晴曇の空笑

モミジ

第1話

 今日の終電まで残り四本、大体あと一時間くらい。


 新調したばかりの青いジャケットを羽織っている菅野(かんの)は、既に二時間以上はフェンスに寄りかかって東里駅の改札前を見回していた。吹く風を遮る壁も木も周りには無く、冷たいものが頬や首周りに吹き付けている。 

 

 すぐ隣に併設されている喫煙所から、鼻奥を突くような匂いが漏れてきてそろそろ鼻も限界に近い。指先を袖に完全にしまい、腕を組んで時間を過ぎるのを待ったが今日も来なかった。



 吹いていた口笛の息が続かずに薄れていく瞬間、周りの空気と混ざって一番綺麗な音になる。------美椛(みか)を今になって言葉で表すのならあんな感じだと彼は思った。

 〝どうして駅で人を眺めていたの?〟あの日、そんな野暮な質問に彼は答えられなかったことを今更になって後悔している。


 菅野は夜が深くなるにつれて、目の前を通っていく人の心情が手に取るように理解できた。弱々しく肩を落として歩く男、別々の帰路に着こうとするカップル、きっちりとスーツを纏いながらも、前を歩く女性の生足には勝てない紳士風の男性。それぞれに家庭があって、考え方があって、長く濃い人生があった。


 ただ、そんな事を毎回の相談で考慮していたらカウンセラーとして大事なことを言えない。だから彼はあえて考えないようにしている。


 そう決めていながらも一人の男の人生を否定した。

 『カウンセリングルーム 笑空(えそら)』に今日来た男は、数十年も実家に引きこもっている無職の男。

歳は菅野よりも二十個ほど上。だらだら相槌を繰り返し、受け身で話を聞いて最後に掛けた言葉は普遍的な「ゆっくり社会に慣れていきましょう」だけ。

 ただ------ゆっくりとは実際、どのくらいのスピードなのか。もうあの男に残された労働時間は多く見積もって十年。それだけの為に本当に変わりたいと願うのだろうか。


 虫や動物は死よりも優先的に種族の繁栄や子孫を残す。後世へ繋ぐことがそれらの生きた証だからだ。ただ、人は違う。死を迎えるまでの満足感、充実感で決まるからこそ周りはこう視認する。『大往生』と。


 それに向かって人は歩みや学びを止めないのだろう。あの男も同じように六十に近い歳になってようやく気が付いた。だが〝遅かった〟。その事実をどう伝えようかを菅野なりに数秒は考えてみたが、どんな善人でもあの状況では何も出てこない。熟慮の末に『復職マニュアル』の冊子を渡さない選択をした。

 彼の行動が意地悪なのか、それとも当然だったか。男に脳の動きや考え方に関する検査を行ったが一つも異常は見られなかった。本能的に社会を拒んで自らを檻に閉じ込めたのだろう。過去のトラウマも話してもらったが、どれも彼の表情を崩すほどの反応には値しなかった。

 『笑空』へ来る人の中には心から社会復帰を望んでいる人、両親が仕方なく相談、生活に支障が出るほどのトラブルを抱えている三つのパターンがある。学校の保健室とは違って人生を大きく変えてしまう事がある場所。だが今日相談に来た男は一枚だった鉄檻を、二枚に重ねて材質をステンレスに変えた事だろう。

今より自らを嫌ったはずだ。


 試しに「寝ている時にどんな夢を見ますか?」と質問をしてみると、やはり過去の職場で失敗を連続する夢を見ると答えた。自己暗示や思い込みといったものでは無意識は隠せない。楽観も悲観も、一生は続かない。


 そして今日もまた、菅野にとっては上に広がる夜空ほど濃い話は一切無かった。それでも満足、スッキリするまで寄り添わなければいけない。

 

 世間一般のカウンセリングと違い一回ずつの料金ではなく、一つの相談として扱うようなスタイル。決めた目標に近づくまで何度通っても料金は増えないため、一人に対して何かけ月も要する時がある。勿論、長期間を嫌がるスタッフも多いが、その時間を客は自己嫌悪に当てていると考えれば自然と体は動くそうだ。菅野一人だけを除いて。


 そんな仕事をようやく終え、菅野は今日も駅前に立っている。駅前には職業、年齢、性別が異なる人が集中するため〝人〟と言うものを理解していく場所には最適だった。駅員には十年前に事情を説明して公認を貰っていて、彼にとって誰かを追ったり話しかけたりするつもりは無い。

 まるで子の帰りを待つ母親のような表情で毎回視線を改札に向けている。職業柄、人を見極める力をより磨いていかなければならない。


 何かを知りたいという好奇心よりも知覚的な情報が欲しかった。流行や性格が出る行動など。

 今日は精神や腰に重い内容だったが、普段の彼は常に作った笑顔で人に寄り添う。菅野という苗字から由来して〝かんのん〟とスタッフ間では呼ばれているくらい。裏の顔があるわけでもなく、特別変わった面は人間観察という趣味と四十に近い歳になっても未婚くらい。

 いつも立っている駅は三本の線が通っていて県内で一番大きな駅。

 すぐ近くには大型ショッピングモールが併設されていて夜の九時ごろまでは駅前も賑わっていた。一応は菅野の自宅の最寄り駅にはなるが、自宅まで徒歩で二十分は余裕でかかる為、終電まで人々を見て誰か一人の人生を想像しながらゆっくり歩いて帰る。


 そんな色の無い日々を過ごしているようだが、口笛を吹きながら帰る日もあるくらい彼は充実していた。


 七月上旬、日陰の無い広い歩道を菅野は歩き続けて会社へと向かう。対する車が引き連れてくる熱風を全身に浴びながら、同時に微かな涼しさも感じた。家を出る時に付けた整髪料も完全には固まっておらず、辺りの熱気と向かい風による自然のドライヤーで最後の仕上げをする。

 『笑空』へ出社した瞬間すぐにジャケットを脱いで菅野は顰め顔で席に座り、エアコンの温度を二度下げると吹き出し口横の羽がゆっくりと開く。数十秒後には目元の筋肉がようやく緩んだ。


 彼が一人でいる時は決して笑顔になる事はない。会社には一番乗りだったが特にする事も無く、エアコンの風が一番強く当たる場所へと移動した。

 今日の彼の予定には〝いじめによる不登校〟の相談が入っていて、相談者の年齢と職業、性別などを踏まえてあらかじめ結論や提案を書き出し始めた。実際にいじめられた経験が無い人が話しても綺麗事にしか聞こえない場合があるため、多方向の意見を用意する必要がある。


 相談者の年齢は十七で高校三年生。現在三ヶ月間登校を拒否している。例えばこの場合で最も優先すべきなのは高卒の資格。すぐにでも通信制へ転校をして取得をメインに考えれば早い話にはなってくるが、同時に在籍年数や年齢が引っかかってくる。

 学校側にいじめの調査を依頼しても全面で実施してくれるところは少ない。菅野は過去にいくつもの不登校の相談を受けてきたが実際に登校をした生徒は全体の三割程度で、日本にいる高校生のうち五万人が不登校というのだから、たった一人の非力な力が及ぶはずもなかった。


 楽観的に学校という場所を説明しても、目には見えない恐怖が生徒達を苦しめている。それを理解しているが、心身を弱らせた若者を目の前にすると菅野は唾と主張を飲み込む。逆に彼は年齢を重ねた引きこもりが何よりも嫌いだった。見ているだけで不快になって社会を腐らしめると常に思っている。

 菅野という男はこの仕事に一番向いていない性格だった。言ってしまえばクズ。


 徐々に揃ってきたスタッフに彼は今日の相談の件を話し、他方向からのアドバイスを貰っていくうちに営業開始時刻が迫ってきた。扉の右端に付けられたガラス製の風鈴の音が来客の合図、『笑空』の内装はよくある保育園のような色使いで緊張をさせない一心でこの部屋が生まれていった。

 数年前までは全体的に白が多く、相談者はあまり落ち着きがなかった印象。思い返してみれば病院っぽさがあったのかもしれない。


 チリーン、リン そして、風鈴の音が室内に響いた。菅野は奥の事務室にいるが体を傾ければ出入り口が見えるような設計。相談室は三つあり一番奥の部屋が三番の部屋、そして手前に部屋番号が減っていく。予約制のため全部屋が埋まることは無いが、居座り続ける人もいるせいで仕方がなく増えた。

 「こんにちは、そちらの長椅子に座ってお待ちください」

 すぐに同期のスタッフである安土(あづち)が対応に当たる。彼女はここのナンバーツーで菅野の相棒とも呼べる仲。遠くから見た感じ明るそうな母親と普通の女子高生だと彼は思った。安土との受け答えもできていて特に極度の緊張持ちの心配なさそうだ。

 「こちらの名簿に、お客様のお名前をお願いします」

 名前は美椛(みか)。初回だけ母親の付き添いありの連絡が入っていた。


 今書き込んでいる紙がそのまま相談シートになる、代筆や偽造を避けるために生まれた仕組みだ。上部には担当したスタッフの苗字が書かれていて受けた相談数が目に見える唯一の数字だが、そんな事に拘っているやつは誰一人いない。ノルマや目標は無くどれだけ笑顔で帰ってもらえるかを己で競う。彼以外は。

 「それでは御案内します。外靴のままで結構ですので一番のお部屋にお入りください」

 安土の指示通りに部屋に入ってきた瞬間、二人は不思議そうに菅野の顔を見つめた。

 ------何か、顔についているだろうか。

 実際には入った直後というより先に一礼をして顔を上げたタイミングで、だ。

 「どうしましたか? どうぞ、お席にお座りください」と両眉を上げて彼はたじろぐ。

 母親は椅子の背を持ってゆっくりと手前に引いていくが何故か目線は彼に向いたまま。口をポカンと開けて視線を少し下にずらした。

 「あれ……間違いだったらすみません。昨日、東里駅の西口にいましたっ……け?」


 母親は急に彼に尋ねる。

 「あっ……はい、知り合いの帰りを待っていまして……偶然ですね」

 菅野は咄嗟に知り合いと言ってしまったがそんな事はない。

 「この子の帰りを駅前で二時間くらい待っていたのですが、隣を見るとずっと同じ人がいて……何をしている人なのかなぁって思っていました」

 二人の間で無理に作ったような笑い声が交差する中、突然美椛が口を開き「昨日だけじゃ無いでしょ、出口も頻繁に変えているし」と、高みに立ったかのように話しはじめた。

 菅野は必死に笑顔を作り直したが口角がうまく上がらない。


 美椛は彼を見つめる、戸惑った様子をじっくり観察するように。

 「ちょっと……いきなり何言っているのよ、美椛! すみません……いきなり失礼なこと言ってしまって」

 母親は咄嗟に謝るが、彼女は表情を崩さずに菅野の目を見続ける。彼にとっては和やかで軽やかな曲が流れるはずの初回の相談が急に無音にされた気分だ。彼女に対して見るより睨んでいる表現が見合っている。

 「いえ……大丈夫です、では早速なのですが……本日の------」 

 美椛は言葉を被せるよう「お兄さん私の質問は? どうして駅で人を眺めていたの?」と話を元へ戻した。ニヤリと頬を持ち上げ、背もたれに寄りかかりながらも目だけは離さない。その後、数秒間無音が続いた。

 菅野が答える間も無く「まぁ、いいや。お母さんは別の部屋に行って。色々と親身に相談したいからさ」と母親に指示をして、右手を数回扉へ向けて払うと隣に座る母親は急に立ち上がった。

 「わ、分かったからしっかりと話しなさいね? 失礼なことしたらダメだからね!」

 母親は鞄の紐を強く握りしめてそのまま部屋から出ていく。


 完全に出て行ったことを目で確認した彼女は、深くため息をついた。

 「……仕事から帰る知り合いを待っていたのですよ。そのくらいの理由です」

 菅野はその場で思いついた口実を答えた。

 「そういう割に終電が終わると一人で帰って行ったけど……話が合ってなくない?」

 彼女は鼻筋に皺を寄せて前髪を手櫛で揃え始める、終始余裕な姿勢を崩す事はない。

 「その人は夜遊びが好きで帰るって言っても、始発で帰ってくるような人で……」

はぁー、と呆れたため息をつきながらそのまま彼女は鞄を開きはじめた。


 「まぁ、それなりな嘘だけど見逃しておく。あといじめの件もどうでもいい事だから」

 「それでもお母さんはあんなに心配している……何か溜まってる事だったり」

 「いじめと不登校は事実、適当にプラプラ遊びに行っているだけ」

 一瞬、鞄から目を背けて彼を睨む。


 ------母親はせわしない表情で相談しにきたが、一方的な思い込みだったって言うことか。過剰に心配をしてしまう親も多く、その類なら良いのだがそれで母親は納得してくれるだろうか。

 菅野は現状を聞いて安堵し静かに息を吐き出す。数分で相談が解消に向かったわけだ。

 「そうですね……まだ時間もあるし、他の悩みでも大丈夫だよ」

 すると彼女は携帯で何かを探し始めた。メールを打っているわけではなく必死に何かを見ているように。

「相談したいのはこれ。端に写っている子見たことある? 東里駅の近くに住んでる子」

 菅野の目の前に置かれた携帯には女子が三人と男子が二人写っていた。髪の長さ的に真ん中が美椛だろうが、画質が悪く顔のパーツは確認できても細かくは認識ができそうにない。端に写る少女は、鎖骨あたりまである金髪とショートパンツからすらっと伸びた脚が特徴的だった。


 ------要するにあなたは駅前で人を見ているから人探しに加担しろ、と言うわけか。だが東里駅は何千人と通っていく、一人一人を見ていくのは菅野には不可能。その中にこの子がいたとしても覚えているはずも無い。

 「いや……知らないけど、この子がどうしたの?」

 「親友なんだけどね、その……半年くらい連絡が途切れて家にも帰らなくなったの」

 「そうでしたか……でも、この子を見た事がありません。すみません」

 彼女は分かりやすく大きなため息をついて携帯を鞄の中へしまう。さっきよりも声を低くして話し始めた。

「私なりにこの子を探したの。最寄り駅なら姿を表すだろうと思ってね。そこでお兄さんを見つけた、誰かを待っているようだったけど結局、終電終わりまで。変だと思って駅員に聞いたら仕事のためにそこに居るって言っていて、名刺を見て今日ここに来たの」


 彼女は用意してあった言葉かのようにスラスラと話す。つまり駅前で人を見ていた事情を全て知っていたわけだ。菅野の表情がようやく明るくなり椅子を少し前に寄せた。

「職業的に色んな人を見なくちゃいけなくて、駅前が一番効率よく人を見れるんです」

 「変わった趣味してんねぇ……まぁ、あの子のこと知らないのは普通か」家に帰らない事や突然連絡が途切れることはこのくらいの歳ならおかしい事でもない。非行か、もしくは異性との遊び。警察は動いてないみたいだし、家には帰っているのだろうかと菅野は頭の中で有力な仮説を探した。

 「何か変わった兆候は無かった? 例えば……まぁ肌の露出が増えたとかさ」


 彼女は首の後ろを摩り、数秒考えてみたもののパッと思いつく兆候は無かったよう。腕を組んで口内をモゴモゴしながら「短すぎるスカート丈」と答えた。

 「煙草やお酒とか、SNSが派手になったとかは?」

 「いや酒は普通。なんかこう------見るからに変わったなっていうのは無いな」

 菅野は適当に頷きながら質問を続けた。


 「ちょっと変わった質問だけど、その……美椛さんにとって今一番欲しいものは何?」

 「お金かな、バイトせずに毎日遊んでいたいし、欲しいものも買えるし」

 「さっき見せてくれた子の持ち物とかに何か変化はなかった? 高いブランドとか」

 「覚えてないけど、常に誰かの上に立ちたい人だから持っていてもおかしくは無いね」

 ------常に誰かの上にいたいか、学生間の狭いコミュニュティでは生まれるんだよな。


 「何となく、その子がどういう性格なのかは理解したよ」

 彼女は膝上にある拳をぎゅっと握り締め、顔を顰めた。

 「------お願いします。一緒にあの子を探して……ください」

 突然、態度を変えて机板のスレスレまで頭を下げ始めた。

 「もちろん……そうします。頭を上げてください! それが僕らの仕事ですから」------なんて言ったが捜索は労働時間外な事と、給料は発生しない事くらいすぐに分かった。それに若者は残された時間が多すぎて焦りを知らず、急な心変わりも多い。ここは人探しをする場所でも無いし仕事外を受け持つ偽善にも限界がある。菅野は心中の声とは正反対の表情、言葉を発した。これがカウンセラーとしての彼だ。


 彼女に対しては助けると言ったものの、他客の場合では簡単に見捨てる。

今までの人生を否定して希望を捨てさせる。美椛は分かりやすく目を輝かせたが、自然か咄嗟に作った表情かは分からない。

 「本当ですか? カウンセリングルームに来て良かった……ありがとうお兄さん」

 ------目的は友人の情報収集、欲を言えば捜索の手伝い人探しって所だったか……。


 「では、その事をお母さんにお話ししなければ行けないから、一度この場所に呼ぶね」

 彼女は一点の目を軸に首を横に振る。

 「そうか……じゃあ、僕からうまい具合に話を変えておくから安心して」

 そして携帯で母親を呼んだ。説明はいじめの全容を聞いた上で数回に分けて解決に向かっていく事。隣に座っていた彼女はすっかり晴れたような表情で相槌を続けているが、実際、何も解決には向かっていない。

 美椛もまた菅野と同じように心情と表情を切り離せるよう。


 「気性の荒い子ですが面倒を見て遣ってください。今日はありがとうございました」

 母親は娘の顔を見て安心したのか、心から嬉しそうな表情で話す。

 「こちらこそよろしくお願いします。自分の意見を言える素晴らしい子でした」

 そして二人は出て行った。時計を見ると相談開始から三十分程度。

菅野はカウンセラーとしての自分が好きなだけで深く入り込むのが苦手。------いや大嫌いにむしろ近い。人を救っている優越感は何にも変えが効かない。道案内をした後に一歩踏み出す瞬間のような高揚感で、誰から見てもヒーローのような憧れのようなものに惹かれていた。だから嫌な人を目の前にしても笑顔でいれる、優しくできる。それが仕事中の彼であり、この会社のトップのスタッフに上り詰めた理由だった。


 過去十年以上の相談の中、一瞬でも心から救いたいと思った客はいない。

 安土も同時に相談が終わり事務室へ戻ってきた。美椛について書いたレポートを読み始め、果たしてどんな答えが返ってくるか菅野は横目で見ながら何の気無しに待っていた。毎日駅前で人間観察していることが能力として買われたというわけで、呑気に意味なく見ているようで実際は仕事に活かされている。

 若者の非行についての情報も全て現地で得たものだ。明らかに未成年なのに終電で帰ってくる子もいる。

 「------あの短時間でこんなことを話していたのね……結構、骨のある仕事じゃない」

 安土は笑顔で話しているが、これからの展開が想像できない菅野は顔を歪めた。

 「でも実際、女子高生って夜遊びに関しては親がうるさくなるもんじゃ無い?」

 彼は年齢的な家庭環境の変化について安土に質問をする。


 自らの首から下を見下ろし「私はほ、ほら……顔もスタイルも良かったから、それなりに父親には言われたけど今の子はわからんね」と安土は白々しく答えた。下に履くスラックスのまっすぐなラインがそのまま全身に通っているようなスタイルで、身長も全国平均より高く肩甲骨あたりまで伸びた髪が目立つ。素の瞳で薄らと茶が含まれている。

 「何だそれ……一体、何十年前の話をしてるんだよ、ババアのくせによ」

 安土はふふふと静かに微笑み、持っていた台紙を机に叩きつけた。

 バァンッ! しなる板のせいか事務室に音がよく響く。勢い強くドアノブに手を掛け「十五年前っ!」と言い残して部屋から出ていった。


 未成年の取締りが厳しくなっているが法の抜け穴も多い。容姿で年齢を判断しようにも彼女のように二十代後半に見えて、実際は菅野と同じ三十七歳だってこともある。特に女性は持ち物や化粧で年齢なんて簡単に誤魔化せるだろう。駅前で見ていたっておそらく菅野が予想した年齢よりはずっと若いこともある。

 結局、一分後に事務室へ彼女は戻る、何事もなかったかのよう平静を装って。


 「安土的にこの話は解決に向かうと思うか? 母親は何も知らない」

 「いや、本人が相談に来てくれるなら話は変わるけど、見つけた後どうするかだよね」

 ------確かに、半年前に消息が不明な人を探す能力に僕らは長けていない。


 「実際、今でもあるんだろ? 女子高生が働く違法バーみたいなお店」

 「今は取り締まりも強化されたけど、年頃の子は楽して稼ぎたいもんなのよ」

 菅野は美椛の相談シートを再度彼女に手渡す。

 「見つけて……アルバイトを紹介して終わりかな? 他に何か提案ある?」

 「一回楽をして金稼いだらその味を忘れるわけがないでしょ? すぐにその世界に戻るわよ」と安土は呆れた顔をして言っているが、手は黙々とレポートに解決案を書き足してくれていた。同期であり『笑空』では菅野と安土が先頭を走る。大抵の相談は手を組めば良い方向へ繋がっていった。

 「何か事件とかに巻き込まれてなきゃ良いが……こんなに悩む仕事は久しぶりかもな」

 「菅野は最近おじさんばっかり対応してたからね。久しぶりに若者でよかったじゃん」

 美椛にはこの先長い人生がある。手の届く範囲の幸せとかじゃなくて、もっと先を見据えた話し合いを重ねていく必要があった。相談が悩みや不安を解消するものでなくても。


 レポートを返却する際「この後の予定は?」と菅野は小声で彼女に問う。

 「昼前に女性一人と……昨日のお客様の希望職種について調べたり、実際に聞きに行ったりするけど」

 彼は他スタッフの目がこちらに向いていない事を確認して、声量を落として続ける。

 「じゃあ夕方以降は時間ある感じか……少し付き合って欲しいことがあるんだけど」

 「あら? 珍しく合コンの主役? なら丁重にお断りするけど」

 「普通にご飯でも食べに行こうかと思ってるだけ、話したいことがあってさ」

 「話したいこと?」と言って安土は急に澄ました表情で自分のデスクに帰っていった。

 遠くからの視線を感じるが、気づかないフリをして菅野はパソコンを開いた。


2話に続く

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