侍アンティーク喫茶ささらの薔薇姫特製(略)さらみつマンゴーカレー:ベヒもん極限ハンティングエディション・三皿目②(炎上&ピクニック編)

 情報化社会とは恐ろしいものだ。


【ベヒもんを殺すなんてカワイソウ】

【魔獣だって生きているのにザンコク! 山に返せばいいのに】

【秋津人は野蛮な中世的価値観で狩りを楽しんでいる。血に飢えたワンちゃんだ】


 ニュースがSNSで拡散された途端、小一時間もしないうちにトレンドは秋津の魔獣狩りの是非を問う話題で溢れかえった。

 正義感から怒る人、便乗して騒ぎたいだけの人、擁護する意見に噛みつく人、思惑は様々だが確実に火は付いている。プチ炎上だ。ちなみに秋津人をワンちゃん呼ばわりしたアカウントはサムライに身元を特定されひっそりと社会的に抹殺された。インターネット無礼打ちだ。


 サムライたちは端末の画面をスライドさせながらビキビキと青筋を立て、

「ぐぬうぅー、ベヒもんの恐ろしさも知らず勝手なことを」

「そんなにかわいそうって言うなら引き取ってもらうのはどうじゃ」

「それはええのう! 隕石落とされて同じセリフが吐けるんか見物じゃのう」

「肉うううーー!」


 ガハハハハ!


 なんて息巻いていたが。


「しかし、いまいち調子がアガらん……」

「ブタや牛だけじゃあな。

 味は文句ないんだがやっぱ魔獣の肉を食わんと力が出んのう……」

「肉うぅ……」


 連邦の新ルールに乗っかってか、世論のバッシングを恐れてか。各国はすぐさま魔獣肉の取り扱いと輸出削減を決定。魔獣肉の七割を海外からの輸入に頼っている秋津ノ国にとってこれは大問題であった。


「お上から制限のお達しもでるしのう……」

「備蓄にも限りがある仕方あるまい。大事のときにとっておけと。<薔薇姫特製(中略)カレー:ベヒもん極限ハンティングエディション>も一日三十皿限定になってしまったからな」

「肉うう~……」


 秋津サムライの強さの秘密はその超人的なフィジカルか、またはトレーニング法か?


 いや、体に取り込んだものを力とする大狼のその性質にこそある。


 芳醇な魔力を蓄えた魔獣の肉はサムライたちをパワーアップさせるエナジーフードだ。魔獣肉の主な消費者層はサムライなどの武士階級。そのシェアは秋津国内の食肉需要のなんと三十パーセントを占める。

 秋津国内の供給量ではとても彼らの旺盛な需要を賄いきれない。わずか数日でサムライたちのパワーダウンは必至であった。


 モノと情報で秋津の力を削ぐ。ペシェリが挟撃作戦と言ったのもうなずける。


「魔力こってりジューシーな魔獣の肉が恋しいのう……」

「ハングリー、ハングリーじゃあ」

「肉うううっ!」

 駄々こねてジタバタ。ひとしきり騒いで愚痴をこぼすと、常連のサムライたちは力無くぐったり。巌のように引き締まった体が心なしかしぼんで小さく見える。


「魔獣を狩ってはいかんということはハンターの仕事もなくなってしまうのう」

「狩王殿は年末までビッシリだった依頼が全部キャンセルになったそうじゃ」

「親子揃ってやつれた顔して、『これはもうマグロ釣りにでも行きますかな。ハハハ……』などと言っておったが」

「肉うう~~~~(涙)」



 それからも連日、海外のニュースやワイドショーでは魔獣に関するトピックが取り沙汰された。というより内容は魔獣擁護キャンペーンと秋津に対するバッシングだ。


 魔獣は害獣となる野生動物を食べる面もあるので益獣だとか、栄養の面で家畜肉に劣るうえ含まれる魔力が人体には悪影響なので食用には適しないとか、もとは異界の生物でもこの世界で生きている以上は生存の権利を保護されるべき地球の仲間だとか、メディアでは魔獣を狩るのはよくないといった主張がなされ、実情を知らない人々はすんなりと感化され取り込まれていった。


 決定打となったのは秋津人によるベヒもん狩りの一場面を切り取った写真のスライドショー。仕留めたベヒもんの前でライフルを担いで佇むハンターたちの写真、首のないベヒもんの胴体に無数のヤリが突き立てられた写真、その首を二人がかりで運ぶサムライの写真。

 それを同情を引くようなコメンタリーを添えてから愛らしいベヒもんベビーの映像を見せる。善良な人々は間違いなく秋津人によくない印象を抱くだろう。


 ベヒもんは一方的に殺される可哀想な被害者で、秋津人は血も涙もない殺戮者であると世間にイメージを刷り込める。完璧だ。


 ネットにくすぶっていた種火は風に煽られ大火となった。大炎上だ。


 それから連日、『ささら』一号店には動物愛護団体が押しかけ抗議してくるようになった。もちろん他の支店にも。電話、ネット、投書、あらゆるチャンネルで。

『ささら』がベヒもんを料理に使っていることが知られたのだ。


 抗議は愛護団体だけではなく一般人からも大勢来る始末で、営業に支障を来すレベルだった。業務妨害でしょっぴかれる者もいたが根本の解決にはならず、やがてストレスとノイローゼでやめる従業員も続出。支店のいくつかは一時閉店する事態にまで追い込まれた。ドーシンが見張りに立っているおかげで幸い店舗に直接の被害はないが……。




 雨降りしきるその日。『ささら』一号店のオフィスルームでは。


「都合してもらえないかと掛け合いましたがどの国もなしのつぶてで。期間中は取引量を抑えたいと。その代わり製品の関税をまけるので手を打って欲しいと」

 外交交渉は獅子堂家のお役目だ。外交団の一員として外国を周り、帰国したその足でペシェリの元に参じた宝良木は旅の疲れなど微塵も見せず粛々と報告を済ませた。


「そうですか。折衝役ご苦労様でした宝良木。で、各国の意見は」

「魔獣肉の取引は減らすべきという考えに傾きつつあります。世論に応える形で徐々に畜産肉に切り替えていきたいとも」

「民主主義国だけでなく?」

「はい。潮流というものです。我が国のハンター業は年内に潰れますな」


「さすがに難しいか。世界中の国とパイプを持つ秋津ノ国でも」

 ペシェリに請われてアドバイザーとして俺もこの場に同席していた。モチはモチ屋だ。


「一年前のティターンとの戦いで受けた被害は癒えていません。首魁である大巨人<アド・ラーズ>の上陸こそ阻みましたが、眷族達の侵攻で各国は大被害を受けました。世界中、復興もまだ道さなか。しかし合衆連邦は戦後からたった半年で復興しましたからね。今じゃ食料が余るくらいですよ? なびかない国がありまして?」

「胃袋を握っている連邦には逆らえないな」

「ええ。各国の復興に出資もしてますから機嫌を損ねたら大変です。まあ畜産が安定せず動物を狩って凌いでいた国などは渡りに船でしょうね、あれは。乗らない理由がありません」


 有事に備えての代替システム、肥沃広大な国土が可能とする高い生産力に、効率化されたロジスティクス。弱点を即座に補い、質を量でカバーする。データに基づき、何事もデジタルに。広漠たる北バーナ大陸を領土に持ち、合理化が思想に根付く合衆連邦は間違いなく“強い国”だろう。

 その力で今や戦後の世界で旗を握る実質のオーナーとなった。世界の命運は合衆連邦の舵取り次第、さじ加減一つというわけだ。


「外貨獲得のため我が国に魔獣肉を卸している国もですな。なんせ取引量を減らせば連邦産の肉を安く買えますからね。それは我が国も同じ。民の大半は魔獣を食しませんから」

 宝良木の言うことにペシェリは頷き、

「魔獣は秋津人のパワーを支えるソース。魔獣肉の供給が絶たれれば我が国の海外駐屯部隊のパフォーマンスは下がり敵対勢力の台頭を許すでしょう。駐屯先の大陸中央部は常に火薬庫、新たな戦乱を生む火種になりかねません。そうなれば連邦は治安維持援助の名目で派兵できる。それを隠れ蓑に紛争を起こす仕込みをするでしょうね。工作で民族の分断を進め、誤爆と謳って民間人を巻き込むなどして」


「そしてそれは終わらない戦いの円環となる。連邦議員の一番の後援者である軍需産業にとって金のなる木になるでしょうな。敵味方問わず武器を売り、紛争地を兵器の運用やらデータ取りの実験場にする。で、気まぐれに火をつけて細く長く儲ける。景気対策の手ですな」

「この流れは『市場』作りの前準備というわけか。対フ戦争が終わって<勇征軍>っていう大口の顧客がなくなったものな。業界としては次の畑が欲しいというのはうなずける話だ」

「世界が復興を果たしたあとを見据えての一手なのでしょう。されどたったの一手でここまでの状況を生み出すなんて、この劇を仕組んだ人は相当のキレ者だわ。頭にくるほどに」


 清らかさを説くベールの下で人を苦しめてウハウハするこの悪辣巧妙な手口……。


 無数の点が糸でつながるのを感じる。俺のニンジャー直感力が告げていた。


 これは間違いない。彼奴きゃつらの仕業!


「この件、ニンジャーが絡んでいるな」

「ニンジャーの仕業だと?」

「ああ。善いものを悪いと言い、悪いものを善いと言う。古代からのコーガのやり口だ。今回の件も実にそうだ。じっさい被害に遭っているのは秋津人のほうで、秋津人はベヒもんから身を守るためやむなく倒しているだけだ。こんなふうに被害者と加害者をすり変え、被害者を悪人に仕立て上げて潰す。これを合法的に堂々とやってのけるのがコーガなんだよ」

 衝撃の事実に二人は言葉を失ったようでごくりとつばを呑んだ。


 一般人がこんなことを言えば危ないパラノイア扱いだが俺はニンジャーだ。普通ニンジャーはオカルトの類とされているが本職のプロが言えば違う。説得力がある。諸兄がたはマネされないようご注意を。友人どころか社会的信用まで失う。


「ところで、狩りをするには動物のなにを利用する?」

「習性……でしょうか」

「その通り。人を操り、動かすのもまた然り。ニンジャーは人の習性を利用して、あたかも自ら進んで罠に落ちるよう誘導する。少々講義をしても?」

「ええ、是非に」


「ニンジャーが人を動かすため利用する要素は大まかに三つ。罪悪感、恐怖、そして正義だ」

 端末を操作してプレゼンアプリを起動。画像をホロ表示させる。


「今回の件もこの三つを満たしている。魔獣を狩って食べることは倫理に反するという風潮を作りあげ、人々に行為への“罪悪感”を植えつけて抑圧する。食糧難を解消したい、魔獣を狩ると世界から非難されるという不安で“恐怖”を煽り、合衆連邦のルールに乗っかるのが得だと思い込ませる。そしてメディアが謳う“正義”を刷り込まれた人々は魔獣を狩る者を悪と見なし糾弾する。発信者の手足となって、しかも善意から、自ら進んで」


「一番やっかいですな。この世で最も始末が悪い」

「宗教・カルトでも教化に使われるメソッドだが効果はてきめんだ。正義感の強いお人好しほど容易く騙せて僕にできる」


「くっ、おのれニンジャーめ。自らは手を汚さず人の善意を利用するとは卑劣な……!」

 拳を握りしめ忌々しげに怒りを示すペシェリ。邪悪を許すなど誰ができよう。


「人は正義に弱いからな。そして忠実だ。これが人類の弱点であり習性でもある」

「正義に忠実なのが人類の弱点で習性?」


 俺はそうだと肯き。

「人間は正義に献身する生き物だ。正しいと信じたことに対し懸命に、矛盾なく行動しようとする。でもこれが怖いのは悪とする対象が生まれた時だ。あいつは悪だから叩いてもいい、悪だから死んで当然。だって悪を倒すのは正しいことだから。やったことを見れば悪人と同じだがそれを認めると正義と矛盾する。なので正義を担保する材料をかき集め正当化を計る。こうした人が多数派になると恐ろしい。論理的な事実は否定され感情が世間の総意になる。『俺は悪くねえ、悪いことしてるヤツが悪い!』。悪罰無罪というわけだ。ではここからが本題。これを見てならばと太古の賢いニンジャーは思いついた」


 端末の画面を叩く。ホロで編まれ宙に投影されたのは忍者中興の祖でありオリジンニンジャーである是来也ゼライヤの肖像。


「『お題目に平和とか平等とかエコで節約とか、正義な風にデコって流行らせれば簡単に人をだませてウハウハできちゃうんじゃね? うっひょーコレキタ、ワレ天才ナリー!』……と。これがそう、正義の甘い香りで人を酔わせ、発信者が意図した方向へ大衆の意識を誘導して操る宣伝行為――プロパガンダだ」

 衝撃の事実にまたしても二人は言葉を失いごくりとつばを呑みこんだ。

 賢明な諸兄がたはお分かりだろうが(以下中略~)なので決してマネしてはいけない。


「リアルもネットも魔獣狩りを叩く連中みんなプロパガンダに絆されてやっている。それが正しいと疑いもせずただ流されて。まるで感染する呪いだよ」

「していることは魔女狩りのそれですね」

「その正義の火は他人が宿したまがい物。踊らされていることに操り人形自身は気がつかない。哀れなものですな」

 外ではエキサイトしたデモ参加者が、「この悪魔どもめ、地獄に落ちるがいいわ! きいいいー触るんじゃないわよ! 裁かれるのはアイツらのほうよー!!」と金切り声をあげながらドーシンたちにドナドナされていた。


 正義は死んだ。

 いや、生まれた時からすでに死んでいる。人の手では御しきれない。


 正義はもはや腐臭を放ち爛れた悪を覆い隠す同義語だ。悪党が人を騙して儲けるための道具になってしまった。気づいていて誰もそれを咎めようともしない。みんな自分のことで忙しいのだ。コーガが人々をそのようにしている。メディアで欲望を煽り人々を金欲しさに働かせ対立させ、解決すべき本当の問題に目を向かせないようにしている。エネルギーを奪っている。

 ゆえに俺たちイーガニンジャーが人々に代わってあるべき正義を執行しなければならない。秩序を公平に保つために。今は悪党が多すぎる。


「だが何か引っかかる。新しい戦争市場を作る、これが本当に連邦の狙いなのかな」

「というと?」

「話が急すぎるってことさ。魔獣狩りなんて昔からやってただろう。なんで今になって急に叩く? それに貿易ルールの変更もそうだ。突然すぎる。そう思わないか」

「ふむ、確かに。意図は感じますね」


「連邦だってまだ復興ビジネスでオイシくしゃぶっていたいはずだ。次を始めるにはまだ早い。これはなんていうか、反射で出してきた感がある。ちょうど絶好のカモが現れたので狙い撃ちしてやった……みたいな唐突さが」

「うーん、さすがに憶測でしょうが……」

「まあ憶測さ。証拠は何もないからな。しかし魔獣関連産業への打撃、サムライの弱体化。これは意図された誘因性インセンティブだ。疑問なのは。そこになんらかの目的があるように思えてならない」

「全てはそのための布石ということですか。判断するには材料がもっと欲しいところですが」


 納得に足る結論は出ずこの話題は脇に置き、議題が片付いたころには日は西に傾いていた。


 メイドさんに食事を持ってきてもらい遅めの昼食を済ませる。

 食後のティーをいただきながらなんとなしに部屋を見渡すとコルクボードに貼られた写真がふと目に留まった。

 ペシェリは紅茶を一口すすり。

「先日の試食会のときの写真です」

「うん、良く撮れているな」


 写真を眺め当時を振り返る。リアクションのせいで動物に変身して大騒ぎになった一幕も収められていた。記録に残して大丈夫なのか、これ?


「ええ、そうでしょう。ああ、姉さん。どこで何をしているのやら……」

 寂しく、狂おしそうにミミリの写真を頬ずりしてペシェリはため息をひとつ。感極まって写真をペロペロしようとして、「おやめ下さい姫様っ、はしたのうございます」「止めないで下さい宝良木! 姉さん分をっ、姉さん分をチャージさせてペローっ!」とやいのやいの。

 うーん、なんとなくこの子の性格が分かってきた気がするぞ。

 他の写真も渡され一人スライドショーを楽しんでいたところ、予想外の人物が写っていることに驚き目を見開いた。

 見間違いを疑い、二度見、三度見、四度見。間違いないッ!


「この女はコウコ=キネヅ!」


「ご存じなのですかペロ?」

 腰にしがみつく宝良木氏を引きずって姉の写真をペロペロしながら手元をのぞき込んで来たペシェリに肯定を返す。


「ああ、同業者だ。合衆連邦の大手PRカンパニー、デーマー・フェンPR社の広報コンサルタント。しかし恐るべき女だ。

 彼女はここ十数年連邦の国際PR戦略を担当してきた伝説の宣伝マン、ジェイムズ=マンナカ氏の参謀だった……というのは表向き。実質的に企画・指揮をとってきたのは彼女だと言われている」

「なるほど。優秀で手強そうな人ですペロペロね」

 いつまでペロペロしてるの? まあハッピーそうだしスルーしておこう……。


「ああ優秀だ。巧みなPR術で味方を増やし、無垢な者を極悪人に仕立て上げる。彼女にとって国を滅ぼすのに武器など不要。言葉だけで世論を動かし万の人を殺せるからだ。一地方の企業を潰すなどアリを踏むほどに容易いミッションだろう」


 恐ろしさを伝えたつもりだったが、ペシェリは興味を惹かれた顔でふむと唸り、写真にうつるキネヅをまじりと見つめ。

「この方はニンジャーなのでしょうか?」


「それは分からない。誰がニンジャーであるかは組織内でも極秘になっている。機密の観点からニンジャーどうしは極力接点を持たないしほぼ連携もしない。だからミッションは自分の部隊だけで行う。ちなみに女性のニンジャーはナインオブワンだ」


「んー、にゃいんオブワン?」

「ちがう、ナインオブワン!」

 言い間違えはニンジャー的に絶対許せない。発音は正しく。ワンモアセイッ!

「にゃっ、にゃいんおぶにゃんっ!」

「ちがーう! ナインオブワン!」

 発音は正しく! ワンモアセイッ!

「にゃいんおぶにょーーんっっ!?」

 にゃんにゃん。

 手でネコ耳をかたどってぴこぴこ。薔薇姫はこぶしを振ってぷりぷり。


「も、もうからかわないで下さいっ。ともかく、彼女は熊葛に来ていた。『ささら』やベヒもん狩りの様子を見て、これはチャンスと連邦政府に提案した可能性はあるでしょうね」

「おおいにあるだろうな。<ブルー・フレンドリー>が動いているところを見ると南洋連合もグルだ」


「連合は近年牛肉の品種改良と輸出に力を入れてますね。ODビーフと銘打って。販路拡大のため連邦の商社とライセンスを結んで委託しています。しかし最近は伸び悩んでいる。シェアを伸ばす一手が欲しい」

 宝良木氏の指摘にペシェリはすんと目を鋭くして。


「そこで連邦と利害が一致するわね」

「ルールの変更で南洋連合は得をするな。自慢のODビーフで魔獣肉のぽっかり開いたシェアに食い込める。ベヒもん愛護キャンペーンをやればやるほどオイシイ。あの手の動物愛護だのいう連中の狙いは見えている」


「ビジネス、ですね」

「ああ、背後にスポンサーがいるはずだ。

 この状況を利用してテコで岩を持ち上げるよう楽して金儲けしたいヤツが。そいつを締め上げれば芋づるで首謀者を割り出せる。獅子堂家にはお世話になっている手前もある。俺も同行させてもらえないだろうか」


 ニンジャーの道はニンジャー。背後にコーガの奴らが潜んでいるならどのような罠が待ち受けているかも分からない。サムライとはいえ危険すぎる。


「せっかくの申し出ありがたいのですが。屈辱は自ら雪ぐのがサムライの流儀。

 もてなすべき客人に手を煩わせたとあっては我が家の沽券に関わります。

 どうかご容赦を」

「そうか、すまない。出過ぎた真似だったようだ。ならアドバイザーとしてサポートだけはさせて欲しい。ニンジャーがいるかもしれないからね」


「ありがとうございます。そういことならぜひに。では宝良木」

「はっ」

「帰ったばかりで悪いのですが一仕事してもらいます。『ピクニック』の用意は?」

「常備にてございます」

「結構。ならばよしなに」


                 ※


「悪い子にはサムライがブレー・ウチしにくるわよ」


 それをいうならテンチューだよマミー。


「あらぁ、そうなのー。そうだったわね、ふふふ」


 などと、幼かったころ悪いことをすると秋津のサムライがお仕置きにやってくるからいい子でいるのよと母に言われたものだ。


 龍の帝に仕えるサムライはミステリアスでエキゾチックで、オーディリアの子供たちにとって国民的にメジャーなワープするフィッシャー・ゾンビの怪談に並ぶ恐怖の対象だった。

 夜中起きてトイレに行くとき暗闇の中からフィッシャーとサムライが現れてブオンブオンワープして追いかけてくるのではないかと震えたものだ。


「マミー。僕は悪い子になってしまったよ」


 通話を終えて受話器を置き、男は書斎のデスクでつぶやくよう独りごちた。

 肉職人の下積みを経て下町から身一つで食肉加工会社を興し、三十代後半で政界に進出。実業家としての実績を買われ四十三歳で閣僚入りを果たし、食品・運輸業界を後援にしょって立つ代議士に上り詰めた。


 地位に名誉、身分相応に見合った屋敷。子供のころ貧乏で買えなかったヴェルザムのプラモにフィギュアも集めに集めた。こいつを眺めて一杯やるのが至福の一時だ。


 人生の栄華を極め、手にした物を崩さぬようあれよと日々に追われ気がつけば五十の手前、次のステージへと考えていたところだ。選ばれたセレブのみが入会を許される『クラブ』から招待の声がかかりテストをする運びとなった。

 内容はさる会員のエージェントとともに計画を実行し軌道に乗せよというもの。


 エージェントである彼女いわく、

「テストと言ってもイニシエーションのようなものですゥゥ。画図を引くのもやるのも私。先生にして頂くのはささやかな根回しだけですわ。気を楽にお構え下さいませェェー」

 ……といった調子で高笑いしていたが。


 怖いほど上手く行きすぎていて逆に怖い。


 世間も大衆の愚かさもこの世界に身を置いて痛いほど思い知っていたが、これはあまりにもチョロすぎではなかろうか。

「いや。あの女がただ者ではないということか……」


 まさか……と今や幻想と化したその存在を口にしようとして思いとどまる。あれは自らの愚かさを認められず責任を別に求めたい人の心が作り出したオカルトだ。全ては人の生み出した因果。陰謀を巡らす闇の存在などこの世にいはしない。

 なら世界をペテンにかけた自分には相応の報いが降りかかるのだろう。それがいつになるかは分からないが。


 ついつられて幼少のトラウマを思い出し、サムライがいるのではないかと背後を振り返る。


 当然、誰もいない。


「……ふっ、どうかしているな」

 電話に出る前、本を読みながら口にしていた茶のせいかトイレが恋しくなってきた。

 書斎のドアをくぐり、のそりと廊下に出て――


 するりと漂ってきた生ぐさい空気に足が止まった。


 反射的にドアを閉める。何故かここからどう逃れようかという算段だけが止めどなく溢れ、心臓が早鐘を打つのを自覚して逆に冷静にならねばと自身に言い聞かせた。

 深呼吸して落ち着きを取り戻し、室内を振り返る。


 男がいた。


「こんばんは、ロウ=アンジー議員。の者です」

「アッ、エッ、業者さん!? ご、ゴクローサマデスぅー!」

 生き馬の目を抜くビジネスの世界で海千山千の強者と渡り合ってきたロウだが、この時ばかりは持ち前の度胸はどこかに忘れ、思わず裏返った声が出てしまった。折れてしまったのだ。相対した瞬間、目の前の男が放つ色濃い暴力の気配に。


 加えてもう一つ。


 男は黒いセビロ・スーツを着ている一方、顔を狼のエグゾ・オメンで隠している。それに刀。これはもう疑う余地はない。


 サムライだ。


 刀とエグゾはサムライの証。この男、いやは秋津のサムライだ……!


 監視網にかからずどうやってここまで。フィッシャーのようにワープしてきたのか!?


 答えはサムライだから。


 龍皇から力の一端を分け与えられたかの御使いであるサムライに不可能はない。人間が想像できる程度の超常などたやすく起こせる。下手な気を起こせば一瞬でタタミの染み。屋敷が事故物件になってしまう。


 それでも震える手で警護を呼ぼうと腕時計に仕込んだボタンに指をかけようとしたが。

「使用人の皆さんは一身上の都合で退なされました」

「アッ、エッ、それはドウモ、ゴていねいニー!」

 男から立ち上る鉄の臭いが全てを物語っていた。助けはこない。


「突然で恐縮ですが、これから海へピクニックにいきませんか?」

「アッ、エッ、ピクニック!? ソレは、トテモ、いいデスネー!」

 返事をしたとたんほっかむりを被せられ車に担ぎ込まれた。


 年貢の納めどきがやってきたのだ。きっと無事では帰れないだろうとロウは覚悟した。首筋にチクリとした痛みを感じたが、薬による眠りでも起きている現実を一時でも意識せずに済むのなら良いと思った。




 はっと目が覚めたときは飛行機の中だった。


「おはようございます議員」

「アッ、ハイーッ、オはよゴザマスぅー!」


 窓の外に広がるのは月明かりを返す一面の雲海。

 海へ行くと言っていたのになんで空?


「ここは海でございます。正確にはですが」

「アッ、確かに、海デスネー!」

 宇宙と空の狭間で黒い水面は妖しい光を讃え揺らめいている。普段気にも留めないが空の向こうは海で、そこで生じた宇宙生物が固有の生態系を築く異形たちの別世界だ。


 空の上、飛行機の中。つまりここは移動する密室。外から邪魔されることなくアクティビティを楽しみながらじっくりと話し込むには絶好のロケーション。

 爪の間に針を通しておしゃべりを楽しむアクティビティとか、顔にタオルをかぶせて水をじゃぶじゃぶ飲ませるアクティビティとか、膝や肘の骨をドリルでゴリゴリされてぐっと声をこらえてふぅふぅしちゃうアクティビティとか、色んなアクティビティが楽しめてしまう。


 想像して思わずぶるりと来てしまったが。


「空が海に覆われて三百年……」

「へ?」

「人類は宇宙へ出ようと幾度試みたがその挑戦は悉く失敗に終わった。ただし<セーバ>だけは宇宙に出ることができた。それは何故かご存じですかな」


「ぎ……義務教育でも習うことだ。宇宙を満たす黒の海はフィルタリング機構のような役目を持っていて地球から出た人間を殺す。<セーバ>はそのチェックにかからないから宇宙に出られたし<フォールイン>討伐を任された。そ、それが……?」


 唐突に質問を振られてはたと冷静さを取り戻したが話の流れに妙な雲行きを感じ、背中にじとりと汗が浮き出た。


「その通りです。人は宇宙に出られない。スーツを着てようが宇宙船の中だろうが宇宙に出たとたん死ぬ。セーバ因子の投与・覚醒によって人を超えた存在となった<セーバ>は人間とみなされないのか影響を受けない。そう言われていますな」


 言って男はオメンの下でふっと笑いを浮かべた。

「長々と失礼。本題に入りましょう。単刀直入に申します。我々からのお願いは二つ。秋津の魔獣に対するスタンスに過度な干渉をしないよう各方面に掛け合うこと。二つ目は今回の計画に関わった関係者全員のリストです。中枢にいるあなたが知らないとは仰りませんな」


「一つ目は……問題ない。君たちの望み通りにしよう。だが二つ目は……。わ、私一人の責任では収まらない。大きな問題になる。とても大きな問題に。私さえ無事では――」


 ロウが言い終わるのを待たず、男は落胆を露わにかぶりを振った。

「ロウ議員……。あなたは状況を正しく理解する必要がありますな。おい」

「はっ」


 部下の一人がラップトップを取り出してテーブルに広げた。何度か操作するとディスプレイをロウのほうに差し向け見るよう促した。


 どこかの輸送機のカーゴ内でいかめしい髭面の男がサムライに両脇を抱えられがくついた足で立つ映像が流れていた。髭面はサムライ達にかなり痛めつけられたようで顔は腫れ上がり、肌は固まった血で黒く濡れている。


 仕立ての良いスーツを着ているあたりそれなりの地位の人間か。どこかでサムライの縄張りを荒らして怒りを買い、存分に可愛がられたのだろう。

 サムライは顎をしゃくってカーゴの隅に置かれたスーツを指し、髭面に着るよう促した。丸っこいずんぐりとした全身防護服だった。


 次に場面が切り替わった時は空のまっただ中だった。男を乗せたスーツは丸く膨れ、風船みたく変形している。


 ふわりふわり。風船スーツは誰もいない空をゆったり昇っていく。


 また場面が切り替わった。


 ヘルメットにマウントされたカメラが髭男の顔を映している。左下には高度を示すインジケーターが。メーターの数が増して行くにつれ、額に浮かぶ汗も増えていった。

 これは一体なにを意味しているのか。


「フフ、議員は実に運がいい。宇宙に出た人間がどうなるか生で見た人は少ないですからね」


『宇宙に出た人間の末路』


 ネットで検索してはいけない言葉ベストテンにも入っている。興味を惹かれたことはあっても目にしたいとは思わなかった。ああいうものはフィクションだけで充分だ。見て、知ってしまえば引きずられてしまう。


「ほら、ご覧下さい。上空二十キロメートルを境に重力が裏返るんです。黒の海の作用なのか物体は空に引かれて落ちていく。ああなったら最後、もう戻ってはこれません」

 仮面の男が話しているさなか、スーツがくるんと翻って逆さ吊りになった。

 手足をばたつかせて抵抗するもスーツは。天地逆さにひっくり返った視界のなか見えない力に引き上げられる恐怖に堪えきれず、髭面は半狂乱に叫びを上げていた。


 花火は燃え尽きる最後の瞬間こそひときわ輝く。

 命も同じだ。人間が末期に見せる丸裸の感情は言うならその人の人生を凝縮した花火玉。それが弾けて儚く激しい散り花を咲かす。これを傍から眺めるのは最高の娯楽だろう。

 上流層のクラブにはそのようなショーを見せて楽しむ界隈もあるようだがロウにはそんな下卑た趣味はなかった。いたたまれず目を背けようとしたが見ろとサムライに姿勢を正された。


 成層圏を超えた。

 中層圏からは黒の海の波打ち際だ。つまりもう宇宙の手前。


 空と宇宙の狭間。あるのは白と黒のコントラスト。地球から放たれる白雲の輝きを閉じ込めて地平線彼方に広がる暗黒のアビス。ここはもう地上とは別の異世界だ。

 暴れる気力も無くなったのか髭面は口を半開きに景色を眺めていた。映像を見るロウも同じく音なく穏やかな光景に釘付けされていた。こんな一時もやぶさかではないと。


 些細な違和感。

 

 ヘルメットのガラスに、ぽつんと黒いシミが浮いているのをロウは見た。


 髭面は呆けたままで気がついていない。なら呼気の水蒸気かカメラのノイズかと訝しんだ。


 いや違う。映像の乱れでも見誤りでもない。


 黒いシミはぽつりぽつりと少しずつ増えてきている。やがてぷるりと震える水滴になるほど大きくなり、つうと黒い尾を引いてガラスの表面を伝いこぼれ落ちた。


 これは、水だ。スーツの中から黒の海……黒い海水が浸み出ている――!


 空気漏れのアラートは出ていない。髭面もようやくこの奇妙な異変に気がついたようでおろおろと視線を泳がせていた。スーツの状態はグリーン。にも関わらず浸水している。


 一体なぜ――。


「黒の海は人を感知すると物質をすり抜けて接触してくる。スーツや船で守っていようが無意味なのはこのせいです。さ、ここからが見所ですよ」


 じわりと足下からせり上がってきた水はとうとう髭面の喉元まで迫ってきた。何か言おうとしてそこで水に呑まれて声は声にならず、ノイズに混じりかき消えた。

 じたばたと手足を動かし髭面は一心不乱にもがく。人間が溺れた時に見せるパニック的な反射だろうと思ったがどうも様子が違う。


 スーツの生命維持機能は正常に働いているのだ。酸素は供給されている。黒い海とは言うがその本質は水ではなく、気体であり粒子であり波動でもあり、定理を無視して物質を光速度以上に加速・跳躍させるばかりか引き合わせ、通常では水に酷似した感触・性質を持つ魔法的な物質であるというのが長年の研究で得られた所見だった。


 ならなぜ。


 水ではないモノに巻かれて、

 この男はなぜこんなにも顔を恐怖に引きつらせ、

 あがき、苦しんでいるのだろう。


 途切れに途切れにマイクが拾った音声が聞こえてきた。


「やめっ……やめてくれっ……! 食べな……で……っ! 俺を、食べないで……く、ぇっ……、消えるっ……ぉ……れの、そ…………ま……! 

 べっ、ばげ……っっ」

 スーツの中は完全に黒い水に満たされ、カメラが映すのは光も返さない黒一色だけ。どこからか入ってきたのか小魚がぱちくりとまばたきして呑気に泳いでいた。


 奇妙で不思議で不気味だった。


 バイタルはゼロを示し、生命反応も消えている。にも関わらず耳に残る幻聴のよう、寂しくすすり泣く彼の声がスピーカーから聞こえてくるのだ。

「やだ……いや、だよぅ……………。ウチに…………かえ…………た…………い。

 ウチに、かえりたい、よぉ……あばが……ばげっ……にゃぽ」


 搭乗者の顔を映していたカメラには何者も映ってはおらず、あるのは宇宙に漂う残骸と化した空っぽのスーツだけ。ややしてどこから来たのかスーツは宇宙魚の群れについばまれ、残ったカスは水流にさらわれ海の暗がりに溶けていった。


「海に呑まれた人間は跡形も残らない。海に溶け、混ざり、塵すら、何者だったのか、その情報、記憶さえ風化して世界から消え去る。我々の場合、『沈める』といえばもっぱらこっちでしてな。少々手間と金はかかりますがあとを考えれば安い方法だと評価しています」

 まるで観光地を案内するガイドといった体で仮面の男は穏やかに述べた。


 ここに来てロウは真に理解した。

 このサムライたちは死を司る暗部の人間なのだと。


 人の命など取引の材料としか捉えておらず、組織の機能として事務的に主の命をこなすプロフェッショナル。自分の口から望みの言葉を吐き出させるまで解放する気はないのだろうと核心に至り、熟年の議員はこれが最後の夜となるかもしれない覚悟を決めた。


「龍皇陛下の守人であるサムライの力を削ぐことは陛下を危機に晒すも同然。陛下の安寧は世界の安寧。あなたとあなたのご友人たちはレッドラインを超えた。教訓を与えなければならない。人間はいつも間違う。欲深く、無知ゆえに。だから失敗から学び、繰り返さぬよう制度(ルール)で世界と契約する。その点で言えば今回あなたにとってこれは初めての体験で秋津人に対し無知であったため仕方のないこと。我々はあなたを許しましょう。この失敗を糧とし制度への試金石として頂きたい。

 ただし――」

「ただし……?」


「それは別としてケジメは必要だということです。制度を作るための生け贄事実が。そうしなければ納得しないのが世間というもの。さすれば白状を咎めるご友人たちは『健康上の理由』で世から退き、議員は不正を暴いた勇気ある告発者として賞賛される。悪い話ではないでしょう?」


 甘い悪魔のささやきだった。

 頷けば楽になれる。垂らされた糸にすがりたくもなったが関係者のなかには恩義のある旧知もいた。ここで折れれば政治家としてはおろか、人として堕ちていくだけだ。


 首を縦に振る様子を見せないロウに仮面の男はやれやれとため息をつき、

「お屋敷を拝見しましたが議員はたいへんものを大事にする方のようで。家の隅々、調度品から小物にいたるまで手入れが行き届いていらっしゃる。ご家族さまとの写真も多い。宝なのでしょうな」

 部下がラップトップの画面を切り替える。タタミ、フスマの東洋的旅館で歓談を楽しむマミーと妻、そして愛しい娘の姿があった。ショドー掛け軸には、


『すごい楽、安く』

『えんじょい・逆スカイダイビングアクティビティ』

『みんなと一緒は幸せ』の文字。


「か、家族には手を出さないでくれ!」

「おやおや、早合点は困りますな。ご家族様に類が及ばないようお見守りしているだけですよ。それとも、気が変わりましたかな」


「い、いや。……ああっ、ダメだ。やはりできないいいいーー」

 仮面の男はまたもやれやれとため息。端末越しにロウの自室を見やって、

「おやおや、これはこれは。ふむ、私もヴェルザムが好きでしてな。子供の頃から模型作りに興じているタチで。ふふふ、同好の徒にお目にかかれて嬉しいですよ。おい」

『はっ』


 屋敷にいる部下たちがショーケースを手斧でたたき割り、ディスプレイに並んだヴェルプラをなぎ払ってがっしゃんがっしゃん。中には廃盤になったレアなキットも。ヴェルザムファンが見たらショックのあまり廃人になりかねないナイトメア&マッドネス的光景だ。


「ああっ、やめてくれええええッ! い、いや。ダメだ。やっぱりできないいーー」

「ふふ、議員は高潔な方でいらっしゃる。おい」

『はっ』

「額に『肉』と書いてやれ」


「この衆生しゅじょうが!」のセリフで知られるヴェルザムで絶大なカルト人気を誇る女帝キャラ、『ラカーン・ハーン』こと通称ラカーン様。その一分の一フィギュアのご尊顔に、よりにもよって絶対落とせない油性イレズミカラーペンで墨入れをしてやるというのだ。

 なんという鬼畜の所業。秋津のサムライに人の心はないのか!


「ああっ! それだけはっ、それだけはやめてくれえええッ! 世界に一点限りの超レアものなんだあああッ! なんでもっ、なんでもする……妻も――[センシティブな表現です。ブロックされました]――に入れるし、娘だって――[センシティブな表現です。ブロックされました]――で働かせるし、ママなんてもう――[センシティブな表現です。ブロックされました]――させるからっ……! だから頼むっ、いや、お願いします! やめてくださいいいいっ!」

「ええー……」

 さすがのサムライたちもこれにはドン引きを通り越して哀れみを浮かべるしかなかった。


 ――という妄想を一瞬だけ浮かべるのだった。


 そんな人としてどうかと思うSワード満載の叫びをあげたい衝動をぐっとこらえ、長い瞬きを一つ二つと繰り返し、ロウは血を吐く思いで究極の選択に答えを出した。


                   ※


「――といった次第でございます」


「ふむ、はるばるご苦労様でした宝良木。これで問題がひとつ片付きますね」

 報告を聞き終えペシェリは安堵したふうにティーカップを受け皿に置いた。


 だがこんな話を聞いてリラックスしていられるほど俺はイカれてはいない。

 てか人前で話していい内容じゃないでしょこれ! 

 あとで消されるヤツでしょこれーー!?


 茶飲みグラスを持ったまま固まっている俺を見て、宝良木氏はきょとんと小首をかしげ。

「おや、いかがされました隼殿?」

「ふふ、どうやら宝良木の真に迫る語り口に呑まれてしまったようですね。ご安心を隼さま、ぜんぶウソです。正直作り話ですよ」

「へ。つ、作り話……?」


「お心に障ったようで申し訳ない。実は本業のかたわら漫画の原作者もやっておりまして。いまお話ししたのは私の拙作、『煉獄ビジネスマン:ダンテ・ロバート<コキュートス横断編>』という漫画のネタでございます。真に受けず聞き流して頂ければ」

「あっ、な、なーんだ。漫画の話だったんですかー。あっ、アハハハハー。すごい迫力だったんで一瞬マジで信じかけちゃいましたよー」


「たまにこうやってネタ作りの相談を受けるんです。だいたいこんな陰謀論みたいなことあるわけないじゃないですか。政治家を脅して操る、だなんて。ばれたら大問題ですよ?」

「ソ、ソウダヨネー! あり得ないヨネー! あ……でも問題が片付くっていうのは……?」

 おっかなびっくり言葉を紡いだ俺の警戒をほぐすよう、薔薇姫はぱちりんと目を瞬かせて。


「うん? 今回の話でやっとひと段落ついて休めますね、という意味ですけど?」

「アッ、ナルホドネー! ナ、ナットクー! アハハハハー」


「ははは、隼殿が想像しているようなことはしておりませんよ。ロウ議員とは和やかに会談できました。話のわかる御仁でほんと助かりましたよ」

「ええ、正直平和が一番です。<ブルーフレンドリー>の活動を禁止するのは難しいが政界からグレーな金が流れている疑いがあるとマスコミにリークしてくれるそうで」


「釘を刺したってことか。しかしよくすんなり引き受けてくれたなその議員さん」

「我が家はお役目上、各国のお歴々とお付き合いがありますゆえ。それはもう趣味嗜好から家族構成、裏のプライベートなことも存じているほどたいへん深い仲でして。ふふふ」

「アッ、ソウナンダー。スゴーく、仲良しナンダネー」

 やばい話題はこれまでにしておこう。好奇心はニンジャーを殺す。


 ところで検索してみたら本当にあったぞダンテ・ロバート。


 陰謀渦巻く大手商社を舞台にしたビジネスサスペンス。政府と会社の癒着を暴こうとして全てを失い地獄へ落ちたダンテは地獄の悪魔と契約し地獄の力を授かり、地獄ビジネスマンとして世にはびこる巨悪を誅するアヴェンジャーとして地獄から黄泉返った……というお話。

 青年向けコミックだけあって過激でエグい。登場人物はだいたい死ぬしヒドイ目に遭うし控えめに言って読む地獄。だけど一般人にイキっていたヴィランがダンテに拷問されて赤子のように泣き叫ぶなどコミカルなシーンもあってシリアス一辺倒ではない軽妙さがある。


「いや、宝良木さんなかなか面白いですね。実際あり得るかもしれないギリギリの線を上手くついているというか、妙にリアルな感じがあって」

「お楽しみいただけてなによりです。まあ一割ていど私の商社マン時代の体験を元にしていますからね」


 は? なんて?


「ふ、ふーん。え、えーっと、商社マンって大変なんデスネー」

「ああ、ところでご存じですか隼殿。

 人って本当に恐怖すると震えが止まるんですよ」

「え……? ど、どういうことなんですか」


「固まって動けなくなってしまうんです。心が現実に耐えきれなくなってね」


 宝良木氏とペシェリは、あはは冗談ですようふふふふ、とおかしそうに微笑みニッコニコ。


 あ、あれぇー? お、おかしいなー。か、体が、固まって、動かないぞー。

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