第二話

デンタル・ホトケ


 熊葛の数ある歯科医院のひとつ、デンタルクリニック・ホトケ。

 腕利きの歯科医で知られる院長のドクターホトケ・ミロクだが彼には裏の顔があった。

 獅子堂家お抱えのスーパートーチャー。

 それがドクターの世間に知られざる真の正体――。


 戦いに敗れ虜囚となったカワサミ。彼はいま自由を奪われ治療ベッドの上に繋がれていた。

 ドクターは『治療』に備えドリルの針を丹念に磨いている。まさにホトケのような笑顔で。

 反してカワサミの表情は硬い。屈強なニンジャーは置かれた状況をつぶさに分析し、これから我が身に起こることを予感しているのだ。


「レントゲンを撮ったが虫歯があるようだな。歯石もあるし色くすみもひどい。日ごろのケアを怠っているとみえる。ところで優れたビジネスマンは歯を見るという。白さ、歯並び、口臭……。そこから相手の人柄、技量を測る。歯がキレイだと商談の成約率が三割増すという統計((株)皇国データアーカイブ調べ)さえある。つまり歯はビジネスマンの命だということだ」

「フン。つまり、私の歯が悪いから治療してやろうというわけか」

 俺のもったいぶった言い回しにカワサミが苛立ちを見せる。


 これはテクニックだ。


 恐怖はつららから滴る水滴のようちょっとずつ与えていくのが効果的。主導権を握ろうといきなりバケツ一杯ぶっかけるのは素人がやりがちなミステイクといえよう。

 拷問ではこのちょっとずつが相手の心を開かせる最高のエッセンスとなる。もちろんそれは歴戦の戦士であるカワサミも承知のはず。俺も理解したうえでやっている。


 さて、では本題に入るとしよう。


 ベッドの傍らに立ち、威圧をこめてカワサミの顔を見下ろす。

「そんなところだ。これは俺の善意だと思って欲しい。だから俺もアンタの善意に期待する」

「ファハハ。ビジネスマンに善意を期待するとはおめでたい」

「すぐ気が変わる。だが俺の質問に答えればすぐ済む。何が目的で俺を追ってこの国に来た」

「それは勘違いだ。巡業先にたまたまお前がいた。だから挨拶した。それだけのことよ」


「なるほど。だがそれはウソだな。元からターゲットは俺じゃない。獅子堂ミミリだ。お前達は彼女にケンカを売ってかかってくるよう仕向けていた。彼女の家のものを壊したり、リンゴを燃やしたり、彼女の怒りを買うよう立ち回っていた。それが証拠だ。お前らの目的はミミリと戦うことだった。ちがうか」

「フッ、ユニークな推理だ。で、たとえそうだとして我々のメリットはなんだ。獅子姫と戦うことで得られるメリットは?」


「簡単だ。戦闘データだ。お前の仕事はミミリの力を計り、データを取ることだった。それが真の狙い。ということは、依頼した者がいるはず。そうだろう」

 じっとカワサミの目を凝視する。瞳の底から返ってくる光は変わらない。

「俺の雇い主がそれを知りたがっている。獅子堂の武者を怒らせない方がいい。怨敵は地の果てまで追いかけ追いつめるのが彼らの流儀。破滅が待っているぞ」


「忠告感謝する。が、善意で話すわけにはいかんな。守秘義務があるのでな」

「誠実な男だ。まさにサラリーマンの鑑、敬意に値する。なら善意から話したくなるようインセンティブを作ってやろう」

 音もなくベッドから離れ、椅子に腰をおろす。

「ところでだ。歴史に名を馳せた偉大な王も伝説に残る勇猛な武将も歯医者の時だけは赤子のように泣き叫んだという。それは何故か? 当時は麻酔などなかったからだ。今からお前には過去の歴史を追体験してもらう。もし気が変わったら喋るといい。麻酔をしてやろう」

「ふっ……」

 脅しにもならんと鼻で笑うカワサミ。


 だがそれはただの強がり。

 ヤツが歯医者大キライなのはすでに調べがついている!


「ホトケ先生、おねがいします」

「アラー。はーい、はいはい」

 ぴこぴことサンダルを鳴らしてドクターがやってきた。後光が差すような満面ホトケスマイルで挨拶。

「アラー、こんにちはー。よろしくお願いしますー。じゃあね、あまり痛くない遅めのドリルで削っていきますからねー。でも痛かったらガマンせずすぐ手をあげてくださいねー」

 子供みたいにむすりとして口を開けないカワサミ。ドクターの優しさを仇で返す行為だ。じつに大人げない。

 それでもドクターは怒ったりしない。ホトケだから。


「アラー。口をあけてください」

 ぷいっとそっぽを向いて拒否。

「アラー。困ったちゃんねーッ!」

「モガッ!」

 手で強引にゴガッと口を開けてすごい早さで固定具を噛ませる。ホトケだが治療は鬼だ。


「アラー。じゃあ、ドリル入れていきますねー」

「アガ、アガガッー!(やめ、やめろおおおーッ!)」

 治療開始。チュイイーン! ドリルが神経を刺激。たまらず挙手。

「モガガーッ!」

「アラー。大丈夫ぅー? 口をゆすいでくださいねー」

「気が変わったか?」

 カワサミ、無言でノーサイン。

 治療再開。チュイイーン! ドリルが神経を刺激。泣き顔で挙手。

「モガガーッ!」

「アラー。大丈夫ぅー? 口をゆすいでくださいねー」

「喋れば楽になるぞ」

 カワサミ、無言でノーサイン。

 治療再開。チュイイーン! ドリルが神経を刺激。涙目で挙手。

「モガガーッ!」

 ホトケ先生、いったん手を止めるが、

「もうちょっとだからガマンしてくださいねー」

「アガボボボボボーーーーッッ!!」

 チュイイーン! ガリガリガリガリ。


 ホトケの顔もスリーチャンスまで。治療時間はひとり三十分。予約の患者さんも大勢待っている。遅延行為は許されない。

 笑顔の裏で静かに怒り、患者のため心を鬼にしてドリルに全神経を注ぐ。まさに医者の鑑。その気高い職人マインド、見習いたいものだ。


 それから何度も問い質したがカワサミは一向に喋る気配を見せなかった。シャコ貝のように口の硬い男め。俺と根比べしようというのか。


「タフなヤツだ。さすが営業畑の人間、粘りがある。だが俺もかなり粘り強い。何度だって訊こう。削った歯をセラミックで修復し、イヤってなるほど何度でもな……!」

「ひっ、高額な保険対象外の治療を強制的に受けさせるなんて……!」「その上でまた削るとか……」「鬼畜、鬼畜の所業だわっ!」などと歯科助士さんたちの非難の悲鳴が聞こえる。ぐっ、仕事とはいえちょっとツライ……。


 いやいや折れている場合ではない。気を取り直して問いを飛ばす。

「では聞こう。クライアントは誰だ。言えッ!」

 語気を荒げる俺をあざけるよう、カワサミは力なく肩をゆらしせせら笑う。

「ファハハ……。コンプライアンスは守る主義だ。隼よ、お前の頭につまっているのはただのタンパク質とナーブの集合体か? そうでないなら頭にカロリーを詰めて考えることだ。記憶のアーカイブを紐解いて、な」

「……そうだな。その通りだ。では治療を楽しむがいい。

 先生、あとはお願いします」


 ドクター、にっこりホトケスマイルでこころよく承諾。

「アラー。もうすぐ終わりますからねー。ガンバリましょうねー」

「アッ、やめてっ、やめっアガッ、アガボボボボボボーーーーーーッッ!!」


 診察室の扉を閉める。静かにくぐもった絶叫が待合室に流れるアンビエントお琴ソーソングに混じり木霊した。待合室は満席。ここでは日常の風流、気に留める者など誰もいなかった。

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