心の芯が痺れる。行かないで、って。


どこからどう、この作品についておはなしすれば良いのか。
読了から少し時間が経っているのに、いまだざわついています。

こころが、頭の芯が。

芳醇、という表現をわたしは向けたいのですが、そうした丁寧で緻密で、文字の間から熱帯の森林と水辺の匂いを感じるような描写を、本作をひもといた読者の方はしばらく楽しむことになるでしょう。わたしもそうでした。とある方のお勧めを受けて読み始め、ああ、なんて心地よいことばたちなんだろうと、しばらく作者さまがご用意くださった世界に揺れて、楽しんでいたのです。

主人公の幸福とはいえない現在の状況、辛かった過去を想起させることがらに触れて、同情もします。あるいはそのなかでも得たちいさな喜びに心を寄せて、よかったね、と、呟きます。そうした静かな時間を、前述のような表現のなかで楽しみ、終わる。
それがこの作品なのだと理解し、ああ、嬉しいなあ、と、思っていたのです。
素敵な作品に出会えてよかったなあ、と。

ぜんぜん、ちがう。

この世界に用意されたキーワードは、物語。
物語のうちの、物語。
それが動き出したとき、主人公が動かし始めたとき。
世界が、傾斜するのです。
傾斜の角度は、九十度。

ページを送る指が止まらないのに、一行をなんどもなんども読み返してしまう。何話か前に戻って、読み直してしまう。
その有様はまるで、久しぶりの馳走を与えられた野犬のようなものです。
ほんの少しでも、残滓を残したくない。
ぜんぶぜんぶ、掬い取りたい。

そうして。

九十度を滑り落ち、落ちることを終えたとき。
待っているものは……。

物語をひとつ読み終えた時に、泣いてしまうことはよくあります。
笑うことも、怒ることも、考え込むこともあります。

でも。
呆然として、どうかいかないで、お願い、って、手を伸ばす。
そういう経験って、あまりない。

もう一度、最初に戻って読んでこようと思います。

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