ハロー・ライオンプリンセス

 連れて来られたのは獅子堂家の所有する邸宅の一つ。

 ツツジいわく『離れ』だそうだが、観光避暑地として名高い熊葛に軒を連ねる別荘にもまったく引けを取らない立派なお屋敷だ。

 案内され、農場かというくらい広い敷地内を歩くこと数分。


 リンゴの木が並び立つ果樹園の隅で、一人の少女が木刀を振り、打ち込みにはげんでいた。


 マゼンタブロンドのツーサイドアップ。エアインテークじみて二股に分かれた前髪。これでもかと大きく結い上げた二つのサイドテールは彼女を象徴するトレードマーク。その形はまるでフリージアの蕾か犬の垂れ耳のよう。

 熊葛の獅子姫、獅子堂ミミリ。メディアで見かけるそのままの姿だ。

 真剣な表情。穏やかで優しい目はまっすぐ険しく、みえない何かを見据えている。木刀を振るたび特大サイドテールが上へ下へぱたぱたと。そんなギャップが愛らしくも勇ましい。

 それに耳を澄ますと何やら口ずさんでいるようで。


「あったまのうえから、つま先まーで、わたしは剣士~♪ 秋津のくにのっ、おさむらいっ☆」


 童謡的なリズムの自作ソングだ。評価とセンスについては……個性的だといっておこう。

「あのー」

 声をかけるも無反応。夢中なあまり聞こえていないご様子。

「主のために、ひと声ワンッ。お国のためにワンワンワンッ。三度吠えりゃかたなっ抜く☆」

「あのー。もしもし――」

「じつは怒るとゲっきコワ、なめたらアカンで獅子姫ちゃーん――ってさっきからなんですか耳元でうるさいですねたたっきりますようるぁあーーッ!?」

「キャーッごめんなさいごめんなさいッ!」

 すごい剣幕で怒鳴られてしまった。どこへいった気弱泣き虫キャラ。さっき小学生にパンツ盗られてた子とほんとに同一人物なのこれ。


 いわく。


【サムライはプライベートを侵されることと恥に関してはから揚げに無断でレモンをかけられることと同じくらい強い嫌悪感を抱く。正直血を見る】と秋津サムライの思想を解説したニットベイ・サンダーソンの名著『アキツ武士道イズム』にある。


 つまり俺は彼女の逆鱗に触れてしまったのだ。中世なら間違いなく斬り捨てゴメン事案、殺されても文句は言えない。

 どんなお沙汰ジャッジメントが口から飛び出すのかと思いブルっていたのだが。

「あ、あなたは! すっ、すいません、大変ご無礼を!」

 謝られてしまった。

「先ほどは危ないところをお助けいただきありがとうございました。あの時は無様に取り乱して申し訳ありません。隼さまは私のラストガーディアンを守ってくださった恩人です」

「ラスト、ガーディアン?」

 秋津のサムライはパンツのことをそう呼ぶのだろうか……?

「ああっ、いえいえこちらの話です。その……事情は聞きました。従姉妹のツツジが失礼を働いてしまったようで。勘違いとはいえ重ね重ね大変申し訳ありません」

「いやいや、とんでもない。職業がらトラブルには慣れていますので色々と。ご心配なく」

 うん、色々と。到着以来トラブルまみれで感覚がマヒしてきちゃったよ。

「そういってもらえると助かります」

 胸元から名刺を取り出し両手をそえて渡す。

「改めましてミミリ姫。今回家庭教師を引き受けて参上した隼レンキです。本日は着任前のご挨拶にうかがった次第で」


 そう。『両手をそえて渡す』。このスタンスが重要だ。


 繰り返して言う。

 ビジネスマンの礼儀作法のルーツは攻防一体を兼ねたニンジャーマーシャルアーツにある。

 古代からの格言、『ビジネスの道はニンジャーに通ずる』だ。

 相手が教養に優れたビジネスマンであるかどうかは名刺交換の所作ひとつでわかる。

 名刺交換。今は忘れ去られ形だけとなった思想。命のやりとりがそこには詰まっている。

 まず会釈して名刺を取り出す動き。これは横薙ぎの名刺スラッシュだ。ただの社交的挨拶だと油断し無防備をさらした愚か者は喉をかっ切られて死ぬ。恐るべきマーダームーブである。

 これではなごやかな商談の場が一転、血の雨シャワーでスゴイことになってしまう。

 そうならないよう対抗するには、お辞儀……!

 お辞儀をして頭を下げる。必殺の名刺スラッシュに対するシンプルだが最強の答えだ。この歴史的事実を知るビジネスマンのお辞儀には無駄がなく、美しい。

 この二つの応酬を終え、名刺交換は次のステップへと突入する。

 相手がお辞儀で名刺スラッシュをかわすほどの腕ならそれを受け止める技量を持っているのは明白。最悪、名刺を奪われ逆に喉をスラッシュされてしまうかもしれない。

 ならばの最適解。

 そうして編み出された対策が『名刺を両手をそえて渡す』である。

 両手で名刺を渡すことで指先にかかる力は二倍。二本の腕で繰り出されることでスラッシュの威力は四倍。そこに常人の一〇万倍相当のニンジャー力が加わり最終的な破壊力は八〇万倍。そこへさらに通常比二十倍のニンジャー速度が乗ることで相手に奪われるリスクは天文学単位万倍激減というわけだ。昔の人は頭がいい。

 そうすれば相手も両手で受けて立つしかない。勝負は拮抗状態となる。下手な動きは死を招くという確証が担保となりお互いニッコリ。晴れて商談に移れるというわけだ。

 力なき者とどうして対等な話し合いができよう。この故事はそれを教えてくれている。

 畢竟、世間のサラリーマンはみな知らずの内このような死地をくぐり抜け厳しい社会をサバイヴしているのである。父親がサラリーマンの方は仕事から帰ってきたお父さまの肩をぽんと叩きわかった風な顔でグッとサムズアップで讃えてあげて欲しい。きっと困惑されるはずだ。

 ちなみに新卒ビジネスマンはここまでくるのに三年の修行を要する。俺も新人のころは朝から晩まで先輩にみっちり名刺交換のスタンスを叩き込まれたものだ。

 刹那に昔のことを思い出し、思わず目頭が熱くなってしまった俺をミミリ姫が不思議そうにみつめているのに気がつき我に返る。

 さて、噂の獅子姫。その腕はいかほどのものか。


(見極めさせてもらう……!)

 サイレント・スタート。サイレント・アクション。サイレント・キル。

 ニンジャー・アサシネイションスキルの基本にして奥義である三つのS。

 予兆さえなく、殺意なく、静かに殺す。

 心にも体にも殺気がなければ悟られることもない。

 日常的な動作のなかに殺技を混ぜる。これぞニンジャーのアサシネイション・ドクトリン。

 挨拶に紛れたこの違和感を読み取れる者はニンジャー以外にそうはいない。いや、世界を見渡してもほぼ皆無に等しい。まさか名刺交換で死ぬなど誰が想像しよう!


(殺すつもりで行く。くらえぇいッッ!

挨殺あいさつ忍法:名刺スラッシュ』!)


 ニンジャーオーラにより鋭利な刃物と化した名刺が少女の白い喉に迫る!

 が。


(はっ……! こ、これは……ッ!!)


 スラッシュに込めた力は吸われるよういなされ、名刺は彼女の両手の中にすっぽり。受け取ったあとも油断せず残心を忘れない。なんという隙の無さ。それにコンパクトにまとまった余計な力の入っていない流麗かつ剛健なお辞儀。凡庸な名刺スラッシュでは攻撃とも思われず彼女の頭上の空気をいたずらにかき回すだけに終わるだろう。


 なんということだ。完全に、無力化されてしまった……。


 殺人技を放たれていとはつゆ知らず、ミミリ姫はニコリと笑みをひとつ。

 さすがは秋津ノ国のサムライ。から揚げレモンで刃傷沙汰になるような殺伐とした世界を生きているだけあってシビアな死生観がスタンスに現れている。尋常ではないクンフーだ。


「み、見事なお手前で……」

 思わず賛美を口にしてしまったが、姫はきょとんと目をパチクリさせ、

「はあ、どうもご丁寧に。ありがとう、ございます……?」

 自分の腕を鼻にかけないばかりかとぼけて見せる器のでかさ。

 獅子堂ミミリ。見込んだ以上の人物のようだ。

「まあ立ち話もなんですし茶の湯でも飲みながらゆっくりとお話ししましょう」

 えっと。こういう場合お侍さん的にはどう返したらいいんだっけ。


「これはどうも、お気遣いかたじけのう……ありません? ございます……?」

 しまった。言い淀んでしまった。ちゃんと予習しておけばよかったと後悔。プレゼン資料の作製や万が一サムライにキレられて刀傷沙汰になった時の対処法とかそんな研究にばかり時間かけてマナーの勉強をおろそかにしていたツケがこれか。うっ、ゲバラするしかない。


「ふふっ」

 そんな俺の様子がおかしかったのだろう。ミミリ姫はにこやかに微笑む。まるで子供の初めてのお使いを見守る母親のよう。胸に去来する新鮮かつ懐かしい気持ち。これが、バブみ……?

 ええいままよ。一時の恥は忍ぶのがニンジャーさ。

「すいません。お武家のかたと話すのは慣れておらず。つい緊張してしまって」

「まあまあ、そう固くなさらず。これから先生として指導して頂くのですから変な気遣いは無用というものです。むしろ私のほうが礼を尽くす立場なんですから。もうざっくりと」


「いやそれはどうも。あっと……。いや。わかったよ、『ミミリ』。こんな感じでいいかな?」

「はい、そんなざっくり感で結構ですよ。その調子で頼みますね、『隼さん』」

「ああ承知した。任せてくれ」

「ふふ、よろしくお願いします。では私宅のほうへご案内しましょう。

 どうぞこちらへ」



 ミミリのあとをついてお庭をてくてく。

 歩いている途中、妙なものが目に入ってしまった。

 山の谷間から突き出るよう聳え立つ巨大な手首のモニュメント、なのかな? 秋津の名峰、フジマンジャロと同等か少々小さい程度の超巨大構造物。

 

 天を掴まんばかりに雄々しくそびえる巨人の手がそこにあった。

 

 前衛的芸術と言われたらはっきりと発言者の正気を疑う。異常が日常に溶け込んでいる風景、常識的とは言いがたい。

 構造体の表面は石灰質じみており霜焼けた皮膚のようささくれて乾ききっている。ここから肉眼で見てもわかるほどのドライスキンっぷり。引っ掻いただけでぼろぼろと剥がれ落ちそうな感じだが、来る前にパラパラとチラ見した熊葛観光ガイドブックには、【体積と比較して密度が低いにも関わらず、ダイヤはもとよりタングステンより超硬いこの世の理解を超えるナゾな物質なのだ。スゲェ】と写真付きで解説されていた。


 なんであんなものが、と誰もが思うはずだろう。


 かつて戦いがあった。


 宇宙を人を殺す魔法の黒の海で満たした元凶、星々を呑み、喰らう脅威――神代のころ星々に封じられたという〈フォールイン〉と呼ばれる古の怪物と、人類のあいだで起こった長い長い戦い。のちに<対フ戦争>と呼ばれる三百年にわたり続いた暗黒の時代だ。

 その歴史にピリオドを打った立役者の一人が、


「ミミリなのよー、アレ。やったの」


 景観に目を奪われていたところツツジが話しかけてきた。

「ん、アレって? なにが」

「なにがって、いま見てたでしょ。<アド・ラーズの手>」

「ああ」

「アレの持ち主を倒したの、ミミリがね。アイツに防衛線突破されて地上に降りちゃう、もうダメだーってところであの子が超スピードで追いついて、ズバーッ、どかーんって。ね?」

「はい。ぶったぎってやりましたよ。ず、図体だけでたいしたことない奴でしたね」


 言ってミミリは得意気に鼻を鳴らす。ふんす。

 なんと、手だけであのスケールならその本体は想像を絶するスケールだったはず。そんな化け物をザコ扱いとは。さすがは獅子姫、猛者すぎる。


「おかげで翡翠峠にクレーターできちゃったけどねー」

「ですねー。け、けど町の観光名所が一つ増えてもうけな怪我の功名なのでノープレですっ」

 何を隠そう彼女こそがこの星に飛来してきた最後のフォールインを討ち果たし、三百年に渡る戦いに決着をつけた張本人なのだった。


 ミミリがフォールイン討滅を目的とする組織、<勇征軍>に参加したのが三年前、十四になったばかりのとき。彼女は二年のあいだフォールインと戦う力を持つ勇士(セーバ)として活躍していた。(ちなみに<勇征軍>はフォールイン討滅のため結成された民間有志の義勇軍だ)。


 最後の戦いのときにはすでに誕生日を迎えていたので十六歳。

 あれから一年。

 星を救った英雄もはや十七歳になろうとしている。秋津ノ国では立派な成人だ。

 彼女も武家のはしくれ。そうなると持ち上がってくる。


 家督を継ぐという話が。


「あのう、ところで隼さん……」

 先を行くミミリが振り返り、おずおずと口を開いた。

「ん、どうしたの?」

「すいません、ちょっとぉ……その……」

「?」

「……迷っちゃったみたいで。えへへ……」


 はぁ……とツツジが額に手を当てていた。

 広くて無理も無いけど。ご自宅の庭で迷子になるとか、大丈夫かな?


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