5、面白い仕事

 トンネル脇の通路を進める限り進んでみる事にした。スマホのライトでは数歩先までしか照らし出せない。しかもトンネルの中では、水音が反響して混乱を煽る。進む道は数歩毎に浅い段差が設けられて少しずつ下っている。天井は徐々に迫り、トンネル脇の通路はどんどん先細ってゆく。このまま行き止まりになるかもしれない。引き返そうかと考え始めた頃、下りの段差がなくなり平坦になった。そして壁際に砂埃を被った木箱を見つけた。その先を照らすと、木箱と同じような雰囲気の木製の扉が正面に聳えているのが見える。ここが行き止まりだ。コンクリートの壁面に嵌まり込んだ木の扉は自分の背丈よりも低い小さな扉で、公園で遊ぶ子供が通るのに丁度いい位だ。風化の激しい扉のノブをゆっくり捻ると、扉は案外スムーズに動いた。そして、その先は暗闇ではなかった。作業灯のようなオレンジの灯りが凸凹のコンクリートに囲まれた空間に光と影を作っている。ここは地下室のようだ。部屋の中には僕の身長ほどの高さのボックスが等間隔で整然と配置され、配電盤のような存在感を出している。電気や水道系の職員がここを巡回していても違和感は無さそうだ。そして何処からともなく、ヴーンという機械音が絶えず響いている。明らかに水面下の施設。しかし汚い場所ではなく、匂いもない。少しだけ、粉っぽいカビ臭さが漂っている。長い闇の時代から突然、文明に引き戻されたような気がした。そして僕は、何故かここの光が外に漏れるのを恐れて、すぐに扉を閉めた。閉めると水の音は完全に遮断された。アプリで位置を確かめても、ここがまさに座標と重なっている。さっきまで彷徨っていた森の直下にいるのだ。ここでビンゴなのか。人影は見えないが、見えていないだけかも知れない。稼働する機材がある場所なら、必ず人は来るだろうから。


 僕は慎重に進みながら、普段プレイしているシューティングFPSのステージとこの現実を重ねていた。「ウェアハウス」という大きな廃倉庫のステージと、この現実がデジャブした。資材が並んだ空間は、非常口の緑の明かりだけで照らし出され見通しが悪い。立ち回りを覚えないと、急に視界が開けたところでスナイパーに抜かれる。しかし、敵も味方も死を重ねるうちに行動がパターン化してゆき、同じポイントで同じような戦闘が繰り返される様になる。上手いプレイヤーは、多数派の行動原理を逆手に取ってゲリラ戦を演じる。そのため、こういう閉鎖的なステージで起こる潰し合いは嫌いだった。そして、この「新ステージ」でスナイパーの餌食となるポイントがあるとすれば、それは正面に見える一番奥のボックスを超えた先だ。ボックスを超えた左手には何やら広い空間があるようだが、ボックスを超えなければ肉眼で確かめる事は出来ない。辛うじて見える天井の広さから、車が一台か二台程入りそうな空間がある事は間違いないが、そこにスナイパーが待ち受けているかもしれない。そこが問題だ。


 僕はボックスに寄りかかり、そっと顔を出した。そこは、想像とは全く異なっていた。真ん中に灰色の事務机、その周りには戸棚が並んでいたり、工具が散乱していて散らかっている。まるでガレージか小さな工房のような空間だった。そしてスナイパーは居ない。僕は思い切ってガレージの中まで歩み寄った。コンクリートの天井からランプがぶら下がっている。黄色い光はちょうど事務机の上に浮かんで、さっきまでの非常灯とは少し違う温かい光に包まれる。誰も居ない見知らぬ空間で、僕は不思議な落ち着きを得ていた。灯の光は、海外の古い映画で舞台となりそうな街並みに浮かぶガス灯の光のようだった。電気とも炎とも言えないような、揺らぐ光が温かい。ここに何か手がかりがないか。事務机の上には纏まっていない書類が散乱している。文面で埋め尽くされた何かしらの誓約書から、プレゼン資料のような図で占められたものまで内容は様々のようだ。ざっと目を通したところで、全てを把握する事はできないが、ここの設備やインフラに関係がある様には見えなかった。或いはここの作業員だけが理解できるのかも知れない。


 引き出しを確認しても、ガムテープやマグネットが転がっているだけ。ここは何をする場所なんだ。事務所にしては、あまりにも隔絶されている。机に飽きて、再び周囲を見渡した時、奥の戸棚に目が留まった。黒い塊で赤い三つの点が刻まれている、あの時見た不思議な機材がそこにあった。手に取ってみるとやはり同じものだ。信号機のように並んだ三つの小さな点。あのハイエースとの結びつくモノを遂に見つけてしまった。


 冷たい塊を手に取って眺めていると、背後で物音がした。驚いて振り返ると、地面に敷かれた布が動いている。地味な色をした毛布の下には大きな膨らみがあり、毛布に乗っていたスパナがコンクリートの床に落ちて音を立てる。明らかに機械的ではないその動きに鳥肌が立つ。毛布はモゾモゾ動きながら、膨らみの端からジッパーが開き、中から誰かの顔が見えた。皺が多く濃い顔立ちだった。見覚えのある顔。あのハイエースのドライバーで間違いないようだ。


「誰あんた?」


 侵入者に驚いた様子だが、意外とあっさりしている。


「ハイエースのおじさんですよね?僕です。くれた座標を頼りにここまで来ました」


「座標?ああ、あの渡したやつか」


 座標と言われてピンと来ていない様子が伺え、少し不可解だ。


「もう来たんだな。まだ何の準備もしてないわい」


「準備?」


「まあいいや、仕方ない」


 彼は寝袋から抜け出し、周りに散らばった機材を漁り始めた。僕はただ呆然と見つめていた。


 それから一周間が経った。面白い仕事というのは、人伝に知るもの。それを早い段階で知ることができたのは幸運だったのかも知れない。一人で森に侵入したあの日以来、僕は学校帰りにあの空間へ通い詰めていた。親父さんから教えてもらった経路を使えば、狭いフェンスの隙間や人目を気にして森に入っていく必要はなくなった。作業用に使われる獣道が、市民公園の隅に建つ資材置き場の裏から伸びていたのだ。これなら全く目立つことなく、あの地下室までショートカットすることが出来た。


 その施設は、川の流水量を調節する設備だった。大雨などで川の水量が危険域に達すると、調整弁を開いて普段使っていないパイプラインに水を流せるようになるらしい。パイプラインは居住地区の直下を通るルートもあり、開栓する際は住民に勧告がなされる。その操作は通常、水道局から遠隔で行われるので作業員が直接操作しに来る事はない。水道局の人間がやって来るのは定期点検の時、それは三ヶ月に一回だった。地下室の壁にはチェックシートが貼り付けてあり、チェックの日付が三ヶ月スパンで記されている。親父さんによると、彼らは日付通りにやって来る。だから、その日を避けていれば誰とも遭遇しないと言う。不具合などの異常事態か定期点検の時以外は、完全に社会から隔絶された巣となるのだ。今の僕にとって、こんなに居心地の良い場所はなかった。穴にでも顔を突っ込みたい気分だった時期に、本当に誰の目にも触れない穴を知ってしまったのだ。始めは警戒していた見ず知らずのおじさんに対して感謝の気持ちが溢れ、僕は彼を親父さんと呼ぶようになっていた。


 彼はホームレスだった。この地下室の存在を知ったのは数年前、引き受けていた「仕事」を通じて見つけたものらしい。寒い時期はここに住み込んで寒さを凌いだり、たまには仲のいいホームレスを呼び込んでビールや酎ハイの缶を空けまくったという。そんな彼も、もう「仕事」を引退する事を決め、ここを離れるのだと言う。そのため、彼は後継を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが僕だったらしい。妙に出来レースなあの落とし物のくだりは、目をつけた僕とコンタクトを取るきっかけ作りの為だったのだ。


「どうして僕なんです?」


「へへっ、覚えてないかい?まだ小さい頃、広場で紙飛行機を飛ばしてただろ?それがよくウチの庭に飛んできた」


 紙飛行機・・・。何の事かと一瞬記憶を巡ったが、すぐに思い出した。紙飛行機と言っても、それは四角い紙を折り曲げて作る簡単なものではなく、繊細な厚紙を切り抜いたり貼り合わせて形作る、小さなグライダーの様なものだった。小学四年生か五年生の頃、よく、この市民公園の広場までやって来て飛ばしていたのだ。それは、たまに家に遊びに来ていた叔父の趣味だった。一緒に公園で飛ばしに行ったのがきっかけで、僕はその世界に足を踏み入れた。時間をかけて作りこむほど飛行機は高い所まで届き、そして長い間空に留まった。しかし、時には手間を掛けたのに全く空に羽ばたいてくれない事もあった。その世界に僕は一時はまり込んでいたのだ。しかし、ある時からピタリとやめてしまった。当時の小学校のクラスで、そんな遊びに興じる人はどこにも居なかったのだ。その頃から、自意識は急に大きくなり、僕は周りの空気を伺い始めた。人の反応を恐れ始めた。趣味や友達を選ぶようになった。そうしなければ、無視できない疎外感や虚無感に押しつぶされそうになっていく。叔父と僕は違うんだ。そう言い聞かせて、僕は自分一人の過去を捨てた。


「おれは覚えてるよ。その紙飛行機がよく出来ていて感心したし、何より礼儀正しい子供だと思った。まあ、毎回真剣に謝ってくれるけど何日か経てばまた飛行機が飛んできたもんだよ」


 親父さんは笑いながら話す。僕もこの人を覚えていた。しかし、随分と容姿が変わっていて気付かなかった。記憶のおじさんは、こんなにシワが濃くなかったし肌も黒くなかった。髪の毛ももじゃもじゃではなくオールバックだった筈だ。老け以上に、環境の変化を物語る変貌ぶりだった。僕は全てを覚えていると伝えた。しかし驚きを隠せず、そんな僕をみて彼は笑っている。


「どうしてここで生活する事になったんですか?おじさんの家には大きな庭があって、広い家だったのを覚えています」


「ああ、家は売り払ったよ。五年前にカミさんが亡くなってね。そこからどうもいろいろとやる気が失せて、仕事も辞めて家を売り払ってカネにした。全部吹っ切れちまったんだな」


 僕は親父さんの話に聞き入っていた。どうやら病死した奥さん以外に親しい親戚は少なく、交友があった人達とは別れを告げたらしい。


「そろそろカネが尽きるってところで、ホームレス界隈の奴から今の仕事を教えて貰った。お陰でカネには困ってない。社会を離れても、案外なんとかなるもんだよ」


 ホームレス界隈・・・


「その仕事というのは」


「これから教える。もし、引き受けてくれるならね。俺は体力の限界を感じてて、そろそろ引退したいんだ。次はもっと若い人が必要だと思った。そこでたまたま通りかかった君に気がついた」


「そういう事か。。」


「君は顔がちっとも変わってないね。だからすぐにわかった。条件はバッチリだから、後は話してみて決めようと思った。君なら問題ない。いずれは直接話しに行くつもりだったが、感付いた君の方から来てくれたわけだ」


「・・・とても興味があります。僕でよければ」


 親父さんは予想通りと言いたげに笑った。


「では申し送ろう。」


 申し送るという言葉は、その時知ったのだった。


 始業式から一ヶ月が経った頃には、柳井の存在を口にする者は居なかった。柳井という生徒は、最初から居なかったのだ。僕の記憶から柳井は消えていない。しかし、龍弥に柳井の話を持ち掛けることはなくなった。僕が全てのモヤモヤを忘れる事ができるのは、やはりあの地下室の中だけだった。クラスの煩わしい空気から解放され、母が帰って来ることもないあの空間。親父さんは早々に姿を消したので、僕だけの巣となっていた。親父さんは仕事の引き継ぎを終えると、納得した様にあの部屋を出ていった。少しの寂しさが残った。親父さんと話している時間は、本当に心が開放される不思議な思いがしたのだ。彼は彼自身の全てを語ってくれた。少年期から親父さんの憧れや夢に加えにて奥さんとの出会い、そして死。僕は彼を明るい人だと思った。何の執着も偏見もなく、ただ言葉を伝えてくるという感じが次第に僕自身の心も解放して、彼の人生から僕の少年期まで自由に旅をした。人と話すのがこんなに楽しいと思った事はなかった。全てがどうでも良くなった。母親も受験もクラスも、全てが些細な事に思える。少なくともここにいる間だけは、コンクリート製の大きな目隠しで、全てを遮断してくれる。


 僕はそれ以降、彼から引き継いだ「仕事」を淡々と続けながら青春の後半戦を送った。高校三年生の頃の記憶はあまり留めていない。ただ、同じ様な毎日を送っていたんだと思う。親父さんの荷物からこっそり掠め取った、黒い部品を携えて。

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