アオクマ・アスラ〈後編〉

 アオクマ・アスラが差し向けて来た剣先に、沈む間際の夕陽が反射していた。

 どうやら俺は今、彼女から宣戦布告を受けたらしい。


「ベルクコーチ! オウガと勝負するから、ショーカンの用意して!」

「いや、今日はデュオのペア選びを――」

「いいから、ショーカンバン投げて!!」

「はいはい……」


 ベルクコーチは天敵に出くわした亀のように首を縮こませながら、足元に戻ってきた召喚盤を拾い上げた。

 今日のアスラは、練習中にも近寄りがたいオーラを放っていた。まるで怒りモードの竜だ。


「なぁなぁ、なんでアスラ、あんなにキレてんの?」

 俺は、フィールドに入場していく荒ぶるポニーテールを遠巻きに眺めながら、隣にいたエイルに話しかけた。


「オウガがアタシと組んでハイスコアを出しちゃったからだよ」

「あぁ、そういえば、お前とペア組んでたよな。それでか……」


「前にも似たようなことがあってさぁ。その子にソロプレイ挑んで負かしちゃったんだよねぇ」

「こっわ」


 すでにアスラは青い大剣を前に構えて、それを縦に横にと素振りをしていた。そのフォームはコーチのしてみせるお手本のように美しく、縦振りでも横振りでも、ほんの少しも体の軸がブレていない。

 彼女が基礎技術をしっかりと身に付けているということは、今までの練習を見て知っていた。きっと、並外れた努力家なんだろう。だから、大した努力もせずに課題をクリアしてしまう奴が許せないんだ。


「しかもオウガは大剣使いでしょ? だから余計に、ね?」

「対抗心を燃やしてるのか」

「そゆこと」


「よしっ、準備運動終わり!」

 大剣の先端が、芝の上に突き刺さった。


「ショーカンしてもらうのは、ティラノレウス」

「マジで!?」

 この世界にもいるんだ、陸の王者ティラノレウス。


「私が先攻、アンタが後攻ね。ルールはタイムアタックで、より早く竜を倒した方の勝ち。それじゃあベルクコーチ」

「はいはい」


 ベルクコーチが設定操作をした召喚盤を投げると、空中に魔法陣の円が描かれた。

 その旋回する輪の中心から現れたのは、翼を羽ばたかせている赤い翼竜。

 何度もゲーム画面で見てきた竜が今、目の前に立体化していく。


 ティラノレウスは、これまで俺が生で見てきたどの竜よりも、いくらか体格が大きいように見えた。目視で体高2.5メートル、体長4メートルほど。

 小学生くらいなら丸呑みしてしまいそうなほどの大きな顎から、何本もの剣が連なったかのような歯が生え揃っている。

 肩から左右に突き出した真紅の翼が羽ばたかれると、その喉元から鼓膜を痺れさせるような咆哮が放たれた。


「それでは少年C級、ティラノリオス戦を始める。よーい、始めっ!」


 角笛の音とともに、アスラは竜に向かって駆けだした。

 縦に大振りされた大剣が竜の頭の中心部を捕らえ、十字のクリティカルエフェクトが明滅する。


「ハァァァァッ!!」


 脚部に横斬り、前転して胴の下をくぐり、尻尾に縦斬り。それぞれの技の繋ぎ方は流れるように滑らかで、無駄がないように見える――だが。


「痛ッ!!」

 アスラは尻尾攻撃を避けようと左にローリングし、そこへ向かってきた噛みつき攻撃を真正面からくらってしまった。


「フェイントか……」


 それは〈ドラゴンキラーⅣ〉で初登場した要素で、当時の古参プレイヤーから驚かれた追加モーションだった。

 尻尾攻撃モーションは、あたかもプレイヤーの動きを読んだかのようにキャンセルされ、逆回転しながら放たれる噛みつき攻撃に切り替わることがある。

 実際は30%前後の確率によって制御されていたらしいが、まるでこちらの動きに反応しているかのような挙動は、多くのプレイヤーを苦しめた。


 したがって、竜との間合いを詰めた場合、左右どちらから攻撃が来ても対処できるように準備しておかねばならなくなったのだ。

 つまりティラノレウス戦は、回避の方向、もしくは適切な角度での防御ガードが重要となる。


 アスラは、腰元に付けていたメスシリンダーのような細長い容器を左手で抜き取り、黒い栓を抜いて飲む動作をすると、それを再びベルトの穴に収めた。

 彼女の体から緑の光が放たれたことから、それが回復瓶であると推測。練習ではアイテムの使用を禁じられてたんだけどな。


 瓶を引き抜いては攻撃をくらい、また飲んでは攻撃をくらっている。

 その回数、計10回。もし瓶の中に本物の液体が入っていたなら、今頃お腹が膨れてタプタプになっているに違いない。


「アイツ、回避とかガードとか知らねぇの?」

「いつもはアタシが回復してあげてるからねー。ソロではいっつも、あんな感じ」

「あれじゃあ、回復瓶が何本あっても足んねぇな」


 アスラの弱点は明らかだった。

 攻撃にしか意識が向いていないせいで、無駄にダメージやスタンをくらいすぎている。まるで、どっかの誰かさんと同じだ。

 それでもティラノレウスのHPは着々と削られていたらしい。竜は足元をよろめかせながら、トドメの一撃をもらって転倒。しばらくして勝利のファンファーレが鳴らされた。


「タイムは!?」

「4分3秒。一応、自己最速タイムか……」

「やったぁぁ!」


 女子小学生は大剣を放り投げると、右手の拳を天に突き上げてガッツポーズしていた。


「さっ、次はアンタの番だから!」

「いや俺、まだやるとは――」

「いーからやって!」


 アスラに背中を押されながら、白線の引かれてある立ち位置に立たされる。


「ベルクコーチも何か言ってくださいよ」

「いや、まぁ、いいんじゃないか? ここらで一戦交えてみるのも」

「えっ? 助けてくんないの?」


「どの道、ティラノレウスはデュオの課題竜の内の1匹なんだ。モーションを覚えておくといい」

「はぁ……」


 俺は練習で蓄積した体の怠さを感じながら、両肩を回した。そういえば今日は、2時間分の練習に加えて、エイルとのデュオもやってたな。

 1日に2戦、しかも連戦か。それなら――


「ええー? オウガ、槍使うのー?」


 俺がクラブハウスの武器庫から盾と片手用の短い槍を持ち出してくると、エイルはただでさえ丸い瞳をさらに丸くさせていた。


「まっ、気分転換だ」


 左手で盾を前に構え、右手で槍を上段・中段・下段と3方向に素振りしてみる。

 槍は大剣と違い、片手持ちのせいか少しだけ重たく感じたが、剣よりも少ない動作で攻撃できるから、体力の消耗は抑えられるはず。

 サークルの中へ入ると、不服そうなアスラの視線を感じた。


「ははーん。慣れない武器を使って、負けたときの言い訳にする気でしょー?」

「使ったことがないわけじゃねぇよ」


 もちろん槍の使用経験は竜狩でのものじゃなく、ドラキラでメインの大剣に飽きたとき、たまに使ってたくらいだけど。


「準備はいいか?」

「いつでもいいですよ」


 召喚盤の投擲によって赤き竜が出現し、ソイツは翼を広げ、俺に向かって咆哮した。


「ティラノレウス戦、始めっ!」


 俺は盾を構えながら、ゆっくりと歩いて前進していった。間合いは向こうの方から詰めてくる。

 竜の噛みつき攻撃を盾で受け止め、槍でその頭部を刺突した。

 そしてまた噛みついてきた方向に盾を向けてみたものの、その軌道は途中で止まった――ってことはフェイントだ。


 俺は慌てることなく反対側へ振り向き、盾を構え直した。そこへ導かれるかのように、尻尾攻撃がやってくる。多少の衝撃はあったものの、ダメージエフェクトは光らない。防御成功。

 すかさず頭部に槍で一撃、右にサイドステップし、柔らかそうな胴体に一撃をお見舞いする。


 正確に、愚直に、すなわち機械的に、その一連のアクションを淡々と繰り返していく。感覚的には楽しさよりも、作業感の方が上回っていた。

 立ち回りの悪さを、動作の効率性でカバーする。派手に動き回るよりも、地味な動きで的確に対応していく。それが槍使いランサーってもんだ。


「やるじゃん」「すっげぇ」「いけいけー!」


 竜が倒れたのをいいことに、沸いているギャラリーの方に目をやる。

 するとアスラが腕を組み、風船のように両頬を膨らませている姿が見えた。

 絵に描いたような、悔しそうな面構えだ。


 どうせ俺がこのゲームで勝ったら、負けず嫌いのアスラは「私が勝つまでやるの!」とか言い出したり、血相を変えてキレてくるに違いない。

 たしかアイツのタイムは4分3秒だったよな? なら、そろそろいいか。わざと負けてやるとはいえ、惨敗というのは気に食わん。

 よろめく竜の脚部に3連続の刺突をお見舞いすると、あっけなく竜は横転し、勝利のファンファーレが鳴った。


「……タイムは?」

 両膝の上に手をつき、前傾姿勢で大げさに息切れをしてみせながら、ベルクコーチに問いかける。


「4分6秒」

 計算通り。


「あーあ、ギリ負けちまったなぁ。やっぱりアスラの方が――」

「でもオウガのスコアはランクAだ。アスラはランクC。勝負あり、だな」

「は? 何それ?」


「だーかーら! タイムアタックだって言ったじゃん!!」


「そんなこと言ったって、試合で最終的に評価されるのはスコアだろ。討伐タイムがいくら早かろうと、ダメージを受けてしまったら減点だ。終盤に少し疲れが見えたが、全体としてオウガは攻守のバランスがとれた良いプレーをしていた。アスラはオウガを見習わないとな」


 スコアって、竜の種類と残りタイムだけで算出されるんじゃないのか。

 ってことは俺、アスラに勝っちゃった?

 マズい、作戦失敗。


「オオカミィ……オウガァ……」


 アスラの瞳が赤みを増し、予想通りの怒りモードが発動。青い肌は紅潮するのではなく、黒みを増した紫色になっていた。


「お前を倒す!!」

「ちょっ――」


 大剣が俺の頭上へと振り下ろされ、到達する寸前に左の盾で受け止めた。


「危なっ!!」


 たとえ競技用に作られた武器の模造品とはいえ、まともに当たっていればそれなりに痛いはず。ってか、怪我すんだろ、普通に。


「倒ずったら、倒ずの!!」


 アスラは涙目になって、鼻水を垂らしながら追いかけてきた。俺は槍と盾を捨てて走って逃げるも、大剣を振り回すアスラに追いつかれそうになる。

 こうなるのが嫌だったから手を抜いてやったのに。やっぱ、もっとわかりやすく手加減するべきだったか。


「ベルクコーチ助けて! ラオコーチ!!」

「ほらほら、武器を振り回しちゃダメだろぉ」

「ほっほっほっ」


 ベルクコーチはアスラをなだめようとしてくれていたが、ラオコーチは白い顎髭を触りながら微笑んでいた。


「いや……笑ってないで、止めろよっ!!」

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