晴らしい発見があり、それを見てもらうためのものです」

「あなたが主宰される? お話が聴けると? それは素晴らしいですね」

「その催しに、私の名においてお二人をご招待いたしたいと思います」

「楽しみです。是非伺わせていただきます」

 少女はうんざりするような顔をしていたが、それでもベラルはエアリィに微笑みかける。

「エアリィさん。申し訳ありませんがその回答はその時にさせていただきます。きっと興味が持てる話が出来ると思いますよ」



 3.



「大きすぎるわ……」

 ドーム状の建築物を間近に見て、あまりの巨大さに少女は茫然とそれを見つめる。

 遠くから見ていた時よりも遥かに大きかった。

 ロンダサークの広さも驚きだったが、それ以外にも広大な敷地や巨大建築物に圧倒されてしまう。

「しかも何で出来ているの?」

「大半は石材だと言われているが、一部には鋼も使われているんじゃないかな」

「どうやって建てたのかしら?」想像もつかなかった。

「それこそ失われてしまった技術なのだろうね」ヴェスターは肩を竦める。「このドームは多目的ホールで下町の人々ほぼ全員を収容できるという話だ」

「多目的?」

「今回のようなレイブラリーの催しだけではなく、下町の様々な儀式や式典に使われているという」

 エントランスだけで朝市よりも多くの人が集まっているように見えた。

 ここまでの道中でも多くの民を見かけたが、ドームの中には老若男女の別なく人が集っている。

 ヴェスターが受付に名を言うと、すでに話が通っていたのだろう、本人が迎えに現れる。

 彼は古い衣装だという青いローブを纏っていた。

 ホールにいた人々はその光景に驚き少女たちを見入ってしまうのであった。

 痛いほど視線を感じる。

「レイブラリーが直接迎え入れてくれて案内されるなど破格の待遇にも程があるからね」

 ヴェスターも苦笑いする。

 五家の筆頭であるとは聞いていたが、初めて会った時は気さくすぎてそれが判らなかった。

 今のベラルは威厳があり堂々としている。

「よく来てくれました」

「ベラルのお誘いですからね」当然のように彼はベラルの手を取り握手する。「あなたが主催するだけはある」

「レイブラリーですからね。私個人にではありません」

「歴代レイブラリーでも傑出した存在だとされているベラルだからこそ、催し物にここまで民が集うのではないでしょうか」

「ありがとうございます。今回のことは世紀の発見なのです。それを下町の皆さんと分かち合いたいと思ったからです」

「ますます楽しみですね」

「では、こちらへ」

 人が大勢集まっているロビーを抜け階段を上がり奥へと進んでいく。

 目立つことを避け少女はオアシスの民と同じ衣装を着ていた。

 それが居心地を悪くさせているような気がした。

 案内された『スタッフルーム』と書かれた部屋には見知った顔がいる。

「やあエアリィ、君も来ていたんだね」

 そこにいたのはクロッセ・アルゾンだった。

「最近館で見かけないと思ったら、ここでなにをしているのよ?」

「今は映写機の調整をしているところだよ」

「えいしゃき?」聞いたことのない言葉だった。

 クロッセはベラルに頼まれ、この部屋を使用できる状態に整備していたという。

 部屋を見回すとウォーカーキャリアのコックピットのように様々な機器が並んでいた。

「ここはなにをするところなの?」

「ガラスの向こう側に広いホールが見えるだろう。その奥には大きな白い壁があり、そこに映像をここから投影するんだよ」

 長いこと使われてこなかった部屋の機器はかなりの部分で修理を要したが、彼がそれを使えるようにしていた。それを得意満面に話してくれるのだった。

 その言葉と内容のほとんどを理解することが出来なかったが。

 それでも少女は彼と出会って数日でその会話を受け流し必要なことを聞き取り、知りたいことを訊くすべを学んだ。

「今回発見されたのが、このCD(クリスタルディスク)と呼ばれているものです」

 ベラルは長さが三センチ、直径が一センチにも満たないクリスタル状の棒のようなものを見せてくれる。

「似たようなものを見たことがありますが、それが?」

「石材や子供の玩具に使っているものに似ていますね。ですが、この中には膨大な情報が詰まっているのです」

「情報?」

「ひとつにはクロッセ君が言っていた通り、映像です」

「他にもデータらしきものが含まれているようだけれど、読み取りがうまく行かなくて、今回は映像だけになってしまった」

 クロッセは残念そうに言う。

「私はこれを星の記録と呼んでいます」

「星の記録ですって?」

「どうしたんだ、いきなり」

 ヴェスターだけでなくクロッセもベラルも驚き、声を上げてしまった少女を見る。

「い、いえ、何でもない。何でもありません……」

 この人なら知っているかもしれない。『星』とその意味を。

 慌てて否定しながらも少女はそう感じてしまうのだが、今この場でそれを訊く勇気はなかった。

「記録ですか、どのようなものか、楽しみですね」

「ベラルさんが、それに話を加えるのですから、絶対に面白いですよ」

 クロッセも楽しみだと言う。

 その意味をこのあと少女は知ることになる。彼が当代随一の歌い手であることを。


 ホールは地面をかなり掘り下げたものだった。

 聞くところによると大ホールだけで十万人は収容できるという。

 いくつかのオアシスでエアリィは劇場と呼ばれる建物を見たことがあったが、それらは数千人収容できればいいほうだった。

 そんな劇場が五つは軽く入ってしまうのではないかと思われた。

 傾斜がありそれに沿うように人が座れる席が設けられている。人は舞台を見下ろすような形になっていた。

 エアリィが大ホールに入った頃には座席の八割は埋まっている。

 天井からは照明が灯されている。薄暗くはあったが足元はしっかり見えていた。

 子供達が集客スペースにある階段を駆け回り、物売りの声が聞こえる。ざわめきがそこかしこから聞こえてきた。

 誰もがベラル・レイブラリーの話を楽しみにしているのが判る。

 ヴェスターとともに少女は最前列近くの貴賓席へと案内された。

 そこには長老と呼ばれる面々やロンダサークの要職いる者たちが列席している。

 少女はその雰囲気と視線に居心地の悪さを感じずにはいられなかった。


 ホール全体を照らしていた照明が消える。

 ステージだけがライトに照らされ浮かび上がる。

 舞台の袖からベラル・レイブラリーが現れ、それと同時に拍手が巻き起こる。

 手には月琴という楽器が握られている。先ほどの民族衣装の上からさらに白と緑の模様が入った布をマントの様に羽織っていた。

 舞台中央に彼が立つと拍手が鳴り止んだ。

 スポットライトの中でベラルが話しを始める。

 彼の後ろにある壁には、どこからかカメラでモニターしているのだろう、ベラルの姿が大写しされている。

 聴衆は驚きとともにそれを見ている。

「ようこそ皆様お越しくださいました。この催しは、とある映像を見ていただくためものです」

 ベラルの澄んだ声は広いホール全体に朗々と響き渡る。

 穏やかな笑顔とともに彼の言葉は聴衆の心へと浸透していくようだった。

 彼は懐から先程見せてくれたものと同じクリスタルディスクを取り出す。

 ライトにその鏡面はきらめく。

「これが今回発見されたクリスタルディスクというものです。ここにお越しの方々の家にもあるかもしれません」

「みたことあるよ!」

 子供が声を上げる。

 それをきっかけにさざ波のように人々の声が広がっていく。

「全てがそうであるとは限りません。遊具も混じっているでしょう。このディスクを特殊な機械に通すと映像を観ることが出来ると判りました」

 彼は映像というものがどのようなものかを説明していく。

「しかし、その特殊な機械のモニターは小さく数人で見ることにしか適していませんでした。多くの人々にその感動を共有していただくにはどうしたらいいのか、クロッセ・アルゾン先生に相談した結果、それが可能な機械を先生はみつけてくれたのです」

 その名を知る者たちから驚きと、一部からは不安の声が聞こえてきた。

 エアリィは苦笑するしかなかった。

「残念ながら音声はどうしても再生できませんでした。無音のままでもお見せすることは出来ますが、それでは退屈してしまわれるかもしれないという声もあり、僭越ではありますが、レイブラリーに伝わる歌と伝承とともに上映を行ないます。一区から始まった下町がどのように広がって行ったのか、その物語を皆様自身の目で確かめもらいたい」

 ベラルの口上が終わると彼に向かって拍手が贈られる。

「これはロンダサークのみならず、ガリアという星の歴史であります」

 また星という言葉が使われた。

 それに反応する者は少女以外誰もいないようだった。

「我らの営みがここから始まった。その歴史、祖先が如何にしてこの地に根付いたか、先人達が困難を乗り越えた過程を、そして今という時代を見つめながら感じていただけたらと思います」

 ベラルは聴衆に感謝の言葉を述べると舞台脇の階段を下りて一段さがった場所に設置された椅子に腰を下ろす。

 全ての照明が落とされた。

 彼の手にした月琴が音を奏で始める。

 音は前からだけではなく天井など四方八方から聴こえてくるようだった。

 舞台の白い壁に向かって後方からサーチライトよりも細い一筋の光の線が伸びていくのが見えるようになる。

 スクリーンと呼ばれた所には、砂漠が映し出されている。

 一瞬どよめきが起こり、ベラルの声や音楽だけではなく映像を見逃すまいと人々はスクリーンを見つめる。



 4.



「ガリア。それは砂の海に埋め尽くされた我らが大地」

 前奏曲が終わり切ない調べとともにベラルは歌う。

「今も昔も変わらず砂漠と砂雲に覆いつくされてきました」

 外壁の上から撮ったと思われる映像は向きを変えながらロンダサークの周囲を映し出し、ゆっくりと移動していく。

 ロンダサークの中心である『命の泉』でさえ今とは景色が変わっている。木々が低く密集していない。

 旧区の壁でさえ今よりも白く感じられた。

 外壁はまだ農区の外側には広がっていない。

 その下には多くの色々とりどりのテントが映し出されていた。

「ロンダサークは一区を四つに別け、新たに二区から四区が流民のために開放されました。しかしそれだけでは足りないほど流民はロンダサークを目指していました」月琴の曲調が変わる。「ただ彼らはロンダサークに向かえと教えられたというのです。八部神の教えとともに」

 いったいどれだけの距離を彼らは移動してきたのだろう。急ごしらえの砂上船などに乗せられている人々の姿があった。

 オアシスを放棄し砂漠を渡るのは危険な旅でしかなかった。

「ロンダサークへ辿り着くまでの間に多くの命が失われたとされています。それでも成し遂げられたのは多くのトレーダーの手助けがあったからこそなのです」

 流民たちの傍らで、彼らを守るように進むキャラバンの様子が映し出される。

 畏怖の対象でしかなかったトレーダーとオアシスの民が共にいたのである。

 誰しもが心底驚いたのではないかと思われた。


 映像の中のウォーカーキャリアの姿に少女は震えた。

 その機影には見覚えがあった。

「あ、あれは……もしかして」

 少女は小さく呻く。

「間違いない。あれはホルデガスト号だ」

 ヴェスターが小声で応える。

「じゃあ……」

「我らエルラドファミリーが彼らオアシスの民を救っているのだ」

 なんと言う巡り合わせだろう。


「その頃ロンダサークに一番近いとされたオアシスでもウォーカーキャリアで一週間はかかるとされていました。多くのオアシスの民を抱えている状況で、彼らがロンダサークにたどり着くのにどれだけ時間が掛かったのかは知る由もありません」

 食糧問題、災害による外壁の破壊、疫病等、今から五百年ほど前に様々な理由からオアシスの多くが放棄されたとされている。その時発生した大量の流民がロンダサークを目指した。

 その結果、人口爆発が起こりロンダサークは土地問題に悩まされることになる。

「受けいれ不可能な数の流民が外壁の外に溢れました。ロンダサークは水の供給を認めましたが、門を閉ざし受け入れを拒絶したのです」

 城門では流民、トレーダー、オアシスの民が議論している姿が映し出される。

 掴みかかりもみ合う人々、疲れ、怒り、悲しみ。仲間同士でのいがみ合い。その一方では同胞が荼毘にふされていく。どの表情にも生きるためにもがき苦しんでいるあとがあり、それは目を背けたくなる光景だった。

「どうやって生き抜けばいいのか、彼らは必死でした」

 広大な農区を宅地にする案も出たが、増える一方の流民を養うための農地を確保し食糧不足を解消することも急務だった。

 食糧を確保するための打開策を示したのはトレーダー達だ。

 砂魚イクークを食料として利用することを提案してきた。

 慣れない漁は大変だったが、それで流民もロンダサークも飢餓を回避することが出来たという。

「悲壮な覚悟で挑む者たちが居ました。テーラルとドライトです。流民の指導者として二人は立ち上がり人々を導きます」

 闇の中に燃え盛る炎、かがり火の明かりの中、拳を振り上げ熱弁を振るう男がいた。

 それがテーラルなのかドライトかは誰にも判らない。それでも映像の中の人々は男を支持し拍手していた。

「祖先が選んだ道は、漫然とした死を迎えるのではなく、この地に新たなる土地を切り開くことでした」

 ベラルの奏でる旋律が彼らを鼓舞しているように聴こえてくる。

「ロンダサーク側からも協力者が現れます。ヴィレッジが知恵を貸してくれたのです。新たな外壁の設計と開拓が行われることになりました」

 今の堕落し高慢なヴィレッジからは考えられない姿がそこにはある。

 少女だけではない。誰しもが目を見張り驚いたことだろう。

 測量が始まり、石切り場が作られると、次に外壁の場所が決められた。

「トレーダーがさらに協力を申し出てくれました」

 ウォーカーキャリアが大地を躍動する。

 音が無くとも唸りを上げるエンジン音、地響きをあげ歩く巨体の振動が映像から伝わってくるようだった。

 アームやクレーンなどを使い巨石を切り出し運搬、積み上げを行なっていくのだ。


「ウォーカーキャリアはこういうこともできたのね……」

 小型のウォーカーキャリアはアームを器用に使いこなし石を切っていく。その切り出した石材を大型のキャリアがクレーンやアームを使い運んでいくのだった。

「これが本来のウォーカーキャリアの姿だったのかもしれない」

 重機のような役割りを担い、人力だけでは困難な場所へと運び上げていた。砂ソリや砂上船に物資を乗せ往復していくキャリアの姿は砂漠を行くキャラバンとは別の一面を見せていたのである。

 何よりもエアリィにとって衝撃的だったのは、今では商いの他はほとんど交流がない地根っ子やヴィレッジの者達とトレーダーが一緒になって作業を進めている姿だった。

 そこには偏見も奇異な目もない。

 時には笑い肩を叩きあい寝食をともにして行く。助け合い互いに手を取り合っている姿を食い入るように少女は見つめていた。


「今では失われてしまった技術と全ての民の協力がそこにはありました」

 彼の奏でる音と声は慈愛に満ちている。

「仮の壁が組みあがり本格的な外壁工事へと進んでいきます。それと同時に祖先は農地開発へと着手していきました」

 農地の拡張。当時、それが一番の難題とも言われていた。

 農区の映像を見る限り、当時全てが耕作地となっていたわけではないようだ。手付かずの荒れ地がそこかしこにあったのである。

 この問題が解決しなければたとえ新しい区画が完成したとしてもロンダサークを飢えが襲っていたはずだった。

 ウォーカーキャリアよって運び込まれた砂が、数十メートルの深さまで石材を切り出したあとに大量に入れられていく。

「先人達には成すべき力と技術があったのです」

 彼らの手でその砂地に見覚えのあるものが砂地へと蒔かれて行ったのである。

 最初は何をしているのか、何が撒かれているのか観衆は理解しようとしていなかった。子供の素直な声がして、人々は初めてそれを受け入れようとする。

「イクークはオアシスの貴重な蛋白源だけではなかったのです。砂魚は砂漠を豊かにするという言い伝えがあります。イクークが多く生息するオアシスは栄えると」

 特に農区の民には衝撃だっただろう。

 生態すら知られていない砂魚にそのような利用法があったのだから。

「幸いにもロンダサークには他のオアシスでは類を見ない豊富な水がありました。新たなる水路を築き水源の確保も進めて行きます」

 壁の上からの映像によって外壁の基部が出来上がり基礎となる区画が三つ姿を現す。

 水路が網の目のように張り巡らされ一部は水で満たされている。

 疲れきっていた人々の間に笑顔が戻っていく。

「しかし試練は始まったばかりでした。祖先に次々と困難が襲い掛かってきたのです」


 スクリーン一面に吹き付ける砂の嵐が映し出される。近くにあるはずの巨大なウォーカーキャリアの姿がぼやけて見えるほどだった。

 風音が聞こえてくるような感じにさえなった。

 荒ぶる風の中を人々が大きなシートを持ち作業を続けていた。

 水路や農地を守るために覆いを掛けていくのだが、強風の中ではシートを固定することすらままならないようだった。

 ウォーカーキャリアが風除けとなり、アームを伸ばしシートを支える。

 誰もが必死だった。

「出来上がったばかりの水源が何度も砂に埋まってしまいそうになりました。その度に砂を取り除きシートをかけて水と土地を守り通したのです」

 場面は変わる。それが同時期に起きたものなのかは判らないが、人が壁を指さし叫んでいた。

 その先には工事中の壁から落下した石材が突き刺さっていた。

 更に不安定な状態だったのであろう、強風に煽られて巨石がずれ落ち始めている。

 近くにいたウォーカーキャリアがアームを伸ばし落下を止めようとする。しかし石材の勢いは止まらなかった。かなりの重量を支えられるはずのアームは途中から折れ曲がり、巨大な石材は落下、その下にあったテントに直撃する。

 アームが落下の勢いを押さえてくれたため、流民が避難する時間が生まれる。資材だけが圧し潰された。

 だがウォーカーキャリアの受けた代償も大きい。


「あれはストライダⅠ世だな」

 ヴェスターは呟く。

 今は失われたエルラドの大型ウォーカーキャリアだと少女に教えてくれる。

 ホルデガストの居住区にはそのアームの一部が飾られている。

「エルラドの栄誉だと聞かされていたのだけれど、このような意味があったのね」

 無残に落ちたアームをヴィレッジのものが丹念に調べ、流民の中から溶接や板金が出来る者が進み出てそれに加わる。

 元通りとまでは行かなかったが、彼らの持てる技術を尽くしウォーカーキャリアを修理していく。感謝と願いを込めて。

 そのアームを誇らしげにストライダⅠ世は動かす。

 流民の子供達が手を振ると、アームを振り上げそれに応え石材をつかむ。万全とはいいがたかっただろうが、ウォーカーキャリアは力強く作業を進めて行っていた。

「互いに疲弊していましたが、彼らの士気は衰えていません」

 ベラルの言葉からもその熱意が伝わってくる。


「それは数十年に一度あるかとされる最大級の竜巻でした」

 撮影者もその強風と叩きつけてくるような砂粒に翻弄されているのだろう、視点は安定していない。

 まだ遥か彼方にあったが、三本の竜巻は天空を支えるように建つ巨大な柱のようにさえ見えた。

 流民の避難と資材の固定などが急ピッチで進められていく中、ダークグレイに染まる巨大な竜巻のひとつがロンダサークに迫りくる。

 民は軌道が反れるよう祈っていたが、願いもむなしく直径数十メートルの巨大竜巻がロンダサークを直撃する。

 その映像に人々は恐怖に震え上がった。

 巨石が巻き上げられ、地上にあるものすべてを薙ぎ払っていく。

 石材確保のために掘られていた地下に避難した人たちの表情が映し出されている。

 誰もが不安な面持ちだった。身を縮め寄り添い合いながら嵐が過ぎ去るのを待つ。

「その砂嵐の強さは比類なきものであったのでしょう。現場は壊滅的なダメージを受けました」

 数分前の映像では整然と積み上げられていた石の壁が脆くも崩れさっていた。

 死者も出ていた。あの竜巻の中、外で資材を守っていた者たちもいたという。

 ウォーカーキャリアが横転している。水路も砂で埋まる。

 灼熱の太陽の中、人々は呆然とその光景を眺めていた。

 彼らが懸命に築き上げたものは一瞬で灰燼に帰す。

「我々には諦めずに立ち上がる足があります。振るうべき手がそこにある。立ち止まらないからこそ今があります。更に未来が」

 日が暮れウォーカーキャリアの強力なサーチライトに照らされる中でも人々は荒れ果てた工事現場を重い体を引きずりながら元通りにしようとしていた。

 映像が夜空を映す。

 その瞬間、少女には星が瞬いているように見えてしまう。

 ノイズなのか本当に星なのかは判別が付かなかったが。


「流民同士の言われなき迫害と争い」

 災害だけでなく事故が起きるたびに悪意ある噂が流布したというのである。

「工事中だけではありません。病による死者も出ました。満足な援助が受けられないまま栄養失調などで倒れる人も多数いました。それでも歩みを止めるわけには行きません。祖先は外壁を築くために日々前進していたのです」

 強風にも耐えられるように巨石の積み上げにも工夫がなされていく。

 ヴィレッジや流民からの技術者がロンダサークの白い壁を調査し、新たな設計図を書き起こしていった。

 それを元に石材が切り出され、構築が進む。基部は当初の倍になり、切り出した石材の量は三倍に膨れ上がったという。

「五年はかかるといわれた大工事を早くにやり遂げることが出たのは多くのトレーダーたちの協力を受けることが出来たからです」

 工事を支えたのはエルラドファミリーだけではなかった。

 砂漠の向こう側から現れるウォーカーキャリアの勇姿が映し出される。それはひとつのファミリーだけではなかった。

「ボードルのマークだわ。ベッケンのもある。もうひとつは……」

 大型ウォーカーキャリアに掲げられたマーク。キャラバンの勇姿と誇りがそこにはある。

「ミスト・ファミリーのものだな」

「ミスト? 知らないわ」

「北回りを主に行っていたファミリーだからな。今はもはや存在していないし、エルラドとはあまり顔を合わせたことはないかもしれない」

 それでも古参のキャラバンであったという。

 様々なファミリーが集結していった。

 ウォーカーキャリアの数は百機を超えていた。

 これだけのウォーカーキャリアが集まることはもうないだろう。

 それは壮観な眺めだった。


「どのような困難に見舞われようとも、希望はありました」

 まだ砂と土が入り混じった農地が映し出されていた。

 その一点へと視点は近づいていく。

「砂地に新たなる命が根付いたのです」

「緑だ」どこからともなく声が上がる。

 それがさざ波のように人々の間に広がっていった

 ベラルの奏でる月琴の音楽がそれに乗り、希望となって鳴り響いた。

 砂場が農地へと変わっていく。

 その光景が信じられなかった。砂が土になろうとは。

 歌うベラル、それは砂魚を讃えている。

 誰もが忘れかけていたイクークが砂漠を豊饒へと導くという言い伝えだった。

『伝承の中にも真実はある』

 その言葉が少女の胸に響いてくる。

 映像に現れた手が取ったものは砂ではなくポロポロとこぼれていく土塊だった。まだ農地には適しているとは言いがたかったが、それは紛れもない土である。

 そして芽はひとつだけではなかった。無数に芽吹いている植物の姿がある。

 手を取り合う流民やヴィレッジ、そしてトレーダーたち。

 彼らによって農区のさらなる開墾が進められていったのである。


「テーラルとドライトの指導の下、外壁建設は続けられていきます。二年半という歳月を経て最初の外壁は完成しました」

 磨き上げられた石の門。その門がゆっくりと開かれ、喝采とともに迎え入れられる流民達の姿がそこにはあった。

 彼らの建設した区画には壁の上から見下ろしても建物らしいものはほとんどなかった。

 全てがこれからだった。

 それでも人々は喜びに満ち溢れていた。

 人々の隊列が行進していく。その先にはあのレイブラリー邸がある。古木は今と比べると幼い苗木のようにも見えた。

 多くの人々がガリア杉を囲み、手にしたものをその根に蒔いていく。

「この時蒔かれていたものは新たな農区の土と命の泉にある森の土、そして砂漠の砂であります。三者の融合したものでありました」

 それぞれの代表者なのだろう三人が手を取り合い、ひとつとなり鍬を入れていく。

「皆が協力し合った記念として無名の碑は建てられました」

 空に花火が上がる。

 あの石板が映し出された。

 もしかするとクリスタルディスクの様に流民のために尽力した人々の名がデータとして刻み込まれているのかもしれない。少女はそう思った。

「多くの失われた方々への弔いなのでしょう。無名の碑として今も石は存在しています」

 手を取り喜びあう人々の姿がそこにはある。

「この後も様々な苦難が待ち構えていました。それでも祖先はしっかりとこの地に根付いていったのです」

 困難があろうともそれを乗り越えた人々は笑いあっていた。

 ベラルの奏でる雄大な音楽とともに映像は終わりを告げた。

 スクリーンへの光が消え、闇の中に静寂が訪れる。


 誰もが声を出せずにいた。

 再びレイブラリーにスポットライトが当てられる。

 ベラルが壇上中央に立っていた。

「映像はここで終わりを告げます。発見されたディスクは歴史的な発見といってもいいでしょう。一部の伝承でしか知られていなかった出来事が記録として残っていたのですから」

 ベラルは聴衆に微笑みかける。

「もしかすると、ここに集っている皆さんの家々にもこのような記録が残されているかもしれません。もし、それがあるのなら私か地区の長老にご一報下さい。祖先の記憶がそこに眠っているかも知れません」

 まさに宝物の箱なのである。

「さて、この後のことを少しお話しいたしまして、今宵の集いを終わらせたいと思います」

 ゆっくりとしたテンポで月琴の調べが流れ始める。

 彼の声は歌うような口調であった。

「ロンダサークは我らの祖先だけではなく多くの流民を受け入れ、その度に拡張していきます。今の姿になったのは三百年以上前のことだと言われています。幾度となく外周へと広がっていった壁、それが区画という狭い世界を生んでしまいました。それぞれの地区の中でも、そして隣接する地区同士で諍いは今も起きています。ですがこの映像を思い出してください。今はほとんど交流のない者達が手に手を取り合い協力し合ってきた時代があったのです。我々も今一度原点に戻ることが出来るのではないでしょうか? 苦難を乗り越えてきた祖先を持つ我々なら、その垣根を取り払えるのではないか、皆で考えていって欲しいと思います」

 静かに音楽は終わりを告げる。

 ライトは消え静寂が訪れた。

 誰かが最初の拍手をすると、それは波紋のように会場全体へと広がって行き、大きなうねりとなって響き渡る。

 この夜、誰もがベラル言葉に感じるものがあったのではないかと思われた。

 少女も夜空を見上げ想いをはせる。

 帰路の間、エアリィは終始無言であったという。



 5.



「エアリィはどうしたんだい?」

 朝食の時間に姿を見せないのは珍しい。

「お嬢様は早くにお出掛けになりましたよ」

 女中頭のマーサは朝食の準備を整えながらヴェスターに応えた。

 少女は早朝から起きだして出掛けて行ったという。

「ほう」

 窓の外を見るとヴェスターは微笑んだ。

 日がまだ昇らない暗い通り、雑踏を駆け抜けていく少女の姿が見えるようだった。

 彼は祝福の言葉を呟く。

「もっともっと、外の世界を見ておいで」


 考えたいことは山ほどあったのだが、それでも早く着きたいと体が勝手に動いていく。

 少女はただひたすらベラル・レイブラリーの館を目指し走り続けた。

 辺りはまだ暗い。

 館にも明かりは灯っていなかった。

 思考がまとまらないまま少女はガリア杉の元へと歩いていく。

 息はまだ荒く心臓の音が聞こえてきそうだった。

「おはようございます。どうしたのですか、こんなに朝早くから」

 初めて会った時と変わらない穏やかな声がする。

 不意に掛けられた言葉に少女は慌ててベラルに向き直る。

「あ、あの……」

 まだ心の準備が出来ていなかった。

「なんでしょう?」

 ベラルはただ目を細めその様子を見ている。

「その……」

 簡単なひと言なはずなのに、その言葉が口にできない。

 俯き、ベラルと目が合わせられなかった。

 暗がりでも顔が紅潮しているのか判る。

「あ……、うぅぅ」手を握り締める。

 古木の葉が朝の風に揺れ、微かな音を立てる。

 杉が笑いかけているような気がする。意地を張るのがバカバカしくなってきた。

「あ、あの!」声は上ずり大きくなっていた。「星の歴史について教えて欲しいのです!」

 目をつぶり、勢いよく頭を下げていた。

「私でよろしければ」

 応えはすぐに返ってくる。

 顔を上げると優しくベラルは微笑みかけてくれていた。少女の目の前には彼が差し出してくれた手がある。

 おずおずと少女はその手をとるのだった。

「私が知ること、全てをお教えしましょう」

「よろしくお願いします」

 ささやくように少女は感謝の言葉を口にする。

 その手を握り締めたままベラルは少女を館へと招き入れる。

 吹き抜ける風が優しく彼らの背を押す。

 二人の軌跡は交わり新たなる歴史が音階を奏で始めたのである。




 〈了〉


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