9、添える左手

 その日出勤すると、控室にはチーフが居た。30代後半で痩せ型の上司は、肥満の割合が多い統括管理者の中では少し珍しい。


「そうそう!腕を伸ばして力を抜いて」


 チーフと先輩の女性社員が立ち上がって何やら勤しんでいる。話を聞くと、チーフが先日の責任者機会教育でピストルの構え方を伝授したと言い、それをネタに彼女に披露していたところだった。


「こ、こうですか?」


 彼女は細い腕を不器用に伸ばして、握ったラバー製の拳銃をぷるぷると震わせている。するとチーフは軽やかにツッコミを入れ、彼女の隣で手本を実演する。僕も呼ばれ、隣に加わった。銃の重さを身体の骨格だけで支えるのだと言う。手首まで脱力した腕を真っ直ぐ前に伸ばす。だらんと下を向いた拳銃を狙える位置に持っていくために、ゆっくり肘だけを曲げる。すると、くの字をしなやかに描いた腕の先に真っ直ぐ拳銃を据える事が出来た。指にも腕にも力が入っていないので、拳銃のブレが抑えられる。構えている間は、右の肩甲骨辺りに手応えを感じていた。


「すご〜い。めっちゃキマッてますよ」


「物覚えがいいな」


 チーフはつまらなそうに言った。僕は、只々白い壁にブレない銃口を向けていた。閑談はそこで終わり、その日も彼女と2人でマンション内を巡回した。


「はあ、しんどかった。助かりました」


「そんな風に思ってたの?」


「思いますよ!私の貴重な休憩時間なのに。まあ、ちょっと楽しかったから良いですけどね」


 彼女の厄介払いをしてしまった。それで今後、居心地が悪くなるのは僕の方だ。銃なんて非正規社員は携行する機会すらないのに。だがその時は、伝授した技が「仕事」に応用できるとは考えなかった。


 帰宅してからベッド下に隠していたモノを拾い上げ、グリップを最低限の力で握ってから腕を真っ直ぐ前に上げる。三十センチ程もある鉄の塊は重い筈だが、負担を感じるのは右脇の下だけだった。そのまま肘をゆっくり曲げ、真っ直ぐ狙いが定まった機関銃の銃身にそっと左手を添える。更に、腰を落として姿勢を安定させる。チラッと窓の方に目をやると、暗闇の中で一人射撃ポーズをかましている男が映っていた。


 まるで映画だ。秘密裏に組み立てた銃でターゲットを狙撃する。目標は間も無く到着する。僕はベランダの窓を開け、渋谷の夜景に銃口を向けた。遠くには渋谷スカイや他真新しい高層ビルが並び、その周囲までネオンに包まれている。そして暗闇を埋め合わせる様に果てしない住宅地が占めている。僕はネオンの中心、一際目立つ高層ビルの屋上にヘリコプターが停まっている事に気がついた。ここからではごま粒の様に小さいが、屋上のスポットライトに照らされたそのヘリを照準の中心に捉えてみた。片手ではすぐにブレてしまうのでそっと左手を銃身に添える。数秒間、目標を中央に捉えた所で徐々に引き金を絞る。すると引き金のテンションが一気に重くなったので、僕は人差し指に更なる力を加えた。


 バァン!


 銃が爆発した。僕は思わず腰を抜かし、その場に倒れ込んだ。キーンという耳鳴りが響いて、それ以外は何も聞こえない。銃が床に横たわっている。銃自体が爆発した訳ではないらしい。ただ、銃口の先から一筋の煙が上がっており、火薬の匂いが充満していた。その時にようやく、銃が発砲された事を理解した。僕は反射的に窓を全て閉め、部屋の電気を切った。とんでもないことをした。これは本物だ!誰かにバレたら大変だ。恐る恐る窓を開けて周囲の様子を確かめてみたが、辺りはいつも通りの静けさだった。バレていないといいが、両隣に入居者がいない事も幸いしたらしい。それから何かに手を付ける事もベッドで眠る事も出来ずに、床に座り込んだまま朝を迎えた。僕は徐々に正気を取り戻すと、もう居ても立っても居られなくなり、床に横たわる銃を掴んで外に出る準備を始めた。


 『今日未明、埼玉県志木市のアパートに住む無職の男が、大量の銃器や弾薬を違法に所持していたとして警察に逮捕されました。取り調べに対し男は黙秘を貫いており、警察は男が銃器などを入手した経緯を追っています。』


 イヤホンでニュースを聞き流しながら、僕はあの地下室へ向かっていた。背中には忌々しい黒い塊を詰め込んだリュックを背負い、高校生以来ぶりに市民公園の裏道を下っていった。林を掻き分け地下室へ向かう階段が見えてきた時、僕は立ち止まった。入り口の金属扉が開いているのだ。今日は設備点検の日だろうか。しかし、点検であるなら公園の前に業者の車が停まっている筈だった。少なくとも、高校時代の記憶を頼ればそうだった。


 僕は忍び足で赤錆に塗れた細い螺旋階段を降りて行くことにした。急な階段を下るとすぐに視界が暗くなるが、やがて奥の方から灯りが差している事に気がついた。やがて地下室の入口が見えてきた時には、ガサガサという物音まで聞こえていた。「ガレージ」に何者かがいる。物音は消えることがなく、絶えず何かを漁っている様だ。


 最後の段を下り切る手前、灯りを放つガレージを目前に僕はリュックの中から銃を取り出した。錆びついた鉄の扉にそっと手を添え、中の様子を伺うと、こちらに背を向けて壁際に集積されたガラクタを漁っている一人の人間の姿があった。カナダグースの黒いジャケットを着ている男と思しき人物は、おそらく顔見知りではないだろう。インフラの作業員でない事を確信した僕は、銃を片手に接近する。相手は全く気付く様子がないので、僕はガレージの真ん中で立ち止まり声を掛けた。


「あのー?」


 中腰で壁際の資材を漁る人物は、そこで動きを止めゆっくりとこちらを振り返った。白髪の短髪に皺々の肌、分厚い瞼に挟まれた瞳がこちらを捉えた時、彼はギョッとした表情になり動転しだした。


「何してるんですか?」


 僕は彼を制する様に言った。彼は何も言わず、ただこちらを見ながらおどおどしている。半開きの口から見える歯並びは崩れており、欠損が多く見られた。


「動くな!」


 唐突に真横から怒号を飛ばされ、僕は静止して声の主の方へ慎重に首を向けた。そこにはもう一人見知らぬ男が、配電ボックスに半身を隠した状態で、僕目掛け何かを構えていた。僕から見て左手には配電盤が並ぶ部屋が隣接しており、そこに潜む人間の存在には気付かなかった。彼が両手で握りしめるのは黒く無機的な物体で、中心に穴が空いている。ピストルの様だ。


「何を持ってる!?両手をあげろ!」


 彼は僕の武装に気が付くと、警戒を更に強めた。僕は銃を右手に掴んだまま両手を挙げようとした所、相手は銃を床に置けと制した。僕は頷いてから軽く屈み、握っていた黒い鉄の塊をそっと地面に置いて、フリーの両手を天井高く挙げた。


「銃を寄越せ。こっちに蹴れ」


 彼は僕の所有物を求めた。僕は横足で床に横たわる銃を蹴り、ピストルの主めがけ飛ばした。彼はピストルをこちらに向けたまま僕の武器を回収して、外観を目で舐める様に調べ始めた。途中で彼はピストルを腰周りのベルトに挟み込むと、フリーになった両手で僕から取り上げた銃をじっくりと調べ始めた。あっと言う間に銃は分解され、金属のバネや引き金等の部品が地面に散乱した。


「お前、誰だ。どこから送られた。これをいつ受け取った」


「親父さんから」


 僕は咄嗟に、そう答えてしまった。それに対して、彼は疑問符を浮かべた様子。彼がそれ以上追求してこないので、僕の方から話し始めた。


「五年程前、知り合ったホームレスが僕をこの場所に呼んだ。その銃は恐らく彼が持っていたもので、僕がここで拾ったんだ」


「五年前?じゃあ今、何しにきたんだ?」


「これを戻しに来た。僕は彼から運びの仕事を引き継いだ者だ。取引中に扱う荷物と組み合わせてこの銃が出来上がった。僕はこんな物騒なモノを持っていたくないんだ」


 相手は黙り、少し考え込んだ。僕の説明が通じたのだろうか。もし通じたのなら、ここに居る見知らぬ2人も「運び」の関係者で間違いない。


「僕はそんなモノ要らない。必要ならあなたに渡しますよ」


 そこで、彼は目覚めた様に口を開いた。


「そいつの名前は?」


 僕は、知らないと答えた。親父さんの本名なんて、興味を持った事もなかった。しかし真横の彼は語気を強め、名を聞き出すのを諦めようとしない。僕は苦し紛れに、彼の家の場所なら知っていると言った。かつて紙飛行機を飛ばしては庭に不時着させていたあの家が、今でも残っているなら名前を知る手掛かりになるだろう。


 彼は分解して小さくなった最後の部品を地面に落として、再びピストルを構えた。それから質問を変えて、僕がここを一人で訪れるに至った経緯を根掘り葉掘り聞いてきた。質疑の間、男はピストルを降ろそうとはせず、饒舌になりリラックスし始めた僕が不動の姿勢を崩そうものならその都度、怒号を飛ばして来た。


「仕事を引き継いだだと?」


「そうです。5年前にここで、彼から運びを教わりました。それから彼の行方は知りません」


 その時、相手は肩を落としてこう言った。


「多分、死んでるよ」


 彼の落ち着いた言葉に驚きを隠せなかった。彼はそのまま続けた。


「詳細は知らないが、俺達は田村を追ってここに来たんだ。お前が言う「親父さん」だ。奴は急に目をくらませて、あいつが管理してた筈のブツの居処も分からなくなった。いっそ死んでくれてた方が有り難い。最近になってようやく、奴がブツを溜め込んでた場所を突き止めた。それが此処だ。消えた在庫を全部確かめてたが、一つだけ欠損があった。それがコイツだ」


 彼は僕の銃を手に取った。既にバラバラに分解されており、彼の手に握られているのは僕がこの倉庫から持ち帰った手のひらに収まる程の四角い鉄の塊だけだった。


「紛失したと思ってたら、部品からやって来てくれた訳だ」


 僕は彼の述べる内容を理解する事で精一杯だった。そこで彼は、目の前の男に指示してピストルを下ろす様にと言った。僕はその時ようやく、お手上げの姿勢から解放されたのだった。


「それで、僕はどうすれば良いんです?もう帰って良いですか?」


「駄目だ。この現場を見られた以上、すぐ野放しには出来ない」


 その言葉で根本的な相互理解のズレに気付いた。僕にはまだ信用がないのだ。


「僕が逃げるわけないでしょう。通報するなら5年前にしてますよ。僕は協力者です」


 相手にどうやって信用して貰うか考えを巡らせ、僕はある事を思い出した。


「真珠の粉も持ってます」


「真珠?何の事だ?」


「正式名は知りませんが、運び屋の間で流通してる薬ですよ。良かったら一緒にどうですか?」

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