才能の片鱗〈前編〉

 実際に高さ2メートル近くあるラプトリウスを前にすると、その大きさに足が止まった。

 ゲーム画面とはそもそも視点が違う。いつもは見下ろしていた薄緑色の竜に、今度は見下ろされていた。


「うっわ!」


 呆然と立ちすくむ俺に、鋭いくちばし攻撃が放たれた。それも俺の顔面を深く抉るように。だがしかし――


「痛く……ない?」


 反射的に右腕を顔の前に構えてガードするも、当たったであろう箇所には大した痛みが無かった。いや、正確には全く痛くない。例えるなら、後ろからポンポンと肩をたたかれた程度の接触感だろう。


「んだよ、大したことねぇな」


「あはははは!!」「ビビッてんのかぁ!?」「逃げろ逃げろぉ!!」

 色とりどりの顔をしたチビどもは、俺のやられっぷりにえらく上機嫌のようだ。


 俺は両腕を広げ、肺の奥まで深く空気を吸い込むと、それをゆっくりと吐き出した。

 オーケー、今の俺は冷静だ。あんなもん、なんも怖くねぇ。ただの3Dグラフィックじゃねぇか。

 背中に差していた大剣を引き抜き、「ポッポッ」と鳴きながら羽ばたく竜を睨みながら、剣の射程範囲内へと3歩、間合いを詰めた。


「嘴攻撃はタイミングを見極めて右横にローリング。頭を振りながらの突進には前にローリング――」


 竜の分析はエイルのプレイを観ているときに終わっている。いや、“原作”を忠実に再現しているといった点では、何年も前に分析は終わっていたとさえ言える。

 俺は回避アクションを口ずさみながら、頭の中でプレイヤーキャラクターの規定モーションをイメージし、ラプトリウスの攻撃に合わせてローリングしていった。


「スタン状態になる咆哮には剣を構えてガード。そのあと、噛みつき攻撃で前進して来る――」


 始めは覚束なかった回避動作も、何度か繰り返していくうちに、スムーズに出来るようになっていった。


「全身を反時計回りに回転させた尻尾攻撃はタイミングを合わせて回避、3方向に吐き出される火炎球はその間を縫って近付くチャンス――」


 オウガの体は俊敏に動いた。それも、俺の想像を遙かに上回るほどのスピードで。

 何より驚いたのは、『いちいち動作を考えなくても、直感で動ける』ことだった。


 様々なアクションパターンの最適な動作フォームが体に染み付いていて、考えるよりも先に体が勝手に動いてしまう。

 オウガ少年は、これまで気の遠くなるような反復練習を積み重ねてきたのかもしれない。きっと努力家だったんだな。


「すっげぇ!」「めっちゃよけてるぅ!」「こうげきしろよぉ!」


 そばで見ているチビたちからのお節介な声援が耳に入る。

 最初の一撃をもらってからというもの、俺はラプトリウスから放たれる攻撃を全て読みきって、躱してみせた。


「20秒経過ッ! オウガ、避けてばっかじゃなくて、攻撃しろっ!」

 と、体育教師からありがたいアドバイスをいただいた。


 確かに彼らの言う通り、回避しているだけじゃ、いつまで経ってもヤツを倒せない。攻撃を見切る目処もついたし、そろそろ反撃に移るとするか。


 尻尾攻撃をローリングで躱した直後、大剣を振り下ろして竜の頭部に当てると、剣先を伝って手首に軽い手応えがあった。物理的にも当たり判定を教えてくれるらしい。


「ほんっと、未来のゲームだな……」


 倒すのは大前提として、あとはタイムをどれだけ縮められるか。

 だから回避の仕方にもこだわった。敵からの攻撃を、最小限の動作である横ステップもしくは歩き動作のみで行う。反動でのタイムロスの大きい刀身でのガードは絶対に行わない。


 攻撃では確実に当てられるタイミングを見極めて、無駄撃ちをしない。剣を肩に担いで振り下ろす[溜め斬り]を中心に、防御力の低い部位や破壊可能部位へと的確に当てていく。

 左の翼に切り上げ攻撃を行うと、紫十字のエフェクトが炸裂した。


「クリティカル」


 その後も3連続で紫十字エフェクトを明滅させ、何度目かの縦斬りを振り下ろしたとき、竜の尻尾が勢いよく弾け飛んだ。


「左と右の両翼、頭部、背中、尻尾、全5ヶ所の部位破壊を確認」


 最も気を付けなければならないポイントは、残りHPが10%を切った際に発動する怒り状態をキャンセルすることだ。ラプトリウスは、予備動作直後の3秒間に一定以上のダメージをくらうと怒り状態を延期する。逆に言えば、この怒りキャンセルをミスると大幅なタイムロスになる。


 そして今、その怒り状態への予備動作、体毛に付いた水滴を振り払う犬のごとく、ラプトリウスはブルブルッと全身を震わせた。


「そう怒んなよ」


 縦斬り、横切り、縦斬りの計3発で、怒りキャンセル。これで3回目。HPは残りわずかだろう。次か、次の次の攻撃くらいで終わりのはず。

 そう思って、飛びかかってきた竜の頭部に溜め斬りを当てた瞬間――薄緑色の翼竜は絶命の雄叫びをあげて天を仰ぎ、俺の前に横腹を見せるような形で倒れこんだ。


 俺はその腹を目懸けて次の横斬りに移ろうとしていた。だがその刹那、聞こえてきたのはドラキラでお馴染みのファンファーレだった。


 ラプトリウスは「ポ、ポ、ポ、ポ、ポォ……」と哀しい一鳴きを漏らすと、その傷だらけになった頭を垂れた。


「……倒した……のか?」


 気付けば俺は、肩で息をしていた。バクンバクンと心臓の拍動が耳を塞ぎ、全身に血流を送っていることを教えてくれている。

 体感型のゲームとはいえ、たしかに竜狩にはスポーツとしての側面もあった。このゲームには、プレイヤー自身の身体スペックが露骨に反映される。


 竜を斬っていく手応えと大剣の確かな重みを感じた手の平は、汗に濡れながら痺れていた。

 周りを見渡すと、先ほどまで沸いていたオーディエンスは口を開けたまま、不自然なまでに静まり返っている。


「……どうだった?」


 フィールドの外に立っていた体育教師と幼馴染に声をかけると、困惑した彼らの視線は、倒れた竜の上に浮かんだ文字列に釘付けになっていた。


「[タイム0分59秒78 ランクS]……学年記録更新」


 ラグビー選手がかますようなタックルを横っ腹にくらい、俺は背中から人工芝の上に倒された。突っ込んできたのは、例の猫耳少女だ。


「オウガすごぉぉぉぉい!! 学年新記録だって!!」

「いや、痛ぇよ」


 馬乗りしてきたエイルの両頬を指でつねっていると、その周りにチビっ子たちが群がってきた。だが、そのチビどもを押しのけて出てきたのは、例の体育教師だ。


「オウガ! ウチの竜狩クラブに入れ!!」

「ウチに入ってよ!」「オレんとこだよ!」「オ、レ、の、と、こ!!」


「ダーメ! オウガはアタシんとこの少年団に帰ってくるんだから!」

「いてて! 痛ぇよバカ!」


 記録更新とか言ってたし、よほどの活躍をしてしまったのかもしれない。俺はキッズたち数名と大人1名から両腕を引っ張られたまま、教室へと帰る羽目になってしまった。


「オウガ! ウチの竜狩クラブに入れ!!」

「ウチに入ってよ!」「オレんとこだよ!」「オ、レ、の、と、こ!!」


「ダメダメ! オウガはアタシんとこの――」

「あのぉ、そろそろ授業を始めたいのですがぁ……」


 6時限目開始を告げるチャイムが鳴り、担任の国語教師が教室に入ってきてからも、その鬱陶しいスカウト合戦は続いた。執拗な勧誘にウンザリした俺は、隣で俺のことを庇ってくれていた幼馴染に耳打ちをすることにした。


「エイル、頼みがある」


 帰りのホームルームが終わると同時に、俺はエイルと目と目で合図を交わし、群がってくる異世界キッズたちの波をかき分けるようにしながら、教室から走って出ていった。


 廊下を走り、階段を駆け下り、校庭を突っ切って城壁のような校門をくぐり抜け、追っ手が来ていないことを確認した俺たちは、膝に手をついて呼吸を整えた。


「逃げきれたね……」

「みたいだな……」


「それにしてもオウガ、どぉしちゃったのぉ? めちゃくちゃ竜狩上手くなってたじゃーん」

「さぁな」

「きっと頭を打ったショーゲキで、竜が怖くなくなっちゃったんだよ!」


 歩きだしたエイルの後ろに俺はなんとなくついていっていたが、そこで立ち止まった。

 たしか校門に入るときは右の方向に曲がったはず。でもエイルは校門を出てから右に曲がっていた。これって逆方向では?


「あれっ? 俺んちって、こっちの方向だったっけ?」

「うふふふっ……」


 何か悪だくみをしているような顔で、エイルが笑った。

 さては――


「もしかして、お前の入ってる『少年団』とかいうところに連れて行こうとしてないよな? 俺、竜狩なんてやんないからな」

「はぁ? 今さら何言ってんの? リューキョーフショーはコクフクできたんでしょ?」


「いや、俺はもうスポーツなんかに関わりたくないんだ――って」


 何者かの肩がぶつかった。1人の少女が、俺とエイルの間をわざとぶつかるようにして通り抜けていったんだ。

 青いポニーテールが、楽しそうに揺れている。


 こちらに振り返った少女の顔を見た瞬間、俺は胸が張り裂けるほどの既視感を覚えた。

 肌の色は青い。でも、その美少女の横顔を、なぜか俺は知っていた。


「ろうかをあわてて走ってったけど、どしたの?」

「あっ、アスラ、ごめーん。今日、待ち合わせしてたっけ?」

「忘れんなよー。で、誰? そっちの男子は。もしかしてカレシィ?」


 何もかもが見覚えの無い異世界に、何もかもに見覚えのある少女が現れた。

 信じられない。どうしてお前が……でも、なんで肌が青いんだ?


「嶺華?」

「ん?」


 美人だと言ったら怒られるような顔も、相手を小馬鹿にする声も、ちょっとした仕草から、ポニーテールの結ぶ位置にいたるまで、幼い頃の王神麗華にそっくりな少女が首を傾げていた。


 肌の色は、まるで雲一つない冬の空のように鮮やかで、澄みきった青。髪の色は、海の底のように深い青。そしてその瞳は、鮮血のように赤かった。

 青い少女の背中には、もはや見慣れてしまった形状の、青い大剣が差してある。


「お前も異世界に来てたのか……?」


 そう言うと、青い嶺華がこちらに怪訝な顔を向けてきた。

「なにそれ? あんただれ?」


 聞き間違えようがない。

 特に、声が嶺華そのまんまだった。

 お互い、小学生に戻ったってことか。


「オウガ、アスラのこと知らないと思うんだけどなぁ……最近転校してきた子だし、隣のクラスだし……」

「えっ……嶺華だよな? 俺だよ! リュウキ! 大隈竜鬼!!」


「オークマリューキ?」

 エイルは首を傾げていたが、青い嶺華は真顔のままだった。


「ア・オ・ク・マ・ア・ス・ラ。『アオクマ・アスラ』って言うの、わたし。学校では『アスラ・アオクマ』」


「マジで? ウソだろ?」


「もぉ、ウソじゃないよぉ。エイルゥ! なんかこの人キモーい!」


 青肌嶺華は、エイルの背中に隠れるようにして俺のことを盗み見るような仕草をしていた。もっとも、彼女の身長は俺と同じくらいの高さで、エイルの小さな背中からはみ出している。


「どうなってんだよ……」


 人の背中に隠れたつもりでチラチラとこちらを覗き見るふざけた様子なんて、本当に嶺華にそっくりだ。どっからどう見ても別人とは思えない。

 アスラという名前にも聞き覚えがある。そうだ、たしかあいつのドラキラでのプレイヤーネームはAsuraだった。こんな出来すぎた話ってあるか?


 でもおかしいな。異世界での苗字は俺の方がオオカミで、嶺華の方がアオクマだ。

 どっちかっつーと、逆だよな?

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