ガリアⅥ ~記憶の彼方に刻まれし言葉

 1.



 熱砂の大地。

 ガリアは地平の彼方まで砂の漠が続く。

 巨大な太陽が砂雲の向こう側から照りつけ、地は灼熱の地獄と化す。

 陽炎ゆらめく大地が広がり、天も地もすべてが砂に埋め尽くされているかのようだ。

 熱砂の大地。

 人はガリアに生を受け、砂と共に生きる。



 2.



 長く力強く汽笛が響き渡る。

 砂上船シルバーウィスパーがロンダサークに入港する合図だ。

 シルバーウィスパーはロンダサークの北に位置する港へと入港していく。巨大な外壁の一部が開かれており、その内側は砂路と呼ばれる砂上船の出入りする道が続いている。そこへと砂上船は船尾から船体を滑り込ませるのだった。

 巨大な船がまるで外壁に飲み込まれるように徐々にオアシスの中へと消えていく。

 狭い砂路に船体がすべて収まると、それを確認した門番が旗を振り合図する。

 巨大な隔壁がゆっくりと閉じ始める。

 腹に響く低い地鳴りのような音が響いてきた。

 鋼鉄の壁の動きは見る者を圧倒する。

 背後に見えていた砂漠が徐々に見えなくなっていく。

「すごい……」

 出港するときに低く唸るような音がしたのは、これだったのかと少女は気付く。

 砂の浸食からオアシスを守る高い壁が両側から迫って来るように感じてしまう。砂路は狭く見上げれば砂雲が見える幅は手のひらほどで、船体と壁との間隔が五メートルにも満たない所さえある。

 旧区と外壁のほぼ中間点にある港湾施設までは距離がある。首が痛くなるほど前後左右を少女は見つめ続けた。

「夜だったから気が付かなかったけれど、とんでもないところを抜けて砂漠に出ていたのね」

「うん」ソールは頷く。「ロンダサークがここまで外側に広がるとは考えていなかったのかもしれない。それに大型砂上船の運用がここまで長期間続くとは思っていなかったという話もあるよ」

「下町が作られていくうちに、これだけの砂路が出来上がっていったというのね。外側に港を移設することはできなかったのかしら?」

「ドックとか失われてしまった技術もあったらしいから、難しかったのかもね」

「親方の操船じゃなければ、下りたい気分ね」

「小さい船だと問題はないんだけど、シルバーウィスパーはギリギリだよね」

 両舷には監視するための見張りが立っている。ゆっくりと右にカーブする砂路をなめらかな動きで砂上船は進んでいく。

「さあ、ぼく達も下船の準備をしよう」

 隔壁が閉まり、乾いた埃っぽい匂いは消えていく。

「ここに戻って来てしまったのね……」

 少女は呟きながら、振り返り砂漠のある方角を見つめる。


 港にある砂上船が接岸するための埠頭近くには多くの人が集まっていた。

 午後になったとはいえ太陽は頭上にある。日差しは強く日にさらされた石は触れるとやけどしそうなくらい熱を持っている。

 それにもかかわらず数時間前から入港を待ち続けている人がいた。

 砂上船が戻ったという報が最初に入ったのは七時間ほど前だった。夜が明けて間もなく外壁の物見が地平線に砂上船の姿を見つけたのである。

 瞬く間にその報はロンダサーク中に流れる。

 予定より五日遅れての帰港だった。

 遭難のうわさも流れ始めていただけに乗組員の家族や縁者はその無事を確認するために港へと集まって来ていたのである。

 信号機による簡単な連絡が取れたのが三時間前であり、その時に乗組員全員の無事が確認されている。人々はようやく安堵するが、それでもその目で無事な姿を見るまでは安心はできない様子であった。

 照りつける日の光に銀の船体がきらめく。

 多くの人々が見守る中、砂の上を走っていることを感じさせないような優雅な動きでゆっくりと砂上船は港へと接岸するのだった。

 港湾側の隔壁が閉じられ艫綱が降ろされると船はようやく動きを止める。

 甲板員達が盛んに見守る人々に手を振っている。

 舷側が開き、タラップが降りて固定されると荷降しなどに関係のない漁師達がまず下船してくる。

 岸壁には船員たちを中心に人の輪がいくつも出来上がっていくのだった。

「ソール! エアリィ!」

 シェラは船から降りてくる人の流れの中に弟と少女の姿を見つけると人をかき分け駆け寄り、飛びつくように抱きついた。その勢いは二人を石畳に押し倒してしまいそうだった。

「……よかった……ふたりとも無事で……」

 涙を流し何度もつぶやいているシェラの髪を少女は優しく撫でる。

「大丈夫、あたしたちは元気だから」

「お嬢様」

 少女が声のする方に顔を向けるとそこには館の女中頭が立っていた。

「マーサさん!」

「お帰りなさいませ」

 マーサは軽く微笑み館に戻った時と同じように少女に声を掛けてくれた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「う、うん。ただいま」

 出迎えがあるとはエアリィ自身思っていなかった。

 嬉しさ、気恥かしさ、いろいろな感情が混ざり合った表情を少女は見せていた。

「こんな時間に、ここまで来るのは大変だったでしょう?」

 港湾施設はエアリィ達が住む地区とは反対側に位置している。

「そんなことありませんよ。館の者、皆心配しておりました」

 嵐で帰還が遅れることは何度もあったことだったが、五日も遅れることは稀だった。

 ロンダサークでは過去に砂上船が失われたこともあったのである。

「ヴェスターも?」

「ええ、伝令の者が館に走っています。報を聞けばお館様も無事を喜ぶはずですよ」

 マーサが館を代表して少女を迎えに上がったのだという。

「連絡をとる手段があればいいのだろうけど、砂上船にはそういうものはないからね」

「本当に。遭難したのではという話になった時には心臓が止まる思いでしたよ」

「こうして無事に戻って来ることができたのだからいいじゃない」

 エアリィは笑みを浮かべる。更に日焼けしたようにも見える。

「そうですね。用はもうお済ですか? バナザード様もよろしいですか?」

 マーサはシェラに声を掛けていた。

「シェラも?」

「お館様がいつもお世話になっているお礼も兼ねて、おふた方をお招きしたいとのことでしたのでお話をしておりました」

「そうなのね。ちょっと待っていてね。用事をすませてくるから」

 エアリィは下船してきた親方の元へと駆けていく。

 砂上船での生活が終わり、その淋しさはあった。しかし、オアシスへと戻ってみると、少女を迎えてくれる者がいる。

 胸が熱かった。素直に嬉しいと思ったのである。

 足取りは軽くどこまでも早く駆けて行けそうな気がする。


「じゃあ親方、あとはお願いね」

「おうよ。任せておけ! 明日でいいんだな」

「うん。よろしく」

 少女は元気よく挨拶すると迎えにきた者達のところへと戻っていく。

 四人連れだって港湾施設を後にしていく姿を親方は腕組みしながら見送った。

「どうした親方? ずいぶん帰りが遅かったじゃねぇか」

 港湾施設の監督がやって来る。

「ああ、いろいろとな」

「無事でなによりだよ」

「おっ、俺のこと心配してくれたか」

「これ以上飲み仲間が減ってもらっちゃあ、かなわねぇからな」

「てやんでぇ」

「それより、今話していたあの子はもしかして」

「そうさ小さな英雄さんだよ。俺達にとっちゃ、豊穣の女神さまってところかな」

「なんだいそりゃ?」

「うん? 船倉を見てみりゃあ判るよ。今回の漁は近年稀に見る大漁だったんだぜ」

「どれどれ、それは楽しみだな」 

 二人は砂上船横に開いた荷だし口から船倉へと入っていく。

 船内では荷を下ろす準備が進められ、男達の大きな声が飛び交っている。

「見て驚け、そら!」

「なんだい、この量は!」

 うず高く積まれた箱の山を見て監督は驚きの声を上げる。

「上げ底じゃないだろうね?」

「おいおい、俺だったら間違いもあるが、ここにローゼのサインがあるだろう。嘘じゃねぇよ」

「ああ、本当だ」

 どの箱にも船の経理や荷を管理している几帳面な男のサインが付いている。

「すごいな、これは……これでは足が遅くなるわけだ」

「まあ、遅れたのはそれだけじゃねぇけどな」

「なんか他にもあったのかい?」

「嵐に遭遇したのは序の口で、とんでもねぇ大冒険にまで付き合わされてしまったよ」

「ほう?」

「ただの女神ってわけでもねぇな、あの娘は」

「じゃあ、なんだってんだよ」

「さあな、まあ飽きさせない存在であることは確かだな」

「ずいぶんと気に入ったようだな」

「シルバーウィスパーを継がせたいくらいだよ」親方は歯を見せ笑う。「まあその辺は酒でも飲みながらゆっくり話そうや」

「そうだな。商人どもが待っている。早く荷降ろしを終わらせないとこの量じゃ日が暮れてしまうぞ」

「そのとおりだ」

 甲板には小さなクレーンが設置され荷台や大きな台車へと降ろされていく。

 荷下ろしが始まる前から、シルバーウィスパーが戻ったと報を受けた商人や仲買人、仕入れをする者たちが市場に集まり待ち構えていた。

 次々と運び込まれ、品ごとに並べられていくイクークや加工品を彼らは覗き込み品定めを始める。

 荷はチェックが済むと、監督の号令とともに競りが始まっていく。

 この日は遅くまで競りの活気ある声が絶えなかったという。



 3.



「帰港が遅れたのは、船に何かあったからなの?」

 シェラは鼻歌を歌いながら歩く少女に訊ねる。

 自らが整備に携わっている船にクロッセは自信を持っていたが、誰もが船に何らかのトラブルが発生したのではと噂し合っていた。

「う~ん。いろいろなことが重なり合ってかしら」

 上目づかいで少し考えるように少女は答える。

「全部、エアリィがいるから起きたって、言われたよね」

「心外だわ。確かに親方は普通の出漁ではありえないことばかり起きるって言っていたけれどさ……」

「遅れたきっかけは嵐に見舞われたことからかな。連日の大漁で船足が遅くなってしまったせいもあるけれど、ぼくはあれが一番すごかったな」

 少年の言葉に少女も頷く。

 その時の様子をソールは姉に話し始めるのだった。


「ありゃあ何だろう親方?」

 地平線に三角形の頂点が少し欠けたようなシルエットが見えた。

 それを見つけたのは、漁の最中、マストの上で砂漠を監視していた物見台の見張りだった。

 その時は小さなシルエットにしかすぎなかったが、船が近づくにつれてそれは巨大な人工物であることが判明する。

「俺もあんなものは見たことがねぇ。エアリィ嬢ちゃんは知っているか?」

 少女は双眼鏡を返しながら首を横に振るしかなかった。

「ウォーカーキャリアのような金属でできた物のよう見えるけれど……、キャラバンのものではないわ」

「建物じゃねぇことも確かだ」

「なぜ?」

「この辺りにオアシスがあったなんて記録も伝承も伝わっていねぇからな」

 親方は航路周辺を熟知していた。

 それに何代にもわたりロンダサークから遠く離れて漁をしてきたが、あのような物体を見たという話は聞いたことがなかったし、記録もない。

「……それじゃあ流砂で……」

「ちょっと待て! おい、砂の状態はどうだ!」

 伝声管でマストの物見に大声で訊ねた。

「……大丈夫です、親方!」

「まったく脅かすなよ。砂地獄になんか飲み込まれたくはねぇからな」

 片時も砂の流れから目を離すなと厳命して額の汗をぬぐう親方だった。

 大きな流砂現象に出くわしたら最期、どんな船やウォーカーキャリアであろうとも逃れるすべはなく砂の中へと飲み込まれてしまうだろう。

 そうして遭難したウォーカーキャリアはいくつもあったのである。

「そうね。流砂でなければ、この前の砂嵐か竜巻で砂中に埋まっていたものが再び顔をのぞかせたのかしら」

「そういうことがあるのか?」

「実際にそれで過去の遺跡とか滅びたはずのオアシスに遭遇したり、流砂に飲み込まれたウォーカーキャリアが時を経て地表に現れたこともあるらしいわ」

「あれもそうだっていうのか……」

「そうに違いないわ」

「ずいぶん楽しそうだな」

 少女の口調こそ真剣そのものだったが、表情は笑っているようにも見えた。

「そうかな?」

「もしかして、嬢ちゃんの探しているのはこういったものか?」

「違うわ。でも」ニヤリと少女は笑う。血が騒いでいた。「でもね、あれを見て、心踊らないトレーダーがいるはずがないわ」

「まったく胆っ玉の据わったお嬢さんだ」

「当然よ。あたしはエアリィ・エルラドだもの」

 少女は胸に手を当て親方に微笑みかける。

「どうしやす、親方?」

「こんな巨大なものが姿を現すとなるとな……」

 対象物のない砂漠にあっても、その人工物は異様な存在だった。

 筒状の物が半分ほど砂漠に姿を現しており、そこに三角形の突起が付いている。それは天高く伸びているようで、砂上船のマストと同じくらいの高さだった。

「行ってもいい?」というか間近で見てみたい。

「本気か?」

「トレーダーがお宝を目の前にして、ただ見ているなんてありえないわ」

「あれがお宝だとぉ?」

 少女の顔を見るとそれは愚問だった。

 親方は大きくため息をついた。

「何が出てくるか、楽しみじゃない?」

「言ってくれるぜ……」

 そういいつつも彼方に見える人工物から親方自身抗えないものを感じていた。

「まずは様子を見るために近づいてみる。流砂だったら逃げるからな。それでいいか?」

「感謝するわ、親方」

 親方の号令がブリッジに響く。

 砂上船は船首を人工物へ向けて進路をとる。


「……そんなものが砂漠に……」

 シェラは少し考え込むように呟く。

「すっごく大きかったのよ」

 エアリィは歩きながら、その時の様子をシェラやマーサに身振り手振りを交え、話して聞かせるのだった。

 彼らが港湾施設を抜けるとすぐに農区へと続く道が伸びている。

 商区と呼ばれる場所がある。

 どの地区にも属さない商人たちが集まる区画である。居住区に比べると大きくはないが、それでも大店から露店まで大小様々な店が建ち、その数は五百に及ぶという。

 中央には大きな広場がありイベントも行われていた。港湾近くにはイクークを取り扱う店が多く、農区に近くなると農産物などを売る店が増える。他にも工区から鉄製品やガラス、陶器などを扱う店もあり、揃わないものはないとさえ言われている。

 表通りには大店が軒を並べ、裏路地に入れば入るほど小さな店がひしめき合う。

 明日の朝になればシルバーウィスパーの荷も商品として露店や大店に並び、それらを求める客でにぎわうはずだ。

 少女は活気に満ちた商いの雰囲気が好きになっていた。

 四人はそんな市が広がる通りを抜けて行くのだった。

「お嬢様はそんな危険なところまで……」

「エアリィが言い出さなければ、あのまま通り過ぎていたかもしれないよね」

「だって、お宝を目の前にして通り過ぎるなんて出来るわけがないじゃない」

「ぼくは逃げ出したかったかな」

「うん、そんな感じだった。でも、ついてきたわよね」

「そっ、そりゃあねぇ……」

「頑張ったのね」

 シェラはソールに微笑む。

 少女はというと楽しそうに砂漠で見た不思議な人工物の説明を始める。

 足らないところはソールがうまく付け足してくれていた。

 シェラは二人の様子を見つめながら真剣に話を聞いているのだった。


 魅入られる。

 砂漠の蜃気楼や夜の闇に魅せられ、この世から消えて行った者の話は伝承や子供の枕元で聞かせられるおとぎ話によく出てくるものだった。

 聖霊の声を聞き、それに導かれるという話もある。

 そして、魅入られた者は砂漠へと消え戻ることはなかった。

 モービルで人工物へと向かう三人を見送る者達は誰もが、彼らは魅入られてしまったのだと思ったという。

 親方が人工物へと向かう際、同行者を募ったが、手を上げる者は誰もいない。畏怖すべき姿を見て船の中に引きこもる乗員さえいたほどであった。

 エアリィとソールを乗せたモービルと親方の乗る二台が砂塵を巻き上げ人工物目指して疾走する。

 サンドモービルは小型の動力付きソリである。

 航続距離は短いが砂漠での緊急の移動手段としても使われたりしている。オアシス外周部だけでなくキャラバンにも常備されていて、少女は扱いに慣れていた。

 砂丘を登り切ると目の前に巨大な三角の金属板がある。

 日差しをもさえぎる鋼鉄の壁である。

「まるで、サドラの灯台みたいだわ」

「なんだ、そりゃ?」

「サドラというオアシスには二十メートルの高さの塔があるの」

 降臨祭では日没とともに最上階に火が灯され砂漠を照らす不思議な塔だった。

「こんな形をしているのか?」

「シルエットは似ていないこともないけれど、あれは石でできていたし灯台は内側から人が上へと登ることができるの。これは人が入れるスペースなんてあるようには見えないわ」

 天高く伸びる人工物は厚さが一メートルもなかった。

「どんな金属なんだろう?」

 倒壊もせず立っているのが少年には不思議で仕方がなかった。

「ここで見ていても仕方がないわ。行ってみましょう」

「おっ、おう」

 親方と少年が頷く。ここではすでに少女がリーダーだった。

 嬉しそうに奇声をあげ、少女は滑り落ちるようにモービルを走らせる。

 その荒々しい運転に振り落とされそうになりながら少年は少女に必死にしがみついている。

 近づいてくる人工物は圧倒的であり、オアシスの外壁を見上げているようだった。

 巨大な建造物にも見えるが、人の気配はまったくない。

「ソールはよく付いてくる気になったわね」

 ゴーグルと防塵マスクを外しながらエアリィは、隣で口をポカンと開け上を見つめている少年に訊ねた。

「エ、エアリィひとりを行かせるわけには、い、いかないじゃないか……」もしエアリィに何かあったなら姉さんになんて言われるか……。

「無理しなくてもいいのに」

「男にゃ、引くに引けない時があるってものさな」

 親方が助け船を出す。

「親方も、船のことはよかったの?」

「子供二人で行かせられっかよ! それにケリオスにはいい機会だ。ローゼが補佐についてくれているから大丈夫だろう」

「それならいいけれど」

 初めは腰が引けていた二人だったが、人工物に近づくにつれて好奇心の方が勝ってきているようだった。

「ここにエンブレムがあるわ」

 遠目にはきれいに見えた船体も近くで見ると、あちこちで塗装がはがれ、歪みやへこみすらあった。

「どこかのキャラバンのものかな?」

 見たことのない生き物の姿がそこには描かれている。

 口元はとがっていて手はなく足も指が三本しかない。

「こんなエンブレムをもつファミリーは見たことがないわ」

「じゃあ、これは、もしかして……」

「ええ、この鋼はウォーカーキャリアに使われているものとは違う」

 軽く船体に触れ、叩きながら音の違いや感触を確かめる。

 この材質は砂上船の物とも、どの乗り物とも違っていた。

「……太古の遺産……」

「その可能性が高いわね」

 エアリィは少年の言葉に頷く。

 砂漠に沈んだオアシスが突如として姿を現すことがある。

 そんな伝承や逸話がオアシスやトレーダーの間には数多くあった。

 それは流砂によって地上に押し上げられたり、降り積もっていたはずの砂が嵐によって振り払われてしまって起きる現象だとされている。

 過去に砂漠に飲み込まれたウォーカーキャリアやオアシスといった建造物に出くわすことが少なからずトレーダーにはあったが、太古の遺産となるとその確率は限りなくゼロに近い。

「そりゃあ大発見じゃねぇか!」

 親方が興奮気味に船体を見つめる。


「太古の遺産だぁ? ずいぶんでっかく出たなぁ、おい」

 大きなジョッキに注がれた酒を空けながら監督は大声で笑う。親方の話をまるで信じてはいないようだった。

 荷降ろしを終え競り市も終わった後、親方と監督は商区にある酒場へとやって来ていた。

 船員や港湾関係者を相手にした広い酒場は、同じように仕事を終えた者達で賑わっている。若い漁師などは下船してすぐに酒場に流れてきているのだろう、かなり酔っぱらっている者達さえいた。

 店の明かりは夜昼消えることがなく不夜城とさえ呼ばれる。商人達も利用しているが、この酒場は砂上船乗りや港湾関係者の社交場であり、たまり場だった。ここで飲み明かし早朝の砂魚漁へ向かう豪の者さえいるほどである。

 淡いオレンジ色の灯りの中、タバコの煙が充満し、飛び交う話し声に近い者同士の会話さえかき消されてしまうほどだった。ジョッキを抱えたウェイトレスが忙しく動き回り、男達の笑い声や奇声が響き渡る。

「本当なんだよ」

「だったら証拠を見せてみろよ」

「無茶言うなよ。シルバーウィスパーのマストよりも高く、船体だって地上に出ていたものだけで四十メートルはあるかっていうものを持ってこれるかってんだ!」

「そりゃそうか。で、何があったんだ?」

「おめぇ、本当に信じてねぇな」

「だってよぉ、伝承とかには確かにあるが……」

「まあなぁ、俺だって中に入るまでは信じられなかったぜ」

「はいったのか?」

「そりゃなぁ、嬢ちゃんが乗り気だったんだ。大の大人が尻込みしちゃいられねぇやな」

「子供には負けらんねぇか。何か見つかったのかい?」

「俺にゃあ判らねぇものだらけだったよ。まあ、こんな物もあったよ」

 親方はポケットから五センチほどの玉を取り出しテーブルに置いた。

 薄く青みのかかった透明の球だった。その中には見たことのない物体が封じ込められている。

「ガラス玉かな。なかに見えるこれは何だろう?」

「さあなぁ、イクークに見えないこともないが……」

「イクークだぁ? 生き物にはみえないぜ」

「はじめ見た時なんとなくそう思ったんだよ!」

 親方は勢いよく酒をあおる。

 あそこはまったく見たことのないものだらけだった。


 エアリィは船体の周りを一周してみた。

 全長は四十メートル以上あり、直径が最大で十メールほどの円筒形の胴体に高さが二十五メートル底辺は十メートル、厚さが一メートルほどの三角形の金属板が少し斜めに突き刺さっているような感じで船体の中程に付いている。

「船首と船尾が折れたか、なくなっているわね。元がどれくらいの大きさだったのかわからないわ」

「シルバーウィスパーよりも大きかったかもしれないね」

「こんなのが砂の上を動いていたっていうのかよ?」

「でも、動力らしきものは見当たらないのよね……、それに足もない」

 親方の言うように、これが砂上を走っていたとしたら、壮観な眺めだっただろう。

 船体のもともとの色は深緑だったのだろうか、砂に削られてだいぶ色がはげ金属そのものの色が露出している。

「船と同じような動力だったとしたら?」

「可能性はあるけれど、乗り物としては不自然な形なのよね」

 ウォーカーキャリアとも砂上船とも違う形状に少女は戸惑う。

「そういうもんかね」

「乗り物だという確証もないし、まあいいわ。中に入ってみましょう」

「やっぱり、ここから入るのかい?」

 ソールに少女は頷くとモービルから降りた。

 反対側の船体に開いた亀裂は二メートルほど行くと隔壁のようなものがあり先へは進めない。

 彼らの目の前にあるもうひとつの穴は、巨大なイクークか伝説の砂ミミズが口を開けているような場所で、奥まで深遠が続いているように見えてくる。

 エアリィはポシェットからペンシルライトを三本取り出すと親方とソールに手渡した。

 真っ暗な中に足を踏み入れると日差しが遮られていることもあるのだろう、少しひんやりしている。

 船体の三分の一は砂に埋まっていたが、中まではあまり砂が侵入していないようだ。

 彼らは砂を踏みしめ進んでいく。

「横転している?」

 しばらく進み少女は違和感を覚え周囲を見回す。

 彼らが立っている場所は本来壁だったようで、天井と思われていたところには二人が並んで座れるシートが三十人分ほど奥まで張り付いている。

「本当だ……」

 ますます本来の形や用途が想像できなくなってくる。

「向こうに扉があるようだよ」

 ソールがライトで奥を照らし、扉を示す。

 少女は親方を見ると、彼は頷いた。

「開くかな?」

「ふつう動力が断ち切られても緊急用に扉は開くようになっているから、フレームさえ歪んでいなければ開くはずだわ」

「横転しているということは、この場合上に向かって開くということか?」

 親方が手に唾をつけ扉に手をかける。

 大きな掛け声とともに扉が砂をかんだ音を立てて少しずつ動き出した。

 隙間があくとソールとエアリィも手を貸して三人掛かりで人が通れるくらいの隙間を開ける。

 壁のシートを力技で外し扉が閉まらないようにはめ込むと、隣の部屋へと移動した。

 隣室は空気が淀んでいた。

 いったいどれくらいの時間放置されていたのだろうか?

 足元は何かの機材だった。

 踏みしめるとガラスの割れたような音がしたり、人の重みに機材が耐えきれず潰れたりしていった。

「いったいここは何の部屋だったんだろう」

 足元や天井に広がる機材をライトで照らしながらソールはつぶやいた。

「クロッセが見たら狂喜乱舞しそうね」

「ちげぇねぇ、あの先生だったらここに張り付いて、てこでも動かなかったかもしれねぇな」

「こんな機械見たことがないよ」

「ヴィレッジにもないものなの?」

 少女の問いかけにソールは頷いた。

「これを持って帰ることができたなら大発見で時の人になるでしょうね。ねぇ、親方。これ砂上船で引いて行くってことは出来ないかしら?」

「無茶言うな! 砂に埋まっている部分だってあるんだぞ」

「だよねぇ」

 少女は舌を出して笑うと先へと進んだ。

 拾って持って行けそうなめぼしい物はほとんどこの部屋では見当たらなかったからだ。

「この向こうにも部屋があるのかな?」

「入って来た距離からするともう一つか二つありそうね」

 腕のクオーツを見ると一時間経っている。

「あまり時間をかけてもいられねぇからな」

 日暮れまでの時間を考え探索は三時間までと限定していた。

「そうね。この扉は気密室の扉みたいだわ」

「気密室?」

「砂上船でいえば保冷倉庫みたいなものかな。外から密閉された部屋のことをいうわ」

 扉の中ほどに回転式の大きなハンドルの様なノブがある。

 親方がハンドルを回転させるとロックは簡単に外れる。開いたとたん親方でもその重量を支え切れず、頑丈な扉は彼らの向こう側へと大きな音を立てて倒れて行った。

 反響音が響き渡る。

 ライトを照らし、恐る恐る中を覗き見ると舞い上がった埃とか塵に光の線が浮かび上がっていた。

 上に小さな亀裂があるのだろう、光がうっすらと差し込んでいる。

 そして、部屋の中では大小様々な箱が散乱しているのだった。

「何かを蓄えていた部屋なのかな?」

「これってやっぱり乗り物で人や物を移動させていたものかもしれない」

「どうしてそう思うんだい、エアリィ?」

「最初にあった人が座るためのスペースと、ここみたいに物があふれている部屋。ウォーカーキャリアにも、そういったものを備えている機体があったりするから、なんとなくね」

「これが輸送のため機体?」

「何で動いていたかは判らないわよ、動力らしきものはまだ見当たらないからさ」

 こんな巨大なウォーカーキャリアは見たことがなかったが。

「このケースになんか書いてあるぜ」

 散らばる箱を覗き込んでいた親方が二人を呼んだ。

「イクーク幼生体? 幼生って、イクークの子供ってことかな……?」

「子供だとぉ?」

 箱はすでに開いており、中に入っていた物は周囲に散らばってしまい、どれが箱に入っていた物なのかは判らなかった。


「これはその時に拾って来たっていうのか?」

「ああ、足元に転がっていたんだよ」

「イクークの子供ねぇ。イクークに大小大きさの違いがあるっていうのは判るが、どれも同じ顔だろう?」

「確かにな、考えたことがなかったよな。もしイクークが俺たちのようによ、生まれて子供から大人になるように育っていくとしたら、どう思う?」

「そんなことあるのかよ?」

「じゃあ、訊くがよ。イクークはどこからやって来るんだよ」

「そんなこと知るかよ!」

「俺はなぁ、なんとなくこいつもイクークのような気がするんだよ」

 ランプの灯りにガラス玉をかざしながら、その中に封じられたイクークとは似ても似つかない小さな生き物を親方は眺め呟いた。

「そいつは大発見だったな。まあ無事でなりよりだ」

「ああ、豊漁とその女神さまに乾杯ってやつだな」

 親方と監督はお互いのジョッキを合わせるのだった。

 しばらくすると、売り上げや給料の支払いなどの経理が終わったのか副長のケリオスとローゼも酒場に顔を出す。

 そして夜が更けるまで祝宴は続いていくのだった。


「何をやっているの、エアリィ?」

 ソールは訊ねる。

「刻印よ」

「こくいん? 何それ?」

「ここは誰も手を付けていない遺跡だから、あたしの刻印をしているのよ」

 それはトレーダーの慣習であり、明文化されたものではいないが過去から続く彼らの掟のひとつでもあった。

 トレーダーは自ら見つけたものに刻印を押す。その印をつけた者が第一発見者であり、発見物を自分の物だと主張することができるのである。

 発見者を明確化する手段であった。

「それがトレーダーの刻印てやつか、聞いたことがあるが、見るのは初めてだな」

 どうせならこの機体にでかでかと刻印をしてしまえと、親方は言った。

「あたしには大きすぎるわよ。だから持って行けそうなものに印を付けているの」

 もっとも少女が遺跡を探索したのも初めてならば、自分の刻印を使ったのもこれが初めてではあったが。

「手当たりしだいだね……」

「だって時間がないもの」

 箱はたいがいふたがあいているか破損している。

 使えそうなキャリーケースを見つけると、壊れていないと思われるものを少女はケースに詰め込んでいく。

「もっと、明るければ作業もしやすいのに」

「ぼくが手元を照らしてあげるよ」

「ソールは自分のを探さないの?」

「う~ん、うまく言えないけれど……エアリィの方が、ぼくが探すよりも、きっといいものを見つけてくれそうな気がするんだ」

「なによそれ?」

「まあ、エアリィ嬢ちゃんが幸運を運ぶ聖霊だって言いてぇんだろう?」

 親方はいまだ豊漁が続く今回の漁や嵐を無事に切り抜けられたことは、少女が乗り組んでいることが関係していると思い始めていた。少年も一緒にいることで改めて少女の観察力や判断力に舌を巻くのであった。

「そんなわけないじゃない」少女は一笑に付した。「それに運び出したものはあたしのもの、ソールにはあげないわよ」

「それでもかまわないよ。きっといいことに使ってくれそうだから」

「俺もそう思うぜ」

「あれ、これは何だろう?」

 この機体は幾度となく砂の中や砂上で流され揺さぶられてきたのだろう。今は奥の方へほとんどの物が砂にまみれ吹きだまっている状態だった。

 それを掘り起こしていた時、少女は不思議なケースを見つけた。

「ずいぶん頑丈そうなケースだね」

 一メートル四方のケースで厚さは三十センチほど、持ち運びができるように取っ手が付いている。

 外枠が銀色の鋼材で覆われていて、それが衝撃を吸収してくれたのだろう、それ以外の傷は見当たらなかった。

「なにが入っているかしら?」

 予感みたいなものがあった。

 震える手で刻印を押し、留め金を外した。鍵が掛っていなかったのは幸いだった。

 開けてみると不思議な形状の機械パーツと思われるものが二つと、十センチ程の正方形の箱状の物が入っている。

「何かのパーツみたいだね……」

「この黒いのはナノマシンかしら……」

「お宝か?」

 親方も覗き込む。

「判らないわ」

 そう言いつつも少女の顔はゆるんでおり、本人も気付かぬうちに小さくガッツポーズをとっているのだった。

「使えればいいね」

「あなたねぇ……」

「い、いや、だって古すぎる機械は起動しなくなっている物さえあったりするから……」

 万能と言われているナノマシンでさえ手に負えないものさえある。

「それはクロッセに任せるわ」

「ヴ、ヴィレッジには?」

「あそこは嫌いよ。手近なところにいいのがいるなら、そっちに見てもらうわ」

「そ、そう」

 少女は苦々しく思っているように見えるが、その割にはクロッセを信用しているようでもあった。

「もっと出てこないかなぁ。ソール、ちゃんと手元、照らしておいてよ!」

 ケースを少年に持たせると少女は再び吹きだまりに挑んでいく。

 その様子を親方は目を細めながら見ていた。

 彼はその場を離れペンシルライトで周囲を照らし、ガラクタと化したものや壁、棚を探っていく。

 壁とかに文字が書かれていたりするが、その意味は不明なものばかりだった。

「なんだ?」

 ふと親方は違和感を覚え立ち止まる。

 船体から伝わる小さな揺れ。

「嬢ちゃん!」

「なに、親方?」

「なんか、感じねぇか?」親方は周囲を見回しながら言う。「そう、なんか妙なんだ」

 少年も何かあるのかと周囲を照らす。そんなソールをエアリィは手で制した。

 沈黙が辺りを支配する。

 呼吸すら止めて辺りをうかがっているようだった。

「機体から聞こえる?」

 少女の言葉に親方が反応する。

 足元に耳を当てる。

「軋んでいる!」

「この真上って、あの突起物!」

 少年は訳も判らずオロオロするばかりだった。

「倒壊するわ」

 エアリィはケースを閉じると、少年の尻を叩き外へと急がせる。

 走っているうちにきしむ音が大きくなり、周囲に響いてくる。

 突起物が倒れようとしている方向に船体が傾き始め、砂に足をとられそうになる。

 ソールが転んだ。

 少年の状態を確認しているゆとりすらなかった。少女はソールの手を取ると引きずるように外へと急ぐ。

 三人が機体の外へ出るのとほぼ同時だった。

 大きな音がして金属が割けていく。

 機体についていた突起物が根元の方から折れ、さらに中ほどから崩れるように彼らとは反対側に落ちて行った。

 砂漠へと落ちた破片が砂埃をまき上げる。

 まるで砂嵐が起きたようだった。

 視界が戻るまでかなりの時間を要する。その間砂を吸い込んでしまった少年は咳が止まらなかった。


「ただいま」

 門から中へと入りながら少女は小さく呟いた。

「お帰りなさいませ、エアリィお嬢様」

 少女の声を聞いていたのであろう。マーサは少女に向き直ると、一礼して微笑みかける。

 それが少女にとってはくすぐったかった。照れくさいような、嬉しいようなそんな感じだった。

「……すごいや、エアリィの家……」

 初めて見る大きな館や庭園にソールもシェラも圧倒される。

 下町の小さい建物しか知らない二人にとって広く豪華な調度品に囲まれた部屋に目を奪われキョロキョロとあたりを見わしてしまっていた。

「まあ、確かに広いけれど、あたしの家じゃないわよ」

 ファミリーの物ではあるが、少女自身ここに預けられているだけなのである。

 本来、この館はファミリーの中に砂漠での生活が困難になった者が出た場合や、妊婦、赤ん坊などが一時的に住むためのものだった。

 今はヴェスターがファミリーの商会として使い、使用人を十数人ほど雇い維持しているのである。

「それでも立派なお屋敷だわ。庭も緑にあふれている」

 広い庭を持つ館は少ない。二人が驚くのも判るような気がする。この館が特別であると少女が知ったのはよく下町へいくようになってからのことだった。

 館へ戻ってみると、そこには意外な人物が彼らを待っていた。

「師匠!」

 少女は驚き、ベラル・レイブラリーのもとへ駆け寄る。

 彼は少女を抱き寄せると優しく包み込んでくれた。

「無事で何よりだ」

 澄んだよく通る声がエアリィの心に染みわたる。

「心配しなくても大丈夫ですよ。あたしはいつだって戻ってきますから」

 少女はそう言って微笑んだ。

「そうか、本当なら港まで迎えに行きたかったのだけれど、すまなかったね」

「そ、そこまでしなくても、みんなオーバーだなぁ」

「砂上船が五日経っても戻らないというのは、稀だからね」

「ヴェスターまで……」

 少女の無事な姿を見て安心しているようだった。

「館の者も皆、エアリィのことが心配だったのだよ」

 後ろに控えていたマーサもその言葉に頷く。

 少女はうつむき顔を真っ赤にしながら呟くのだった。

「……あ、ありがとう……」

 二人の大人達は微笑みながら少女を見つめ、笑いあう。

「ソール、シェラ。二人とも久しぶりだね」

 ベラルに声を掛けられ、少年は少し顔を伏せながらあいさつする。シェラはジッと彼を見つめていたが、ベラルの視線から何かを感じ取ったのだろう彼に負けない笑みを浮かべ言葉を交わすのだった。

「さあ、立ち話もなんですから、皆さん食堂へどうぞ」

 ヴェスターは手を叩き合図する。

 ささやかな宴と彼は言ったが、下町で育った二人には豪華すぎる食卓だった。

 食事やティータイムの間、エアリィは砂上船での様子を楽しげに師匠や主に話して聞かせる。

 その語らいは夜遅くまで続くのだった。


 風が吹き始め夕暮れが近いことを知らせる。

 それによって舞い上がった砂塵が吹き払われていく。

 三人は茫然とそれを見続けていた。

「ぺしゃんこだ……」

 三人が入り込んでいたあたりは完全に落ちた金属片によって潰れていた。

 その光景を目の当たりにし少年は身震いする。

「もう入り込むのは無理のようね」

「まだチャレンジする気でいたのかよ」

 親方は呆れた。

「まだ奥の方へは行っていなかったからね」

 だが、倒壊によって扉のあたりは完全に瓦礫で埋まってしまっていた。

「まあ、この倒壊は想定外だがな」

「ウォーカーキャリアさえあったら……」

 ウォーカーキャリアのアームを使ってなら外壁を破ることも可能だったし、中の機器を運びだすことだって出来たはずだ。

「それにタイムアップだ」

 親方は空を見て少女に告げた。

 倒壊の音は砂上船の方でも聞いているはずだった。彼らに無事を知らせないとならないだろう。

「残念だけど……」

「次があるさ」

「どうかな。これが砂上に姿を見せたのも砂のいたずらなら、次に来る時にはどこかへ運ばれて消えているかもしれない」

 砂漠は刻一刻と姿を変えていく。

 遺跡が一夜にして消えたことだってあるのである。

「この場所は俺が記憶しておこう。今回の航路を使うのは再来月以降になるだろうが、もう一度来てもいいぜ」

「ありがとう、親方、でもね」

 次に同じようなチャンスがあるかは判らないのである。

「そうか、判った」

「収穫はあったんだし、次のことはその時に考えるわ」

 少女はニヤリと笑い、運び出すことができた二つのケースをモービルにくくりつけた。

 崩れた残骸を振り返ると夕暮れに浮かび上がるシルエットがなぜか少女を物悲しくさせる。

「どうしたの?」

「なんでもない」

 少女はモービルを走らせ一気に加速すると砂上船へと戻っていくのだった。


「これが、その時見つけた物か……」

 クロッセはケースをゆっくりと開いていく。

 箱の中には鈍く銀色に鈍く輝くパーツと黒いナノマシンが入っていた。

 低く唸るように感嘆の言葉を漏らす。

「……凄い……」

「そんなに?」

「こんなパーツ、見たことがない!」

 振り向きざまにガッシリと少女の両肩をつかみ彼女を揺さぶった。

 痛いほど腕を握りしめ我を忘れ唾をまき散らし、興奮しながら意味不明の言葉を発していた。

「そ、そ、れは……よかった、わ」

「ああ、凄い、まったく凄い!」

 小躍りしながら跳ねまわるというのは、こういうことを言うのだろうと少女はやけに冷静な目でクロッセ・アルゾンの様子を眺めていた。

「それで、これは使えそうなの?」

「ああ、使える。使えるとも!」

 その声に我に返ったクロッセは咳払いし顔を少し赤らめながら答えた。

「あたしもソールもそこに書いてあるのを読んだけれど、それが何かは全然判らなかったわ」

「そうだな……簡単にいうと、これは動力系パーツとして重要な役割をするものだ」

 ケースの裏側に書かれている文字を読みながらクロッセはエアリィに説明する。

「より効率よくエネルギーを増幅しエンジンをパワーアップさせることが出来る」

「そんなにすごいものなの?」

「ああ、凄いとも! こんなパーツが欲しかったんだよ」

「じゃあ、使っていいわよ」

「えっ?」

 興奮気味だったクロッセが驚きの表情で少女を見つめる。

「どうしたの?」

「い、いやだって……なぁ」

 彼はトレーダーの刻印の意味を知らないわけではない。

 このパーツを使わせてもらえたらとは考えてはいた。それでも話がこうも簡単に行くと思ってはいなかったのである。

「あの機体に使えるのでしょう?」

「使えるとも」

「じゃあ、いいじゃない。あたしもあの機体がちゃんと動くのを見てみたいの」

「本当にいいのか? これはナノマシンもあるんだぞ」

 一生遊んで暮らせるほどの価値がある。

「あたし、エアリィ・エルラドが了承しているのよ。なにか不満でも?」

 クロッセらしくないと思いつつ少女は彼に宣言する。

「それとも自信がないの?」

「自信って何のだよ?」

「これを使えば、あの機体をパワーアップできるのでしょう? それが出来ないっていうのかしら?」

「そんなことはない」

「じゃあ、見せてみてよね」

「……判った。使わせてもらおう。どうなっても文句は言うなよ」

 二人は手を取り合う。

「クロッセに任せたわ。でも、文句は言わせてもらうわよ。だってこれはあたしの物でもあるのですもの」

「ちゃっかりしているな」

「あとは、適当に詰め込んできたのだけれど、使えそうなものがあったらそれも持っていっていいわよ」

 少女はもう一つのケースを開けると、クロッセに中身を見てもらう。

 丁寧にケースの物を取り出してはいろいろな角度から見つめるクロッセを面白そうにエアリィは見つめる。

 残ったものはあとで市に持っていって売りさばこうと少女は考えていた。



 4.



「ヴィレッジを代表して申し上げる」

 ヴィレッジから何の先触れもなく男達が館に乗り込んできたのは、少女が砂魚漁から戻って四日目のことだった。

 二人の男はヴェスターを前に用件を告げる。

「砂漠から持ち帰ったもの、それを我々に引き渡してもらいたい」

 ヴェスターは彼らが屋敷に乗り込んで来た理由を理解していたので驚きはしなかった。

 彼らの傍若無人ぶりに呆れはしたが。

 それでも素知らぬ顔をして彼らの話を聞き続けていた。

「砂漠からとは、いついかなる時のものでしょう?」

「我々が知らないと思っているのか。そちらの子供が先日持ち帰った物だ」

「それが本当にあったとして、何故あなた方に引き渡さなければならないのでしょうかね?」

 執務用の机の上で両手を握り、穏やかな口調でヴェスターは訊ねる。

「まず、それがこちらに存在するか?」

「ええ、うちの者がシルバーウィスパーに乗り込んだ折に、砂漠で何かを見つけたらしく持ち帰ったという話でした」

「やはりあるのではないか!」

 最初からそう言えと言わんばかりに、もう一人の太った男がテーブルを叩く。

「私はそれを見ていませんからね」

「あなたがこの館の責任者であると聞いているが」

「確かに責任者ですが、彼女は一人前のトレーダーだ」

 現実には少女はまだトレーダーとして一人前とは言い難い。それでもヴィレッジの者達がそれを知っているはずもなく、彼は表情を変えず何食わぬ顔で話を進めていく。

「トレーダーである以上、それは私の関知するところではありません」

「ならば、そいつに会わせろ!」

 肥った男は尊大に言い放った。

「あなた方はトレーダーが砂漠から持ち帰った物の意味を判っていない」

「意味だと! 遺跡や遺失物から見つかったものは我々ヴィレッジの物だ」

「遺跡から発見された物は貴重な我々の財産なのです。それを保存し継承していくために我々ヴィレッジは存在しています」

 太った男に同調するようにもう一人のヴィレッジがヴェスターに言う。

「なるほど」

 今では名ばかりの存在に成り果てているが。

「その貴重な財産を失わせないように、我々が管理しようというのです」

 我が意を得たりとばかりに交渉役の男は熱弁を振るう。

「ご協力をお願いしたい」

 それは有無を言わせぬ口調でもあった。

 ヴィレッジは技術の保全と継承を目的として作られた組織であるという。

 設立当初は、その理念に基づきウォーカーキャリアの整備や技術の維持に役立ってきたが、今ではその意義は失われているといってもいい。

 継承してきたはずの技術を真に理解する者は少なく大半の者は怠惰な時を過ごしている。

 権力欲に溺れ始めたころからヴィレッジはその存在意義を失っていたのだが、彼らは自らの置かれた立場に気付かずその地位に甘んじているのである。

 今や彼らを相手にしようというものは商人にもトレーダーにもいなかった。

「それは無理でしょうな」

 一刀両断のもとに切り捨てた。

 その表情から笑みは消えていた。しかしヴィレッジの男達はそれにすら気付いていない。

「遺跡から発見された機械は未知の物が多い。あなた方には手に余るものさえある」

 太った男は薄笑いを浮かべ言った。

 馬鹿にした口調ですらあった。

「だがヴィレッジは違います。我々ならそれらを活かす術を知っているのです」

「なるほど」

「お判りいただけましたかな?」

「いえ」

 ヴェスターは肩を竦める。

「なぜだ! お前は大馬鹿者か?」

「トレーダーは何者にも縛られない」

「だがあなたはトレーダーではないでしょう」

 ロンダサークの者として従えと彼は言う。

「私はロンダサークの民としての権利を得ているわけではございませんよ」

 シチズンだと権利を主張するのは旧市街区の者達だけである。

 平等を謳いながらも、彼らは自分達の優位性を誇示しようとする。

「ならばなおのことではないか」

「いえ、決めるのはあの子ですから」

 その口調は穏やかであったが、射るような視線は有無を言わせないものがある。男達は彼の目付きに射すくめられる。


「ヴィレッジが来ているですって!」

「ええ、お館様のところに」

 一昨日、ヴィレッジからエアリィに話があるので来い、という通知が来ていたとヴェスターから聞かせられていた。

 目的は判っていたので無視していたら、今度は乗り込んできたというのだ。

 少女は倉庫での作業中にその話をマーサから聞き、走って戻って来た。

「なに考えているのよ、あいつらは!」

 マーサから水を受け取ると一気に飲み干し、息を整える。

「お嬢様」

「判っていますよ。マーサさん」

 廊下を歩きながら気持ちを落ち着けていく。

 ヴェスターの執務室の扉をノックすると、少女は部屋の扉を開けた。

 彼は執務机におり、ヴィレッジからは中年の男が二人、眼鏡をかけた神経質そうなのと太って脂がにじみ出てきそうな男が応接用のソファに尊大に掛けている。

 少女が中へ入って来るとヴェスターも立ち上がり、エアリィとともに男達の向かいにあるソファに腰を下ろす。

 その脇に少女は持ってきたケースを置いた。

「済んだかね?」

 彼の口調は穏やかではあったが、かなり不機嫌そうなのが見て取れた。

「ええ、問題なく」

 ヴェスターは少女に頷くとヴィレッジの者達に向き直る。

「では話を進めましょうか。彼女がエアリィです」

 少女は愛想笑いを浮かべ挨拶する。

 彼らは頷いただけで立ち上がりもしなければ手すら差し出さない。

「さっそくだが、それを見させてもらおう」

 太った男が顎で少女が持ってきたケースを示す。

 それだけでも怒りがわいてくるが、少女はそれを無視することにした。

「あたしにご用件があるとか、なんでしょう?」

「うむ。君は遺跡を砂漠で見つけそこへ入ったという。それは間違いないかね?」

「そうね。あれが遺跡なら」

「そこで発見し持ち帰ったものを我々に預けてほしい」

「なぜ?」

「君にはその使い道は判らないだろう」

「ええ、判らないわ」

「ならば我々に任せなさい」

「お断りするわ。あたしはあなた方のようなお利口な頭は持ち合わせていないかもしれないけれど、これを利用する方法は知っているわ」

「貴重な価値あるものを失わせようというのかね?」

「そんなことはないわ。あなた方よりも有効に活用しようというのよ」

「出来るわけがない!」

「それをあなた方に話す必要は感じられないわね」

 あくまでもビジネスだと少女は言う。

「何を考えているのだ!」

「あなた方よりもずっと良いことを考えていますわ」

 最上級の笑みを浮かべ少女は言い放った。

「我々に盾ついてキャラバンを維持できると思っているのか、トレーダー風情が!」

「あら、ヴェスター。この方たちにお世話になったことがあるのかしら?」

「そうだな。過去五十年、私の記憶にある限り、ファミリーはヴィレッジの世話になったことはないな」

「なんだと! 嘘を言うな!」

「いえいえ、本当のことでございますよ」

 ロンダサークに立ち寄るキャラバンの中にヴィレッジに整備を任せる者達はいない。

 彼らは宙港に常駐すらしていないのである。

「た、例えそうだとしても、我々はヴィレッジだ。貴様らに遺跡で発見したものを使いこなせるわけがなかろう!」

「あなたたちだったら、すべてが判るというの?」

 少女は大げさな身振りで驚いて見せた。

「ああ、その通りだ!」

「でも、あんたたちに預ける気なんてないわ」

「どうしようというのだ」

「あたしはトレーダーよ。これをいくらで買う?」

 ケースを叩きながら少女は大人たちを睨みつけた。

「我々と商売をしようというのか?」

「嫌ならば、これで話はおしまいね」

 少女がそう宣言するとヴェスターも頷いた。

「き、貴様! お前もなんとか言え!」

「彼女はトレーダーです。言ったはずです。あなた方の言葉に縛られることはない」

 お引き取り願おうと、彼は扉を指し示す。

「き、金貨一枚でどうだ……」

「ずいぶん安く見られたわね。あんたたち、これがどこから持ち込まれたか知っているのでしょう?」

「ケースは、ふ、二つあるはずだ」

「すでに商いは始まっているのよ!」

「ナノマシンを売ったというのか?」

「ええ、あんたたちよりもずっと良い投資先があってね」

「どこだ!」

「秘密よ。欲しければ情報料も払ってもらわないとね」高く付くわよ。

「な、中を見せろ」

「これの価値を判っているんでしょう? だったら見る必要ないじゃない」

 切り上げるそぶりを見せると、彼らはようやく折れた。

「……金貨十枚……」

 彼らの言葉に再び駆け引きが始まる。

 十分もたたないうちに彼らの方が再び折れることになるのだった。


「あの中にあった物は全てガラクタなのだろう?」

「クロッセが必要だと思ったものは抜いた後だったから、そうとも言えるわね」

「金貨五十枚とはずいぶんと吹っ掛けた物だな」

 ヴェスターは笑った。

「だって、あいつらには頭にきから」

「そうだな。よく我慢していたと思うよ」

「全部、ヴェスターがやってくれてもよかったのに」

「そろそろ、商いの勉強もした方がいいと思ってね」

「だからって、あいつらを相手にしろというのは……」

「いい経験だっただろう」

「あいつらが、あんな感じだったから、逆に冷静になれたかな」

「そういうことだ。どんなものでも経験がものをいう」

 金貨二十五枚が入った袋がエアリィの目の前にはある。

 それと引き換えにヴィレッジにはケースを渡し終えていた。

「クロッセ君は?」

「喜んでいたわ」

 すでにあのパーツを取り付けようと機体を調整し始めている。

「良い投資になればいいな」

「まあ、クロッセ次第かな……」

「やつらに渡すよりはずっといいさ」

「そうね。でも、あれを元手に商売をしようと思ったからなぁ。どうしようかしら……」

「いい元手になっているじゃないか、色々とやってみるといいさ」

「そうさせてもらうわ」

 金貨を五枚ほど抜くとあとはヴェスターに預ける。

 そのうちの一枚を指ではじきながら少女は部屋を後にする。

「なにをやろうかなぁ」



 5.



「そう」シェラは頷く。「大変だったようね」

「ヴェスターも隣にいてくれたし、そんなことはなかったわ。それに誰にも口止めはしていなかったから、遅かれ早かれヴィレッジはやって来ていたでしょうしね」

 少女は気にした様子もなくシェラに淡々と話をしていた。

 織物の仕事も終わり、シェラとエアリィは二人でお茶を楽しむ。

 シェラは時折織物も頼まれていて、その繊細な図柄は評判だ。少女は時間を見つけては彼女に織物を習っているのだった。

「ねぇ、エアリィ。あなたが砂漠で見たあれはなんだったと思う?」

 シェラの問いかけに少女は首を横に振る。

「遺跡といっても、あれは建物じゃないことは確かよ」

「そうね」

「乗り物のようではあるけれど……あれには足がなかった。ウォーカーキャリアとは大きさをみても違う。そうだとすれば、船なのでしょうけれど……」

「違うと思うのでしょう?」

「そ、そうなの。親方は帆やマストがないとおかしいって言っているわ。それにあの三角形の突起物……どうしてあれが付いているのかが判らない……」

「それが帆だとしたら?」

「う~ん、違うような気がする。もっと別の何か……」

 クロッセのウォーカーキャリアにも似たよう物が付いているが大きさも形も違う。それにあそこに付いていたのは一枚だ。

「そうね。それが正しいと思うわ」

「正しい?」

 少女はシェラを見つめた。

「あなたが来てから……動き出しているのかしら?」

「シェラはあれが、なにか知っているの?」

「あの人も前よりも活き活きしている。不思議ね」

 少女はシェラに見つめられ当惑する。

「私の家系に代々伝わるものがあるの。エアリィの話を聞いているとね、それが事実であるように思えてくるの」

「伝承?」

「私はそれを父さんから教わったわ」

 シェラは誰にも話したことのない代々伝えられた口伝であると言った。

「どうしてそれをあたしに?」

「なぜかしらね」シェラ自身もよく判らない。ただ話すべきだと思ったのである。「私はあなたに知ってもらいたい」

「それはどうも……」困惑する少女だった。

「飛行機というものがあるの」

「ひこうき?」

「そして翼」

 聞いたことのない言葉だった。

 しかし、その言葉に魂が激しくゆすぶられる。

 シェラは紙を一枚取り出すと丁寧に不思議な形に折り始める。

「折り紙?」

 半分に折ったかと思うと、開き、また折っていく。

 出来上がった物を少女の前に差し出す。

「これが胴体。そして、この部分が翼と言われるところよ」

「……つばさ……」

「あなたとソールが見てきたものとは形が違うでしょうけれど、原理は同じものなの」

 シェラは軽くそれを前に押し出す。

 ふわりと浮きあがったそれはゆっくりと少女の上を旋回し、しばらくして床に滑るように落ちていく。

 その軌跡を少女は茫然と見つめていた。

「久しぶりに作ったから、あまりうまくいかなかったけれど、十メートル以上飛ぶこともあるわ」

「と、とぶ……」

 それは星を見たあの夜に聞いた言葉だ。

 星を見た時と同じように、全身が震え、鳥肌が立った。

「飛ぶって、こういうことを言うのね」

「あれは飛行機と呼ばれる空を飛ぶ乗り物です。すべてが破棄されたといわれていますが、事故か何かがあって砂漠にあった物が地表に現れたのかもしれません」

 紙飛行機の形をジッと見つめていた少女はハッとする。

「もう一方にも同じ翼があるの?」

 シェラはその問い掛けに頷く。

「あれが、あんなに大きなものが、空に、何も支えもなく浮くの?」

 言葉がうまく出てこない。喉はカラカラに乾いていた。

「大昔、私達の祖先は空からやって来た」

 星を見た時と同じ言葉が遠くから響いてくるようだった。

「それは、お伽話でも神話でもないわ、事実なの」

「シェラの祖先って……何者なの?」

「遠い祖先は語り部であったというけれど、私が教えられたのは、この紙飛行機と言い伝えだけ」

 しかも、秘密裏に伝えられたものであるという。

 迫害の歴史があったとだけシェラは教えてくれた。

「信じる信じないはエアリィに任せるわ」

「信じるって……」

「難しいことよね。私も無理」

「なら、どうして?」

 シェラは顎に人差し指を当て少し考える。

「あなたにはガリアの真実を知って欲しいから、かしら」

「あたしに?」

「そうね。エアリィだからかな。初めて会ったときから、今まで会った誰とも違うものを感じたわ。あなたから風を感じたといったらいいのかしら。新しい何かを運んでくれる」

「わからないわ」

「ごめんなさい。どうしても抽象的になってしまうわね」シェラは苦笑いする。「これは父さんからの言葉なのだけれど」

 シェラは少女の手をとる。

「砂漠の彼方へと旅する者へ、無限の時を超えガリアの真実の姿を見極めて欲しい」シェラの言葉はゆっくりと少女の中に染みわたっていく。「風の生まれる場所へとたどり着くことを望む」

「ガリアの真の姿……、風の生まれるところ……」

「どんなものなのか、どこにあるか」

「想像もつかないわ。でもなんか心が震える」

「砂漠の果てまでも行く者に、私達では見ることが出来ないものを見てきてほしいと願うのでしょうね」

「シェラも?」

「そうね。私もそう願っているわ」

「……とぶ……か……」


 その夜、少女は眠れず自室を抜け出し窓から庭へと出た。

 素足で踏みしめる足元の芝は冷たかった。

『ガリアのどこかに、あそこへと行けるものが眠っている』

 それを見つけることが出来たなら、手が届くのだろうか?

 見ることが出来るだろうか?

 シェラの見せてくれたもの、そして彼女の話は衝撃的だった。

 まだ頭の中で何かが揺れているような感じがする。乗り物酔いよりもひどいかもしれない。

 それでも、気分は悪くない。

 砂漠もオアシスも知らないことだらけだった。

 砂雲に覆われた太陽のように霞んでいて見えないものがたくさんある。

 知らなかったこと、知ろうとしなかったもの。身近なところにも不思議や謎は潜んでいる。

 少女は何も見えない真っ暗な夜空へと手を伸ばす。

 あの向こう側には星がある。

 手にした紙飛行機をソッと上へと投げてみる。

 それは真っ直ぐに飛んで行った。

「もっと高く。もっと遠くへ!」

 数秒でそれは庭に落ちた。

 だが、その軌跡ははるか向こう側まで飛んで行っているように見える。

 少女を誘う様に。



 <第六話 了>



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