ガリアⅩⅧ ~縁の響宴⑤

 1.



 喧騒が辺りを包み込み、人の流れが熱気を生み出していく。

 開場の合図として花火が打ちあがり、人々が第一地区に集まり出す。

「ねえねえ、きょうはなんのおまつり?」

 少年は周囲を何度も忙しなく見回しながら父親に訊ねる。

 ドーム周辺はそれまでの石塀や土壁に囲まれた通りとは風景は一変する。入り組んだ路地を抜け大きな門を通ると目の前に巨大なドームが姿を現し、色とりどりの屋台や出店が立ち並びドームまでの通りの両側を埋め尽くしている。

 商区の通りのようでもあったが、鮮烈な赤や深く水のような青といった普段見られないような彩の旗がはためき、華やいだ音楽が流れ人の目を引く。

 男の子は父親に手を引かれていなければその場に立ちつくし屋台に並ぶ品々を物欲しそうに眺めていたことだろう。

 宝石のような飴玉の入った瓶、イクークのから揚げや串焼き、氷菓子といった祝い事があった時にしか食べられない珍しい食べ物が店先には並ぶ。焼き菓子や焼き麺などに使われる醬油やソースの香ばしい香りがあたりを満たし、そのにおいに釣られ足を止める者も多かった。

 憩いの広場からは陽気な笛の音や軽快な太鼓の音が聞こえてくる。それらの旋律に合わせて極彩色の布をまとった道化が舞い歌う。歌や踊りだけではなく手品やアクロバットな曲芸で彼らは見物する人々を魅了し、会場を湧かせていた。

 シュトライゼが集めた者達が大道芸を披露し、露店などの出店を開いているのである。

 大会を見に集まった者達は露店で買ったイクークの塩焼きや唐揚げを頬張りながら、吟遊詩人らに惜しみない拍手を送る。

 その華やいだ雰囲気に人々は心躍らせ、祭りや宴のような空気に感化されていくのだった。

 ロンダサークの力自慢が集う祭典は開催前から人々の関心を引いていたが、ただ力を競い合うだけでなく多くの人が楽しめるように、さまざまな工夫がなされていた。集まった下町の人々は陽気な音楽や香り、色彩に五感を刺激され、その雰囲気を楽しむのだった。

「祭りじゃねぇよ。力自慢を決める闘いの場だ」

「ちからじまん?」

「誰が一番強いかだ。それを決める」

 拳を握りしめ男は言った。

「いちばんかぁ。とーちゃんもでるの?」

「あ~っ、出たかったが、譲った」

 少し歯切れ悪く子供と目を合わせないように彼は応える。

「そっかぁ。ざんねん」

 男の子は露店に並ぶ菓子に興味が移ってしまい父親の話をほとんど聞いてなかった。

「そうだな」

 それ以上追及されなかったことにホッとしている夫を妻は肩を震わせ笑いをこらえながら見ているのだった。


 エジノアを覗く五家の当主達四人が会場に姿を現す。

「建物の中に入るとホッとしますな」

 フードを外し汗をぬぐうネクテリアの言葉にカリブスとバガラも同意する。

 ドームの中では空調が稼働してため外に比べると場の空気が朝の風のように涼しく感じられるのである。

「それにしても人が多いですな」

「まったく。何が楽しくてこのような催しに」

 エントランスだけでない、広い通路にも人があふれている。

 参加者を囲んでいる輪もあれば、近しい家族同士が出会ったのだろう挨拶を交わし談笑していた。さらには地区ごとに集団が出来ていて、のぼりや旗を手に盛り上がっているのである。

「我々がありがたい話をしようとしてもこれの半分も集まらんというに」

「腕相撲とはまた異なるものを始めよったものですな」

「力自慢など港湾の連中の遊びではないか、野蛮よのう」

「シュトライゼめ、前回の勝負の一件で味をしめたか、また人集めにこのようなくだらぬ催しを考えおって」

「あの時は人もかなり集まった様子、商工会にかなり収益もあったらしいからのう」

 ネクテリアが言うとバガラもカリブスも頷く。二人はそれに同意するように大会を批判するような言葉を口にするのだった。

「まったくあやつにしては教養のかけらもない」

「いやいや、噂ではあのトレーダーの子が発端だとか」

「またあのよそ者か」

「下町の秩序をかき乱すのもたいがいにしてほしいものだな」

「それにしても我らを差し置いて、くだらないこのような集いを開くなどとは身の程知らすにもほどがあるわ」

「まあ、このようなレベルでしか人を集めることなど出来ぬわな」

 バガラにカリブスもネクテリアも頷く。

 その三人の前に少女は姿を現す。

「では、あなた方は下町の人たちを楽しませる、これ以上の人集めが出来るというのですね?」

「お、おぬし、なぜここに?」

 礼儀正しく挨拶する少女の表情は笑っているようにも見えたが、その瞳は射るように長老達を見上げていた。

「長老様がいらしたのが見えたのでお迎えにあがりました。よそ者ではありますが、あたしが運営を代表しお招きした客人を迎えるのはおかしいことでしょうか?」

「そ、そうか……」

「出迎え、ご、御苦労、であったな」

 取り繕うように三長老は少女に挨拶を返す。

「五家の方々におきましてはドーム使用の許可をいただきまことに感謝いたします。そして、このような他愛のない催しではありますが、五家の方々にわざわざお越しいただき光栄に思います」

「う、うむ。我らとて下町のことゆえ、見守らねばならぬからな」

「ありがたきお言葉、感謝いたします。知なきものゆえ、いろいろとご助言いただければと思います」

 どこで覚えたのだろう少女は頭を垂れ、慇懃な言葉で応じ続ける。

 その表情を覗き込みたいという衝動にかられるベラルだった。

「お、おう。なんなりと訊くがよい」

「ではお三方にはさきほど、これ以上の大会を開くことができ、人を集めることが可能であるとのお話ですが、どのような催し物を開いていただけるのでしょう? あたしにはこの程度のものしか思い浮かびませんでしたが、長老様にはあたし達とは違いすばらしいアイディアがおありなのでしょう。それはもう高尚で格式高いものを考えていらっしゃるのでしょうね」

「そ、それは……」

「まあ……なんだなぁ……」

「特に考えがあっての発言ではなかったということ、ですな」

 それまで何も言わなかったベラルが口を開く。

 少女の慇懃な口調を面白がっているようでもあった。

「な、なにを……そ、そうだ。レイブラリーの講演会など良かろう」

 ネクテリアが言うとベラルは苦笑するしかなかった。

「そうですね。人は集まるかもしれませんね」

「そうであろう。そうであろう」

「ですが、祭事前からこのように人を集め盛り上げることは出来ないでしょうね。さすがはシュトライゼ君と、言いたいところです」

 ベラルの言葉に少女の後ろに控えていたシュトライゼは笑顔で礼を言うのだった。

「ベラル。お主はどちらの味方なのだ!」

「私は公平な目で見て意見を述べたまでですよ、ネクテリア師。それにバガラ師もカリブス師も思い付きだけで言うのはよくない」

「しかしだ、長老会の力を使えば、このような催し容易いことではないか!」

「そうでしょうか? 人を集め興味を示してもらうことは簡単なことではありません。これらを企画し実現したのはシュトライゼ君の尽力によるもの」

「いえいえ。わたくしなどただ上に祭り上げられているだけ。この運営に携わってくれた人たちの力があってこそ、この催しが成り立っているのですから」

 シュトライゼは首を横に振り言うのだった。

「そういうことですよ。ひとりだけの力では成り立たない。この催しはシュトライゼ君に賛同してくれた者達の尽力があってのこと。通りやこのホールに集う人々の顔を見てください。楽しそうではありませんか? 確かに上から物事を通せば人は集まってくれるかもしれない。しかしそれでは催しを盛り上げることはできるでしょうか? 自発的な力があってこそでしょう。作り手が本心から盛り上げようとしているからこそ参加者も見物に来ている人々も楽しんでいるのではないか? 野蛮だなんだといわれるが、長老会は今までこういう催しを下町の民に提供することすらできなかった。それは事実なのですよ」

「それは、そうだが」

「面白くないという気も判りますよ」

「だ、誰もそのようなことは」

「私は悔しいですよ。今までは我ら五家や長老会が下町のことを取り仕切って来たのですからね。置いてきぼりを食らったような気持ちですよ」

「そうだ。我らや長老会を蔑ろにしてだな」

「この集いに長老会は必要ではなかった」

「ベラル。お主、何を言っているか判っているのか?」

「判っていますよ。長老会は下町の自治を担ってきた。しかし、その存在に慣れ切ってしまい人々の交流を置き去りにしてしまっていた。我らは管理統制するのではなく人々の自主性を促し見守るのが目的ではなかったのか」

 ベラルの言葉は下町が創設された頃に長老会が掲げた理念のひとつであった。三長老は押し黙ってしまう。

「我々には考えもつかなかったことですからね」少女はベラルの視線を感じ彼に微笑むのだった。「ここは我々も楽しもうではありませんか」

「しかしだな、長老として……」

「そのような肩書は抜きにして、我々も一人の下町の民としてね。君らの催しは外のあの屋台や大道芸だけではないのだろう?」

「もちろんですよ。五家の方々にお見せしたいものはまだございますから」

 シュトライゼは微笑み、長老たちを案内するべく歩きだすのだった。

 それを見送ると少女はまた忙しく移動を始める。


「繰り返します。出場選手の方々は、抽選会場へとお集まりください」

 透き通るような声がホールや通路に届けられる。

 シェラはマイクの脇にあるスイッチを切るとホッとしたように息を吐く。

「こんな感じでいいのかしら?」

 振り返るとシェラは少女に問いかける。

「うん。すごくいいよ!」

 少女は拍手しながら答える。

 初めてとは思えない落ち着いた声だった。

 会場アナウンスとして準備してきた商工会の事務員達も同意するように頷く。

「やっぱりシェラに頼んで正解ね」

「どうして?」

「だって、シェラの歌声は聴きほれるくらいだもの」

「そ、そんなことは」

 シェラは頬を赤く染めながら慌てて否定しようとする。

「じゃあ次は抽選会場へ行きましょう!」

 少女はシェラの手を引くと部屋から出ていこうとする。

「えっ、私のやることってここだけじゃないの?」

「い~っぱい、シェラにはやってもらいますからね」

 困惑するシェラをしり目に少女はシェラを引っぱりまわすのだった。


「これはまた」

 賑わいをみせるホールから少し離れたところにその展示スペースはあった。

 織物や人形、組み紐などの品が壁や棚に展示されている。

 アームレスリング程宣伝されていなかったため、このスペースを覗く人はそれほど多くはない。それでも訪れた人々は興味を示し、静かにその華麗な品々を見て回るのだった。

「ほお。なかなか見栄えのする布ですな」

「確かに。どこか名立たる織物工房の作品ですかな」

 動物をモチーフにしたものと思われる紋様が施された生地を前にネクテリアとバガラは感嘆するのだった。

「その作品は工房のものではありませんよ」

「なんと?」

 二人が振り返ると織物師の長、パニーシ・ベリオの姿がある。

 長い髪を結い上げ、自らデザインした衣装を身にまとった女性が笑みを浮かべ五家のネクテリア師を見ていた。

「どういうことだね?」

「そこに貼られている札をご覧下さい」

 彼女の指さす札に書かれていたのは十三区に住む者の名だった。

「この者は工房に属しているのではないのかね?」

「それだったら良かったものを」

 ため息まじりに工房長は呟いた。

「しかし、工房の者以外で素晴らしい衣装を作るものを見たことがないが」

「私どももそう自負してきましたが、そうではなかった。ここに展示された作品のすべては我が区の工房の者たちが織った物でも商区に並ぶ品でもありません。日頃から使うものを人々が作り上げてきたものであり、各地区の伝統の織物や品々なのです」

 花嫁やその両親が織り、嫁ぎ先に持っていくものもあれば、代々親が我が子のために作り与えてきた遊具や人形などその地域や家々で使われるものばかりが並んでいるというのである。

「おお、こちらの生地で織られたのは我が地区に伝わる織物ではないか。しかもイムラ婆の品ではないか!」

 幾何学模様が色とりどりに配置された布を見つけ、バガラは言う。

「そういうことなのですよ。我が工房にもない技法が使われている品もあります。工房の徒弟や職人以上の技能を持つ方もおりますよ」

「本当かね?」

 ネクテリアの驚くような問い掛けに苦笑しながら頷く工房長だった。

「してベリオ師はここで何を?」

「ベリオ師にはこの展示会の審査委員長をお願いしているのですよ」

 シュトライゼがその問いに答える。

「そういうことです。素人の展示会と聞かせられていましたが、驚かせられましたよ。どれも商品としてあつかってもおかしくない品ばかりです」

 ベリオはこのような品々をどこから集めて来たのだとシュトライゼに訊ねたものだった。

 織物の地区ではすでに失われてしまっていた伝説の技法もこれらの中には含まれていた。そして彼女がいみじくも語った通り、工房の職人ですら太刀打ちできないような素晴らしい織物を展示している者すらいたのである。

 下町の織物地区で最大の工房の長であり、織物師たちを統べるパニーシ・ベリオにとってそれは工房のプライドを傷付けられたような思いであったという。屈辱だと嘆く工房主もいたが、織物の道を究めようとするものとして彼女はその事実を受け入れ、さらなる精進のため新たな技術や技能を学び後世に伝えようと、埋もれていた技法を記録するために工房の徒弟たちを各地区へと派遣するのだった。

 それによっていくつかの失われようとしていた技術が織物師達によって継承されていったのである。

「我が地区のものの評価はどうだね?」

「バガラ師。公正な審査をお願いしているのですから、結果は後の楽しみに取っておいてください」

 やんわりとシュトライゼは釘を刺す。

「どれも素晴らしい作品ばかりで甲乙つけがたいというところが心境でしょうか?」

「しかし、パニーシの気にいったものなどもおありだろう」

「候補は上がっていますよ。賞とは別に工房にスカウトしたいと思う方もおります」

「工房の長に認められたとあれば鼻の高いことであろうな」

「結果が楽しみであるな」

 それまで何気なく見ていたネクテリアやバガラは、急に真剣に展示物を見始め、どの品が選ばれるのか議論し始める。その様子をベラルは苦笑しながら見つめ、それに気付いたシュトライゼと肩をすくめあうのだった。


「この声……」

「どうしたの、クロッセ?」

 作業の手が止まり天井を見上げているクロッセにソールは訊ねた。

「えっ? ああ、シェラの声がしたと思ってね」

「ああ、本当だ。姉さんの声だ」

 スピーカーから聞こえてくるアームレスリング大会参加者への呼び掛けに耳を傾けるソールだった。

「それにしてもよくわかったね、クロッセ」

 クロッセに言われなければ気が付かなかったとソールは言う。

「ま、まあ……なんとなくね」

「どこへ行くの?」

 工具を置いて電源室を出ていこうとするクロッセにソールは訊ねた。

 大会の日までメンテナンスを続けていたが、それでもロクなメンテナンスもなく放置されていた機械の調子は良くなかった。

 すでに早朝の送風テストで電源が一度落ちていた。クロッセや工の民の中でも機械に詳しいものが中心となって復旧させていたが、いまだ本調子には程遠い状態だったのである。

 ソールも様子を見に来ただけだったはずなのだが、少女に見つかりクロッセらの手伝いをさせられる羽目になっていた。

「えっ、ああ、ちょっとトイレ」

 クロッセはそういうと慌てて外に出ていった。

「トイレねぇ……」

 その様子を見て事情を知る者たちは肩を竦め合い苦笑いするのだった。


 それはありきたりな質問から始まった。

「何故あなたはこのような大会を思いついたのでしょう?」

 シュトライゼからの問い掛けは誰もが疑問に思うことだろう。

 大会を前にダウンタウンウィークリー紙編集長であるシュトライゼ・グリエ自ら少女にインタビューをおこなっていた。

「誰も隣人を知ろうとしなかったから」

 ぶっきら棒ではあるが少女はきっぱり言い切る。

「隣人ですか、わたくしはあなたのことを存じていますが?」

「知ってはいるでしょうけれど、あたしのどこまでをあなたは知り理解しているでしょう?」

「あなたがトレーダーであること。トレーダー地区に住み、商区で油売りをしている。あとはあなたの人となりを少々というところでしょうか」

「すべてを理解しているわけではありませんよね? 家族ですら秘密はある。壁をへだてればもっとその距離は開いていく。近しい人を知ることはできても、自分の地区から離れるとどうでしょう?」

「難しいでしょうね。ロンダサークは広い」

「あたしはまったく接点のなかった工の地区の人たちともいまは知り合うことが出来ました。港湾地区の人たちともそうです」

「あなたは行動力がおありですね」

「たまたまそのチャンスがあったにすぎません。それに最初からあたしを認めてくれたわけではありません」

「そうでしたね。それでもあなたは諦めなかった」

「ぶつかりあうことでおたがいを知ることができたのではないでしょうか? でも他の人たちはそういう機会があるでしょうか? 日々の暮らしに追われ、大昔から続く因習にとらわれ、固定概念だけで他の地区やそこに住む人たちを見てしまっている。知り合う機会もないまま」

「そう考えると人は憶病なものなのかもしれませんね。しかし、それとこの大会がどうかかわりがあるのでしょう?」

「他の地区を知ろうとしないのなら、知る場を作ろうということです。自分たちの地区だけでなく、さまざまな人々が下町にはいるのだということを知るいい機会ではないでしょうか」

「しかし、アームレスリングという限定された大会ではそれはごく一部の人たちだけになってしまうのでは?」

「それでもないよりはましです。対戦する人たちはもとより、それを多くの住人に見てもらうことで、伝わることはあるのではないでしょうか。本当は多くが参加出来るようにもっといろいろな競技を盛りこみたかった」

「たとえば?」

「投擲。何かを投げてその距離を競うものです。それから走る競技。ロンダサークの外周を一周する長距離走や百メートルくらいの短距離を走ったり。他にも砂上ジャンプに綱引き。個人で競うものから団体で競いあうものまで、子供から大人とさまざまなカテゴリーで下町の人が競えるようなものを考えていました。ただこれはあたしが考えたものでしかなく、もともと下町にある遊びをとりいれてもいいと思っています」

「遊びですか?」

「ええ、下町で知り合った子らに教えてもらったものがいくつかあります。点数を競い合う蹴り玉やシュートボールといったものです」

「いろいろとあるものですね。特別なものではなく身近な、誰でも知っているものであるというのが面白い」

「そういうものの方が誰にでもすぐ理解してもらえるのではないでしょうか。今回は体力を競うものとして他のオアシスでも行われているアームレスリングを選びましたが、力だけではなく職人の技やより頭を使ったチェスやカード、ボードゲームで競いあうこともやってみたいと考えていました」

「それがロビーに展示されている織物や人形の数々なのですね」

「店先にならんでいるものがすべてではないということも知ってほしかった。あたしは織物工房だけではなく身の回りにも、それらとそん色がないくらいすばらしい衣服や装飾品を作れる人がいるとこを知っています。織物だけじゃない。その地区に伝わる伝統的な物造りや料理などが存在している。下町は広い、自分の地区だけではないのです。他にもさまざまなものが下町にはあることをロンダサークの人々は知るべきだと思う」

 静かな口調ではあったが、熱い想いがあるとシュトライゼは感じる。

「なるほど、下町は様々なオアシスからの移民で構成されている。それぞれの地区に伝統的なものが何かしら存在しているということですね。当たり前の知識だけれど、誰も考えもしなかったことですね」

「なぜ見向きもしなかったのでしょう?」

「交流を望まないものもいれば、無関心でしかなかったというところでしょうか」

「日々の暮らしに追われ仕方がなかったとか、それは言い訳にしかすぎません」

「しかしそれが現実です」

「自分の殻に閉じこもり、外を見ようとしていない。あたしと同じです。でも、それでいいわけがありません。あたしはトレーダーですから、ロンダサーク以外のオアシスを知っている。それでもさまざまなオアシスを見る機会に恵まれているにもかかわらず、それをよく知ろうとしてこなかった。それが今は悔やまれます。もっとあたし自身が広い視野を持っていたらもっとよいものを考えつくことができたかもしれないのに」

「それでもこれはわたくしどもには考えつかないものでしたよ」

「あたしが知っている下町もロンダサークの一部でしかありません。あたし自身ももっとオアシスを知りたい。だから、その手始めとしてアームレスリングを選びました。そしてかたくなだったあたしを受け入れてくれた人たちのためにできることをしたいと思った」

「なるほどあなたの想いがこもっているのですね」

「そんなたいそうなことではありません。自分にできそうなことから始めています。それに単純に誰が強いのか見てみたかったというのもあります」

 少女は楽しそうに笑った。

「そうですね。力自慢はたくさんいますからね。ですが、アームレスリングのために人を集めるのにもこれだけの手間暇がかかっています。あなたの申されたことすべてを行うにはどれだけの人と金が必要になるでしょうね」

「一番の問題はそこになるのでしょうが、それだけを考えてあきらめてしまっては先に進むことはできませんよ。それにシュトライゼさんはそれを実現してくれました」

「運が良かった。主だった出場選手はあなたが声をかけてくれた。運営に関してはスタッフに恵まれたといってもいい」

「商工会の方々がほとんどでしょう? それはもともと恵まれていたということではないでしょうか? そう考えればあたしが話した内容も絶対に無理なものだとは思えません。もっと大きな規模の大会でさえ可能になってきます」

「しかし、すべての地区がそれらを理解し集まってくれるかどうか」

「すぐに全員が理解してくれるとは思っていません。でも、今回のことで実績は作ることが出来たでしょう? それをたたき台に話を進めることはできます。はじめから大きいことをやろうとしても空回りしてダメになってしまうでしょうから、最初は片手くらいの地区が集まっただけでもいいのです。そこからひとつでも多く参加地区を増やしていくことが出来たならば、いつかはすべての地区が参加しての大会が開けるとあたしは思っています」

「なるほど、急がば回れ、地道にことを進めていくということですね」

「数百年も停滞してしまっていたのです。それがすぐに成就するとはいくらあたしでも思っていません。だからこそ手近かなものから始めたのです」

「なるほど趣旨はよく判りました。しかし、日程や会場はどうします?」

「会場は今回の様にドームの他は今下町にあるものを利用できるでしょう」もしかするとロンダサークを建設した祖先はそれを見越していたのかもしれない。「日程的なものはそうですね、下町にはすべての人が安息の日として祝うときがありますよね?」

「下町創世の日ですね。確かに下町創生の日であればその意義からも、すべての人が集うのに理想の日かもしれませんね。下町のことを理解した上での考えには驚くばかりです」

「そうでしょうか? 本来ならば下町の人がそのことに気付くべきなのではないでしょうか?」

「これはまたきついご意見ですね」

「おたがいに理解しようとしないから、いさかいは起きるのだろうし、偏見も生まれてくるのでしょう? それをなくそうとするにはどうすればいいのか、だれも考えず行動しようとしない方があたしには不思議です」

「その機会をあなたは与えてくれた。感謝しなければいけませんね」

「別に感謝されたくてしたわけではありません。その気持ちがあるならば、これだけにとどまらず。次回以降も続けてもらいたいし、もっと多くの人に参加してもらえるよう大会を盛り上げてもらいたいですね」

「そうですね。それがあなたの計らいに応える我々の義務でもありますね」

「そんなに仰々しく考えないでほしいし、あたしが発端であるというのは伏せて続けてもらいたいです」

「どうしてです?」

「あたしがよそ者だからです。そのことで快く思わない人もいるでしょうし、あたしの考えだって、それを知れば天邪鬼な考えを起こす人もいるかもしれません」

「あなたは立派な隣人だ。余所者とか部外者という考えは賛同しかねますね。そう思う人の方がわたくしは哀れだと思いますよ」

「そう思ってくれるのはありがたいですが、やはりあたしはトレーダーであり相いれないものでもあると思います」

「さきほどのあなた自身の言葉と相反するものだと思いますね。無理解をなくそうというあなたがその無理解を肯定してしまっている」

「そうですね。あたしもまた固定概念にとらわれています。あたしの言葉はあたし自身に向けられたものでしかないのでしょうね……」

「先程も申しましたが、下町のために行動を起こしてくれているあなたを部外者だとは思いたくはありません。それにあなた自身が申されたではありませんか、多くの人と知り合うことができたと。はじめは余所者であったのかもしれませんが、わたくし自身はあなたを親しい隣人と思っています。そう考える人も多いでしょうし、他人であればここまで関わりを持とうとはしないでしょう?」

「そうかもしれませんね」少女は自嘲気味に笑った。「ただあたし自身が後悔したくない。これは下町のこととかそういったたいそうなことではなくて、あたし自身のエゴから始まっているのですから」

「始まりが個人的なことであれ、それが全体を見据えたことに発展しているのです。それはエゴではありませんし、誇るべきことですよ」

「うれしいですね」

 少女は微笑む。

「部外者だとか言わず、わたくしどもの親しき隣人としてともに考え歩んでいってほしいですね」

 その言葉はシュトライゼの本心であったと思われる。

 それでも少女は自分の名を前面に出すことを良しとはしなかった。

 シュトライゼが組織を立ち上げ、運営が軌道に乗ればあとは手を引くつもりでいたのである。しかし、それに気付いたシュトライゼは何かに付け少女に助言を求め、運営にかかわるように仕向けて来たのであった。

 そしてこのインタビューもいつか記事にすべく少女の言葉をメモしておくのであった。少女の功績を下町の人々に知らしめるべく。


 アナウンス室の扉の前でクロッセは立ち止まり、ぼさぼさの髪をなで付ける。

 通りかかった事務員が不思議そうにその様子を見ている。彼が咳払いすると事務員は慌ててその場をあとにするのだった。

 クロッセは頷くとドアを開ける。

「あら、アルゾン先生、どうしました?」

 アナウンス担当の事務員は中を覗き込むクロッセに挨拶しながら訊ねた。

「えっ、ああ……」

「なにかご用ですか?」

「それともシステムのチェックでしょうか?」

 もう一人も訊ねた。

「ああ、その……なんでもない」

 クロッセは中に入ることなくドアを閉めるのだった。

 少し落胆した様子に気付いた彼女は納得したように手をたたく。そしてもう一人に耳打ちすると二人は微笑み合うのだった。



 2.



 彼の人は風

 天空をはてなく延びゆく砂流雲の如く流る。

 汝は大地

 果てしなき砂の平原がすべてを包み込む

 永劫の刻よ

 互いは鏡のようにその姿を映さん

 変わらぬ空と大地の姿を


 天と地との間を駆け抜ける強きものよ

 流れ舞う砂がすべてを満たし

 大地と空を繋ごう

 地平の彼方で天と地が交わらん

 生まれ来る風とともに



 3.



「スレダス兄貴、どうでしたか?」

「楽勝に決まっているだろう!」

 ロビーで待ちかまえていた子分達に拳を握りしめ兄貴と呼ばれた男は不敵に笑うのだった。

「俺を差し置いて一番を決めようだなんて甘いんだよ」

「当然ですよ。なんたって兄貴はケンカじゃ誰にも負けやしませんからね」

「あったり前だろうが、腕相撲だろうがなんだろうが力じゃ、俺様が一番なんだからな」

 力自慢を決めようとしている大会があると知ったスレダス・グルーダンは参加が認められなければ大会をぶち壊すつもりで会場に乗り込んできた。

 あっさり飛び込み参加が認められ拍子抜けするところもあったが、あっさりと予選会を勝ち抜き本選参加を決めていた。

 スレダスは三区の鼻つまみ者、暴れん坊として知られ、それ故に誰からも推薦されなかったということもり、それを危険視するスタッフや関係者も多くいたが、シュトライゼは少女の意向に沿ってスレダスの参加を認めるのだった。

「兄貴の参加が認められなければこんな大会ブチ壊してやるところでしたからね」

 子分達はそういって頷き合う。

「兄貴が一番でなければこんな大会意味がありませんからね」

「誰がそんなことしろっていった! 俺は実力で一番になるんだ。あんなジジイ連中に負けるわけがねぇだろうが!」

 下町の住人達は港湾の親方、コードイック・ドルデンと工の民の頭、マサ・ハルトとの対戦を楽しみにしていた。実際二人のどちらかが優勝すると予想する者が多かったのである。

「と、当然ですよ」

 彼の迫力に子分たちは腰が引けてしまう。

「それにしてもあのガキ」

「子供? なにかあったんですかい?」

「平然とした顔で俺を見ていやがったな」

 会場に一人だけ女の子がいた。

 誰もがスレダスを見て恐れていたが、その少女だけが平然とした態度で彼を迎え入れて参加手続きを済ませる。そしてアームレスリングのルールを説明し審判役までやってのけたのである。

「兄貴が子供に好かれるなんて珍しいですね」

「そんなわけねぇだろうが! だがお前らよりも肝っ玉が座ってるぜ」スレダスは苦笑いする。「これから抽選だ。誰が来ようが俺様は負けやしねぇ、てめえらも俺様が勝つところをしっかり見てやがれ」

「わ、わかりやした」

 スレダスは自信たっぷりに言い放つと抽選会場に戻っていくのだった。


 アームレスリング個人戦は飛び入りの参加者も含め八十人以上になった。

 そのため予選会は対戦ステージを増やして行われることになり、最終的に六十四名が大会本選へと進む。

 個人戦はトーナメント方式でおこなわれることになっていた。

 三本勝負で先に二勝した方が勝ちとなる。

 抽選は大会の会場で参加者が一堂に集められくじ引きでおこなわれ、会場入りした順に番号札を渡しくじを引く順番が決められ、その順番に従って一回戦の対戦相手をくじで決めていく。

 抽選が行われる時間に会場には多くの観客が詰め掛けていた。

 ベラルら五家の長老達が抽選の立会人としてその場で見届けたことからも公平なくじ引きであったことがアピールされた。

 確率的には一回戦で早々に親方と工の頭の対戦が見られるかもしれなかったのである。対戦相手が決まるたびに感嘆とどよめきが起きるのだった。


 抽選の結果はエントランスにも張り出された。

「うちの人はどこだろうね」

 ハーナはアベルら工房の弟子達とともに会場入りする。掲示板の前には多くの人が集まり一回戦の対戦カードを見ながら勝敗の予想を話し合ったりしていた。

 人垣を抜け、対戦表の前に来るとハーナは夫の名を探すのだった。

「あそこにありました」

 アベルが指さす。

「それでドルデンさんは?」

「親方さんの方は工の頭とは別のブロックですね。順調に勝ち進んでも二人の対戦は準決勝までありませんね」

「あらあら、それまであの人は負けられないわけかい」

「頭ならそう簡単に負けやしませよ。うちらが束になってかかっても勝てないんですから」

 アベルがそういうと他の弟子達も頷くのだった。

「そうそうおれなんか何十回となく頭と腕相撲やったけれど結局一度も勝てなかったしなあ」

「意地でも優勝するんだといっていますからね」

「あの年で信じられねぇ体力ですよ」

「まったくあのひとったら年甲斐もなく張り切っちゃってねぇ」

 ハーナは苦笑いする。

「まあお嬢の前で大見え切った手前もありますからね」

 マサは大会が近付くにしたがって練習にも熱が入っていく。弟子相手の腕相撲の実践練習だけでなく腕立て伏せなどの筋力トレーニングにも余念がなかった。

 ハーナが無理矢理にでもとめなければオーバーワークになりそうな勢いであった。

「うちの中で呆けられるよりはいいんだけれどね」

「頭を見ていると、そんな姿想像できませんよ。死ぬまで現役だって言いそうな気がしますよ」

「そうだよね」

 ハーナも弟子達の声に今のマサを見ているとそう思えてくるのだった。

「それにしても農区、港湾、工区、商区といいながらもいろんな地区の人が出ていますね」

「特に港湾や農区は、多くの地区の人が出稼ぎにでているからねぇ」

 対戦表の脇に張り出された出場者のプロフィールを覗き込みながらハーナは言う。

「どうしました、おかみさん?」

 顔をしかめるハーナを見てアベルが訊ねた。

「シェラちゃんところのことを、悪く言っている連中がいたからね」

 ハーナの視線の先では五十一区の参加者を見つけた者達が大声で侮蔑の言葉を投げつけていた。

「まったく嘆かわしいったらありゃしないよ」

 ハーナは五十一区を蔑む連中に聞こえそうな声で話し始める。その声に弟子達の方が慌てたくらいである。

「こ、この頭の顔、似てますよ」

 アベルは急いでハーナの矛先を変えようとする。

「あら、本当だね。うまいもんだねぇ」

 プロフィールには出身地区や年齢、仕事だけでなく出場者の似顔絵も書かれていた。商工会の新聞で似顔絵やイラストなどを載せている絵師たちを総動員して描かせたものだった。

 描かれた当人達の評価はバラバラだったがその家族や近親者達からは好評で、なかには掲示が終わったら似顔絵をもらいたいというものもいたくらいである。

「本当にいろいろな人がいるね。それに強そうな人ばかりだね」

「俺らが知らないだけで、下町にはいろんな住人がいるんですよね」

「お、おい、あれ見ろよ」

「とうした?」

「なんであの人が出ているんだ? おかみさん聞いてましたか?」

「初耳だねぇ」

「え~っ! で、でもさぁ、それってありなのかぁ?」

「ロンダサークに住んでいることが条件なんだろうから問題ないだろう?」

「確かにロンダサークのすべての人と謳っていましたが……」

「旧区のやつでも受け入れるのか、なんて突っ込んでるやつもいましたけれどねぇ。こいつは予想外だ」

「本当にロンダサークで一番の力自慢を決める大会だわね。さすがはエアリィちゃんだ。うちの人も強力なライバル出現にうかうかしていられないわね」

 ハーナは大笑いするとマサの控室に向かうのだった。


「シェラ・バナザードさん」

「はい?」

 シェラはアナウンス室に戻る途中で声を掛けられる。

「私はパニーシ・ベリオ」

「織物工房の?」

「そう。よかった。紹介する手間が省けたわ」パニーシはシェラに笑い掛ける。「ちょっといいかしら?」

「あっ、はい」

 人通り少ない通路の隅に二人は移動する。

「あなた、うちに来ない?」

「……唐突ですね……」

「あまり時間がないから手短にね。これから展示会の表彰式があるの、そこであなたも表彰されることになったわ」

「そ、そうなのですか?」

「あら、知らないで展示会に染め物を出したのかしら?」

「えっ? ええっ!」

「本当に知らなかったようね」

「もしそうだとすると、エアリィが……」

「あの子が? なるほどねぇ。あなたの噂は聞いているし、シェラさん以外にも五十一区の人の織や染物が出品されている。そのどれもが良い出来の品です」

 展示前に出品作を見せられた時、誰の作品であるのか伏せられていた。それは先入観で出品作を見ないようにするためだったのだろうと思えてきた。

「工房や織物地区の以外の下町の人々が作ったものだと聞かされていたけれど、私はシュトライゼ・グリエに試されているかと思ったわ」

 いずれかの工房の品が混じっていると思いこんだくらい手の込んだ細工の品が出展されていたのである。商工会の顔役に目利きを試されているのではと勘繰ったくらいであった。

「特にシェラさん、あなたの染め物はうちの工房の徒弟が持ち込んだものだと最初は思ったものだわ」

 しかしそれは間違いだった。

「あなた、うちの工房に染物や織物を納めていたんですってね?」

「……はい」

「うちの徒弟に本当のことをしゃべらせるのに苦労したわ」

 その徒弟はシェラの持ち込んだ布や染物を使い自分の織物と偽って工房や商人に卸していたのである。

「ああ、それで罰せられるとかそういうものじゃないから、気にしないでね」

「あっ、はい」

 シェラにとっては日々の生活の足しのために工房に布や染物を買ってもらっていたにすぎない。その後、それらがどう扱われていたのかを気にすることはなかったのである。

「私がそれに気付かなかったのもいけなかったのでしょうけれど、あなたにはすまないことをしたと思う」

「どうしてです?」

「あなたほどの腕があるのなら、どこかの工房の徒弟になれたでしょうから」

「ありがとうございます」

「どうしてお礼を言われるのかしら」

「今までわたしは自分に器量がなかったから、工房の徒弟になれないのだと思っていました。でもそうではなかったのだと判ったので」

「あなたの腕前なら自分の工房を持つのも夢ではないと思うわ」

「本当ですか?」

「ええ、だから今からでも遅くはない。私のところに来なさい」

「……」

「なにか悩むことがあるのかしら?」

「以前の私でしたら、すぐに返事が出来たと思います……」

 生活のために弟のために様々なことをしてきた。少しでも稼げるように工房の門を叩いたこともあった。

「地区のこととかなら気にしなくてもいいわ」

 パニーシは能力主義者でもあった。それ故に彼女が工房主になった時、それまでの門弟から反感も出て少なからず弟子が去ったという話もあったくらいである。

「そうではないのです」

 シェラは首を横に振る。

「私にとって五十一区は絆です。ここに生まれ生きてきたことで今の私があります。だからこそ私に出来ることをやりたい。そう思えるようになりました」

 それは少女に出会ってからのことなのだろうとシェラは思えた。

 境遇や立場を超えて少女は下町を駆け抜けていっている。この大会も自分のことだけでなく地区のことを考えてのことだとシェラは教えられている。

 そして少女の言葉がシェラの心に突き刺さる。

「だから工房には来れない?」

「すいません」

 シェラは頭を下げた。

「残念ね」彼女はシェラの答えを予想していたようでもあった。「あの織り方と染め方、誰に教わったのかしら?」

「小さいころからグエダ婆様に教えられました」

「その人はご健勝なのかしら?」

 シェラは首を横に振る。

「そう、残念ね。でもそれを受け継いだあなたがいるわ。あなたに教えてもらうこともあるでしょう。よろしくね」

「私に、ですか?」

「すぐれたものは残さなければいけないわ。そのための技術の継承もね。今回のことで私は思い知らされたわ。工房単位で技術を継承させているだけでは、いずれ失われてしまう織り方や染め方が出てくるとね。私は他の工房にも呼び掛けるつもりだし、他の地区にも協力を要請するつもりよ」

「素敵ですね」

「まあ、こういうことがなければ、私もこんな気持ちにはならなかっただろうし、グリエに踊らされているような気もするけれど、良い機会ではあるわ」

 だからあなたにも協力してもらうわよ、とパニーシはシェラに迫るように語りかけるのだった。

 織物師の長はシェラが同意すると、満足げな笑みをもらし、表彰式の場へと戻っていくのだった。


「よう、クロッセ」

「トーマ! どうしてここに?」

 肩を叩かれ振り返るとトーマがそこにいる。

 クロッセがロビーを移動している時のことだった。

「下町でアームレスリング大会が行わるというので見物に来たんだよ」

「見物って……お前が? そういうのに興味があるとは思えないが」

「まあ普段なら興味はないが、シェラ嬢がいると聞いてね」

 シェラの名を聞いてクロッセはドキッとする。

「なにかしたかい?」

 トーマはニヤリと笑う。

「い、いや、なんでもない」

「そうか。ところで」彼は両手を広げてみせる。「どうだい、この格好は?」

「なんか下町に馴染んでいるな」

 その服は見覚えのある模様が施されている。

「そうだろう。この服はシェラさんから頂いたものなんだよ。似合うかい?」

「えっ?」

「なんだい、その顔は? 君だってシェラさんから服くらいもらっているのだろう?」

「まっ、まあ……」

「だったら、驚くことでもないだろう。クロッセの方が近所付き合いは長いのだろうし」

 彼の様子を見ているとまだ自分が彼女にふられたことを知らないようでもあった。顔を赤らめるクロッセを見ているとからかいたくて仕方がなくなってくる。

「い、いや、だからってなんで、トーマが」

「気になるかい?」

「そ、そんなことはない」

「では、いいではないか。それよりも」そう言ってトーマは周囲を見渡す。「おっ、いたいた」

 慌ててクロッセもトーマが見ている方を見ると、ソールの姿があった。

「どうした? シェラさんかと思ったかい?」

「……」

 苦虫を噛みしめたような顔していると思いっきりトーマに背中を叩かれる。

「まあ、頑張れよ」

 そう言い残すとトーマはソールに声を掛け、二人してクロッセを置いて去っていった。

「何を頑張るんだよ……」


 展示会に出品された品の中から優秀作品がパニーシ・ベリオによって選ばれ、その発表がアームレスリング個人戦の対戦抽選会が行われたあとに執り行われる。

 予定では発表だけだったが、ベラル・レイブラリーから記念の盾が大会運営に贈られ、急遽、表彰式へとプログラムを変更することになった。

 表彰式には五家の長老たちも立ち会う。

 本選が行われる前ということもあり観客席はまだまばらだったが、ベラル自らが受賞者に盾を渡すことで表彰が公式なものであることを観衆に印象付ける。

 ベラルはマサから事前に情報を収集しており、そのために盾だけでなくアームレスリング優勝者に贈る旗も運営に贈っていた。旗はパニーシに盾はマサが依頼を受けて作成したものだった。特に金属製の盾には工の頭自らがその場で名を彫り込み、盾の見事な出来栄えとともに受け取ったものに感銘を与える。

 観客の中にはシェラをはじめ五十一区の者が受賞していることに不満を漏らす者もいたようである。ただステージにはベラルら五家の長老達が居合わせたこともあり表立って騒ぎ立てる者はいなかったし、彼らの作品や品を見せられると、その出来栄えに納得せざるを得なかった。

 パニーシが予想した通り、表彰された者の中には、式の直後から居合わせた織物工房主から声がかかりスカウトされる者も出る。さらに受賞者以外にも目にとまった作品の制作者には大きな商店から依頼が来ることがあり、停滞していたものが活性化して行くとシュトライゼやパニーシは感じるのだった。



 4.



 一回戦が始まるころになると観客席は埋まっていき、立見の観客も出るほどだった。そして闘いが始まるとともに徐々に会場はヒートアップして行った。

 地区出身者の名前が入った横断幕を掲げ、地区の紋章入りの小旗を振って応援するところも出てくる。

「なんだ、あれ?」

「五十一区らしいぞ」

「なんでそんなところの連中が来てるんだよ」

「あそこの区の奴も出てるんだとよ」

「本当かよ。よくも出れたもんだな」

「まあ、いいじゃねぇか、あんな連中すぐに負けるのがおちだろうさ」

 鼻で笑う。

「そうでもないらしいぜ。あそこにいる奴らしいが、強いって噂だよ」

「信じらんねぇな。あんなところの奴がよ」


「親方、お疲れ様です」

「一回戦突破おめでとうございます」

 シルバーウィスパーの乗組員達がコードイック・ドルデンを出迎える。

「まだ始まったばかりだぜ。初戦に勝ったくらいでなに浮かれてんだよ」

「いやねぇ、一回戦で強いって言われているやつも負けちゃっているから」

「俺が負けるわけがねぇだろうが!」

「そうかもしれませんが、あの大観衆でしょう。舞い上がっちゃうっていうか、雰囲気にのまれちまう奴もいるみたいなんですよ」

「確かにまあ、あれだけ人が見ているところで、大勢に応援されてやるっていうのも、いつもと勝手が違うがなぁ」

「親方くらい肝が据わっていりゃいいでしょうがね」

「これっくらいでビビッてられっかよ! 砂嵐が来た時の方が緊張するくらいだぜ」

「へえぇ、親方でも緊張することがあるんですかい」

「あったりめぇだろうが! 人をなんだと思ってんだ」

「いやまあ、ねぇ……親方は親方だし」

「まったくお前らはよぉ。で、港湾の奴らは皆、勝ってんだろうな?」

「意外と農区の奴らも強い面子をそろえたようで……」

「それでも副長は負けてませんぜ」

「あいつはどうでもいいんだよ。午後から団体戦もあるんだ。他の連中には負けらんねぇんだよ。あとは工区の奴にもな。あいつは負けてねぇだろうな?」

「あいつ? 工の頭ですか? もちろん勝ってますよ」

「まったく、俺とあたるまでは負けんじゃねぇぞ。あのジジイに勝っていいのは俺だけなんだからよ」

「無茶言ってますよ、親方」


「まったくひどい声援もあったもんだ」

 観客席全体が不穏な空気に包まれている。

 パサドの名前がコールされると、一瞬にして空気が変わったのである。

 ひとつの野次をきっかけに波紋は会場全体に広まっていき、床を踏みならす音が共鳴し、五十一区への罵倒やパサド個人への「帰れ」コールに止まらず、ありとあらゆる罵詈雑言が投げつけられ会場全体を埋め尽くしているようだった。

 それらの行動に眉をひそめる者もいたが、それは少数でしかなく、多くの人々が会場の雰囲気にのみ込まれていく。

「ケリオス副長、すいません」

「君が謝ることじゃない」

 シルバーウィスパーの副長を務める彼はのんびりとした口調で応え、この異様な雰囲気にも笑みをたやすことはなかった。

「あれ、君のところの応援だよね?」

 そんな中でも五十一区の人々はパサドへの応援を止めてはいなかった。

「はい」

「いい応援だよね」

「俺はその、迷惑がかかるからいいっていうのに、野次られたりするのは、そういうのは俺だけでいいのに、絶対に応援するってきかなくて」

「ありがたいじゃないか。こんな状況でも負けないように大きな声援を送ってくれている」

「俺の生まれ育ったところですから」

「そうか。うらやましいかぎりだね」

「ありがとうございます」

 パサドは笑顔で答える。

「マイクいいですか?」

 近くにいたアナウンスの子にケリオスは声を掛ける。異様な雰囲気に怯えていたアナウンス嬢はケリオスの笑みにホッとするとマイクを渡した。

 ちゃんと音が出ているかを確かめようとするが、そんな状況でもなかった。彼は深く息を吸い込むとマイクが不要なくらい声を張り上げるのだった。

「やかましい!」

 普段おとなしい姿から想像できないほどのどなり声だった。

 スピーカーがハウリングを起こし、その耳障りな音に多くの人々が耳を覆う。

 彼の一喝で会場は一瞬にして静まり返る。

「ふ、副長……どうしたんですか?」

 パサドは慌てる。

「うちの家系なのかもしれないね」

 笑みを浮かべながらケロリと言うと、静かになった観客席へマイクを使い話し始めた。

「すいません。彼が言われなき侮辱を受けているのは我慢なりません」

 静かではあったがその言葉には本当に怒りが込められていた。

 そして観客席の異を唱えたものを指さしながらなおも続けた。

「そこの人が仰る通りぼくはシルバーウィスパーの副長をしており、彼のことを知っている。ですが彼をかばうことが同族意識とかそういうものではありません。彼が一回戦を勝ち抜いたのは実力です。それは誰の目からもあきらかなはずです」

「その通りだ!」パサドの一回戦の対戦相手だった男も観客席から大声で答える。「そいつは強いし、いいヤツだぜ」

 パサドは人の悪態にも動じることなく、五十一区を誇りに思うと笑顔で対戦相手に語っていた。

「そいつに比べればお前らの方が、情けないぜ。そいつに腕相撲で勝ってからいいやがれってんだ。そうでないやつに暴言を吐く権利なんてねぇ。よってたかってただけなすだけしかできないんだからな。そいつは自分の生まれたところ背に戦っているんだ。偉いじゃないか!」

「ありがとうございます」ケリオスは男に礼を言う。「彼、パサドがあなた方に何かをしたというのか?」

「そいつらは罪人の生まれだろう!」

 観客席から声が上がった。

 それに釣られまた騒ぎだすものもいた。

「それはいつの話です? 流刑地だったのはあなたがたが生まれるよりもはるか昔の話です。彼は犯罪者ですか? 五十一区の人たち皆が今も罪人なのですか? そうではないはずです、五十一区の成り立ちを理解しているなら、そんなことは言えないはずです」

「だけど五十一区だぜ!」

「それはあなたがたが勝手に付けたレッテルでしかありません。本当に五十一区の人たちの姿を見ていますか、そして知っていますか? 何を根拠に罵倒しているのですか? 過去にはそうだったかもしれませんが、今では五十一区もロンダサークの一部です。そしてみなさんと同じ下町に住む者です。もし、あなたが、あなたの家族が、いま言われているように自分たちと関係のないことで、いわれなき侮辱を受けたとしたらどうします? あなた方がパサド君にしていることはそういうことなのですよ。いい感じはしませんよね?」

「……しかし……なあ」

 観客席はざわつく。

「あなたは彼のことを知っていますか? 違うでしょう? あなた方はもしかしたら過去に自分が誰かに受けた仕打ちをそのまま彼にしたいだけなのかもしれない。それだけでない。ただ周りに釣られて面白半分でそれに加わっている人がいるとしたら、それは絶対に許せない。自分が傷つかないなら他人を傷つけてもいいなんてことはないでしょう? そんなことは許されるわけがない。人に貴賤なんてあるわけがないでしょう。そんなことをしたら生きていけない」

 ケリオスはマイクを通し一気に語り掛け、人々に訴えるのだった。

「あなた方がやっていることは下町を見下すヴィレッジと同じだ。そんな人になって欲しくない。下町に住む者同士がそうなってはいけないんだ。本来ならこの砂漠で生きるためには我々はひとつにならなければならない。そうでしょう? 自分の行為を知り、人の痛みを知りましょう」

 ケリオスはそう締めくくった。

 静まりかえった会場から誰かがそんな彼の言葉に共鳴し拍手を送る。

 最初はまばらだったものが次第に広がり会場を埋め尽くす。


「おまえさあ、五十一区の連中って嫌いじゃなかったか?」

 ケリオスの言葉に拍手を送る男に向かってその友人は訊ねる。

「嫌いだよ」

「じゃあなんで?」

「あいつに負けてほしくないからさ」

「五十一区のやつに負けたのにかよ」

「まっ、嫌いなのは確かさ。でもな、おれがどんなにひどい言葉を投げつけようが、あいつは真っ直ぐにおれを見つめやがったよ。その目に負い目も何もなかった。どんなに大きな罵倒があっても、小さくとも自分を応援してくれる人の声援があるから頑張れるんだと誇らしげに言いやがった。おまえがあんな状況にあったら、そんなこと言えるか?」

「言えるわけねぇ。もっともおれだったら、最初からこんなとこに出ねぇよ」

「そうだよな、普通なら。それなのにあいつは逃げも隠れもせずここいる」

「ただの鈍感か、バカなんじゃねぇか」

「そうかもな。だけど戦ってみて判るが、あいつはそんなやつじゃなかった」

「へぇ。ずいぶん肩もつじゃねぇか」

「そうなっちまうのかな」

 男は自分の言動に気付き頭を掻く。

 あの騒音が逆に我に返らせてくれたといってもいい。

 自分が弱い者いじめをしているような罪悪感と恥ずかしさを感じずにはいられなかったのである。

「それにうらやましいじゃねぇか、五十一区の連中だって罵声を浴びせられてもあいつの応援に来ているんだからよ。そんなことおれらにできるか?」

「……むずかしいな」

「そうだろう? それによ。あいつが簡単に負けちまったら、おれが弱いみたいだろう? おれは強いやつに負けたんだっていいたいんだよ。あいつに今負けられたらおれの立場もねぇんだよ」

「そういわれりゃそうだな」

「それにあいつはいいヤツだよ」

 対戦したからこそ判ることでもあった。

 どんな状況であってもゆるぎない意志で戦っていた。器の大きさを感じるのだった。

「あいつと戦ったからこそ判るんだよ」

 男はそういうと、大声でパサドの応援を始めるのだった。

「よくわかんねぇが、まあ、そういうことにしておくか」


 シェラはようやく止めていた息を吐き出す。

 アナウンス室のモニター越しにも異様な雰囲気は伝わって来た。胸に手をあて祈るような気持ちでシェラはパサドの無事を願い続けたのである。

 対戦相手であるケリオス・ドルデンがその場をうまく収めるように動いてくれなければ応援に駆け付けていた五十一区の人々とともにパサドは暴徒化した群衆に飲み込まれていたかもしれない。そう思うと背筋が凍りつくような思いであった。

 今、鳴りやまない拍手にパサドは呆然と観客席を見ている。

 信じられない出来事が起こっているとシェラも思った。

「エアリィ、あなたはどこまで、ここで起きることを予想していたのかしら……」

「あの子がどうしたの?」

 スーザンの問い掛けにシェラは小さく首を横に振る。

 少女は前を向き、自分の意思で駆け抜けていっただけなのだ。始まりは小さなことだったかもしれない。しかし彼女が走り去った後に砂の平原に生まれ育つのは誰もが思いもよらぬものとなって実を結ぼうとしている。多くの人を引き込み古き衣を取り払おうとするのだった。

 それが少女の力であり、魅力だといえるだろう。

「みんなが無事でよかった」

「本当ですよ。パサドって人は、シェラさんと同じ区の出身ですものね」

 デリンダは胸をなでおろしながら言うのだった。

「ええ。パサドだけではない。もし暴動が起きていたら観客席の人たちも巻き込まれていたかもしれないわ」

「そうね」スーザンは頷く。「関係ない人まで巻き込んでしまう。それが判らないほど、人はどうしてあんなことに同調してしまうのかしら」

 彼女達は群衆とは違う場にいて、冷静に状況を見ることができた。しかし、観客席にいた人達はそうではなかった。彼らの中には普段なら温厚な人だっていたはずなのに、止めるどころか一緒になって騒ぎたてたものもいたのである。

 人は優しくもあるが、残酷にもなれる。

「まあ、考えても仕方がないけれどね」

 ため息まじりにスーザンが言う。

「私だって、あの場にいれば一緒になって騒いでいたかもしれない」

「なにも知らなければね」

 デリンダの言葉にスーザン頷き、二人はシェラを見る。

「そういうこと。確かに今のはなにが起きてもおかしくはなかったけれど、無事何事もなく競技は再開されているのだからいいじゃない」

「ケリオス・ドルデンさん、素敵でしたね」

「あれだけの観衆を前に一歩も引かずに渡り合うのですものね」

 ケリオス・ドルデンの名はここから下町に轟き渡る。

 彼がまだ若く独身であると知ると、その後、数々の見合い話が舞い込むこととなるのだった。

「あら、アルゾン先生」

 ふと扉が開き、部屋を覗く者がいる。

「さきほどといい、また、何かありましたか?」

「い、いや、そのね……」

 シェラがいるのを確認するとクロッセはちょっと躊躇しながらアナウンス室に入って来る。

「お久しぶり、クロッセ」

 それはいつもと変わらない笑みだった。

「あっ、ああ」

「元気そうでなりよりです」

「き、きみこそ……その……」

 話したいことがいっぱいあるはずなのに言葉が出てこないクロッセだった。

「なにかあったの、クロッセ?」

「えっと……」

 なんて言えばいいのだろう……、シェラを探して会場を放浪してきたわけだけれど、実際に顔を合わせて見ると、自分がなぜシェラの姿を探し求めていたのかその理由が判らなくなってくる。

 半月や一ヶ月くらい家に戻らずシェラと顔を合わせないこともあったはずなのに、今の彼女がまぶしく見えて正視できない。

 展示会で優秀作品に選ばれ表彰されているシェラの姿は輝いているように見えた。多くの人に取り囲まれた彼女は手の届かない遠くの存在になってしまったようでもあった。そしてトーマが彼に見せた服、シェラがトーマに贈ったと聞かせられて心がざわつく。体中にモヤモヤとしたものがたまっていくようだった。

 今、目の前にあるこの笑顔が自分だけに向けられるものであってほしいという欲求へと変わっていく。

 それなのに言葉となって想いが出てこない。

「ああもう、そんなところに二人して突っ立っていられると気が散ります、仕事の邪魔です」

 お互い見つめ合い、顔を赤らめている二人を見て、会場アナウンス担当のスーザンとデリンダはクロッセとシェラの背中を押し、部屋の外に追い出すと入口の扉を閉めるのだった。

「ごゆっくり~♪」

 そう二人に言われ、顔を見合わせるクロッセとシェラ、二人はやむなく通路の隅に移動するのだった。

「ちゃんと食べていましたか? ちゃんと寝ていますか?」

「う、うん。マサさんのところにお世話になっていたから」

「そうだったのですね。少し安心しました。ハーナさんにお礼を言いませんとね」

「あ、ああ」

 シェラの笑顔を見ているとホッとさせられる。

「そのね……」

「なんでしょう?」

「えっと、受賞、おめでとう」

 もっと他に言うべきことがあるはずなのに、出てきた言葉がこれだった。

「ありがとう」喜びをかみしめるようにシェラは微笑む。「エアリィが、私の織物を出してくれたそうなの」

「そ、そうか……」

「私、知らなかったから名前を呼ばれた時、本当にびっくりしたわ」

 知ってた? 小首を傾げシェラはクロッセを見る。

「知らなかったけれど、シェラなら当然だと思った」

「私なんかよりも上手な人はたくさんいたわ」

「そんなことないよ。僕にとってはシェラが一番だ」

 シェラが編んでくれた服、それが一番しっくりきて、温かいものだった。

「本当に?」シェラが顔を上げクロッセを見つめると彼は何度も頷く。「ありがとう、嬉しいわ」

「う、嬉しい? なんで?」

「だって、あなたがそんなこと言ってくれるの、初めてだから」

「そ、そうだったっけ?」

 視線をはずし、頭を掻きながらしどろもどろになるクロッセを見てシェラはクスリと笑う。

「えっと……エアリィは君に感謝しているようだった。だからだろうか」

「感謝しているのは私の方なのに……」

「それは、シェラには笑っていて欲しいから」

 シェラの笑顔を見ていると、それだけで安らぐことができた。

 きっと、エアリィもそうなのだろう。シェラが笑ってくれるだけで、それだけでいい。そう思えてくる。

「どうしてなのかしら? あなたもそうなの?」

「も、もちろんだとも」

 勢い込んでクロッセは応える。

「クロッセ?」

「あっ、ええっと、その、ねぇ」

 間近にシェラの顔を見つめていることに気付きクロッセは慌てる。

 心臓が今頃になって早鐘のように鳴り響いているくらいドキドキしている。

 どうにかしなければ……。

「どうしたのクロッセ? 顔が赤いわ。熱があるのかしら?」

 シェラの手が額に触れる。

 それだけでまた体中が熱くなったような感覚になる。

「な、なんでもない。大丈夫」

 おかしなところはない。いつも通りに話をすればいいんだ。

 そう思い、話をしようとしてクロッセの思考はまた停止する。

 普段の会話が思い出せない。

 というよりもきっかけすら今のクロッセは思い浮かばなかった。


「まったくじれってぇな」

 マサはシェラとクロッセの様子を覗き見しながらぼやく。

「いままでなにもしてこなかったのですもの、あれでもマシな方じゃないですか?」

 少女はさらりと呟いた。

「好きあっているなら、言ってしまえばいいのに」

 スーザンとのじゃんけんに勝ったデリンダもその場にいる。彼女だけでない、いつの間にか二人の様子をこっそりと覗き込む人の数は増えていく。

 誰もがじれったそうに二人の様子を伺っている。

「やっぱり言葉にしてもらいたいものよねぇ」

 ハーナがマサをみながら言う。

「ま、まあな。男なら、ドーンといかなきゃな」

「無理ですね」きっぱりと少女は言う。「それが判っていたら、もうとっくにゴールインしていますよ」

「そうなんだろうけれどねぇ」

「お嬢だってあの二人を応援しているんだろう?」

「していますよ」

「だったらこうなんていうか、うまくいくようによ」

「二人には幸せになってほしいです。でも、今のあたしは邪魔をします。ちゃんとけじめもつけられないクロッセにはイライラしていますから」

 少女はそう言うと、クロッセとシェラのあいだに割って入るように声を掛けるのだった。周りにいた人たちは少女を止める暇もなかった。

「いまさら悩んでいるのなら、もっともっと悩ませてあげるわ。ちゃんと答えが出せるまでね」

 そう呟きながらクロッセを電源室へと引っ張っていくのだった。

 呆然と成り行きを見ていた人達を置き去りにして。


「おう、どうだった?」

 選手やその家族などがいる控え室に戻って来たケリオスに親方は訊ねる。

「負けてしまいました」

 あっけらかんとケリオスは親方に答えたのだった。

「なんだとぉ~っ!」

「すいません」

「なにやってやがんだ! おめぇに二十二区の代表を任せたのによぉ」

「頑張ったつもりでしたが」

「負けちゃどうしようもねぇんだよ! まったく。ストレートで負けやがって」

「えっ?」

 確かにパサドに二本連取されて負けてはいたが、なぜそれを知っているのだろう?

「だが負けちまったのはしょうがねぇ!」

 親方は立ち上がりながらケリオスに言うのだった。

「団体戦では港湾の面子がかかってんだ、負けは許されねぇぞ」

「わ、わかりました」

「よ~し。判ればいい」そう言いながら、親方は通り過ぎ様にケリオスの肩を叩く。「よく言ってくれた」

 ケリオスが我に返り振り返った時には親方は控え室から出た後だった。

「まったく素直じゃねぇな。もっとちゃんと褒めてやれってんだよ」

 ぽかんと口を開けて扉の方を見ているケリオスに港湾の監督はニヤニヤ笑いながら語りかける。

「ど、どういうことですか?」

「うん。コードィックの野郎、見てやがったんだよ」

「見てって……さっきのですか?」

 顔から火が出るような思いだった。

「なんやかんや言っても息子の対戦が気になってんだよあの野郎は」

 監督と一緒にこっそりと舞台の影から見ていたという。

「そしたらパサドへのあの罵倒騒ぎだろう。あの野郎、それで表に出ていこうとしたんだよ」

 羽交い締めにして止めなければ、観客席に殴りこんでいたという。

「そうしたら、お前さんのあの演説だろう」

「演説って……き、聞いていたんですか?」

「おう。ばっちりな。あいつお前のこと褒めていたぜ」

 成長した息子を頼もしげに見つめている瞳がうるんでいたのは内緒だった。そして親方は、砂上船を任せられる日も近いな、と呟くのだった。

「まあ、操舵はまだまだだとか悪態もつきやがるがな。あいつはお前さんの人としての成長を喜んでいたぜ」

「本当ですか?」

 ケリオスは信じられないといった表情だった。

「本当だとも、親方の席だって譲ってもいいくらいの勢いだったぜ」

「それはどうでしょう? そんなこと言っても引退する気なんてさらさらないでしょう?」

「あいつのことだから足腰が立たなくなったって船に乗るっていってきかねぇだろうな」

「そうですね。ぼくもまだまだ親方には教えてもらわなければならいことが多いですから、引退なんてまだしてほしくないですね」

「よし、そのいきだ」

 そう言って監督はケリオスの背中を叩くと、二人で三回戦の応援に行くのだった。



 5.



「ちっ、バカ力だけはありやがるな」

 ステージの上で腕を振り手を何度か握りしめながらスレダスは呟く。

 楽勝で勝てると思っていたが、一筋縄では行かない。誰が勝者となってもおかしくないと言われるほどの強者達を集めた大会であった。ちょっとでも気を抜けば一気に倒されてしまうのである。

 そうしてスレダスは一本目を簡単にとられてしまったのだった。

 一本もとられずストレートで勝ち続ける目論見がすでに破られてしまった。

「次はストレートに勝つ」

 まだ二人目を倒しただけだ。こんなところでもたついてはいられない。この先には優勝候補と言われる連中がうようよいるのである。

 そんな彼の腕を掴むものがいた。

「なんだ!」

 振り返り睨みつけた先に少女がいた。

「勝利者インタビューです」そう言いながら、少女はスレダスにマイクを向ける。「最初に一本取られてしまいましたが、焦りはなかったですか?」

 そして相手に何かを言わせる前に質問を投げつけるのだった。

「あ、あれはちょっと油断しただけだ! 次はそんなことねぇ!」

「そうですか。次の対戦相手は優勝候補の一角にもあげられている方ですが」

「どんな奴が来ようと俺は負けねぇんだよ!」

「おおっ、力強い発言ですね」少女は楽しそうにスレダスと話を続けるのだった。「飛び入り参加の方でただひとりの勝ちっぱなしですが、それは優勝宣言ととってもいいのでしょうか?」

「そうだっていっているだろうが」

「よくいった。オドロフの息子」

 観客席から声が飛ぶ。

「それで俺を呼ぶな!」

 家のことや農園のことは彼にとってタブーなのかもしれない。スレダスは真っ赤になりながら反応するのだった。

「オドロフのせがれだからだろうが、気にすんな!」

 さらに観客席に笑いの輪が広がっていく。

「そうだ、そうだ。おめぇがそのつもりなら俺達が応援してやるってんだ。負けんじゃねぇぞ!」

 スレダスの地区の者だろう、ステージに声援が飛んでくる。

「誰が負けるか!」

「ようしそのいきだ! 頑張れよ。グルーダン農園のせがれ!」

「うるせぇ! 農園は関係ねぇだろうが! 俺は俺だ! オヤジは関係ぇねぇ!」

「だったら、頑張るんだな!」

「判ってらぁ! 次も見てやがれってんだ!」

 少女が礼を言うとスレダスへのインタビューは終わる。

 拍手や声援を受けながらステージを出ると不思議な気分にスレダスは襲われる。はじめは農園やオヤジのことを引き合いに出され憤慨していたが、取り巻き連中ではない他の者達、ましてや地区の者達から応援の声を掛けられたのである。悪童として敬遠され恐れられてきたので、それは思いもよらぬことだった。

 そして彼らは次のスレダスの対戦の時に声援を送ってくれる。

 地区出身の者が一回戦で早々に負けてしまったということもあっただろうが、名前入りの横断幕を急遽作ったりと手の込んだものになっていた。名前を呼ばれ入場すると拍手があがり、雰囲気の変化に彼は戸惑う。

 それだけに恥ずかしい試合はできないとスレダスは思うのだった。


「まったく楽しい大会ですね」

 勝者に拍手を送りながらベラルは言う。

 他の者が言えば皮肉か嫌味にも聞こえてしまいそうな言葉だったが、ベラルは心から大会の開催を喜んでいた。

 人と人、地区同士の触れ合いを実現してくれたことに感謝していた。

「わしはハラハラし通しだよ」

「ベラルはよくそんなことが言えるね」

 ネクテリアとバラガは顔をしかめていた。

「いろいろなヒーローがいるではありませんか」

「ベラルは知らぬのかね?」

「何をです?」

「今、勝ったスレダスという輩のことを」

「存じていますよ」

「それならばなぜだね。私はあれが何か揉め事を起こすのではと、ハラハラしどうしだよ」

 スレダスが起こした揉め事の調停が何度も彼の許に持ちこまれていたのである。

「何も起こっていないではないですか?」

「五十一区のパサドの騒動を見てもか? スレダスの取り巻き連中の罵声なんかを聞いていると肝を冷やすわ」

「まあ、あまりいいものではありませんが、彼自身は今と先程の試合では雰囲気は変わっていますよ」

「わしには同じに見えるが? 粗野で荒っぽいだけのようにしかな」

「そうでしょうか。彼の目付きは変わっていますよ。ギラギラとただ睨みつけ獲物に力任せにぶつかっているだけではなく、声援を受けそれを背負った者の目になっている」

「気のせいだろう。あの応援くらいで変わるような輩には見えん」

「そんな大きな変化ではありません。それでも少しずつ彼は変わっていますよ。孤独や反抗心だけで戦っているのではなく、声援を受け入れそれを背負おうとしているように私には見えますよ」

「お主の願望がそう思わせているだけなのではないか?」

「そうかもしれません。でも先入観だけで目を曇らせるようなことはしたくない。それに会場の雰囲気は変わりつつある」

「それこそ暴動が起こらないのが奇跡のようだ」

「シュトライゼの奴は何を考えておるのか」

「あのような状況に立って、我らがあれだけのことを成しえることができただろうか」

「ケリオスがうまく事を運んでくれたのはただの偶然でしかない。ひとつ間違えば争いに発展していたかもしれないのだ」

「うまく収まったではありませんか」

「たまたまだろう」

「それは天の采配なのかもしれませんが、ケリオス君でなくとも他の誰かが出ていたことでしょう」

「本気で言っておるのか、ベラル?」

「区のことなど出さねばよいのに」

「それも折り込み済みで彼らは動いているのでしょう」

「勘弁してほしいな」

「あのような状況になってしまっても私も含め長老は誰も動くことはできなかった」

「おぬしであったら収めることもたやすいであろう」

「判りません。ですが彼らはこの場で我ら五家や長老会が先送りし続けたことを彼らの言葉で収めてしまった。本来であれば我らがやらねばならぬことをね」

「しかしこれですべてが万事収まったわけではないだろう」

「仰る通りです。しかし解決の糸口はつかんだといってもいい。少しずつでも状況は変化して行くのですよ。スレダス君のようにね」

「わしはそうは楽観できないね」

「すべてが、これをきっかけにうまくいくとは私も思ってはいません。困難はこれからでしょう」

「ではなぜそう笑っていられる?」

「笑っていますか? そうですか、そうかもしれませんね。どれほどの困難があろうと、信じたいではありませんか。若い力が熱い想いをぶつけようとしているのです。その力が下町を変えていくことを。その情熱に我らも手を貸すことができるなら、私がここにいる意義もある。そして私は信じたいのですよ。人の心の進化を。我々だってまだまだ成長できるということをね」

 晴れやかにベラルは言う。

 その温かい眼差しはステージを駆け巡る少女に向けられるのだった。



      〈第十八話了 十九話へ続く〉

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