体育テスト〈前編〉
緑色の深い芝の敷かれたグラウンド上では、頭に兜のようなヘッドギアを被った少年少女たちが、剣や槍などの武器を振り回して遊んでいた。
もちろん彼らが握っていたのは人を殺せそうな武器などではなく、斬ってもブォンという音が鳴ったり、ピカピカ光るだけのおもちゃのようだ。
街を歩く人々の大半は真緑色の肌をしていたが、この学校の子供たちは赤、青、白、黒、黄、桃、紫、茶と、まるで色鉛筆セットのようなカラーバリエーションで構成されている。
グラウンドに足を踏み入れてみると、そこはフカフカとして柔らかく、天然芝のようなクッション性が感じられた。
学校だと教えられたお城のような建物は、ファンタジー映画で使われた大型美術セットと言われた方が納得できるほどで、現実味が感じられない。
正面玄関から入ると豪勢なシャンデリアが天井から吊されていて、壁画には人間とドラゴンの戦いを表した様子が描かれていた。
「もしかしてオウガ、教室の場所も忘れちゃったのぉ?」
「あぁ、忘れたっぽい」
「しかたのない子ねぇ」
どこを見回しても下駄箱のようなものはなく、生徒たちは土足で内外を行き来していた。
階段をのぼり、2階へ上がると、廊下沿いに横1列で複数の教室が並んでいた。教室の中には、あちらの世界と同じく、縦横に四角い机と椅子が並べられている。
エイルの入っていった教室のプレートには、[4-A]と記されていた。
「4年A組か……って、俺たち同じクラスなの?」
「ここでしょ、オウガの席」
並んでいた机の一つを、エイルが右の人差し指でトントンとたたく。そこは教室の一番後ろの窓沿い、黒板を前にしたとき最も左側の列に位置する席だった。
「あー、思い出した、思い出した。ありがとなエイル」
「ほんっと、今日のオウガって、なーんか変な感じぃ〜」
そう言うとエイルは、俺の右隣の机の上に、肩掛け鞄を置いた。
「隣の席かよ!」
「そうだよ!?」
なんたる偶然。なんたる幸運。
さてはお前、この世界のチュートリアルキャラクターだな?
この子は、異世界に来て間もない俺のことをガイドするための、サポート役として配置されたキャラに違いない。
そう思ったのも束の間、エイルは俺に背中を向けて、近くにいた2人の女子たちと雑談を始めてしまった。
どうやら一連のイベントは終わったようだ。
しばらく窓からの景色を眺めながら待っていると、どこからともなくラッパの音楽が流れてきて、中年エルフの女性教師が、教室の中へと入ってきた。
「はーい、それでは皆さん、ホームルームを始めますよー」
連絡事項や注意事項を伝えるホームルームの時間があり、授業があり、授業の合間に10分間の休憩時間があり、国語があり、算数の授業があった。そこで教えられていた内容は、あちらの世界の小学生年代の程度のものだ。
ところが、社会の時間に習った歴史は、あの世界とは全く異なる内容だった。
まさしくそれは――異世界史。
「この世界には大きく分けて2種類のリュウがいます。さて、それは何と何でしょう? では、オウルくん」
「はい、ドラコとドラゴンです」
「その通り。かつてこの星の主であった〈
古代、この世界は龍に支配されていた。
龍が舞えば嵐が起こり、咆哮すれば火山が噴火し、四つ脚で這えば大地を揺らした。
龍は人類が対抗することの出来ない超越的脅威だったのだ。
その、人々が龍に支配されていた歴史を変え、中世への大きな転換点を作ったのが〈魔王ハイラルキア一世〉である。
ハイラルキア王家は、自ら開発した魔術の力で、逆に龍を完全に支配することに成功し、全人類の頂点として異世界に君臨した。
のちに〈暗黒の中世〉と呼ばれることとなるこの時代、人類は彼ら〈魔族〉との戦争に明け暮れながら、予言された〈救世主〉の降臨を待ちわびた。
そして魔王が君臨してから約千年後、西方から1人の勇者が現れる。
4つのクリスタルに光を灯し、聖剣を手にした〈勇者リベラリウス〉は、3人の仲間たちとともに〈魔王ハイラルキア16世〉を滅ぼし、中世を終わらせた。
この〈
それから約千数百年の時が経ち、人類は龍に対抗する
龍を制御する力を手に入れ、平和が訪れるはずの世界に待っていたのは、魔法革命による文明の急速な発展と、人類同士による大規模な戦争だった。龍の脅威から解放された人類は、かつて背中を預け合っていた隣人に恐れ慄くこととなる。
―― 〈第一次・第二次世界大戦〉――
20世紀前半に勃発した二つの大戦では、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ、タイタン、ハーフリング等による“人種間”抗争が激化。
絶大なる魔法の力を得た5大国家は、その力を高度に専門化・発展させることにより、封印されし禁忌の力を解いてしまう。
――〈原始龍 バハムート〉――
原始龍は、それまでの魔法兵器や龍兵器とは比較にならないほどの殲滅力を誇り、戦争の在り方そのものを根本的に変えてしまった。
その口から放たれた
かつて星を支配していた原始龍の復活により、わずか3年足らずで、人類の約4分の1が死傷するという歴史的災禍が起きてしまった。
そして21世紀を迎えた現代、原始龍の戦争利用は国際的に非難され、軍事兵器としてではなく、電力の供給源として広く利用されることとなった。
魔法によって高度に制御可能な一部の龍は、食用、愛玩用、競技用、工業資源、運輸、公共交通機関として、人類のために使役されている。
もはや龍は、人類に崇められる神でも、恐ろしい敵でもない。あるものは自然現象としてその動向を予測され、またあるものは人類と共生し、その行動を抑制・管理された環境下で飼育され、その絶滅から保護すべき特別天然記念物となったのだ。
それら“世界史”が書かれた百科事典を閉じた俺は、教室の片隅にある“自分”の席で頭を抱えた。
「転移してくる時代を間違えた……」
俺の見たかった異世界は、宅配便にドラゴンを使うような世界じゃねぇ。
ファンタジーって言ったら中世ってのが定石だろ。なんで現代ファンタジーなんだよ。どうりで文明レベルが高すぎると思ったよ。
「おい、魔王ハイラルキア! 勝手に滅んでんじゃねぇ! 勇者リベラリウスって誰だよ!? 俺と代われ!! 俺はチートスキルを駆使して、異世界で無双したかったんだよ! なんでラスボスっぽいもん、全部滅んじまってんだよ!!」
しかも、この世界ではエルフ、ダークエルフ、ドワーフ、タイタン、ハーフリングという五つの種族が『人類』という同じカテゴリーに属しているらしい。一般的なファンタジーRPGでは、エルフや他の種族がいた上でヒューマンもいるもんなんだけどな。
それにしても、俺が生まれついたのが〈東邦〉というゴブリンたちの暮らす国とは。まぁ、百科事典いわく、現代社会で〈ゴブリン〉は差別語で、ポリコレ的には〈ハーフリング〉というのが民族名となるらしいが、そんなこと今はどうでもいい。
そういや、俺の“父親”は肌が白くて金髪だったから、やっぱりエルフか。そんで――この国の主要な民族に特徴的な――緑色の肌をした“母親”はハーフリング。
城の窓から見える世界は、間違いなく異世界ファンタジーそのものだ。
数々の飛空挺や、無数のドラゴンが空を駆け、森林のような住宅街が広がり、灰色の大きな城が建っている。
でも実際に異世界で待っていたのは、国語と算数と社会のある時間割と、おそらく小学生年代のものと思われる退屈な授業だった。
「俺、この世界に何しに来たんだろ?」
「まだ教室いたー!」
甲高い声に振り返ると、例のチュートリアルキャラが教室と廊下の境目に立っていた。エイルとかいう茶髪ショートカットの猫耳少女だ。
目を引いたのは、異世界風体操着の上に身に付けていたフード付きの白いローブだ。まるで魔法使い――いや、RPGに出てくる僧侶が着ている服にも見える。
しかもその背中には、なにやら杖らしきものまで差していた。お前、これから冒険の旅にでも出かけるつもりか?
「早くしないと、授業始まっちゃうよ!」
「次の授業って何だっけ?」
「た・い・い・く! もぉー、早く着がえてグラウンド来てよねっ!」
エイルはそう言い放つと、教室から飛び出していった。
おいおい、グラウンドってどこだよ? 校舎の前の校庭でいいのか?
席を立って、開いていた窓から下を眺めてみると、ちびっ子たちが規則正しく縦横に並んで座っているのが見えた。おそらく、このクラスの生徒たちだろう。
「『体育』……ね」
まさか異世界に来てまで、あの忌々しき時間の浪費に付き合わされる羽目になるとはな。こりゃあ、早めにリセットボタン押しとくか?
鞄の中に入っていた民族衣装のような上下の異世界風体操着を取り出すと、俺は深い溜め息をついた。
校庭ではその風変わりな体操着を着た30数名の生徒たちが、膝を抱えた体勢――いわゆる体育座り――をしていた。
あっちの世界で見慣れていた光景のようにも思えたが、何か違和感がある。
その原因は、彼らの身に付けていた装備にあった。生徒たちの胴体は、鎧を模したデザインのコンタクトビブスにスッポリと埋もれていた。そしてまた頭部には、兜に近いデザインの――まるでラグビーのヘッドキャップのような――防具まで被っていた。
それらは所々に、衝撃を吸収してくれそうなスポンジのようなものが縫い込まれている。これから俺たちチャンバラ大会でもすんの?
何が何だか意味不明の状況だったが、異世界風体操着を着た俺も列の後ろに座っておくことにした。
「遅いぞオオカミ。お前の大好きなリューガリだってのに!」
生徒たちからの笑い声に、俺も乾いた半笑いで応えた。どうやら俺は、体育教師らしき戦士風の中年男性やちびっ子たちから、からかわれたらしい。
「それじゃあ、今日と明日で実技テストを行っていく。出席番号順だから、次のやつは装備付けとけよー。まずはボブ・トータス!」
「はい!」
褐色肌のポッチャリした男子が返事をして立ち上がった。
「あれって……剣?」
彼の右手には、柄から刀先まで真っ白な剣が、左手には白くて丸い盾が握られていた。その剣は“俺”の部屋にあったものと同じような形状だが、長さは半分ほどしかなさそうだ。
ぶかぶかの装備を身に付け、唇を震わせていた彼は、芝の上に白線で描かれた直径10メートルほどの円の内側に入ると、片手剣を前にプルプルと突き出して構えた。
「選択するドラゴンは?」
「〈デスラプトル〉でお願いしまっす」
「おっし、デスラプトルだな……」
体育教師は手に持っていた円盤を指先で操作すると、それをグラウンドに回し投げた。
すると円盤から放たれる光線によって、グラウンドの上に丸い魔法陣が描かれ、緑と黄色と黒の斑点模様をした、小型の肉食恐竜のようなモンスターが、頭の先から尻尾の先まで立体化していった。
「デス……ラプトル?」
同じ名前のモンスターが出てくるゲームのことを、俺は知っている。しかも共通しているのは名前だけじゃなかった。グラフィックやモーション、それに、グギャア、グギャアという鳴き声の
その『ドラゴン』と呼ばれたホログラムが、ボクシングのステップワークでもするかのように、グラウンドの上を前後左右に飛び跳ねている。
「すげぇ……未来のゲームじゃん……」
俺は“俺”の部屋にあった空間投影型ディスプレイのことを思い出した。どうやらこの世界には、投影先のスクリーンを必要としないホログラム技術があるらしい。
「がんばれー!」「いけいけー!」
片手剣を握る生徒の元へ、キーの高い声援が送られていた。
その小刻みに震えている両脚と背中から、彼の緊張が伝わってくる。
「制限時間は3分間。死んだら退場。用意――」
ブオオオオンッという聞き覚えのある野太い音が、その体育教師の持つ角笛よって吹き鳴らされた。
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