侍アンティーク喫茶ささらの薔薇姫特製(略)さみつマンゴーカレー:ベヒもん極限ハンティングエディション・三皿目①(販売開始編)


「だーぎゃっぎゃっぎゃ! ざまーみたか、サムライどもめー。罪もないベヒもんを襲ったパニッシュメントだっぺよー」

 ファミリアドローンを通して狩りの始終を見ていたメイカは勝利の高笑い。ドクペのボトルを掴んでゴクゴク。杏仁豆腐にカフェインを混ぜたようなこの味がたまらない。秋津サムライは嫌いだがドクター・ペイル(略してドクペ)を生み出した秋津ドカ・コーラは神だ。


「ぷっはー。うーん、マズイ!」

 戦いに勝ったあと口に苦いものを食す。魔法使い流、運を呼び込むモージョーだ。戦いは時の運。いざというとき運が尽きていてはピンチを凌げない。


「これでしばらく連中の目はベヒもんに釘付け。その隙に……。ぎゃひひ」

 ベヒもんの対処に追われているあいだ人員はそこに集中する。博物館に入ったコソドロに構うどころではないはず。デビルバスターのマークを外すにはもう一工夫必要だが。


「しっかし想定以上の強さになったなあ。ちっといじっただけなのに数世代であそこまでになるとはよー。こりゃ今後も要研究だぎゃ」

 ルンルンと魔法のタブレットにペンを走らせる。


 そこでガサゴソと道路脇の植え込みからもの音が。

 野生動物かと身構えたが、現れたのは這うように歩く傷だらけの子犬だった。

 体毛は土埃ですすけ、あちこち血が浮いている。ふらつく足でそれでも歩こうと力を振り絞る子犬だったが、メイカの前でとうとうぷつんと糸が切れたよう倒れ伏した。

「ぎゃっ、大丈夫か! ひっでえ、かわいそうによー。すーぐ手当してやっからなー」

 メイカはそのラブラドール・レトリバーの子犬を拾い上げ、すっと魔法のスタイラスペンを振りかざし――。


           ※


 五月中旬。


「「「ジャストフィーット!」」」

「うめえええーー! 肉うめえよおおおおーーーー!」

 野性の本能たぎる、理性吹き飛ぶ美味さに大絶叫。


『喫茶ささら』の期間限定メニュー、『薔薇姫特製三牧がみかみかみリンゴご飯がごまんとみゃんじょくミキャくぬ、くぬぬっ……!?』……失礼。とにかく『薔薇姫特製(中略)カレー:ベヒもん極限ハンティングエディション』は好調な滑り出しで『ささら』は全店大繁盛、お客様からは大好評。スタッフも給料アップでほっこり。町も大賑わい。みんな笑顔の三方良しで熊葛はホクホクであった。


 製品版のカレーは動物に変身しないよう改良されている。変身しても獣人止まり。辛さも、

【一ケモ(少しケモい)】【ニケモ(なかなかケモい)】【三ケモ(めっちゃケモい)】

の三つから選べる。獣人に変身できるカレーだと話題沸騰中だ。


 あれから数日。ミミリは行方不明のまま。首輪につけたはずのGPS発信器は反応を返さない。恐らく壊れてしまったのだろう。今は彼女の無事を祈るしかない。

 あのベヒもんベビー改め、『ベヒもんR』と認定された個体は手に負えず放置……もとい監視状態にある。どんな攻撃も寄せ付けないばかりか、無力化したとたん強烈な魔法を放ってくるので刺激するほうが却って危険だと判断されたせいだ。

 傍らにそんな脅威を置いたまま熊葛には平和な時が流れている。



「ふぅー。疲れた」

 休憩がてらささら一号店へ。

 ミミリの捜索は獅子堂家の人たちがやってくれている。が、俺も家庭教師という立場上、彼女を放っては置けない。空いた時間を使って足で探し回っているというわけだ。まあ成果は上がっていないのだけれど。


 やってきたメイドさんに注文を頼む。軽く腹に入れて捜査再開だ。

 水を煽りながら料理を待っていると、意外すぎる人物が店の暖簾をくぐってきた。

「えっ……? おっ、オ、オロシッさ、どっ、お……おぉーーん!?」

「死んだはずだって?」

 目を丸くしたままぷいぷいとうなずく。


 状況を飲み込めず混乱している俺をなだめるよう、オロシはふっと笑みを浮かべ、

「諦めない心がある限り、ハンターは何度でも甦るのさ!」

 そんなことを言ってのけた。


 無理があるだろ。思い切り首バッキリ折れてセンシティブなことになってたのに。どういうことなんだよこれ……。


「こら、テキトーなことをいうんじゃない。驚いていらっしゃるだろう」

 息子の頭をぽかりと小突き、あらわれたサバキ氏は困り顔でスマイル。

「ウチの愚息が失礼をミスター隼。まぁ、極秘事項で詳しくは言えないんですが。ま、ハンターの『在り方』っていうか、そんな感じのアレでしてね。はっはっはっ」

「はあ。な、なるほど……」


 不敵に笑うサバキ氏だったが、響きの奥に踏み込むなという圧を感じた。企業秘密に触れるのは非常に失礼。弁えるのが社会人のマナーであろう。

 早朝から狩りに出たようで、「今日は大物を仕留めたんですよ」と狩王親子はホクホク顔。今夜は近場の親戚と知人を呼んでホーム・スシパーティーを開くそうだ。


 ともあれ。

 初めてというのは適度を学ぶ機会である。誰しも二度目は要領良くやろうと考えるはず。


 常識が通用するならば。


 注文のときドリンクを頼んだら一緒にモーニングが付きますとメイドさんに言われ訳が分からずはいと返事したらドデカいトーストとウィンナーとオムレツが乗ったモーニングプレートにボウル山盛りのサラダがアイスコーヒーと一緒にやってきて、これまたメインで頼んだカツサンドの暴力的なボリュームに「のぼりにあった『己を試す』とはこういうことか……ッ!」と絶望の涙を流しながら腹に押し込んでいると視察で店を訪れていたペシェリが挨拶しにやってきた。


 とりあえず彼女に、「この店のサービス、考え直したほうがよくない?」と料理と格闘しながらもの申すも、「これがウチのウリなんですよ?」と返されてぐうの音も出なかった。


 周囲のペシェリ信者に嫉妬を孕んだ目で睨まれる針のむしろのなか、近況についてやりとりしたあと少女社長は視線を窓の外に投げ、

「しかし最近増えましたね」

「繁盛して結構じゃないか」

 すんとすまして、俺にドス黒い念のこもった熱い視線を注ぐ常連連中をちらりと見やる。

「いえ、そちらではなく」

「ああ。分かってる」


 パリっとしたスーツ姿の男女がぞろぞろ。商店街を見渡し、道すがらタブレット片手にああだこうだと話している。

「観光客って感じじゃないな」

「視察の商社マンでしょうか。商工会で外資の出店が何件かあると報告がありましたから」

「ふうん。ライバルが増えるな」

「ふふ、切磋琢磨できる仲間が増えて大歓迎ですわ。こちらも勉強になります。まあ、向かってくるならお相手するまでですが」


 微笑んではいるが容赦はしないという凄みを感じる。商売で勝ち残るのは時流を読み凡事徹底を尽くした者だけ。経済戦を明確に戦と認識しているのだ。


 そう、人は戦争でも死ぬが経済でも死ぬ。負けて奪われ、貧困に落ち、最後は……。血を流すかそうでないかの違いだが間違いなく人は死ぬ。金は合法的に他人の生殺与奪を握れる『力』、人を殺せる立派な武器だ。

 身に覚えがあるほどありすぎる。あんな思いは、もう……。


 それはそうとして。以前から頭にあったことをこの場で聞いておきたかった。

「疑問なんだけど、なんで武家の方が商売まで? 秋津ではそれが普通なのか」

「仰るとおり昔は軍事を担うのが武家のお役目でした。しかし近世に入りフォールインの駆逐が進み、地上への襲来も十数年に数えるほどになったのはご存知のはず。日常的な災禍が時たま来る自然災害ほどに減った。おかげで人類は晴れて『内輪もめ』に集中できるように。それを土台に力をつけた連邦が経済攻勢を強めてきたのが原因です。これからは武より金が力となる。その兆しを感じて時の幕府はビジネスへ注力するようになったわけです。経済は国防を支える柱であるから武家が率先して取り組むのは当然であると」


「身分制度の社会じゃ貴族はそういうのに反発するもんだろ。格下の仕事なんて、って」

「前にも言った通り、我が国を狙う魔の者はあらゆる手で攻めてくる。それこそ国をたぶらかしてけしかけもくるのです。だから最悪を想定し常備にてあたる。全ては龍皇陛下と民を護るため。秋津のサムライはそれを第一に優先します。見栄など二の次、三の次です」


「なるほど。だから方針転換が上手くいったと」

「ええ。とはいうものの我が国は連邦の後塵を拝するばかり。主流の産業・サービスはリアルもネットも連邦の寡占状態。四半世紀前に技術力で優れる西方の島国、<ザハン五島邦国>を編入してからは技術とクオリティでリードしていた我が国も押され気味で。近年ではザハンの安いうえ高品質な製品に内外ともシェアを奪われつつ……といった具合ですね」


「ザハン……。確かに、あの国のモノはいいな」

「隼さま?」

「いや。まあ、二位の座も危ういってわけだ」

 内に湧いた雑念を打ち消すよう、から笑いでそう返した。

 因縁というものは影から這い出てきて静かに足を掴む。忘れようとしても忘れられないものらしい。


「ペシェリ様、ペシェリ様はおられますかー!」

 がちゃんと勢いよくドアを開け放ち、店に転がり込んできたのはまたしても宝良木氏だった。

「ここに。また騒々しい。新手のベヒもんでも現れたのですか?」

「それ以上に大変なことです。こちらをご覧下さい」

 端末の画面を上にスワイプして3Dホロ表示に切り替える。

 画像が展開。三人でむむむと宙に浮いたニュース記事をにらむ。



【動物愛護団体、秋津ノ国の魔獣狩りに抗議。<オーディリア南洋連合>の動物愛護団体<ブルー・フレンドリー>は、秋津国内の過激な魔獣狩りに対しHP上に抗議文を掲載した】



「何かと思えば。この手のクレームはよくあることでしょう。正直些末なことです」

 拍子抜けとばかりにペシェリ。


 南洋連合は南国の東南アーシア諸島群とオーディリア大陸の国々を一括りにした連合国家。そこに本拠を構える<ブルー・フレンドリー>は『国家に与しない中立のNPO』を名乗る一方、裏では一部の連合議員から支援を受けているのは公然の秘密と化している。


 つまりこれは遠回しな南洋連合のいちゃもん。秋津から何かしらの譲歩を引き出すための。

 しかし幕府としてはいち民間団体の偏狭な意見だと一笑に伏し、毅然と撥ねのければそれで終わり。数日話題になるだけで立ち消える程度の問題だ。


「はっ、いえ。これ自体は大した事ではありません。

 併せて大事なのはこちらでして」

 宝良木はさらに記事を出してみせる。



【<バーナ合衆連邦>、六月から肉輸出に新規制と緩和を協定委員会に打診。畜産肉以外の食肉の流通・海外取引を行っている輸入国への牛・ブタ・トリ三品の関税を取引量に応じて一トンあたりから増減額する。ジビエ・魔獣などで肉需要を賄っている国には値上げとなるが抑えれば値下げとなる。期間は来年一月までを予定。連邦としては健康食ブームで肉余りとなった状況を解消し、売り込みたい狙いだ】



 俺は宝良木氏に目配せして、

「要約すると?」

「つまるところ、『牛・ブタ・トリ以外の肉をたくさん売り買いしている国には肉の値段上げマース。だって間に合ってるんデショ? でも減らせば値下げしますヨ、お買い得デース。実質期間限定セールデース。ヤスイヨ、買った買った!』ということですな」


 だん、とテーブルを叩く音にびくり。

 何ごとかと振り返ると、ペシェリが苦さをこらえた顔でぎりと歯噛みしていた。


「やられた。これは挟撃作戦だわ」


                 ※


「ほーれミミちゃん、『じゅーる』だっぺよー」

 差し出されたスティックにかぶりついてじゅーるじゅる。犬まっしぐらなほどよい塩気が大人気のペットフード『ハオじゅーる』。高貴な生まれのお姫様ワンコだってじゅるじゅる吸い付く満点のおいしさだ。


 黄毛の子犬はあっという間に完食して舌ペロリ。

「おほー、いい食べっぷりだなー。もう一本くうかー?」

 プイと顔を背けてノーセンキュー。

「え、おやつの取り過ぎは体によくない? おおー、最近のワンコはしっかりしてんなー」


 怪我を治したあと垂れた耳がキュートだからミミラと呼ぼうと提案したらセンスを疑うような目で「怪獣みたいでイヤです」と難色を示したので無難なところでミミと呼ぶことにしたこのラブラドール・レトリバーの利口なこと。遠慮のしかたもなかなか奥ゆかしいではないか。

 メイカはこの子犬に興味が湧いた。

 魔法使いは動物と言葉を交わすことができる。対象の目を覗くことで精神を繋ぎ、心の表層を読み取ってふんわり翻訳する程度だがそれっぽく会話は成り立つ。


 子犬はくるくるとその場を回ってにこり。

「ごちそうさまでした。改めてありがとうございます。助けてもらったうえにお食事まで」

「礼には及ばねえよー。ところで首輪してるってことは飼い犬だろ。どっから来たんだ」

 ミミことミミリは顔を向けて熊葛町のほうを差し、

「あっちです」


「結構離れてるじゃねえか。なんでこんな町境に来てんだ。迷子か」

「むっ、迷子になるほど方向音痴じゃ……いや、まぁそうなんですけど。

 じゃなくて。実は」


 ベヒもんが現れたこと、狩りについていったらそのベヒもんが出した竜巻に巻き込まれたこと。子犬の少女が語った事の顛末を聞いてメイカは後ろめたさを覚えたが真実を言うわけにもいかず、労いの表情を取り繕うので精一杯だった。


「そりゃあ、エライ目に遭ったなあ、お連れの皆さんも。怖かったろう」

「いえ大丈夫、へっちゃらです。で、でも今度バトルするときはこうはいきません。新しく編み出した対魔獣奥義の餌食にしたりますよ」

 息巻いてがおがおふんふん。


「ぎゃぎゃー。勇ましいなー。さっすが秋津のワンコだべ」

 背中をさすってよーしよし。ひょいと抱き上げ、

「しかしおめえ……」


 メイカは胡乱げに子犬の瞳をまんじりと見つめる。


「育ちがいいんだなー。もしかして名家のお姫様なんかー」

 子犬はきょとんと小首を傾げて目をぱちくり。するとジタバタしだして、


「ああっ、背中がかゆいでちゅー」と地面をごろごろ。そこにひらひらと舞ってきた蝶に向かって前脚をはしはし、「わっ、パタパタさんだー!」とエキサイトして大ジャンプ。


「はっ。んなわきゃねえかー」

 カラカラと笑うメイカを背に、ミミリはふすぅとため息をつくのだった。



(ふう、危ない。『犬の知能は人の三歳児相当といいます。頭に三歳児をインストールして演技するのです。三歳児インストォォールです!』とペシェに言われたけど。案外難しいもんですね)

『ささら』を出る前ツツジにライブチャットで相談したらゲラゲラ爆笑されて、「むしろいつも通りで大丈夫でしょ」などと言われたがそれは自分の精神年齢が三歳相当だとでもいうのだろうか。めっちゃ失敬すぎるあのギャル子。弟ともどもリンゴを付け合わせにリンゴを食すリンゴフルコースパーティーにご招待してやりましょうか。


(まあ、しかし……)

 大怪我を負い、更に迷子になるという二重の窮地を救ってくれたメイカという少女。

(この人、たぶん魔女……ですよね。ペンからめっちゃキラキラ光出してたし、黒いし、ウィッチ帽でネコ耳だし。観光で来たって言ってたけど、町で人が変身する事件が起きるようになったのってついここ最近なんですよねえ。ペシェも被害にあったそうだし。――あっ、もしかしてデビルバスターが動いてるのって……)


 なら魔女であるメイカに正体がばれたら大事になる。秋津のサムライと魔法使いは水と油。決して相容れず混じり合うことなどない。


 四百年前の神州崩壊戦役以来、サムライは魔法使いを特別危険視、警戒するようになった。かねてより異界からやってきては実験と称して魔法で市井を騒がす連中ではあったがそれは極一部の無法者だけで、魔法使いの多くとは交易もしていたし、豊富な知識を頼みに貴族の家庭や学校に教師として招聘される者もいた。良好な関係を築いていたのだ。


 しかし魔人ビルダ・デストラクタが暴虐を極めた戦役以降、魔法使いとの蜜月は終わる。

 数奇にも龍皇陛下の御髪を手に入れたビルダにあやかろうと、我も我もと野心に目覚めた魔法使いが大勢現れ、彼の魔人と共同戦線を張ったのだ。そうでなければ戦乱期にあって軍略に長じた当時の勇将らが秋津の全てを瓦礫の荒廃と化す無様を晒すわけがない。


 サムライの魔法使いへの信用は地に落ちた。悪人も善人も問わず全ての魔法使いは秋津ノ国を脅かす潜在敵と見なされるようになった。怪しきは罰せよと各地で無辜の魔法使いの血が流され、清流せせらぐ川が底の隅一辺いたるまで緋色に染まったという。

 後の天魔討払方てんまうちはらいかた衆なるデビルバスターの発足。幕府の許可なく国内に立ち入った魔法使いは即抹殺すべしという令が今なお効力を保っているのが彼らに対する不信と恐怖の証だろう。


 以来サムライは魔法使いを殺し、魔法使いもサムライを殺してきた。サムライと魔法使いの間に和解などあり得ない。向こうもそう思っているはず。

 絶対に見破られてはいけない。結末は火を見るより明らかだ。


(でも、この状況を利用しない手はないですよね。この姿なら怪しまれず彼女を監視できるし。もしも悪事を企んでいるようなら『符号』で通報すれば――)

 チラッとメイカに目配せすると彼女はニコリ。傷ついた犬を介抱するあたり優しい人なのだろう。悪人とは思えないが……。


「エクストリームトラベラー・ネメワカのエクストリームチャレンジ!」

 元気はつらつな大声にビックリ。

 道路脇で端末片手に撮影をしている外国人らしき男が一人。過激なことをしてネットで衆目を集める過激系ドゥーチューバーだ。


「今日はこのローラーブレードでエクスリームしたいと思いまーす。なんとローブレでこの急な下り坂を超スピードで降りて、なんとドリフトしちゃいまっす! でも普通にやったらエクストリーム味に欠けるんで、これを使いまーす!」


 じゃじゃんと言って取り出したのはワックスの缶。

 路面がツルツルピカピカに輝いている。あれはスタンス呪力によって触れた物体を超加速させたうえ強制的に滑らせるEXスリップワックスD。超重量級のトレーラートラックだろうとユーロビートが聞こえてきそうな疾走感あるキレキレのドリフトをかませてしまう。


 オイルが塗られた道は山肌でカーブの向こうが見えないうえ、急なカーブになっている。事情を知らない他の車がやってきたら大事故は必至。ガードレールを突き破ってゴートゥースカイ待ったなし!


 あれは施設以外での使用は禁止されている。そんなワックスを公道で使うなんて。

 サムライが目を光らせる秋津ノ国で、しかも私の前で違法行為を働こうとはいい度胸だ。公共心とリスクリターンの計算を教育せねばなるまい。


「もちろん許可は取ってありますのでご安心ください」

 なーんだ。合法なら是非もなし。咎めることもない。

 いよいよ滑り出そうとする男をあくびしながら眺めていると、


「なっ……なっ……」

 メイカがわなわなと口を震わせ。


「なんつー大それたセンシティブなことを……ッ。子供が見てマネしたらどうすんだべー!」


 血管ビキビキで目ん玉くわり。突然の豹変にドッキリ。一体何が彼女の逆鱗に触れたのか!?

 スタイラスペンを振りかざし横薙ぎ一閃。魔法が発動。

 どろんと煙が上がってワックスで輝いていた路面が超強力トリモチに変身。スタートを切っていた男はブレーキも間に合わずトリモチゾーンに突入。粘着床にへばりついた靴から勢いのまま足がすっぽ抜け、ロケットみたいにぽーんと飛んでトリモチにべったんこ。

 直後、反対車線からトラックが! キケンを回避、間一髪!


「ふぅ、あぶねえ。また世界を救っちまったべ」

 後日判ったことだがあのトラックには秋津の外交上、世界の命運を左右する重要な品が載せられていたらしい。が、今回の件とは全く関係ない。


 その後も――。


 少年誌グラビアの撮影現場で。


「ぬおーっ、セクシャル過ぎっぺよ! 無垢な少年たちがドッキュンして勉学に集中できんじゃろがい! 思春期の人格形成に悪影響なのでセンシティブ!」

 ペンをタッチ。ドッキュン水着姿のセクシーアイドルタレントがたちまちモリモリマッチョのスモー・グラディエイターに大変身。


 河原でバーベキューしたあとゴミをそのままにして帰ろうとする若者たちに。


「まともにゴミ捨てもできないんかいこのサルゥ! 割れ窓理論しらんのか! 観光地の景観を著しく損なう行為なのでセンシティブ。心を入れ替えんしゃい!」

「「「あぴょーっ!?」」」

 ペンから迸った電撃が若者たちの頭に命中。虚ろな目でゴミを口に頬張りだした。

 くずはくずかごに。みんなで守ろう、街の風紀と自然環境。


 川で二人の兄弟が。


「で、検索しちゃいけないアレコレを磨りつぶして混ぜて作ったこの粉を川に流すとあら不思議。プカーっとイワナがめっさ浮いてくるんじゃー」

「うへえ、大漁でねえかー。もしかしてこれ……[センシティブな表現です。ブロックされました]……じゃねえか?」

「いんやちげえちげえ……[センシティブな表現です。ブロックされました]……だあ。危ねえからぜったい検索しちゃいけねえぞー」

「ほへー、わかったでよー。まあ、とにかくこれで大金持ちだなぁ」

「うしし。んだー。山の手にイワナ御殿おっ建てんべよー。んだば、さっそく――」

「センシティブというか水産資源破壊なのでやめなされーーッ!」

 ペンをタッチ。

「「あぴょーっ!?」」

 突如現れた巨大イワナに大仰天、兄弟二人は行方不明に。


 ……といった調子で行く先々で世直し(?)をしていった。


 何が彼女をこうも駆り立てるのか。執念以上の何かを感じる。嫌悪と怒りだけでこうまではしない。『観の目』にて相手を俯瞰する剣士としての直感がそう告げていた。


「メイカさんはどうしてセンシティブなことをダメーってするんですか?」

「やっぱ気になっちまうよな。あんだけムキになってやっちまうと」

「踏み込むのも失礼かと思ったのですが。でも正義に反するとか、嫌いだからとか、そんな理由でしているとは思えなくて。もっとなんというか……」

「恐怖、だろ」

「ええ」

「はっ、見抜かれちまうとはよ。ミミちゃんはやっぱ賢いなー。

 まあ、そうだべなー」


 メイカはすんと宙を仰ぎ、

「おめえさんになら話してもいいか」


 遠い昔を懐かしむよう、それでいて寂しげに語り出した。


「オラ達の一族はよ、使。一族を従える主の命令で世界じゅうを回ってモノを創り、モノの創りかたを知らねえヒトに知識を教えてたりもしてた。モノを創る楽しさを知って嬉しそうにするヒトたちを見るのが好きだったし、それがオラ達の幸せだった。人はモノを創ることで世界を豊かにし、刺激を受け、新しい創造のバネにする。そうして世界は色んなモノで溢れていった。でもよ――」


 目を通してヴィジョンが流れ込んでくる。


 無から光が生まれ、暗黒しかなかった世界に点々と光が灯り輝きで満ちていく。温かな鼓動が生む営みの声も。だが徐々に光は虫食いにあったようぽつりぽつりと消えていき、そこにあった温もりも冷え行きやがて宇宙の闇に溶けていった。最後に残ったのは無尽の静寂と己の存在さえ見失う黒洞々だけで――。


「創造と破壊は表裏一体。創ったモノはいつかは壊れる。世界もおんなじじゃ。どいつも最後は自分らが生み出したモノで自分の世界を壊しちまう。そんなのをいくつも見てきたんよ」

「力の使い方を誤ってしまったんですね」


「んだ。刺激は創造の素だんけど諸刃も生んじまう。オラがセンシティブなものを咎める理由じゃ。扱う奴が善人ならいいけんども全員がそうじゃねえ。主はそれがヒトのサガだと言ったが、それをなんとかしたいと思うのもまたヒトのサガじゃろ。一族の一部は考えの違いから主のもとを去り、創造の力が破壊を招かないよう抑止する組織を作った。オラはその創立者の子孫の直弟子なんじゃよ」

 ふっとメイカは自虐的に嗤い、


「けどそのお師さんもとうの昔に死んじまった。お師さんの意志を引き継いで一緒にやってきた姉弟子も、力を貸してくれてた同業の仲間もみんなもな。ヤマをしくじった責任を全部オラたちのせいにしてよ。へっ、今じゃ業界の爪弾きもんよ」

 消え入るよう言い、俯いた。


 ふとしたことでぽっきり折れそうな心を使命感でなんとか保ち奮い立たせている。ともすれば心に入ったひびが何が切っ掛けでひび割れ砕け散るか分からない。

 彼女に必要なのはきっと――。


 無言でメイカに寄り添う。


「ありがとよ。慰めてくれんだな」

 頭を撫でてホロタブレットを出す。画面をタッチ、映し出されたのはとなり町にある<マザマ・レガシーミュージアム>のホームページ。トップページのコンテンツには『神州崩壊戦役四百周年特集』が。展示品のなかでも一層大きくピックアップされているのは、<瓦礫の魔人>が遺したとされる魔法具、<さいのトンカチ>。


「崖っぷちだけど諦めたわけじゃねえ。計画を完成させる最後のワンピースはすぐそこにある。そうすりゃ世界は悲しみとはおさらばじゃ。カモン、ブランニューワールドってもんよ」


 ちょっとそれって。

「えっ、もしかして盗むんですか?」


「ちっと拝借するだけじゃ。そっくりの偽物とすり替えてな。それに元はオラたちのもんだ。自由にする権利はあるっぺよ。用が終わったらちゃんと返すきぃ、安心し」

「ええっ、本物とそっくりな偽物を作れるんなら本物を盗む必要なくないですか?」

「ん、え?」

 どゆこと? とメイカは渋い目でぱちくり。


「だって本物そっくりってことは、その偽物は本物と同じ性質を持ってるってことになりますよね。じゃあ本物と同じだってことじゃないですか」

「お、おお……確かに。なら本物を盗む必要はねえってことだな。この本物と同じ偽物でじゅうぶんだもんな。はー、オラってばすげえなー。偽物作って本物作っちまったかー」


「そうですよー。メイカさんすごいんですからー」

「そっかー。オラすげえもんなー」

 あはははは。


「って、バッキャロー! んなワケねえーっぺよ! ニセモンはニセモンだろうがよ! 変なこと言ってよこのワンコ、危うく納得するとこだったじゃねえか!」

 ありったけの叫びを上げてメイカはぜえぜえ。

「まったく、せっかくいい話になってたのに……。とにかく、カドが立たねえようちゃんと返すから。な、ええだろ?」

「うーん。はい。まあ、ええです」


 思わず了解しちゃったけど、やっぱり悪いことはダメだと思います。

 それに魔法使いを見過ごしてたなんてばれたら幕府に責を問われるのは確実。将軍家に古来より仕える直参八家の大大名――<千龍八大公>の一家に数えられる獅子堂家ですら重罰はまぬがれない。上様は割と放任主義で関知しない事柄は気に留めない方だが、目についた場合はその限りではない。死ぬよりもヤバイ罰が下る。


 本音を言うとメイカさんは恩人だし、やることは応援したい。盗みに関してはそれはそれ、これはこれだが。しかし知らんぷりすればのちのち面倒になる。

 さて、どう立ち回ったものか。ううむ……。


 ぐきゅうううー。

「うー。オラも腹減っちまったでよ」

 腹の虫が鳴ったのを気恥ずかしそうにして、メイカは弁当が入ったレジ袋を取り出した。公園の椅子にランチョンマットを広げてルンルン気分。


 ところで余談だがこの辺りはワシが出る。


「ミミちゃんにメシやってたらすっかり忘れちまったでよ。では、いただきま――」


 ワシは精確な動きで獲物を仕留める優秀なハンターだ。その秘密は驚異的な視力にある。なんと千メートル先にいる獲物の動きを捉えるうえ、三原色に加えて紫外線も見える。その高い眼の性能で対象のこと細かい模様まではっきり判るという。


 鮮明に映るワシの目には美味しく見えたのかもしれない。


 メイカがお茶の用意をした隙をついて、さっと音もなくレジ袋をゲット。


「あっ! ちょっ、オラの昼飯! 待ってー!」

 叫ぶ間にワシは点となって山の向こうへ飛び去っていった。

 ぐきゅうううー。

 腹が減って追いかける気力もない。メイカは何か食べるものはないかとポーチを探り。


『ハオじゅーる』があった。


 素振りで「いる?」と勧められたが首を振ってノーセンキュー。

 人としてどうかと思うが背に腹はかえられない。

「ぐううううっ……。この塩の味、墓の底まで忘れんべよおおお……!」

 涙を流しながらスティックをかじってじゅーるじゅる。

 ほどよい塩気がたまらない。たまらない。

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