第一章 竜狩との出会い

転生前日〈前編〉

 ゲーム機の液晶画面の中で、緑色の肌のゴブリンが赤い眼を光らせ、黄色のトゲトゲヘアーに白いパンツ一丁といった姿で、背中に黒い大剣を担いでいた。


 神殿の壁面に据えられた松明の灯りが、その大剣〈プルス・ウルティマ〉に刻まれた碑文を照らしている。


 【この者、終焉を超えし討伐者なり。】


 攻撃力強化アイテムを飲み込むと、彼は神殿中央に穿たれた大穴に向かって前転し、稲光が放たれている黒い雲の渦の中へと飛び込んでいく。


 天から舞い降りるがごとく石畳の上に左膝をついて着地すると、挑戦者を威嚇するかのような雷鳴が轟いた。円形ステージの周りでは無数の岩が旋回している。

 ここは外界から隔絶された闘技場。ステージの外縁は奈落の底へと続いており、どこにも逃げ場など無い。


 いま俺が手元のゲームパッドでプレイしているのは、大人気ハンティングアクションゲーム『ドラゴンキラーⅤ』。そのシリーズ最強との呼び声も高い白神竜が、こちらへと振り返った。


 ――〈終焉竜ウルティマ〉――


 神々しい白亜の毛並みには赤・青・黄・緑の力線を纏い、それぞれ火・氷・雷・風の四属性に耐性があることを示している。

 優雅な曲線を描いて天に突き出されていた2本の角が、その禍々しく血走っていた双眸が、同じく赤い眼をしたハンターの姿を見つけ、ギンッと睨みつけてきた。


 まだ翼は生えていない。ほとんどのハンターは、この第1形態で挫折する。

 スキップ不能の登場ムービーが終わると、ウルティマは荒ぶる馬のように前脚を高く上げ、こちらへと突進してきた。


 俺は画面内のキャラを左に3歩ほど移動させてから正面に向き直り、すれ違いざまの竜の頭部に大剣の横斬りをくらわせると、十字型に紫色のクリティカルヒットエフェクトが炸裂。


 ゴムのように伸びてくる噛みつき攻撃を側転で躱す。

 体を回転させながら振り回す尻尾攻撃を前転で躱す。

 地中に潜った竜から規則的に突き出される角攻撃を3歩ほど横に歩いて躱す。

 いずれの攻撃も、この“裸装備”では即死級の一撃だ。


 アクションゲームの神髄は、いかに『敵の攻撃を見極め、回避するか』にある。アクションゲームにおいて最も重要なことは『見ること』であって、『当てること』は二の次。


 余裕があれば、回避をする場所にもこだわりたい。適切な間合いに、適切なタイミングで位置取ることが出来れば、流れるような動作で反撃を加えることが出来る――そう、たとえばこんな風に。


 竜が尻尾を振り下ろした瞬間を見切ってキャラを前転させ、振り向いてからの縦斬りを当てると、跳ねるようにして千切れた尻尾が俺の背後へと転がっていった。


 それも束の間、赤い肉の見える新鮮な切断面から、さらに凶悪な形状の棘尾が生成されていく。


 大剣を背中に収め、後方へのローリングで竜との間合いを空ける。

 空間を歪ませるほどの竜の咆哮。

 ウルティマはその眼を発光させ、薄闇の中に光の流線を描いた。

 この挙動は、第2形態へと移行する合図だった。


 禍々しい風貌の竜は背中から漆黒の翼を生やすと、天高く飛翔した。


 大剣を背中に差すと、すかさず竜の降下地点まで駆けていく。

 ここから先は、些細なミスも許されない。


 ウルティマの移動速度は2倍、攻撃力は3倍にまで上昇、さらに攻撃パターンは16通りにまで増加する。

 しかもそのそれぞれが、ウルティマの固有モーションときた。立ち位置がわずかでもズレれば、回避が1フレームでも遅れれば、たとえ最強防具を着ていても即ゲームオーバー。


 上空からのブレス攻撃には、着地点に先回りして溜め攻撃。

 円を描く跳ね回り攻撃には、その中心に立って回転斬り。

 滑空攻撃には、腹部に飛び斬り。


 俺にとってノーダメージクリアは大前提。いかにテンポよく正確に攻撃を当て続けられるかで、スコアが増減する。

 すでに尻尾は3度切断、両翼を破壊、頭頂部に生えた2本の角も半分に折れていた。


「そろそろか……」


 これまでに当ててきた攻撃種類や回数、ウルティマが見せていた反応から判断すると、あと3発から5発ほどの手数でクリアのはず。


 竜の足掻きモーションに移る直前の唸り声を合図に、俺は竜の真正面かつ、竜の体3つ分ほどの距離に対峙し、大剣を肩に担いだ。

 この大技を決めるためには、測量士のような間合いの読みと、野獣のような動体視力と、仙人のような悟りの境地が必要になる。


 俺は鼻呼吸によって肺いっぱいに空気を吸い込み、口からゆっくりと息を吐き出した。

 竜が右前脚で地面を掻く――1、2、3。


 怒り狂った竜が突っ込んできたところに、ジャストタイミングで振り下ろした剣先が接触し、炸裂する紫十字の閃光。

 竜は天を仰ぎながら前脚で空を切り、そのまま横向きに倒れた。


 液晶画面が竜からプレイヤーへと切り替わると、パンツ一丁の黄髪・緑肌ゴブリンが腕を組むムービーが流れ、特別仕様の華やかなファンファーレが流れた。


 すぐさま俺はメニュー画面を開き、残り時間を確認――[25:02:86]。差し引きすると討伐時間は4分57秒14。

 昨日の夜、Ytubeにアップしたのは5分2秒の動画だ。やった、自己ベスト更新。いやむしろ5分切ってるから、ドラキラRTA勢でもベストスコアかも。


 イチかバチかの大技を当てたのが効いたな。ドラキラⅤでは、向かってくる竜に対してジャストタイミングで攻撃を当てると、ダメージが4倍になるバフがつく。あの一撃があったからこそ、このスコアを――


「ずいぶんとお楽しみじゃなぁい」


 手元のゲームパッドから目線を上げると、おばさんパーマヘアで厚化粧をした中年女性が、俺の左横で頬を引き攣らせながら立っていた。

 そういや今は、4時限目の古文の授業中だったな。


「はい、没収」


 ゲームパッドを取り上げられそうになるのを両手で必死に抵抗しながら、俺は魂の雄叫びを上げた。


「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って! セーブだけさせて!!」



  † † †



 俺の〈INTENDO-SWIFT〉は金属製のデスクの上に放り投げられた結果、ガガゴンッと心臓に悪い音を立てた。


 精密機械の扱い方もロクに知らない更年期ババアを力任せにブン殴りたい衝動に駆られたものの、俺は拳を握りしめて堪えた。ここは昼休みの職員室、手荒な真似は出来ない。

 授業中だったため細心の注意を払っていたのだが、電子拍手音に聴覚を奪われていたおかげで、死角からやってきた鷲掴み攻撃への反応が遅れてしまった。


 ちょうどいいストレス発散対象を見つけたクラスの担任教師は、大変ご満悦のようだ。更年期障害を患った中年女の喜びを隠しきれないというような含み笑いが、癇に障る。


「大隈ぁ、ふざけんのもいい加減にしろよぉ」

「ふざけてません。俺は真剣にゲームと向き合ってました」


「そういう態度を『ふざけてる』って言ってんの」

 またしても敵は強烈なロングブレスを吐いてきた。歯槽膿漏の臭いによるスタン効果もある。


「だいたいお前、昨日提出した進路希望調査書も白紙だったろ。どうすんだ、将来」

「フリーターになって、死ぬまで生きます」


 机の上に握りこぶしが叩きつけられ、ゲームパッドが1センチほど宙に浮いた。


「お前さぁ、社会ナメてんだろ」

「ナメてんのは先生の方でしょう? 古文なんか教わったところで、俺たちの人生に何のメリットが?」


 小刻みに3度、自信たっぷりといった様子で、敵モンスターは頷いた。

 おそらくこのパターンは、長年の指導経験の中で、幾度となく繰り返されてきた質疑応答だったのかもしれない。


「いいか、大隈ぁ。勉強は中身が大切なんじゃない。勉強することを通して、目標に向かって計画的に努力することが大切なんだ。そのプロセスを学ぶために、お前らに勉強させてるんだよ」


「フフッ」


 あまりにも工夫のない返答に、ついつい鼻で笑ってしまう。


「何がおかしい?」

「そんなマニュアル通りの回答してるようじゃ、もうじきAIに仕事を奪われますよ」


 バチンと音がして、視界が90度ほど右に回った。

 職員室中の視線が俺たちの元へと集まり、その場の空気が凍りつく。


 敵の『しまった』という顔を横目に、俺はデスク上のゲームパッドを抜き取り、背中に回して隠した。

 どうやら敵は周囲の反応に気を取られ、俺の[盗む]コマンドに気付いていない様子だ。ミッションコンプリート。

 あとはどうやってこの場から立ち去るかだが――


「お取込み中のところ、大変申し訳ないのですが~」


 不意をついて、両肩が後ろから迫ってきた何者かに掴まれ、思わず固まる。

 俺は飛びかかってきた彼女の気配に気付けなかった。コイツはまるで、草むらに隠れて獲物を捕まえようと目論む肉食獣だ。


「あっ、ああ、王神おうかみか……どうした?」

「リューキ借りてっていいっすか?」

「は?」


 戸惑う教師には目もくれず、金髪の少女は俺の背後に回ったまま両肩を掴んで押し出し、職員室の人波をかき分けていく。


 俺が後ろに回した右手でドアを閉めると同時に王神嶺華は振り返り、まるで万引きを成功させたガキ大将のような笑顔を向けてきた。

 金髪のポニーテールが、楽しそうに揺れている。


「助けてあげたんだから、ちゃーんとお礼してよね!」

「はぁ……今日は何?」

紅玉こうぎょくマラソン」

「またぁ? 昨日もやったろ?」

「お願い!」


 小麦色の肌をした美少女は、俺の目の前で両手を合わせ、その大きな茶色い瞳を輝かせながらウインクしてみせた。


 〈王神嶺華おうかみれいか〉という漫画みたいな名前の美少女は、俺の幼馴染であり、学校内では俺の彼女という設定でもある、天才高校生アスリートだ。

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