どこからどう、この作品についておはなしすれば良いのか。
読了から少し時間が経っているのに、いまだざわついています。
こころが、頭の芯が。
芳醇、という表現をわたしは向けたいのですが、そうした丁寧で緻密で、文字の間から熱帯の森林と水辺の匂いを感じるような描写を、本作をひもといた読者の方はしばらく楽しむことになるでしょう。わたしもそうでした。とある方のお勧めを受けて読み始め、ああ、なんて心地よいことばたちなんだろうと、しばらく作者さまがご用意くださった世界に揺れて、楽しんでいたのです。
主人公の幸福とはいえない現在の状況、辛かった過去を想起させることがらに触れて、同情もします。あるいはそのなかでも得たちいさな喜びに心を寄せて、よかったね、と、呟きます。そうした静かな時間を、前述のような表現のなかで楽しみ、終わる。
それがこの作品なのだと理解し、ああ、嬉しいなあ、と、思っていたのです。
素敵な作品に出会えてよかったなあ、と。
ぜんぜん、ちがう。
この世界に用意されたキーワードは、物語。
物語のうちの、物語。
それが動き出したとき、主人公が動かし始めたとき。
世界が、傾斜するのです。
傾斜の角度は、九十度。
ページを送る指が止まらないのに、一行をなんどもなんども読み返してしまう。何話か前に戻って、読み直してしまう。
その有様はまるで、久しぶりの馳走を与えられた野犬のようなものです。
ほんの少しでも、残滓を残したくない。
ぜんぶぜんぶ、掬い取りたい。
そうして。
九十度を滑り落ち、落ちることを終えたとき。
待っているものは……。
物語をひとつ読み終えた時に、泣いてしまうことはよくあります。
笑うことも、怒ることも、考え込むこともあります。
でも。
呆然として、どうかいかないで、お願い、って、手を伸ばす。
そういう経験って、あまりない。
もう一度、最初に戻って読んでこようと思います。
他に類を見ない、突出して美しい愛の物語です。
ああ、読み終わりたくなかったなぁ。
でも、読みたかった。もう我慢ができなくて読み切ってしまいました。
ここは湖上に佇む美しい宮殿。
額の宝玉を奪われた美しき少女は、かつては女神の化身とも崇められたというのに、王妃の妬心と王の愚かさから宝玉を奪われ、その心まで見失ってしまう事となりました。
その少女に寄り添うのは、人とも扱われぬ、名ももたない少女です。
虐げられる彼女らと、その前に舞い降りるかの如く現れた一人の美しき物語の語り手。
この物語は、物語を語ることによって、季節の移ろいの中、真実が少しずつ丸裸にされてゆく物語なのです。
この物語はなにを反映したものなのか。
あの物語はなにを比喩しているのか。
誰が、どんな心の為に、その真実を捻じ曲げてしまったのか。
どうか、貴方もそれが明らかにされる様を見届けてください。
楽園に辿り着くまで。
美しい水上宮殿。
そこには、木偶人形のようになってしまった美しい姫・サンパギータと、彼女のお世話をする少女がいました。
宮殿の人々から疎まれる2人でしたが、彼女たちの運命は、その宮殿へ「語り部」を名乗る青年がやってきたことにより、大きく変わっていきます。
素晴らしい物語でした。
特に、それぞれの抱える背景、物語が、運命的に絡まりあってひとつの結末に収束していく終盤の展開は圧巻です。
それぞれ別のものとしてあった物語が、見事により合わさってひとつの物語を成していくところには、大きなカタルシスと感動があります。
サンパギータの正体、主人公の少女の正体、語り部・ロキラタの正体――彼らのパッと見ただけでは分からない、複雑な背負う物語と心が明らかになっていき、大きく心を揺さぶられます。
またキャラクターの描きかたも、たいへん魅力的です。
登場人物たちの心の、善意も悪意も愛も憎しみも、優しく描き出すような筆致でした。
主人公は優しき犠牲者の側面はあれど、決してそれだけではありません。
行動を起こして状況を変える勇気を振り絞りもするし、その一方で嫉妬心や人並みの意地の悪さの種も持っています。
そして、後者のように、その心が決して純白なわけではないからこそ、より彼女の優しさが胸を打ちます。
自らが持ち合わせる心と同じように、他者の心に陰りがあることを理解し、それがさせる意地悪な言動へも悲しい共感を抱けるところ。
自身の心にある意地の悪さの種に、心を痛めることができるところ。
意地悪な他者のことも、ただの意地悪とせず、酷な扱いを他者から受ける自らの心にも同じものを見いだせる、そういう広い視野に、並々ならぬ優しさと包容力を感じずにはいられません。
そういった彼女の目を通して描かれるからこそ、言ってしまえば差別的な人々も、ただの悪には映りません。
彼らがそうなった背景が描かれずとも感じられる、その心に複雑なところも善意の欠片も、強がりと裏表の脆さもチラついてくる、そういう多面性も魅力でした。
心のあり方に、ただの悪者ではない一人の人間としての生々しさが、しっかり宿っていました。
そういう描きかたに、決して同情的になりすぎはせず、けれどどの人物に対しても優しい目を向ける、物語としての優しさを感じました。
ラストの大きく変わる状況には、喜びも嬉しさも悲しさも切なさも詰まっています。
だからこそ、ラストのサンパギータへの語りかけがじんわり染みてくる、少し寂しいけれどとても幸せな結末でした。
密林の奥深く、雨季になると湖に沈み、霧の中で湖面にその姿を映す幽玄な美しさを現す宮殿で夜毎繰り広げられる『語り比べ』を中心に進む物語です。
お話の筋は作品のあらすじを読んでいただくとして、とにかくこのお話がすごいのは霧に包まれた宮殿に漂う湿度や、不意に握られた手から伝わる熱、サンパギータの不思議な語り様まで、あらゆるシーンがくっきりはっきり脳裏に浮かんできてしまうのです。
さらには、語り部の青年ロキラタが愛を告げた時、語り手の名もなき侍女が一緒には行けない、心だけを持っていってほしいと告げた後の二人の会話——
「ここに居たがっている心を、どうやって持っていけばいいのです?」
「心を裂きます。一番柔らかい所を差し上げます。わたしはあなたの心を乞いませんから、それでお許しください」
ロキラタを恋しいと思いながら、それでもサンパギータから離れることのできない彼女のこのセリフ……!
恋や愛を語る言葉がこれほど豊かにあるなんて……、とため息をつかずにはいられません。
サンパギータの秘密、語り手自身の過去、そしてロキラタの真意など多くの謎が「語り比べ」が進むにつれて徐々に明らかになっていくのですが、とにかく先が読めず目が離せません。
辛いシーンもありますが、タグにあるとおり「めちゃくちゃハッピーエンド」なので、ぜひ最後まで見届けてこの世界に酔いしれてほしい一作です。
十万字程度なので一気読みがおすすめ!
星々が水面に映り、夜風が花の香を漂わせる異国情緒あふれる水上宮殿を舞台にした物語です。
主人公は、人間以下の扱いを受ける名もなき奴隷の少女「わたし」。蔑まれ嘲られる日々に彼女が耐えられるのは、サンパギータという女神のような、けれど物言わぬ人形の姫に仕えているから。ひとりでは食事もできないサンパギータに甲斐甲斐しく傅きながら、「わたし」は夜ごと物語を紡ぎます。どうして知っているのか、彼女自身も覚えていない多彩で美しく面白く、時に悲しい物語の数々を。水上宮殿に語り手の青年が現れた時、サンパギータの中に降り積もった「わたし」の物語は花開きます。その花の色は形は、種はどこからやってきたのか──それは、物語を見届けることで分かるでしょう。
物語を紡ぐこと、物語が人の心に与える感情の波の可能性を高らかに歌い上げるような作品です。虐げられた少女が心を慰めるために紡いだ物語が、宮の祝宴で語り直される時、万座の聴衆を惹き込む力が生まれる。醜い嫉妬を語ったはずが、聴衆は自らの心の影を聞き取って共感し大いに頷く。蔑まれたサンパギータや「わたし」が、王の心さえ手玉に取ることができてしまう。語られること、によって物語の力は何倍にも増すのだと、物語の書き手の端くれである者としては勇気づけられる思いですし、読み手としては、作中と現実とで、良い物語を紐解く興奮を二重に味わうことができるでしょう。
また、「わたし」の心情を描く筆致の繊細さと柔らかさ、芯にある力強さも本作の魅力です。
虐げられた者の見上げる目線が描き出す宮殿の人々の傲慢さや残酷さ、嫉妬や卑屈さの的確で、そして時に辛辣なこと。辛い境遇に打ちひしがれて諦めながら、サンパギータの美しさを称え、自然の移ろいに目を止めて耳を澄ませる細やかな心。嫉妬や独占欲といった暗い感情に囚われた場面、「わたし」に共感できるのは、彼女の心の中心にある思いが純粋でひたむきなものだからだと思います。宮殿の華やかな暮らしや、美しい青年に救われること、彼と共にあることよりも彼女にとって大切なものは何なのか──それもまた、物語が語ってくれます。
水上宮殿の、花とスパイスと香油の香りが漂う宴に招かれたような感覚。か弱く、同時に強い無名の語り手の心に寄り添う感覚に浸れる作品です。物語の女神の導きに従って、この美しい物語を語り伝えたいと思います。