7、再会

 「圭ちゃんはね、いつも笑顔で誰とでも仲良くしてくれてますって、担任の先生が言ってたわよ。だから安心して」


 中学校へ入学して間もない頃、クラスメートとの関係構築で胸が張り裂けそうだった僕は、母に溜め込んだ思いを伝えてみた。自分の正直な姿を、思いつく限りの言葉を並べて正確に伝えようと踏ん張った。


「誰にも言ってないけど、本当はよく絵を描いてて、むしろ絵ばっかり描いてて一人で居る事が多かったんだ。それでも皆が圭の絵に注目してたから良かったんだけど、最近はなんだか違う気がする。圭がただ笑って見せるだけだと、隣の子は笑わないんだ。」


 不器用ながら、自分の姿を全力で伝えてみたつもりだった。そこから母は、一体何を受け取るのだろうか。印象と全く違うであろう僕の姿を聞いて、何と答えるのだろう。しかし、僕の予想に反して、母の答えは単純明快だった。


 僕は素敵な笑顔に加え、誰とでも打ち解け会える人間に見えているらしい。だから何も心配は要らない。髪を解いて眠りに就く前に、母は変わらぬ笑顔で僕を慰めた。僕はこの出来事を暗示にして、素敵な笑顔と誰に対しても寄り添う事を必要条件とした。記憶と矛盾する性格も、忌み嫌っていた自分の笑顔も、「本当は」素晴らしいのだ。僕は束の間の安心を得た。しかしその矛盾は消えるどころか、放置した事で何倍もの苦しみになって返って来る事など、当時の自分は考えもしなかった。


 視界がぼやけ白い綿雲に覆われ、僕の醜い笑顔が残像として残っている。やがて雲は闇に包まれ、暗闇になった。それは瞼の裏だった。目を開けると、僕は吉祥寺駅のバス停近くで、花壇に座り込んでいた。居眠りしてしまった様だ。今日は、久々に龍弥と会う。7年ぶりの再会だった。どっちが言い出しっぺかはもう覚えていないが、成り行きでサシ飲みの約束をつけていたのだ。


「うい」


「久しぶりだな」


 駅の方から現れた龍弥はスーツ姿、新社会人を纏っていた。僕は後ろめたい気持ちになり、少し身構えた。それでも笑顔や話し方は高二の頃と全く変わらない龍弥に、深い安心感を覚えた。


 ハモニカ横丁という、居酒屋に囲まれた路地を歩き、あまりガヤついていない店を見つけて二人はテーブル席に座った。新社会人の龍弥が頼むのは、生ジョッキ。僕はレモンサワー。


「乾杯!」


 高校生の頃、次に話す時は酒を交えているなど想像も出来なかった。


「懐かしいな。最近も居眠りしてんの?」


「してねえわ。職場じゃあ出来ないし、眠くもない」


 その投げやりな言い方は、全く変わっていない。


「てかさ、色々話聞いてるぜ。お前なんか怪しいもの運んで稼いでるんだって?」


 天地がひっくり返る様な指摘だった。僕は身構えるのも馬鹿馬鹿しくなり、腹の底から笑ってしまった。


「なんだ、図星かよ。阿漕な商売は止めとけよな」


「バレちゃったか」


「バレバレだよ!」


「何で分かった?いつも路地裏で受け取ってからすぐに鞄に収めてるのに」


「顔に書いてあんだよ!」


 龍弥は即答した。僕はもう涙腺が熱くなっていた。この日のために、闇の世界に手を突っ込んでいたのかも知れない。龍弥はさらに続ける。


「母さんが悲しむぜ」


「母さんね・・・。分かり合えないんだ」


「家族なんて分かり合えるもんじゃないさ」


「カッコ良く言ってくれるじゃん。龍弥はすごいよ。昔からずっと親戚家族の世話をして来たろ?だから協力し合うのは当たり前、対等な感覚で親なんかに接していけるんだよ。オレは子供だからさ、ずっと受け身だったわけ。だから、溜め込んで捻れちまうんだな」


「母の何がそんなに嫌なんだよ?」


「ひとことで言えば、干渉かな。母と暮らしてると、すごく拘束された気分になる。別に罵声を浴びせて来る訳でもないんだけど、ただ・・・」


「何だよ?」


「凄く寂しいんだ。凄く深いところで無関心っていうか。言葉にしない圧があるんだ。オレはそれに小さい頃からビビってて、感情を溜め込む様になってしまった」


「よく分からないな」


 龍弥は即答する。


「オレにも分からないよ。ただ、もっと普通に話せればいいのに」


「母も恐れてるからじゃないのか?」


 こんなにテンポ良く自己開示をした事はなかった。龍弥は僕の言葉を聞いた瞬間に、全てを察した様に豪速球で投げ返して来る。


「母が一体何を恐れてるんだ」


 僕は素朴に尋ねた。


「男だから」


「どう言う事だよ」


「男関係があんまり良くないんだろ?お前の母さん。たくさん裏切られて来たなら、その経験を息子にも反映するんじゃないのか」


「馬鹿な、オレは家族だぜ?」


「お前だって逃げるかも知れない」


 その発想はなかった。いや、考えられる可能性は全部意識してきた。でも、考えたところで変わらないんだ。誰とも共有できない思いを抱え続けるくらいなら、最初からなかった事にした方がいい。龍弥は一杯飲み終え、僕の目を見て言った。


「でもそんだけ悩むのも、お前が母さんを思って・・・」


 急に頭がクラっとなり、僕はテーブルに顔を伏せてしまった。目を覚ますと、僕はいつもの部屋に一人で居た。なんだ夢か。棚上のデジタル時計は1950、これから街が賑わう時間だ。


 龍弥は高校二年生修了と同時に退学した。父親の事情による転勤だった。それ以降連絡を取る事はあったが、結局今に至るまで会っていない。離れ離れになった当時は喪失感を抱えたが、それが薄れると同時に龍弥自身の事も意識から遠のいていた。夢に登場した龍弥は僕の悩みに対してやたら積極的で理解があり、正気に戻った今振り返るとおかしな人物だった。


 部屋のテーブルの上にはお香用の皿があり、燃え尽きた灰がこびり付いていた。どうやら真珠の粉を炊いたまま眠ってしまった様だ。こいつには、いつも記憶の底を抉られる。僕は立ち上がるとお香の皿をキッチンの流しに置いて、次の荷物の回収に向かった。


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