第5話 20代、学生

 浪人をして、今年の春にめでたく大学へ入学したまではよかったものの、半年が経過してもなお、大学へ通うことができていない。突然のコロナ禍による緊急事態宣言の影響で、多くの授業がオンライン形式となり、六畳一間のアパートで一日中慣れないパソコン作業に取り組むこととなった。各履修科目別に教授の解説動画を視聴して、出されたレポート課題をこなすだけで精一杯の日々が続いた。もともと、スマホやパソコンの操作はあまり得意な方ではなく、SNSなんかも全くやっていなかったから、コロナ禍での新生活は戸惑うことが多かった。

 学食で友達と昼めしを食べる、サークルは何に入ろうか、そんな当初から思い描いていた学生生活とは大きくかけ離れた毎日に、ここ最近は少し気が滅入っていた。苦しい予備校生活をやっと終えたのに、本音を言えば気の合う友達と放課後に飲みにいって他愛もない話をしたり、愚痴ったり苦楽を共にしたり、みたいなそんな思い描いていた脳内学生生活と比べると、友達といえる同級生もいない現状は、支えもなくて何だか不安定で、安心できる地盤が作れていない、そんな感じだ。それが心の中のもやもやとした気持ちとなって堆積しているのだろうか。


 うつうつとした気持ちを引きずりながら参加したある科目で、教授の出す課題についてグループで取り組むグループワークの授業が開講されることになった。学籍番号順に6人ずつが1グループとなり、課題について各自が意見を出し合うことで、グループとして1つの結論を導き出し、最後に代表者が発表する取り組みである。当初は対面で実施される予定だったが、実際には全てがオンライン上のバーチャル空間内での開催となった。教授からは、バーチャル空間の指定された会議室内で活動するために、各自で「アバター」と呼ばれる自分自身の「分身」をあらかじめ作成しておくように、との指示が履修者宛てのメール連絡で届いた。


 メールに添付されていた説明書を開き、早速自身のアバターの作成に取りかかる。

やってみるとその作業はゲーム感覚で面白かった。数十種類ある顔の輪郭や肌の色、髪型、目や鼻の形など、それぞれのパーツを簡単に選択することができて、結構楽しめた。同級生とはいえ、まだ実際に会ったことのない人ばかりで、顔も名前もいまいちよく分からない。それなら自身のアバターも理想の自分にしたって良いだろう、と考えて目はぱっちりの二重だけど涼しい目元でさわやか風にして、鼻筋の通った鼻、小さめの口、髪型はそう、今海外で大人気の人気アイドルグループのリーダーと一番よく似た髪型に設定した。あまりにもイケメンで、鏡に映る実際の自分とはまるで正反対だったので、逆にもはや芸術品として捉えるならば、うん、ものすごく満足することができた。その日はアバターの操作方法をひとしきり体験してからパソコンを閉じた。

 

 次の日、指定された時間にバーチャル空間の会議室に入室してみると、60名ほどの参加者がすでにグループ別に分かれて、それぞれが指定された場所に座っていた。あわてて自分の場所を探して着席する。となりの席にはどんな奴がいるのかと思い、横をみると、まるでアイドルのような印象的な赤い水玉模様のワンピースを着た美少女がちんまりと座っていた。アバターを通じて目があった気がした。


・・・・ど真ん中ストレートすぎる。同じグループなんて幸運すぎる。


 高鳴る胸の鼓動を感じながら、何か話すきっかけはないか、と考える。ここ最近でこんなに頭を使ったことなんてないんじゃないか、という超速スピードで頭をフル回転させて考えた。

こういう時、女性になんて声をかければいいんだ。いきなり声をかけたらびっくりさせちゃうだろうし、服装を褒めようか、いや、いまどきのファッションのことなんてよく分からねえし。っていうか挨拶するタイミングを逃したんじゃないか?いや、今からでも遅くはない、お、チャット機能がある、これを使えばいいじゃないか。


― こんにちは。俺は『ひだか みつる』と言います。お日様の日に高さの高に満足の満でみつると書きます。素敵な赤い水玉模様の洋服ですね。とてもお似合いです。もしよかったら、本日はよろしくお願いいたします。


キーボードを打ち終わり、緊張からか、ひとすじの脇汗が流れ落ちてゆく。

少ししてから、教授の声が装着したヘッドセットから聞こえてきた。


「すばらしい挨拶をありがとう。日高 満さん。それでは授業を始めたいと思います」


あれ?授業が始まる前に隣の美少女にだけ挨拶したかっただけなのだが、何で?


首をひねって考えていると、チャットウインドウに『オカダトモユキ』からチャットが届いた。


― そのまま入力すると全員に送られますよ。相手を指定してからプライベートモードにしないと、今ここにいる全員が読むことができてしまいます。


何と、そうだったのか!顔面が熱くなる。


教えてもらった通り、クリックしてチャットウインドウをプライベートウインドウに変えて、オカダトモユキなる人物にお礼の文面を送る。


― 教えてくれてありがとう。俺、あまり慣れていなくて知らなかったよ。


すると数分後、オカダトモユキから返信がきた。


― いえいえ、ぼくのアバターの今日の服装をほめてくれたお礼です。こちらこそ、本日はよろしくお願いします。


ん?思わず、バーチャル空間を見渡す。赤い水玉模様の服を着ているアバターは1人しかいなかった。


俺は、次の授業に参加する前に教授の許可をもらって、自身のアバターを変更した。


新しいアバターは、上半身が裸で下半身に黒いタイツを履かせた。俺の大好きな尊敬するお笑い芸人をイメージしたアバターだ。


前回のグループワークですっかり仲良くなった美少女の『オカダトモユキ』は、俺と同い年の美少女アニメオタクの男性だった。美少女アバターの隣に俺の黒タイツのアバターが並ぶ。


プライベートモードでチャットを送る。


 ― おーっす。今日の課題は何だろうな。オカダ、前回のレポートは提出したか?


 ― 何だよ日高、イケメンのアバターやめたのか?俺のアバターと並ぶとナイスカップルだったのに。


 ― おう、お前のおかげで何か、肩の力が抜けたよ。ありがとな。


 ― 今日の服装どうよ。黒の水玉模様のワンピース、オカダスペシャルだぜ。


 ― うん、オカダ、水玉模様が好きなのは分かったが、俺にはもはや中身が男のキャラクターに心からのお世辞を献上することはできないようだ。


 ― なんだよ日高、おれの玲香ちゃんに失礼だぞ。反省しろ。まあ、おれも水玉模様以外のコーディネートを学ぶ必要があるかもしれんな。


 ― オカダ、この世に生まれて以来、彼女いない歴を更新しつづける俺たちが女子の服装を理解することは、まだ10年早いかもしれん。


バーチャル空間で他愛もない会話を楽しめるようになったことがきっかけで、俺とオカダは「バーチャル空間愛好会」を立ち上げた。大学の学生用掲示板を使って仲間を募集し、同学年だけで男ばかり、10人もの同志が集まった。分からないことを気軽に聞いたり教えあったりできるメンバーが増えたことで、オンライン形式でも勉強やレポート作成がはかどるようになった。

 バーチャル空間を利用した教授の授業がきっかけで、様々な国の文化や人々の暮らしを知ってみたくなった俺たちは、バーチャル空間の中で世界一周をする、という当面の目標を達成するため、授業終わりの放課後には旅行プランをどうするのか、アバターを通じてバーチャル空間内に借りた「談話室」で話し合っている。


「緊急事態宣言が明けたら、本当の世界一周旅行ができたらいいよな」とオカダがつぶやいた。


「そうだな、俺たちのこれからが楽しみだな」

俺の胸は今、オカダのアバターと出会った時とは別の意味で胸が高鳴っている。

「オカダ、俺たちバーチャル空間で世界中の大学生と交流できたらいいよな」

オカダの「そうだな」という言葉を聞いて、談話室を退室した。


腕を上に上げて伸びをしてから、英語の教科書を取り出す。

これから忙しくなりそうだ。

俺は今、人生を楽しいと感じている。

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