第6話

 前回から二週間ほど空いて三度目の美椛の予約が入った。その間も多くの若者が相談をしに『笑空』に来たが解決した事、先行きが定まらない件も多い。彼女の相談も後者に属されるが、人探しと言う風変わりな内容で頭の片隅には常にあった。そして、二週間の間に菅野の身に大きな変革が起きる。


 安土が『カウンセリングルーム笑空』を退職。


 理由は病気の療養。連絡一応は取れるが安土は田舎にある実家に帰ってしまい、すぐには会えない距離にいる。個人の会社のため復職の希望を出せばすぐに受理されると言ってはいるが正直半々だ。彼女ほど仕事熱心な人を菅野は見たことがない。だが、その性格が精神病になりやすいのも事実だ。

 一番近くに居ながら彼は何一つ気づく事ができなかった。〝確かに今考えてみれば〟そんな言葉を借りて当時の自分を責めるしかできない。

 考えられる原因は仕事柄大体想像がつく。勿論、彼女自身も気付いていたかもしれない。全スタッフの急な寂しさの表れなのか、使っていたデスクは机上も含めそのまま残されていてホワイトボードには「外出中」が貼り続けられたまま。スタッフは何かの動作のついでに安土のデスクを見ては、それぞれが共に過ごした日々を静かに思い返していた。


 チリーン、リンッ 風鈴が揺れ、気温とは対照に涼しさを感じさせる音が響いた。

 「こんにちはー! 久しぶりに来ちゃいましたぁぁぁ!」と美椛が声を荒げて入ってきた。

 「久しぶりー美椛さん、そこの名簿に名前を書いて、真ん中の二番の部屋に入って」と江田が叫び返す。菅野は急いで相談室へ向かう際、安土の机に一瞬視線を向けた。普段首からかけていたプレートと愛用していたティーカップ。彼は両頬を勢いよく叩き、強く目を瞑る。無理に切り替えようとした。

 相変わらず美椛は制服で相談室に入ってきて、すぐに悪戯な笑顔を見せてきた。言葉のやりとりは無いが気分が良いのはどんな事よりも嬉しい。

 「どうした、何か良いことでもここ二週間の間にあった?」すると彼女は鞄を漁り始めた。中を整理しているのか机上にポーチや財布、ハンカチなどが置かれていき、最後は折れ曲がった茶封筒が出てくる。出てきた小物はブランドに疎い菅野でも分かるような高級なものばかり。

 「嬉しかったことはね……これが出てきたの」と中から薄い紙の先端を覗かせる。

 「その茶封筒? 中に何が入ってるの?」


 そう菅野が聞くとサッと机の上に出され、彼女は早く開けるように催促を始めた。授業で使うようなノートくらいの大きさの封筒だが厚みはなく少し硬い。

中に手を突っ込んで引っ張り出したのは見覚えのあるクラス写真。

 「これは中学生の頃のクラス写真。それで、このピースしているのが三年前の私」

 美椛は写真を指さしながら説明をする、菅野はすぐに気がついた。以前この写真を持って海野がこの場所へ来たことを。覚えのあるサイズよりも二回りほど大きく一般的な辞書くらいはある。表情も鮮明で視線は無意識に真ん中にいる海野へ向いた。

 「この時の担任はだっ……誰だった?」

 「えー、誰だっけなぁ。ムカつくし意地悪なやつだったのは覚えているんだけど……」

 急な海野と美椛の繋がりに彼は少し戸惑った。二人を同時に担当している事実もまるで誰かが裏で糸を引いているような気もしてくるが、「担任は別に関係ないか」と彼は自ら話の腰を折った。

 海野がここへ来ているという事を話す禁止事項。どちらの個人情報も丁重に扱う必要があるからだ。あんな質問を投げてしまった事を菅野は後悔をした。

 「それで……ここにいるのが探している沙里で……」

 美椛は一人一人顔の上を通ってゆっくりとスライドさせていく。

 「この子は-----で、身長が飛び抜けて高いのが、駐輪場で喧嘩してた蓮って言う男」

 動かしていた手が一瞬、止まったことに菅野は気付いた。海野の引きこもりの原因でもあるいじめられて死んでしまった生徒なのだろうか、彼は数秒前に美椛の指先が通過した辺りをもう一度見る。

 「結構、私ってイケイケでしょ。まだ虐められてないし。て言うかむしろ虐める側」

 彼女は意気揚々と話す。


 「まぁ、沙里と仲が良かった頃の写真を見せたかっただけなんだけどね」と言って再び茶封筒を開けて中に写真を戻した。机上に置かれたポーチや財布も順々に。

 「見せてくれてありがとね。それに駐輪場で喧嘩していた人とも繋がりがあるんだね」

 「ずっと一緒に居た……それこそあの頃はコンビニ前で夜中まで喋ってたし」

 ------そうか、美椛もあの場所に居た、となると……僕は絶対に見ていたはずだな。

 「今はもう関わりはないの? その……蓮って言う子と」

 「卒業してからはないかなぁ、私は真面目になったけどあっちはずっと悪さしてるし」

 「その……今、名前が出た人以外に、美椛さんと関わりがあった人はいる?」

 菅野は簡単に友人の死を話すわけがないと理解していたが、可能性に賭けようと美椛に問う。海野を救う為ではなくただ知りたかった。そして気の迷いが彼女の表情に現れる。

 「まぁ、ここだけの話……------い、いや、やっぱり何でもない。話はそのくらい!」

 最初は沈んで行き、最後は笑い飛ばす彼女はまるでスキージャンプだ。不登校やいじめを楽観視できるのもこの性格の明るさの後援なのだろうと菅野は目の前で思った。

 「------それからこの二週間で沙里さんに関して、何か進展はあった?」

 彼女は左右に大きく首を振る。本当に何も無かったように。

 「でも、半年も探して何も手がかりがないんじゃ、そう簡単には行かないよね……」

 「今日は、あのお姉さんは休み?」

 「まぁ、今日は休みだよ。いきなりどうして?」

 菅野は無愛想に返す。

 「いや、相談に来ると後ろのガラス窓からチラッと覗いていくけど今日は無いからさ」

 ------見えない場所でそんな事があったのか。


 「そうだったんだ。僕からじゃ見えない窓だから気が付かなかった」

 「五回に一回くらいはお姉さんを担当にしてよ。ずっと同じだと飽きちゃうからさ」

 菅野の体を透かし、奥にあるガラス窓を見つめる彼女は叶わない願いを口にした。

 「分かった、安土に伝えておくよ」

 「それとさ、前にSNSでね……私が『笑空』へ通うって言うことを呟いたの」

 彼女は画面を操作して当時の投稿を菅野に見せた。日付を見ると美椛が来る直前。

 「この呟きを沙里は見てると思うの。一応、誰が見たかは分からないけど……」

 SNSのアカウント名は『美椛』と本名。しっかり『笑空』の相談URLも貼られている。

 「沙里さんのアカウントは今でも、動いてる?」

 「いや……三ヶ月くらいは何も反応は無い。他の場所を探しても出没はしてないし」

 実際、菅野はSNSに疎い世代に属する。携帯電話だって機能の一割程度しか使えていない。匿名という環境下で、たった一人を探し当てることなど可能なのかと疑問に思った。  

 彼はフォローと言う機能を知らない。


 「一旦SNSの件は置いといて、駐輪場の喧嘩は美椛さんとどんな関係があるの?」

 「これなんだけど……小さくて見えずらいか」

 美椛はフェンス越しに撮られている写真が数百枚、それと連写されたかのような同じ写真を菅野に見せた。周りで物珍しそうに見ていた人々がSNSに投稿したものだろう。

 「この一番血を流している金髪の男がさっき言った蓮で……その横にいるのが奎くん」

 数十分の間に起きた若者の喧嘩騒動で、何百もの投稿がされていたことに彼は驚いた。

 「この二人は同じ中学校で、蓮は少し前まで沙里と付き合ってたんだよね」

 菅野は相談シートに記入を始める。

 「二人が殴り合っていた原因ってわかったりする?」

 彼女は数秒考え、首を横に振った。

 「喧嘩の原因も言っていたことも理解ができないし……沙里も見たのに写っていない」

 〝友人だって将来だって、人生だって好きなように選べるはず〟確かそう言っていた。



 若者なら誰しも明るい将来があると思うが、そう簡単なことでもない事を菅野が一番理解していた。彼も若い頃は、整髪料でがっちりと固めて向かい風に負けずに突き進む大人に憧れていた。


 改札から吹き抜ける風に怯む事なく、コートの裾を靡かせる姿に。


 「警察も注意で終わったみたいだし、重大なきっかけがある訳でもなさそうだけどな」

 「あの時私が見た沙里の虚像は何だったんだろう。最近、その事ばかり考えてるの」

 首を傾げて彼女は話す。SNSに上がっている写真を順に見ていくが姿は確認出来ない。

 「お兄さんに相談してからもう一ヶ月くらい経つけど全く、前には進めてないね」

 「子猫を探しているのとは訳が違う、考え方や人生が関わってくる。そして、見つけた後がようやくスタートラインだ。変わることに時間がかかりすぎて、途中で諦めてしまう人もいるくらいだ」

 それでも美椛は半年間も人のために動き続けている。過去の思い出や明るい展望が一つずつ繋がれ、一本の線となって彼女と沙里を結んでいる。手繰り寄せようとしても反対側から何かが引っ張っているのだろう。

 「高校卒業まで残り数ヶ月……沙里を見つけて一緒に卒業をする事が私の今の夢なの」

 彼女はうっすらと微笑みながら、小声で「小さな夢でしょ?」と呟く。

 「その夢のために笑空に来てくれたんだね。やっと聞けたよ」

 「ここに来る人たちは自分を取り巻く環境に嫌気が差しているんだろうけどさ……」


 職場、家族間、コンプレックス、確かに全てがその何かしらに含まれている。ただ人は贅沢な生き物で、満足感が続いてしまうと慣れを感じてそれを幸せだと思えなくなる。それが不満に成り果てていく。

 「正直、私みたいな楽観野郎なんて辛くても笑ってられるんだろうなって思ってたの」

 彼女の目には薄く涙の膜が張られていく。隣の部屋の会話が微かに聞こえてくるほど静かな部屋に、涙が落ちる音がした。

 菅野はその音に初めて気付く、何百人も目の前で涙を流しながら変わろうとする瞬間を見てきた。だがそれは少しの水分と少しの申し訳程度の哀れみだけ、彼は心から救いたいとは思えなかった。


 何故、目の前の美椛だけは別の感情が働いたのだろう。考えてみても分からなかった。


 「でも、ここへ来る人と私は何一つ変わらない。人を羨むし、蔑むし、信じちゃう」

 机上に二つ三つと滴が一点に落ちていく。美椛は拭き取ろうとするが感情を押し上げるように止まらない。

 「〝つよがり〟には限界がある。それとっくに私は超えていた」

 限界------きっと安土も超えてしまったのだろう、大量の涙の上にあの笑顔はあった。不安定な水上に少しの幸せなどでバランスを取りながら。机上に伏せる美椛に「少し待っていてね」と声をかけて菅野は相談室を出た。

そのまま事務室へ戻るとすぐに安土の机の引き出しを開け、海野から預かった写真を探す。

 美椛の夢と海野の未来の線は確実に触れ合っていた。三年前のあの写真は二つの相談を解消するために安土が残してくれた鍵であり、重い扉、禍々しい扉、きっと開く。普段の菅野なら気抜けた表情で別のことを考えているのだろう、だが今は違った。


 客に寄り添う姿勢はまさにカウンセラーとしてのあるべき姿、十年以上働いてきて初めてだった。


 「------あれ? 先輩? 安土さんのデスクで何してるんすか?」

 棒状のアイスを咥えたまま菅野の後輩の梅田(うめだ)が事務室に戻ってきた。

 「あぁ……梅田か、説明会から帰って来てたんだな。あとで聞きたいことあるから予定開けといてくれ」

 数十年前なら街中に溢れていたが襟足だけがやけに長いのはこの男くらいだろう、『笑空』の中で最年少の二十七歳。SNSに関しては誰よりも険しく潜ってきたはず。

 「話って……やっぱり、安土さんの件ですか?」

 「いや、しっかりとした仕事の話だ。梅田が最も得意な方面でのな」

 菅野は梅田の肩にわざと肩をぶつけ、そろそろ涙が乾いた頃の美椛の部屋へ向かった。

 「ちょっと、今のわざとでしょ! 何で要件を教えてくれないんですかーぁ!」と叫ぶ梅田は口を大きく開けた衝動でアイスが床へ落下した。

 菅野はドア横にペットボトルが三本置いてあることに気付く。後ろで何やら梅田が騒いでいるが、構わずに彼はノックして相談室に入ると、机に顔を伏せて一定間隔で鼻を啜る音が聞こえてきた。


 「失礼します。美椛さん飲み物を持って来ました。この中でどれがいいですか?」

 おそらく後ろのガラス窓から美椛が泣いている時を見たスタッフが買って来てくれたのだろう。------女性の心を全て知り尽くしている上原か……。

 「……何があるの?」菅野が目の前の椅子に座ると彼女は顔を上げることなく籠ったような声で呟く。

 「水とお茶となんだろうこれ。巨峰の炭酸かなぁ……期間限定って書いてあるけど」

 「最後のやつがいい……期間限定の」

 彼女はゆっくりと顔をあげ、前髪を手櫛で整えると目元をもう一度拭った。

 「はい、これどうぞ」静かに頷き、ジュースを手に取るとラベルを見つめる。

ぼーっと放心しているように。

 「もしかして苦手なやつだった? 水とお茶もあるけど……」彼は心配そうに顔を覗き込む。

 「いや……季節限定の味なんだなって思って……」 

 「あぁ、確かにそうだな。見たことないと思ったわけだ」

 美椛は大きな一口を飲み込み、長くため息を吐いた。街中に溢れる期間限定の文字は季節の移り変わりの速さを直で感じる。半年前は苺を使ったスイーツが駅前を彩っていたが最近では桃や葡萄が多い。あっという間だと過ぎると思えるが彼女が過ごした半年間は辛かっただろう。一人で動き続けたのだから。

 「ありがとう、今日はもう家に帰ることにする」

 「分かった……今日も話してくれてありがとうね」

 営業時間が終わり、専用駐車場の縁石の上に梅田は座っていた。非力な声の虫が雑草から騒ぎ立てている。芝生地と砂利が綺麗に分けられていて、几帳面な性格の梅田は境を越えた小石を元ある場所へ戻し始めた。


 小石を一つ、すぐ側の革靴の側面に当てて「先輩? 話って何ですか?」と話しかけるが、ぼーっと夜空を見上げている菅野に反応はない。

 「先輩! 先輩が俺に話したかったことって何ですか?」

 直立した菅野はようやく呼ばれていることに気が付き、ゆっくりと視線を下に向けた。

 「先輩! なんで俺はここに呼ばれたんすか? 虫が怖いんで帰りたいんすけど」

 「おぉ、梅田。来てたんだな。早く声かけてくれよ」

頭をグイッとそらし、ようやく菅野は梅田の存在に気がついた。

 「夏夜は虫が多いんですから、中で話しましょうよぉ……蛾みたいなやつ飛んでるし」

 「あんまり聞かれたくないことなんだ。すぐに終わるから」

 梅田は辺りを見回し、迫って来ているであろう小さな虫に怯えているよう。

 「いきなりだけどさぁ、SNSで人探しをしたことはあるか? 普通の一般人を」

 「いやぁ……学生の頃はしてましたけど、今はあんまりしてないっすね」

 「どんな風に本人に辿りついていくんだ?」

 「とりあえず本名を探してみて、無かったらその友達の本名を検索しますね。 そこでヒットしたら、必ずフォロワーとかに居るはずなんで後は地道に辿っていくだけですね」

 ------つまり探している人の取り巻きを見つければ、後は絞っていくだけなのか。簡単そうに説明しているが、現代でもそれは通用する技法なのだろうかと菅野は怪しがる。


 「随分と端的に言っているが今の高校生も同じことが出来るのか?」

 「別に大差ないですよ。学生なんて事前に高校名と年齢は確実にわかっていますし」

 「それならさ、本人には許可はもらっているから、美椛って言う子を探してみてよ」

 「え? 最近、相談にきたあの女子高生っすよね? 高校はどこでしたっけ?」

 「東里高校の三年だが……これって必要な情報か?」

 梅田は携帯を取り出して縁石にもう一度座り込むと手際よく携帯に文字を打ち始め、一瞬スクロールするとまた文字を打つ動作を繰り返していく。その光景に惹きつけられるよう菅野も縁石の上に座った。

 「まぁ……簡単ですね。高校名と名前さえ分かれば、五分もいらないっすよ」

 手を動かし続けながら強気な発言をし、菅野の目には追えぬ速さで画面は動いていく。


 「もし見つけられたら、コンビニでアイス買っ------」と言葉を言い終わる前に、梅田は高みに立ったかのような表情で画面を菅野に見せた。そこに写るのは『美椛』のアカウント。

 「これっすね。名前も高校名も年齢も一致していますし……」

 確かに美椛から見せてもらったものと同じアカウントだが三分も経ってない。菅野は疑わしそうにぐっと画面を見つめる、が、見たところで何も分からなかった。

 「これだけのキーワードで見つけられたな……仕事変えた方がいいんじゃないか?」

 「単に学生生活を楽しむ傍ら、自然と身についた能力なんですけどね」

 「よく分からないが、高校名を打って……そこから探していったのか?」

 「まぁ……高校内で起きたことが、生徒によって書き込まれていくんです。俺が目をつけたのは駐輪場での喧嘩の件ですね。それらを発信していた人たちのアカウントを見ていって、より美椛さんに近い人を絞っていきました。でも運が良かったです。本名なんで」

 梅田は一から動作を説明しているのだろうが、菅野は少しも理解が追いつかないため終始頭を傾けていた。

 ------美椛もSNSで喧嘩の写真を見せてきたが、同じ方法で探したと言うわけか。

 「話したいって言うから安土さんの事かと思ってましたが、まさかこれだったとは」

 「仕事中は考えないようにしてる。頑張りすぎちまったんだよ、ずっとな」

 梅田はスッと立ち上がり夜空を垂直に見上げる、数分前までの菅野と同じように。

 「先輩二人の存在に優劣をつける人はいませんよ、俺らがカウンセリングしてほしいくらいですもん。どうしたらあんな風に人に寄り添えるんですかって……」

 菅野は背後の地面に両手をついて足をぐっと伸ばした。


 「それでも知らないことの方が多い、安土も同じだ。見た目は同じでも細かく砕いていくと同じ悩みなど存在しない。それだってつい最近気がついたことなんだ。安土はずっと前から知っていただろうに」

梅田は小刻みに頷く。

 「俺……悔しいっすもん。あんなにすごい人でもダメになってしまう社会が。これで先輩までいなくなったら多分俺、死にますよ……」と震える声で話す。

そんな言葉を掛けられても菅野は自分を評価できずにいた。

 一度、過去を振り向いて見てしまった日から後悔の連続。憐憫の情を今更、言葉に変えることは難しくなっていた。

 「正直、僕なんて長いだけで中身なんて何も無いよ。本当にすごいのは安土だよ」

 「でも……見えない心っていう場所に寄り添うのはめちゃくちゃ凄いことなんですよ」

 梅田は宙にため息を放つ。きっと冬空の下なら目に見えただろう。

 「さぁ……お腹も空いてきたしこの後、ご飯でも食べにいかないか?」

 菅野の膝に水滴が垂れてきたが、辺りを見回しても雨は降っていない。

 ------安土を一番に慕っていたもんな、お前は。誰よりも悲しいはずだよ。

 「折角なら上原も誘うか。あいつにも御礼をしたいしなぁ」


 安土がいなくなって職場の雰囲気が薄暗くなった。


 その中で菅野と梅田は力の無い表情で過ごす日が多く、目の前のことに手を伸ばすのに数秒は掛かってしまうほど。


7話に続く

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