10、使者との対話

 強い雨が視界を遮る。フロントのワイパーはせわしなく往復を続け、明瞭な視界を何とか保とうとする。僕は助手席に深く腰を落とし、四方を雨水に囲まれる事に落ち着きを覚えていた。雨水に打たれる音だけが車内を支配して、外界から隔離された薄暗い閉鎖空間が道の上で揺れている。


 隣には先日、銃口を突き付けてきた男がハンドルを握っている。その見た目から推し測るに、30代前半だろうか。一重で離れた両目には光を感じない。若々しさはないが、「運び」の仕事で顔を合わせる人間達の殆どは老けて身なりも汚いので、「仕事仲間」としては圧倒的な若さと清潔感がある。髪型には拘りがなさそうに見え、硬い直毛がある程度伸びた所で刈り上げられていた。彼とはあの日以来同僚となり、僕は早速彼の作業に駆り出される事になった。今日は再びガレージを訪れ、親父さんの遺品たる密輸品の数々を回収する任務を帯びていた。


「この車、マジでトルクが無いな」


 坂道発進に手こずった彼は苛立ち、言い放った。


「安いレンタカーですからね」


「ブツは重いんだよ。やっぱりハイエースじゃなきゃ駄目だな」


「そんなに沢山の武器があるんですか」


「当然だ。武装蜂起のために集積してたんだ。その蜂起は結局、田村が忽然と消えたせいで帳消しになったがな」


 彼と話す内に、僕が知る事のなかった親父さんを取り巻く状況が明らかになってきた。彼は大手銀行への襲撃事件を指揮する立場に居たと言う。しかし、実行の直前でリーダーたる親父さんが行方を眩ませた事で計画倒れに終わり、そこで浮き足立った他の襲撃参加者達の情報が警察に漏れた事で一斉逮捕を食らう羽目になったのだと。僕はその一件をニュースで聞いたことがあった。ロシアから武器を密輸した男らがテロを計画している最中に逮捕されたと言うものだった。当時、ロシアというポイントが強調されて報じられていたのでよく覚えている。


「親父さんが、テロ組織のリーダーだったって事ですか?」


「田村の担当だったんだ。なのに実行直前で逃げた。すぐにはバレない様に、「運び」だけは他の人間に委ねてな。それがお前だったって事だ。全く信じられないよ。あんなに堂々とブツが放置されて、既に5年も経ってるんだからな」


「なるほど」


「アホ面が、麻薬なんか勧めてきやがって。お前はお人好しを利用されたんだよ」


 僕はこの話を聞いた時、信頼を置く人間から裏切られた事による屈辱的な怒りを想像してみたが、すぐ凪に立ち返った。心のどこかでは、例え騙された事が真実でも構わないと思っていた。親父さんと話した時間は、心の底から孤独を忘れたひとときだったから。


 やがてレンタカーのワゴンは森の脇に停車した。市民公園側ではなくその反対、森に隣接する住宅地の道路側から地下室にアクセスする。僕が座標だけを頼りに初めて地下室に到達した時と同じルートである。高校生の当時とは違い、遊歩道を囲むフェンスは一部が倒木によって抉れており、そこから二人は森の中へ易々と侵入した。二人とも水道局員のユニフォームを着ており、荷物の搬出作業をカモフラージュしている。おまけに雨のせいで通行人は居ないも同然だった。数回に渡る長い往復が終わる頃には、作業服の撥水も効かなくなっていた。

 帰路は僕がドライバーになった。彼を道中の駅前で降ろし、僕はこの車に満載したブツを今夜、次の運び屋にパスするまでキープしていなければならない。


「夜までの置き場所があるんだな?」


助手席の彼が聞いてきた。


「ありますよ。ウチの駐車場はフリーみたいなもんで、夜までなら問題ないです。車両での受け渡しは初めてですが、そのまま手渡せば良いですよね」


「積み替えは次の奴が全部やる。お前は見守ってりゃあいい」


 夜10時半、マンション前の空き駐車場でエンジンを停めて待機していると別の車が到着し、寝起きの僕はヘッドライトの眩しさに思わず目を細めた。その車もまたワゴンであり、バック駐車で隣にピッタリ停めてきた。僕は倒れたシートに再び横たわり、背後の物音が消えてトランクが閉まるのをじっと待っていた。


 それから三日後、僕は彼から呼び出しを受けた。渡したいものがあるとの事で、カフェで時間を作ろうと言ってきた。指定されたカフェは、恵比寿駅のバスロータリーが一望できる位置にあった。午後3時前、先に着いた僕はテーブル席を取って待つ事にし、マグカップに波々注がれたウインナーコーヒーのクリームを揺らしながら席に着いた。休日だからかカフェの中は客で溢れ、聞こえて来る会話の多くが一方的なビジネストークや、年の離れた男女間の辿々しい自己紹介である事に興味を引いた。やがて、アイスコーヒー片手に現れた彼は白いフード付パーカーと言うラフな姿だった。これもカモフラージュなのだろうか。彼はアイスコーヒーをテーブルに置いて席に着くと、下目線でスマホを弄りながら口を開いた。


「どうしたい?」


「え?」


「今後どうしたいかだ。続けるのか、辞めるのか。もし続けるなら、今渡すものがある」


「勿論、続けます」


 僕は片道切符を切る事に決め、彼は了解した。続ける以上はもう、何も知らないままブツを横流しするだけの生活には戻れない。素性を少しでも知った以上は、今すぐ消えるか参加するかの2択しかないのだ。今日がその決断の日だと言う事は薄々察していた。運び屋の仕事で、対話が要求されたのは今日が初めてだから。今までは誰とも知り合う事なく、テレグラムの上でやり取りが過ぎるだけだった。仕事を通じて、群れを成す事は一度もなかったのだ。


「仕事の内容は?」


 僕は問うた。


「随時、連絡する。今までと変わらない。ただ、今日渡す衛星電話を通じてやり取りする場合もある。何れにせよ、指示で動くのは変わらない」


「了解」


 それから、彼はズボンのポケットから灰色のモバイルバッテリーの様な物を取り出した。彼はバッテリーの表面を親指で連打している。よく見るとそれは旧世代のPHSの様な携帯電話の形をしていた。折り畳めないタイプの古いケータイだ。彼は小さな端末に集中しながら、突然舌打ちをした。


「クソ、初期化を忘れてた。いいか、場所を指定する。今夜十一時、ここに来い」


 彼は自身のスマホに持ち替えて、ある画面を見せてきた。そこにはインスタのページがあり、初めて見る公式アカウントが開かれていた。彼は続ける。


「渋谷のクラブだ。ここで細かい事は伝える。以上だ」


「ええ」


 ナイトクラブなら秘匿性が高いと言う事なのか。だが、あまり騒がしい場所は好きじゃない。その用事が早く済む事を望んだ。


「他、気になる所は?」


 締めの質疑に対し、犯罪組織の割には丁寧だなと思った。そこで、僕は本当に気になる事をそのままぶつけてみた。


「あなたのボスに会えますか?」


「ふざけてるのか?」


「運びの仕事が、組織的に動いている事は理解しました。なら指揮する者がいる筈だ。僕はその情報に触れたい」


「答えられない事はある」


「僕は協力的です。いつ知る事が許されますか?思うに、これは海外からの関与が強い」


「お前はもう協力者だ。だからって全てを知れる訳じゃない。お前は子供か?知りたがりで喚かないでくれ」


 彼は声を荒げない様にしつつも、表情に苛立ちが現れていた。僕は更に続けた。


「不愉快にさせて申し訳ない。ですが、明らかに仕事の形態が変わった事は無視できない。ここ5年、誰とも関わらずにカネだけ受け取ってきた。それで気にならない訳がないでしょう」


「一つだけ言えるのは、お前は今を以て「参加」した。だから嫌でも色々知る事になるさ。だから今はただ、指示を待て。これからは頻繁にやり取りする事になる」


 了解の意を伝えると、彼はPHSをテーブルの真ん中に置き、スマホでいきなり僕の方を撮影して来た。


「提出しなきゃいけないんだ。お前とコレが一緒に写ってる写真をな」


 用を済ませた彼は、席を立ちカフェを後にした。僕は冷めてしまったウインナーコーヒーに、ようやく最初の口を付けた。


 道玄坂を登った先、路地に入るとそこはナイトクラブとホテルが乱立し、酒呑みやハイカラな輩が路上に屯していた。その道の中腹で、煌々と緑のネオンを放つ入り口があった。そこが指定されたナイトクラブだ。エントランス前に立つ、黒いジャケットを来たセキュリティに免許証を提示して門をくぐる。中のホールは広く、そして暗い。螺旋状に続く階段が、広いホールを壁伝いに降りている。ホールの底は人でごった返しているのが見える。大学生くらいの若者か外国人しか居ない。酒でも片手に腰を振っているようだ。


 僕はホールの喧騒を階段の途中から眺めていた。クラブ自体は何度か訪れた事があったが、それでもこの非日常にはまだ慣れない。爆音のリズムと無数のスポットライトがリンクして、空間全体が混沌を繰り返している。二十分近く無心で眺めていると、気づいた時には彼が横に来ていた。昼と同じ服装だ。僕が何か言う前に、彼は無言で衛星電話を渡してきた。受け取ってカバンに収める。


「目的を教えるよ。ロシア人だ」


 ロシア人・・・。ロシア人の利害に関与すると言う事か。


「ロシア人が北海道で影響を持ちたがってる。そのための支援を我々は国内から行ってる。人手は幾らあっても足りないから、お前にも参加して欲しい」

 勿論、と返答した。


「雑破な指示しか言わないぞ。それで疑うなら、ここから離れてくれ」


「カネがこれまで通り振り込まれるなら、信じます」


「これまでどころの金額じゃあなくなるぞ」

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