13、干渉

 『続いてのニュースです。全国各地で危険な車両盗難が相次いでいます。警察は今日未明、倉敷市内に住む無職の男を現行犯逮捕しました。現場の岡山市内の駐車場では、車両の周辺を不審に歩き回る二人の人物の姿が防犯カメラに収められており・・・』


 カーナビのディスプレイが、やや上の方を向いている。天井から駐車場を見渡す防犯カメラの記録に映し出されたのは、高級車に手を出そうとする二人の男達の姿。カーナビ一つ取っても、ベンツGクラスと業務用のワゴンとでは雲泥の差がある。田中のベンツを初めて運転したこの日、僕はステアリングの硬さに驚いた。車の容姿もさる事ながら、まるでトラックを運転しているかの様だ。車内からの視界が異様に高い事にも、多少の慣れを要した。


「慣れればこっちの方が安全だよ」


 助手席に座る田中は、スマホで新たな契約を取り付けている最中だった。そしてある時、手を止め溜め息を吐いた。


「本当は東京で乗り回したかったんだけどな」


「東京の街を走らせるのは難易度高いですね。僕には扱いきれません」


 すると彼は鼻で笑い、ニュース画面に目を向けた。


『・・・通報により駆けつけた警察官が呼び止めた際、一人の男が警官目掛け拳銃を発砲。これにより警官一名が脚に弾丸を受け軽傷、現在岡山市内の病院で治療中との事です。男らはその後逃走しましたが警官の応射により一人が死亡、もう一人がその場で取り押さえられました。』


 防犯カメラの映像が切り替わり、ブルーシート上に並べられた押収物が映し出された。彼らが所持し使ったであろう拳銃や弾薬、加えて拳銃を収めるためのホルスターからサバイバルナイフまで並んでいた。


「見ろよ。ロシア製だって」


 田中が言った。押収物の映像の下に、「密輸品: ロシア製の銃器」というテロップが出ていた。最早、お決まりという感がある。


「見た目コンパクトそうですね。田中さんが持ってるのと同じやつじゃないですか?」


「知らねえわ。ただ、同じロシア製ってのは間違いない」


「という事は、僕らの仲間である可能性大ですね」


 と言うと、彼は反発した。


「仲間とかじゃない。お上は一緒かも知れないが、それだけだ。カネでタスクを引き受けただけで、組織的な繋がりはない」


 こんな奴らと一緒にするなと言いたいのだろうが、意見としては真っ当だ。僕らは組織と自称するには構成員同士の繋がりが希薄すぎる。田中みたいに「ボス」と直接関わりのある人間にとっては違う話だが、殆どの構成員は顔も晒さず言葉も交わさないまま、カネだけで繋ぎ止められた関係に過ぎない。だから「仲間とかではない」のだ。


「精密電子部品をロシア本国に送ってるって話があるな。コメンテーターが言ってたぜ。そのために最新のトヨタ車やテスラなんかの高級アメ車が盗まれてるってな」


「それって本当なんですかね」


「さあな、裏社会の事はよく分からん。とにかく、もう印象は最悪だよな」


 印象という理由だけでは、全ての違和感を処理し切れない。僕らには、裏「社会」と呼べる程の連帯や自己完結性はない。それでも何かしらの取引やイベントが常に成立しているのは、「ボス」の潤沢な資金とそれを上手に行き渡らせる力があってこそだ。情報の統制にも長けているから、公的機関の調査によって取引ルートを辿られる事も殆どなく、この仕事と運命的な出会いを果たした一握りの人間達だけが、ある意味で極めて純粋な取引活動の一端に触れる事が出来る。そんな事を可能にする存在と、僕らは当たり前の様に関係を持っているのだ。


 しかし、世間で目立った犯行と言えば大掛かりな強盗ばかり。仮想通貨の抜け道を巧みに用いて、滞りなく資金を流入させる能力がありながら、実際にやらせている内容が余りにも拙いではないか。かつて酒の場で、この疑問を田中にぶつけてみたが無関心だった。ただ、お粗末なんだろうと一言で片付けられてしまう。


「確かにロシアは戦争以来、先端技術の輸入ができなくなっています。でも、それで大規模な窃盗を行う理由にはならないでしょう」


「非人道的、だよな」


「いえ、そう言う意味じゃなくて、西側の精密機械をコピーしたい動機としては不自然な気がします。合理性がない様な」


「それを言うなら、戦争にも合理性はないだろ」


「それはそうですね」


 いつの間にかナビ画面は、アイドルを映し出す音楽番組に変わっていた。関心を失った田中は、ダッシュボード内に隠していた拳銃を手に取り警備員用の革製ホルスターにすっぽりと収めた。


 翌日も、田中と顔を合わせる時間があった。新しい計画を紙媒体で事務所に持って来ると言う。午後イチで来ると、一報だけ受けていた。その日も終日、内藤と二人体制だった。僕と内藤が屋上で酒を交わした昼下がり、あれから2人は堕ちるところまで堕ち、熱が少し落ち着いてくると距離の保ち方を考え始めた。休めるが遊べない、というのがこの職場に於ける二人の共通認識であり、時間だけ拘束された状況をいかに充実させるかというテーマが僕を悩ませた。


「圭ちゃん?」


 内藤彩音は、パソコンの画面を眺める僕を真横からまじまじと見つめていた。呼び掛けを無視してエクセルの作業を続けていると、彼女はどんどん顔面を近付けて僕の名をしきりに呼び続けた。不意に僕は反応し、小さな顎を掴んでそのままキスをした。


「綺麗な横顔を眺めてたのに、邪魔しないで。」


「今日はもう禁止な。」


 彼女は目を閉じたまま、軽く吹き出した。今日はまだ朝イチで酒も入れていないし、と抵抗を考えたが芽生えた熱を拒む事はない。二人は控室のソファになだれ込み、端正に着こなした制服を台無しにした。一糸纏わぬ彼女の身体は、朝の冷え込みなど関係なく火照りを帯びていた。


 それから少し眠っていたらしい。目覚めると蛍光灯の眩しい光が中心にあった。彩音は僕の首に腕を絡めて、すぐ横でまだ眠っていた。寝起きにも拘らず、目がチカチカして疲労を感じる。電気を消しておくべきだった。


 暫くの間身動きも取れず、僕は暇潰しに音楽を聴く事にした。完全に無欲な今、Lofiのミックスでも流せばまた眠りに就けるかも知れない。しかし、ラインの通知に関心を奪われた。その相手は、なんとあの元FSB職員だった。LINE交換なんてした記憶はない。恐らく酔い潰れて記憶が飛んでいるのだ。彼のトークルームに飛ぶと、そこにはURLのリンク先が貼られていた。その下に、「参考に」とある。開くと、飛んだ先のページは見慣れないキリル文字が並ぶサイトだった。どうやらジャーナル系のサイトらしく、URLはその中で特定の記事を指していた。


「元GRU諜報員の曝露。極東方面の戦略と内通者ネットワーク」


 タイトルはロシア語で、自動翻訳するとそんな趣旨の事が書かれていた。更に、グレーヴィチから新たなメッセージが届く。


「この前は質問に答えられなかった。この情報は有用だ。」


 僕の方は気にも留めていなかった事だ。書き言葉に少し不慣れなものを感じた。僕はお礼の気持ちをメッセージとスタンプで伝えて、記事の内容に目を走らせた。ロシア語に熟達していない自分が五千字近くもある記事をインプットするには相当の時間と労力を要する。今ではない、と思い記事に散りばめられた写真画像だけに目を通していた。銃を持った兵士がどこかの廃墟をバックに立ち竦んでいる写真、何かの増減を表す統計グラフ。そんな中で、僕の目に止まったのは一枚の地図だった。世界地図を拡大した様なもので、日本を中心に周辺を囲むユーラシア大陸が映り込んでいる。その写真が興味深かったのは、180度回転して南が上、北が下の地図だったのだ。何を表しているのか、すぐには読み解けない。ただこう見ると、海が広いなと思った。海が上の方に果てしなく広がっている様に見えたのだ。


 画面に夢中になっていると、横で静かに眠る彩音が動き、僕の胸に頭を乗せて来た。何も言わず、僕はスマホを置いて彼女の髪を撫でた。撫でる内に彩音は目を覚まし巻き付いていた腕が解けると、二人は一緒に起き上がりダラダラと服を着始める。先に整った僕は、彩音の唇を捉えて作業を妨害した。


「ねえ、どっかご飯行こうよ」


 彼女は誘う。


「今日はお昼頃に、田中が来るからダメ」


「げっ」


 彼女は全力で拒否顔を示す。それから結局二人で寄り添ったまま、お昼までの退屈な時間を過ごした。


田中が到着したのは午後三時の事。事務所にひょっこり顔を出し、入り口の扉から僕を喫煙所へ誘った。何かシリアスな空気が漂う。頬を膨らましイジけた表情を作る彩音の後ろをスルーして、喫煙所へ向かった。


「早まるかも知れない」


 田中の言葉はシリアスだった。


「何がです?「来訪」ですか?」


「「来訪」って何だよ」


「僕が勝手にそう呼んでるんです。彼らといつか直接的に利益を分かち合う日が訪れる事を」


「ああ、それが早まるってよ」


「「ボス」が言ったんですか?あと1年は先かと」


「俺もそう思ってた。だが、早いとなると俺達もすぐに忙しくなって来るぞ」


 その時は、まだ実感が伴わなかった。


「暇よりはいい。彼らと合流した後はどうなるんですか?」


「きっと、高い地位が保障されるだろう」


「確証はないんですか」


 彼は、僕の言葉に対して眉を顰めた。


「俺だって何でも聞いてる訳じゃない。共有しすぎるとマズい事情もあるんだろう。空港で迎えた時も言ったが、これは内通者だ。他人同士で秘密をやり取りする以上、余計な伝言ゲームは避けたいだろ。そんな事分からなくてもカネは確かに受け取ってるんだから、やる事をやってくれればいい」


「カネはどんな流れでやって来るんですか?」


 彼は少し口をつぐんでから、諦めた様に話し始めた。


「仮想通貨だ。だから流れは分からない。複数の暗号通貨が色んな取引場を経由して来る。俺がそれを換金して配ってるんだ」


 興味深い話だった。彼曰く、仮想通貨をサービスの支払いに取り入れた企業として、地元紙で取り上げられた事もあったらしい。周知の事実だからこそ、今この場で話してくれたのかもしれない。


「これで満足か?」


 僕はアプローチを変えた。


「こないだ、FSBの元職員と話してきました」


「FS、、なんだ?」


 知らないのか。そんな筈がない。


「諜報員です。ロシア国内で国民の印象操作に関わってたとかで」


「それはそういうプロの話だろ。お前は金で雇われた素人だから、そんなスケールのデカい仕事は任されないよ」


「現に今任されてるじゃないですか。ハリボテ組織の経営者を」


「そうだ。だからそこで留めとけよ。お前は重要な歯車なんだ。内通者としてな。道内の内通組織が予め要所を制圧したり交通に干渉する事で、「演習」をスムーズに行える様に支援するのが使命なんだ」


「演習」とは何の事か。新たな隠語を聞いた。


「ちゃんとした説明は初めて受けました。ただ、僕はもっと協力したいんです。腐った百合籠で時間を潰す位なら、もっと全体的に将来を見据えて行動してもいいじゃないですか」


「腐った百合籠か。まるで共産主義だよな」


 共産主義・・・。妙に腑に落ちるところがあった。


「そろそろ時間だ。別の支店に行くわ」


 田中は先に喫煙所を去り、僕は再びチーフ席に戻った後も彼の言葉が脳内を漂っていた。共産主義という言葉を公の場で教わったのは、確か中学の歴史の科目を受けていた時だ。退屈な資料集を少しずつ捲りながら、近現代史半ばの所で共産主義社会というページが大きく現れた。そして社会の教師はどうもピンとこない説明を教卓の前で発していた。共産主義はあくまでも理想論に過ぎないのだと言う。建前上は美しいが、人間の社会には適合せず堕落と腐敗を生み出してしまうだけなのだと。後にそれを思い出し、モヤモヤが残っていた。結局、それはいい思想なのか悪い思想なのか。


 何れにせよ、僕の今の暮らしというのは共産主義社会の住民と同じなのかもしれない。配給だけに頼って暮らし、与えられた流れに身を置くだけ。腐敗しつつある所まで同じじゃないか。共産主義の世界に住んでいた人達は、こんな空っぽな毎日を送っていたのだろうか。少しでも生産性を持とうとすれば、上から干渉と見做されるのだから諦めるしかなかったのだろうか。


 その時、僕は恐ろしい事が思い浮かんで戦慄した。これは干渉なのだ。連中は日本を直接変えることは出来ない。だから個々人に干渉して小さな集団を作り、自分達とそっくりに作り変えているんだ。僕は身震いした。しかし、少し間を置いてから、そんなゾンビみたいなエピソードを誰かのSF小説で読んだ事を思い出し、妄想に終止符が打たれた。

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