最終話 80代、無職、少し未来の話

 夫と2人で4人の子供を育て上げ、子供が就職して実家を出てからは夫と年金暮らしをしている。

結婚から55年、3歳年上の夫は1年前に転倒して骨折をして以来、骨はつながったものの、あまり動かなくなったせいかめっきり足腰が弱くなり、歩行器なしには歩くことも難しくなっていた。

最近では私も体のあちらこちらに不調が生じ、自分の病院通いに忙しい上に、夫の通院にも付き添わなければならない。今の世の中はコロナ禍に加え、子供世代も生きていくのが大変な時代だから、子供には迷惑をかけられない。


 80歳を過ぎた頃から今まで難なく出来ていた作業に要する時間が増えた。コロナ禍による自粛生活が続いたこともあり、自分1人で作業を行うことの困難さに直面する機会が増えたため、少しでも体力を維持しようと、時間に追われない時は夫と2人で散歩がてら、なるべく歩くことを心がけていた。



「お父さん、今日は病院へ行く日ですよ。そろそろ準備をして下さいな」

夫はこのところ、あらかじめ決めておいた予定をしばしば忘れるようになっていた。


 私も夫も数か月前に免許を返納し、自家用車を知り合いの自動車屋に頼んで処分してしまっていたので、病院へ行くためにはバスを使って最寄りの駅へ行き、そこから電車に乗らなければならない。一日の運行本数の少ないバスの出発時刻に間に合わせるためには、もう家を出発しなくてはいけないのだが。


 病院へ行くと、先月から開始された後期高齢者向けの「健康寿命をのばす!電動アシスト型リハビリステーション」の体験者募集が目に留まった。説明会がちょうど1時間ごとに完全予約制で開催されるようだったので、夫が診察を受け終わってから参加することにした。


 説明会の会場に行くと、夫と私は空調設備の整った個室に案内されて席に座った。前方に設置されたモニターからは、10分程度の説明動画が流された。担当者からの説明を聞く限り、どうやら病気や怪我で衰えてしまった高齢者の筋力回復や維持を目的とした新しいリハビリテーション用の機器が開発されたらしい。その紹介と普及を兼ねた説明会のようだった。開発に携わった医師や研究者、理学療法士も登場し、寄せられた様々な質問に答えている。


 現行の方法だけでは筋力の回復が難しいケースが主な対象として想定されるが、後期高齢者であれば、今回の体験コースへの参加は可能らしい。この機器を装着すると、脳から送られた「筋肉を動かすぞ」という信号を受信した機器が各種筋肉の動きを瞬時に解析する。解析結果をもとに出力装置から電気信号を送り、電動駆動装置で筋肉全体を装着者の筋力に合わせた力で支持・補助することで過剰な負荷を避けて適した負荷を装着者にかけられる仕組みである。


 夫も私も現役時代は工場に勤務して「ものづくり」を行っていたから、生体と機械の共同作業、という新しい手法に強い興味を持った。早速、1か月間の体験コースに参加することにした。


 体験コースは、実際のリハビリテーションプログラムへ参加する前に、あらかじめ視力や聴力、握力や背筋、敏捷性などの体力測定を行い、現在の体の機能を数値化して把握することから始まった。体験プログラムに参加する間は、人工知能を搭載し、上腕二頭筋の形に似た形状をもつ自立型歩行ロボットの「マッスルくん」が装置の使い方や参加者の質問に答えてくれる仕様になっていた。マッスルくんは、私たちの測定結果を総合的に判断すると、夫は80歳代相当、私は75歳相当の体力であることを教えてくれた。そして、更なる体力向上に向けた運動プログラムを提案してくれて、プログラム運動実施中には、盛大な応援とはげましの言葉をかけてくれるのだった。

夫と私が体験コースに参加して2週間が経過したころ、長女から年老いた我々の近況を心配して久しぶりに連絡があった。


「お母さん元気?ここのところ、コロナ禍でなかなか帰れなくてごめんね。お父さんも元気にしてる?」


「お父さんも私も元気にしてるから大丈夫よ。あんたこそ最近どうしてるの?ちゃんと食べてるの?」


「私は普通に生活してる。でも最近は家にいることが増えたから、運動不足で3kgも太っちゃった」


ここぞとばかりに娘に報告した。


「お父さんとお母さんはね、マッスルくんっていう名前のロボットと最新式のトレーニング機械に手伝ってもらって、筋トレを始めたのよ。これがものすごく楽しいのよ。今は後期高齢者向けの体験コースしかないけど、すぐに若い世代も利用できるようになるんじゃないかしら」


長女が他の兄弟に話したのか、変な詐欺にでもあったのではないかと心配した4人の子供たちから、入れ替わり立ち替わり電話で頻繁に連絡がくるようになり、以前と比べると子供たちとの会話が増えた。


 先日、1か月間の体験コースが終了した直後に行われた体力測定では、夫婦共に驚くべき結果をたたき出し、マッスルくんから最大限の賛辞を頂いてしまった。夫は70歳代、私はなんと60歳代に相当する体力と判定されたのだ。すでに夫は、少し前から歩行器を必要としなくなっているし、私も腰や膝の痛みが改善されたために病院へ行く頻度が少なくなっていた。

この結果には担当者も驚きを隠せなかったようで、来月から実装予定の脳機能トレーニングプログラムと現在のシステムを組み合わせた認知症予防筋肉トレーニングプログラム体験コースへの参加を提案された。


体の調子が思うようにいかなかったときは、夫も私も口数が少なくなっていたと思う。

いつまで自分たちだけで暮らせるのか、先行きの不安で胸がいっぱいの時は、夫も私も、本当のことを子供たちはもちろん、お互いにすら口に出して言わない。長年連れ添い、言わずともお互いが不安に感じていることくらい、よく分かってしまうからだ。そんな毎日も、新しいリハビリテーション用体力トレーニング機器との出会いによって、大きく変わった。


 まだまだ、生きている間は自分で考え、動きたい。そんな、若い時は普通だったことがどんどん出来なくなる、不自由になる、そんな現実を機械が助けてくれる時代になったのだ。

マッスルくんも褒めてくれるし、何より、この年で前よりできるようになることが楽しい。次の体験コースも本当に楽しみだ。


 来週は、地域の支援センターで同年代向けに、今回の体験コースでの体験を紹介する講演会に呼ばれている。心配してくれる子供達には悪いが、我々夫婦は、まだまだ大丈夫だ。

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人生は曇りのち雨、のち晴れ 一之森 一悟朗 @obake_dr

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