21(終)、母への電話

 柳原圭人


 十二月上旬の朝、昨夜暖房の入タイマーをかけ忘れて部屋の中が寒い。布団から出るのが億劫だったが、今日はいよいよ動き出しの日だ。カーテンを開けると、どんよりした空の光に覆われた。雨の匂いはしない、寒い日の曇り空。

 その日、僕はニュースを見ない事にした。今テレビを点ければどのチャンネルも侵攻のライブ映像を流しているに違いない。その有様を見て、気を乱したくなかった。そんな時間すら勿体ない。もう分かり切ってる事なんだ。部屋の戸締りを確認して電気を消し、僕はこの部屋を後にした。アパートの外はいつもより静かな気がする。一度足を止めて耳を澄ませば、静けさは確実になった。遠くの風の音まで聞こえるのに、人の動きがない。通行人も車の音もない。もうみんな避難したのか、気付けば僕だけが取り残されていた。


 車に乗り込んでキーを回す。レンタカーのワゴンは旧型なので、起動の際は鍵を差して回すタイプなのだ。古い車は好きだが、このオートマ車には愛着が湧かない。僕は淡々と座席の位置を調整し、華奢なハンドルを優しく握った。国道を走っている途中、衛星電話が鳴った。片手に取ってそのまま受話器のボタンを押すと、ノイズ混じりで野太い男の声が響き、国防省の情報部と名乗ってきた。


「伝達したい事がある。今後の動きについてだ」


「はい」


「まず集結地点へ向かって欲しい。これから座標を伝える。メモを取ってくれ」


 メモを取るために、一旦車を路肩に停めた。


「大丈夫です」


「よし、集結地点は7182 1079だ。そこに我々の特殊部隊がいる。彼らと合流してくれ」


「はい」


「特殊部隊は戦闘服にテープを巻いてる。左腕と右脚に銀のテープを特殊部隊は巻いてる。一般兵士と区別してくれ。一般兵士は君の事を知らないんだ」


 若干ぎこちない日本語だったが、彼が伝えたい旨は明確に掴んだ。


「はい。分かりました」


 出来るだけ平易な言葉で返答を試みる。


「そこで、先日渡した証明書を出してくれ。そこからは彼らが案内してくれる」


「はい」


「後どのくらいかかる?」


「いま、車で移動しています。あと1時間ほどで着くかと」


「わかった。部隊にはそう伝えておくよ。協力に感謝する。では」


「あ!待ってください」


「なんだ?」


「横浜へ攻める部隊の前進ルートを教えて頂けませんか?」


「・・・それは答えられない。なぜだ?」


「横浜市に家族が住んでるんです。できれば情報を得て、家族を安全な場所に連れて行きたい」

「いま伝える事はできない」


「お願いします!母がまだ家にいるんです。情報は転用しないと約束します」


「・・・分かった。確認してから連絡する」


 そう言った直後にプツッと電話は切れた。

 再び車を走らせる。目的地の座標は先日テレグラムで送られてきた場所と同じだった。念を押してか手違いか、二度連絡を受け取ったのだ。車はすでに八桁の座標が示す山の頂上付近に向かっていた。無人の街を突っ走る国道を進んで行くと、やがて峠に入る手前の交差点に当たった。信号が赤に変わって速度を緩めた時、交差する道路が車で渋滞している事に気付いた。停車して渋滞を眺めていると、車の中のドライバーや後席の人がこちらをジロジロと見ているのが分かる。居心地は悪いが、一台だけでどこへ行くのかと不思議に思う気持ちも分からなくはない。僕が向かう峠は、超えてしまえば横浜市街へと向かう事になるからだ。彼らは、ニュースに反応して家を飛び出した避難民だろう。


 信号が変わり、僕は渋滞の空白を突き抜けて峠道に入った。木々に覆われた緩やかな坂道をただ登っていく。一つ目の峠の急カーブを曲がり切った時、上空を何かが高速で突き抜けていった。航空機だ。それも単機ではない。二、いや三機のジェット機が並んで天井の空を引き裂き、轟音と黒煙を残して後ろへ消えた。黒い鉛筆のような形だった。あれは侵攻してきた戦闘機だろうか。


 プルルルルル


 再び電話が鳴った。手に取って通話ボタンを押すと、今度はさっきより甲高い声が国防省を名乗ってきた。別人のようだ。


「位置情報を知りたいと聞いてるが、どこを知りたい?」


 位置情報というのは、ニュアンスが少しズレている。


「横浜に上陸する部隊のルートをお聞きしたいんです。そこに私の家族がおりまして」


「ヨコハマか。分かった、説明が難しい。メールで送るから確認してくれ」


「はい。ありがとうございます」


「なお、上陸の決心は今日の午後だ。ヨコハマへの進軍は、トーキョーや他の戦局の影響も受ける」


 彼は日本語が流暢だ。聞きやすいので、こちらも反応しやすい。


「ええ、分かりました。全体の戦局としてはどうなのでしょうか。東京は今朝から侵攻が報じられてますが」


「あまり善戦とは言えない。揚陸部隊の20%が、壊滅か後退を余儀なくされてる。今朝東京湾から降下した部隊は殲滅された。次の突入は恐らく明日の明朝だ」


「なるほど」


「なるべく早く終わらせたいが、明日には日本の部隊も配置に付いてるだろうから抵抗は固くなるだろう。トーキョーは長引くかもしれない」


「分かりました。情報ありがとうございます」


「ああ、こちらこそ協力に感謝するよ。ご家族の無事を祈る!」


 電話はまたプツッと切れた。スマホを取り出してメールボックスを開くと、すでにそれは届いていた。宛名不明、件名なしのメールを開くとコピペされたURLが一行だけあった。タップすると、英語で注意文が流れてから地図のアプリが開いた。見た事のないアプリだ。マップは横浜が中心に捉えられ周辺の陸地が一部、黄色に点滅している。これが侵攻エリアという事なのか。アプリ右上の方に色別の意味が書かれた表のようなものがあるが、添えられた文字を理解する事ができない。さらに、黄色い領域の中には沢山の数字が浮かんでいる。それら数字は小さな四角形や六角形の枠に収まっていて、まるで県道や国道を表すマークのようだ。しかし、見た事がない表記な上に種類が多すぎる。これらはきっと部隊を表すのだろう。となると、この黄色いゾーンがやはり進軍地域になる。さらにアプリを弄っている内に、マップの日付を変えられる事に気がついた。明日に設定してみると、黄色いゾーンはグッと広がり、部隊符号は広範囲にバラけた。その翌日、翌々日と変えるたびにゾーンが拡大していく。これが進軍で間違いないようだ。横浜市を見てみると、初日は周辺の地域から侵入して街を包囲し、翌日に攻める流れのようだ。実家は北の方の郊外だから、幸い包囲の外にある。僕は再び衛生電話をつかんで、今度は母にコールした。


「あ、母さん?」


「圭?圭ちゃん、今大丈夫なの!?」


「大丈夫だよ。むしろ母さんは無事?」


「よかった・・・。今朝のニュース見てからもうびっくりよ。あんたに朝から電話したのに、出ないからもう母さん心配で・・・」


 市内のスマホは今繋がらないのだ。そのために実家にも設置した衛生電話だったが、着信履歴が残らないので母のコールに気付けなかった。


「気付かなくてごめんね。でもこっちは大丈夫だから。朝からニュース見てるよ!すごい事なってるね!」


「そうよ・・・、もうこれからどうしていいか・・・」


「母さん、今どこにいるの?」


「母さんは家にいるのよ。いま玄関に収めてた非常用持ち出し袋を出してたとこなの」


「そっか、分かった!そしたら母さん。今はそのまま部屋にいて欲しいんだ。絶対に遠くに出ちゃダメだよ!」


「そうなの??圭は今何してるの?」


「圭は今から自衛隊の人と会ってちょっと仕事しないといけないから、すぐ家には行けないんだ」


「自衛隊って、圭どうしたの??」


「負傷者が運び込まれてる場所で、ちょっと頼まれた仕事があるんだ。患者の搬送で役に立てそうなんだよ!内陸の方だから安全だし、こっちは気にしなくていいから」


「あらそうなの・・・、母さん心配よ。早く戻ってきてね」


「うん、分かった。早めに戻るからね。母さんは絶対に外に出ちゃダメだからね。特に港の方は絶対に!」


「うん、分かったわ圭ちゃん。母さん待ってるね」


 これでいいんだ。


「うん。母さん、今は圭の言う事だけ聞いてれば大丈夫だからね」

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内通者 @TheYellowCrayon

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