第9話

 ピロンッ 机に振動が伝わり鈍い音が部屋に響き、菅野は布団から手を離して携帯に目を向けた。


長沢沙里「間違って電話かけちゃった・・・」


 ------なぜ海野と沙里が今でも繋がっている? 


 彼は〝沙里〟と言う名を見て身震いが起きた。

 そっと携帯に手を伸ばし続く内容を確認しようとすると相談室の外で大きな物音が鳴り、重い何かが勢いよく床に倒れた様などよめきと梅田の「どうしたんですか?」と言う叫び声。彼の身震いは続く。

 バァンッ! 相談室のドアノブが強く壁に打ち付けられ、追い風がブワッと菅野を包んだ。今までのモヤと震えを吹き飛ばすくらいの勢い。


 海野は一心不乱に部屋を見回しはじめた。脳が揺れるほど頭を震わしながら「携帯を見なかったか?」と唖然とする菅野に聞いた瞬間、手元に目を移す。海野は狂ったように携帯へ手を伸ばして片腕を掴み、彼が突進してきた衝撃で菅野は敷きっぱなしの布団へ倒された。

 「ちょっと、いきなり飛び込んで来なくても……」

 菅野は頭を強く壁に打ち付けた。「誰かから電話は来ていたか?」と挙動不審に問う海野は、彼が答える間も与えず部屋から飛び出していく。


 扉の近くにいた上原は驚き声を上げ一時的に『笑空』の中は騒然。一瞬にして過ぎたようだったが、吹き抜けていった風は、遠くにあるはずの沙里の情報までも確実に引き寄せた。


 菅野は布団にそのまま背を向けて倒れ、目を瞑る。------海野と沙里が連絡を取り合っている事を美椛に伝えるのはどうだろうか、本人だという証拠は無く関係性も半透明。居場所を知ったら学校に通い始めた美椛の足を止めてしまうかも知れない。そう結論付け、見た物を一度、深い場所へとしまった。

 それから二週間後、美椛は母親と『笑空』に来た。菅野は二人を相談室へ案内して席に座ると、嬉しさのあまり母親は大きくため息をついた。喜の感情が溢れんばかりに。

 「お世話になりました。美椛から学校が楽しいと聞けて本当によかったです」

 「いえ……美椛さんは明るいように見えて、実は心の声には正直な人でした。嫌なことでも優しさだと思えば、出来てしまう素晴らしい性格です。僕も美椛さんが学校へ行ってくれて、すごく嬉しいです」

 菅野がそう伝えると美椛の口元が少し緩む。全て事前に彼女と決めた内容のまま進む。

 「本当にありがとうございました」


 「でも……暇になったら、また来ても良いでしょ?」美椛は母親の目を見て笑みを浮かべる。

 「んー、ここは遊ぶ場所じゃないよ? 会いたいならどこかのお店にしなさい」そんな突飛な返しに美椛は困惑している様子。風変わりな答えに思わず菅野も笑ってしまった。

 「別に……この人に会いたいわけじゃなくて、ここの雰囲気が好きになったんだけど」

 「そんな事知ってるわよ。美椛は可愛いんだから来てもいいかお兄さんに頼んでみな」

 ------何を娘の前で言うのか。


 「この人だって実は私のこと可愛いって思ってるから、多分許してくれるよ」

 美椛も屈せずに血縁の意地を見せつけるよう、型破りな返しをする。

 ------何だか安土と言動が似ているな。彼は目の前に座る美椛に安土の虚像を重ねた。

 「まぁ、それもそうね。でも毎日とかは迷惑になるから、可愛い子だったとしても」

 菅野は二人の会話に切れ間を探すも見つからず、数十分後に攻防やようやく終わって相談室から出ていった。部屋に一人に残された彼は、肩を落として大きくため息をつく。

ただ、頬を緩めてうっすらと微笑みながら。


 美椛に関する約四ヶ月間のレポートを一つのファイルにまとめていると、外から女性が驚く声がした。すぐに男性の声も聞こえてきたが無視して作業を続けていると海野先生と言う言葉が彼の耳奥に響く。------今日は海野の予約は入っていないはずだが------まさか……! バンッ! 



 菅野はファイルを乱雑に払って勢いよく扉を開け、受付の方へ視線を向けると白い歯を見せて笑う美椛の母親が立っていた。彼は相談室の扉から右半身を出し声が聞こえる方向に目を向けると、呆けたよう彼は呟く。

------「何で海野が来ている? 美椛に沙里を会わせてあげるのか?」


 菅野は扉の前に立ち、美椛の死角になる場所へ静かに移動した。


 「海野先生こそ……何年振りでしょうかね? 今でも教師を続けているんですか?」

 母親は海野の肩に手を添えて突然の再会で心を躍らせていた。音階がひとつ上がったような妙に甲高い声が相談室前の廊下に響く。必死に嬉しさを取り繕うような卦体な笑声。

 「いえ……体を悪くしてしまって、美椛さんの卒業を見送った後に教職を降りました」

 「美椛も元気にやっていまして……いやぁ、でもびっくりしました」

 下を向き、かったるそうに携帯を見ている美椛に海野は視線をずらす。

 「美椛、最近は沙里と仲良くやってるのか? あんまり話聞かないが」

急に話を振られた瞬間、彼女は目の前に立っている海野を冷酷な目つきで睨み上げた。


 「聞かないって何?」と彼女の険悪な返しに海野はたじろぐ。


 「何って……本人からだよ、沙里から聞いてるんだよ」

 母親は二人の顔を交互に見て、場の雰囲気を徐々に理解し始めたように急に黙った。

 「は? なんで海野が今更、沙里と絡みがあんの?」

 海野は表情を顰めながら「偶然会って、沙里も学校へ行ってないみたいで相談に乗っている」と返したが、人に寄り添うことを嫌っていた彼らしくないと内心、菅野は思った。

 「沙里が海野に話すことなんて何一つないでしょ? どこにいるか知ってんの?」

 彼女は立ち上がり頭ひとつ違う背丈の海野の脛を蹴り付けると、彼はバランスを崩して壁に手をつく。横の母親は止めに入らず嘆かわしい表情のまま二人を見入っていたが、菅野から見てもこの光景は異様だった。


 暴力を振るう娘を止めない母親、感情の一致がそうさせているのだろう。教師時代の海野はそれほど評判が良く無かったと。

 「今は僕の家にいるよ。沙里は働いていて帰るのが遅いんだ。心配になるだろ?」

 「は? あっちにも家族はいるじゃん。何言ってるか全く意味が分からないんだけど」

 「沙里は家族に見放されたんだよ。〝人を殺した〟と言うものは根強く残るからな」

 海野の悪態に彼女は言葉に詰まり、真下のある椅子へ気を落ち着かせるために座った。

 「------もし沙里が一生日陰で生きていくのなら、私もそこにいるつもりだった」

 美椛は俯きながら呟く。


 「沙里はお前を巻き込ませないように自ら離れていったんだ。分かっているのか?」

 「口では何でもいえるでしょ。どうして今更、海野の言葉を信じなきゃいけないの。あの件から逃げたお前が関わっていること自体おかしいの。さっさと死ねば? 近くの高層マンションからでも飛び降りて」

 海野の額に悔恨の汗が光る。

 「蓮も自殺した朱莉に対し同じことを言ったんだ。それを一生悔やんでいる」


 菅野の耳に自殺した生徒の名は〝朱莉〟と言う情報が流れてきた。以前、美椛から見せてもらった写真に写る生徒であり安土が一年前に担当した客。

 彼の頭の中の黒板上に長い線が次々に引かれていく。海野から朱莉へ、朱莉から安土へ。無理に繋げたわけではない、最初から繋がっていたように思えるほど綺麗に。

 「なんで海野は平気な顔で暮らしてるの? 悔しくないの? 教師だって言うのに生徒から逃げてばっかりの人生なんて。お前の人生はきっと過去も未来も一生日陰にいる、死んだようなものだったんだろうね」

 美椛は海野の人生を率直に否定し、声や言葉に棘を備え感情の無い白い目で見続けた。

 「何故、沙里に優しくしているだけで人生を酷く言われなければいけない……今まで僕がどんなに苦労した人生を送ってきたか分かって------」

 彼女は言葉を被せるように「海野の人生とか興味ない、見た目で判断しただけ。あぁ、きっと、色のない人生だったんだろうなって」と鼻先で笑うかのように言う。海野は失意したような目の涙を拭う。


 「------そうか、お前は何も変わらないな……また話そう。もう帰るよ」


 菅野は二人が離れて行くのをじっと遠目から見つめ、ドアが閉まる音が聞こえた瞬間に相談室へと戻った。------美椛は沙里の居場所を知って、先はどう動くのだろうかと菅野はいくつもの過程を想像した。


 それから一週間後、菅野や安土を巻き込む問題は大きくそして複雑になっていく。

 海野と美椛と再会した日から頻繁に『笑空』へ来ては、執拗に聞き出そうと手を変えて質問を投げてきた。菅野が話せることは何も無い、誰かの指示で動かされているよう質問は決まって美椛の居場所。

 元教師である海野が、他人の情報を口外してはいけない事など一番に理解しているはずだ。沙里と暮らしていることが事実だという証拠も無く、菅野は確実な一歩を踏み込めずに三日が過ぎた。

 頭の中に引いた線を後は辿っていけばいいものの、他方向へ伸びているせいで迷っている。菅野は走るのも追われるのも嫌がり、ずっと分岐点に立ち尽くすばかり。そして今日もまた、昼過ぎに風鈴の音と海野は来客した。チリーン、リン

 「あいつは、元教え子だ。どうしてここへ来ている!」

 海野はドアの横にある長椅子に座り、名簿を記入しながら事務室に向かって叫ぶ。

 「他のお客様もいますのでお静かにお待ちください! すぐに案内しますから……」と

 怯えた表情の江田が対応に当たるが彼の怒りは収まらない。名簿表を床に勢いよく投げつけそれを思い切り踏む。


 怒りの感情が彼に憑依してしまったように理性が無いがその後、菅野と上原で無理やり彼を相談室まで連れ込み、何とか怒りを一時的に抑え込んだ。

 「こんなクソを見捨てないのがお前の真意か? それとも仕事だからと仕方なくか?」

 海野の真正面に座っているのは上原、その横の菅野は座り、焦燥感の篭った大粒の唾を飛ばし彼は問う。

 「どっちもです。一人で暴れるなら構わないが、あなたの行動は他のお客の人生を狂わせるかも知れない」と上原は決然して答える。

 「言っておくがな、人に話をして消えるくらいの悩みじゃすぐには死のうとしない」

 「なぜ、そう言い切れるんですか? 生き方や考え方はそれぞれあるんですよ?」


 「------今の子は簡単に死ぬと言えるぞ? それを分かった上で大人は〝もしも〟の為に動く。良かれと思って話を聞いてあげるんだ」


 ------元教師……あなたはその〝もしも〟から逃げた。菅野は終始睨みをきかす。

 「親身になって生徒いじめの相談を聞いてあげても、いつしか面倒に思えてくる」


 ------聞いて〝あげて〟も? 


 海野は謎めいた笑みを浮かべ独自の主張を話し続ける。

 「ただ……それを否定された。さっき言っていたよな? 考え方はそれぞれだって」

 上原は余裕のない表情で「ええ、言いましたよ」と小さく返した。

 「美椛が来ているって事は何かあったんだろ? 沙里か? 死んでしまった朱莉か?」

 「この場で美椛さんの話を何も教えられる事はないですよ。何回も言いましたけど」

 間を挟まずに上原は答える。

 「友人の為ならと言う生徒だった。ある一人の生徒を庇って意味の無い暴言を自ら浴びていた。だがな、人を救える人が偉いという考えがまた悪を生むんだよ。分かんだろ?」

 「わかりません。一体、どう言うことですか?」

 「この意味がわからねぇようじゃこの先、相談に来る子供たちは救えない」


 〝人を救える人が偉いという考えがまた、悪を生む〟もしこの言葉が正しいとするのなら無限に繰り返されていく事になる。

 海野は突然立ち上がって首の後ろを掻きながら「沙里はもう限界だ」と言い残して相談室から出ていった。急に静まった部屋の中で菅野上原と目を合わせ、同時に消耗感のあるため息をつく。出ていった海野の後を二人は追わずに上原は机上に伏せた。

 「なぜ僕らが説教されるんですかね、あの人は出禁にした方がいいですって」

 「でもなぁ上原。ここであの人を見捨てたらそれこそいじめを無視した事と同じことになるんだ。あの人が後ろを振り返らなくて良くなるようにしなければいけないんだよ」

 菅野は無理矢理に良い先輩を演じた。彼が海野に対して決して思うことのない助力の意見を軽く口に出す。


 今日も美椛の件は何も前には進めなかった、渦中の沙里だっていつ会えるか分からない。空回りというわけではないが一度に降りかかるものが菅野には多過ぎた。安土がいればまだしも今は一人。睡眠時間や食事量が数ヵ月前よりもかなり減っていて、彼がデスクで放心している姿を見ているスタッフも多い。


 海野はカウンセリングの意味を履き違えてないだろうかと菅野は思いはじめた。悩みや苦しみを抱えている人が専門の人の助言やアドバイスを求めてきていて、人探しや説教をする場所では無い。

 海野が何処で沙里に会ったかは定かでは無いが、本当に家にまで上がる仲だとしたら二人の心情が一致したくらいしか彼には考えられなかった。一人になった沙里のことを海野が庇ったこともあり得なくはない。二人の関係が事実だと仮定するなら今頃、美椛の現状を知らされたはず。


菅野は宮島に逐一報告を入れ、状況の整理を手伝ってもらっていた。美椛と海野を繋ぐ線の中心に沙里と朱莉がいる。人が死んでいる以上彼一人で抱えるのには荷が重過ぎた。


 それから更に一週間後、菅野の前で美椛は泣き崩れていた。駅前で人目も気にせず声を上げて叫び続ける。


 ------沙里が、屋上から飛び降りた。


じゅ、10話へ続く!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る