第6話 50代、男性、母からの手紙

 77歳の母が倒れた。脳梗塞だった。

幸い命はとりとめたものの、右半身に麻痺が残った。

これまでは丈夫で、病気とは縁のない人だった。


 母の田舎は急峻な山がそびえる山間部にある小さな村で、子供時代は数キロ先の小学校まで山道を歩いて通っていたそうで、『村の子供は皆、足腰が丈夫なのだ』、とよく自慢していた。私も子供の頃に母の実家へ何度か遊びに行ったことがあるが、母の家は村の中心部から山道を大分進んだ山奥にあり、トイレも家の中にはなくて庭の片隅にあったから、夜のトイレは裸電球が1個ついているだけの暗さで、子供心に怖くて仕方がなかったことを覚えている。


 母は18歳になると同時に村を出て、親戚のツテで都心部の会社に就職して父と出会った。結婚当初の母は、会社を辞めて専業主婦として暮らしていたが、私が生まれて小学校へ上がったころからは、家の近くの町工場でパートをして日々の家計を支えていた。

 私が大学を卒業後、就職して実家を出た後も、夫婦仲良く暮らしていたのだが、父親が5年前に他界した後も住み慣れた家を離れたがらず、私の同居の誘いを断りつづけて、一人暮らしを続けていた。


 子供には迷惑をかけたくない、というのが母の口癖で、『最近はいつ死んでもいいように家を片付けているのよ』、と電話口で話しているのを数日前に聞いた矢先の緊急入院だった。

近所の茶飲み友達のおばちゃんが、玄関口で倒れていた母親を発見し、救急車を呼んで病院に行ってくれた。

病院から連絡を受けた私は、勤務する部署内のメンバーに事情を告げてから急いで病院へ駆けつけ、処置室へと案内された。点滴チューブにつながれた母親はベッドでまだ眠っていた。最近はあまり実家へ帰っていなかったので、久しぶりに見る変わり果てた母の姿に、私は不覚にも涙をこらえきれずに泣いてしまった。


 病状が落ち着いてきて、リハビリのために病院を転院する日程が決まった頃に、コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が発出された。

病院への付き添いや家族の面会は制限されたため、次の日曜日に私は実家の様子をみに行くことにした。


 久しぶりにみる実家の庭は、手入れが行き届いて花が咲き乱れていた頃の庭とは比べ物にならないほど荒れ果てており、背の高い雑草に覆いつくされていた。

数年ぶりに実家の玄関のカギを自分で開けて部屋へ入る。主のいない部屋の中にはうっすらと塵埃が降り積もっていた。

掃除機をかけ、床を水拭きしているときにふと本棚に目をやると、母の書いていた日記を見つけた。母は、10年間の出来事を1冊に記録できるタイプの日記を好んで使っていた。私が大学へ進学する頃からつけていたから、この日記が一番最近のものであるとすれば、4冊目くらいだろうか。ただ、内容は日記というよりは家計簿的なものだったと思う。


日記を開くと、そこには案の定、その日に買った食料品の価格や日用品の価格がずらっと並んでいた。何ページかめくった所で、そこに私宛の白い封筒が挟まっていることに気が付いた。

封筒を開いて手紙を読む。


ひとし

この手紙をお前が読むということは、私の身に何かあった時だと思います。

今年の正月に帰ってきたら、お前の大好きな卵焼きを作って食べさせてあげたかったけれど、万が一それが出来なくなってしまった時のために、お母ちゃんのたまご焼きの作り方をここに書いておこうと思います。お前は、小さなころからお母ちゃんの作る卵焼きが大好きだったから、お母ちゃんがいなくなっても、自分で作って食べられるようにしておこうと思いました。


私が子供の頃から大好きだった海苔が入っただし巻き卵焼きの材料と作り方が手紙の最後に書いてあった。手紙の日付は1年前の10月、ちょうど私の誕生日だった。昨年の私の誕生日は自分の誕生日であることすら忘れていたのと、もともと会社の出張が入っていたので、実家には帰ることができなかった。それどころか、ここ最近は母の誕生日ですら忘れていた。


何だよ母ちゃん、俺はもう50代だぞ。50代の息子への最後の手紙が卵焼きの作り方かよ。

込み上げてくるものをこらえながら、母親の手紙をカバンに入れた。


母親は、自分のことはいつも後まわしで、独り身の私のことばかり心配しているひとだった。


腕をまくり、物置からだした鎌で庭の雑草を刈った。就職してからの人生、必死で頑張ってきたが、振り返れば自分のことだけに精一杯で、母親の「元気だよ、大丈夫だよ、こっちのことは何も心配いらないから。」という言葉を鵜呑みにして甘えていた。母はいつまでも元気でいるものと自分を思い込ませ、ここ数か月ほどは電話越しになかなか言葉が出てこない母親の変調も見て見ぬふりをしていた。


母ちゃんが帰ってこられるようにこの家をきれいにしておこう。今まで過ごせなかった時間を取り戻そう。

いつまで2人で過ごせるかは分からないが、私は自身の家を引き払い、実家へ戻った。


病院での母の様子を担当の医師から電話で聞いてから1か月後、右手の動きはまだ悪いが、何とか歩けるようになり、母は無事退院して実家に戻ってくることができた。

国の肝いりで昨年から開始された「ロボット型介護サービス」は、要介護者がいる家庭に1台のヒト型ロボットが支給され、入浴やトイレの介助支援を行ってくれる。

入社以来、私が打ち込んできた仕事の成果でもある。


母親もその介護型ロボットをすっかり気に入り、「たまこさん」と呼んで、その介助にも大分慣れてきたようだ。


今日は、会社帰りに卵を買って、母親のために「卵焼き」を作ろう。

私は顔を上げて前を向く。

駅を降りて見上げた夜空には、雲の合間に満月が顔をのぞかせていた。

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