異世界転移〈後編〉

 ベランダから子供部屋に戻ると、白い壁紙に異世界の地形を描いた世界地図が貼ってあった。


 ベッドなどの家具が大きく見えたのは、この体が小さかったせいだろう。

 部屋に置いてある様々なものには名前シールが貼られており、もしそれらがこの少年のものなら、[オウガ・オオカミ]ってのが“俺”の名前ということになる。

 異世界とはいえ、見慣れていた文字が使われていて良かった。


 木製の勉強机の上には、学校の教科書や文房具のようなものが、整理整頓された状態で置かれていた。

 写真立てには、おそらくこの世界の正装のような仰々しい民族衣装を着た大人の男女一人ずつと、その間に挟まれた小さい“俺”が映っている。オウガ少年は一人っ子の可能性大。

 父親らしき人物は金色の短髪、肌の色は白めで、エルフに似ている目鼻立ち。その隣に座っている濃い緑色の肌の母親らしき人物の髪の色は真っ黄色で、東洋風の結い髪になっている。しかも、なんと頭頂部には狐のような三角の獣耳が付いていた。まさか、獣人?


 さらに机の上には、縦20センチほどの精巧なフィギュアも置いてあった。大剣を斜めに振り下ろしたようなポーズをとり、全身に鎧をまとった剣士をモチーフとしたものだ。

 大剣のレプリカにしろ、剣士のフィギュアやポスターにしろ、どうやらこの世界にも中世西洋ファンタジー文化なるものがあるらしい。


 でも、それにしては違和感があった。外の景色を見てみても、ドラゴンが人を襲っているような様子はないし、さっきだってベランダに荷物を配達する親切なドラゴンがいた。

 っていうか、この建物だってマンションみたいな構造だし――


『オウガ起きたぁ? 朝ご飯よぉ』


 女性の声が聞こえた方に振り向くと、こちらを向いている緑肌の女性の顔が浮かび上がっていた。24インチほどの平面映像がベッドの上の空中に映し出されたのだが、それは5秒間ほど表示されたあと、粒子が空気中に拡散していくかのようにして消え去った。


「何これ? 文明レベル高くね?」


 投射する先のスクリーン無しで、モニターのディスプレイ画面ぐらいクッキリと表示されるだなんて、あっちの世界にも無い映写技術だぞ?

 っていうか、今のが“俺”の母親か? そういや写真に映っていた女の人と同じ顔だったような……でも、髪型は茶髪のショートカットだったし、頭に獣耳は付いてなかった。


 さて、これから俺はどうすればいいんだろう? 朝食の支度が整ったことは知らされたものの、それが部屋まで運ばれてくる気配はない。ということは、この部屋の外のどこかにある食卓まで来てほしいという意味か。


 ドア自体は珍しくもない、取っ手を下げて引くタイプのものだ。でも、そのドアを引いた先の光景が予測できない。マンションのような建物の高層階とはいえ、地上まで見通せる絶景が広がってたりはしないよな?


 胸元に手を当てて深呼吸をし、ゆっくりと部屋のドアを手前に引いてみる。

 恐る恐る外の様子を覗くと、人が1人通れるくらいの木目調フローリングの廊下があり、向かい側には別の部屋のドアが見えた。


 部屋から1歩を踏み出し、そのまま6歩ほど進み、縦長の長方形ガラスの嵌まった木製のドアを押し開くと、リビングのような広い空間があった。どことなく見たことのあるような間取りだ。


 4人用の薄黄色のテーブルの上には、様々な料理の盛られた皿が並んでいる。正方形のトースト、ベーコンエッグらしきものとサラダ、あと茶色くて湯気の立っているスープ。

 全部で3セットあるということは3人家族か。写真の人数とも一致している。


「おはよう」

「お、はよう……ございます」


 反射的に、渋めの低い中年男性の声に返答する。俺の“父親”に当たる人物が向かいの席に座っていた。

 白髪混じりだが金髪、彫りの深い顔立ちに青い眼がついており……やはり耳が後ろに尖っている。人間というよりは異形の種族の顔だ。やっぱり、エルフに見えるな。

 でも体格は、近接物理戦闘職みたいにガッチリしていて、弓を放つ後方射撃支援職を担うことの多いエルフのイメージとは違う、ガチムチのエルフだ。

 整った短髪の刈り上げ頭と口周りの髭が、彼の威厳と几帳面さを物語っている。エルフの年齢なんて見当もつかないけど、あっちの世界基準で40〜50代くらいかな。


「いやぁ……この朝食、美味しそうだなぁ……」

「美味しいんじゃなぁい? “いつもとおんなじ”で」


 “母親”が、嫌味たっぷりといった笑顔を向けてきた。

 “父親”と比べて彼女は二回りほど小柄で、茶色のショートカットヘアに――写真では濃い黄色の髪だったが染めたのか?――濃い緑色の肌と、赤い瞳が特徴的だった。

 なるほどね。“俺”の肌の薄い緑色は、この2人の混色によって生成されたものか。そんで、赤い瞳と黄色い髪の毛は母親譲りと。


 それにしても彼らは、オウガ少年の中身が実の息子と入れ替わってしまったことに気が付いていない様子。

 そりゃそうか。異世界転移なんて、異世界人の常識には無いだろうし――いや、それは作品によるかしれない――見た目はそのまんま実の息子なんだし、そもそも気付くわけがない。

 バレることはなくても、ややこしいことになるのは勘弁だ。しばらく黙っておこう。


 俺は席について、フォークで半熟卵と思われるものの黄身を割った。これって、もしかしてドラゴンの卵だったりする?


「今日さぁ、オウガ体育のテストなんだってー」


「そうか、何をするんだ?」

「リューガリだよねー?」


「おぅ、いいじゃないか。日頃の訓練の成果を見せてこい」

「早く食べて支度しなさい。エイルちゃんが迎えに来ちゃうよ」


「うん……」


 俺は食事中、適当に相槌をうち、適当に作り笑いを浮かべては、食べ物を速やかに口の中へと放り込む作業に集中し、聞き慣れない固有名詞や人物の名前があっても、右から左へとスルーした。っていうか、異世界にも学校とか体育あんのかよ。

 緊張していてよくわからなかったが、食べ物の味はあっちの世界のものと大差なかったような気がする。少なくともマズくはなかった。


 朝食を終えて部屋に戻ると、すでに学校へ行く準備がしてあることに気が付いた。

 幅60センチほどの木製の棚の上には、通学用と思われる肩掛け鞄と、綺麗にたたまれた学校の制服らしきものが置かれている。

 上はベージュ色の半袖シャツと濃い緑色のジャケット、下は濃い緑色の半ズボンとベージュ色の靴下。それらを着て鏡を見ると、ボーイスカウトのようなデザインの制服だということがわかった。


 まぁ、何でもありの異世界モノとはいえ、人型キャラになれて良かったな。蜘蛛とかスライムに転生してるパターンもあると思うと、まだ俺はマシなケースだったのかもしれない。

 鏡に映った少年を見ていると、ポン、ポン、ポン、ポーン、という一音ずつ高くなる木琴のような音が鳴った。


『オウガァ、迎えにきたよぉ~』


 またしても先ほどの空中映像システムが作動。今回画面に映ったのは幼い女の子だった。色素の薄い肌に茶髪のショートカット、青白い瞳がキラキラと光っている。

 さらにその特徴としてもう一つ、彼女の頭頂部には――


「猫耳……」


 ショートカットヘアの上に、肌の色と似た白い三角耳が二つ生えていた。


 迎えに来たということは学校まで案内してくれるのか。助かるわー。こっちは通学路どころか、学校の場所さえ知らないしな。


 おそらく、オウガというのが“俺”の名前なんだろう。親が自分の子供を名字で呼ぶわけないし。ってことはオオカミが苗字か。


 本棚に立ててあった分厚い百科事典を鞄に入れて肩にかけ、部屋を出て左にある玄関へと向かった。靴の配置やサイズなどから推測して、ひときわ小さな茶色いブーツを選択、座って履いてみるとジャストフィット。紐を結んでいる途中で、目の前のドアが勢いよく開いた。


「おっはよー!」


 先ほど見た少女だ。俺が肩から掛けているものと同じ茶色い鞄を肩から下げて、俺が着ているのと配色は同じ、濃い緑のスカートとベージュ色のシャツを着ている。

 茶色の髪はパッと見ではショートカットヘアだったが、もみあげ部分は長く、三つ編みにして左右一本ずつ垂らしていた。


 立ち上がると、目線が少女よりも10センチほど上になる。少女の体型は痩せ型。目は真ん丸で大きく、どことなく猫のような雰囲気だ。特別に好みというわけではないが、かわいらしくて愛嬌のある顔だと思う。

 肌の色は白かったが、真っ白ではない。どちらかと言えば薄いクリーム色とか、ベージュ色といった感じ。

 猫耳あるあるで、人間用の耳がある部分は髪の毛に覆われていたが、コイツにもあの尖った耳が生えてんのかな?


「おっ、おはよう……」

「どうしたの? 今日のオウガ、なんか変」


 俺の心臓にクリティカルヒットの一撃。汗の雫が胸元を垂れていく。


「……へっ? どこが?」

「ん? なんとなく。まっいいや、行こっ!」


 あっぶねぇー。なんだよ、なんでわかったんだよ。どっか変だったのか? それとも女の勘か?


 玄関を出て共用部の廊下に出ると、再び湿気を含んだ熱気に煽られた。外壁や床面などは別の素材――木製の見た目をした何か――が使われているものの、その建物構造自体はタワーマンションに似ている。

 高層階から地上に降りるにはエレベーターのようなものが必要だと思っていたが、その代わりに10人ほどが乗り込めそうなリフトが縦に移動しているのが見えた。

 

 エイルの後ろについていくと、そのリフトを仕切っているドアの役割を果たしているかのような――半透明で赤い紋章の刻まれた――結界の前で待たされた。

 赤い紋章が緑色の紋章に変わるとそれは消え、エイルがリフトの奥へと進んでいった。

 これに乗れば、地上階へと下りられるということか。


「うっわ!」


 俺はリフトに乗りこんだそばから、思わず後ろに仰け反ってしまった。

 リフトの向かい側の壁面が透明で、そこから転がり落ちてしまいそうに見えたからだ。


「何してんの?」

 怪訝な顔をした少女が俺の方を見ていた。


「いや、高いなって」

「いつものことじゃん」


 落ちたら死ねるような高さだったが、幸いにも壁はちゃんとあるようだ。

 それはあまりにも曇りのない全面ガラスで、外の景色がやたらとクリアに見えた。降下する速度はあっちの世界のエレベーターと変わらないくらいのはずなのに、壁面があるように見えないだけで恐怖感が倍増する。


 地上階へ降りるまでに、出勤中の会社員だったり、子供を連れた親だったり、自分と同じような小学生が途中の階で乗り込んできた。民族衣装のような服装と、色とりどりの髪の色や、緑がかった肌の色についつい目が泳いでしまう。


 建物のエントランスから出ると、車道のような2車線の道を、無数の船や、異世界人の跨がったバイクが行き来していた。しかもそれらは、地面から何センチか上に浮いていた。


 道路沿いに並ぶ建物の外観は地面から生えた大木のようで、まるで森の中に都市が生まれたかのように見えた。地面はアスファルトのように平らで硬かったが、まるで土のように茶色い。

 そしてすれ違った黄色い肌の女性は、手足の短いヨチヨチ歩きのドラゴンに、犬に付けるようなリードをつけて散歩をさせていた。背中に飾りのような小さな羽は生えていたが、四足歩行している。


 頭がジンジンと痛む。

 俺の脳味噌は、大画面で高画質の映像処理に追われてフリーズ寸前だった。あまりにも周辺環境の情報量が多すぎて、状況理解が追いつかない。


 異世界転移した先の世界って、こういうんじゃないだろ。もっと、既存のゲームのファンタジー世界を踏襲してて、初めて来たはずなのにあらかたの世界観をすでに知ってて、説明不要なのが一般的なのに。


「どうしたの? 気持ち悪いの?」


 猫耳を付けた猫顔の少女が身を屈めて、俺の顔を下から覗きこんできた。

 何もかも見知らぬ異世界で、かろうじて看板の文字が読めて、言葉が通じることだけが救いだな。


「今朝さぁ、ベッドから落っこちて頭打ったんだ」

 ということにしておこう。いろいろと説明するのは面倒だし。


「もしかしてキオクソーシツ? アタシの名前、覚えてる?」

「さぁ……? なんだっけ?」


 すでに“母親”の台詞から彼女の名前は特定していたし、彼女の肩掛け鞄に付けられていた名札を読んで裏も取っていたが、あえてトボけてみる。


「エ・イ・ル! イ・イ・ヅ・ナ・エ・イ・ルー!」


「そうだった、エイルだ。思い出した」

「まさかアタシの名前も忘れちゃうなんてぇ……もしかして昨日、アタシとリューガリの試合を観に行ったのも忘れちゃったのぉ?」


「学校の場所も忘れちまったからな。あと授業内容とかも」


「学校って……もう見えてるじゃん」

「は? どこに?」


「着いたよ」

「おおっと」


 エイルが急に立ち止まったせいで、俺は彼女の背中にぶつかってしまった。

 もう着いたのか、家から近すぎだろ。まだ3分も歩いてないぞ。

 でも、そういえばさっきから、たくさんの子供たちの叫ぶ声が聞こえていたような気もするな。


「ここがアタシたちの通ってる学校じゃん」


 両開きの、身の丈を大きく超えるほどの、分厚い金属でできた扉が左右に開かれていた。

 扉の横にあった横書きの看板には、〈ELFELITE ELEMENTARY《エルフェリート・エレメンタリー》〉と記されている。

 それにしても――


「すっげぇ……」


 校門の向こう側に聳え建つ、高さ50メートル級の建物は、まるで中世西洋風ファンタジー作品に出てきそうな灰色のお城だった。

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