18、暗殺

 柳原圭人


 東京に戻って来た。北海道の戦局は苛烈を極め、侵攻から二週間を経た十月二十六日、ロシア政府は北海道の併合と並んで、日本海の北側及びオホーツク海全域の領有を宣言した。これによって、ロシアはアメリカに向けた戦略核を配備するベースを得た事になる。


僕は寝床を変えながら戦闘の収束を待ち、札幌に統監府が設置されたと言う情報を聞き付けると、寝床の車を捨て単身で札幌市街地へ足を運んだ。当時、市民が統監府へ直接赴く事は許されず、広場に設置された臨時役場のテント目指して大勢の見窄らしい市民達が路上に列を成していた。そこでようやく、「演習用」の身分証が効力を発揮した。街路で立哨に就くグリーンメンに話しかけ、僕は列を飛ばして役場の手続きを受ける事が出来た。その内容は、極東ロシア人としての住民登録。これにより、ロシア連邦内の居住及び渡航が可能となる。役所と書かれたオリーブ色の軍用テントを後にした僕は、市内のビジネスホテルで二週間ぶりのシャワーを浴び、改めて生活用品を買い揃えバックパックに詰め込むと、西海岸から出ているウラジオストク行きの定期貨物郵便船に乗り込んだ。同乗者の大半が軍服姿のロシア人であり、開戦当初から臨時便が運行されていたと言う話をとある軍人から聞いた。その後は、ウラジオストクの港からロシアの国際空港へ移り、一旦ベトナムへ飛んでから羽田に辿り着いた。


「ウラジオストクにもう少し居たかった・・・」


 全ての国境がいつ閉じるかも分からない状況で、悠々自適に旅を楽しむ余裕はなかった。東京の家は北海道へ発つ前に引き払っていたため、暫定的な住処として神奈川県内のホステルを借りた。一週間の長旅を経て、ようやくバックパックをぶち撒ける寝床を得た矢先、ベッドに埋もれる余裕もなく、田中と頻繁に連絡を取りながらタスクを片付ける日々が待っていた。


 十一月中旬、僕は懐かしの「ガレージ」に徒歩で向かっていた。空の大容量リュックを背負って、相変わらず人の少ない市民公園を横切る。頻繁に行き来していた高校時代よりも、公園が全体的に少し廃れた感じがした。森の獣道は伐採が進んだためか背の高い草が減り、黒かった土肌は乾燥して砂利道に変化していた。何より緑が減った事で視界が開けている事が気になった。このルートはもう危険だ。


 地下室への扉を開けると、唐突な異臭に見舞われた。階段を下る程に臭いは強くなり、腐敗した生ゴミの様な臭気に鼻を歪めた。こんな臭い、以前はなかったのに。地下室に到達した時、その変わり果てた姿に原因を見つけた。無数の黒いゴミ袋が壁一面に積み重なっている。ゴミ袋は全てパンパンの様だが一体何が詰まっているのか。かつての「ガレージ」とは似ても似つかない、文字通りのゴミ屋敷と化していた。ゴミ袋が積まれていない壁面に、数枚の貼り紙が見えた。近付いて見ると、それは退去を呼び掛ける勧告だった。「早急に退去願います」と、大きなフォントで書かれている。こんな張り紙は僕が居た頃にはなかった。こんなにきつい臭いを纏っている様では、僕の私物を回収する気にもならない。全くの無駄足だったのだ。


 臭いが体に染み付く前にさっさと脱出しようと思った。しかし、奥の機関室の方で物音が聞こえたので、住民かと思い声を掛けた。出てきたのは、髭も髪も伸び放題の男だった。着ている紺のジャケットには腕に穴が空いている。僕は彼に呼び掛けた。もはや此処を綺麗に使えとは言わなかったが、外を往復する際にはもう獣道は使わないで欲しいとだけ伝えてみた。皺顔の彼は、顔こそこちらを向いているが目線が合っているのかはっきりしなかった。まるで僕を人として認識していない様だ。更に彼の背後で、もぞもぞと布団が動いた。もう一人いる様だ。僕は彼らに背を向ける事を怖れつつ、さっさと地下室の階段を登っていった。


 帰り道のタクシーで、僕は一つの学びを得た。同じ人間だと思って安心し過ぎていたんだ。仕事を申し送る段階で、大きな見落としをしていた。どうすればいい?あいつらが僕の一言に重みを感じているとは思えない。僕がこの地を去る前に、彼らをあっさり信頼して仕事を明け渡したせいで、今そのツケを払わされているのだ。僕は二人の始末を考え始めた。



 三日後、田中を助手席に乗せたハイエースで市民公園までやって来た。深夜二時、市民公園全体を見渡せる道路脇に停車してエンジンを止めた。


「これで終わりだな」


 田中が言った。彼は単身で東京に戻ってから、足を洗いたいの一心で運びのタスクを回し続けていた。一つ一つのタスクに信頼できる代役を見つけないと、ここから綺麗に姿を消す事が難しくなる。田中は今日のタスクを以て、全ての連絡手段を断ちシャバに復帰するつもりでいた。


「本当に大丈夫なんでしょうかね?足はつきませんか」


「大丈夫だ。俺は奴らと管理側にいたんだぞ。辞める奴は名前を消すだけの簡単な作業だ。お前みたいに妙にモチベーションの高い奴は、名前を消すだけじゃあダメかも知れないが」


 田中は笑った。


「僕のモチベは最低レベルですよ。結局北海道から命からがら逃げて来た」


「要は、お前もまだ若いんだよ。結局、女ともダメだったんだろ?その時の感情に流されて、身を固めようとすんなよ。可能性なんて幾らでもある」


 彼の言う可能性とは、シャバでまだやり直せる事を言っているのだろう。僕にとっての可能性とは、全ての選択肢を含んだ未来の事だ。


「そういえば、田中さん」


 僕は話をあらぬ方向へ振った。


「運びをやってて、銃を完成させちゃう奴は居ないんですか?組織だった犯行は連日報道されますが、僕みたいにうっかり組み立てて撃っちゃうって話は聞かないですよね」


「お前が銃を完成できたのは、田村の保管品をお前が持ってたからだ。田村は銃刀法に抵触する、銃身や機関部を扱ってた。それは本来、無名の運び屋が手に取ったりはしないんだ。イベントの前に物資が集められて、組み立てられる。それまでの間は、運び屋は何の役にも立たない部品をカモフラージュして運ぶためだけに生きてるのさ」


「なるほど。そうだったのか」


「だからお前が銃を持ってるのを見た時は驚いたぜ。覆面警察かと思って撃つ所だった」


「ここに居たら命が幾らあっても足りませんね。早く辞めないと」


 それが田中の求める結論だ。


「そういえば、田中さんってどうしてこの世界に入ったんですか?」


「宇佐美だ」


「え?」


「俺の本名だよ。宇佐美って言うんだ。俺がここに流れて来た理由がそんなに気になるか」


 僕は頷いた。


「大卒新卒で入った会社を3年で辞めた。そこが本当にブラックでな、何も考えず毎日日付が変わるまでひたすらぶん回し続けてたら、ある朝動悸と吐き気に襲われてそのまま倒れ込んじまった」


 宇佐美は続ける。


「鬱だったんだよ、鬱。仕事を辞めてから新しい職を探す気にもならず、なけなしの貯金と失業手当で数ヶ月間は怠惰な引きこもり生活を送ってた。そんな時期に、この仕事を見つけた。それは当時始めたばかりのコールセンターで同僚が教えてくれたんだ」


「そうだったんですね」


「コールセンターの仕事は、訪問リサイクル業者を名乗って老人の家にひたすらコールを掛け、各家庭の貴金属を巻き上げるって内容だった。グレーな仕事だと思ったが、そこで同僚から「運び」の存在を聞いた時は、もう完全に黒だと思ったな。知っての通り、この仕事は人伝でしか伝わってこない。公ではお目にかかれない仕事なんだ」


「ええ、僕も田村との出会いがなければこんな世界には触れる事もなかった」


 宇佐美は僕の反応に構わず話を進める。


「当時は感激だった。誰とも関わりたくない、只々今の自堕落な生活を続ける事以外考えたくなかった自分にとって、こんなにいい仕事はないと思った。そこからは多分お前と変わらない。徐々に仕事内容がデカくなっていった」


 彼は話の間で煙草を挟んだ。


「柳原・・・、実は俺も日本人なんだ。お前と同じように、ひょんなきっかけでこの世界を知っただけの一般人だ。外国のスパイでも何でもない。どこかに事務所がある訳でもない」


「僕は日本人の方だと思ってましたよ」


「本当か?もしかしたら、外国のエージェントかだと思い込んでるから、そんなに畏まってんのかと思ったぜ」


「でも、「ボス」とは関わりがあるんですよね?」


「ああ、それは本当だ。彼らの事は俺も良く知らない。ただ、俺だけが今消えたら今度はお前が「ボス」と連絡を受け持つ立場に繰り上がっちまう。そんなの嫌だろ?」


「それはヤバいっすね」


「ああ、「ボス」からは今後も協力すれば高い地位を保障するって言われてるんだがな、そんなのどうでもいい。もうこれ以上、悲劇に加担する必要はないだろ」


「間違いない」


「これでいいんだ。お前も外に出て、色々知った方がいい。お前は知識豊富だし有能だが、人の気持ちにもっと触れた方がいいと思うぜ。そしたらもっと素直に生きていけるさ」


「宇佐美さん・・・」


 やがて公園の向こうから歩いて来る人影が見えた。ジャケットとコートを着た二人が市民公園の遊歩道を歩いて来る。あのゴミ屋敷の住人達だ。偽装のためにルートを変えたり、何処かの作業着でも着てくるなどと言う考えは彼らにはない。既に、彼らが厄介な存在である事は宇佐美を通じて「ボス」にも報告済みだった。


「来ましたね」


「さあ、行って来るわ」


 宇佐美は助手席から降りて、真っ直ぐ彼らの方へ向かっていった。恐らく公園の際を通る遊歩道上で取引する事になるだろう。僕は準備を始めた。座席の後ろに立て掛けた銃を手に取ってボルトを引くと、鈍い金属音と共に弾が薬室に込められる。彼が振り向く事はない。銃のグリップを右手で握り何時でも構えて撃てる状態を保ち、左手には太腿のポケットから取り出した起爆スイッチを用意した。黒いゴム製のボタンの上にそっと親指を乗せる。


 やがて遊歩道の脇に聳える大きなイチョウの木の下で、三人は合流し立ち止まった。宇佐美がリュックから荷物を取り出す様子が伺える。


 今だ!ボタンに力を入れた。


 三人の中心で強烈なフラッシュが起き、僅かに遅れて耳をつん裂くような音を聞いた。三人のシルエットは吹き飛び、四散した。爆発の瞬間、僕の全身が金縛りに遭い反射神経の虜になった。宇佐美は、文字通り消えたのだ。彼らが立っていた地面は今、血肉と破れた衣服が重なり合い凹凸を成している。


 僕の唯一の同僚が、宇佐美がたった今、血泥を撒き散らして形を変えた。喉の奥底から乾燥が広がり、鉄ともなんとも言えない味が口中に蔓延する。どこか生々しい風味は、自分の口そのものを味わってるみたいだ。指先が震える。いや、もはや全身が小刻みに痙攣している。やはり落ち着いては居られなかった。強烈な悦びと恐怖を全く同時に感じている。これは人殺しなんだ。僕にとっての最後の障害が、一瞬で木端微塵だ!脳天まで痺れる。最高だ。こんなにも悍ましい快楽は初めてだ。


 これが自由か、堪らない。しかし、まだ周辺警戒や報告の義務が残っている事を思い出し、興奮は少し治まってきた。街灯に照らされた公園の中心で、三体だったものが地面に崩れている。周辺住民からの反応は未だない。特殊な包装布の中で爆発したため、音が抑えられたのだろうか。或いはただの爆竹程度に思われているのかもしれない。


 その時、地面で崩れていたはずの一体に動きがあった。足が動いているのが車内から見える。まだ生きていたのか。よく見ると、二人の残骸と体液に紛れて、奥の方の一人はほぼ形を保っていることに気付いた。流石にあの程度の爆発では巻き込めなかったか。僕はライフルの安全装置を解き、半開きのパワーウインドウから銃身だけそっと外に突き出す。肩と頬でしっかりと銃の後部を挟み込み、崩れない姿勢を保つ。鉄製の冷たい銃床の温度がそのまま頬に伝わってくる。スコープを覗くとレンズの中央に上向きの楔が焼き付いている。その楔の頂点に死に損ないの頭部を捉え、引き金を引いた。サイレンサー内蔵の銃身からは空気を割く音だけが響き渡った。風を切る音と同時に、彼の頭は二発の衝撃波を受け真っ二つに弾けた。


 それから一息ついたが、まだ指示は来ない。ここで引き際も上手くいけば完璧なのだが。数十メートル先の「抜け殻達」を眺めながら、こんなやり口で人を消す事に後ろめたさを抱えないか心配だった。しかし、実際にやってみれば自分の手で殺したという実感は却って手応えとなり、かつて無い程の達成感に満たされていた。もう、この国でやり残したことはない。


 プルル、プルル


 衛生電話が鳴った。やっと来たか。電話を取ると、相手は野太い声で名乗りもせず宇佐美の安否を聞いてきた。話を伺ったところ、スマホが発信機となっており宇佐美を常時追跡していた彼はつい先程、信号をロストしたという。僕は、彼が爆発でスマホ諸共弾け飛んだ事を克明に伝えた。


「だから、今は自分一人だ。宇佐美の代役を勤めたい」


「確かに死んだんだな」


「勿論だ。画像を送ってやろうか」


「いや、必要ない。なら今後は君に報告を求める。テレグラムは・・・」


「持ってる。宇佐美から事前に聞いてある。ブツはまだ車内にある。このまま港まで運びたいのだが、それでもいいか」


「分かった。なら連絡を待て、すぐに場所を示す」


 焦りと苛立ちから高圧的になってしまう。連絡は一旦、途絶えた。ここに居続けるのは危険だ。僕はライフルを座席の後ろへ投げ、エンジンを始動させるとパワーウインドウを完全に閉鎖した。

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