埋まらない空白〈前編〉
異世界でも1日は24時間で、朝7時は日が昇っていく時間帯だった。
家庭用立体ディスプレイに映る朝のニュース番組では、無駄に迫力のある農業用ワイバーンのことを紹介している。
テレビの音量が大きいぶん、カチャカチャと鳴る食器の音が際立っていた。
いつからだろう? こんなに静かに食事するようになったのは。
それまでは親子3人、いつも仲良く賑やかでというわけでもないが、誰かが何かの話をしていたのに。
キッカケとなる話を振るのは、いつもオウガパパかオウガママだ。
そもそも、この世界での自分の父親のことを『オウガパパ』って呼んでる時点で、俺はまだ馴染めてないのかな。父親の本名はオオカミ・ライデン。西洋の国からやってきた角刈りで筋肉質なエルフだ。ちなみに帰化名らしい。
「オウガ、昨日の話は考えてくれたか?」
と、オウガパパは食後のコーヒーを飲みながら言った。
「『昨日の話』って何?」
「今週末、代表の選考員からU-12の練習会に誘われた話だ」
「あぁ、それか……」
一応とぼけてはみたものの、その話しかないよなと気付いてはいた。
この前の大会の閉会式が終わったあと、俺はオウガパパと一緒に、見知らぬジャージ姿の中年女性ゴブリンに呼ばれたんだ。
スタジアム内の会議室の中で試合の立体映像を再生しながら、彼女は『俺のプレーがいかに優れていたか』を熱心に解説していた。
――「クリティカル率、有効ヒット率の高さもさることながら、あれだけ積極的に攻撃を仕掛けて、アヴォイド率100%というのは尋常ではありません」
――「個人スコアだけで見れば、オウガ君は今大会トップの成績になります」
――「将来の東邦代表候補として、ぜひオウガ君を育成したいのですが」
とか、なんとか言っていた。
身に余るほど光栄な申し出には違いなかったが、俺はどうしても乗り気にはなれなかった。
だから念のため、ほぼ望みは無いと知りながらも、懸案事項を聞いてみた。
――「アスラは代表候補に選ばれてないんですか?」
――「あの子は……残念ながら落選ね」
――「じゃあ、俺は辞退します。ペアなので」
――「ちょっと!」「おい、オウガ!」
慌てる選考員と父親を置いて、俺は会議室を出てきてしまった。
今の俺の目標は、俺のコーチングによって、アスラを少しでもマシな竜狩選手にすることだ。そのためには、まだまだアスラに付きっきりで、基礎的な回避動作や瞬間的な防御動作を教え込まないといけない。だから――
「悪いけど、その話は断ってくんない?」
「なんでだよ。せっかく代表候補に選んでもらったんだぞ?」
「うーん、でも俺は、代表選手になりたいわけじゃないんだ。それに、ペアのアスラは選ばれなかったわけだし」
俺はそれなりに真っ当そうな理由を述べたつもりになっていたが、オウガパパは不服そうな顔で腕を組んでいた。
「たしかに、アスラちゃんの落選は残念だ。でもこれからオウガは、いろんな選手たちとプレーしていくんだぞ? これを機会に他の強いクラブチームに入っても――」
「俺にも考えがあるんだよ。あと俺、少年団を辞めるつもりないから。ごちそうさま」
立ち上がって食器を台所に運んで、逃げるようにして部屋に戻ると、学校へ行く準備をして、すぐに家を出た。
「あっ、おはよ~」
巨大樹マンションのエントランスから出てきたところで、エイルと出くわした。今日は珍しく、いつもの猫耳を頭頂部に付けていなかった。やっぱりアレ、アクセサリーだったんだな。いつも付けていたから、耳無し状態には違和感を覚える。
「――っていう話でさぁ。ホント、父親の方が盛り上がっちゃってんだよねぇ」
「オウガのパパ、よろこんでたもんねぇ、アタシたちのとこに戻ってきたとき」
「いや、それも空気読めって話だよ。そんときのアスラの顔なんて――ウッ!!」
「エイルおはよう!」
俺にぶつかりながらエイルとの間に、青いポニーテールをブンブン振り回した女子が割り込んできた。
「おはよー」「おはよ?」
挨拶をしても俺の方は無視。まるで俺が透明人間になってしまったかのような感じ。
「ねぇねぇエイルー。みたぁ? 昨日のCL、ヴァルカ対シェルフィー」
「すごかったよねー、シェルフィーの守備」
「もう全然攻めないんだもーん。わたし頭きちゃったー」
そのまま5分ほど通学路を歩いて教室の前に着いて別れるまで、アスラは俺の方に一度も視線を向けてこなかった。
チェッ、ガキが……。まだこの前の機嫌損ねてんのかよ。
そもそもお前が回避ミスって回復薬飲んだから、スコア減算されちまったんじゃねぇか。それを俺に八つ当たりしてくるなんて理不尽だろ。
大会が終わってからメシ食いに行こうかって話になったときも、アスラは「帰る」と言い出して聞かなかった。それでしょうがなく、俺たちオオカミ家とイイヅナ家だけでファミレスに行ったんだ。
まったく、ガキの相手は疲れんなぁ。これからアイツのご機嫌取りから始めねぇといけねぇのかよ。
失敗は失敗として受け入れられるメンタルがないんじゃ、これから先が思いやられんな。
……などという愚痴の数々を飲み込んで、俺はその日の少年団の練習場で、自分の方からアスラに話しかけてやることにした。
「アスラ、基礎練やろうぜー」
「この前の回避なんだけど――」
「おい、無視すんなよ」
ところが、俺が何度話しかけてみても、肩をたたいてみても、みーんな無視。
「うるさい、さわんないで。メリルー、今日のミニゲームいっしょにやろー」
「えっ? オウガくんとじゃないの?」
「いーの、いーの。ねぇコーチィ、わたし今日は――」
そう言いながらアスラは俺に背中を向けて、俺から逃げるようにして走っていってしまった。
やってらんねぇ。
俺はミニゲームもせずに防具を脱ぎ捨てると、ベルクコーチから話しかけられたのも無視してグラウンドから出て行った。
その日から、少年団の練習に行くのもやめた。
アスラに会いたくないというのが一番の理由だけど、それだけじゃない。
もう少年団での練習では満足できなくなっていたって理由もある。
正直、同年代とプレーしてもレベルは低いし、基礎練ばかりやらされるのにも飽きてきた。
生身の体を使った近未来的ARゲームである竜狩という競技に、始めのうちは物珍しさを感じていた。鎧のようなデザインのユニフォームを着て大剣を振り回す練習や、立体映像化された竜を倒す試合にも好奇心をくすぐられていた。
でも、あの県大会が終わってから、そんな何もかもがどうでもよくなってしまった。
なんでだろうな? わざわざ頑張る目的が無くなったからか?
っていうか俺、そもそも竜狩を頑張ってたのか?
なんとなく周りのやつらより上手くプレーできてたから、なんとなく竜狩をプレーしてただけじゃなかったのか?
頭の中に充満するモヤモヤの霧が晴れない。
だから俺は、ゲームの世界へと逃げた。ゲームって言ってもテレビゲームの方だけど。
商店街の一角、不良中高生たちがたむろする異世界ゲームセンターで俺は、木製筐体で対人対戦ゲームに興じるようになった。
今日は、画面上に表示される丸い点を棒人間同士で蹴り合い、相手のゴールに入れたら勝ちというゲームに俺は熱中していた。それはオフサイドルールの無いサッカーのようなゲームだった。その名も〈ウイニング・レイヴン〉。どことなく、あの世からの影響を感じる。
ワンコインで開始できて、乱入してくる対戦相手に負けない限り、永遠にゲームを続けることが出来るはずだったんだけど、30連勝したあたりでパッタリと挑戦者が現れなくなってしまった。まだギャラリーはいるのに、誰も俺のところに乱入してこようとしない。
なんだぁ? ビビってんのかぁ?
「どけよ、ガキが」
そしてそのままソロのストーリーモードをクリアしてしまった俺は、高校生らしきモヒカン男子ゴブリンに後ろから椅子を蹴られ、ゲームセンターから出て行った。
アホくさ。やってらんねぇっつうの。
巨大樹型マンションに帰って自宅の玄関を開けると、靴が踵を揃えた状態で置いてあるのが目に付いた。どうやらオウガママが先に帰っているようだ。なるべく彼女にバレないようにして部屋に入りたい。
俺は静かに靴を脱くと、忍者のようなすり足で廊下を渡り、自分の部屋まで向かおうとした。ところが――
「オウガ」
「ビッ……クリしたぁ……」
通過しようとした洗面所の入口に、オウガママ――その名はオオカミ・ヒカリ――が無言で立っていた。
これまでの経験則を反映した先入観で、リビングにいると思っていた。
「あんたここ1週間、少年団の練習サボってるでしょ?」
「へっ? あぁ、ちょっと足首痛めちゃって」
「嘘ばっかり。今ちゃんと歩いてたじゃない」
「バレてた?」
「んもぅ、竜狩やりたくなくなっちゃったんなら辞めれば? 少年団の月謝もったいないから」
そう言って、ヒカリさんはリビングの方へと歩いて行ってしまった。
少年団の練習をサボってたこと知ってたのに、怒らないんだな。しかもまだ、ライデンさんにはチクられてない。いずれチクられるかもしんねぇけど。
「はぁ……」
部屋に入ると右側の壁に立て掛けてある黒い大剣が目に入り、いつも溜め息が漏れてしまう。
このまま少年団の練習に行かないとなると、またあの竜剣とかいう謎競技をやる羽目になんのか?
とはいえ、また竜狩をやりたいとも素直に思えない。
暗澹たる気分で鞄を床に置いて椅子に座ると、机の上に原稿用紙が1枚置いてあるのに目が付いた。
「これも書かなきゃいけねぇんだよなぁ……」
それは、昨日の国語の授業で配られた作文用紙だった。
お題は『将来の夢』らしい。
――「自分が思い描いている『将来の夢』を書いてください。皆さん全員に、授業参観で発表してもらいます」
と、国語のおばさんエルフが言っていた。
なんでまた俺は、異世界に来てまで、こんなもん書かなきゃなんねぇんだよ!
現実世界にあった学校と、やってること何も変わってねぇじゃねぇか!
だいたいさ、『異世界転生・異世界転移』ってジャンルは、勇者とか戦士とか魔法使いとかの職業が、作品固有のチートスキルを発揮して、魔王か何かの敵を倒すってのがセオリーだろ?
なんで俺は異世界に来てまで、現代っぽい労働社会で、どんな風な社会人として貢献していくつもりなのかを、わざわざ作文に書いて発表しなくちゃいけねぇんだよ!
おかしいだろ! これならまだビデオゲームがある分だけ、現実世界の方がマシだったわ!
なんで俺だけ、現代ファンタジー世界のゴブリンに憑依させられてんだよ!
理不尽だろ! 不公平だろ!! 全然楽しくねぇんだよ!!
などと怨念感情に浸っていると、いつの間にか俺は作文用紙を丸めて、部屋のゴミ箱へと放り投げていた。
「それにしても、転生するまでこの体に入っていたオウガの魂は、どこに行ったんだ? っていうか、あの世界で本当に死んだのか、俺?」
まさかオウガ少年、俺の魂と入れ替わって向こうの世界で暮らしてたりしてな。つまり俺は『異世界転生』をしたつもりになっていたけど、実際には『魂交換型の異世界転移』をしていたという説。
だってそうじゃないとおかしいだろ。この体の中にはオウガの魂が入ってないわけだし、向こうの世界の俺が生きてたときに――ってか、ちょっと椅子から転けて、後頭部を打ったぐらいで人が死ぬはずない――魂が空っぽになるだろ?
そしたら向こうじゃオウガは高校2年生か。小学4年生にはナイトメアモードの難易度だな。せいぜい頑張って高校生活を攻略してくれ。
でもまぁ、ドラキラを始めとして、高度に発達したビデオゲームがあるから、その点は羨ましいけどなぁ。
嶺華も今頃、記憶喪失かつ人格交代した俺のことを介護してくれてるかもしれない。
もう嶺華とは二度と会えないのかな? そう思うと、急に寂しくなってくる。
あーもーイヤイヤ。こんな世界、とっととログアウトしちまうか。
そういや、ここは地上30階。このベランダから飛び降りたら、即死は確定。
でも、たとえこの世界で死んだとして、都合良くあっちの世界に戻れんのかな?
……わからない。もし転生も転移も出来なかったら、無駄死にだ。
それか、もっと野蛮な世界に転生したりして。それはそれで嫌なんだよなぁ……。
せめてちゃんとしたビデオゲームがあれば、この暗澹たる辛さが紛らわせるのに。俺にゲームをくれ。出来ればアクションゲーム。かっこいいドラゴンを剣や魔法で倒すものなら大歓迎。
そうそう、こんなやつだよ、俺がやりたかったのは。召喚された竜を剣で斬って、二人組で倒すPVC形式の裸眼立体視型ARゲーム。
いけいけ! なにそんなショボい攻撃くらってんだよ! もっと簡単に避けられるだろ! そうそう、あーっもう、イライラするぅ! そうじゃないって、その攻撃はガードするんじゃなくて、横ステップで簡単に回避できるだろ。センスねぇなぁ――
「こんなとこで何やってんだ?」
「へっ?」
金網に張り付いていた俺に話しかけてきたのは、ジャージ姿のベルクコーチだった。
目の前には緑色の人工芝が敷き詰められ、そのグラウンドではちびっ子たちが武器を振り回して、ミニゲームをしていた。
ここって……少年団が練習のときに使ってるコートか? ってことは今練習中?
俺、ここまでどうやって来たんだ? 全く記憶がねぇんだけど。
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