3.琥珀糖

 深みのある紫紺のグラデーションにかすかな金粉のかがやき。透明なケースにきちっと収められた星空は、まるで芸術品のようだった。これが食べ物だなんてなかなかに信じがたい。というか、食べ物でなければよかったのに。

 さきごろ退職した役員の木村さんから、会社全体に配ったお菓子とは別に、納涼会の運営にかかわった若手へ特に手渡された品で、琥珀糖というらしい。縞模様のスリーブにかけられた銀のリボン。彼女とは業務上やりとりする機会は少なかったが、この会社の黎明期を支えてきた逸話は他の上司から聞かされている。凛とした人柄を映すような贈り物に、もらった者一同で感嘆のため息をついたものである。

 しかし。

 落雁とか金平糖とか、そういう砂糖のかたまりみたいな菓子はどうも苦手だ。お土産やなんかでもらうと付き合いでひとかじりはして見せるのだが、そのあとが困る。なまじ見た目が綺麗なので無下にしづらく、好んで食べてくれるような身内もいない。たいがい、持て余しているうちに賞味期限をとうに過ぎて、結局処分することになる。ほっとする気持ち半分、罪悪感が半分。

 沢村ならなんとかするだろうか。珍しく早く帰れた平日の夜、リビングのテーブルに載せて見るともなく見つめていると、玄関に続くドアががたりと揺れた。とすとすと軽い足音は同居人のものだ。

「あっ、先輩ももらっちゃいました?」

 その手には見覚えのあるロゴの手提げ袋。

「それ」

「いやー、律儀な人っすね。俺まったく関係ないのに」

「関係ないってことはないだろ」

 贈り主曰く、「最後の最後に楽しかった」ということらしい。会社の引っ越しとともに退職するなんて、彼女はビルの守り神かなにかか、と言い出す者までいたほどだ。勇退、という言葉が似合うような清々しい去り際だった。

 そう話して聞かせると、沢村は渋い顔をしながらリュックを下ろした。

「それ聞いちゃうとなあ」

「なに」

「先輩、これ食います?」

「いやー……」

 かくして我が家の食卓には、星空の琥珀糖が二箱ならぶことになった。

「こういうの、まえ食わされたことあるんすけど」

「食わされたとか言うな」

「すいません、いただいたことあるんすけど」

 妙に丁寧に言い直しつつ、沢村は述懐する。

「硬そうに見えて意外とグミグミしてて、混乱するんすよね」

「グミグミ」

「そう」

「グミ苦手だったっけ?」

「グミはいけるんです、グミグミしたのがダメ」

「よくわからん」

 そこから沢村は、俺の向かいに腰を据えるなりグミとグミグミの違いについて語りはじめた。要は、予想を裏切る食感のものが苦手らしい。

「砂糖代わりに使えるとかならいいんだけどな」

「いっぺんやってみましたけど、こいつら意外と強情ですよ。コーヒーには溶けなかった」

「酒に入れたらいけるかな」

「いやだから溶けないんですって」

 ちょうど冷蔵庫にレモンサワーが入っていたので、グラスを取り出して試しに入れてみる。シュワシュワと立ちのぼる泡の底に、小さな星空が沈む。

「きれいだなあ」

「食べ物で遊んじゃダメですよ」

「遊んではない」

 しばらく目で楽しんだあと、ぐいと傾けて飲んではみたものの。

「ただのレモンサワーだな」

「だから言ったじゃないですか。ていうか飲みたかっただけでしょ」

 言いつついそいそと冷蔵庫からつまみを出してくる。瓜の浅漬に昆布の佃煮、揚げかまぼこはさっと醤油で焦がしてから。

「俺も開けちゃお」

 もうひとつ炭酸の抜ける音。その晩、琥珀糖は一向に減らず、塩気のあるつまみばかりがやけに進んだのだった。


「勝田、木村さんにもらったあのきれいなお菓子、どうした?」

「え、まんま人にあげちゃいましたけど。俺食わないし」

 何でもないように回答する勝田に、女性たちから非難の声が上がった。

「せっかくいただいたのに」

「一口も食べてないの?」

「それはないんじゃない」

 これは質問した俺が迂闊だった。俺のほかに琥珀糖をもらった男性社員は勝田ともう一人くらいしかいなかったので軽い気持ちで出口調査をしたものの、こんなに炎上するとは思わなかった。さすがに気がとがめて、必死で場をとりなす。

「食べきれなくて悪くなっちゃうよりはいいよな」

「そうなんですよ。もらいものって好きなものとは限らないから困る」

 勝田お前……。

「ありえない」

「勝田くんには義理チョコもあげないから」

「ええっ」

 半年以上先のイベントまで持ち出されてやっと、勝田は己の失言に気づいたらしい。俺の発言が呼び水になったとはいえ、これはもう擁護できない。

「何でも正直に言えばいいってもんじゃないからな」

「はい……」

 勝田には悪いが、いいことを聞いた。人に譲る。たしかに、以前だったら当てもなかったが、交友関係の広がった今なら。


 その後、俺と沢村の琥珀糖は揃って八百屋のおばあちゃんの手に渡った。しばらくおじいさんの仏壇に上げられたあと、日々のお茶菓子としておばあちゃんの目と舌を喜ばせたという。

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