3、偶然

 それからの冬休みはあっという間だった。家でゴロゴロ過ごし、年の変わり目はテレビ越しに除夜の鐘を聞き、三ヶ日が終わる頃には学校を思い出し始める。例年と変わらない、母と二人で過ごす年末年始。思えば冬休み中に会った人は柳井だけだった。

少なくとも年末までは、キスを交わしたあの夜の余韻が残って消えなかった。退屈だからと部屋を飛び出しては龍弥に連絡を取ってみたが、あいにく身内の世話で忙しいらしい。それならと再び部屋に篭るが、勉強に打ち込む気になどならない。ベッドの上でスマホ画面に見入っていた。暇な時に始めるのは戦争のゲームだ。銃を構えた視点で兵士を操作できるFPS。今日も雪の積もる山岳地帯のステージで、兵士達はパラシュート降下して各々のポジションに展開する。コンピュータグラフィックの雪山はリアルな陽光の照り返しまで再現されて本当に美しい。

現実の景色以上のリアリティを感じた。僕はテロリスト側の兵士としてルームに参加した。スポーンした瞬間、手には黒い銃が握られ、装填レバーを引くと鈍い金属音が雪山の廃倉庫内で響いた。テロリストらしく服装は荒々しい状態で、錆び付いたロシア製の銃がよく似合う。よく見ると握り手の近くに赤い点が3つある事に気付いた。いつも使っているお気に入りの銃だ。これがあの時見たのと同じだったら面白いのにな。一人の時間はひたすらゲームに興じた。この上なく平和で、決定的に何かを欠いた冬休みが過ぎて行った。


 晴れた冬の朝。閉め忘れていたカーテンの日差しが目の奥まで届く。始業式の朝はいつにない緊張を抱いていた。朝の海風に煽られ、立ち漕ぎで県道の坂を登りながら、頭の中は柳井の事でいっぱいだった。彼女と出くわしたら、どんな態度に出ればいい。目が合えばスマイルでいいか。自分から話しかけに行くか。僕が廊下側の席なのに対し、彼女は窓際の真ん中辺りにいる。席も班も違うのだから積極的にアプローチしない限り、接触はないかもしれない。それがいつも通りだから。何より、普段話さない2人が一緒にいて、周りから変に注目されたくもない。


 市民公園を横断する坂に入った時、ふと2週間前の終業式の帰り道に出くわしたあのハイエースの姿が蘇る。しかし今朝の道路に路駐車は見えない。朝の時間帯は車の往来が激しいだけで、停まっている車はいないのだ。勾配を三十分近く登り続けて息を切らしたが、ブレザーの隙間から入り込む冷気が汗を乾かしていた。そして今日もマフラーを忘れた。

 駐輪場は既に満車だった。クラスに入るのは僕が最後かもしれない。実際、僕は最後にクラスの扉を開けた。しかし教室に居たのは全員ではなかった。窓際の席、柳井が空白だ。その丁度対角線上に位置する空席に僕は座り込む。後ろの龍弥はその後ろのやつと喋っていてこちらを向かない。今は睡眠ではなく、会話に夢中のようだ。


 僕はしれっと席についた。僕で最後じゃない。まだ三分ある。なんなら遅刻かもしれない。モヤつく内にスピーカーからチャイムが響く。結局、始業式からホームルームと過ぎ去っても、彼女は現れなかった。新学期で勢いづく中で、彼女への気持ちとは一旦決別したが、午前最後のホームルームが終わる頃に、彼女の席がチラッと目に入ってきた。気を紛らわそうと後ろを振り返ったが案の定、龍弥は鞄を枕にしている。なんなんだこいつは、新学期初日から何も変わらない。


 僕はこいつが羨ましかった。いつも平常心で、寝たい時に寝て話したい時に話す。適度に抱えたネタの引き出しで、急なアドリブにもさらっと応じる。裏表のないマイペースなキャラがクラスに広まり、和んだ空気を周囲に振り撒く。なぜ気にせずにいられる。なぜ平然と自分を保っていられるんだ。ここに居るだけでも圧を感じてしまう自分が被害妄想的で惨めに思えてくる。なぜと問うた所で僕は変われない。中学生の頃から必死で誤魔化してきた内心なのだから。今日も彼の台風の目を突いてみる。最初は十五センチ定規で、しかし反応がないので三角定規の鋭角を。それでも起きないので、僕はペンケースから秘密兵器のコンパスを取り出した。先端のビニールチューブを外して、光を弾く針先をゆっくりと龍弥の頭に向けた。すると、到達する直前に彼はふっと顔を起こした。まるで脅威を察知したように。


「おはよう」


「何持ってんのお前?」


「お目覚めのキス」


「殺すよ」


 龍弥は僕が構えるコンパスを見ながら言った。表情がどうも明るくない。クマが濃い気がする。


「疲れてる?」


「ん、あいや、ばあちゃんの介護しててあんま寝てない」


「そんなに深刻なの?」


「うぅ。あと親戚の所にも行ってたからな。散々だったぜ」


「冬休みおつかれだな」


「間違いねえ。学校にいる間は何もないから最高だわ」


 その時、こいつと僕の根本的な状況の違いを見つけた。彼にとって学校は「マシな場所」なのだ。身内に優先事項があり、学校を気にしている場合ではない。自意識ばかり肥大させ、立ち振る舞いが脳内を埋め尽くす僕とは、その前提が違う。ようやく見えてきたぞ。こいつにとって、学校なんて大した場所じゃないんだ。


「起こしてごめんちゃい」


「ん。てかさ、あの子居ないじゃん今日!」


 龍弥は話題を振った。


「え?あの子って?」


 僕は惚ける。


「反対側にいるだろ?お前の前の子」


「柳井か。今日居ないね」


「なんか、イジメじゃね?ってさっきまで話してたぜ。よくわかんねえけど、ほらなんか色々あんじゃね?女子のグループで」


「どうかな・・・」


 考えたくない可能性だ。しかしありそうな話だった。内気でポーカーフェイスな柳井が放つオーラを、龍弥も含めて皆が感じ取っていた。そこでこんな噂が囁かれてもなんの疑問も感じないのだ。それなら不登校じゃないか!僕は体調不良による欠席を願った。もし登校拒否ならと想像すると、僕は彼女から突き放されたような気分になった。僕に一切の連絡もないまま姿を消すなんて。あの日別れ際に、「オレのもんだ」って宣言したのに・・・。


 帰り道は寒かった。正午の県道は静かで元々好きだったのに、今日は肯定的な感情が伴わない。いつも通り、県道のてっぺんから海を見下ろしてまっすぐ下る。ブレーキを離し、全身で風を浴びる。そして視界の先に気付いて鳥肌が立った。前と同じ色のハイエースがいる。しかもこないだと同じ場所に路駐して。やがてナンバーも見えてきた。「わ」ナンバーのレンタカー。僕は緩くブレーキをかけ速度を下げ始めた。ゆっくりと車の前を通り過ぎよう。通り過ぎた後は逃げるようにして。しかし叶わなかった。悪い予感が当たり、車内から呼び止める声が聞こえたのだ。


「久しぶりだな、あんちゃん。」


「お久しぶりです。おじさん、ここで何してるんですか?」


 助手席から顔を出す皺顔の親父に問うた。この前と同じ顔だ」


「ああ、警備の仕事だよ。こないだも言ったがね。ここで待機してる。」


「レンタカーで?」


 僕は追求した。親父は口を噤んでいる。少し間を置いてから話し始めた。


「レンタカーだと可笑しいかい?」


「社用車がないならレンタカーという選択は不自然な気がする。」


「他に何か気になるかい?」


「あのアイテムは?こないだ落っことした部品。赤い三つの点があるのを覚えてます。あの機材をまた見せてもらえませんか?」


 再び親父は口を噤んだ。


「すみません。なんか疑ってるみたいで。」


 僕は問い詰めた後で気が引けた。しかし具体的に気になる事は全てぶつけたのだ。ぼんやりとした違和感は、彼とのやりとり全てに感じる事だが。


「構わないよ。そうだな、そしたら。」


 彼は胸ポケットに手を入れた。大きなポケットで、それが縫い付けられているジャケットも大きい。登山服のようで、柄は青系の迷彩だった。


「ここに来てくれ。」


 胸ポケットから取り出した紙を渡してきた。受け取ってみると、ペンで数字が殴り書きされていた。それは八桁の数字。特に規則性も感じない、横並びで電話番号の様な数字の列だった。なんだこれは。


「これは?」


「今はそれ以上言えない。ただ、そこは場所を示してる。気になるなら調べてみな。おれは仕事に戻るから、さあ行った。」


 言うと彼は腰を上げて、助手席から運転席に移りエンジンを掛けた。

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