転生前日〈後編〉
嶺華の部屋は、まったくもって可愛らしくなかった。
フローリングの床の上に投げ捨てられていた無数のトロフィーやメダルや賞状の束。
青いベッドカバー、青いクッション、青いカーペットというインテリアコーディネートには、見てるだけで寒気がしてくる。
かろうじて清潔感は保たれていたが、とても年頃の少女が住んでいる部屋とは思えない。
いや、それでも、この部屋の中にも可愛らしいと思えるものが一つだけあった。
それは、本棚の上の写真立てに収まっている、俺が嶺華と出会った頃の写真だ。
そこには無表情で中腰になっているユニフォーム姿の俺と肩を組み、エンジン全開といった笑顔でピースサインをしているサッカー少年団時代の嶺華が映っていた。
「この頃はかわいかったんだけどなぁ」
「今もかわいいんですけど」
開けたままにしていたドアから、嶺華が部屋に入ってきた。いつものように、自家製はちみつレモンサイダーの入ったグラスと、お手製の低脂肪おからクッキー、それから嶺華の大好物の抹茶アイスを載せた、お馴染みのトレーを持って。
いつもと違うのは、真新しそうな青いワンピースを着ていたことだ。いつもは毎日洗っているかどうかも怪しいグレーの寝間着姿なのに。
「今日は何すんだっけ?」
「〈紅蓮竜の紅玉〉3個!」
「3時間コースだな」
俺はカーペットの上にあぐらをかきながらゲームパッドの電源を入れると、パキポキと指を鳴らした。
小学生の頃から、俺たち2人の関係は何も変わっちゃいない。
学校の授業やサッカーの練習が終わったら必ずどちらかの家に立ち寄って、ゲームをしては軽口をたたき合う。
他人と慣れ合うのが嫌いな俺にとって、そういうことが出来る友人のような存在は、嶺華の他にいなかった。
でも、こうして今も週3ペースで会ってるってことは、彼女が気軽に愚痴を吐ける相手役も、俺以外にいないのかもしれない。
「すごーい、めっちゃ避けてるー」
「おい、むやみに突っ込むな」
「あ、死んだ」
「お前、何度言ったら覚えんだよ……」
〈陸の王者、襲来!〉は、シリーズを通してプレイしている者なら、苦労するポイントなど皆無のクエストだ。
なんなら敵の〈ティラノレウス〉は今作で大幅に弱体化しており、残念に思う古参プレイヤーも多かった。
俺(プレイヤーID:Ogre)が敵のヘイトを稼ぎ、嶺華(プレイヤーID:Asura)がめちゃくちゃに斬りつけるのがいつもの流れ。
この暴走ハンターは、放っておくとすぐに死ぬ。防御無視のバーサーカーというか、リスク度外視の脳筋ハンターというか。
突っ込んでは攻撃をくらって回復瓶、また突っ込んでは攻撃をくらって残機が無くなるという無限ループ。
この〈ドラゴンキラーシリーズ〉はすでに6年以上も一緒にプレイしていたものの、嶺華には一向に上達する気配がなかった。
「お前さぁ、ちっとは学習しろ。学年3位の脳味噌を生かせよ」
「コイツが強すぎるんだよぉ」
そうこうしているうちに赤い竜が横転し、勝利のファンファーレが鳴った。
「はやーい! もう倒しちゃったー」
リスタート地点である防衛拠点から走ってきて、さっそく素材を剥ぎ取りにいくアスラ。画面内でも青いポニーテールが楽しそうに揺れている。
オウガは腕を組み、それを傍観していた。素材ならアイテムボックスに捨てるほど入ってる。
「やーん、最後の1個が出なぁい。報酬で出るかなぁ?」
「お前さぁ、ソロでやるときもそんな風にプレイしてんの?」
「あぁ、私1人じゃやらないから。リューキのほかはクラブの連中とやってるのー」
「どうりで強くならねぇわけだ」
「『強くなる近道は、強い人と一緒にプレーすることだ』ってコーチが言ってた」
「サッカーとゲームは違ぇだろ」
「一緒だよ。試合も『ゲーム』って言うじゃん。それにさぁ、リューキのプレイって無駄がないし、アスリートみたいなんだよねー」
「そりゃどうも」
ふと画面から目を離して、嶺華の横顔を盗み見る。
動物のように大きな瞳、綺麗な鼻すじ、堀の深い顔立ち。ワンピースから投げ出された2本の細長い脚が、くびれのある引き締まった胴体にくっついている。
嶺華は日本人の父親とバングラデシュ人の母親とのハーフだ。健康的な小麦色の肌は日焼けの影響もあるだろうが、元からその色だった気もする。
雑誌の記事でも[今注目の美少女アスリートベスト10]に選ばれたし、街を歩いていると芸能事務所を語るスカウトから声をかけられることも多いらしい。つまり、世間的には美人認定されてるということだ。俺は見慣れすぎてて、もはやなんとも思わないけど。
嶺華はゲームパッドを膝の上に置くと、何かを思い付いたかのように手の平をポンと打った。
「ねぇ! ドラキラの大会ってないの?」
「あるよ」
「出たことは?」
「ないよ」
「出なよー! きっとオーガなら、いいとこまで行くってぇー! もしかしたら優勝しちゃうかも!?」
「残念ながらソロじゃ出場できないんだなー。2人組のデュオか4人組のカルテットのみ」
「じゃあさ、私と一緒にデュオで出よーよ!」
「はぁ? お前と組んだら勝てねぇよ」
「練習すればいいじゃーん。大会に出る方が燃えるし!」
「賞金だって出ねぇのに」
「お金のためにドラキラやってんの?」
目の前で紫十字に光る閃光が見えた……気がした。その指摘は大槍で胸部を貫かれたような見事な一撃だった。
「いや……そういうわけじゃ、ねぇけど」
時々この女は、思いもよらないような角度からの攻撃をくらわせてくる。さすが天性のエースストライカー。
行動力の化身である嶺華は、もうスマホで大会の情報を検索していた。
「ふーん。来月に東京大会があるのかー。おおっと、申し込み締め切りは……明日まで!? 申し込んどくねー」
心の奥底から、溜め息が湧いて出てきた。
「俺が言うのもなんだけどさぁ。ゲームばっかりやってたら、彼氏できねぇぞ?」
「彼氏なら隣にいるじゃん」
「いや俺は、『学校で告られんの面倒だから、彼氏ってことにしといて』って言われただけだし」
「そうだっけ? それでは正式に……」
何を思ったのか嶺華がこちらに向き直り、青いカーペットの上に両手をついて正座してきた。
「結婚を前提に、私とお付き合いしてください」
「丁重にお断りいたします」
向かい合う形で床に両手をつき、土下座する俺。
「なんでよー!」
「ふふっ……」
このくだりは二人の間でもう何度もやっているが、その度に俺は苦笑してしまう。意外と嶺華が本気っぽく怒った顔をするのがマジでツボ。
まっ、「ちょっとコンビニ行ってくるわ」くらいのノリでプロポーズしてくるのが、王神嶺華という女だ。
そんなこんながあった翌日。
昼休みの終わった5時限目、眩しさに目を塞ぎたくなるような日差しが、走り回る高校生たちの肌を焼いていた。
校舎の目の前にある白い砂土のグラウンドは、俺たち2人の座っているところを境に2等分され、目の前の大きいコートでは男子がサッカーを、背中側の小さなコートでは女子がフットサルをしている。
「暑いのに、よくやるよねー」
普段は部活の顧問が使用しているであろう二つのパラソルの下で、俺と嶺華はそれぞれプールサイドにありそうな白いプラスチックチェアに座っていた。
2人とも体調不良という名目で、体育ではサボりの常習犯だ。見学をすれば出席に数えてくれる懐の広い体育教師には、いつも感謝している。
「お前だって学校終わったらクラブで練習すんだろ? こんなクソ暑い中」
「夕方からだもん、今よりかは涼しいよ――シュート撃って終われよー! このチキン野郎ぉー!」
嶺華がスパイクを履いて、このグラウンドに立てば、サッカー部の男子たちでさえも軽くあしらってしまうだろう。
でも体育の授業では彼女を怪我させないよう、教師は校長から直々に言いつけられていた。
「だいたいスポーツなんか、何が楽しくてやってんだか」
俺は首に巻いたタオルで流れ落ちる汗を拭きながら、隣にいた超一流アスリートを相手に喧嘩を売ってみた。
「疲れるわ、怪我するわ、プロになれなきゃ金にもならんわで、やっててなんも良いことねぇだろ」
半袖のシャツをさらに肩まで捲り上げ、うちわで顔を扇ぎながら片足であぐらを組んでいる嶺華は、もはや工事現場で休憩中のおっさんにしか見えない。
「勝てる人にとっては楽しいよ。ゲームと一緒でさ」
「ゲームは難易度選択できんじゃん」
「スポーツだって同じだよ。自分が勝てそうな相手を選べばいいの」
「まっ、U-20代表選手様なら選び放題だよなぁ。なんせ自分が一番なんだから。あれっ? もうA代表にも選ばれたんだっけ?」
皮肉を言わずにはいられない性格が、自分でも嫌になる。
「リューキは私より才能あったんだけどなぁ」
「ははは、それはねぇって。俺が親父から受け継いだ才能は、サボり癖だけ」
俺は、前方から飛んできた5号球のサッカーボールに反応して立ち上がり、右足のつま先でそのバウンド直後を踏みつけた。
足と地面の間を、白いサッカーボールが上下に震える懐かしい感覚。
習いたてのサッカー少年がするような初歩的なトラップで、俺はボールを足元に収めた。
「ヘイ」
右手を上げてボールを要求してきた男子高校生に向かって、俺はつま先の上にボールを乗せながら浮かせ、放物線を描くようにしてパスを送った。
スパイクの裏で、足元に飛んできたボールをコントロールしたサッカー部所属の彼は、低レベルの採集クエストを受注したら、上級クエストにしか登場しないはずの強敵と遭遇してしまったかのような表情を浮かべていた。
いや、もしかするとヤツは、俺の小手先のテクニックに驚いたんじゃなくて、俺の脚が動いたことに驚いてたのかもしれない。もう2ヶ月も前にリハビリは終わってたんだけどな。そうだ、退部届も出さねぇと。
ベンチに座り直すと、隣から控えめな拍手が聞こえてきた。
「その荒削りなトラップ、
「親父と比べんなって」
嶺華の部屋には、まだ〈タイガ・オオクマ〉が海外でサッカー選手をしていた頃のポスターが貼ってある。
――「親父の顔なんて、写真で見てもイラッとするから剥がしてくんない?」
――「やだよ、私の憧れの選手だもん」
しばらく不自然な沈黙が続いていたのに気付いた俺は、横に視線を向けた。
嶺華が目元を右手で擦りながら、ズズズッと鼻をすすっている。左手は紺色のスカートを強く握りしめ、そこにはポツポツと染みができつつあった。
「膝は……もう痛くない?」
「痛みは無ぇけど、強めに蹴るとやっぱブレるな」
俺は膝の上まで捲り上げていた長ズボンを下ろして、極太のミミズ腫れのような手術痕を隠した。
左膝前十字靱帯断裂。競技復帰まで1年はかかると言われた大怪我だ。
「私……責任とるから……」
聞き取れないくらいの小さな声が、嶺華の口から漏れ出てきた。
フィールドでは相手にぶつかってもビクともしないような大きな背中が、見るに耐えないくらいに小さく縮こまっている。
「まーたその話かよ。『お前はなんも悪くねぇ』って言ったろ? あの怪我は100パー俺が悪い」
「でもね……でもね……」
嶺華は鼻をすすり、泣くまいとして堪え、それでも垂れてきた雫を親指で拭っていた。
その憔悴しきった顔を見るのは、自分が怪我をしたことの1万倍以上辛かった。
今でも彼女は、あの時のプレーを悔やんでいる。
奇しくも同じ季節、同じ時間帯、同じグラウンドで、俺は嶺華に肩をぶつけられて吹っ飛ばされた。
その着地にミスって膝を捻り、プチッという嫌な音を聞いてすぐ、強烈な痛みに襲われた。
怪我の原因は1つじゃない。
俺が、運動前に膝周りのストレッチを怠っていたこと。
俺が、クラスの素人相手に調子に乗ったプレーをしていたこと。
俺が、嶺華の強烈なプレスを躱すテクニックや視野、もしくはそれに耐えうるフィジカルを持っていなかったこと。
嶺華は、サッカーへの情熱を失っていた俺の心に、もう一度火を付けようとしてくれた。それが結果的に裏目に出ちまっただけだ。
「それに、才能があったらこんな弱小高校になんか入ってねぇよ。元から俺には、サッカーの才能なんて無かったんだ」
「でもリューキは……」
10秒以上の沈黙。
あまりの居心地の悪さに耐えかねて隣をチラ見すると、嶺華は目と口をポッカリと開け、マネキンのように固まっていた。
「どしたん――」
「危ないっ!!」
嶺華が椅子から勢いよく立ち上がった次の瞬間、俺は左側頭部に衝撃を受け、プラスチックチェアに座ったままひっくり返るとともに、意識がブラックアウトした。
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