第14話

 午後六時、周りの住宅にオレンジ色の灯りが灯った頃、外からパトカーのサイレンが聞こえ始める。音が消えていく方向には東里駅があった。事務室の扉が勢いよく開き、梅田が菅野を呼んで携帯の画面を見せる。


 「この写真に写っている金髪の人って……前回のやつと同じ人ですよ」


 写っていたのは駅前での乱闘、半年前に見た状況と酷似している------悪運は続くな。

 「今、どのくらいの人がその喧嘩を見ている?」と聞くと、梅田は載せられている写真の中に全体が確認できるやつを広げて見せた。

 切符機の横のスペースに傍観者が殺到していて他方向から写されている。菅野は壁にかけられた時計を見上げた。


 「まさか行くんですか? やめといた方がいいですって! 良いことないですよ?」


 肩にしがみついてくる梅田の腕を振り払って、彼は外へ出た。きっと美椛や沙里が関わっている、その想いが恐怖感などの意味のない重圧を消す。


------はぁ……まただ、なぜ僕は走らなければいけない。


 わざと避けて職を選んだって言うのに。彼は普段から思っていた。なぜか美椛と安土は生い立ちが似ていると。若いうちに親友を亡くしていて、強く生きようとしている姿勢。


 何故だが美椛だけは放っておけない。きっとどこかで安土と重ねていて、彼なりの恩返しの意味もあるはずだ。


 安土がいなければ今の彼もいない。だが、彼女を数十年前に救った両親がいたように今度は彼が美椛を救う。いつもは不良が溜まっているコンビニも、今日はやけに静か。菅野は数分走り続けて、ようやく線路が見える場所まで着くと梅田からのメールを開いた。

 載せられている写真に美椛らしき女性が写っていると言う。勘は悪い意味で当たった。


 改札を抜けてくる人々は避けながらも視線を向け続け、菅野もようやく駅前に辿り着いた。

 切符機近くには警官によって取り押さえられた金髪の若者と瞼の上から血を出した美椛、よく見ると奥には刃物のようなものを握っている若者もいる。


 美椛は刃物を持った若者に非力な打撃を与えようとしたが、勢い余ってそのまま柵に寄りかかって倒れた周りには警察官は三人、床に倒れている人は二人。そして金髪の若者と刃物を持った別の若者。


 菅野は人の網を潜って改札前の最前を目指した。



 「なあ……沙里と朱莉は二人とも同じ死に方だったそうだ。頭蓋骨が砕けたってよ…」金髪の若者は二人の名前を口にし、壁に寄りかかりながら美椛に視線を向ける


 「どうして俺はこんなに元気だって言うのにあいつらは記憶や写真になってるんだ?」


 「さぁ……俺らは、誰かを守ることで存在意義を保っている。だが、朱莉のいない俺だって沙里を失ったお前だって結局、生きている意味が分かなくなってきてんだよな」


 美椛は二人の若者の話を聞いて静かに頷いた。ここで戦う二人にも菅野らと同じような悲観な気持ちで溢れているはずだ。

 生きる意味を見出した女性を二人の若者は失ってしまった、それが朱莉と沙里。なんのために戦っているのか、勝敗がついた先に何が彼らを待っているのか。そんな事を誰も知らずに冷たい視線を送り続ける傍観者。


 二人の若者は警官に抑えられ、腕を取られているが二人は無抵抗のまま静かに目を瞑りうつ伏せでお互い目を合わせる。

 ゆっくりと口角を上げて微笑みあって。

 隙を見て美椛は菅野の場所まで走った。瞼の上はすでに瘡蓋になっているが出血箇所が他にもある。


 「……なんでここに来たの? 私、電話してないよ?」


 菅野は彼女の上半身に腕を回して、急いで改札前から離れた。

 「美椛さんがいる気がしたから……助けなきゃって思った。なんていうか感覚で、だ」


 すぐに周りを囲んでいた人々は捌け、いつもと変わらない駅前に戻っていく。倒れていた若者も救急車に乗せられて、付着した血を駅員が渋々と拭きに来た。


 「二人は……同じ悲しみの種を持っていて、お互いの気持ちを唯一理解できる仲。もう喧嘩なんてせずに話せば良いのに……沙里や朱莉だってきっと怒っているよ」


 そして、遠くの方で雷が鳴った。どんよりとした灰色の雲の下で彼女はポツリと呟く。



 「どうして人は痛みや辛さを知っているのに傷付けてしまうんだろう。誰も悲しまずに過ごせる世界があれば良いのに……優劣や好き嫌いを無くした世界に私は行きたい……今すぐにでも」



 ------そんな世界が存在したら、僕らの仕事は存在しない。きっとそれが夢や希望を無くした人たちの願いなんだと菅野は思う。


 カウンセリングをした先にある答えが。


 「朱莉が死んだ時、沙里は自分を憎んでいた。思いっきり泣いて全員に頭を下げて、いつかあの子も同じ道を辿ると思ってしまったの。だから学校なんか捨てて探し続けた」


 駐輪場横の階段に座り二人は話を始めた。鉄骨組み二階建ての駐輪場は声がよく響く。


 「そうだったのか……よく、頑張ったと思うよ」


 「終電際の東里駅……ショートパンツからすらっと伸びた細い脚を出して、改札から出てきた姿を一度だけ見た。周りの視線を無意識に引っ張っていて、後ろの男なんか釘付けだったもん。でも……違う世界に行ってしまったようで話しかけられなかった。あの時の選択を間違えていなければ、きっと……沙里は……」


 彼女は両袖を目元に押し当てながら、菅野の肩にもたれかかる。


 「美椛はよくやったよ……今まで見てきたこの中で一番強いよ-----」


 この後、喧嘩していた若者の原因を彼女は菅野に話した。どうやら刃物を持っていた若者が朱莉の親友だったらしく、その相手が沙里の蓮だったよう。

 沙里や朱莉を精神的に追い詰めた若者はどこかに逃げてしまい、二人の若者は互いに恨みをぶつけ合ったとの説明。


 それが宮島の言っていた成田奎。自殺によって残された者が幸か不幸か決まるのはその先の人生による。安土のように生きがいへ繋げられることもあれば、海野のように人生を狂わせてしまう事も。

 あの二人の若者にも話を聞いてくれて、寄り添ってくれる人が必ず現れるはずだ。菅野や安土、美椛や沙里、朱莉がそうだったように。


 日が沈み目を細めると街灯が淡くぼやけ貧相な街灯でも美しく目には写ってくれた。彼女は帰りに『笑空』に寄るといって菅野の数歩先を歩いた。


 特に言葉でのやり取りはなかったが時折、何もない空を見上げる。


 こんな時に星や月が綺麗に見えていたら良いのになんて、二人は思いながら。

 あの時美椛が言っていた〝優劣や好き嫌いを無くした世界〟があるとしたら、彼は安土とは出会えていない。


 ------今の世界でよかったのか……それとも残念だったか。目の前を歩く美椛を見ていると、何故だか良かったと思えてくる。


 生まれた時に手にした容姿や性格、それを動かすのも使うのも自分であって、ロボットの様に誰かの指図で動くような構造にはなっていない。したい事、叶えたい事はまるで潤滑油のようだ。


 緊張や不安で固まる事なくスルッと行動できてしまう。今までの彼女を見ていて彼は強くそう思った。


 「ねえ、一応お母さんに……いくこと伝えるね」と顔の近くで携帯をチラつかせた。


 「あぁ、うん。もう少しで七時だし、そろそろ心配になるだろうからなぁ……」

 彼女は振り向いて、両目に溢れている涙を拭う。



 「ここら辺……空に一番近づける場所ってある?」と彼女は人差し指を夜空に向けた。



 重たい雲はすっかりと無くなり、うっすらと風が抜けていく。菅野は状況の理解が追いつかずに、苦笑い。空とは屋根よりも高ければ空だと言う認識の彼にはその質問の答えが見つからなかった。


 「空なんて近くても見え方は変わらないと思うよ、早くお母さんに電話をしてきな」

 「うん……そうする」


 十字路に差し掛かり彼女は右へ曲がった。『笑空』までの道は直線行けば着くのに。


 「ここで待ってるかるからな! 電話終わったら、戻ってこいよ!」


 等間隔の灯りの下を彼女はゆっくりと歩いていった。一歩一歩進み、頭が照らされて、暗がりに包まれて。


 集合住宅が後ろにあるため、一つ一つの形の違う窓がオレンジ色に光っていたが、きっと駅前で見た人もこの家々の中に住んでいて想像と違った暮らしをしている。以前の菅野なら自分を中心にして幸せの基準を決めていた。だが、それは間違っていたらしい。口に出さなくたって人は目には出てしまう。


 安土は友人を亡くした時、美椛のように現実を恨んだのだろうか。

 そういう性格には思えないが、現状を見れば一生忘れられないものになっているのは事実だ。菅野の両親はすでに死んでいるが、誰にも恨みをぶつけたことはなかった。多分、死んでしまった原因が病気だったからかもしれない。


 自殺と大きく違うのは加害者の存在。

 二ヶ月差で死んだ二人を救えなかったのは医者の腕とか悪運とか、そんなもんじゃない。父は会社員で、母は飲食業で……そんな二人を常に側で見てきて育ったからこそ、急がない仕事に就こうとした。

 病気になったのは働き過ぎのせいだと思っていたから。


 菅野や安土は親しい人の死で先の人生を決めた。その時は泣いていても、数十年経てば自分の現状に大きく関わっているはずだ。


 ------僕は仕事……美椛ならどうだろうか。


 そろそろ電話も終わってもいい時間だが


 ------どこまで歩いていってしまったのか。


 住宅街のため小声で彼女の名前を呼ぶが目に映る世界は何も変化はない。急いで電話をかけてみても通話中と表示が出た。

 心が不安定だっていうのに、夜に出歩くのは何かの刺激を与えてしまうかもしれない。だが、ここら辺には家かコンビニしかなく迷うにも足らない場所。それに住んでいるのだから土地勘くらいは持っているだろう。


 十字路を右に曲がり、彼女が進んで行った残像を辿っていった。あまり通った事はなかったが壁にはスプレーで落書きされていて、ガードレールが折れ曲がっている。一体、美椛はどこへ行ってしまったのだろうと菅野に不安が募る。


 もう一度電話を掛けてみるが通話中のまま。


 「おーい! 美椛! どこにいるー! そろそろ帰ってこい!」と彼は叫ぶが、返事は木々が揺れて葉が重なり合って擦れる音だけ。


 嫌な予感がして両腕を掴んだ、震える体を押さえつけるために。頭の上を照らす電灯に目を向けて、さらに奥の夜空を見上げる。


 一旦は電灯がある通りに戻るが、急に胸騒ぎがして彼は再び走り始めた。彼女が歩いた道を抜けてさらに右へ曲がり、ここから先は目では確認していないが止まれない。


 すぐ横にある公園へ入って見回しても彼女の姿は無く、薄暗い一本の電灯がじわじわと照らしているだけで、今すぐにでも消えてしまいそうだ。


------消える? 


 耳を澄ますと目の前のブランコがゆっくりと少しずつ揺れていた。キーコキーコと鉄同士が擦れているが、菅野の耳には何かの囁きのようにも聞こえた。

 同じ言葉を何度も続けて訴えて彼の鼓動を早める。公園を出てまっすぐに進むと片側二車線の計四車線からなる国道があった。


 そこは車通りも激しく、夜間でも明るく見通しも効く場所だったが、目に写ったのは果てしなく続く真っ直ぐ道。下り坂で先は暗闇。


 既に涙の膜に覆われていて彼の目には何も鮮明には映らなくなっていた。朧げな光が二つ、目の前を一瞬通り抜けていって、また光る。


 明暗を繰り返しながら過ぎていくのはまるで人の一生だ。


 ------こんな短時間で、どこへ行けるって言うんだよ。


 彼はようやく足を止めて、両端に土手を構えている橋の真ん中で大きく深呼吸をした。吐き出す時に胸の表面がガクガクとエンジン音のように震える。

 急な不安感はどこからきたのか、彼は大学時代に聞いた話を急に思い出した。


『選択肢が〝死ぬしかない〟と一つに絞られた時、簡単に自殺をしてしまうと。


 迷いや不安を抱えている以上は踏みとどまるが、何かを境にふっと消えていくらしい。ただ、さっきまでの彼女の様子はふわふわと浮いているようで非常に落ち着いていた。


 駅前での彼女は〝優劣や好き嫌いを無くした世界〟の有無について彼に聞いていた。そして、そんな世界にいってみたいと話す。ぼーっと夜空を見上げてぼそっと。


 ------まさか、その世界を本気で見つけようと探しにいったのか? 「あるわけがないだろう!」


 彼は橋の真ん中で叫んだ。


 両腕を大きく広げて、閉じて。


 ------つまりもう、この世界にはいないと言うことか? 

 彼の頭の中で一つの結論が出た。声に出して、誰かに、何かを問いただす。たった今、想像した未来を否定して欲しかった。


 目の前を勢いよく走り抜けていく車は、数秒後には見えなくなるほど遠くに行く。ぼーっと立ち尽くしている彼は足を動かすこともなく今まで相談に来た人の顔が浮かんだ。

 人によって相談の具合を変えていて、普遍的な言葉を並び替えるだけ。それが仕事だった。


 大学で習った科学的な説明もろくにせず、お客の心身の動きや話を相槌に変える。その人の現実を目視して、ふざけた理想を聞かされると笑いが止まらなかった。


 〝何を夢見ている〟〝なれるわけがないだろう〟


 そんな文句を彼は相談中、心に貼り付けながら目尻を絞って、口角を上げて無理に笑顔を作った。相談に来た客の先の人生を知れない『笑空』のスタッフは、彷徨っている真っ暗な森の中に一本の光の筋を照らすだけ。


 三百六十度からその人に合った方向へ照らす。そんな仕事だった。


 悲しみや苦しさは何にでもなる。怒りだって、絶望、スポーツへの活力にだって変われる。ただそれは表面的なものに過ぎないことを数十年生きていれば、誰にだって分かることだ。


 姿を変えても消える事はなくて、誰かに話したって消えない事を知っていた安土はずっと菅野よりも凄かった。ただ、知らないことは罪ではない、でも知っていたらカウンセラーとして菅野は違った方向へ行けたかも知れない。


 菅野には何故、誰にでも等しく優しい言葉がかけられなかったのか。そんな悩みも『笑空』は、柔らかく包んでくれる。


 彼のようなクズも。


 菅野は橋を渡り、さっきまでいた住宅街へ繋がる道を駆け出した。


 自らが出す足音も聞こえないくらい、向かう風は勢い強く、聴覚を奪った。


 一旦足を止めて横腹を抑え彼は電柱に寄りかかる。

 ここは美椛と最後に話した場所で頭上を照らす電灯が風を受けて跳ねている髪先を照らす。俯きながら彼は崩れ落ちた。


 美椛が初めて相談に来た日、席に座った瞬間にこう聞いてきた-----



 ------どうして駅で人を眺めていたの? 



 菅野はその質問には答えられなかったことをいつも胸に留めていた。彼は頭を電柱に擦り付けながら仰向けになると、真上には神々しくぼやけた光を放つ電灯があった。ゆっくりと目を閉じて、過ぎ去った過去を思い出し始める。


 ------最初は美椛と同じ歳くらいの時に大人へ憧れていて、逞しく生きている人が格好良く見えていた。


 ピシッとしたスーツを着て、左腕の腕時計で時間を気にしながら改札へ入っていく。その人の容姿に憧れていた。だから見ていた……でもな、同時に夢を探していたんだよ。漠然とこんな大人になっていくんだろうなと思いながら、視線を改札口に向けていた。


 上下関係、給与や待遇、自己顕示欲、そんな悩みは無知。


 表情や容姿だけを見比べていった。カウンセラーとして人を理解したいのなら駅前に立つのではなくて、もっとお客に寄り添えばいい。


 ただ、それが出来なかったから今でもあんな行動で知識や経験を補っているんだよ。


 ------あの時、こう答えるべきだったのだろうが、急に聞かれるものだから戸惑った。美椛は夢を叶える一環として『笑空』に来て、そんなダメな大人が担当になった。


 それでも話を聞いていくうちにまるで安土の人生を繰り返しているようだった。安土の過去は口伝えだったが美椛はしっかりと目で見ている。何処か似ているものを感じて初めて救いたいと思った。


 家族だってそうだ。〝可愛い〟と何回言われてるんだ?


 ------そうだ……僕にも子供ができたら同じように育てよう。


 ------夢を叶えられた大人なんてごく少数だからまた探せばいい。


 僕だって今まで、適当に相談を受けて多くの人生を否定した。こんなクズでも好きな人ができて、今さっき夢を見つけた。いくらでも話をしよう。


 そのために僕らは『笑空』にいる------



 翌日の朝、美椛は遺体で発見された。



15話へ続く!!

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