しゅわしゅわ

「あっ、そうだ」

 ひとの寝顔でさんざん遊んだ張本人が、涼しい顔をして俺の話を遮った。

「松橋さん、お土産忘れていったでしょ。ラウンジの冷蔵庫で冷やしてますよ」

「それはありがとう」

「お土産ってなんですか」

 文句を言いに来たはずなのに、中途半端に威勢をくじかれる。そこへ厄介な人物が登場し、さらに興を削がれた。

 首を突っ込んできたのは、あの勝田である。

「いや、休みにキャンプに行ってきてさ」

「ちょっと松橋さん!」

 条件反射で素直に答えた俺を、藤本さんが止めた。

「下手に教えないほうがいいですよ」

「なんでですか」

 あからさまに邪険にされて、勝田はちょっとむっとしている。それまで表情を消していた吉田さんが、急ににっこり笑った。

 嫌な予感がする。

「ほんと、すっっっごく楽しかったですよね。めいっぱい遊んで、美味しいもの食べて。いつ誰が作るか担当きめたりして。沢村さんのローストビーフなんか特に最高で」

「俺が作るはずだったやつな……」

 ちょっと落ち込んだ俺を、吉田さんが軽く目で制した。彼女の言葉は勝田のほうを向く。

「会社の人と遊びに行くとか、男女でキャンプとか、はじめはどうかな、って思ってましたけど。何も気にしないで、全然普通に遊べてほんとうに楽しかったですよ。結局、会社の人だろうが男だろうが女だろうが関係ないなって。一緒にいて楽しい人は楽しいし、そういう人とは仕事もしやすい。べつにお友達ごっこしてるんじゃないんです。こういうのが、つまりは信頼関係だと思うんですよね」

 吉田さんの声は低く抑えられているが、それでもよく通った。電話の鳴る音、配送業者の出入りする声、プリンターの作動音、誰かが昼食を温める電子レンジのうなり。いつもの音が聞こえるオフィスは、それでもいくらか静かな気がする。皆が聞き耳を立てている気配がした。

「こういう関係性って、思いやりがないと成立しないんです。思いやりってなんだと思います? 相手が大事にしているものを、おなじように大事にすることだと私は思います。勝田くんはどうですか。相手の大事にしている人とかものとか時間とか、自分の基準でぞんざいに扱ってないですか。人のプライベートに首突っ込む前に、それ考えたほうがいいですよ」

 立板に水の勢いに、俺ばかりでなく藤本さんも呆気にとられていた。勝田は言わずもがな、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして立ち尽くしている。

 吉田さんは自分の弁当を持って、さっと立ち上がった。

「私今日お弁当ですけど、ふたりはどうします?」

「あ、俺買ってきてあるから……」

「私は今日は外で食べてこようかなー……」

「じゃ、お先に」

 そう言って、高い靴音を鳴らしながら颯爽と出ていってしまった。

 昼休憩の時間は刻々と過ぎていく。ちょっと文句を言って戻るつもりが、とんだ騒ぎになってしまった。

「なんか、すみませんでした」

 首だけで頭を下げた勝田も、財布と携帯だけ握りしめて悄然と出ていく。

 火種はたしかに彼の一言、ひいてはこれまでの行いで、それが吉田さんの怒りに火をつけたのは確かだ。周囲でちらほら吉田さんの発言に対する賛否のささやきが聞こえる。そのなかに勝田を擁護する声もあって、俺もなるほどと腕を組む。

「玲ちゃん、わざとみんなに聞こえるような言い方しましたよね」

「あ、やっぱり?」

 藤本さんも同じことを考えていたようで、すこしほっとした。

「このかんじ、うちの誰かがフォローすると思います」

「ならよかった」

 もやもやとした気分がすこし晴れて、やっと昼飯が喉を通りそうだ。


 *


「っていうことがあってさ」

「はあー、そんなことになってたとは。なんかすいませんでした」

「いや、それもなんか違うと思うけど」

 持ち帰ったお土産は帰りに寄った酒造で手に入れた日本酒で、微炭酸で飲みやすいと勧められてついつい手にとったものだ。全員分をまとめて購入したので、そのまま車に置いてきてしまったのだった。

 あのあとも結局いろいろあって、今日の仕事は踏んだり蹴ったりだった。時間がかかりそうだと連絡を入れると、沢村は献立を炒め物から夏野菜カレーに切り替えた。おかげで俺は、遅くなっても温かいメシにありつけている。

 うまかったがさすがに量を抑え、さっさとシャワーを浴びて出てくると、沢村が目を爛々と光らせて待ち構えていた。

 テーブルの皿にはなんだかおしゃれなものが盛り付けられている。

「おい、なんでメロンがあるんだよ」

「もらいました」

「生ハムは?」

「こっちは買いました」

 で、と冷蔵庫から取り出したのはまさに今日受け取ってきた日本酒の瓶である。

「ちょっと飲んでみましょうよ」

「おい、俺明日も仕事だぞ」

「俺もです、だからちょっとで」

 ちょっとと言うわりに、生ハムメロンはふぐ刺しみたいにびっしり並んでいる。

 なんだかもう、どうでも良くなってきた。

「飲むか」

「そうこなくっちゃ」

 今思えば、メロンはラップをかけて仕舞えばそれでよかったのだ。飲みやすいと評判の酒が、ちょっとですむはずがなかった。

 実はこの酒、度数はそこそこ高い。ほっぺたの色を生ハムみたいにした沢村のとろんとした目が、グラスの底から立ち上る細かい泡をずっと追いかけている。

「このしゅわしゅわが、なんていうか、メロンソーダ……」

「お前は酒屋さんにあやまれ」

 心身の疲労も相まって、俺も今日は酒の回りが早い。まだ少し固いメロンが酒の香りとほどよく調和して、もうしばらくは止められそうになかった。

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