セカンドプラン〈後編〉
怒りモードに移行したアスラは、顔面に紫色のペンキでも塗りたくったかのような顔をしていた。
そうか、どの人種も血の色は赤いから、怒ると地肌に赤が加法混色されるんだな。
「あの時、約束したよねっ! 『わたしの分までがんばって』って!!」
「いや、そんな約束をした覚えは――」
「待って! ちょっと、ケンカはダメッ!!」
エイルが間に入ってくれたおかげで、俺の胸ぐらからアスラの左手が離れた。
あと数秒遅かったら、確実に顔面へのダメージくらってたな、俺。
「アンタなんかとは、二度と一緒にプレーしてやんないんだからっ!!」
教室にいた子供たちに引き離されてもまだ、アスラの鬼のような形相は崩れていなかった。怒りモード絶賛継続中。
やれやれ。これだから小学生のガキは嫌いなんだよ。感情を抑えられないところなんて、まるで動物だな。
「そっか……残念だよ」
こちらに背中を向け、教室を出て行こうとするアスラに、俺はボソッと呟いた。
「次の大会でもパートナーになったかもしれない奴に、そんなことを言われるなんてな」
「……はぁ?」
俺の言葉を聞いたアスラがドアの付近で立ち止まり、わずかに振り返った。
どうせアスラとは明日、練習場で会うことになるだろうし、あとで言おうと思ってたんだけど。成り行き上、仕方ない。
「実はラオコーチから誘われたんだ。『2週間後に開催される6年生部門の大会に、アスラと一緒に出てみないか?』ってさ」
せっかく少年団の練習が休みの水曜日だってのに、俺は放課後のホームルームが終わるや否や、教室から練習場までの道を、アスラの手に引っ張られながら早歩きさせられていた。
「今日行っても、ラオコーチいないかもしれないだろ!」
「もしかしたらいるかもしれないでしょ!」
このポニーテールの暴君は、一度言い出したら人の意見なんて聞きやしない。
あーあ、こんなことになるんなら、やっぱ明日まで黙っておくべきだった。
「病み上がりなんだから無理すんなって!」
「無理してない!!」
クラブハウスのドアがブチ開けられると、眼鏡をかけた小太りのおっさんが、ロッキングチェアに揺られながら――4人前のピザくらいはありそうな大きさの――異世界ビスケットらしきものを食べているのが見えた。
「ラオコーチ!!」
「どうした? 今日は練習休みでしょ?」
とぼけたフリをしながら、ラオコーチは微笑んでいた。
さては、俺たちがここに来るのを読んでやがったな、このタヌキ親父。
「わたしたちが出られる大会があるって聞いたんですけど! どーゆーことですか!」
ラオコーチは小さく2回、頷いた。
「2週間後に君たちが出られる公式戦があったから、枠が空いてるか聞いてみたんだ。大丈夫らしいよ」
「やったー!!」
「でも2学年上の大会なんですよね?」
「そうだよ。その分、レベルは高くなるね」
「あのっ……代表のセンコーインは来ますか?」
それこそが大事なのだと言わんばかりに、アスラはコーチに詰め寄った。
「来るはずだよ。まぁ、たとえ来なかったとしても良い記録さえ残せれば――」
「出ます! 出してください!!」
「俺の同意は?」
「そう言うと思って、実はもうエントリーしておいた」
「やったぁぁぁ!!」
「俺の同意は??」
こんの、タヌキジジィッ!!
アスラから抱きつかれて視界が上下する。こいつ、大喜びするとハグする癖があるな。そんなところも嶺華と一緒だ。
まっ、ラオコーチから話を聞いた時から、こうなることは予測済みだったけど。
「それじゃあ、今日から特訓だね!」
「いや、明日からだろ」
「コート空いてますか?」
「Bコートなら2時間だけ使ってもいいぞー」
受付にいたベルクコーチが、余計なことを教えてくれた。
「オウガ! 基礎練しよう!!」
「今日はウェアが無ぇよ」
「借りればいいじゃん!」
「マジでやる気かよ……」
その日から大会直前までの間、スパルタ教官の役目は俺からアスラへと交代してしまった。
「まだ走れるでしょっ!」
「ほらほら、集中集中!」
「少年A級の竜はHPが倍になるんだから、スタミナが大事になるの!」
挙句の果てには、少年団での練習以外――たとえば学校の休み時間や、放課後など――の時間も付きっきりで、アスラコーチの個別指導塾が開かれることになってしまった。
走り込み、フットワーク、体幹トレ、素振り、素振りコンビネーション。そのそれぞれでアスラは、並の小学生の3倍量を、楽しそうにこなしていった。
アスラのあとについていくのが精一杯。いや、正直ついていけてない。こんな脳味噌筋肉女の自主トレになんて、ついていけるはずがない。
「俺に指図すんな! 俺のペースでやらせろ!」
「なに言ってんの? ハイスコアを出すためには、あんたのフィジカル強化が必要なんだから!」
この仕打ちは、この前の特訓の当てつけか。
少年団の練習最後のミニゲームを終えた俺は、その日もクラブハウスに戻ろうとしたところで、目を爛々と輝かせたアスラコーチに引き止められた。
「オウガ! 今日も残ってくよね?」
「いや、明後日の本番に備えて帰る――」
「残っていこうね!!」
屈託のないアスラの満面の笑みに、俺は戦慄を覚えた。
可哀想に。この少女は神様から、努力すれば努力するだけ快楽物質を放出するようなバグった脳を授かってしまったのかもしれない。
そういう奴は、いざ自分の最大限の努力が通用しなくなったときに、ポスッと燃え尽きるんだ。お前はそうならないといいな。
「もう帰ろっか」
「そうしよう……それがいい……」
アスラがそう言い出してくれたのは、日も暮れた真っ暗闇に、設備の照明が点灯してからのことだった。
俺はストライキの意思表示をするために大剣を放り投げ、人工芝の上に大の字になって寝転がっていた。
「それとさぁ、今日これから空いてる?」
「まだやんの!?」
「そうじゃなくって――あっ、お父さーん!」
その声が向かった先に目をやると、文字通りに青い髭の中年男性が歩いてきていた。
「2人とも頑張ってたね」
「頑張らされてました」
っていうか、その言い方は見てたってことだな。娘の横暴を、止めてくれよ。
「お父さーん、オウガ大丈夫だってー」
「いや、だから何が?」
アスラの父親は右手に、謎の杖――その杖の上の先端部には、いくつもの映像の破片が環になって浮かんでいるもの――を持っていた。
もしかするとその杖は、この世界での撮影機材なのかもしれない。なんか、ロボットアニメに出てきそうな遠隔操作武器にも見える。
「オウガ君、これからウチに寄って夕食を食べてかない? もう君のお母さんには許可もらってるんだけど」
「来るよね!」
アスラが寝転がっている俺の頭を挟むようにして両腕を突き立て、笑顔で覆いかぶさってきた。
やれやれ。
アスラの強引さはダークエルフの民族性なのか? それともこの親父譲りの性格なのか?
俺は観念したように溜め息をついた。
「じゃ、お言葉に甘えて」
その船でグラウンドから15分くらいで、アスラの住んでいる家に着いた。
大きくもないが、小さくもない、この世界でもよく見るサイズの2階建て一軒家だ。
ただ、この世界では物珍しい屋根付きの建屋だ。大樹型の家が多い中、あっちの世界でよく目にするような個人宅に近い。
「ごっはん! ごっはん!」
父親が玄関のドアを開けると同時に、まだあと10キロはランニング出来そうなアスラが、スキップしながら家の中へと入っていく。
「失礼します」
「はーい、いらっしゃーい」
前世での俺の実家は一軒家だったから、今のマンションタイプの建物よりも、こういう家の方が落ち着く感じがする。
玄関先の廊下を渡るとキッチンが隣接したリビングへ。
いや、待てよ。それにしても落ち着きすぎるな。この家には見覚えがありすぎる。
テーブルや食器棚には見覚えがなくとも、それらの家具や建物のレイアウト自体に強烈な既視感があった。
「ここ、俺ん家じゃん!!」
思わず叫んでしまい、慌てて口元に手を当てる。
案の定、アオクマ親子は俺が発した意味不明な大声に振り向いた。
「あっ……いや、前に住んでいた家にそっくりだったんですよ」
「ふーん」
「なるほどねー」
そっくり――なんてレベルじゃなかった。
家の間取りや広さは、全く同じように見える。棚の上には見知らぬ賞状や写真、トロフィーの数々が飾られていたが、これらはアスラのものだろう。
この異世界に来てから――つまり、前世での実家を離れてから――約1ヶ月。久しぶりの我が家のような空間に、郷愁と困惑の感情が1対2の割合で湧き上がってきた。
「ちょっと待っててね。すぐ料理できるから」
「……はい」
なんでアスラが俺の家みたいなところに住んでるんだよ。それに、俺の住んでる方の家は、嶺華の住んでいるマンションに似ていた。偶然にしてはあまりにも出来すぎている気がする。
もしかして俺たち、状況が入れ替わってる?
俺が不毛な推理にかまけていたものの数分で、料理がテーブルに運ばれてきた。
サラダ、ハンバーグ、ライスにスープがついたメニュー構成は、さながらファミレスのようだ。
「どう? お口に合うかい?」
「美味しいですよ、このハンバーグ。手作りですか?」
「そうだよ。君の大好物がハンバーグだって教えてくれたんだ」
それはナイフで切るのが惜しいくらい、中から肉汁が溢れ出るハンバーグだった。この鶏肉と魚肉の中間を取ったような白身の肉は、おそらく
ふと隣を見てみると、アスラはハチミツのような液体を、どの料理にもドバドバとかけていた。
「それ、何かけてんの?」
「ハチミツ」
やっぱりハチミツだった。ハチミツ・オン・ザ・ライス。お前、辛党じゃなかったのかよ。
「アスラのお見舞いに来てくたり、練習に付き合ってくれたり、いろいろありがとね」
「いえいえ。アスラさんには常日頃、可愛がってもらってますから」
「かわいがってないしー」
「皮肉だよ」
「はぁ? どゆこと?」
「あはは。仲が良いね、2人とも」
「明後日の本番は、ぜぇっっったいに優勝しようね!!」
「大会で優勝するのが目的なんじゃなくって、代表に選ばれるのが目的なんだろ?」
「おんなじだもん! 大会で優勝すれば、代表にも選ばれるの! それでぇ、代表メンバーになって海外エンセーしてぇ、試合で大活ヤクしたのを見られて、海外のクラブにスカウトされるんだ!」
「へぇ……夢が叶うといいな」
「これは夢じゃなくて、ソーダイなる計画なんだから! オウガも一緒にプロになろうよ」
「えぇ……俺はいいよ。竜狩は趣味――」
「オウガもプロ竜狩選手になってぇ、わたしと同じチームに入って、いっしょに戦うの」
「俺、大人になってもお前の尻拭いすんのかよ」
「んふふふふ……楽しみだなぁ……」
アスラはハンバーグにも、たっぷりとハチミツを垂らしていた。
「もうそれ、ハンバーグの味しねぇだろ」
アオクマ家で夕食をご馳走になったあと、アスラの父親に例の自動船で自宅マンションの前まで送ってもらった。
すでに俺は、独特の浮遊感で進む異世界での自動船移動の虜になっていた。
マンションの前に到着すると、すでにゴブリンママが待ち構えていた。
アスラパパが気を回して、事前に連絡でもしてくれてたのだろうか?
「どうもぉ、お食事だけでなく、ここまで送っていただいちゃって」
「いえいえ、娘がお世話になってますから。当日は現地集合ですよね?」
「はい、夫と一緒に船で向かいます」
「そうですか、ではまた」
「またな、アスラ」
俺が船を降りてドアを閉めようとすると、思わぬタイミングで手元に反発力を受けた。
「お父さん、ちょっと待ってて!」
船のドアを開けて降りてきたアスラに腕を引っ張られるまま、俺はマンション周辺の暗がりまで連れていかれた。
「なんだよ、こんなとこまで連れて来て」
わざわざ物陰まで俺の腕を引いてきたはいいものの、アスラは何か言いにくいことを、どうやって話そうか困っているかのように目を上にやり、足下をモジモジさせていた。
「……あのさ、ゴメンね!」
「はぁ? 何が?」
「ほら、あんたが大会に出なかったのってさ、わたしと明後日の大会に出られなくなっちゃうからだったんでしょ? ラオコーチから聞いた。はいこれ、お礼のクッキー」
「あぁ、そのことか……うぉっ!」
手元に押し付けられるようにして受け取った透明の袋には、可愛らしい青いリボンまで付いていた。ほんと、青が好きな女の子だな。
「ありがとね。わたし、オウガとなら優勝できる気がする」
「そんな簡単に、物事は上手くいくかな」
「絶対に、優勝しようね」
ポニーテールを揺らしながら、道路脇に停まっていた船のところまで駆けていくアスラを見送ると、歩いてきたゴブリンママが意味深なニタニタ顔で、俺の肘を自分の肘でついてきた。
「仲良いじゃん」
「べつに……」
自分の部屋に帰ってからクッキーの袋を開けてみると、ハチミツの濃厚な香りが鼻腔に広がり、一口齧ってみただけで、強烈な甘みが味蕾を抉ってきた。
「なにこれ、あんまっ!!」
包装紙や不均一な形状からして、たぶんアスラの手作りだろう。
まるでそれは、彼女のお花畑な思考回路をそのまま表現したかのような味だった。
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