竜剣道場〈後編〉

 木目調の床に、汗の水溜まりができていた。

 足が滑りそうになるのに注意しながら、道場をこだまする掛け声に合わせて、大剣を前後に振る動作を延々と繰り返していく。


 納刀の構え、縦振り、再び納刀の構え、右横振り、再び納刀の構え、左横振り、再び納刀の構え――


 競技用の大剣が軽いと思ったのは大間違いだった。

 一度や二度の大振り、または1分前後のミニゲームの中では、その真の重みを知ることが出来ないからだ。


 30分以上連続で素振りしてみれば嫌でも思い知る。次第に自分が剣を振っているのではなく、剣が自分を振り回しているのではないかと錯覚するようになってくるからな。

 しかも、少しでもフォームが乱れると、周りにいる大人たちから温かい檄が飛んでくる。


「オウガ! 姿勢が悪い! 剣先に集中!」

「はい!」


 道場の外での走りこみ、体幹トレーニング、フットワークという基礎練をみっちり1時間半以上行った後の素振りは、俺があっちの世界で味わってきた、あらゆる理不尽な練習のキツさを超えていた。


 すでに頭は働いてない。体が勝手に動いている状態。人は一定以上の疲労感を超えると、無の境地に至るんだな。


「素振り止め! 5分休憩!」

『押忍!!』


 俺は大剣を落とし、その場に倒れるようにして寝転んだ。

 ビチャッと小さな水飛沫が聞こえ、水分を吸収しきれなくなった道着が肌に張り付いた。


 剣の素振りは、ドラキラの大剣モーションと全く同じだ。

 縦斬りと横斬りの繋げ方、横斬りと斬り上げの繋げ方、回避や防御の仕方にいたるまで寸分の狂いもなく同じモーションだった。

 だから俺は、頭ではそれらの正確なスイングフォームを知っていた。お手本となる動きのイメトレは、それこそ何十万回、何百万回もこなしてきたからな。


 いや、頭だけじゃない。この体も正確なフォームを覚えていた。

 竜狩をやめてから約3年間、オウガはこの道場で、みっちりしごかれてきたんだ。


 俺にとって大変残念なことに、オウガの父親は典型的なスポ魂親父だった。

 ビル――これまた巨石が積み上げられた遺跡のような建物――の4階に自分の道場を構え、週6回というほぼ毎日と言えるような頻度で、息子や弟子たちの面倒を見てやっているらしい。

 週6って仕事かよ……と思ったら、まさか道場の先生だったとはな。


 周りの弟子たちは体の仕上がっている大人ばかり。その中で一番の若造が俺。

 その大人たちが俺のペースに合わせてくれるはずもなく、必然的に俺が彼らに合わせることになってしまった。もはや、合法的な拷問だ。いや、もはやこのレベルは非合法な児童虐待とさえ言える。


「なんだぁ? 今日はえらくやられてんなぁ?」


 上から覗きこんできたオウガの父親が、結露で濡れた冷たいウッドボトルを俺の額の上に置いてきた。彼は昨日と同じように、紺の柔道着のようなものを着ている。

 寝転んだままボトルを受け取り、それを一口だけ飲む。中身は冷たい水だった。


「ちょっと体調悪くてさ……」

「昨日サボった分、キッチリ練習しろよ」

「いやぁ、昨日は昨日で大変だったんですよ……」


 言わないけど俺、昨日この世界に転生してきたんだよ? ったく、異世界生活2日目で、学校通うのにもまだ慣れてないってのに。放課後に校門の前で待ち伏せしていたオウガパパに連れてこられて、こんなスパルタ練習に付き合わされるなんてな。


「お前、昨日今日となんか変だな」

「……へっ?」


 まぁ敬語は不自然か。実の親子なんだし。


「よぉし、今日は特別に俺が稽古つけてやる。覚悟しとけよぉ」


 俺は再び大の字になって天井を見上げた。

「やっぱこれで終わりじゃねぇんだな……」


 竜剣は、東邦に古くから伝わる儀礼〈竜舞りゅうまい〉が源流にあり、それが中世から近世にかけて競技化された東邦の国技だ――とオウガの部屋にあった本で読んだ。


 竜剣と竜狩に、直接的な関わりは無いとされている。

 だが、それら二つの競技は、『概念としての竜を倒す』という勝利条件において一致していた。


 〈竜〉は、自然界で人類の脅威として存在している〈龍〉をモチーフとした想像上の生き物であり、実体的には存在しない。

 竜狩にて視覚・聴覚・触覚で感知することの出来る竜は、全て召喚デバイスによって投影された幻だ。

 それは、元の世界で言うところの、3Dホログラム発生器から投射された仮想現実に過ぎない。

 当然、この世界の魔法技術が発達する前には、存在すらしない競技だった。


 竜狩には約百年間の歴史があるが、竜剣はその10倍以上の歴史を誇る。

 なにせ、特別な魔法技術を必要としない。

 竜剣の竜は、人が演じるからだ。


 竜の種類ごとに、あらかじめ決められた動作で、獅子舞のような〈竜頭〉を担いだ竜役の舞が披露される。

 プレイヤーである剣士は、その場で舞い踊る竜と対峙し、あらかじめ決められた動作で剣を振っていく。

 その性質は、剣道やフェンシングのような対戦格闘競技よりも、体操やフィギュアスケートなどの美的採点競技に近かった。


 技が披露される間は、脇で戦囃子いくさはやしと呼ばれる東洋的な打楽器と弦楽器が生演奏され、その音楽に合わせて競技が進行する。

 剣技の完成度や、竜役との呼吸、音楽との同調度によって点数が付けられ、高得点を競うのだ。


 と、ここまで一夜漬けで覚えた豆知識を思い返してみたわけだが、俺は全くの素人のまま、この競技に挑まざるをえなくなってしまった。

 いや、たしかに竜狩も初めてっちゃ初めての競技だったけどさ、あれは奇跡的にドラキラと同じルールを採用していたし、対戦競技のようにプレーの自由度が高かった。


 だけど、この竜剣は違う。

 これまでオウガ少年がある程度の期間に練習してきたであろう演目を、決まった動作で、決まったテンポで披露する必要がある。


 道場の隅っこに座り、先輩の試合を観ながら順番待ちをしていた俺は、これから自分がするべき一連の動作の一切を知らなかった。

 何をどうするのか、どれくらいの時間やるのか、全く想像がつかない。


「いよーーーっ!!」

 ドン、と打楽器が力強く鳴ると同時に、剣士が大剣を振り下ろしてしゃがんだ。


 1回の演目は平均して約10分間。

 ただ、竜役の動きや剣士役の動きはそれぞれ大きく異なり、竜剣は再現性という点で――


「それじゃあ始めるか、オウガ!」

「ふぁいっ!?」


 目の前では“父親”が、ハリボテの竜頭を被りながら、独特のリズムでカチカチと竜の歯を噛み鳴らしていた。


 まずいまずいまずい。ヤバいヤバいヤバい。

 素振りはごまかせても、この実演はごまかせそうにない。俺は『竜剣を練習してきたオウガ』を演じられない。

 なんとかしろ、なんとかするんだ――


「おい、どうした? 剣を構えろよ」


 丸くて大きな目玉の付いた極彩色の竜頭が、不思議そうに首を傾げていた。


 俺は、この竜剣とか言う異世界剣道をやらないで済むような理由を述べる必要がある。

 心臓の鼓動で頭がいっぱいになる中、俺はとっさに思いついた言い訳を試してみることにした。


「あっ、あのさっ……俺、さっきの練習で足首くじいちゃったみたいで……」



  † † †



 足首をくじいたくらいで稽古をサボれるんなら、最初からそう言っとけばよかった。

 “自宅”での夕食で出された謎肉ハンバーグを咀嚼しながら、俺はそう思った。


 ――「無理すんなよ。アイシングして休んでろ」


 オウガの父親は意外にも優しく、俺の体を心配してくれた。その言動が嘘で、足首を摩るのが演技だと疑うこともなく。

 そんな彼の目は今、食卓の正面にある棚の上に投影された、宙に浮かぶ立体映像へと釘付けになっていた。


「いけぇ! そうだ、よしよし、いいぞいいぞぉ」


 それは生中継されている、プロ竜狩の試合映像だった。

 円形のスタジアムの中に、火山地帯のようなセットが組まれている。

 紅い竜は空中を旋回しながら戦士たちを狙い、火の玉を発射する。

 大剣、弓、槍などの武器を構えた戦士や魔法使いたちが、横っ飛びでそれを回避し、実況と解説が名場面を盛り上げる。


 これが、この世界のスポーツらしい。どう見てもゲームのプレイ動画を実写で再現したようにしか見えないんだけど。

 プロの試合は1チーム8名によって行われ、前後半のゲームをホーム側とアウェイ側で交互に行うものらしい。試合中継では、監督やベンチメンバー、スタッフらしき人物の顔も映し出されていた。


「はぁ……お前もプロ竜狩選手になってくれたらなぁ」

 食事を終えた“父親”がポツリと言った。


「……えっ?」

「なんせ、竜が怖いんじゃ向いてないよなぁ。剣のスジはいいと思うんだが」

「でも学校のテストではちゃんと戦えたんでしょ? 最後まで」


 そういや今の今まで全く気付かなかったが、この家には竜狩関連グッズの数々が飾られていた。

 選手のポスター、チームフラッグ、マスコット人形、サイン入りユニフォーム――全てが赤い。

 2人揃って、どこかの赤いチームのサポーターなんだろう。


「オウガ、また竜狩できるようになったら、いつでも言うんだぞ」

「そうそう。竜剣なんて観ててもつまんないんだから」

「いや、あれにはあれの良さがあってだな――」

「ごちそうさま」


 俺は食べ終わった食器を台所に運び、わざとらしく右足を引きずるようにしてオウガの部屋に戻ると、青いフレームのベッドに倒れ込んだ。


「あー、ヤバいヤバい。これはヤバい」


 ふくらはぎだけじゃなく、全身の筋肉が満遍なくピキピキ攣ってる気がする。もうここから1歩も動きたくない。あの拷問のような練習を、週6回のペースで受け続けなければならないという地獄の特訓は、なんとしてでも回避しなくては。

 悩むな、考えろ。この状況での最適解を導き出すんだ――


 おどろおどろしい巨大な竜に追いたてられる悪夢から目を覚ますと、俺は子供用ベッドの上で目を覚ました。

 開け放たれたカーテンから、容赦なく日光が差し込み、強制的に意識の覚醒を促される。

 異世界生活3日目の朝、置き時計を見ると6時ちょい過ぎ。


「痛たたたた……」


 全身の筋肉痛をトリガーとして、今日はせっかく学校が休みの土曜だってのに、朝9時から夕方4時まで合法的な虐待稽古を受けさせられるという、最高にイカした予定を思い出した。


 結局あのまま風呂にも入らず寝てしまったらしい。でも疲労感は昨日の半分ほどに減っていたし、一応は歩けそうだった。さすが健康優良児。


 あとでゴブリンママから湿布でも貰っておこう。もしもこの世界に湿布的なものがあればの話だが。

 リビングに降りると、テーブルでオウガの父親が新聞を読んでいた。

 椅子に座ると、彼は眼鏡越しに上目遣いで俺の様子を探ってきた。


「……おはよう」

「おはよう」


 俺は頭の中で、これから発言するであろう一連の台詞を噛まずに話せるよう、何度も何度も繰り返し唱えた。

 エルフパパから疑われている感じが、ひしひしと伝わってくる。『俺』じゃなくて、『僕』って言うぞ。


「右足の具合はどうだ?」

「うん、まぁまぁ治ったよ」


「そうか。今日の稽古には出られそうか?」

「えっと、その件なんだけどさ……」


 本心では言いたくないことを、どうしても言わなくちゃいけなくなる状況になると、口元が引き攣るんだな。

 それでもこの交渉は成立させなくちゃいけない。あの、週6で行われているという、鬼教官によるエリート海兵隊養成キャンプのような地獄の稽古を避けるために。


「俺――じゃない。僕さ……竜恐怖症が治っちゃったみたいなんだよね。だから、もし父さんが許してくれるなら、今日からでも竜狩少年団に戻りたいんだけど……」

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