一言で言うなら時代背景と心理描写が秀逸な作品です。
時は大正――
思いを通わせる手段は手紙――
娯楽、ファッション、生活様式、見合い結婚が一般的なことも含め、時代背景一端を担う地の文が街を行き交う人々のように心地よく流れていきます。
無礼で失礼極まりない男……それが、やがて得難い人に変わりゆく心理の変化に注目してみてください。
紡がれる恋愛感情に見えない心の深みと奥ゆかしい変化とを堪能できることでしょう。
心を許しつつ、己の恋に気づいた喜びの笑みも。
焼け焦げてしまう程に襲われる一抹の羞恥心も。
彼と紡いだ思い出の全てが消えてしまう恐怖も。
嗚咽が漏れ、理性を叩き壊すほどに流した涙も。
あらゆる感情の波が押し寄せ、それまで抑えていた心の防波堤を破砕する力がこの小説にはあります。
作者様の心血注いだ結晶が、思いが、ここに結実することを、そしてこれまでの集大成として幅広い世代へと読み継がれることを一願として祈って。
改めて純粋に思う。
こういう純文学っていいなぁ。
恋心はたったひとつ。
詫びは千たびも。
どういう事か。それは、主人公女性、千尋の、揺れる思い。
大正時代、女学生である千尋は、慎ましい女性だ。
家の書生から、ある日、買い物につきあってほしい、と、千尋は頼まれる。
揺れる、揺れる、千尋の思い。
書生はまっすぐ、千尋を見ている。
書生はある決心をして、今日この日を迎えたからだ。
揺れ、かすかに陽炎がたつように、感情のさざなみが、男女の間を揺れる。
千尋はどうするのか。書生はどうするのか。
静かに淡々とすすんでいく物語なのに、感情表現の行間から、千尋の想いが炎熱として燃え上がる。
それが見えるから、純文学というのも面白い。
そう実感できる名作ですよん。
9000文字以上あるけど、けして長くない。これだけの文字数が、この物語を紡ぐには必要です。
千尋の感情の動きは読者にスリルすら与える。
面白いから、読者さまは安心して一気読みしてください。
大正時代。
仄かに温まる想いを抱えていた、女学生の主人公。
両親公認の別の男性からの告白を経て、己の心に向き合うことになります。
おそらく彼女は、穏やかに過ぎる日常の中で、男性から向けられている好意を薄々とは気付いていたはずで、もしもその時が来れば、両親の勧めるままに婚姻するであろうことも感じていたでしょう。
しかし、実際にその時が来たら……。
真に向き合う心は、彼女自身が思っていたよりも強く熱いものだったのではないでしょうか。
それでこそ、“想い”と呼べるもの。
この物語を読めば、恋心とは淡く消え去るものでなく、胸の奥に落ちて、慎ましくも生涯消えずに僅かな熱を持ち続けるものではないかと思えます。
溜め息をつきたくなる余韻。
ぜひ、静かな時間にゆっくり読んで頂きたいと思います。
日本でバウムクーヘンが初めて販売されたのが1919年の大正時代。
木の年輪のような断面が繁栄や長寿を連想させることから縁起がよいとされ、現代でも結婚式の引き出物として大変人気のあるお菓子です。
私も大好きなお菓子なんですよ。
さて、この物語の背景である大正時代において結婚というものは、まだまだ親の都合に左右されることが多かったようですね。
主人公の女学生も親の勧める男性と密かに気になる男性、どちらを選ぶのか興味深く読み進めていきました。
揺れ動く乙女心が細部に渡り見事表現されており、男読者である私も主人公の立場を鑑みて、内なる乙女心を揺さ振られ困惑致しました。
当時の結婚はどうすることが幸せだったのだろうかと、深く考えさせられ心に染み渡る素晴らしい作品でした。
素敵な物語をありがとうございます。
力車のカラカラ通るのが硝子に滲んで見える、少しひんやりする洋間。かちりかちりと時間を刻む手巻き時計のほかには音のない空間で、娘時代の日記をそっと開くような。温度を失った遠い時間に指を沿わせて、いまいちどあの日の騒めきを招来しようとするような。
細胞、たくさんのたくさんの、細胞の、そのぜんぶが世界を擦過した記憶の粒を拾い集めて、ぽつりぽつりと文字として置いていく作業。それが作者さまの恋愛小説だとするならば、それはなんて救いのない、だけど、なんて鮮やかな、全身の骨が軋むほどに鮮やかな悦びの色彩の、そのパレットの直截な表現なんだろうって。
時間が進む。
失ってはならない色を、匂いを、原初に還元しながら。
そんなことを想いながら、わたしはなんどか、このおはなしをなぞってみたのです。
貴方がこれからそうするように。