第7話 30代、研究職

 自分は世界初の大発見をしたはずだった。


 大学院を卒業してから海外の大学で3年ほど研究員として勤務する予定だったが、コロナ禍でビザの発給が一時的に停止されてしまったために、国外の受け入れ先である研究室の教授とも相談の上で今回のポジションを辞退することにした。やむなく日本国内の某研究機関で3年間、私は新規素材の研究開発業務に打ち込むこととなった。

 

 数十種類以上もの様々な生物から抽出した物質の精製と活性評価を行い、有効な物質を抽出する、ほぼ毎日その工程の繰り返しで、1年目は大きな成果を出すこともなくあっという間に経過した。


 研究プロジェクトに参加して2年目に入ると、新しい研究員が同じグループに主任研究員として配属された。彼は海外の研究機関でグループリーダーとして勤務した経験をもち、これまでに取得した特許は100件以上、中でも宇宙開発に関連する新規素材開発に関わる案件を20件以上手がけた経験をもつベテラン研究者だった。

 

 その当時、自身の研究手法に行き詰まりを感じていた私は、経験豊富な彼に現在の進捗状況と自身が考え得る改善策を示しながら、研究内容についてしばしば相談を行っていた。彼はいつも、問題点の指摘とその解決策について、私の理解が及ぶまで根気よく時間をかけて説明をしてくれた。そんな好人物だったから、我々の研究グループだけでなく、上層部に至るまでたちまち多くの研究者から厚い信頼を得て、彼が様々な研究グループの研究者達と共同研究を進めるようになっていくことに、さほどの時間はかからなかった。


ある時、これまで鳴かず飛ばず状態だった私の研究に大きなチャンスが到来した。


 生物学分野のある文献に目を通していた時にミミズの粘液がアンモニアを含むアルカリ性であることを知った。粘液中には様々な酵素が含まれ、ミミズがいる土壌を豊かにするために一役買っているらしい。物質が活性を示すための環境が整っていないから、自分が行っている実験手法の条件では、目的の物質が活性を示せないのではないだろうか。反応条件を変えて活性状態を評価した方が良いのではないか。

早速、多くの特許経験をもつ研究者である彼に自身の考えと具体的なアイディアを相談してみると、彼が驚いた顔をして言った。

「祐介、これはすごく良いアイディアだ。おそらく、これまでにない候補物質がスクリーニングに引っかかると思うよ」

彼の言葉に背中を押され。その日から私は条件を変えて各種物質の活性評価をやり直すことにした。


 結果は良好で、これまで見逃していた5種類もの候補物質を抽出することに成功し、このうちの1種類が、宇宙空間に近い環境下でも活性を示すことを確認した。

それはまだ世界で誰も報告していない、世界で初めての成果と言える程の発見だった。

早速上司に報告に行った。

ところが、上司からは耳を疑うような言葉を聞くこととなった。

「お、〇〇くんのアイディアをベースにして君が実際に手を動かしてやることになった実験の結果だよね。〇〇くんから聞いてるよ。この結果なら、材料系の国際誌に論文を投稿できるね」


「いや、部長、これは私が自分で考えたアイディアを基にして行った実験から得た結果です。私の方で特許申請をしたいと考えています」


「え、そのアイディアについては2か月ほど前から〇〇くん自身の考えとして説明を受けていたし、実際にそのアイディアをベースにして、彼が古巣のアメリカの研究室と共同で実験した結果をすでに特許申請として出しているよ。昨日開催された研究所内部の検討会議でも、〇〇くんの成果が今後のプロジェクトの新展開につながる、という意見が多くてね。他の研究グループからの信頼も厚いから、彼には研究室を主宰する室長への昇格試験を受けるように打診してあるよ。そういえば、〇〇くんからは、ぜひ君を主任研究員として推してほしい、と提案されている。昇進には成果が必要だから、早々に論文が掲載されるように結果をまとめてほしい」


やられた、と思った。全幅の信頼を置きすぎて、実験条件を含め、彼にすべてをさらし過ぎたのだ。同じグループだから言わずとも守秘義務があるし、相手は自分を尊重してくれる、という油断もあったかもしれない。いや、上司へのアピールなど、自分がもっと上手く立ち回れば良かったのだろう。当時、自分が彼に相談をしていたであろう時期、その直後に上司への根回しを開始し、アメリカの研究室に情報を流したのか。研究業務の分業化でスピード重視のアメリカの研究室であれば、研究員の指示があれば、テクニシャンが短期間できっちり仕事を仕上げてくる。彼は自分を試したのだろうか。同時期に同じアイディアを基に実験をして成果を得るための競争を行う、知らずに自分はその競争に参加させられ、結果としてその競争に自分は競り負けてしまった、ということだろうか。


すぐに彼の元へ行き、話を聞こうと思った。しかし他の研究員から、彼が先週から国内の別の研究拠点に出張していて、しばらくは電波の届かない環境にいる、と伝えられた。


「えっ。」絶句した。しかしすでに後の祭りである。これで、最初に発見した事実は自分のみぞ知る、状態になってしまった。はらわたが煮えくり返るほどの怒りの衝動に駆られたが、その場は何とか平静を装うことができた、と思う。


数週間後、彼と再会した時、私は怒りを抑えながら聞いた。


「なぜ、私の出したアイディアを自身が出したかのように振るまったのか」


彼は平然と答えた。


「君はこれまでも僕に研究の相談をたくさんしてくれたよね。ぼくも時間を割いて多くの助言をした。その集大成として、今回のアイディアが生まれたのではないのかい?ぼくがいなければ、君1人で果たしてここまで思いつくことができたのかな?」


私は握った拳を震わせながら、絞り出すような声で言った。


「仮にそうだとしても、あのアイディアを思いついた時にあなたはその場にいなかった。発見者を訂正してほしい。最悪、発見者に私の名前を追加する義務があなたにはあると思う」


それまで冷静で、いつもスマートだった彼の形相が突如変わった。

顔を真っ赤にして、彼は低い声でつぶやいた。


「そのことを証明できるのか?お前の能力では無理なんだよ。だから。お前の昇進の話だって部長に推薦してある。論文だって共著者として出版されるまで力を貸してやる。何がそんなに不満なんだ」


この人はこんなにも器が小さい人間だったのか、怒りを突き抜けて、ため息がでた。

こういう人とは何を話し合っても理解し合えない、私は静かにその場を去った。


その後の研究生活は彼の監視や不条理な横やりに悩まされる日々で、まるで地獄のようだったが、我慢に我慢を重ね、ついに論文掲載が決定したタイミングで研究機関には退職届を出した。


 なかなか求職活動をする気力が戻らなかった私は、お盆休みに実家に帰省した。いつも実験ばかりで、ここの所はろくに休みも取っていなかったから、久しぶりに気晴らしをしたくなったのだ。毎年お盆休みに開催されていた中学校の同窓会に久しぶりに参加すると、テーブル越しの向かいに座った元同級生は、工学部を卒業した後、接着剤メーカーに勤めており、現在は若くして室長として研究グループを率いているという。最近は水中で何度でもくっつけたりはがしたり、繰り返し使用できる接着性をもつ素材を商品化したらしい。

私はその物性に興味をもったので、同級生にその新素材の特性について質問をした。

「水中で何度でも粘着性を保てるっていうのはどういうことなんだ?」 

「この素材から水中で反応して接着性を生み出す反応前駆物質が少しずつ溶け出す仕組みになっているんだ」


私の中で、ひらめきがあった。

「なあ、それさ、宇宙空間を再現した、ある条件下ではものすごい有用な素材になるかもしれないぞ」


私は、元同級生に詳細を説明した。


「おい祐介、お前すげえな。これ、画期的な発明になるぞ。もし良かったら、うちの会社でこの研究プロジェクトを立ち上げて一緒に商品を開発しないか?」


私の頭の中に、研究機関での出来事が思い出された。

けれども、元同級生の性格はよく知っているつもりだ。ユーモアがあって、でも不条理なことは嫌いな一面もあり、後輩の面倒見の良い奴だったから、中学時代は野球部のキャプテンを任されていた。

こいつとならもう1度、やれるかもしれない。


同窓会から2か月後、私は同窓会で誘われた接着剤メーカーの研究プロジェクトに参加することとなった。

元同級生は、私が研究をしやすい環境を作るために全力で取り組んでくれた。

予算の確保や研究場所の整備、人員、そして何よりも、同窓会の時に思いついたアイディアの考案者として厚遇してくれた。会社は利益を出さなければいけない組織だから、良い特許が取れても、全てがお前だけの権利になるわけではないが、と断りながらも、私の発明者としての確固たる事実を誰にも邪魔されることのないように、秘匿案件として取り扱ってくれた。


 数年後、私を含む研究プロジェクトのメンバーは、種母島宇宙センター近くのロケット打ち上げの見学場所にいた。

今日、まさに我々の開発した素材を応用した衛星が搭載されたロケットが打ち上げられる日を迎えたのだ。

ロケットの打ち上げが無事終了した後は、宇宙空間を飛び回る衛星に使用した新素材の状態を数年に渡ってモニタリングする予定になっている。


あの同窓会の宴席から生まれたアイディアを基にした新素材が特許化され、日本発の新素材として注目を浴びるようになり、各国の宇宙展開を目指す企業からの問い合わせが相次いだため、社内でも主力商品として期待が高まっている。今後はプロジェクトメンバーを増員して、各事業展開に対応する予定だ。


エンジンに点火され、噴き出す炎と大量の煙に押し上げられるようにロケットは上空に打ち上げられて、その姿はみるみる小さくなっていく。その姿を見送りながら、私はこれまでの道のりを思い返す。

今回の特許取得までにも、海外のライバル企業との壮絶な戦いがあり、間一髪の滑り込みセーフで我々の方が先に先行技術の一部を特許化することに成功したのであった。自分がふと思いついたアイディアとはいえ、元同級生やプロジェクト内の多くの人の協力がなければ、到底ライバル会社に競り負けて、製品化にも失敗していたかもしれない。


世の中、様々な性質の人間が異なる立場でひしめき合っている。ときとして、利害が衝突したり、相手を軽蔑したり貶めたり、一番怖いのは人間かもしれないが、手を差し伸べてくれるのもまた、同じ人間なのである。信じられる人もいる。今は信頼できるメンバーに囲まれて、存分に能力を発揮することができる環境がそこにある。


今はこう思う。

「あきらめなくて良かったな」、と。


打ち上げ成功に喜ぶ我々の横をすがすがしいほどに気持ちの良い海風が吹き抜けていった。

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