第3話
今日の菅野の予定には二回目の美椛と、男性が一人。
超が着くほどの猛暑日が連続していて嫌でも体は慣れ始めてきているが、クーラーで冷やされた部屋から外へと出る瞬間の体感は変わらず、夏限定のスイーツよりも季節を感じる瞬間。
そのため普段よりも一時間早く家を出て、日が出る前に出勤するようになり時間が増えた。その分一人の客に対する情報集めもより細かなものになるが、特に頭の中を占めていたのは美椛の件だった。
今までに無かった〝人探し〟と言う内容でありながら、どんな風な終わりを迎えるのかが想像つかない。彼はデスクに両肘を立て、早くに出勤していた安土に目を向ける。
チリーン、リンッ ドア横の風鈴が大きく横に揺れ、熱気と共に美椛が勢いよく入ってきた。首元に高校指定のリボン、ブルーのシャツで手には棒状のアイス。
『笑空』には明るく入る客は滅多にいない、初めて目にするスタッフは驚いていた。
「こんにちは! もう用意してあるから奥から二番目の部屋に入ってね」
すぐに安土が対応に当たり、菅野がいる部屋へと誘導した。
「こんにちは、荷物は下の空箱に入れちゃっていいから」と菅野が促すと素直に言うことを聞いた。目元を強調しているようなメイクのせいか何か言いたげな表情にも思える。
「久しぶりだね、駅前以来。楽しそうに改札に向かったもんね。受付の人と」
気持ち早口になる美椛はすぐに安土に目を向けた。
「そんな風に見えてた? その用紙に名前と軽い相談内容を書いておいて」
すぐに書き始めるが、彼女は後ろのガラス窓が気になっている様子。相談室の後ろの壁は上半分がガラス窓になっていて、事務作業をしているスタッフがたまに通る事がある。
「はい書き終わった、今日来たのは〝あの子〟の話の続きがしたくて」
「そうそう……僕なりに調べたんだけど、結構グレーな仕事が流行ってるんでしょ?」
美椛は静かに頷く。前回の高圧的な姿態の面影すら残さない変わりよう。
「私は聞いたことしかないけど、結構一部では流行ってるっぽいよ」
彼女は携帯を取り出して会話画面を机に置いた。
「この左の沙里って子が私の親友で探している子、相手が……朱莉(あかり)」
画面をスライドし二人が写っている写真を順番に見せる。新たに出てきた朱莉という少女について彼女の口調ぶりに何かを隠していそうだ。派手な髪色と耳についたピアス、場所はおそらくどこかの駐車場。
探している沙里と仲が良いのなら、友人の朱莉とも共同で探してもよさそうだが、何かの理由があるのだろうかと菅野は睨む。
「この写真はいつ頃?」携帯の上側に触れ、年月を表示させながら美椛は「高校一年の時」と答えた。彼女の話だと急に連絡がつかなくなったのは半年前。相当期間が空いていた。
「美椛さんは一緒に遊んだりしなかったの?」
「あー、そこから? 沙里は嫌われていたからね、一緒にいたら標的になるだけだし」
彼女は俯きながら話す。
「でも別に遊びの延長だったし、痛くも痒くもないって言ってたけど……」
虐められていたのは沙里、その友人が相談者の美椛。
「じゃあ、なぜ美椛さんは学校へ行きづらくなったの? こんな質問してごめんね」
菅野は声を優しく変え、下手に出て質問をした。
「そこで見放したら周りと同じになるからね、あんなクズどもと同じとか絶対に無理」
美椛は笑って話しているが、一度も菅野と目線が合う事はない。
「分かった、話してくれてありがとう」
彼女は再度携帯を取り出して沙里との会話画面を開く。交差で続く会話で二人とも淡白な返信だったが、数ヶ月前までは頻繁に連絡をしていたようだ。背景に設定されているプリクラ写真、パステルカラーの文字で
「担任ガチャ外れ!」と書いてあり、今の彼女よりも幼い印象を菅野は持った。
「この日から連絡がつかなくなったの。虐められていたとはいえ心配になるでしょ?」
スクロールして一番下まで到達すると画面は全て彼女からの「送信」と「返事しろ!」の二つ。会話画面を見せてもらっただけだが、本当に突然消えてしまったよう。
菅野は虐めや虐待の相談を何百件も扱ってきたが、そこには必ず加害者がいた。本来、恨みをぶつけるべき対象が沙里な筈なのに、美椛は仕方なかったように噛み砕いて飲み込んでいる。
虐められたことを正当にする筋立ちがあるのか、それとも気付いていない確執があるのか。彼は美椛の発言により慎重になった。
「こんなこと聞くのはアレだけど……美椛さんにとって沙里さんはどんな存在?」
首を浅く谷折りして天井を見上げたまま彼女は「クソ野郎だけど似た者同士」と呟く。
「そうか……そりゃ、探さなければいけないね」
「殴られたって蹴られたって時間が経てば物理的に傷は消える、そのうち記憶からも消えてく」と言って彼女は右側の顎の側面を指差し「ここから出血したけど跡もない」と説明を加えた。何も凹凸もない綺麗な肌。
「その……内面の方は痛くならなかった?」
「みぞおちとか……ブスとかって言われた時は正直、相手が沙里だけど傷ついたね」
------その返しだと半分正解、半分不正解だ。
「やり返したいとか、恨んだりはしなかったの?」
菅野は続けて質問をし、机上の相談レポートに文字に書き換えていく。
「相手が沙里って思うと握った手も開くし、思っていた暴言もスッと消えていく」
美椛は目の前で手のひらを広げて、また握る。何かを放って、掴むように。
「そうか……そう言う友人に僕は出会ったことがない。大事にしないとね」
「出逢いに行ったわけではなくて、惹かれあったって表現が私達にはにあっているの」
彼女はそう言うと、恥じらいを感じる笑顔を見せた。口元を真っ直ぐ結び、少し俯きフッと息を漏らす。
------自慢の親友なのだろう。
「そんな素敵な言葉を掛けてあげられる人が僕も欲しいよ。美椛さんが羨ましい」
菅野は目の前の表情に連れられて口角が上がる、仕事中で自然に笑うのは珍しいこと。
「そんな人は探したって見つからないからね? もう運命で決まってるんだから」
「でも……探して見つかる人もいる。運命って言葉は物事が終わった後に付けるものだから。わかりやすく言えば思い出にとっての添加物のようなもの」
彼は意気揚々と話していたが美椛にはうまく伝わらなかった。眉を顰め「え?」と言う言葉が聞こえてきてもおかしくない表情。思い出を綺麗に包む透明な包装フィルム、それを添加物だと彼は伝えたかった。
美椛は動揺し、急に縮こまったかと思えばすぐに胸を張る。
「まぁ、傘をさしていても雨に濡れる時もあるし完璧な人探しなんてする気はないけど、見つけるまで続ける気ではいるよ。不恰好でも空回りでも」
「場合によっては警察への相談もあり得るから、そこは大人の対応をする」
数秒間の沈黙を挟んで彼女は大きく頷く。その後も細かな事情や友人関係を聞き、急用や個人的な連絡をするために菅野は電話番号を教え、カウンセリングを終了した。
菅野が事務室へ戻ると、缶コーヒーを二つ持った安土が側に寄ってきた。
「お疲れ、随分と大変そうな内容っぽいじゃん」
「なんか他とは違う気がしてな……相当、頭も体も使いそうだけど仕事してる感があって良い気分だよ。しっかりと救ってあげたいと思える」
「他のみんなも同じこと言ってたよ。菅野が担当で良かったって」
菅野は冷たいコーヒーを渡され、軽く会釈をするがブラックだと知り顔が引き攣る。
「どう言う意味だそれ? ある意味ハズレくじってことか?」
「違うよ、菅野ってやけに先の人生のことを考えてあげるでしょ? 高校生なんて何にでもなれるし、何だってできる歳だから良い方向に進められるってこと」
彼女が言っている事は正しかった。菅野が先の短い人を相手にしている時は全てが同じ結論に行き着く。枕詞に「ゆっくり」とつけて人生の決断を遅らせているのは、もう手遅れだと心の何処かで思ってしまっているからだ。
人を容姿や考え方で選ぶ彼にとって、年齢は最も重要な部分であり話す内容も全てが異なる。
「そう言われると無性にやる気が出てくるわ。何かあったら安土にも相談するよ」
彼女は缶コーヒーを机の端に置き、吐く息も吸う息も肌に触れるくらい顔を近づける。
「なんだよ。さっさと仕事戻れよ」
菅野は彼女の肩を持って引き離し、理性を保たせた。
「元気出た? 好きだもんね、私の大きくて愛らしい目」
UFOキャッチャー機の中を外側から見定める人を、内部から観察したように食い入った目をしている。菅野は缶コーヒーを飲むことなくポケットにしまい相談室へと戻った。
夏らしくない分厚い曇り空と斜めから吹き抜ける強風で、茂った木々は葉を散らしながら揺れている。こんな日の空下でBBQでもしていたら間違いなく紙皿やコップは飛んでいるだろうと菅野は外を見て思った。
そんな日に突然、美椛から菅野へ電話。急いで東里駅の西口横にある駐輪場に来て欲しいと、息が切れ焦っているような声で話していた。携帯電話のマイクが強風を拾ってしまったせいで周辺の音は聞こえない。
事務室のホワイトボードに「外出中」の磁石を貼り付け、彼は外へと飛び出した。考えられるのは沙里を発見した事、もしくはそれらに関わっている何かを見つけた事だろう。
菅野という男は時間に追われたり、暑中走ったりしたくないが為にこの仕事を選んだが今まさに走っている。方向を変えても向かい風、ネクタイをヒーローのように靡かせながら駅に向かった。
「あっ! お兄さんこっち!」と右奥辺から美椛の声。
どうやら途中まで迎えにきていたよう、右足を軸にして旋回し先を急ぐ。
角を曲がってすぐの場所に制服姿の彼女が携帯を握りしめて突っ立っていた。
「結構やばいの……沙里が……------」と澱んだ表情で呟く。
ガガガガンッ! 突然、近くから鉄同士がぶつかる鈍い音が聞こえ、菅野は急いで彼女の手を引っ張り音がした方へと駆ける。
通行人が溜まっている場所へ向かいながらも鳴り止まない重低音。曇り空は空気中に水分が多く、それに音が反射してより大きく聞こえるという。
人溜まりを掻き分けて最前へ進む。その音の正体は複数人による乱闘と綺麗に横倒しされた自転車の重なり音。見た感じ五人で暴君と呼んでも差し支えない柄の悪い若者たちが殴り合っていた。すぐ横には試合を観戦するかのよう駐輪場を囲んで写真を撮り続ける通行人。
後方から警察官が駆けつけ、傍観者たちはすぐにそちらにも携帯を向け始める。
美椛は彼の手を握ったまま肩を大きく上下して荒れた呼吸を整えていた。ようやく駐輪場最前に着き、状況を改めて見ると血が飛び散っている悲惨な現場で、警察官に腕を取られていてもなお抵抗を続けようとする若者たちがいた。
手には自転車のパーツのような金具が握られていて暴言を吐き、涙が混じったような声で対する若者に向け意志をぶつける。喉元を締めながら発したような声で。
「いつか……また五人で遊びにいく約束をしていたんだ……それをお前らは……」
隣で両腕を警官に後ろで固められている別の若者も叫ぶ。
「友人だって……将来だって、人生だって好きなように選べるはずだ……ただ、それらをお前らが拒んだ」
菅野の耳に入ってきたのは思いがけない内容の言葉。一体、善悪はどちらに割り振られるのだろう。彼らが言っている事は仲間を庇っているようにも聞こえた。横一列に倒れた自転車、血だらけのTシャツ、警察官の怒鳴り声、若者の涙、笑顔の無い場所。
この情景を囲んで見ている人たちはどちら側につくだろうか。事情もろくに知らない他人が己の頭で考え、出した結論によっては彼らを非難する。まるで自分が普段していた行いを菅野は目の前で見ている気分だった。人目につかず個人間でのやり取りのため批判は受けない。
いくつもの人生を簡単に否定してきた彼にとって、無謀な夢や希望は邪魔でしかなかった。叶うはずが無いのに向かおうとする、無理なのに踏ん張る。それを彼は客観的に判断して〝馬鹿〟や〝哀れ〟と言った悲観で相談を終わりへと向かわせる。
横目で若者の喧嘩を見てそんな感情を抱く通行人と同種という言葉以外、他には無かった。あの若者の乱闘を憧れの意識で写真を撮る人などいない。
珍しさ、非日常、話題性、そんな言葉を引っ提げた様の人の行動だ。
菅野は目に映る現状を瞬きする事なく、震えで両腕を掴んだ。今までの自分が恐ろしく思えた。もしこの場にいる若者が『笑空』に相談に来たとして、なんて声を掛けるのだろう------「これから先、真面目に生きていれば幸せなことが続いてくるよ」きっとそんな言葉だと彼は思った。
目の前の若者を更生させる一心で、当ても根拠もない〝幸せ〟を目の前に提示し、非行に走ってしまった経緯を無視してさっさと相談を片付ける。呆れを我慢して放課後に何度も諭し続けたであろう、無意味で馬鹿な教師と同じことを言う。
目の前で涙を流す若者はきっと感情任せで殴り合ったわけではない。親がいて、夢があって将来がある。そんな人々を菅野は今まで無視をし続け、仕事として無関心のまま話を聞いていた。何故、今になって彼は自らを見つめ直すのだろうか、このままのスタイルでやっていけば一生この仕事が続くって言うのに。
美椛はピンと上がったまつ毛を上下させることなく、凄惨な情景を見入っていた。小ぶりな砂利が顔に食い込みながらも、抵抗を続ける若者のうめき声、周りを囲む傍観者の冷めた視線と聞き取りにくいほどの軋み音と強風、線路から放たれる鈍い擦れ音。
「さっきまでさ……駐輪場の奥に沙里が居た気がしたの」と美椛は震える声で呟く。
------そういえば、合流した時にそんな事を美椛は口にしていた。
「そうなのか? 僕は見えなかったけど。あの不良とは何か関わりでもあるのか?」
彼女は首を横に振る。「でも……絶対に数分前まであの場所にいたの。金髪で……制服を着ていた。あの場所でこっちを見て……」と自らに暗示をかけるように、彼女は見たものを何度も言葉にして吐き出す。
言霊にも縋っているように。
殴り合っていた若者はパトカーに乗せられ、駐輪場を囲むようにできた人の輪も徐々に捌けていくが、菅野はあの時に感じた忸怩たる思いが忘れられずにいた。急に感じた自責は数十年分の重さ。
カウンセラーとしての自分の行いを全て否定したくなった。
そう、ブツブツと呟きながら『笑空』までの帰路につく。
4話に続く
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