第13話


 沙里の葬式は今週末に行われることになった。


 菅野はデスクの上に乱雑に積まれた書類に目もくれずに、その上に伏せた。

 美椛にとって沙里はどんな存在か、彼は半年前に聞いたことを思い出しながら目を瞑る。


『クソ野郎だけど、似た者同士』そんな言葉が雲のように湧き出てきて沙里を形作り、もし彼女に似ているのならば優しくて友人想いだったはず。彼女の半年以上は全て沙里を思って動いていた。


 もしかしたら彼女の頭の中には常に〝自殺〟の二文字がちらついていたのかも知れない。一度目の朱莉を忘れられず。誰かのために飛び降りたのか。それとも別に理由はあるのか。全ては海野の頭の中にあるのだろうが、改めて考えてみても元生徒と一緒に住んでいるなんておかしな話。


 ------なぜ海野は学校へ行けと促す事をせずに、家に匿続けたのか。菅野は脳を休めようとしたがこの状況でできるはずも無かった。


 「なぁ、菅野……ちょっといいか?」と言って宮島は菅野を相談室へ招く。


 宮島は東里中と東里高に親交のある教員がいて、過去の悪事のもみ消しを逆手に上部教員に話を聞いてきて二つの情報を持ち帰った。

 一つは架空のストーリーともう一つは朱莉を追い込んだ生徒の素性を。一枚の紙に聞いた情報がまとめられていて、菅野は静かに話を聞いた。


 既に調査も終わっていて遺書から動機を読み取った結果、大人への恨みを綴った内容も教師側の策略が見つかる。

 学校側でその事を調べられたが何の証拠も上がらずに数週間後、一人の教師が責任を負って教職を降りる。


 ただ、それは全く無関係な五十代の男性教師。菅野はその教員の名を聞かされてもピンとくる物はなく、犯人を無理矢理に生み出したと言う表現が正しい気がした。だが、そんなことは意味を持たずに、生徒は口を揃え沙里の名を出して心身的に追い込み始めた。


 学校側としては生徒の評判を何とかして守りたい、その想いが別の教師の退職に繋がる。本当の遺書には沙里や他生徒の存在は全く関係ないような文が記されていた。もちろん退職した男性教師のことも。


 そして東里高校は朱莉の自殺に関して架空のストーリーを作った。


 生徒は沙里が犯人だと言い続ける最中一人の教師が自白する。「僕がやりました」と。


 誰でも飲み込みやすい簡単なストーリーだと菅野は思った。その作り話が学校側の思惑通り、水面に垂らした油のようにスーッと広がる。理解しやすい内容のため正確に。

 その結果として実際に朱莉に危害を加えていた生徒は守られて、沙里は不名誉で有名になったが、美椛はそんな彼女を常に気に掛けて教室内でも離れなかった。


 朱莉と美椛は仲が良く、死ぬ直前に朱莉から〝沙里は関係ない〟と伝えている。美椛はその言葉を信じて、全生徒から煙たがれる沙里の側に居続けた。だが沙里は学校へ来なくなり、美椛から離れていく。


 そして彼女は沙里を探し始め------そして『笑空』に来る。


 上部教員から聞いた話を、宮島は現在軸と繋げて全てを菅野に話した。


 彼は話を聞いて〝人を殺した〟と言うものは根強く残る〟という海野の言葉を急に思い出した。何もしていないのに殺したと言われ続ける学校へ行かせる。きっと彼が沙里の側にいたら、無理矢理に戻そうとした。

 それぞれにある人生などを無視して、型通りに言葉を作って。宮島はまとめた資料をホチキスで止め、彼の前に置いた。


 「誰が彼女を自殺まで追い込んだのか。教員が言うにはある生徒が中心だったと」


 彼は赤いインクのペンをゆっくり資料に近づけ、生徒の名前が並んでいる場所へ一直線に向かった。菅野が聞いたこともない生徒を丸で囲み、さらにその上から一人の生徒の名前を、執拗に線を引く。


 「成田……奎という生徒が、朱莉を日々痛めつけていたという情報があった。一人ではなく、他校の生徒を使ってバイト先や下校中を狙ってな」


 「沙里は彼女に対して何もしていないのに、何故その事を話さなかったのでしょうか」

 「さあ……そこまで深くは聞いていないが……友人が自殺したという心理状態がそうさせたのかもしれん」


 菅野は宮島が持ってきた情報が全て合っているとは思わないようにしていた。生徒の自殺を扱うと、必ず学校側は口裏を合わせて隠蔽を図ろうとする。

 校内の雰囲気や評判に直結してしまうからだ。


 こんな風に一人の教師に背負わせたという嘘は、警察の捜査力で見透かせなかったのか。様々な方向から考えてもカウンセラーである彼の頭ではたった一つの正解には辿り着けなかった。


 沙里が亡くなった日から五日が経過していて、東里高校の生徒はその話題で持ちきりだ。ネットニュースにも上がっており校舎前には取材やカメラの持った人が多くいる。

 記事には一年前に自殺をした生徒と同校だったことが大きく見出しになっていた。短期間に二名の自殺者を出した学校ともなれば、メディアの目が集中するのも納得できる。一時的に臨時休校になり、生徒にカメラが向く事はない。


 だが、梅田によれば、SNSで東里高校の生徒がいくつもの証言を書き込んでいるらしく〝自殺では無く他殺〟などと言った嘘まで出るほど。

 生前の沙里の写真がいくつかSNSに無断で上げられていて、既に法などは意味を持たないものになっていた。

 

 昼過ぎに菅野は携帯を持って相談室へ入り、紙とペンを机上に用意して海野からの電話に出る。そこで話されたのは美椛を『笑空』に呼んで三人で話をしたいというもの。

 電話から聞こえてくる海野の声はまるで胸を撃ち抜かれた兵士の遺言のようだと彼は感じた。沙里を身近で見ていながら自殺を止められなかった自分を責めたはず。  


 菅野は同情も込めて、その計画を進めるように約束をする。続けて菅野は、美椛に電話をかけた。


「こんにちは。『笑空』の菅野です。自宅に美椛さんはいらっしゃいますか?」


 彼女ではなく母親が先に出たが、覚えのある甲高い声では無くボソボソと囁くように話す。電話の奥では階段を降りてくるような音がした。


 (------……電話変わったけどこんな時に何の用?)


 「実は海野さんが僕を含めて三人で話がしたいと言っていて……こんな時にごめんね」

 菅野が話してから数秒間の沈黙を挟んで突然電話が切れた。携帯電話を耳元から離し、椅子が軋み音を立てるほど脱力して座る。そりゃそうだと思った。机上に重ねられた客の相談シート、それを数秒見つめる。


 覚えている限りでは十人分だった。ある人は対人への恐怖を脱却したい女性、ある人は職場へ馴染めずに彷徨っている男性。仮にこのまま手放して一人で頑張れと声を掛けたら、どんな人生を送るのだろうかと彼は考えた。


 ------その答えが出ないから、ここに来てるんだよな……。


 部屋の後ろで電話をする様子を見ていた宮島が菅野に近づく。

 「……菅野は一旦、二人の件に集中をしろ。他の仕事は周りに任せちゃって構わない」

 菅野が担当している客の名簿を全て持っていく。

 机に残ったのは二つ、美椛と海野。


 「宮島さん……この相談を良い方向へ持っていけるでしょうか? 自信がありません」

 彼はデスクに頬を添え、ゆっくりと瞬きをして呟く。


 「自信がないことなど最近の菅野を見ていれば分かる!」

 宮島は優しさを含める事なく言い放つ。


 「この件を初めて扱った時、友人の沙里を探し出して終わりだと思っていました。ですが探している途中に死んでしまって、向かうべき場所は何処か分からない状況なんです」


 すぐ近くにいた梅田と上原は視線を菅野に向けた。彼が弱音を吐く姿を二人は初見。

 「じゃあ安土みたいにこの仕事から逃げるか? それでも別に構わないぞ?」

 宮島が放った言葉で静まった事務室の空気感が変わった。


 「言い方酷くないですか? まるで安土さんを貶す言い方で……先輩だって俺らには到底理解できないような悲しみを抱えているんですよ?」


 梅田はすぐに反論し、菅野と安土を庇う。


 「仮に菅野がこの件で仕事をやめたとしたら……後を引き継ぐのは梅田だぞ? 苦しみも理解できないようじゃお前にも無理な仕事だ」

 宮島は梅田からスッと目を逸らし、菅野がいる席へゆっくりと向かう。


 「菅野は対局する二人を同時に対応している……と言うことは、三つの自分を持たなければいけないと言うことだ。片一方を見放すことも出来るはずだが……菅野は両方を救おうとしている。何故だと思う? 上原」


 上原は立ち上がり「わかりません……ですが、先輩はそう言う人です」と答える。

 ------違う、僕はただ、人を救っている自分が好きだった。

 「全く違うな……単純なことだ。お前らの心の中にも必ず〝邪心〟があるだろう?」

 「そんなもの……無いですよ。僕は好きでこの仕事をしているんです」

 上原は考える間も無く答える。

 「上原はそうなのか、菅野も昔は同じ事を言っていた。いや、言い聞かせていた」

 宮島は窓枠に腕を乗せ、吹き抜ける風を大きく吸った。


 スゥー


 「……この仕事をしていると、自分とは正反対の人間に出会う。考え方も生き方も人生も。だが仕事上その人を否定してはいけない。そんな時に俺らは自分に嘘を付かなければいけない。分かるだろ? 上原、梅田」


 二人は小さくハイと返事をする。菅野も言葉の意味を深く理解していた。


 「心にも思っていないことを口にすると、意外に楽だったりするんだ。それに対して否定をされても、その言葉が自分のものじゃ無いからだ。何を返されても、誰が来ても動じなくなる。簡単に言えば身代わりだ」


 菅野は上半身をゆっくりと起こして、窓際の宮島に目を向けた。


 「でもなぁ……薄情じゃいられないのが人間だ。心がある以上同情をする時がある」


 小窓から吹く風は横へ流れていき、ドアに取り付けられた風鈴を揺らす。

 チリーン、リンッリンッ……


 「なぁ? 菅野。そう言う時が来たらどうする? 今の菅野なら答えられるだろう?」

 「本気で救ってあげたいと考えます。どんな手を使っても何時間かかっても必ず……」


 「そうだろ? じゃあなんでそんなに弱気になってんだ。二人を救うのに理由や方法を求めていたっていつまで経っても進まない。どうして救ってあげたいと思ったか、もう一度考えてみろよ」


 勢いよく風が吹き抜けていき、雑に積まれた書類が宙を舞って菅野の足元で静止した。彼は拾い上げ、紙面を見ると〝美椛〟の相談シート。


 「------もう、誰の人生も否定したくないと思ったからです……今なら買われると思ったからです……それと、人って皆同じようなものなんだと思ったからです」

 彼は拾った相談シートを眺めながら、涙交じりに答えた。


 「俺も菅野と同じくらいの頃、同じ事を思い始めて変われた。だから絶対に変われる。後輩たちにかっこいい背中を見せてやれよ。安土だってその方が安心するだろう?」


 宮島は吹いていた風を分断するように窓を閉め、事務室から出ていった。そして菅野はもう一度、美椛に電話をかける。


 数秒後、再び悲しげな声をした彼女が出た。携帯のマイクが周りの風を拾っていて雑音が一定間隔で向こう側の声を途切らす。

「何? 今向かってる------ところなんだけど……」


 電話の奥では車が走り抜けていくような音、電車が線路を擦れる音がする。

 「そうだったのか……わかった、待ってるからゆっくり安全に来てくれ」


 美椛にとって親友の死はどんな影響を与えるだろうか。想像もしえない苦痛やふとした瞬間のフラッシュバックなどが襲うだろう。一時的に彼女は一人残された感覚に陥って場合によっては後を追う人だっている。


 今最優先にとるべき行動は彼女を守る事だと菅野は思った。他仕事を全て蹴ったのならば、それ相応の結末まで持っていかなければいけない。


 あの時、沙里が死んだと聞いて無意識に彼女の歳を頭に思い浮かべた。


 十八という数字……たったそれだけだ。救えなかった海野だって、失った美椛だって常に頭の中にあるものはなぜ話してくれなかったのか。


 全てを人に曝け出せるわけが無いと思いながらも、違う未来を想像するあまり考えなくなる。必死に助ける方法を考えても死んでしまっては過去を悔やむ事しかできない。


 デスクの上を整理していると、風鈴の音が響いた。


 チリーン、リーン、リーン。勢いの良い風がブワッとドアを全開に開かせ、そこにいたのは美椛ではなく海野。急いで走ってきたのか、両肩を思い切り上下させて深く呼吸を繰り返していた。突然の来訪であって菅野は驚く。


 「------菅野さん……ごめんなさい……沙里を殺してしまったのはきっと、僕だ……」


 数ヶ月前に来た時と状態が似ている。薬の飲み忘れか……もしくは単純に悲しみか。菅野よりも先に梅田が飛び出して行って肩を支える。


 「落ち着いてください……落ち着いてください……まずは、相談室へ入りましょうか」

 海野が支えられて移動を始めた瞬間、もう一度風鈴の音が辺りに響く。


 チリーン、リン


 ------そこに居たのは美椛。


 海野は勢いよく振り向き、目に彼女を写した瞬間に勢いよく尻餅をつき、彼女もすぐに目を向け「なんで海野?」と呟いてゆっくり近づいていく。


 「美椛……悪かった。沙里と一緒にいながら止めることができなかった……」

 座り込んだ体勢をうつ伏せに変え、彼女に向かって土下座をする。

 手の指を開き切って頭を無理に低くして。


 「死ぬ前に……沙里は何か言ってた? どうして……沙里もいなくなってしまうの?」

 彼女は謝り続ける海野に視線を向けながら進む、ゆっくりと彼を見下ろしながら」


 「私が半年以上も沙里を探していたことを知ってた? 知ってるはずだよね?」


 「いや……沙里が姿を消したのは美椛の為だと聞いて、教えることができなかった」

 「なんで海野がそんなこと決めてんの? 考えを否定することだって、場合によっては正義にもなる。もし、沙里の言っていたことを無視していたら救えたかもしれないのに」


 美椛は足元にいる海野を思いっきり蹴り上げた。一周半転がり、すぐに梅田が抑える。


 「------怖かったんでしょう? 周りの人が自分の影響で死んでしまうのが。中学の時だってそうじゃん。もし朱莉を庇っていたら死んでいなかったかもしれない。だから言う事を聞いて影にいる……ずるいよ」


 海野は頬を押さえながら、上半身を起こした。


 「本当にごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい------」

 床に額を擦り続け、涙混じりの声のまま謝り続けた。


 「海野は死んだ方がいいよ。その方が世の中にも良いし、沙里や朱莉だって喜ぶよ」

 彼女は窓枠に手をかけ、蹲る海野を踏みつけた。


 「先の短い人は何かと物騒、失うものないってどんな気持ち? 〝まぁ、もう死ぬし〟って思いながら 他人を貶していくんでしょう? 人ってそんなに残虐だっけ? 私たちは何を頼って生きていけばいいの?」


 下細い声のまま彼女は想いをつらつらと短調に話す。梅田は急いで医療箱を探しに行ったが、上原は彼女の言葉を聞いて涙を流していた。


 「沙里の夢……ずっと笑って過ごすこと。海野の近くで沙里は笑ってた?」

 海野は首を大きく横に振る。

 「じゃあ……叶えられなかったんだね。こんなにも簡単に手が届きそうな夢を。元教師でありながら、ずっと側に居ながら。もう、死んだ方がいいよ。今すぐにでも、誰にも迷惑がかからない死に方を探して」


 ガラッ


 彼女は窓の錠を下ろし、勢いよく開けた。吹き抜けていく風が彼女の目元に溜まった涙を飛ばしていく。「------でも、どうせ死ぬなら、最後に全てを話してからにして。沙里と朱莉の分まで生きるのは私だから、一緒には生きていけないから」


 海野は梅田による怪我の処置を終え、壁に寄りかかって痛みを耐える。


 「……そのつもりだった。沙里から多くのものを預かっている。二日後……もう一度ここへ来てくれないか?」


 ------多くのものを預かっている? 死ぬ前に何かを渡したということか?


 「だめ、明日して。明後日は沙里のお葬式があるから」

 「わかった……菅野さんもその日、空いてたりしますか?」

 海野は菅野に目を向ける。


 「大丈夫です……その日に相談室を押さえておきます」


 言葉や常識を取っ払い感情で会話をしているようだと菅野は感じた。明日、語られる真実はきっと美椛の一生に付き纏うものだろう。


 後ろを振り向かせないようにさせるのが仕事だっていうのに今ですら救えていない。蹲る海野の背中を見て、彼は同情を誘われた。


14話へ続く

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